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2017年10月31日 (火)

小説「死の川を越えて」 第22話

 

正助が竹内館で働くようになってからおよそ1年が経った頃、東北の出だというあるハンセン病患者の娘と出会った。娘はさやといい、正助と同じように患者が経営する旅館、津久井館で働いていた。さやは器量よしで利発そうであった。そして東北人らしい素朴さを失わないでいた。憂いの表情の下から時々見せる視線は一途な性格を示していた。2人は同病ということで時々顔を合わせ、さやちゃん、正さんと呼び合うようになったが、初めのうちは2人がそれ以上に特別の感情を抱くことはなかった。というよりも、心の底にあるものに気付かなかったという方が正確かも知れなかった。

 

時々言葉を交わすうちに、さやは、驚くべき身の上話を語った。彼女は、福島の田舎の出で、ハンセン病に罹ったことが分かり、消毒されることになって、一家が途方に暮れていた時、湯之沢の親分に助けられたというのだ。

 

「えー、親分て誰だい」

 

 正助は思わず声を上げた。さやはそれには答えずに語った。

 

「親分さんは巡査を殴り倒し、私を馬に乗せて助け出したのです。人の目を避け、夜に馬を走らせて、3日かかって草津に着きました。私は、死のうと思っていましたから、親分は命の恩人です。私は助けられましたが、姉が大変なことになりました」

 

 さやはそう言って押し黙った。2人の間に重い沈黙が流れた。

 

「うーん。親分といえば、今は椚原さん1人だが」

 

 さやは黙って首を横に振った。

 

「では、中村大九郎さんかい」

 

 さやは、じっと正助を正視して頷いた。

 

「それは驚いた。大九郎さんが馬で助け出した少女のことは聞いていたが、さやちゃんだったとは。大九郎さんは、気の毒なことになったが、あの最期を無駄にしちゃなんないと俺たち思っているんだ」

 

さやは目に涙を浮かべていた。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2017年10月30日 (月)

人生意気に感ず「9条の会で満州を語る。風化する戦争と新たな危機。今日は誕生日」

 

◇昨日(29日)は私の講演人生で特筆すべき日だった。「憲法9条の会」から依頼されて「満蒙開拓移民の真実」を語った。信条を異にする人々からヤジが飛ぶかもしれないと思いつつ臨んだ。大ホールは超満員。人々は静かに耳を傾けた。壇上の私の胸に、2012年3月11日の高崎城址公園の光景が甦っていた。東日本原発事故1周年大会であった。私が敵地に臨む思いで壇上に立つと赤旗が林立する中から「なぜ自民党の議員が」、「降りろ」と激しい怒号とヤジが飛んだ。私は怯まず応じ高揚した気分で信念を語った。終わった時の大きな拍手に私は感激した。芳賀の公民館は私の話を真摯に受け止める雰囲気で満ちていた。

 

◇私の話は「満州」の語源から始まり、満州移民の歴史的背景に触れつつ進んだ。「満州は日本の生命線」とは何を意味するのか。それを知るには「世界大恐慌」の大波に呑まれた日本の追い詰められた窮状とその中を狂信して盲進した軍部の独走があった。

 

 講演で聴衆の心を掴むにはこちらに熱い決意がいる。私の話はポーツマス条約によって得た鉄道の権益、満州事変、満州国、日中全面戦争と進んだ。そのような中で、悲劇の代表として取り上げた松井かずが満州に渡ったのは昭和20年5月、敗戦の僅か3ヶ月前であった。「五族共和」、「王道楽土」、傀儡の「満州国」は国民を騙した幻のように消え去る。移民を守るべき関東軍の姿は既になく、荒漠の大地に残された女性たちは野蛮なロシア兵の犠牲になった。「戦争に負けるとはこういうこと」、「悲惨な現実を知らずして平和は守れない」と私は訴えた。松井かずは、黒竜江省の奥地から撫順の炭坑に逃れ、そこで坑夫の妻となった。4人の子どもたちを立派に教育し、文化大革命の波を生き抜き、日本に帰国する。数年前、前橋市の広瀬団地で、彼女は波乱の人生を終えた。戦争の体験者が次々とこの世を去っていく。戦争の現実が過去のものになる時、再び戦争の危機が訪れるのだ。今はその瀬戸際にある。この日の会場には、満蒙開拓青少年義勇軍の生き残りの方々がおられた。昭和12年日中戦争突入により、16歳から19歳までの未成年の少年たちが渡満したのだ。

 

◇今日は私の誕生日。満77歳を迎えた。私の胸には戦火を逃れた幼児の頃、ランプの下で食べ物に困った開墾生活が甦る。11月3日、ぐんばマラソンで10キロを走れる幸せを思う。(読者に感謝)

 

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2017年10月29日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第9話

 

「それが本当にうまいんですよ」

 

青柳さんは、かつて、目を細めて語ったことがあった。

 

私は、車内を歩いてみた。さまざまな人々がいる。太った中年の女性、ひげをはやした労働者風の男、談笑しているグループ、子どもを抱いてもの思いに沈んだような若い女性など。人々の姿は、ハバロフスク市の華やかな光景とは違って、ロシアの大地に生きる人々の実態を語っているように見える。ときどき視線が合って、<こんにちは、初めまして、私は日本人ですよ>と思いを送ると、にこっと笑顔が返ってくる。ロシア人は人なつっこいと聞いたことがあるが、なるほどと思う。こういう人たちが、日本人を地獄の強制抑留に駆り立てたとは思えない。戦争と政治体制のいかんが人間を狂気に駆り立てるのだ。

 

 にこにこ、わいわいと楽しそうな少年たちのグループが陣取っている。私は狭いスペースを見つけて、その中に割り込んだ。英語で話しかけると、

 

「イエス、イエス」とか、

 

「ウィ、プレイ、テニス」とか返ってくる。

 

 英語が通じるのだ。彼らはビロビジャンまでテニスの試合に行くのだという。持っていたボールペンやお菓子を差し出すと、皆、キャッ、キャッと言って喜んでいる。子どもの姿は、どこの国も同じである。二十一世紀の日ロの関係は、この世代が担ってゆくことになる。

 

 やがて、ビロビジャンの駅に着いた。駅前の広場には、ユダヤのシンボルといわれる、燭台の塔が立っている。上部には、左右に三本ずつのロウソクを形どったものがついている。

 

 なぜ、ユダヤ人の自治州ができたのか。私たちの目的は、かつての抑留者のことを調べることにあるので、このことについては簡単に触れることにする。

 

 ユダヤ人については帝政ロシアの時代から大きな社会問題であり、ユダヤ人排斥の動きは強かった。革命後のロシアでも、反ユダヤの国民感情は根強かったが、人種の平等を建前とする社会主義政権としては、ユダヤ人を虐待することはできない。さまざまな背景があって、ユダヤ人をシベリアの一画に移住させる計画を立てた。世界に対する名目としては、流浪の民に国を与えるということであった。また、日本が満州国をつくるなど日本の力が脅威に感じられる中で、中国国境に近いこの地域にユダヤ人を住まわせて、防波堤にする狙いもあったという。しかし、この計画は成功したとはいえず、ユダヤ人自治州というのは名前だけで、現実にこの地に移り住むユダヤ人は少なかった。当初ユダヤ人入植者を15万人と予定したが実際に入植したのは3万人で、現在は9,000人ほど。全体の4.2%に過ぎない。

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。 

 

 

 

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2017年10月28日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第8話

 

一歩足を踏み入れたプラットホームは殺風景だ。ハバロフスク市内の華やかさとは対照的に地味で荒々しく感じられる。しかし、むしろこの方が、ここが広大で厳しいシベリアの大地の一部であることを感じさせる。また、半世紀前の日本人抑留者を連想させる光景でもある。私は追い立てられる抑留者の姿を想像して、しばし立ち止まっていたが、ロシア語のアナウンスの声で我に返り、ところどころコンクリートの剥げたホームを、前方の列車を目指して進んだ。

 

その時、ゴーゴーと音を立てて長い貨車が過ぎて行った。あのような貨車に、日本人抑留者は家畜のように押し込められて、シベリアの各地へ送られたのだ。

 

ある抑留者の手記によれば、一つの貨車に七十二人が入れられた。零下30度のシベリアの真っただ中で、火の気はまったくない。熱源は人間の体温と吐く息だけ。身体をぴったりと寄せ合って、間に冷たい空気を入れないように必死で耐えた。むしろ、すし詰めだから凍死を免れたという。

 

ベリア鉄道はウラジオストクからモスクワまで、およそ9,440キロメートルという世界最長の鉄道である。これがロシアという途方もない巨体に血液を通わせる動脈なのだ。私は、今それに足をかけようとしている。未知の世界の入り口に立つような緊張感があった。

 

列車の前に立つとプラットホームが非常に近いと感じられる。大きく足を上げて乗り込むと車内は木製のイスが並んだまことに粗末なものである。後ほどトイレを使ったが、下が見える垂れ流しで、かつての日本の鉄道を思い出させた。

