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2017年9月 3日 (日)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第68回

 

 岸壁を上り詰めるとそこからは馬の背のような尾根が続く。人一人がやっと歩ける細さである。前かがみに小用をたしていた兵士がぐずぐずと頭から谷底へ落ちてゆく。助けようとして近づく者もいない。道に横たわる兵士の中には既に息絶えている者もいる。兵士は維持分のことだけで精一杯で、死体を踏み越えて黙々と進む。

 

 出発して10日程が過ぎていた。小高い丘にあるケメンという部落に落ち着く。10数戸の住家であるが原住民はいない。標高も1500メートルを越していた。そこから、ラエの方向が一望できる。流れる雲の間に光る海が見えた。足下に今越えてきたジャングルが静かに広がっている。その下で兵士たちの生死をかけた死闘が繰り広げられているのが嘘のようだ。振り返ると、行く手の高い山に進んでゆく傷ついた兵士達が見える。いよいよあの山を越えるのだ。岩田さんは遥かな前方の雲に巻かれてそびえるサラワケット山を目指して仲間と共に歩き出した。

 

 ここらあたりで、食糧が極度に不足してきた。兵士たちは、食べられる草や木の根、キノコを見つけて食べ、また野豚や蛇を捜した。道は更に険しさを増していた。目で見ると近くにあるサラワケットの間にはまだまだいくつもの谷や断崖があった。人々は、難攻不落の途方もなく巨大な城塞に挑む無力な兵士の姿に似ていた。

 

 時々、グループから取り残された兵士が見えた。団体行動からはずれることは死を意味する。なぜなら、助け合い、励まし合うことも出来ず、苛酷な山野に一人で挑戦しなければならないからだ。行進の間に自然に5人から8人位のグループが出来て、一団となって進むのが通常であった。極限の状態で生きるために助け合う人間の知恵である。絶壁を登るときは、上から引き上げる、下から尻を押す、それもう一歩だ頑張れと声をかける。このような小さな一つ一つの行為が兵士の生死を分けた。食糧を捜すことを岩田さんは「エサ取り」というが、これも一人では出来ないことであった。背のうなどの装具を身に着けたまま食糧捜しは出来ない。監視しないまま置いておけばすぐに取られてしまう。そして装具を失うことは死を意味した。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。

 

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