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2017年9月 2日 (土)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第67回

 

 ブス川までの間に既にかなりの落後者が出ていた。杖をついたり、他の兵士の肩を借りたりの負傷者も多いが、それ以上にほとんどの者が程度の差はあれマラリアにかかっていた。衰えた体力で噂にきく峻険サラワケットを越えることが出来るか将兵の胸には皆不安があった。しかし、不安がいくら大きくても進むより他に選択肢はない。そして、ここは戦場なのだ。当面の敵はアメリカ兵ではない。急流であり沼地であり険しい山岳であった。そして何よりも自分自身との闘いであった。

 

 兵士は、ブス川を渡って沢伝いに歩く。湿地帯を過ぎると猫も通過できないと思われるほど隙間なく竹が密生する地帯に出た。工兵隊がたちまち竹を切って細い通路をつくる。竹のトンネルは昼でも薄暗い。進むにしたがって困難は増した。急な斜面を下りて渓谷に出る。深い谷の奥に入って、今度は木の根や小枝にすがって絶壁を登る。足を滑らせて滝に落ちる者もいる。崖から落ち滝にはまった者はまず助からなかった。たとえ命はあってもそこからよじ登るだけの余力は身体のどこにも残っていなかったのである。

 

 出発から既に一週間以上が過ぎていた。食糧が乏しくなってきて、「食い延し」の指令が出た。当初の予定よりぐっと減って、一日一合5勺(約214グラム)。いよいよ兵士の食糧事情は深刻になってきた。谷から出て、急な斜面を登り、上まで行けずに日が暮れて急斜面で露営する。岩田さん達は滑り落ちそうになる身体を木に結んで一夜を過ごした。うとうとしたが深く眠ることは出来ないまま夜が明けた。

 

 時々、山の陰の台地の上に土人部落があり、小さな畑があった。現地人は戦乱に巻き込まれるのを恐れて姿を消していた。畑には芋などが僅かに残っていることもある。兵士たちは土に手を突っ込んで細い小さな芋を捜して食べた。先行部隊がこのようにして通過してゆくので、後続の部隊が入っても食べるものは全くなかった。

 

 岩田さん達は次第により険しい山岳に入っていった。獣道のような細い土人道が急斜面を上に伸び、そこをやっと登り詰めると今度は谷底へ向かって落ち込むように続く。頂上から前方を見ると、遥かな絶壁に一筋の糸が垂れているように見える。目を凝らすと、蟻のように無数の兵士が網にとりすがってよじ登っている姿であった。絶壁に近づくと頭の上にかぶさるかのようにそそり立っている。この絶壁の急角度を見ただけで戦意を喪失する者も多い。決死の工兵隊が足をかける窪みをつくり、藤蔓や麻縄を岸壁に打ち付け最大限の工夫をしていた。それでもやっと辿り着く兵士にとっては命がけで、諦めてうずくまる者も多かった。マラリアのひどい下痢のため衰弱しきって骨と皮なかりの身体で岸壁に必死ですがりつき途方に暮れている姿もあった。

 

 

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。 

 

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