 

ビロビジャンまでは、予定では2時間くらい。列車は走り出した。両側に白樺の林が続き、その向こうに青い草原が地平線まで広がっている。

 

先ほどからじっと外の景色を見詰めている塩原さんが言った。

 

「抑留されて行くときは、牛馬の糞のいっぱいついた汚い貨車でねー、窓などないから外は見えないんですよ。上の方に明かり取りのガラス窓があって、誰かに抱えられて、外を少し見ましたよ。こんなによく景色を見ながらシベリア鉄道に乗っているなんて、本当に夢のようですよ。」

 

シベリアには、白樺が多いらしい。抑留者の手記には、「死んで白樺の肥やしになる」という言葉がよく出てくるのを思い出す。

 

 青柳由造さんは窓外に飛び去る白樺の樹林を感慨深そうに眺めている。抑留者は極限の飢えに迫られて口に入れられるものは、馬糞の中の豆まで見逃さなかったというが、知恵と工夫で新しい食べ物の発見にも必死だった。その一つが白樺の樹液だった。傷をつけて、そこに器をあてがっておくとわずかに半透明の液体が得られた。

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。 

 

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2017年10月27日 (金)

人生意気に感ず「上毛130年とビックバン宇宙。八ツ場と重監房とリー女史を巡って」

 

◇25日、上毛新聞創刊130年記念式典に出席。記念講演は「宇宙138億年時空を超えて」と題してビックバンに始まる宇宙の話。この話を聞いている瞬間も宇宙は膨張を加速させている。膨脹は止まるのか。そして収縮に転じるのか。これは最大の謎であったが、膨張は減じるどころか加速しているというのが最近の事実。私は少年の頃から宇宙には大きな関心を持ち続けてきた。この膨脹宇宙の中で人類の未来はどうなるのか、また、知的生命との遭遇は有り得るのか。これは私の現在の最大の関心事であるが、講演では聞けなかった。

 

 宇宙の話を聞きながら、この目を見張るような壮大なドラマを学校教育の現場がもっと真剣に取り上げるべきだということを思った。理科離れの深刻が叫ばれている。また知識偏重で夢がないと言われる教育の現状を変えるためにも教育の場でもっと宇宙を重視すべきである。

 

◇北村上毛新聞社長は、スマートフォンの時代が進み新聞の危機が叫ばれるが、新聞の使命の重大さは変わらないと訴えていた。その通りだと思う。浮草のような、また、偽のニュースが氾濫している現在、新聞は確かなニュースを提供する信頼できる存在である。若者の文字離れは若者の心の世界を貧しくしている。人間の危機であり、文化の危機であり、社会の危機なのだ。このことを考えると、新聞の役割と使命は増大しているのである。

 

 地方の時代が加速する中、地方紙は地方の時代の推進力の役割を果たさねばならない。漂流する地方を繋ぎ止める上毛新聞130年の歴史は重い。この大きな節目の行事に、次代を担う若者を登場させるべきであったと思う。地方紙の役割には教育への貢献があるべきで、そのためにも少年に今日の社会の課題と夢を語らせるコーナーがあってしかるべきと思った。

 

◇26日、観光バスを使って吾妻への研修ツアーを行った。「紀の会」が主催して、八ツ場ダム、「重監房」、コンウォール・リー記念館、「湯川」などを巡った。前日までとは打って変わった晴天と暖かさに恵まれた。八ツ場ダムは壮大な要塞が姿を現しつつあった。作業に動く眼下の人々が豆粒のように見える。激しい反対運動を振り返ると感無量であった。

 

 重監房から湯川は、連載中の「死の川を越えて」の背景を見ることが目的であった。湯川の音が聞こえる森にリー女史の胸像が静かに立っていた。(読者に感謝)

 

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2017年10月26日 (木)

小説「死の川を越えて」 第21話

 

 万場老人はそう言って正助たちを鋭く見据えた。

 

「前に話したハンセンの光を育てることにもなる。リー先生に協力してやってくれぬか」

 

頷く若者の姿を見て、リー女史が笑顔を作って言った。

 

「皆さん、ありがとう。私の下に、服部けささんという優秀な女医さんがいます。病気で心配なことは、この人にお気軽に相談なさって下さい」

 

 これを聞いて3人の若者は、新しい安心が生まれたような空気を感じたのであった。

 

 

 

 出会い

 

 

 

 正助は、万場軍兵衛を訪ねた時、「俺たちに未来はあるのでしょうか」と尋ねた。正助は、人生の問題で深く悩んでいたのである。

 

 正助は前橋市で生まれた。少年の時、腕に斑点が出来た。「つねっても痛くねえぞ」と面白がっていたが、ある時、医師の目に留まり、大変な病だと分かった。両親は驚き、なす術を知らなかった。勿論、最も悩み苦しんだのは正助自身であった。家族と暮らすことが出来ないことを知ったからだ。八方手を尽くした中で、草津の湯が効く、そして湯之沢集落という患者同志が助け合って自由に生きる村があることを知った。そして、ハンセンの患者が同病を泊める宿を経営している所も何軒かあることも分かった。その1軒が竹内館であった。正助は決心を固め主人に直談判しこの旅館で働くことになった。正助は真剣に働いた。やがて、その真面目な性格と聡明さは主人が認めるところとなった。正助も頼りにされることが嬉しかった。そして、同病の権太や正男とも知り合いになった。

 

 しかし、この集落にどっぷりつかるにつれ、この病の実態が分かり、自分の将来はああなのかと絶望し、怯えるのであった。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2017年10月25日 (水)

人生意気に感ず「地獄に落ちた知事とマスコミ民主主義。このハゲ―の捲土重来」

 

◇日本列島を舞台にした巨大劇場の幕が下りた。余韻はまだ熱い。この劇場の真の出し物は何だったのか。テレビの三面記事の延長のようであった。今回の選挙はマスコミ民主主義ともいうべき現象を展開した。マスコミによって虚像がつくられ、それが実像になっていく。それで日本の方向がつくられていく。

 

 マスコミに踊らされた典型が小池都知事であろう。ジャンヌダルクなどと英雄視されたのが「排除」の一語によって地獄に落とされた。誉め称えていた人々が一転「いい気味だ」と言いだした。人の不幸は蜜の味なのである。ことの実態が三面記事レベルのものならいい気味で良いが、こういう感情によって政治が動かされていくとしたら大変である。衆愚政治の横行であり、トランプを選んだアメリカ国民を笑えない。

 

 民主主義は理想を目指すものだから、現実と離れているのは当然といえる。ところがいつまでたっても理想と現実の距離が縮まらないと民主主義への不信が広がる。

 

 しかし、全体として見れば、そして少し長いスパンでとらえれば民衆は賢い選択をするといえることが救いである。今回、小池百合子が失脚しなければ、雨後の竹の子のような政治家が多く現われ、日本の政治はかえって大きく混乱することになったのではないか。

 

 今求められるのは強いリーダーシップである。北朝鮮との戦いの火蓋が切られようとしている。東京都に、あるいは原発にミサイルが打ち込まれたら平和に慣れ戦う術を知らない日本国民は一大パニックに陥るだろう。

 

◇小池都知事は都政でも窮地に立たされる。この世の争いに勝ち負けは付き物。要は負けたときの対応である。オリンピックも控え、都には課題が山積している。東京都は一つの地方自治体であり、全国の自治体改革の象徴である。小池百合子が改革者として真価を発揮できるかが問われている。

 

◇「このハゲ―」の豊田真由子が2万1千票余もとった。「このハゲ―」の激情の底にあるものは何か。一時的なもので終わるなら、やはり浮草の如く軽いものだったと見られる。私があの立場なら月1度の「政治塾」を始めて静かに地味にこつこつと捲土重来を期すが。

 

◇第27回ぐんまマラソンのナンバーカードが届いた。30日私は77歳。今回も10キロを走る。(読者に感謝)

 

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2017年10月23日 (月)

人生意気に感ず「台風の中の嵐の選挙。自民大勝の意味。茶会。2人の女の明暗」

 

◇台風の中の選挙は正に嵐の選挙戦だった。自民は単独の過半数を得て大勝。希望は惨敗し、予想通り「失望の党」となった。テレビは野次馬の目で話題の候補者を追った。埼玉4区で豊田真由子は死にもの狂いで戦ったが実を結ばず落選。東京10区では、小池の側近若狭氏が遂に落選。2区の注目は鳩山家の長男太郎氏。これも遠く及ばず落選。この人は惨めな経歴を歩んでいると言われている。防衛大臣としてマスコミに叩かれた福井の稲田朋美は当選を果たし会心の笑みを見せた。災害地でおんぶの姿を批判された長野の務台俊介も破れた。不倫で騒がれた山尾志桜里はしぶとく当選を果たした。

 

