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2017年11月30日 (木)

小説「死の川を越えて」 第31話

 

「大変なことが起きた」

 

正助はぽつりと言った。

 

「何なのよ、正さん。話してよ」

 

さやは泣き出さんばかりの声である。重い沈黙が流れた後で正助は口を開いた。

 

「召集令状が来た。お国から。本当なんだ」

 

「えっ。戦争に行くの」

 

さやは叫んだ。

 

「まだ、どこへ行くのか分からない。どうなることか分からない。先日、万場老人が世界の戦争のことを話していた。中国のことも話していた。あのことと関係あるのだろうか」

 

正助は、きっと唇を噛んでさやを見詰めた。

 

 言葉を出せない重い空気が2人を包んでいた。2人の運命はどうなるのか。2人には分からない。

 

 やがてさやが言った。

 

「病気があっても行くの」

 

「ハンセンと登録されている分けではない。それに俺は軽い。だから20歳の徴兵検査でも合格した。その時、俺は国から一人前だと認められたことを喜んだ。しかし、まさか天皇陛下から召集令状が来るとは夢にも思わなかった」

 

「正さんはどうなるの。私たちはどうなるの」

 

「分からないんだ、さやちゃん。何も分からない。俺は一晩考えた。さやちゃん、聞いてくれ。俺は思いついた。国のために尽くさなければならない。お国のために働ける機会が与えられたんだ。喜ばなくちゃならないんだよ」

 

「そんな。私はいや。お国のためなんて分からない。正さんと離れたくないの」

 

 さやは、涙の目で正助を見詰め、正助の膝に両手を置いて肩を震わせている。

 

「さやちゃん。まだ永久に離れると決まったわけじゃない。俺は泣かないぞ。人間には定めというものがあるんだ。どうにもならないことなんだって。それを泣いても仕方ないじゃないか。さやちゃん、俺に力を貸しておくれ。離れても心は一つじゃないか。体も一つじゃないか。さやちゃんが励ましてくれれば俺は生きられる」

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2017年11月29日 (水)

人生意気に感ず「北朝鮮に何が。荒れる海。脱北兵の胃袋。角界とプロレス。平和の講義」

 

◇北朝鮮に何かが起きているらしい。相次ぐ漁船の漂着は、魚という食料を求めて荒れた海で無理な漁をしている結果だと言われる。

 

 先日、板門店で脱北の兵士が撃たれる事件があった。この兵士を手術した時、内臓からわずかなトウモロコシ片が見つかり、北朝鮮の栄養状態の劣悪さが証明された。

 

 冬の日本かいは荒れて波が5メートルにも達する。貧弱な小型木造船の漁は危険で命がけだが政府は「冬季漁獲戦闘」を掲げた危険な漁を結果として強制しているに違いない。日本の排他的経済水域内にはイカやスケソウダラの好漁場があり、ここを目指した違法操業が続いている。

 

 背景には核ミサイル開発に対する国際社会の経済制裁がある。脱北兵士の内臓は北朝鮮の国民の胃袋を語る。それでもミサイルに巨額の金を使うのか。漂着する漁民の姿は、追い詰められた北朝鮮の現状を示すものだ。

 

 アメリカは北をテロ国家に再指定した。一触即発の状況下で北のミサイル発射が発射された。4000メートルに達したという。私たちの知らない情報が渦巻いているに違いない。厳冬下で餓死に直面する国民は哀れだ。まさかの時、日本海を埋める程の難民が日本に押し寄せることが予想される。この難民の中には当然多くの武装工作員がいるだろう。日本はその時、人道と国防の両面の対応を迫られる。その時が近づいている。

 

◇日馬富士の暴行は凄まじいものに違いない。かつて、私はプロレスファンだった。「人間発電所」とか「鉄の爪」などといった異名の奇人怪人が登場し漫画の世界だった。誰もがそれをショーとして楽しんだ。日馬富士の怪力はプロレスラーに劣らないものだ。日馬富士も十数発殴ったこと、ケータイの機器で殴ったことを認めている。酒の席とはいえ、その光景は凄まじい。本物だけに、プロレスの場外乱闘の比ではない。問題は、この暴行が国技と結びついていることだ。日本の伝統文化の品格が問われている。暴力団の観戦が厳しく批判されたことが思い出される。相撲協会には穏便にという意図がありありだ。背景には「うみ」が溜まった因襲があるに違いない。国技としての伝統を守りながら新時代に対応した脱皮が出来るかが問われている。

 

◇今朝は「へいわ845」でヒロシマを語る。核分裂の発見、アインシュタインの提言、ルーズベルト、オッペンハイマー、ポツダム宣言、戦争と平和の原点を語る。(読者に感謝)

 

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2017年11月28日 (火)

小説「死の川を越えて」 第30話

 

「若い人が将来に不安をもつのは当然です」

 

服部女医はそう言って正助を診察し、正助の不安に耳を傾けた。診察室の片隅に聖母マリアの像が置かれていた。女医は正助の目を正視して言った。

 

「この病はまだ良い薬、良い治療法がみつかっていません。無知や迷信が大きな妨げになっているのです。長い間、遺伝病で感染力が強いと恐れられてきましたが、ノルウェーのハンセン氏が癩菌を発見し、遺伝病でないことが科学的に分かりました。そして、この癩菌を研究した結果、感染力が非常に弱いことも分かってきました」

 

 正助は初めて聞く事実に驚愕した。にわかに信じられない思いなのだ。女医は続ける。

 

「しかし、大切なのは心の問題なのです」

 

正助はマリア像に目をやり、キリストの説教だなと思った。しかし、女医の話は意外であった。

 

「病は気からと言いますね。これには科学的意味があります。病気を治す力は本来生き物には備わっているのです。それを免疫力といいます。人間は精神的生き物ですから心の持ち方が大いに影響するのです。西洋の例ですが、死刑の宣告を受けた人の髪が一夜にして白くなったことが報じられています」

 

女医の口から遂にキリストのことは一切語られなかった。正助の胸はなぜかふくらむのであった。

 

 さっそく、さやにありのままを話すと、さやは正助が驚く程喜んだ。遺伝病でないことは、半信半疑のようであったが、心の持ち方と免疫力については、いかにも納得したようである。

 

「正さん、あたし嬉しいわ」

 

「うん、俺も嬉しい。生きる望みが湧いたね。力を合わせれば、その免疫力とやらも倍増するに違いないよ」

 

正助が抱きしめるとさやは、その胸の中で泣いた。

 

 それから数日したある日、正助とさやは、仕事が終わってから向き合っていた。正助の様子がいつもと違っていた。

 

「正さん、何かあったの」

 

さやが心配そうに正助の顔を覗き込んだ。思いつめたような目がただならぬことを物語っている。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2017年11月27日 (月)

人生意気に感ず「大規模テロと核の恐怖。カスリーン台風と私と最近のゲリラ豪雨」

 

◇エジプトに於けるテロの死者が300人を超えた。イスラム国(IS)系の武装勢力の犯行が有力視されている。ISがやっと壊滅したかに思われたが、この勢力は世界に散って新たな戦略を展開しているらしい。

 

 今回のテロはエジプト北東部のシナイ半島で起きた。報道は、ISの関連組織がシナイ半島に新たな中心拠点を作る可能性があると伝える。この過激派との戦いはモグラ叩きの感がある。日本が狙われたらどうなるかと常に思う。その可能性は決して小さくない。平和ぼけし、「まさか」を意識しない日本に危機は迫る。

 

◇私は、ISがらみのテロが起きるたびに、この勢力が「核」を手にする悪夢を想像する。目的のために手段を選ばない人々である。彼らは喉から手が出る程に「超兵器」を望んでいるに違いない。それを阻止するために世界の秘密組織は躍起となっているが、「まさか」が現実化する危険を孕んでいることは人類の歴史が教えることである。

 

 かつてドイツ人が原子の秘密、核分裂を発見し世界戦争の中で原爆が誕生し、それは瞬く間に広がった。広島、長崎に落とされ、現在核の発展の先はテロ国家北朝鮮に伸び日本を脅かすに至っている。この危機は人類の危機である。核が無法の手に広がることを絶対に阻止しなければならない。第三次世界大戦が起きれば、核戦争に発展することを覚悟しなければならない。今週水曜日の「へいわ845」はこの問題意識をもって「ヒロシマ」を取り上げる。私のこの講義は今週で21回目となる。「へいわ845」WEBページはhttp://nippon-academy.ac.jp/heiwa845.html。毎週水曜日更新である。

