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2017年10月17日 (火)

小説「死の川を越えて」  第19話

 

草津の温泉街の東の端から更に東南の六合に向けて1本の道が伸びる。六合へ向かう道の左は急斜面で、その下から湯川の流れが聞こえている。しばらく進むと右側に正門があり、その奥に広がるのが草津楽泉園である。国の方針で、このハンセン病(癩)の療養施設が出来たのは昭和7年のことであった。

 

 この園の一角で、少し草津寄りの道路端に1本の石柱が立ち、それには、コンウォール・リー女史墓所入口と刻まれている。木立に囲まれた細い道を登ると、十字架を頂いた納骨堂とその奥にキリスト教徒の墓群がある。納骨堂には次のような表示がある。「ミス・コンウォール・リー教母は英国に生まれ、病者の救済に私財を投じて献身され、キリストの愛を示された。リー教母の遺骨は遺言により多くの信徒と共にここに納骨されている」

 

 そして、納骨堂の前に、堂を守るように2人の教徒の墓があった。服部けさと三上チヨである。

 

 コンウォール・リーが草津の救らいに生涯を捧げる決意をしたのは、大正5年、59歳の時であった。リーはイギリス貴族の名門に繋がる生まれで莫大な財産を有するキリスト教徒であった。カンタベリーで生まれ、一族はハイリーのうっそうとした森に囲まれた大邸宅に住み、一族と使用人は合わせて200人に達した。何不足なく貴族の令嬢として育てられ巨万の富を相続した。リーは、この財産と自分の余生を人類のために使用出来るようにと神に祈った。母と世界旅行の途中立ち寄った時、日本の風物が深く心に刻まれたという。来日は明治41年(1908)である。リー女史にとって、布教と患者救済は不可分のことであった。

 

 

 

 リー女史は、湯之沢集落を実際に訪ね、万場老人にも会って、湯之沢の実態に近づけたことを感じた。彼女は、理想の村を実現するためには、この集落の若者に会いたい、そして、キリスト教徒でない若者に会ってみたいと願った。それは万場老人の力で実現することになった。

 

ある日のこと、正助ら若者は、万場老人の家でリー女史と会った。前回と同様、通訳の井上照子が同伴していた。若者たちは、異国の高貴な女性と囲炉裏を囲むことに興奮していた。リー女史は若者たちの心をほぐそうとするかのように笑顔を作っている。老人の背後にこずえの姿もあった。

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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