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2017年9月 4日 (月)

人生意気に感ず「母の法要。議長祝賀、告別式と続いた。ランプの下の思い出」

 

◇昨日は母の13回忌の法要を行った。浄土宗の清光寺である。振り返ると母の死には改めて胸に迫るものがある。平成17年9月14日、満89歳。あと2カ月足らずで90歳であった。

 

 議長として南米へ出かけていた。母は死の床で私が帰るのを待ち、帰国直後に世を去った。

 

 慌ただしい日が続いた。16日通夜、17日議長就任祝賀会、18日告別式であった。議長祝賀は前から決まっていた。延長すべきか迷ったが決行した。母の棺には「りんごの歌」のCDと私の書「望郷の叫び」を入れた。

 

 りんごの歌は苦しかった宮城村の開墾時代、母がよく口ずさんだ歌である。告別式ではアイバンクから感謝状が贈られ「お陰で2人の人が目に光をもらうことができます」と紹介された。世の中のためという思いを持ち続けた母は、アイバンクに登録し「死んだら私の目を役立てるんだから必ずバンクに連絡しておくれ」と言っていたのである。亡くなった朝、群大病院の眼科の人が私の連絡で駆け付け、母の目を取り出して行った。後に厚生労働大臣の感謝状が届いた。母が人生で得た輝かしい勲章であった。

 

◇法要に当たり改めて在りし日の母の姿が甦る。母の生き様は私の人生の原点でもあった。貧しい混乱の時代を正直に必死で生きた。教育のことは語らなかったがその生きる姿が4人の子どもには最大の教えであった。

 

 小学生の頃、学校から借りてきた本を母と2人でよく読んだ。石油ランプの下で、代わる代わる声を出して、「アイバンホー物語」を読み、読み終えた時一番鶏の声を聞いたことが昨日のことのように思い出される。

 

 私のすることに反対したことのない母であった。夜間高校から東大受験を決意したときも「そうかい」と言って反対しなかった。私は母の期待を裏切ってはならないと思って頑張った。7期の県議生活を引退して別の世界で頑張っていることを仏壇に報告した。「そうかい」という声が聞こえてくるようだ。

 

◇もうすぐ私は77歳になる。根性と身体をもらった母に感謝している。先日、文京町の小さな靴屋から新しい運動靴を買った。古い運動靴が擦り切れかかとがはがれてしまった。11月3日、新調の靴でぐんまマラソンの10キロを走る。昨年のマラソン以来、一日も欠かさず朝走っている。母も応援しているだろう。(読者に感謝)

 

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