 

◇カスリーン台風で思う。25日、この台風に関する70年シンポが開かれた。1947年は、私が赤城山麓の小学校に入学した年。家から宮城村小学校までの間に二つの川がある。朝、濁流は渦を巻いていた。学校は早く終わり、この川にかかる橋は落ちた。多くの犠牲者を出したカスリーンは八ツ場ダム建設の根拠ともなった。現在、カスリーンが問うものは地球規模の異常気象。歴史的、記録的というゲリラ豪雨と洪水が常態化した。私が県議の時、八ツ場ダム建設を巡り攻防があった。群馬は大丈夫という安全神話に警鐘を鳴らすのがカスリーンである。(読者に感謝)

 

 

 

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2017年11月26日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第18話

 

「その通りです。情報の交流によって、ロシアは今ソ連じゃない。ロシアも今、民主主義が育っている。市場経済が進んでいる、ハバロフスクもそれほどひどいところではない、ということを知ってもらうことです。今、コンピューターの時代ですから、これを利用して日本と極東ロシアの間の情報の交流を頻繁に行い関心を高める。それによって、たくさんの日本人、学生さん、ビジネスマンに、行ってみたいなあーという気を起こさせることが大切です。そういう情報の流れ、人の流れが出来ることによって、ロシアは日本にとって大事なんだという感じがわかって、より地についた関係が発展していくんじゃないかと思います。

 

 ロシアにはここのところ大きな変化があります。今、ロシアでは石油がどんどん、どんどん出ています。ですから、すさまじいお金がロシアに流れ込んできます。日本にとっても大きなビジネスチャンスです。政治的にも安定しました。最近、頻繁に日本からビジネスの方が来られます。これは、日本の見る目が変わってきたことだと思います。今後は、これをどんどん進めて、こんなに近いんですから本当の意味の隣人関係を深めてゆく。そして、このことによって日本人がロシア人とかロシアに対して持っている古いイメージを変えてゆく。そして新しいイメージをつくってゆく、このことが最も大切ですね」

 

 楠木総領事は、これからの日ロについて熱っぽく語った。対談の終わりに、私はシベリア強制抑留のことに触れた。

 

「今後の新しい日ロの関係を築く上で、シベリア強制抑留の事実は避けて通れません。これをどのように乗り越えるかということが大切だと思います。数え切れないほどの体験記、手記があります。こういうことが事実としてあったのだということを知ることは非常に大切です。そして、地獄のような苦しみを味わった人たち、また、無念の涙をのんで亡くなった方々のことをしっかりと受け止めることが日本人として大切です。しかし、あれから半世紀以上がたった21世紀の今日、新しい視点からシベリア強制抑留を考えることも重要だろ思います。例えば、当時の時代背景の中に位置づけて、またその後の大きな変化との関連において、強制抑留も事実をもう一度考えてみることが21世紀を生きる私達の責任のような気がします。

 

 

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。

 

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2017年11月25日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第17話

 

「21世紀の日ロの関係はどうあるべきだと思いますか、そして大切な課題は何でしょうか」

 

「ここの極東ロシアについて申し上げますと、皆さんの目は北東アジア、日本、中国、韓国に向いています。特に日本の優れた技術と資本によって経済開発をやっていきたいいう気持ちがすごく強いんです。日本にとっても極東ロシアは、石油、ガス、石炭をはじめいろいろな資源が豊かです。そして、対日感情がすごくいい。だから、日本との間には相互依存的というか、お互いにとって利益になる基盤があると思います。その方向で、ロシアと日本の関係を強化してゆくことが、これからの一番大きな課題です。ところが残念なことがありましてね」

 

 楠本総領事は、またここで言葉を止めて私の顔を見詰め、そして塩原さん、青柳さんの方を見た。

 

「それは、日本人からみるロシアはまだ怖い国なんですね。シベリア抑留のことが重くのしかかっているのです。ある調査では、日本人の80%がロシアに対して親しみを感じないとしています。これは大きな現実です。特に若い日本人の間で、ロシアはますます魅力のない国になっています。例えば、大学でロシア語の講座がどんどん閉鎖されているんですね。

 

 私はハバロフスクのまちを歩いていて、日本人の方にお会いする機会がほとんどありません。日本からわずか2時間で来られるのに。在留邦人は70人ですが、総領事館の人を除くと50人足らずで、留学している学生さんは数人しかおりません。日本人で昨年一年間に外国を訪問した人は1,600人、大連に行った日本人は60万人。それなのにハバロフスクには、たった8,000人に過ぎません。日本人にとって、ロシアがいかに魅力のない関心ない国かということだと思います」

 

「それを解決するためには情報交換を増やすことやシベリア抑留を乗り越えることが重要ではないでしょうか」

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。

 

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2017年11月24日 (金)

人生意気に感ず「譲位、光格天皇、天明の飢饉。北との突発事故が怖い。ハンセン病の今」

 

◇譲位、改元が近づいた。平成31年5月1日が有力と言われる。私は県会議員時代、小渕総理の時、「平成」を経験した。「譲位」とは、生前に天皇が位を譲ることで、江戸時代の光格天皇以来である。光格天皇は日本の歴史、そして皇室の歴史上特筆すべき人物である。

 

◇先ず在位中、天明の大飢饉が発生(1782~1787年)、人肉までむさぼるという空前の惨状となった。浅間山の大噴火はこの最中に起きた(1783年)。光格天皇は幕府に申し入れて民衆の救済をはかった。朝廷が幕府に対し政治上の口出しをするのは前代未聞のことであった。幕府もこれに従って動いた。飢饉がいかに深刻であったかということであるが、朝廷が雲の上の存在でなく民衆の救済に心を砕いた例である。

 

◇トランプ大統領が北朝鮮をテロ国家に再指定したことにより、米朝の緊張は一層高まった。北朝鮮はいわば火薬庫である。人命や平和を尊重しない独裁者が裸の王様として君臨している。一本のマッチが引火して大爆発を起こす危険は大きい。しかし、この火薬庫には核が積まれているのだ。歴史上には偶発的な突発事故が大戦争に発展した例が少なくない。

 

◇その突発事故を思わせる事件が発生した。13日、北の兵士が南北軍事境界線を越えて南に逃げ込んだ。追跡する北の兵士は境界線を越え、銃弾も境界線を越えて韓国側に到達した。私は「板門店」の緊迫の境界線を現実に見た。日本の役割の重要さを感じる。

 

◇金正恩とトランプ。両者も異常な指導者に違いない。日本の運命が両者にかかっていると言っても過言ではない。トランプ大統領の下で良識のあるアメリカの政治家や行政官はトランプの姿勢を憂慮しているに違いない。

 

 安倍首相はトランプと良好な関係と言われる。この関係を最大限生かすことが今求められている日本の立場だと思う。安倍首相は北朝鮮に強い姿勢を示し、トランプと共同歩調をとりながら戦争回避の忠告をすることがベストの選択肢ではないか。安倍首相が歴史的役割を果たせるか否かが今問われている。

 

◇熊本大学の学生がハンセン病施設のジオラマを作ったことが今朝のニュースで報じられた。私の小説で登場する菊地恵楓園である。

 

 本妙寺のことも語られた。差別と偏見は人類永遠のテーマである。ハンセン病はほぼ撲滅されたが、この病に対する偏見は消えない。(読者に感謝)

 

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2017年11月23日 (木)

小説「死の川を越えて」 第29話

 

さやは、老人の話を一語も聞き漏らさじと真剣に耳を傾けていた。

 

「今日は、ここまでじゃな。わしも今日は命の火を燃やしたわい。愉快なひとときだった。そうじゃ、一言言っておきたいことがある。お前ら、いま世界大戦のただ中にあるのを知っているか。幸い日本は戦場になっていないから静かだ。イギリスがドイツと戦っている。日本は日英同盟を結んでいるから、イギリスを助けるということを理由に、ドイツに宣戦を布告した。そして、中国におけるドイツの権益を奪いにかかっている。そこでじゃ。中国の反日感情に火がついている。わしは日本の将来が心配じゃ。日本は、日英同盟によって中国で漁夫の利を得ようとしている。軍国主義は我々患者の敵だということをお前たち、胸にとどめておくがいい」

 