◇今日から政局は大きく動き出す。自民党が単独でも過半数を得たことで、憲法問題が大きく前進する。憲法9条だ。憲法問題は北朝鮮の緊迫した情勢の中で喫緊の課題である。アメリカが軍事行動に出る動きが強まっている。空母を日本海に終結させるアメリカの覚悟は並々ならぬものがある。戦争は嫌だ。しかし、降りかかる火の粉は払わねばならない。戦争反対を叫ぶだけでは戦争反対を貫くことは出来ない。9条が現実とかけ離れていることは誰もが認めること。これをそのままにした方がよいという意見が多いが、違憲状態におかれた自衛隊で日本を守れるのか。戦後72年、現在の国際的危機はこのことをまったなしで突きつけている。9条の問題を全ての国民が考える時が来た。

 

◇昨日、新装なった臨江閣のお茶会に出た。この日、朝、激しい雨の中、芳賀公民館で投票を済ませた。超大型といわれる台風21号の迫る中、嵐のような衆院選。お茶は忙中閑の感じだ。日本の伝統の精神文化は心を静めてくれる。戦国の大名も血生臭い中で、一服の茶に救いを求めたのかも知れない。茶をすすりながら、色々な世界の人に会えるのも茶の効用だ。和服の女性たちが美しく見えるのは、すがすがしくなった心を表わしているからだろう。正客という位置に座らされて戸惑った。

 

◇深夜のテレビで闘う女性の姿を見て、女性が強くなったことを改めて見せつけられた。多くの女性が登場したが、豊田真由子と山尾志桜里のなり振り構わぬ姿は凄まじいの一言。そして、2人は名案を分けた。豊田は破れ、泣きながら「こんな私を支えてくれてありがとう」と語った。2万1614票をどう生かすか。W不倫の山尾は僅差で勝利。美しい顔が輝いていた。みそぎを果たした思いなのだろう。こちらも今後に注目したい。(読者に感謝)

 

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2017年10月22日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第7話

 

私は丘の上からアムールの水面近くまで下りた。アムールの水は、黒みがかった茶色に濁っている。遠方に目をやると巨大な流れは黒い生き物のように見える。いくつもの大きな支流を従えて無辺の大地をくねるさまは、正に黒い龍。中国人が、黒龍江と呼ぶのが分かる。私は、身をかがめて、アムールの水を掌にすくってみた。スープのようだ。塩原さんたちが、かつて、わずかなパンとスープでぎりぎりの飢えに耐えていたとき、よく口にしたという言葉を思い出した。

 

「ああ、今日も、アムールだ」

 

実のない水だけの、目玉が映るようなスープのことを「アムール」と呼んだのだそうだ。

 

 明日は、あれを渡ってユダヤ人自治州のビロビジャンへ行く。私は、夕闇の中にしだいに溶け込んでゆく鉄橋を見ながら思った。

 

 

 

三、シベリア鉄道でユダヤ人自治州ビロビジャンへ

 

 

 

7月20日、ドミトリーが先頭に立ち、研修生二コライも加わってハバロフスク駅へ。ニコライは、ハバロフスクの大学で日本語を学ぶ学生である。日本人との接し方を学び、将来、ドミトリーのような通訳になることを目指していた。まだ童顔の若者は、笑うと人なつっこい目が魅力的であった。

 

 早朝のハバロフスク駅は、いろいろな顔の人々が行き交って、市内とは違った活気が感じられる。ロシアは多民族国家と言われ、ハバロフスク州約百の民族が住むといわれるが、駅は様々な民族を結ぶ役割も果たしているのであろう。駅前の広場に立つ鋭い顔の逞しい男の像は、ハバロフスクのもの。17世紀半ば、開拓者ハバロフがこの地に足を踏み入れ、そこから町の発展がスタートした。ハバロフスクの名も、ここに由来する。

 

駅舎正面の見上げる位置に大きな時計がある。この時計は変わっていて、短針が二本ある。私が見ていると、ドミトリーが気付いて言った。

 

「赤いほうはモスクワの時刻をさします。7時間の差があるのですよ」

 

こんな時計の針もロシアの大きさを刻々と表している。かつて、ソ連時代、列車の時刻表はモスクワ時計を標準にしていたために、この時計が必要とされたらしい。時計はその名残だという。

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。 

 

 

 

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2017年10月21日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第6話

 

ドミトリーの端正な顔には品があって、私を見る目は正直に心のうちを表しているようだ。私は素直に受け取ることにした。ドミトリーの話を聞きながら外を見ると、トヨタやホンダの車がやたらと目につく。そして、クール宅急便とか、何々運輸などという表示をつけ日本で使われていたままの姿で走っている車もある。シベリアで意外な日本に出合った思いで嬉しくなった。車内には、旅の疲れを癒すなごやかな空気が流れていた。街には緑が多い。車道と平行している並木は何だろう。聞いてみるとポプラだそうだ。そうこうするうちに車はインツーリストホテルに着いた。

 

インツーリストホテルはアムール川の近くに建てられている。私たちは、ロビーで明日からのスケジュールについて打ち合わせをして部屋に入った。部屋に落ち着く間もなく、私はアムール川を見たくなった。実はまだ、シベリアの実感を得ていないのだ。そのためにも、シベリアの大河アムール川をまず見たいと思い、一人で外に出た。

 

 ホテルの外は緑の木々と、その間に点在する建物で視界は遮られている。私は、アムールの眺望を求めて、直感の命ずるまま、迷わず小高い丘へ通じる坂道を選んで急いだ。坂道は間もなく尽きて丘の上は広場になっており、その一角には、ロシア正教と思われる丸いドームを頂いた美しい金色の教会が建っている。振り返ると、この協会から一望する視野いっぱいに黒い大河が広がっていた。

 

折りしも雲の上の夕日は、天際を赤く染めてアムール川の中に没し去ろうとしていた。これがアムールの夕日かと私は、しばし呆然として神秘な自然のいとなみに見とれていた。そして、この光景は、かつての日本人抑留者を慰める

 

と同時に、望郷の念を限りなく募らせたのではないかと思った。

 

 遥かな遠方に幽かに広がる黒い影は、アムール川の中州か、それとも中国か。豊かな水量をたたえた大河は、静かにのどかに流れている。しかし、冬ともなればアムールの姿は一変し、結氷した川面を伝わる寒気は私たちの想像を超えるものに違いない。氷の上を、ぼろをまといよろよろと倒れそうに歩く抑留者の姿が目に浮かぶようだ。彼方には、次第に濃くなる夕闇の中にシベリア鉄道の長い鉄橋が、一本の黒い線を張ったように見える。

 

 

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。 

 

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2017年10月20日 (金)

人生意気に感ず「希望は失望そして死亡か。政治を食い物に。中本の真の役割は」

◇投票が2日後に迫って、劇場型選挙の出し物は正に地獄の場面。「希望」は「失望」に、更に「絶望」と化しつつある。22日の投票日の夜のテレビ視聴率は歴史的なものになるだろう。

 

 「希望」以外でも野次馬が目をつけている第一が「このハゲ―」の豊田真由子。情勢がはっきりしてきたところでは絶望的と言われる。落選後の身の処し方に興味が持たれる。この人に何か真の力があるとすればそれは何かがそこで分かるだろう。

 

◇希望の党は、東京で特に酷い。「全滅」という見方が現実味を帯びてきた。小池百合子の最側近の若狭勝も落選か。

 

 甘い汁に集まった候補者は引くに引けず泣きっ面に違いない。選挙には金がかかる。小選挙区で出る人は供託金300万円、重複立候補の比例区の供託金も300万円。それ以外に選挙費用は現実には莫大である。議員バッジを金で買おうとしたやからは自業自得という他はない。

 

◇今回の選挙で最も重大なことは未曽有の国難の中で、国民の命を守れる国をつくることである。北朝鮮問題、中国の重大変化の中で日本はぐらぐらしているわけにはいかない。きれいごとでは平和を守ることが出来ない。こんな状況の中で、甘い考えで国政に参加しようとにわか造りの政党に群がるのが間違っている。日本の大衆は賢明な判断を下そうとしていると思う。自民党は大勝するだろう。安倍さんは反省すべき点を大いに反省し、国を建て直して欲しい。

 

 アメリカがぐらぐらしている時、民主主義の正統を堅持する日本の役割は大である。アメリカを正しく支えることが世界のためであると共に、日本のためである。間もなくトランプが日本にやってくる。日本の真の姿を見せてトランプの目を覚まさせる機会ではないか。

 

◇アジアに於ける日本の役割がいかに大きいかを私はアジアから押し寄せる留学生に接して思う。彼らは、平和と科学と豊かさの日本に憧れている。彼らは北朝鮮を論外と見ているし、中国の横暴を恐れている。日本がかつての軍国主義を脱皮して進化した姿を評価しているのだ。今回の選挙はそれに応えて美しく強い国日本を示す時であると思う。

 

◇中国の共産党大会が開幕し、習近平主席は「社会主義現代化強国」を打ち出した。一党独裁の国は国内に多くの矛盾を抱えている。日本の健全な姿を中国国民に示すことには大きな意義があるのだ。(読者に感謝)

 

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2017年10月19日 (木)

