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2017年9月23日 (土)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第74回

 

 サラワケット山系の北側は絶壁ではなく、急な下り坂が連続していた。細い土人道が続き、部落が点在する。サラワケット山を越えたという感激が兵士に大きな力を与えていた。心の持ち方によって人間はかくも変わるものか。岩田さん達は、北側の斜面を一気に歩き通して、10月10日最終目的地キアリに達した。岩田さん達のグループは、石川見習い士官を除いて全員キアリに着くことができた。サラワケット山頂で煙にふさがれたあの岩田さんの目から感激の涙が頬を伝って流れる。その後、後続部隊も次々に到着。岩田さん達は落後者救護隊を編成して救済に当たった。

 

 世界の戦史の上でも稀な想像を絶するような徒歩による山越えは終わった。ラエ、キアリ間、直線距離にすればおよそ100キロだが、兵士達が歩いた距離は数百キロに及んだ。兵士達の懸命の努力にもかかわらず、ニューギニア戦における日本の敗色は益々濃くなっていった。

 

 戦友(とも)は散り命長らえ半世紀 

 

   浮かぶあの修羅瞼閉ずれば

 

 (岩田さんが戦後、ニューギニアの体験を振り返って詠んだ歌である)

 

 

 

(2)司令官 安達二十三の死

 

 

 

 ニューギニア作戦を指揮した第18軍司令官安達二十三の死に様は、凄絶を極めたニューギニア戦の中で、ほっとした安心感に似たものを与えてくれる。地獄の底を彷徨うような兵士の姿だけを見ると何ともやりきれないものを感じるが、ニューギニア戦が、立派な指導者の下で一丸となって祖国のために戦われたものだということを安達二十三の「自決」から幾分でも知ることが出来るからだ。そこで、この巡拝のしめくくりとして安達二十三の死を見詰めてみたい。

 

 終戦となり、生き残った兵士たちはムシユ島で暮らしていたが、昭和21年1月、待ちに待った日本帰還の船が島の沖合に姿を現した時、岩田さんたちの狂喜する様はとても筆舌に尽くし難いものだった。更に、船が日本に近づきその島陰が見えたとき、兵士たちは傷の痛みも忘れバンザイを叫び抱き合って喜んだ。浦賀に着くと埠頭は溢れんばかりの人で、重傷の人は担架で運ばれ、少しは歩ける負傷者は看護婦に助けられて上陸した。兵士たちは、病院やその他の施設に分かれて収容されたが、それぞれの場所は肉親を捜す人でごったがえしていた。面接会場は殺気立っていた。帰還した兵士があまりに少ないからだ。一つの町から2~30名を出征したのに帰ってきたのは2~3名とはどういうことかと人々は詰め寄った。また、指揮官である連隊長、大隊長、中隊長などが生還したのに息子や夫が帰って来ないのはなぜかと人々は苛立った。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています

 

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