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2017年12月30日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第27話

 

1945年は、昭和20年敗戦の年である。この年の秋から日本兵のシベリア強制抑留が始まった。60万人を超える人々が、ダモイ(帰国)だと欺されながら、家畜のようにシベリア各地に、あるいは、バイカル湖やウラルを越えたヨーロッパロシアにまで拉致されていった。

 

地獄のような状況の中を生き抜いた多くの日本人は、昭和25年春までに帰国するが、理不尽にも戦犯とされた日本人は、その後も長く抑留された。そして、1956年(昭和31年)、鳩山首相による日ソ交渉の妥結によって、ようやく、これらの日本人も祖国帰還を果たすことができたのである。

 

この間に6万人を超える日本人が無念の涙をのんでシベリアの凍土に消えた。この碑文は、このような事実に基づくものである。ちなみに、昭和25年までに帰国した日本人を、一般に短期抑留者というが、青柳さんの帰国は昭和22年末、塩原さんの

 

帰国は、昭和25年の2月であった。

 

 私たちは、建物の中に入り、円形の壁に囲まれて上を見上げた。そこには、私たちを含め赤いレンガの筒をまるごと飲み込むような深く青い空があった。不思議な空間の中で、人々は沈黙し、しばし時は流れた。

 

 やがて、パタポア女史が両手を上に伸ばし、パンパンと手を叩きながら言った。

 

「こうして、頭の上で、手を叩くと霊と通じることができます」

 

私たちは、皆、パンパンとやった。その時、私が見上げる青い空を、魚が泳ぐように白い小さな雲が流れている。抑留者たちは、あのような雲の流れを見るたびに、その先に祖国があることを思い、望郷の念にかられたことであろう。私が思いに耽っていると、突然、むせび泣く声が上がった。塩原さんだった。

 

「日本から来たよー、会いに来たよー、俺は先に帰って、悪かったなー。俺は、もう少しで82歳になるんだ、もう二度と来られないと思うけど、安らかに眠ってくれ。皆、日本に帰りたかったろうなー。日本は、いい国になった。二度と戦争のない国にするから、どうか安心してくれ」

 

 腹の中から絞りだすように塩原さんは叫んでいた。塩原さんの脳裏には、かつて、このハバロフスクで、飢えと寒さに耐えられず、バタバタと倒れていった仲間の姿が甦っているに違いない。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載しています。

 

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