小説「死の川を越えて」  第20話

 

「何でも尋ねてよいと申されておる」

 

万場老人が固い空気をほぐすように口を開いた。

 

「誰から給金をもらうのですか」

 

正助の唐突な質問であった。

 

りー女史の英語まじりのたどたどしい日本語を通訳が補った。

 

「神の命令です。神に応えられたという喜びが何よりの報酬なのです」

 

「神様って、見えないけれど本当にいるんですか」

 

権太が聞いた。

 

「おられます。神は偉大です。神の前では皆平等です。国境も、人種も、肌の色もないのです」

 

リー女史は、静かに微笑んでいる。若者たちは、目の前の異国の女性から何か犯し難いものが滲んでいるのを感じた。<これが神というものなのか>。正助はふとそう感じるのだった。

 

 若者たちが不思議そうな顔をしているのを見て、リー女史は言った。

 

「イエス様は、昔、王様に逆らって十字架にかけられて死にました。イエス様は人類の為に身を捧げ、そして教えを示されたのです。イエス様を思えば何でも耐えられます。この世の中は矛盾でいっぱいですが、神を信じて戦うことで一歩一歩進んで行くのです。私はこの谷の病と闘うことを考えています。皆さんと会えたのも神様の力です」

 

リー女史は、言葉を選び、短く区切りながら、語りかけた。万場老人が口を挟んだ。

 

「西洋の神のことは、すぐには分かるまい。この国では、昔の戦国時代、ザビエルというキリスト教徒が来てキリスト教を広めた。江戸時代に入って、キリスト教は厳罰となった。明治になって、それが許され、群馬にもキリスト教が少しずつ広まっておる」

 

「安中の新島襄ですね」

 

正助が言った。

 

「おお、そうじゃ。その教えを受けてキリスト教徒になった県会議員がおる。昔は湯浅治郎がいた。また、最近の県会には、わしの友人の森川抱次さんがいる。信者になるならぬは別のこととして、お前たち、異国の神を白い目で見たりせぬことが、この集落のためじゃぞ」

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2017年10月18日 (水)

人生意気に感ず「留学生は世界から、日本の力は。へいわ845の講演。差別と偏見の講演。政治塾で教育を」

 

◇日本アカデミーで、留学生の10月期生入学式が17日行われた。カメルーン、ネパール、ベトナム、インドネシア、モンゴル等、誠に国際色豊かである。百数十人の若者の姿は大きな時代の潮流を物語る。この若者たちは、日本に憧れ、日本に期待している。日本はこの若者たちの期待に応えられるのかと心配であった。

 

 アフリカからアジア諸国に至る若者たちの姿からは発展途上国の経済の発展と文化の向上を感じる。これらの力に日本は呑み込まれていくのか、それとも彼らの活力を日本の発展に活かすことが出来るのか。

 

 今回の留学生の特色としてモンゴルが多い。草原の国、ジンギスカンの国も大きく変わりつつあることを感じた。

 

 私は次のように挨拶した。「海を越えて日本に学びにきた皆さんの勇気を尊敬します。日本は平和で、人間を大切にする国です。本当の日本を学んで下さい。私たちも皆さんから学ぶことが多くあります」。今、日本の平和は危機にある。日本の平和はアジア諸国との友好交流でつくられる。彼らと学ぶことの意義はここにある。私の胸には、こういう思いがあった。

 

◇毎週水曜日、朝8時45分から私が行っている講演「へいわ845」は今朝で早くも15回となる。前回はマハトマ・ガンジーで、今回はガンジーの影響を強く受けたキング牧師を語る。黒人公民権運動の指導者。39歳で暗殺された。奴隷制度の尾を引くアメリカの歴史は実にダイナミックだ。民主主義の本家であるが、差別と偏見にもがく国でもある。黒人大統領オバマの出現とアメリカ第一を叫び民主主義の理念を否定するかの如きトランプ大統領の実現は、共にアメリカの現実を物語る。キング牧師について語りたいことは実に多いのだ。

 

◇誠に忙しい日々が続く。14日は自民党の「政治塾」で教育を語り、16・17日は「差別と偏見」について講演をした。16日は浄土真宗の寺・清光寺で、17日は元気21の会場で、ある市民団体の前で。政治塾では教育勅語、教育基本法、日本国憲法の理念から家永三郎の教科書裁判を。16・17日は連載小説「死の川を越えて」に触れながらハンセン病を語った。差別と偏見は、黒人の奴隷制を見るまでもなく、人類永遠の課題である。29日は芳賀公民館で2時から「満蒙開拓」を語る。(読者に感謝)

 

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2017年10月17日 (火)

小説「死の川を越えて」  第19話

 

草津の温泉街の東の端から更に東南の六合に向けて1本の道が伸びる。六合へ向かう道の左は急斜面で、その下から湯川の流れが聞こえている。しばらく進むと右側に正門があり、その奥に広がるのが草津楽泉園である。国の方針で、このハンセン病(癩)の療養施設が出来たのは昭和7年のことであった。

 

 この園の一角で、少し草津寄りの道路端に1本の石柱が立ち、それには、コンウォール・リー女史墓所入口と刻まれている。木立に囲まれた細い道を登ると、十字架を頂いた納骨堂とその奥にキリスト教徒の墓群がある。納骨堂には次のような表示がある。「ミス・コンウォール・リー教母は英国に生まれ、病者の救済に私財を投じて献身され、キリストの愛を示された。リー教母の遺骨は遺言により多くの信徒と共にここに納骨されている」

 

 そして、納骨堂の前に、堂を守るように2人の教徒の墓があった。服部けさと三上チヨである。

 

 コンウォール・リーが草津の救らいに生涯を捧げる決意をしたのは、大正5年、59歳の時であった。リーはイギリス貴族の名門に繋がる生まれで莫大な財産を有するキリスト教徒であった。カンタベリーで生まれ、一族はハイリーのうっそうとした森に囲まれた大邸宅に住み、一族と使用人は合わせて200人に達した。何不足なく貴族の令嬢として育てられ巨万の富を相続した。リーは、この財産と自分の余生を人類のために使用出来るようにと神に祈った。母と世界旅行の途中立ち寄った時、日本の風物が深く心に刻まれたという。来日は明治41年(1908)である。リー女史にとって、布教と患者救済は不可分のことであった。

 

 

 

 リー女史は、湯之沢集落を実際に訪ね、万場老人にも会って、湯之沢の実態に近づけたことを感じた。彼女は、理想の村を実現するためには、この集落の若者に会いたい、そして、キリスト教徒でない若者に会ってみたいと願った。それは万場老人の力で実現することになった。

 

ある日のこと、正助ら若者は、万場老人の家でリー女史と会った。前回と同様、通訳の井上照子が同伴していた。若者たちは、異国の高貴な女性と囲炉裏を囲むことに興奮していた。リー女史は若者たちの心をほぐそうとするかのように笑顔を作っている。老人の背後にこずえの姿もあった。

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2017年10月16日 (月)

人生意気に感ず「小池、東京全滅か。尾身さんの子どもとお笑い芸人。新燃岳」

 

◇選挙戦が中盤から終盤に入る。今度の選挙ほど重要な選挙は少ないが、野次馬的な感覚からすれば、これ程面白い選挙も少ない。

 

 未曽有の国難を乗り切る船頭を選ばねばならないが、政治不信は極まれりの感がある。全国の有権者は消去法で選ぶ人も多いだろう。

 

 不倫、暴言で窮地に立たされた候補者は必死だが、エネルギーは続くのか。他人の不幸は蜜の味とばかり、ドラマを見る感覚の人々も多いようである。

 

 それにしても、小池知事は大きな花火を打ち上げたが空鉄砲で終わるかも知れない。東京の全選挙区で全滅の可能性があると大新聞が報じている。大義なき戦いを有権者に見透かされている証拠ではないか。

 

◇私は選挙で本腰を入れることはもうしないつもりでいたが、尾身朝子のためにマイクを握ることになった。父親の尾身幸次の激しい戦いに選対本部長として関わってきた。尾身氏の火のような性格を反映して、その戦いぶりは凄まじかった。朝子さんは東大の学生の頃から父の選挙に関わってきた。比例区で議席を得ていたが小選挙区の戦いは初陣である。

 

 私は、市内のホテルに勉強会の仲間を集めた。ふるさと塾の生きた勉強と思って欲しいと呼びかけた。世耕経済産業大臣の話に多くの塾生は熱心に耳を傾けた。

 

◇15日、敷島公園のマス釣り大会に多くの中国帰国者が集まった。長いこと私の選挙を支援してくれた人々である。私の傍らに立つ一人のイケメンの若者に人々は興味の視線を注いだ。朝子さんの次男智志君である。私が紹介すると、彼は「母を宜しく」と訴えた。朝子さんは離婚して2人の男の子を育てた。女手で2人を私立大学に通わせることは大変だったと朝子さんは聴衆に語る。父のためにマイクを握ったかつての少女は人生の試練に耐えて大きな舞台に立っている。驚くことは智志君の生きる姿である。早稲田を卒業して、コメディアンを目指しているという。細身の美青年、その沈着冷静な表情からお笑い芸人を想像出来ない。