 さやは、こずえと知り合いになれたことを改めて喜んだ。こずえは、力になると約束した。

 

 

 

別れ

 

 

 

 正助とさやは、竹内館の主人の計らいで、離れの一室を与えられて生活することになった。人間は心の生き物である。心に何が宿るかにより人は狂人にもなり革命家にもなる。追い詰められた男女の心に共通の愛が芽生えた時、それは強い生きる力となって2人を甦らせる。絶望の渕に立っていた正助とさやの瞳には、今、燃えるものがあった。幸い、2人はハンセン病の患者とはいえ軽症といえた。最近の2人を見ると、その生き生きとした動きは健常者と変わらなかった。ただ、2人は日々、重症者の姿を見るにつけ、あれが自分たちの将来の姿かと怯えるのであった。

 

 ある日、正助は、コンウォール・リー女史が建てた聖バルナバ病院を訪ねた。そこにはリー女史が話していた服部けさというキリスト教徒の女医がいた。服部けさは福島県の生まれで、東京女子医大で学び、大正6年、リー女史の招きを受け、33歳で聖バルナバ医院の初代医師になった人である、正助が訪ねたのは、医師就任後間もない時であった。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2017年11月22日 (水)

人生意気に感ず「東大の研究室で故林健太郎と。皇居を走る。日馬富士の暴力は」

 

◇東京は身を切るように寒かった。母校・東京大学のある会合に出た。そのついでに西洋史の研究室に立ち寄った。一歩踏み入ると懐かしい光景が甦る。壁には歴代の教授の写真が掲げられている。一際目につむのが林健太郎先生の端正な顔である。静かな容貌の中に高い志と強い意志が滲んでいる。

 

 この先生のゼミにいたことが私の人生に大きな影響を与えた。私が政界に出る時、初陣の県民会館の集会に駆け付け応援の挨拶をしてくれた。元東大総長来るということで話題になった。その時の「歴史を生かした政治家になれ」という言葉はその後の私の人生に指針になった。私は様々な事を振り返りながら、林先生の写真に向かって「先生、ここまでくることができました」とつぶやいた。万感の思いが湧く。

 

◇この日、皇居をめぐるランニングコースを走った。一度実行しようと思いながら長い間果たせなかったのだ。去る11月3日、ぐんまマラソンで10キロを完走した脚は健在である。堀の水に影を落とす石垣と城郭は歴史を語り、周辺の高い近代ビル群は渦巻く現代社会の課題を訴えている。一周5キロ、1時間近くかかった。寒風の中、身体の汗が達成感を与えてくれた。

 

◇19日の「ふるさと塾」は主に北朝鮮を語った。ラングーン爆弾テロ事件、大韓航空機爆破事件を引き起こしたテロ国家は、党よりも軍を上に置く「先軍政治」を押し進めている。民主的なコントロールがない独裁政治は核を振りかざしてアメリカと対峙している。正に一触即発の危機にある。塾では、このテロ国家に対して平和憲法で立ち向かう日本の難しさを語った。

 

◇20日午後、日本時間では21日未明、トランプ大統領は北朝鮮を「テロ支援国家」に再指定すると発表した。これでもか、これでもかと北朝鮮に制裁を強め、日本海には3隻の空母まで派遣し緊張感は極限に近い状態であった。今回の「テロ支援国家」指定は、このような状況下で実質的には「最後通告」ともいえる。これに対し、北朝鮮はどう対応するのか。息を呑む瞬間である。安倍首相はいち早くトランプ大統領の決断を支持すると発表した。報道は、北朝鮮の慌ただしい動きを報じている。北朝鮮を巡る危機は現実化しつつある。

 

◇日馬富士の暴行の実態はプロレスの世界だ。国技の品格を傷つける。相撲協会の反応には因襲を感じる。日本の文化が問われている。(読者に感謝)

 

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2017年11月21日 (火)

小説「死の川を越えて」 第28話

 

 

 

「その通りじゃ。営業上の理由からハンセン病患者を温泉街から締め出しにかかったのじゃ。草津の歴史は古い。その中で人々は、ハンセンを恐れない習慣を作った。恐らくハンセンがうつらないことを経験から学んでいたといえよう。そうでなければ同じ湯に入るなど出来るものか。肌を触れ合うようなものだ。それに、我々の風貌を恐れないというのも意味が深い。草津の人々は、ハンセンの差別と偏見を無意識のうちに乗り越えようとしていたのではないか。ノルデンシュルドがハンセンとの混浴を見て戦慄したというが、この人が驚いたことにはもっと深い意味があって、偏見や差別を超えた姿に度肝を抜かれたのではないか。わしは、そう信じたい」

 

万場老人が高鳴る胸を抑えるように言葉を止めたとき戸外に足音が近づいた。こずえであった。一歩踏み入れて、さやを見ると言った。

 

「こんにちは。あら、お久しぶりね」

 

「いつぞやは大変お世話になりました。これからもよろしくお願いします」

 

さやは丁寧に頭を下げ会釈した。

 

「こちらこそ。こんなところで女が2人。御隠居様が喜んでいるに違いないわね。ほ、ほ、ほ」

 

こずえは老人をチラと見ながら言った。その笑顔がいつもより美しく輝いて見える。

 

「これもな、差別と偏見に悩む女じゃ」

 

万場老人はこずえに視線を投げながら言った。さやは、こずえの美しい笑顔には結び付かない老人の言葉に奇異なものを感じた。

 

「まあな、話はそれたがな、村は新しい時代の変化に合わせるために、我々患者を切り離してこの湯之沢に移そうとしたのじゃ。患者は怒ったぞ。この点は前にも話したが、大挙して役場に押し寄せもした。しかし、結局、自由の別天地で自由の療養を営むという大義に患者の大勢は従うことになった。結果はよかったのだ。本村から切り離されたために、患者による患者のための自治の力が生まれたのだ。村も追い出した手前、集落の自治に協力した。そして、助け合う集落が出来た。これが先日話したハンセンの光の原点となった」

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2017年11月20日 (月)

人生意気に感ず「みどり市の公聴会で話す。ふるさと塾で憲法をゼロから」

 

◇19日は忙しい日曜日だった。諸事があったが、みどり市議会の定数問題に関し、現行の20人から18人にすることについて行われた。公述人は4人で、そのうち2人は公募の市民、2人は学識経験者。私は学識経験者として意見を述べた。他の学識経験者は関東学園大学教授であった。

 

 午前10時、みどり市役所庁舎の大会議室は多くの議員(全議員か)が出席。公開であるが傍聴人は少ない。4人の公述人は10分ずつ意見を述べるルール。私は4番目。

 

 開始と同時に珍事があった。「質問」と大声をあげる議員がいた。質問は認めないルールであった。拒否されるとこの人物は怒声をあげて部屋を出ていった。かつて県議会にもたびたび怒鳴り込み問題を起こした男に違いない。みどり市の議員になっていたことを知り驚いた。退席時、「やらせだ」と叫んでいたが、このような人物に一定の支持者がいることは議会が抱える問題点を物語るものかも知れないと思った。

 

◇議員定数削減を求める声の背景には立候補者が少なく選挙にならないなどの実情があった。私は県議時代の体験を頭に描きながら登壇し発言した。

 

「今、民主主義は危機にあります。政治不信は増々募り人々は政治に無関心。地方議会の役割は増大しているのに議会は形骸化していると言われます。立候補者が少なく選挙にならないから議員数を減らすという意見があるとすればそれは民主主義の原則からはずれたもので賛成できません。議会改革により住民に開かれた魅力ある議会をつくることで解決の道を探るべきです」私はコストの面から議員数を減らすことに反対し、現状維持の意見を述べた。機関委任事務の廃止により地方議員の役割と使命は大きくなった。様々な層の市民の意見を議会が反映させるために20名の定数は必要だろうと主張。魅力ある議会の例として県議会が実現した対面型の一問一答方式を紹介した。10分は短すぎた。

 

◇日曜日に変更したため心配したが、ふるさと塾は大変盛況だった。北朝鮮のシビリアンコントロールが全くない先軍政治を語った。また、憲法を「ゼロから学ぶ」企画を始めた。憲法改正がいよいよ私たちの舞台に登場するのに憲法の真の姿を多くの人が知らない。待ったなしの時が過ぎていく。(読者に感謝)

 

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2017年11月19日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第16話

 

