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2017年10月 8日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第2話

 

塩原さんは言った。

 

「あの広大な大陸の地平線や悠然と海のように流れるアムール川を自由の身で再び見ることができると思うと、しぼんだ年寄りのこの胸が、なんだか膨らむような気がします」

 

 また、塩原さんより二歳年下の青柳さんは、心臓に多少心配な点があったが、何としてもシベリア行きを果したいと、毎日、かなりの重量のペットボトルを背負って何キロメートルも歩いて体力の調整に励んでいたという。

 

多くの仲間が狂おしいほどの望郷の念にかられながらシベリアの凍土に倒れた。二人の老人も死の淵に沈みかけ、故国への生還をあきらめたこともあった。憎しみと怨みの大地だったはずのシベリアへ、今、二人をこのように駆り立てるものは何か、私は不思議に思った。

 

 ハバロフスクは、新潟空港から約2時間、そろそろシベリアの上空に近づくころである。二人の老人は、シベリアとの再会を目の前にして何を考えているのか。私は、隣の塩原老人の彫像のように強張った横顔を見ながら、シベリアの体験は、この人の人生最大の出来事だったのだと、改めて思った。

 

ある抑留体験者が、シベリアは人生の大学だったと語っていた。また、壮大な人間の実験場だったと振り返る人もいた。まさにその通りに違いない。しかし、当時は飢えと酷寒と重労働に生身を削がれるような状況で、そのようなことを考えるゆとりはなかったはずだ。長い年月が経ち、自分の人生は何だったのかと振り返るとき、さまざまな人生の出来事を木の葉のように押しのけて目の前に厳然と迫ってくるものが、シベリアの強制抑留なのだ。それは、まさに自分の究極の姿であった。また、自分の生命力の限界点、耐えることの限界点に立たされて苦闘した日々であった。あれから50数年が過ぎ、人生の終点が見えるところまで来て、シベリアの日々を振り返ると、青春の全エネルギーを燃焼させて生きたかつての自分の姿がまぶしくさえ見えるのだ。そう思うと、地獄と思っていた日々が無性に懐かしく思える。森林伐採にかりたてられて歩かされたあの道は、今どうなっているだろう、建設にたずさわったあの建物は、現在まだ使われているだろうか。塩原さん、青柳さんは、一目、シベリアをもう一度見たいという気持ちを募らせるようになった。運命のいたずらともいえる推移の中でシベリアの捕虜となり、その結果想像だにしなかった体験をした。自分とははたして何か、自分の人生は何だったのか、これらの答えも、その体験の中に隠されているに違いない。二人の老人は、大陸に残してきた若かりしころの自分に再会するかのような思いで到着をいまかいまかと待っていた。

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。

 

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