 

◇宮崎、鹿児島県境の新燃岳が2300mの噴煙を上げて動き出した。桜島が大きな噴火の可能性が高いと言われているところなので、気になる。九州は阿蘇山のカルデラ噴火も不気味。総じて日本全体が大きな活動期に入っている。人間界の大乱と合わせて何かが起こるのか。(読者に感謝)

 

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2017年10月15日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第5話

 

 

 

ロシアの広大な地域に点在する収容所へ、日本人の多くはハバロフスクを通って送られ、帰国する時もここを通ってナホトカに送られた。このことは、ハバロフスクが全長約9,440キロメートル、世界最長のシベリア鉄道の拠点でもあるからだ。ハバロフスク市はハバロフスク州の首府であるが、この州は日本の2倍以上の面積がある。このことからもロシアがいかに広大な国であるかが分かるというものだ。

 

 気温は、夏と冬で寒暖の差があまりにも激しい。夏の平均は22度というが、時には40度にもなるという。私たちが訪れた時も日本と変わらぬ暑さで35度くらいではなかったか。アムール川には、水着の美女たちが群れていた。冬の気温は、平均で零下22度というが、零下43度という記録があるという。日本人抑留者が苦しんだ酷寒については、零下30度ということがよく出てくる。シベリアも地球温暖化の影響があって、冬の平均気温は昔より上がっているのではなかろうか。

 

 ロシアは他民族国家といわれるが、このハバロフスク州にも約100の民族が住むという。その中心はロシア人である。

 

 ロシア人に対して抱く日本人のイメージはよくない。しかし、車中の人となって身近に話すパタポア女史やドミトリーの感じは大変良い。ロシア人に対する私たちの偏見があるとすれば、その点も考えてみたいものだと思う。また、ロシア人の日本人に対する感情はどうなのか。これも、大きな関心事であった。

 

「日本のこと、日本人のこと、どう思いますか」

 

 私は、ドミトリーに聞いてみた。すると、ドミトリーは、待っていたかのように、にっこり笑って語りだした。

 

「素晴らしい国で、とても好きです。シベリアの人たち、特にハバロフスクの市民や、日本海に面したウラジオストクの市民はですね、日本にすごく親しい感じがしてるんですよ。なぜかというとですね、外見ると分かるとおり、ハバロフスクで走っている車の90パーセントは日本の中古車です。質、いいですね。そして、誰に聞いても、オーッ、日本が一番、日本の商品が一番と言いますね。また、日本人ね、すごくマナーもっている。すごく約束守る人で働き者であるということですね。こういうこと、ロシア人の頭に入っていますね。なぜかというとですね、怠け者とか、約束守らない人であれば、日本ですね、こんなにも経済的にも文化的にも発展できないと思うのですよ」

 

 パタポアさんもうなずいて同意を表している。

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。

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2017年10月14日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第4話

 

気付くともう一人の大柄な女性がドミトリーの背後から近づき、私に手を差しのべた。彼女は、日本政府から勲五等瑞宝章を受けたロシア人ガリーナ・パタポアさんだった。これからの数日間、この二人には大いに助けられることになる。特に、いまだ知られていない、見捨てられたようなビロビジャンの日本人墓地に案内されたこと、国立文書館でまさかと思っていた「スターリン大元師への感謝文」を入手できたこと、青柳由造さんがロシア民間人の家庭で倒れた時の危機脱出など、この二人には並々ならぬお世話になった。これらについては、後に触れることにする。

 

 

 

二 極東シベリアの拠点ハバロフスク市のこと

 

 

 

 私たちの目的地であり、塩原さんが二年以上も収容されていたハバロフスク市とはどんなところか。私たちは専用の車に移り、宿舎のインツーリストホテルに向った。好青年ドミトリーは、私の質問に答えて、流暢な日本語でハバロフスクのことを教えてくれた。

 

 ハバロフスク市は現在、人口70万人。極東シベリア最大の都市で、また文化や経済の中心都市でもある。バイカル湖のあたりから流れ出し、日本海の間宮海峡に注ぐ全長4,400キロメートルの大河アムール川に面して立つこの都市は、かつてはシベリア強制抑留の拠点で、多くの強制収容所が存在した。少年の頃、歌手の三波春夫がハバロフスク小唄を歌うのを聞いたことがある。

 

ハバロフスク ラララ ハバロフスク

 

ラララ ハバロフスク

 

故郷は遥かな 雲のかげ

 

いつの日に妻や子と逢えるやら

 

男泣きする夢ばかり

 

その時、良い唄だなあと思った。特に三波春夫が、「故郷は遥かな雲のかげ」の部分を歌うときの表情が印象的であった。その後、この歌が収容所の人々によって作られたことを知った。望郷の思いに駆られた人々が故郷の山河や妻子を思い描きながら盛んに歌ったのだ。三波春夫自身もハバロフスクの収容所で過ごした一人であった。これらのことを知って、改めてこの歌を聞くと、人々の思いが切々と伝わってくる。

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。 

 

 

 

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2017年10月13日 (金)

人生意気に感ず「国民の賢い選択は。豊田真由子の狂態。希望の党と北方領土」

 

◇衆院選は早くも中盤に入った。各紙が11日、世論調査を実施したが驚くべき展開となっている。私は、自民優勢を予想していたが、各紙の報じるところは、私の予想を超えるものである。自民党は単独で過半数を大きく超える勢いなのだ。大衆は目先のこと、利害に動かされ、民主主義は危機にある。これがトランプ現象に象徴される世界の状況である。日本の大衆は、未曽有の国難に際し正しい選択をしようとしていると思える。一強と呼ばれた自民党には反省すべき点が多くある。「おごる者は久しからず春の夜の夢の如し」は普遍の真理である。安倍首相は選挙に勝つことができたなら、謙虚な姿勢で政治を立て直し国難に立ち向かって欲しい。

 

 日本の政治の安定は、アジアと世界の平和の要であり、選挙の成り行きを世界が注目している。

 

◇今回の選挙では享楽の世相を反映して悲喜交々のドラマが展開されている。その一例が埼玉4区である。「このハゲ―」で地獄に落ちたと見られている豊田氏が成り振りかまわずの狂態で選挙戦を展開している。あの絶叫を生み出すエネルギーと彼女の知性はどういう関係にあるのか。大方の予測は当選の困難を報じている。

 

 しかし、劇的な展開を望む大衆は地獄の釜の中でもがく姿に興味と共に一片の心理を見つけようとしているのも事実なのだ。自分を打ち据えたマスコミを逆に巧みに利用しようとする強かさもうかがえる。

 

◇希望の党は混乱しているように見える。それは小池代表が確たる政治姿勢を示せないことに起因している。100%自ら立候補すると見ていた評論家もいた。希望の党に集まった候補者の中には裏切られた思いの人もいるだろう。

 

 12日の政見放送で希望の党が使用した日本地図に北方領土が載っていないことが問題になっている。党幹部は映像制作会社の責任と表明しているようだが、希望の党の幹部が誰も気づかないとは、北方領土に対する強い意志が欠如している証拠ではないか。この映像を見た国民への影響も大きいに違いない。更にソ連につけ入れられる隙を作るものだ。ソ連は恐い国である。日本の政党も北方領土への執念が薄いと思うだろう。北方領土は北海道本島の岬から肉眼で見える国有の領土であるが、多くの国民には諦めが見られる。希望の党も同じなのか。(読者に感謝)

 

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2017年10月12日 (木)

小説「死の川を越えて」  第18話

 

 

 

「明治41年と聞いて、わしが驚いたことは他にもある。前年にイギリスの救世軍創始者、ウィリアムブース大将が日本に来た。救世軍は虐げられた人々を救う社会活動を目的にしていたキリスト教徒の団体だ。そこで、リーさんも同じキリスト教徒としてハンセン病の救済活動を目指すのだなと合点がいったのだ」

 

万場軍兵衛は言葉を切り顔を上げて続けた。

 

「もっとも、ブース大将の救世軍は、虐げられた娼婦を救う廃娼運動に打ち込んでいてな、前年の明治40年前橋に来て大いに話題になったのでわしはよく覚えているのじゃ」

 

「まあ、ご隠居様、そんなことがあったでのございますか。では、リー様は、なぜ草津のハンセンに目をお付けになったのでございましょう」

 

こずえは不思議そうに尋ねた。

 

「わしが話したいことはそこじゃ。ハンセンが住む所は全国に多いのに、なぜ草津かとわしも不思議だった。お前はあの時、茶を入れていて聞いていなかったであろうが、わしがそのことを尋ねると、リーさんが言うには、何と、この湯之沢集落がハンセンの希望が芽生えるところに違いないと注目したからだという。ハンセンの患者が力を合わせて自由の療養村を作ろうとして村を始めた理想は素晴らしい。これを何としても生かさねばならない。今の混乱は、心を正すことで乗り越えることが出来ると。リーさんは、この集落のことを二人のキリスト教関係者から聞いたと申す。驚いたことにその1人は、あの椚原清風親分らしいのだ。わしの言うハンセンの光のことが、リーさんに伝わっているとはのう。そして、その光のために力を入れたい。ついてはわしらにも力を貸してくれと申したのだ」