総領事は、私の胸の中を了解したかのように、また静かに話し始めた。

 

「昨年、残念な出来事がありました。平和公苑の碑の一部が壊されたのです。翌日ソゴロフ市長に会って話すと、これは我々の恥ですと言ってすぐに修復しました。しかし、その後しばらくしてまた壊されたのです。市長は2回目もハバロフスク市の恥だと言ってすぐに直しました」

 

「何か意図的な反日グループがやったのでしょうか」

 

「単なるいたずらだと思います。あのあたり、夏になると若者がたむろして酒を飲んだりします。そういう連中が何か別の不満をぶつけたのではないでしょうか」

 

 それにしても、日本人にとって大切な碑が2回も壊されるとは。日本の豊かさ、ソ連の崩壊とロシアの現状、北方領土など、様々な問題がある中で、日本に対する不満分子がいてもおかしくないと私は思った。

 

 私は、記念碑が壊されたと聞いて、到着した日、ホテルへ向かう車中でドミトリーが熱っぽく語っていたことを思い出しながら尋ねた。

 

「ロシアの人々、ハバロフスクの人々の日本に対する感情はどうですか」

 

「それはもうとても良いのです。私は外務省に長くいて色々なところを回りましたが、その中でここほど対日感情がいいところはないと思います。ハバロフスクの皆さんにとって、日本は憧れの的です。そして、日本へ行った方は皆、すごい、素晴らしい国だと言います。ですから、日本総領事として、ここほどやりがいのある勤務地は他にないと喜んでいます。

 

 同じロシアでもモスクワは違います。モスクワとかヨーロッパロシアの人は、我々はヨーロッパ人だという意識が強いんですね。そして、日本は遥か彼方の国だと思っています。しかしここは日本が身近ですし、日本とは仲良くやっていきたいという感じがすごく強いように思われます。

 

 実際、ここで去年一年間、日本文化フェスティバルということで、いろんな文化行事をしました。お茶、お花、書道、津軽三味線、琴、尺八、またこういう伝統文化のほか、新しいジャズとかいろんな行事をしましたが、それもすべて満員でした。私も出席しましたが、『総領事、ありがとう、ありがとう、日本の皆さんによろしくお伝えください』と、そういう感じでした。こういう点からも対日感情はとてもいいと言えると思います」

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。

 

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2017年11月18日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第15話

 

 

 

 平和慰霊公苑は、日本政府と民間団体が一緒につくって、来年で10年になります。昨年は小泉首相も参拝されましたが、シベリア抑留で一番記念史的な施設です。

 

 遺族会の方、日本政府の要人の方は必ず平和慰霊公苑と日本人墓地を訪れます。その都度、私もご一緒させて頂きます。また、ハバロフスクには在留邦人は70人ほどおりますが、毎年ご一緒に日本人墓地の清掃を致します」

 

「シベリア抑留の事実について、ロシアではどのように受け止められているのでしょうか。墓地や平和慰霊公苑に対する理解はどうなっておりますか」

 

「第二次世界大戦は、ロシア人にとって大変な戦争でした。私はモスクワで4年くらい生活しましたが、ロシアの皆さま方にとって第二次大戦の位置づけはすごいんです。ロシアの皆さんは、第二次大戦とは言いません。大祖国戦争と言います。祖国をナチスから解放した。そのために何千万人もの方が亡くなった。本当に大変な戦争であった。そして、ひどい目にあった。この思いは、全てのロシア人が共有していると思います。ですから、日本の方も戦争でひどい目におあいになった。そういう意味で、平和公苑とか日本人墓地を大事にしなければならない、そういった共感というものがあると思います」

 

 ここで楠本総領事は、私の表情をうかがうように言葉を止めた。この時私は、一般のロシア人はシベリア強制抑留について他人事のような、その程度の認識しかないのだろうかと思いつつ話を聞いていたのである。

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。

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2017年11月17日 (金)

人生意気に感ず「講演・ハンセン病の歴史が現代に問うもの。明日18日である」

 

◇今週は誠に忙しい。ざっと挙げれば、15日(水)、毎週水曜日に実施する「へいわ845」の講義で「命のビザ・杉原千畝」を語り、明日18日は人権についての記念講演を行い、19日はみどり市の公聴会で議員定数の問題で学術経験者として意見を述べ、夜は「ふるさと塾」である。ぐんまマラソンで、過日10キロを完走したが、その続きを走っているような充実感を味わっている。

 

◇明日の記念講演とは、日本福祉大学が毎年どこかの県で実施しているものの一環。今回は群馬県の番で「第29回社会福祉セミナー」として行われる。テーマは「だれもが人間らしく生きられる社会のために - ハンセン病の歴史が問うもの」。新前橋の社会福祉総合センター8階大ホールで12時50分開始である。入場無料で多くの人の参加を望んでいる。

 

 私の話は、ハンセン病の歴史は迷信と誤解で人間を押し潰す過程であり、国家の誤った政策が差別と偏見を生みそれを増幅させたという事実が中心になるだろう。

 

「死の川」は草津の湯畑から流れ出る川で、その強酸性の故に生命の存在を許さなかった。この川の辺りに、死に直面する人々が助け合って生きていた。死の川の呼び名はこのような事情に由来する。

 

 国の誤った政策とは軍国主義の流れの中で行われた。一致結束して「聖戦」を戦い抜くためにハンセン病は大きな妨げと考えられた。その存在は国辱とされ、絶対隔離政策が展開される。その象徴ともいうべきものが草津の「重監房」であった。それは、ナチスのアウシュビッツともいうべき恐ろしい牢獄であった。

 

 小説では、ここに入れられた人々をかつお節で助ける話、国の隔離政策に反対して信念を曲げなかった京都大学の医師などが登場する。小説の底に流れるものは「人権」である。

 

 死の川が生命の輝く川となるためには、国家の誤りを正さねばならない。主人公の一人、万場軍兵衛は、国を相手に裁判を起こすべしと言って世を去った。

 

◇高齢社会が進む中で先のない命を価値のないボロくずのように扱う風潮が生じている。これは人間とは何かを問う問題であり、人権の問題に他ならない。汚いものを差別する思想は極めて今日的課題である。これこそハンセン病の歴史が現代に問うものである。講演では上毛新聞連載のイラストを使わせてもらう。(読者に感謝)

 

 

 

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2017年11月16日 (木)

小説「死の川を越えて」 第27話

 

大正6年のある日、正助たちは久しぶりに万場老人を訪ねた。正助の傍に座るさやの姿は、新妻の雰囲気が漂っている。それを見て老人が言った。

 

「若いというのはいいものじゃな。は、は、は」

 

「さやちゃんも勉強したいと言うので」

 

「おお、それは感心じゃ。これからは、女が学ばねばならぬ時代なのじゃ」

 

「先生、そこでさやちゃんは、この湯之沢集落が出来たいきさつを知りたがっています。前に、ハンセンの光ということを教えてもらいましたが、その時、村から追い出されてこの集落が出来たようなことを言われましたね。そのことを俺たちもっと深く知りたいのです」

 

正助がこう切り出したとき、権太が言い出した。

 

「うん、先生、俺も知りてえ。昔は、本村の病気を持たねえ人と一緒に風呂に入っていたという。それが何で追われたんですか」

 

「権太、お前が不思議に思うのも無理はない。よし、よい機会じゃ。昔のことを話そう。それを知ることが、この集落を守り、偏見と戦う原点となる」

 

万場軍兵衛はきっぱりと言った。そして、後ろに手を伸ばし、古い書きつけを引き寄せた。万場老人は書付けをめくりながら語り出した。

 

「この草津は昔から有名だった。明治の初め、明治12年頃かな、スウェーデンの人物で地理学者のノルデンシュルドやドイツの医学者ベルツなども草津を訪れている」

 

 老人は少し考えて続けた。

 

「このノルデンシュルドはな、草津の共同浴場で、ハンセン病の者も、普通の人も混浴している姿を見て、大変驚いている。社会の発展と、こういう人たちが温泉の良さを発表した影響は大きかったに違いない。こうした事情で草津は、新しい繁栄期を迎えるのじゃ。そして新しい客層が増える。新しい旅館経営者も増える」

 

こういって、万場老人は、どうだと言わんばかりに若者の顔を見た。

 

「新しい住人は草津の習慣を嫌う。ハンセンを怖がる。そこでハンセンの患者は分ける、という声が高まったのですね」

 

