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2017年9月24日 (日)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第75回

 

 人々はニューギニア戦の真実を知らされていない。また、厳しい戦争裁判が続いていたことも、安達二十三が死を決意しながら戦後の処理に当たっていたことも、遺族など日本国内の人々は知らなかったのである。

 

 安達司令官の下で参謀として働いた元陸軍少佐堀江正夫氏は。「鎮魂」-東部ニューギニア作戦の回顧―の中で、次のように語っている。なぜ第18軍が3年間にわたって団結を保持しながら筆舌に尽くし難い極限状態のもとで勇戦を続けることが出来たか、そこには安達司令官の優れた人格が大きな要素としてあったと。中でも、その比類ない忠誠心と部下に対する愛情をあげる。

 

 司令官は、降伏調印式に臨むとき、堀江参謀に言った。

 

「これからは、いろいろな不快なことがあっても腹を立ててはいけない。我慢するのだ。これからの軍の司令は全員を日本に帰すことなのだから」

 

 日本軍は全員、ウエワクの対岸のムシユ島に移されたが、安達司令官は将兵の食糧確保、健康の回復、戦犯調査への対応などに奔走した。そのような中で彼は戦没将兵の慰霊祭を提案し実行した。

 

 やがて、日本への帰還が実施されるようになると、安達二十三司令官は、帰還船が来るたびに帰還将兵を集め、かつての苦労に感謝する言葉を述べ、一人一人をねぎらうのだった。将兵の中には、司令官もいつの日にか、日本に帰る日を望んでいるのに違いないと想像する者も多かった。

 

 ラバウルで戦争裁判が始まり、戦犯が続々と引かれてゆく。安達司令官は、自分の責任であることを述べ多くの将兵の無罪を主張して全力を尽くした。敗れたとはいえ、主張すべきことは主張するという信念であった。そんため、東部ニューギニアの部隊には戦犯が割合少なかったという。

 

 それでも多くの将兵が刑に服した。10名が死刑となり、安達二十三も将兵に戦争犯罪を犯させた責任を問われて昭和22年4月無期禁固の判決を受ける。

 

 一般将兵の日本帰還は既に終わっていた。9月8日、ラバウルにおける戦犯裁判はすべて終わる。そして最後の容疑者8人が釈放され帰還が許されるという通知を受け取った翌日9月10日早朝、安達二十三は収容所の一室で軍服姿となり北の方日本に向かって端座し、錆びたナイフで割腹した上、自分の手で頸動脈をしめて命を絶った。57歳であった。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています

 

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