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2017年10月30日 (月)

人生意気に感ず「9条の会で満州を語る。風化する戦争と新たな危機。今日は誕生日」

 

◇昨日(29日)は私の講演人生で特筆すべき日だった。「憲法9条の会」から依頼されて「満蒙開拓移民の真実」を語った。信条を異にする人々からヤジが飛ぶかもしれないと思いつつ臨んだ。大ホールは超満員。人々は静かに耳を傾けた。壇上の私の胸に、2012年3月11日の高崎城址公園の光景が甦っていた。東日本原発事故1周年大会であった。私が敵地に臨む思いで壇上に立つと赤旗が林立する中から「なぜ自民党の議員が」、「降りろ」と激しい怒号とヤジが飛んだ。私は怯まず応じ高揚した気分で信念を語った。終わった時の大きな拍手に私は感激した。芳賀の公民館は私の話を真摯に受け止める雰囲気で満ちていた。

 

◇私の話は「満州」の語源から始まり、満州移民の歴史的背景に触れつつ進んだ。「満州は日本の生命線」とは何を意味するのか。それを知るには「世界大恐慌」の大波に呑まれた日本の追い詰められた窮状とその中を狂信して盲進した軍部の独走があった。

 

 講演で聴衆の心を掴むにはこちらに熱い決意がいる。私の話はポーツマス条約によって得た鉄道の権益、満州事変、満州国、日中全面戦争と進んだ。そのような中で、悲劇の代表として取り上げた松井かずが満州に渡ったのは昭和20年5月、敗戦の僅か3ヶ月前であった。「五族共和」、「王道楽土」、傀儡の「満州国」は国民を騙した幻のように消え去る。移民を守るべき関東軍の姿は既になく、荒漠の大地に残された女性たちは野蛮なロシア兵の犠牲になった。「戦争に負けるとはこういうこと」、「悲惨な現実を知らずして平和は守れない」と私は訴えた。松井かずは、黒竜江省の奥地から撫順の炭坑に逃れ、そこで坑夫の妻となった。4人の子どもたちを立派に教育し、文化大革命の波を生き抜き、日本に帰国する。数年前、前橋市の広瀬団地で、彼女は波乱の人生を終えた。戦争の体験者が次々とこの世を去っていく。戦争の現実が過去のものになる時、再び戦争の危機が訪れるのだ。今はその瀬戸際にある。この日の会場には、満蒙開拓青少年義勇軍の生き残りの方々がおられた。昭和12年日中戦争突入により、16歳から19歳までの未成年の少年たちが渡満したのだ。

 

◇今日は私の誕生日。満77歳を迎えた。私の胸には戦火を逃れた幼児の頃、ランプの下で食べ物に困った開墾生活が甦る。11月3日、ぐんばマラソンで10キロを走れる幸せを思う。(読者に感謝)

 

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