「営業の妨げとなる。ハンセンは出て行けだ」

 

正男と権太が次々に声をあげた。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2017年11月15日 (水)

人生意気に感ず「地質時代を示すチバニアン。北朝鮮と拉致。15年前の週刊文春」

 

◇地球誕生46億年、ジュラ紀、白亜紀、チバニアン、地磁気の逆転と、一般の人の耳慣れない文字が新聞やテレビで大きく報じられた。

 

 地球の歴史を示すある年代が日本の名前で刻まれることになる。やがて教科書にも載るだろう。これを機会に地球史の知識を自分の財産に加えるべきではないか。

 

 77万年から12万6千年前の年代が「チバニアン」と命名される見通しだ。チバニアンは千葉時代を指す。千葉県市原市の地層の特徴が決め手となり、地球史のこの年代を示す学術用語になる。地球は全体が一個の磁石でN極とS極があるが、地球史の上でこれが逆転することがしばしばあった。その最後の逆転を証明する地層が千葉県市原市に存在する。

 

 壮大な地球の歴史は生命の誕生、発展、消滅の歴史。今回の年代はネアンデルタール人が生きた時代である。生命はいかにして誕生し進化し、どこへ向かうのか。46億年という長さは太陽の年齢でもある。太陽の生命はその一生の中ほどだと言われる。やがて太陽も燃え尽きる。人類はどこまで生きながらえることが出来るのか。ジュラ紀に繁栄した恐竜は白亜紀に絶滅した。恐竜時代と比べたら人類が地球を支配している長さは1メートルの紐の上の顕微鏡的一点にも満たない。恐竜は知能が未発達であるが故に数億年も繁栄し、人類は小賢しい知能故に自滅するかもしれないのだ。その自滅の一因を作る可能性が核である。トランプや金正恩を見ていると、白亜紀に絶滅した恐竜たちと対して変わらない生き物に見えてくる。

 

◇今月の「ふるさと未来塾」は19日(日)となる。テーマの一つとして北朝鮮を取り上げる。北朝鮮の多くの国民は世界の情勢を知らないのだろう。見ザル、聞かザル、言わザルが独裁国を支える国民の姿である。

 

拉致家族がトランプ大統領に会った。空母三隻で北を追い詰めているが拉致問題はどこまで解決できるのか。ふるさと塾では「拉致」も取り上げる。私の書斎に週刊文春の2002(平成14)年10月3日号がある。ここでは拉致を否定したり、解決に背を向けた学者や政治家の名が挙げられている。政治家としては野中広務、森喜朗等、拉致は「ない」と主張していたのは和田春樹東大名誉教授。この「文春」の直前、9月17日金正日は小泉首相(当時)に拉致を認め謝罪した。これは、今、北朝鮮を分析する上で重要な資料である。(読者に感謝)

 

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2017年11月14日 (火)

小説「死の川を越えて」 第26話

 

 

 

 時代は内外ともに激しく動いていた。そうした政治、社会状況はハンセン病患者に対しても、直接、間接に大きな影響を与えた。なぜなら国のハンセン病対策は予算に関わることであり、その予算は景気の動向や国防費の増大に左右されたからである。また軍国主義の気運が高まる中で、ハンセン病に対する偏見と相まって、この病気を聖戦を汚す国辱ととらえる傾向が生まれ、このことが偏見を更に助長するという悪循環に繋がったからである。

 

 万場老人を訪れたイギリス人宣教師、コンウォール・リーが湯之沢集落でハンセン病の救済活動に入ったのは大正5年のことであった。そのきっかけは、椚原清風等の熱い思いに接したことであるが、前記のさやのような少女の保護があった。男性患者の争奪の的となった患者の少女を憐れみ、湯之沢集落の太平館の一室を借りて保護したのである。リーは、翌年には、同じような立場の少女3人を保護している。このような状況を考えたとき、仲間の青年正助に助けられ、熱い喜びを共有出来たさやは幸せであった。リー女史はその後、莫大な私財を投入して病院を作るなど、キリスト教に基づく救済事業を展開していく。

 

 大正5年といえば西暦では1916年。2年前に第1次世界大戦が勃発。これは、ドイツを中心としたその同盟国とイギリス、フランス、ロシア等の戦いだった。日本は日英同盟を理由にドイツに宣戦布告し、中国におけるドイツの根拠地を占領し、その他ドイツの利権を強引に継承する動きに出た。中国民衆の反日感情は強かったが、中国に二十一カ条の要求を承認させたことにより、中国国民の反日感情は一層激化した。中国へ強引に進出する動きは、日本の運命を誤った方向に導くことになる。そして、軍国主義の激しい渦の中にハンセン病の人々は巻き込まれてゆく。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2017年11月13日 (月)

人生意気に感ず「中国料理が語るもの。北朝鮮の人々は語る」

 

◇中国料理教室に出た。群馬県中国残留帰国者協会の恒例の行事。多くの日本人が参加し中国人指導で水餃子をつくる。誠に美味で、つい食べ過ぎるほど食べてしまった。

 

 会場は群馬県社会福祉総合センター。私は協会の顧問として次のように挨拶した。「今、日本の社会は戦争の危機に晒されています。言うまでもなく北朝鮮との関係です。ここで中国の役割が非常に重要ですが、帰国者の皆さんは、日中の絆の役割を果たされています。今日の料理教室も日中交流の上で重要です。美味しい水餃子を深く味わいたいと思います」

 

 県国保援護の課長、及び県拓友協会の会長が挨拶した。拓友協会の人たちは元満蒙開拓少年義勇軍の隊員である。参加した4人はいずれも89歳~91歳。帰国者協会の人たちと共に、その面影は満州の歴史を語る。水餃子を食べながら話しに花が咲いた。

 

 青少年義勇軍は昭和13年に始まった。前年に日中戦争が始まり、徴兵年齢でなかった13・14歳から19歳までの少年たちが満州に向かった。五族共和、王道楽土を信じて渡った先には地獄が待っていた。元義勇軍兵の老人たちは「戦争は嫌だが必ず起きる」と語っていた。戦争を体で知る人たちがこの世から去っていく。戦争を知らない人たちの「戦争は嫌い」の声は弱く聞こえる。その声を踏みつぶすように戦争の足音が近づく。

 

◇「文芸春秋」の最新号に北朝鮮の人たちの声が載っている。盗聴を恐れながら話す生の声がリアルな北朝鮮の現実を窺わせる。

 

 先ず驚くのは「戦争が起こった方がいい」という声が多いこと。苦しい生活のため、何か変化を望んでいるらしい。「経済制裁でガソリンが上って生活が苦しい」、「ガソリンが上って3台あった工場のバスは一台に減った」「生活があまりに大変だからなるようになれ、今日にでも戦争が起こったらいいと思っています」こういう国民が多いとすれば恐ろしいことだ。現政権に対する不満も伝わる。金日成、金正日、金正恩と金の世襲が続く。金日成だけは首領様と敬称をつけ正日、正恩は呼び捨てにしている。16歳の高校生に欲しい物はと聞くと「携帯電話です。クラスは30人だが5人ほど持っています」。また、55歳の主婦は「アメリカの犬豚野郎ども戦争したってびくともしません」こういう国民と共に戦争の足音が近づいている。(読者に感謝)

 

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2017年11月12日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第14話

 

 読経が終わった時、傍らに立っていた塩原さんは我に返ったように語り出した。

 

「頑張って海まで行けば日本に帰れると騙されて一生懸命歩かされたんです。貨車に乗せられる時も、ウラジオストク回りで日本へ帰すと言われました。位貨車の中で、磁石の針が向くとやはりシベリアかとため息をついていたんです。

 

 多くの人が20歳くらいで、こんな遠くへ連れてこられて栄養失調で死んだと思うと泣かずにはいられませんよ。みじめな姿を見せちゃいけないと必死で我慢しましたが、泣いちゃってすみません。

 

 一度でいいから、故国の山を見て死にてえなあ、と言って死んで行った戦友の顔が、今はっきり見えました。こういうことは初めてのことです」

 

 塩原さんは頬を伝う涙をぬぐっていた。

 

 

 

4 楠本総領事、日露を熱く語る

 

 

 

 7月21日午前中、日本総領事館と国立門所間を訪問した。日本総領事館はハバロフスク市のにぎやかな一角にあって、近代的な建物の敷地には日の丸が翻り、出入りには厳しいチェック体制が敷かれていた。