 

万場老人の目は少年のように燃えていた。

 

「どうだお前たち、これからの成り行きによっては、力を貸そうではないか。これは、われわれのためのことなのだから」

 

「賛成です」

 

「やりましょう」

 

「全力で」

 

正助、権太、正男が次々に声を上げた。

 

 それを見て万場老人は言った。

 

「いずれ、お前たち、リーさんに会う機会があるであろう」

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2017年10月11日 (水)

人生意気に感ず「火蓋は切られた。佐田氏の幕引き。第三次世界大戦の危機か」

 

◇衆院選の火蓋が切られた。8時、総社神社で出陣式。私は7期の県議選の全ての出陣式をここで行った。戦いで、神に必勝を祈ることは戦国時代から続く慣わしであり、選挙は戦いなのだ。情報が飛び交う。佐田氏は遂に出馬を断念。上野氏は南関東比例区で自民党の上位に決まった。尾身陣営の特別顧問である。群馬1区は尾身と「希望」の宮崎が対決することになった。

 

 10日5時、立候補者の締切となり、小池氏の出馬はないことに決まった。小池氏不出馬は今回の選挙戦の流れを左右する。「希望」の党は戦いの大義を失ったに等しく、「失望」の党に化する感がある。希望は選挙区、比例合わせて235人立候補するが、大義と大将のない戦いで寄せ集めの候補者は烏合の衆になる恐れもある。評論家とマスコミが色々分析しているが、それらの不測を超えて、自民は意外な勝利を得られる。

 

◇私は長いこと尾身幸次の選対本部長を務め、尾身対佐田の激しい対決に関わってきた。それだけに佐田氏の幕引きには格別の思いが湧く。週刊誌で女性問題を報じられたことが最後まで尾を引いた。9期が築いた城が落城する。古来、美人は国を傾けさせるとして「傾国」と言われたが、傾国の名に値しない飯盛り女につまづくとは情けない。政治家は幕引きが大事。残念に思う。

 

◇衆院選の喧騒によって北朝鮮問題から国民の目がそれている感がある。北の脅威は深刻の度を増している。金正恩とトランプの対立は第三次世界大戦の引き金になりかねない。今回の衆院選には、早く国内を引き締め北朝鮮問題に備える意味がある。

 

 9日付けのニューヨークタイムズには「第三次世界大戦への道」が報じられた。米与党・共和党のコーカー上院外交委員長は米国がトランプ大統領の他国に対する威圧的態度によって、「第三次世界大戦への道」を歩みかねないと警鐘を鳴らした。過去の歴史を振り返れば偶発的なことから大きな戦争が起きている。現代の恐怖は、偶発事故が核戦争に結びつくことだ。もし第三次世界大戦になれば一番の被害国は日本になる恐れがある。

 

◇トランプの言動につき「嵐の前の静けさ」と評する声が大きくなっている。「年明け早々に米軍が北に行動を起こす可能性」と言われる。有権者はこの点を注目すべきではないか。(読者に感謝)

 

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2017年10月10日 (火)

小説「死の川を越えて」  第17話

 

「イギリスの上流階級の婦人と分かった。名前は、ええ、舌を噛むような、何と申したか」

 

「コンウォール・リー様ですわ」

 

「そうそう、リーと呼んでくれと申しておった。この人はキリスト教徒でな。ハンセンの患者の悲惨さを見てその救済事業に一身を捧げる決意を固めたという。神への無償の奉仕とはのう。神も仏もあるものかと思っている人々には信じ難いことだ」

 

 万場軍兵衛がここまで話すと、3人の若者はしきりに頷いた。そればかりでない。こずえまでがひざに手を置き、小首をかしげるように聞き入っている。老人はこの姿を見て、我が意を得たりという思いに駆られて話を続けた。

 

「りーさんに、初めて日本に来たのはいつかと尋ねたら、明治41年ということだ。そこでわしは、はっと思ったことがある。明治41年といえば、日露戦争が終って間もないころ。日露戦の勝利を支えたのは日英同盟じゃ。お前らよく聞くがよい。日英同盟はな、7つの海を支配するといわれる大国イギリスがアジアの果ての遅れた島国日本と対等に結んだ条約なのじゃ。この条約のことと、日露戦の勝利に有頂天になったら、日本は大きな過ちを犯すことになる。はっと思ったのはこれじゃ。日本の過ちは我らの運命に大きく関わる。わしは、このことに気づき、本気で心配しておる。日本が過信して、とんでもない冒険に出ることを恐れるのだ」

 

「だって、日本海海戦の見事な大勝利は日本の実力に間違いないし、世界の大国ロシアは負けを認めたではありませんか」

 

正助が色をなして言った。

 

「勝つには勝ったがな、内実はぎりぎりだった。日本の国力は限界であれ以上戦えないところに来ていた。国民は知らぬから戦勝国の取り分が少ないことに大いに怒ったが政府は苦しかったのだ」

 

「へぇー、知らなかった。初めて知った」

 

権太が驚いた声で言った。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2017年10月 9日 (月)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第3話

 

 私は、シベリア強制抑留について数多くの体験記を読み、人間は、極限の状況で、あそこまで耐えることができるのかと驚かされた。そして、抑留者は、年々、少なくなっているとはいえ、まだ多くの生存者がいることを考えると、人類が長い歴史の中で繰り返してきた、異民族に対する残酷な扱いが、私たちの生きている現代とつながるすぐそこにあったことが不思議に思えるのであった。そして同時に、いくら手記をよんで凄いと思っても、それだけでは本質を理解したことにはならないと思った。

 

 二十一世紀の現在、私たちは人類の歴史の中で、豊かさとか便利さという点では、一つの頂点に立っている。シベリアの抑留生活は、この頂点から見下ろすと、はるか下の黒い闇の底にある。そこに何があるのか、そこから何を学ぶべきかを、私たちが掴むことは難しい。豊かさに埋没し、今立っているところが薄氷の上にあり、あるいは、今見えているものが蜃気楼かもしれないのに危機意識もなく、惰性に流されているのが、私たちの姿ではないか。私たちの目を覚ます何かがシベリアにあるかもしれない。強制抑留の実態に少しでも近づくことによって、そのことが可能なのではないか。私はこれまで、シベリアへ行くことなど思ってもみなかったことを反省しつつ、何かを求めてシベリアへの旅を決意したのだった。二時間のフライトは、半世紀の時をさかのぼるタイムマシンの旅でもあった。そこで、私たちを待つものは何か。

 

 思いに耽っているとなにやら機内の放送があったらしく、やがて周りにざわめきが広がり、機は降下を始めたらしい。彼方に白くくねる大きな水面が見える。あれがアムールか、そして眼下に緑の平原が広がる。まだシベリアという実感はない。やがて、ズンと鈍い衝撃音とともに機は大地に着いた。ハバロフスク空港である。

 

「シベリアですね」

 

初めて笑顔をつくってこう言いながら私の手を握る塩原老人の手に力がこもっていた。入国手続きを済ませて出てゆくと、

 

「ナカムラさんですか」

 

 長身のハンサムな外国人青年が声をかけて近づいてきた。この青年が通訳兼ガイドのロシア人、カムリア・ドミトリーだった。

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。

 

 

 

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2017年10月 8日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第2話

 

塩原さんは言った。

 

「あの広大な大陸の地平線や悠然と海のように流れるアムール川を自由の身で再び見ることができると思うと、しぼんだ年寄りのこの胸が、なんだか膨らむような気がします」

 

 また、塩原さんより二歳年下の青柳さんは、心臓に多少心配な点があったが、何としてもシベリア行きを果したいと、毎日、かなりの重量のペットボトルを背負って何キロメートルも歩いて体力の調整に励んでいたという。

 

多くの仲間が狂おしいほどの望郷の念にかられながらシベリアの凍土に倒れた。二人の老人も死の淵に沈みかけ、故国への生還をあきらめたこともあった。憎しみと怨みの大地だったはずのシベリアへ、今、二人をこのように駆り立てるものは何か、私は不思議に思った。

 

 ハバロフスクは、新潟空港から約2時間、そろそろシベリアの上空に近づくころである。二人の老人は、シベリアとの再会を目の前にして何を考えているのか。私は、隣の塩原老人の彫像のように強張った横顔を見ながら、シベリアの体験は、この人の人生最大の出来事だったのだと、改めて思った。

 

