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2017年10月 7日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第1話

 

 

 

第1章シベリア強制抑留の真実を求めて

 

一、シベリアの中心都市ハバロフスクへ向けて

 

 

 

 60万人もの日本人が戦争が終った後に、シベリアへ強制連行された。そして、酷寒、飢え、重労働に耐えられず死んだ人は6万人以上に及んだ。人々の願いは「ダモイ」(故郷に帰ること)だった。せめて故郷の山を見てから死にたいと言い続けながら、その悲願もかなわず凍土に埋もれた人も多かった。生還者も現在、多くは八十歳を超える。シベリア強制抑留とは何だったのか、21世紀の現在、改めてそれを考えてみたい。そんな思いで私たちは、ハバロフスクに向うことになった。

 

 新潟空港の空は重い雲で覆われていた。平成167191530分、ダリアビア航空H8310便は機首を西の空に向けて飛び立った。機は間もなく日本海上空に出た。雲の切れ間から青い海面がチラッと見えてすぐに隠れた。

 

「日本海です」

 

 私がささやくと、二人の老人は目を閉じたまま、微かにうなずいたように見えた。二人の瞼の奥には半世紀以上も昔の光景が浮かんでいるに違いない。幾度も死線を越えてやっとナホトカ港にたどり着き、帰還船に乗り込んでも、まだ故国に帰れると信じることが出来なかった。停船を命じられ呼び戻されはしないかという恐怖におののいていたのだ。人々は、実際にそのような例を耳にしていた。港の光景が芥子粒のように小さくなり、やがて視界から消えたとき、やっと、帰国できるのだという実感が胸の中にじわじわと静かに広がってくるのであった。そして、その時、日本海の上にいるということが、信じられないほど嬉しかったという。

 

 出発を前にしたある日、81歳の塩原眞資(しんすけ)さんは、54年前を振り返ってしみじみと語った。

 

「ナホトカの港を去る時、私は、大地を蹴りつけて、こんな所に二度と来るものかと心の中で叫び、しがみつくようにして高砂丸に乗り込みましたよ」

 

 今、眞資さんの隣で黙想しているかのようにじっと動かない青柳由造さんもその点は同じであろう。

 

 しかし、シベリアへ一緒に行きませんかと私が誘うと、二人は矢も盾もたまらぬ様子で少年のように浮き足立った。

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。

 

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