 

 外務省ロシア課を通してこの日の会見は申し込んであったので、総領事側は用意して待ち受けていた。楠本総領事は長身で、穏やかな飾らない人柄に見えた、私達はすぐにテーブルを囲んで対談に入った。

 

「総領事のお仕事の中で一番大事なことはどのようなことでしょうか」 

 

 私が単刀直入に尋ねると、

 

「はい、これまでの経験を踏まえてお話したいと思います。日本総領事として一番大切なことは、シベリア抑留ですね。ここには平和慰霊公苑と日本人墓地という二つの大変な施設がありますが、歴史的な認識をもって、これをしっかり守ってゆくことが一番重要な仕事であると思っています。

 

 

 

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2017年11月11日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第13話

 

 二人の老人は、草で囲まれた墓石を見て立ち尽くしている。

 

 夏草の下には、無念の涙をのんだ日本人が眠る。自分たちは幸運にも日本に帰ることができ、21世紀の驚くべき豊かな世界に生き、今、シベリアに来て、かつての同胞とこのような形で再会したのだ。押し込めていた過去の記憶が一気に甦り、固く閉ざしていた心の蓋は開かれた。

 

 

 

 塩原さんは、両手で顔をおおってすすり泣いている。静かな読経の声が流れ出した。青柳さんは用意した経典を取り出し、石碑の前にひざをついて、一心に読んでいた。線香の煙が静かに立ちのぼる。私も手を合わせていた。

 

「友よ安らかに眠れ」

 

目の前の柱に書かれた文字が胸に迫る。この柱を立てた人も、万感の思いを込めて、手を合わせたに違いない。パタポア女史、ドミトリー、ニコライ、そしてミスター・ゴルバチョフみな、じっと異様な日本人の営みを見つめている。彼らにも日本人の思いと、ことの重大さが伝わったものと思われる。

 

あたりは時が止まったように静かで、読経の声だけが響いている。目を閉じると、酷寒の原野で骨と皮だけの日本人抑留者が強制労働に追いたてられる姿が浮かぶ。読経を読む青柳さんの後ろ姿には、先ほどまでの老人にはない鋼(はがね)のような力強さが感じられた。彼は今、数十年前の凍土のシベリアと再会し、命かけでその厳しい現実と対峙(たいじ)しているのであろう。読経の声は、夏草の下に深くしみ込むように続いていた。

 

 

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。 

 

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2017年11月10日 (金)

人生意気に感ず「上野村の墜落は。座間殺人・本県高1女子。県教育界は」

 

◇上野村で墜落事故と聞いて、直ぐにあの日の日航機事故を連想したのは私だけではない筈だ。8日午後、上野村役場の近くにヘリが墜落し4人が死亡した。22人乗りのヘリは急旋回して落下したという。私は日航機の慰霊の他にも楫取素彦の講演で3度この村を訪れた。山奥の静かな村である。

 

 民間ヘリの事故が相次いでいるのはなぜか。ヘリは便利で身近であるだけに恐い。県内だけでも、09年のみなかみ町、15年の安中市とヘリの事故が続いた。

 

◇上野村の御巣鷹に日航機が墜落したのは1985年(昭和60年)、早くも32年が過ぎた。520人が命を失い、静かな山は肉と死臭で酸鼻を極める地獄と化した。

 

 ほとんどの航空機事故は人災である。科学が進歩して、航空機は日常の交通手段となり恐さを忘れた感がある。しかし、常に命の危険と隣り合わせであることを忘れてはならないのだ。米軍ヘリ・オスプレイもよく事故を起こす。今度の事故の原因は何か。徹底的に原因を調べ、今後に役立てることが重要である。人命が軽視される世相、そして災害が少ない本県で教訓として生かすべき事故だと思う。

 

 32年前の520人の犠牲を生かすべきことも、この上野村の事故は訴えている。

 

◇座間市9人殺人事件は、自殺志望、若い女性の犠牲などで現代社会のミステリアスな面を濃くしているが、犠牲者の1人が本県の女性らしいことでにわかに身近な話題となった。犠牲者らしい15歳の本県の女子高生の携帯電話が何と江の島駅の周辺で見つかったという。東毛地域の女子高生というが、その日常生活に何が起きていたのか。

 

 ケータイ、スマホ、ネットサイト等、果てしなく進歩している文明の利器に翻弄され漂っていく人間の命。豊かな国日本は自殺大国でもある。それでも近年、自殺者は減少傾向と言われていたが、今回の事件は自殺を望む人が多い事実を図らずも浮き彫りにした形となった。若者の心に何が起きているのか。簡単に死ぬ人と簡単に人を殺す人。どちらも同じ舟に乗って漂流しているように見える。政治も教育も無力に見えてならない。

 

◇今朝の新聞で座間事件の被害者の高1女子の写真が報じられて驚く。西邑楽高の石原紅葉さん。極く普通の女子高生に見える。容疑者は「弱い心につけ込む」と語った。県教委の対応は。(読者に感謝)

 

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2017年11月 9日 (木)

小説「死の川を越えて」 第25話

 

権太が言った。

 

「うーん。世帯を持つのは大変だと思うが」

 

「家を持つことは後でもいい。正式に嫁さんになったことを集落に知らせることが必要だ」

 

こう正男が言うと、権太が一歩踏み出して笑顔を作った。

 

「御隠居さんに仲人になってもらえ。式は白旗神社がいい」

 

 3人が万場軍兵衛を訪ねて意見を聞くと大賛成であった。

 

「白旗神社とは、お前たちよく考えたな。あそこは集落の氏神だし、源頼朝を祭った点もよい。頼朝は新しい武士の時代を創った男。2人はこれから戦いの人生を始めるのだ。頼朝が2人の将来を勇気づけてくれるだろう」

 

 話しは一気に進んだ。仲人は老人1人というのはよくないというので、こずえが役割を担うことになった。参加者は権太と正男を中心とした数人の若者、それに正助とさやが働く竹内館、津久井館の主人であった。主人たちは、住まいについてはいずれ2人で暮らせるように考えるから暫く待てと言ってくれた。

 

 正助とさやを喜ばせたのは、竹内館の主人の計らいで、新郎、新婦の衣装を整えたことである。花嫁姿となったさやは見違えるようであった。さやは、福島の故郷を思って涙を落とした。自分を追った農村の風景が一瞬頭をよぎる。

 

「さやさん綺麗」

 

こずえが思わず叫ぶ。

 

 神官が祝詞を上げ、2人が夫婦であることを宣言した。三三九度の盃をあげると、人々の明るい笑顔が社にあふれた。正助の胸には万感迫るものがあった。

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2017年11月 8日 (水)

人生意気に感ず「9人殺害・日本の闇。トランプ来日は。へいわ845でダライ・ラマ」

 

◇座間市の9人殺害事件は日本の犯罪史に残る大事件である。伝えられる白石隆浩容疑者の言動からは責任能力には問題がなさそうだから、死刑判決は免れない。切断された9個の首、数百の骨片、これらと狭い密室で同居していたというのだから信じ難い。異臭が伝わってくるようだ。更に信じ難いことは、10代20代の少女たちが簡単にこの部屋に入り殺された事実である。

 

 犠牲者の一人、田村愛子さんの小学生時代の写真が紹介されているが、まるで少女雑誌のアイドルのような面影である。この事件は特異な事件であるが、現代社会の病根と深いところで繋がっているに違いない。日本人の心に何が起きているのか。自分の欲望のために簡単に人を殺す事件が後を絶たない。毎日のように遺体の発見が報じられる。日本列島は遺体列島かと思わせる。行方不明者は全国で約8万5千人とか。今回の事件は日本の危機。そして日本人の心の危機を象徴する出来事に違いない。

 

◇トランプ大統領が慌ただしく来日して去った。到着時、トランプ氏は語った。「いかなる独裁者や体制、国家も米国の決意を侮るべきではない」、「我々の自由を守るに際し決して譲歩せず、動揺せず、ためらわない」と。この言葉が金正恩の北朝鮮に向けられていることは言うまでもない。多くの国民を餓死させ、反対する者は容赦なく処刑し、血がつながる肉親までも殺す。正に狂気の独裁者、狂気の独裁国家である。この隣国から狂気と共に犠牲者の異臭が北風に乗って伝わってくるようだ。