ある抑留体験者が、シベリアは人生の大学だったと語っていた。また、壮大な人間の実験場だったと振り返る人もいた。まさにその通りに違いない。しかし、当時は飢えと酷寒と重労働に生身を削がれるような状況で、そのようなことを考えるゆとりはなかったはずだ。長い年月が経ち、自分の人生は何だったのかと振り返るとき、さまざまな人生の出来事を木の葉のように押しのけて目の前に厳然と迫ってくるものが、シベリアの強制抑留なのだ。それは、まさに自分の究極の姿であった。また、自分の生命力の限界点、耐えることの限界点に立たされて苦闘した日々であった。あれから50数年が過ぎ、人生の終点が見えるところまで来て、シベリアの日々を振り返ると、青春の全エネルギーを燃焼させて生きたかつての自分の姿がまぶしくさえ見えるのだ。そう思うと、地獄と思っていた日々が無性に懐かしく思える。森林伐採にかりたてられて歩かされたあの道は、今どうなっているだろう、建設にたずさわったあの建物は、現在まだ使われているだろうか。塩原さん、青柳さんは、一目、シベリアをもう一度見たいという気持ちを募らせるようになった。運命のいたずらともいえる推移の中でシベリアの捕虜となり、その結果想像だにしなかった体験をした。自分とははたして何か、自分の人生は何だったのか、これらの答えも、その体験の中に隠されているに違いない。二人の老人は、大陸に残してきた若かりしころの自分に再会するかのような思いで到着をいまかいまかと待っていた。

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。

 

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2017年10月 7日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第1話

 

 

 

第1章シベリア強制抑留の真実を求めて

 

一、シベリアの中心都市ハバロフスクへ向けて

 

 

 

 60万人もの日本人が戦争が終った後に、シベリアへ強制連行された。そして、酷寒、飢え、重労働に耐えられず死んだ人は6万人以上に及んだ。人々の願いは「ダモイ」(故郷に帰ること)だった。せめて故郷の山を見てから死にたいと言い続けながら、その悲願もかなわず凍土に埋もれた人も多かった。生還者も現在、多くは八十歳を超える。シベリア強制抑留とは何だったのか、21世紀の現在、改めてそれを考えてみたい。そんな思いで私たちは、ハバロフスクに向うことになった。

 

 新潟空港の空は重い雲で覆われていた。平成167191530分、ダリアビア航空H8310便は機首を西の空に向けて飛び立った。機は間もなく日本海上空に出た。雲の切れ間から青い海面がチラッと見えてすぐに隠れた。

 

「日本海です」

 

 私がささやくと、二人の老人は目を閉じたまま、微かにうなずいたように見えた。二人の瞼の奥には半世紀以上も昔の光景が浮かんでいるに違いない。幾度も死線を越えてやっとナホトカ港にたどり着き、帰還船に乗り込んでも、まだ故国に帰れると信じることが出来なかった。停船を命じられ呼び戻されはしないかという恐怖におののいていたのだ。人々は、実際にそのような例を耳にしていた。港の光景が芥子粒のように小さくなり、やがて視界から消えたとき、やっと、帰国できるのだという実感が胸の中にじわじわと静かに広がってくるのであった。そして、その時、日本海の上にいるということが、信じられないほど嬉しかったという。

 

 出発を前にしたある日、81歳の塩原眞資(しんすけ)さんは、54年前を振り返ってしみじみと語った。

 

「ナホトカの港を去る時、私は、大地を蹴りつけて、こんな所に二度と来るものかと心の中で叫び、しがみつくようにして高砂丸に乗り込みましたよ」

 

 今、眞資さんの隣で黙想しているかのようにじっと動かない青柳由造さんもその点は同じであろう。

 

 しかし、シベリアへ一緒に行きませんかと私が誘うと、二人は矢も盾もたまらぬ様子で少年のように浮き足立った。

 

 

 

※土日祝日は、中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載します。

 

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2017年10月 6日 (金)

人生意気に感ず「天下大乱。心の崩壊状況下の選挙。中曽根氏の不出馬。佐田氏は」

 

◇天下大乱の渦中にいることを実感する。総選挙が近づく中で、雨後のタケノコのように政党が出来たり、既成の政党が分解したりで、政治とは何か、政治はこの大変な時に役割を果たせるのか危機を感じる。

 

 長く続いた平和は砂上の楼閣だったのか。平和を支えるのは国民の心である。豊かさに目がくらみ、欲望に流され、日本人の心が崩壊したかの感がある昨今。そういう波に政治が流されている。芸能界と政界が区別できないような状況ではないか。

 

◇誠実、清潔、正義を信条とする公明党でまたまた不倫騒動とか。2人目の離党者である。9月に妻ある参議院議員が女性を議員宿舎に泊めたことが発覚。今度は衆院比例区の公認候補に決まっていた人物。やはり魔の2期生。

 

 政治不信は頂点に達しているが、そんな中で選挙の火蓋が切られようとしている。小池知事が旋風を起こしているが、本物かどうか疑わしくなってきた。1次公認候補が発表されたが寄せ集めのガラクタという見方もしきりだ。享楽の世相を反映した「ちみもうりょう」か。

 

◇早くも週刊誌は「全選挙区完全予測」を出した。興味深く全体を見たが、この通りに行くとは思えない。劇場の出し物と見ればこんなに面白いものはない。

 

 週刊文春の党派別予測は衝撃的である。自民は74減、希望は倍近く伸ばす。今後、激変があることが予想されるから、この通りには行わないが安倍さんの賭けは見物である。

 

◇週刊誌は別として、注目の選挙区として群馬1区が挙げられてきた。その焦点は、公認を得た尾身朝子氏と公認が得られず無所属出馬の決意を示していた中曽根康隆氏の対決であった。佐田源一郎氏は事実上問題外であると思う。中曽根氏については最近2千人以上を集めて勢いが急上昇ということで、尾身陣営は危機感を募らせていたのである。

 

 この緊迫状況に突如変化が生じた。昨日、中曽根氏が1区からの出馬断念を表明したのだ。比例北関東ブロックから立候補するという。この変化は何を意味するのか。党本部から比例の良い順位を示されたものと思われる。北関東ブロックの比例の定数は19である。この変化の中で佐田氏の動向が注目される。群馬一区は注目選挙区でなくなるのではないか。(読者に感謝)

 

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2017年10月 5日 (木)

小説「死の川を越えて」  第16話

 

 

 

一、 コンウォール・リーの登場

 

 

 

 ある日のこと、例の3人が万場老人の家の戸口に立っていた。正助は戸に手をかけようとして、その手をそっと引っ込めた。権太と正男が何事かと首をかしげる。正助が小声で言った。

 

「こずえさんがいるよ」

 

正助の鼻は、戸の隙間から仄かに流れている女人の香りを敏感にとらえていたのだ。正助は中に声をかけた。

 

「こんにちは」

 

「はーい」

 

明るい女の声。正助の予感は的中し、戸は中から開かれた。こずえの美しい姿がそこにあった。

 

「お入り下さい。御隠居様がお待ちです」

 

殺風景なあばら家をぱっと明るくしているようなこずえの笑顔である。

 

3人の顔を見るなり万場老人は言った。

 

「こんな小屋、しかもハンセンの老人の家など訪ねる女はこずえのみと思っておったが、最近珍客があった。しかも異国の女なので仰天した」

 

「さすがの御隠居様があの慌てよう。本当におかしい様でしたわ、ほ、ほ、ほ」

 

こずえは思い出して愉快そうに笑った。

 

正助がすかさず言った。

 

「今日、話して下さるという女のことですか」

 

「そうじゃ、驚いたのは異国の女ということだけではない、むしろその話の内容なのだ」

 

一同は、老人の口から何が飛び出すのか身を固くして待った。

 

「先日のことじゃ。この家の戸を叩くものがある。現われたのは2人の女で、その1人は異国の女ではないか。もう1人は通訳の日本人じゃ。腰を抜かす程驚いたぞ。は、は、は。これがそばにいたからまだよかった。この穴倉のような小屋で、この顔じゃ、どうなるかと思った」

 

万場軍兵衛は、おかしさを堪えているこずえに視線を投げながら言った。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2017年10月 4日 (水)

人生意気に感ず「選挙戦の緊迫が。小池知事は緑のタヌキか。アインシュタインの最後の宿題」

 

◇昨夜、尾身朝子陣営の集会に出た。数百人が参加した会場には1区の状況を反映した緊張した空気が流れていた。保守乱立となるのは確実で、保守陣営が危機感を募らせて必死で頑張れば頑張る程、希望の党の宮崎陣営が有利になるという奇妙な構図である。

 

 この集会にも希望の党の混乱ぶりが伝わってきた。群馬1区の混乱はこの党の縮図であり、地方の状況がより深刻であることを物語る。

 

 宮崎陣営の会議で角田義一元参院副議長が「緑のタヌキ」と党本部に対する怒りを表明したらしい。これは、宮崎陣営の内部分裂を示すものであろう。各地がこのようであれば希望の党は失望の党と化すのではないか。

 

