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2017年9月16日 (土)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第71回

 

馬の背のような稜線の上を歩いて、ツカワットを通過し、遂にアベンの部落にたどり着く。標高3,000メートルを越える所にある大きな土人部落であり、サラワケット山の頂上が目前にあった。あれを越えれば目的地に着けるぞ、兵士は励まし合ってアベンを出発する。ある者は銃を杖に、ある者は友の肩に支えられ、大地に粘りつく足を一歩一歩ひきはがすように幽鬼のような姿で歩いていた。2,200名の犠牲者の中で、このあたりからサラワケット頂上附近で倒れた者が一番多かった。戦後のオーストラリア軍やアメリカ軍の記録には、このあたりには手榴弾で自決したり、寒気と飢えで死んだ日本兵の死体が数え切れないほどあったと記されている。

 

 兵士は、ただ生きたいという執念で歩いていた。何も考えられないもうろうとした頭の奥には故郷の妻や肉親や山河が浮かぶ。それが生きたいという執念を生み、この執念が通常では考えられない力を身体のどこかから引き出していた。この執念のない者、あるいは、この執念が弱い者は倒れていった。人間は精神の生き物である。精神力が身体に隅々の細胞からわずかなエネルギーを絞り出し、それが極限の命を支えていた。横たわる死体は、俺を乗り越えて生きろ、俺のようになるなと訴えている。そして、サラワケットの頂上が頑張れ、もう少しだぞと声援を送っていた。

 

 9月14日にラエを出発し、2週間以上が過ぎていた。直線距離にすれば、それほどないところを言語に絶する難関に阻まれ、難行軍を続けてきた。30日の午後には最後の難所と思われる所を進んだ。これまでに、もっと難しい所はいくらもあったが、最後の力を振り絞って歩く兵士にとっては最大の難所であった。標高は既に4,000メートル位。富士山よりも高い所である。熱帯のジャングルを進んで来た兵士がいきなり、軽装のまま寒冷地に入り込んだようなもの。吹き荒ぶ風は身を切るように冷たい。先頭を行く工兵隊が張った命綱が要所要所にあり、それにすがって兵士は一歩一歩山頂を目指す。

 

 この日の夕方サラワケット山頂近くに到達、岩田さん達は露営することになった。あたりは湿地帯で、ところどころ水をたたえ小さな沼があり、低い灌木、青い苔、そしてシダの類が岩の間を埋めていた。日が没すると気温は零下になり、時間と共にますます寒くなる。夏の服装の兵士たちにとって、この寒さは今まで越えてきた断崖絶壁以上の難物だった。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。 

 

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