 

◇日本アカデミーで毎週水曜日の朝8時45分に行っている講義「へいわ845」は、今朝で第18回、ダライ・ラマを語る。チベットは最後の秘境と言われるが、高い精神文化を守り続ける秘境である。チベットが秘境でなくなる時こそ、人類の危機である。ダライ・ラマは中国の暴虐に対して非暴力で、秘境の歴史と文化を守ろうとしている。第13回ではガンジーを取り上げたが、ガンジーの国・インドは、同じく非暴力を訴えるダライ・ラマの亡命政権をインド北部のダラムサラに置くことを認めこれを支えている。来週は「命のビザ」の杉原千畝を取り上げる予定である。

 

◇今月の「ふるさと塾」は北朝鮮である。狂気の独裁国家に未来はあるか。日本の危機の実態は。同時に「憲法をゼロから学ぶ会」をスタートさせ、毎回少しずつ憲法を学ぶことにした。憲法改正の主人公は国民である。(読者に感謝)

 

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2017年11月 7日 (火)

小説「死の川を越えて」 第24話

 

重苦しい沈黙が続いた。じっと考えていた正助が顔を上げて言った。

 

「さやちゃん、待てよ。死ぬことはない。良い考えがある。俺がその仲人に会って話をつけてやる。悪い習慣だけれど破るには理由が要る。そこでだ。いいかい、俺はさやちゃんが好きで、将来一緒になりたいと言おうと思う。さやちゃん、それでいいかい」

 

正助は、目の前のさやから話を聞くうちに、心の底にあったさやへの思いが一気に燃え上がるのを感じていた。

 

「わあー」

 

さやは正助の膝に泣き崩れた。さやの胸にも正助への思いがあったが、まともな恋など望むべくもないという諦めが重圧となって心の叫びを抑え込んでいたのだ。いま熱い激情が心の蓋を吹き飛ばしたのであった。

 

 正助はさっそく動いた。権太と正男に相談すると2人とも

 

「応援するぜ」

 

と言った。

 

仲人役の男も正助の情熱に反対する理由はなかった。さやは大変な喜びようだった。

 

「正さん、あたし嬉しい。有り難う」

 

「湯川に飛び込まなくて済んだね」

 

2人は固く抱き合って離れようとしない。正助はさやの胸の鼓動を受け止め、頬の温かさを感じ取って、これが生きることだと噛み締めたのであった。

 

 それからしばらくしたある日、権太と正男が正助の前に立っていた。そして、正男が言った。

 

「正助、お前、本当にさやちゃんが好きか」

 

「そうだよ。ならどうした」

 

「そのままにしておくのは良くないと思うぜ。集落では、あれは正助の芝居ではないかと噂する者がいるんだ」

 

「芝居でなんかあるものか」

 

正助がむっとした声で言った。

 

「それなら、ちゃんと嫁さんにしろよ。難しいことねえだろう」

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2017年11月 6日 (月)

人生意気に感ず「美女と共に10キロを完走す。トランプの来日。9人の中に群馬の女子高生か」

 

◇3日、ぐんまマラソンで10キロを完走した。1時間32分。昨年と比べ約10分遅れたが全力で快走できた達成感は秋の晴天の下で何ともいえないものであった。4日前に私は満77歳を迎えた。この歳で10キロを完走できたことを神に感謝した。365日、毎朝走り続ける成果である。翌朝、新たな365日の第一日を走った。幾分脚の筋肉に痛みを覚えるが苦痛でなく走ることが出来る。

 

◇今回も「77歳」の文字を付けて走った。この歳で頑張っていることを天下に示し自らを激励する意味があった。この文字を見て「頑張って」と声をかけてくれる人がいる。折り返しを過ぎて国体道路を南下していると、苦しげな表情で北上してくるAさんと対面。私の親友で同じ歳。少し前に前立腺癌の手術をしたばかり。100まで走ろうと約束している仲である。癌を克服するサムライの姿を見た。

 

◇今回のマラソンには、私なりに特筆すべき点があった。「ハンセン病の美女」の伴走である。上毛新聞連載の私の小説にはこずえというハンセン病の美女が登場する。岡田啓介氏のイラストは好評である。苦しい時に励ましてもらおうと、私はカラーの絵をポケットに忍ばせて走った。赤いタスキをかけ「癩予防法」と大書した紙をもつこずえの二の腕が眩しく光る。「頑張って、私の人生はもっと辛いのよ」と優しい瞳が叱咤している。「分かったよ、ありがとう」と心で受け止めて私は走った。こずえのような若く美しい女性が「頑張って下さい」と声をかけて走り過ぎていく。利根の流れが右手に光っていた。

 

◇遂にトランプ大統領が来日した。この来日には歴代米大統領の来日とは違った特別の意味がある。言わずと知れた北朝鮮である。核を振りかざす金正恩の前に進み出たのである。異常な緊張が列島を覆っている、北の工作員は多く入り込んでいるの違いないし、ISがらみのテロの危険分子も絶好の機会と隙を窺っているだろう。何が起こるか分からないのだ。

 

◇群馬の女子高生か。9人の殺害の事件は全貌が明らかになるにつれ不気味さを深めている。犯罪は社会の実態を反映する。日本人の心が崩壊しつつあることの現われか。倫理観や道徳観が地に落ち、心が薄くなり機械化しているように感じられる。被害者も加害者も生きる力を失っているのか。(読者に感謝)

 

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2017年11月 5日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第12話

 

塩原さんはかつて、ぽつりと語ったことがある。

 

「人間は飢えると、本当に動物になってしまうんです」

 

 今、石碑を前にして、この言葉が思い出される。

 

 五十数年前、ここで何があったのか。極限の状況で生死の境をさ迷うような人々の姿、そして多くのドラマがあったに違いない。木立と草でおおわれたあたりは物音一つない静寂が支配していた。

 

立ち尽くす二人の老人の頭に、今何が蘇っているのか。二人の耳には、地底の悲鳴や呻きが聞こえているのかもしれない。私は目を閉じていた。今、シベリアの大地に立っていることが不思議に思える。出発前に取材したさまざまなことが浮かぶ。ある抑留体験者も、同じように語っていた。

 

「収容所では、人間はみな、裸になってしまうんです」

 

 私たち人間は、通常の社会生活の中でさまざまな衣をまとっている。見栄や虚飾、恥を恐れ、外聞を気にする心、自尊心、怨み、ねたみ、ひがみなど。これらは、通常の余裕がある状況でのこと。極限におかれたらこのようなものは吹き飛んで、ただ生命を守ることに全エネルギーを集中させる存在になってしまうということなのであろう。

 

 塩原さんと青柳さんは遠く離れた別の収容所にいたが、共通の体験として次のようなことを語ったことがある。

 

 収容所では、次に誰が死ぬかが分かるという。次は奴だと分かると、周りの人の注意はその人の手元に集まる。息を引き取ると同時に、固く握られていたパンがポトリと落ちる。すると次の瞬間、どこからともなく、サッと手が伸びてパンは消えてなくなるというのだ。

 

 このようなことは、ナチスの絶滅収容所でもよく見られたという。奇跡的に死の収容所から生還した精神科医ピーター・フランクルが自らの体験を通して収容所における人間を観察した『夜と闇』の中で、彼は次のように語る。

 

「人間は極限の中では、感情は消滅してしまう。残酷なことにもまったく驚かなくなる。収容所内で、次は誰が死ぬかが分かりそれに目を付けている。一人が死ぬと、仲間がひとりまたひとりとまだ温かい死体にわらわらと近づき、ひとりは昼食の残りの泥だらけのジャガイモをせしめ、もうひとりは、死体の靴をとった、三人目は、死者の上着を剥いだ・・・」

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。 

 

 

 

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2017年11月 4日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第11話

 

物づくりを基礎にして戦後の日本の復興と発展を築いた力と共通のものが、収容所の中でも示されていたのだ。ロシア人の驚きは大変なものであったらしい。ハバロフスク市内には、日本人が造った建造物がまだ多く残されているという。私は、ユダヤ博物館の家具を見ながら、早く、それらを見たいと思った。

 

ビロビジャンからの帰途は、シベリア鉄道ではなく、私たち専用の車が用意され、日本人墓地を訪れることになっていた。パタポア女史やドミトリーが、それを捜し出しておくはずであった。約束の時間にゴルバチョフ元大統領によく似た丸顔で目の大きな運転手が迎えに来ていた。私たちは、この旅行の間、人のよさそうなこの運転手をゴルバチョフと呼んでいた。