◇細川元首相の厳しい指摘も伝わる。「安倍政権の倒幕が始まるかと思ったら応仁の乱のようにぐちゃぐちゃになってきた。排除の論理を振り回し戸惑っている。公認するのに踏み絵を踏ませるのは何ともこざかしい。寛容な保守の看板が泣く。前原民進党代表は名を捨てて実を取ると言っているが、名も実も魂も取られてしまうのではないか」と誠に手厳しい。角田氏といい、細川氏といい、選挙戦突入の直前になって、自分の陣営をこのように批判することは前代未聞。正に応仁の乱で始まる戦国時代の様相ではないか。応仁の乱勃発の中心には細川氏がいた。元首相の頭には戦国時代の祖先の姿があったのかも知れない。

 

◇前原氏は戦略を誤ったと言うべきだろう。民進党は分裂したと評されるが事実上の解党に違いない。民進党の枝野代表代行は新党「立憲民主党」を結成すると表明した。こちらの方がリベラルの流れとして筋が通っている。自民、希望、立憲民主の三党対立の構図が固まりつつある。当初は安倍首相も真っ青かと思わせた希望も烏合の衆を集めるだけで天下を取る力は発揮できそもない。国政出馬かと思わせたが、今は100%ないと言いだした。迷っているのだろう。「緑のタヌキ」として化けの皮がはがれる事態もあり得るかも知れない。

 

◇地上のゴタゴタも呑み込んで、壮大な宇宙の夢が広がる。米科学者の重力波初検出にノーベル物理学賞がおくられる。アインシュタインが予言したもの。二つのブラックホールが合体して生じた重力波が13億年かけて地球に届いた。人類はどこまで存続できるのか、地球のゴタゴタもそれに関わっている。(読者に感謝)

 

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2017年10月 3日 (火)

小説「死の川を越えて」  第15話

 

「湯之沢の本当の姿は、この親分、いや椚田さんの話をお聞き下さい」

 

 リー女史は頷いて椚田太平に視線を移した。

 

「湯の川地区は、死の川と言われる湯川が流れる谷にありやす。生き物は生きられねえ流れで、昔は生きられねえ患者を投げ捨てたそうです。この集落の特色は、患者が助け合って理想の村を作る目的で出発した点です。へえ、ハンセン病の患者が村を動かし税金まで納める。こういう所は、世界広しといえど他にねえと聞きました。ある人は、ここからハンセン病の光が出ていると申します。ところが今、湯之沢は乱れ、この光が消えようとしているのです」

 

 ここまで話した時、リー女史は身を乗り出し、手を上げて話を制した。

 

「ハンセンの光が消えようとしているとは」

 

「へえ、患者は開村時の心意気を忘れ、生きる希望をなくし、神も仏もねえと思うようになったのでごぜえます。わしも最近まで、悪者の代表みてえなものでごぜえやした。今、必要なことは、まっとうな人間の心を取り戻すことだと気付きやした。そのきっかけは、キリスト様との出合いでやす。わしらの心に芽を出し始めた小さなものを大きく育てるために草津の湯之沢に来てもらいてえ。死の川と共に、死にかかっているのはわしらの心でごぜえます。どうかよろしくお願えしやす」

 

 宿沢は側で聞いていて、大きく頷き、目頭をぬぐっている。親分がこんなに心に響く深い話をするとは想像もしなかったのだ。この時、リー女史に変化があった。姿勢を正し親分の手を取って言った。

 

「素晴らしいお話です。私、死の川を見たい。皆さんの心のお手伝いがしたい。ハンセンの光に接してみたい。私を案内して下さい」

 

 リー女史の顔は少女のように輝いて見えた。椚原は、それを見て心に叫んだ。

 

〈俺の賭が当りやがった。これは偉えことになるぞ〉

 

 上州へ帰る椚原と宿沢の足取りは躍るようであった。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2017年10月 2日 (月)

人生意気に感ず「希望の党の希望は薄れて。このハゲ―の運命は。市民運動会に」

 

◇選挙が刻一刻と近づく中で野党陣営に大混乱が起きている。日本列島を巻き込んだ大劇場で繰り広げられる出し物が大きく変化し、観客の期待を大きく裏切ってドタバタ劇になろうとしている。この国難の時に政権担当者を選ぶことが衆院の最大の課題であることは変わらない。「希望の党」に政権が移る可能性があるからこそ国民は固唾を呑んで選挙の行方を見守ろうとした。今、ドタバタの中で国民の興味は崩れようとしている。

 

 政権交代は、小池知事の衆院選出馬と小池支持勢力の過半数当選が前提であるが、この2つが崩れつつある。民進の希望への合流は進まない。小池氏は恐らく出馬しないだろう。

 

 現在の世論調査では、小池支持が一定の評価を得ているが、それは小池出馬と「希望」への期待を前提にしている。この前提が崩れつつあるのだ。

 

 民進党の議院は、「希望」に入れず、無所属からの立候補を目指す動きが加速している。これは「希望」の求心力が落ちていることを物語る。同時に小池氏の支持率をも予測させる。日本の運命がかかる国難の時に烏合の衆を集める新党は役割を果たせない。

 

◇今回の衆院選では、週刊誌レベルの興味が尽きない。不倫や醜聞報道で転落した議員たちの再起は可能か。群馬1区のS氏は全く鳴りを潜めてしまった。比例での可能性も薄いのではないか。政治家は引き際が特に重要である。

 

◇「このハゲ―」で一躍雷鳴を轟かせた豊田真由子が連日駅頭に立っている。地獄の釜から這い上ろうとする姿である。必死の姿に真実はあるのか。マスコミが大きく注目することもあって、野次馬的関心は大いに盛り上がるだろう。しかし、同情と興味で当選することは難しい。この人には別の面の関心も集まっている。学校の秀才は本当に賢いかということだ。教育の目的は生きる力にある。東大までの輝かしい成績は何を物語るのか。果たして生きる力はどうなっているのか。最も泥にまみれた所に落とされ、この人の生きる力が試されている。日本の教育自体が試されている姿でもあるのだ。

 

◇1日、芳賀地区市民運動会に出た。太陽と秋の風で正に運動会日和。議員退職後初めての参加。かつては来賓として主催者側に今回は対する市民の側で開式を。私の心はこの日の天気のようにさわやか。ゲートボールリレーに出た。(読者に感謝)

 

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2017年10月 1日 (日)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第77回

 

 疲憊の極にある将兵に、更に人として堪える限度を遥かに超えた困難を求め、十万の将兵は黙々とこれを遂行し力尽きて散っていった。これら将兵を動かしたものは、安達との間の「信」と「愛」である。十万の将兵は、純粋にこの「信」と「愛」に殉じた。だから、自分もこれら将兵に対する「信」と「愛」に殉ずるのだといっている。殉ずるとは、ある事のために命を投げ出すことである。

 

 司令官としての責任のとり方としては、生きて祖国の復興のために命をかけるという途もある。彼が自決した昭和22年9月といえば、その前年に日本国憲法が公布され、日本は復興に向けて、全く新しい道を逞しく歩み始めた頃である。恐らくニューギニアで俘虜として暮らす彼の耳にも新しい日本の情報が少しは伝わっていたと思われる。

 

しかし、安達は祖国の復興に命をかけるという途を選ばなかった。それは、亡くなった将兵の苦しみがいかに大きかったか、又、彼らとの心の絆がいかに強いものであったかを物語るものである。安達二十三の自決は、武士道を、身を犠牲にして貫いた一つの例ともいえよう。

 

私は、この年昭和22年4月、小学校に入学した。日本国憲法の下で教育も一変し、この年から民主主義の精神に基づく新しい教科書が編集された。

 

次の詩は、一年生となった私が最初に出会った国語の教科書の冒頭に出て来る一遍である。

 

おはなをかざる、

 

みんないいこ。

 

きれいなことば、

 

みんないいこ。

 

なかよしこよし、

 

みんないいこ。

 

 

 

今、改めて口ずさんでみると、ほのぼのとした明るい社会の息吹が感じられる。ノートも十分なものはなく石板を使った。貧しかったけれど、子どもたちは元気で逞しかった。大人は必至で働き家族の団結は堅く、地域社会の絆は強かった。日本再建のエネルギーが人々の中にも社会にも漲っていたのである。

 

振り返って考えてみれば、あのエネルギーを生み出したものは、日本人の心であった。そして、日本人の心には、戦地で亡くなった肉親や同胞の悲惨な姿があった。あの死を無駄にさせないために日本を再建させようという意思が人々を支え、社会を支えていた。安達二十三以下12万人の将兵の死はこのような意味で、新生日本の礎となったのである。

 

21世紀の日本は、さまざまな面で危機に直面しているが、最大の危機は日本人の心の問題である。悲惨なニューギニア戦の事実を歴史の彼方に葬ってはならない。安達二十三の死を含めて12万人の将兵の死を、身近な同胞の死として受け止めるとき、真の勇気と力が湧いてくる。戦後の瓦礫の中からの復興はそのようにして達成されてきた。物の豊かさを達成した今日、もう一度原点に戻って、現代日本の危機を乗り越えねばならない。かくして初めて犠牲となった英霊に報いることが出来るのではないか。(完)

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています

 

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