 

私たちを乗せた車は、シベリアの原野を猛スピードで走った。列車から見たのとは違った光景が広がっている。遥かな地平線まで一本の道が続いていた。

 

ところどころに一戸建ての建物がいくつかまとまっている集落が点在する。見渡すかぎりの畑や草原が展開する中を小一時間も走ったころ、ミスター・ゴルバチョフは、右手の一角を指して頷いたと見るや、草原の中の小道に車を乗り入れていった。行く手の林の中に、日本人墓地があるらしい。

 

車一台がやっと通れるほどの狭い道は草でおおわれ、車は数百メートル走って止まった。そこは、ポプラに似た木と白樺が混在し、人の背丈ほどの夏草が茂っている。草を分けながら少し進むと、やや開けたところに石碑があり、その前に同じ高さの二本の角柱が立てられていた。一本はやや古い柱であるが、他の一本は、まだ新しく木肌も変色していない。いずれの柱にも、「友よ安らかに眠れ」と太い墨で書かれている。石碑には、日本人埋葬碑と書かれた金属のプレートが埋められていた。

 

塩原さんと青柳さんは、呆然と立ち尽くしている様子だ。石碑に人名はない。このあたりに収容所が多くあって多くの日本人が命を落としたのであろう。塩原さんたちは、別の収容所だったが、どこでも酷寒と飢えで死者が続出した。物資が乏しいので、衣類はすべて剥ぎとられ、コチンコチンに凍結した死体は一緒に荷車に積まれて運ばれ穴に入れられたという。誰もが自分が生きることで精いっぱいで他を顧みる心の余裕はなかった。

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。 

 

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2017年11月 3日 (金)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第10話

 

ビロビジャンは、以前は外国人が立ち入りを許されぬ所であった。現在は観光客が訪れ、日本との関係は外国人が立ち入りを許されぬ所であった。現在は、観光客が訪れ、日本との関係といえば、新潟県豊栄市と姉妹都市となっている。大きな時代の変化というほかはない。

 

狂おしい望郷の念にかられながら凍土に倒れた人たちの墓が、ビロビジャンのどこかにあるはず。ぜひとも、その一つでも捜し出して供養をしたいと思った。

 

ビロビジャン市では、大きなレストランでユダヤの民族料理を食べた。同じテーブルに二人の日本人男性がおり、主な目的は釣りで、アムールの支流では幻の魚イトウが釣れるのだという。ロシアでは、日本人の旅行客が非常に少ないので、見かけると話したくなる。レストランの別の大きなフロアには少年たちがにぎやかに食事を待っている光景があった。列車であった少年たちもこの中にいるのであろう。

 

その後、博物館を見学したが、ここで私の注意を引いたものは、日本人抑留者が作ったという黒い大きな家具であった。階段の踊り場に無造作に置かれた人の背丈を越すほどの黒塗りの物入れは、説明を聞かぬうちは周囲の様子に不釣合いに見えた。この家具の扉には、手のこんだ精巧な彫刻が施されており、日本人の器用さを物語るものである。まちの有力者が寄贈したもので、博物館も大切にしているという。

 

私は、日本人の器用さを示す例を、多くの手記で読んでいた。外科用のハサミが壊れたとき、ロシアの軍医から修理を頼まれた日本人はどのように工夫したのか、完璧に直した。軍医は驚いて、「お前の腕は金の腕だ」といって褒めたという。その他、チェスやマージャンのパイを見事に作ったり、廃物を利用して、一滴の水ももれない金魚鉢をつくったり、収容所の人々の中には、物づくりの名人がたくさんいたらしい。

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。 

 

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2017年11月 2日 (木)

小説「死の川を越えて」 第23話

 

 ある日のこと、正助はさやがいつになく深刻な顔つきであることに気付いた。正助と会っても視線を避けるし、一見して唯事でないことを窺わせた。何だろう。湯川に身を投げるようなことでなければよいが、と正助は心配に駆られ思い切って声をかけた。

 

「さやちゃん、どうしたの」

 

「・・・」

 

さやはうつむいて答えない。

 

「何かあるんだな。同病の仲ではないか。俺に出来ることなら力になるよ」

 

「うん、ありがとう」

 

さえは消え入るような声で言って去って行った。それから2・3日を経たある日、さやが近づいて言った。

 

「正さん、相談があるの。今日、仕事が終わったら聞いてくれる」

 

さやの目には思いつめた様子が窺えた。

 

 その晩、竹内館の一室でさやは衝撃的なことを語った。

 

「正さん、あたしお嫁に行くの」

 

「えー、何だって」

 

正助は大きな声で叫んでいた。さやは、わあと泣き伏せた。やがて意を決したように顔をあげぽつりぽつりと語り始めた。

 

 湯之沢集落には患者同志が結婚することが多く行われていた。同病相哀れむと言われるが、ハンセン病の場合、世間で差別され迫害され、神も仏もない、明日なき人生を生きている人々であるから同病の男女が求め合うのは当然といえた。しかし、無理な結婚を強いられる状況も多かった。ハンセン病の発症率はどういうわけか女が低い。だから女の患者は少なく、男と比べ女は3分の1位であった。従って、男にとっては競争相手が多く、次は誰と順番をつけて待ったと言われる。だから若い女の患者が集落に入ると、取りっこで大変であった。勿論、建前は強制でなく一応仲人のような人が間に入って話を進めるが、難病をかかえ、先の望を捨てた少女たちの立場は弱く、断ることは出来ない。さやが今そういう状況に立たされているというのだ。さやの相手は年が離れ、顔は黒いかさぶたが重なった容貌の男であった。

 

「あたし、湯川に飛び込んで死にます」

 

さやの表情には、それが本心であることを示す思い詰めた決意が表れている。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2017年11月 1日 (水)

人生意気に感ず「来日する2人の暴言王と安倍首相。北やイスラムにとってテロの好機」

 

◇30日、「暴言王」が来日した。フィリピンのドゥテルテ大統領である。暴言はアメリカ大統領にも向けられて世界をあっと言わせた。国内では「麻薬戦争」を大規模に展開し、無数の麻薬容疑者を司法手続きを得ずに殺害した。警察を使った「超法規的殺人」である。

 

 私たち民主主義と法治主義が進んだ国の国民としては信じられないことであった。私はかつてのペルー・フジモリ大統領の強権政治を思い出す。民主主義が未成熟な後進国では政権がかわると超法規行為は犯罪として糾弾される。大統領の座から転じて獄中の人となったフジモリは哀れである。

 

◇暴言王は安倍首相と意気が合うらしい。安倍首相はトランプやプーチンとも相性がいいと言われる。これは外交政策上重要な意味がある。ドゥテルテ、トランプ、プーチン、安倍には共通の精神的要素があるように思える。常識を突き破ろうとする意気軒昂なところがあるのではないか。

 

 フィリピンは日本にとって重要な隣国である。貿易や直接投資の点で日本はフィリピンにとって1位である。日本の経済発展に資する可能性は測り知れない程大きい。また、海洋に進出しようとする中国に対向するためにもフィリピンとの良好な連携は重要である。ドゥテルテに礼節の点で欠ける所があるとすれば、日本の伝統と文化はドゥテルテとフィリピンに良い影響を与えることができるのはないか。ドゥテルテは天皇にも会うらしい。また彼は、日本と戦略的パートナーシップの黄金時代を築いていく用意があると述べている。

 

◇トランプが来月5日にやってくる。これもドゥテルテ以上の「暴言王」である。日本はこの暴言王と上手に付き合う強かさが求められる。安倍・トランプの間では北朝鮮に関する差し迫った問題が話し合われることは間違いない。北朝鮮の問題は一触即発の状態である。北朝鮮は最大限のはったりで弱みを隠しているが、見方によれば風前の灯である。そこで、トランプが狙われる危険がある。トランプの身の安全は最大の課題である。日本はスパイ天国と言われる位だから北の工作員が多く潜入しているに違いない。日本はこれに対して空前の警備で備えようとしている。

 

 トランプを狙うのは北朝鮮ばかりではない。イスラム過激派にとっても絶好のチャンスに違いない。最大の警備の中でケネディが狙撃されたことを思い出す。日本の力が試される。(読者に感謝)

 

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