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2017年9月30日 (土)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第76回

 

 彼は、その遺言から分かるようい、かねてから、軍司令官としての任務が終わり次第自決する覚悟を固めていた。短刀と毒薬を秘かに隠し持っていたが短刀は発見され、毒薬は効き目がなくなっていた。それでも彼の決意は固く、どこかで錆びたナイフを手に入れ隠し持ち時期が来るのを待っていたのである。

 

 次の文は、安達司令官の遺書の要点である。

 

「部下将兵が万難にかちて異常なる健闘に徹し、上司また全力を極めて支援を与えられしに拘らず、小官の不敏、能く其使命を全うし得ず、皇国今日の事態に立ち到る端緒を作り候こと、罪まことに万死も足らず、恐れ入り奉候。又、この作戦、三歳の間、十万に及ぶ青春有為なる陛下の赤子を喪い、而して其大部は栄養失調に基因する戦病死なることに想到する時、御上に対し奉り何と御詫びの言葉も無之候。

 

 小官は、皇国興廃の関頭に立ちて皇国全般作戦寄与の為には、何物をも犠牲として惜しまざるべきを常の道と信じ、打続く作戦に疲憊の極に達せる将兵に対し、更に人として堪え得る限度を遥かに超越せる克難健闘を要求致し候。之に対し黙々之を遂行し、力つきて花吹雪の如く散り行く若き将兵を眺むる時、君国の為とは申しながら其の断腸の思いは、唯、神のみぞ知ると存候。当時、小生の心中堅く誓いし処は、必ず之等若き将兵と運命を共にし南海の土となるべく、縦令、凱陣の場合といえどもかわらじとのことに有之候。(中略)今や諸般の残務も漸く一段階となり、小官の職責の大部を終了せるやに存ぜらるるにつき、此時機に予ねての志を実行致すことに決意仕候。小官の自決の如き、御上に対し奉る御詫びの一端ともならずと思う次第にて、唯唯純一無雑に陣没、殉国、並びに光部隊残留部下将兵に対する信と愛とに殉ぜんとするに外ならず候」(光部隊とは戦犯容疑者のこと)

 

この遺書は、解説の必要はなく、そのまま切々と読む人の心を打つ。終戦の直後、宮城前で腹を切った人があった。そのような興奮の中の自決と違って、終戦後2年も経ち、死刑にもならず、生きる道が確実にあるにもかかわらず、自分の責任を全うした上で自決したことは、私達の価値観からすれば信じがたいことである。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています

 

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2017年9月29日 (金)

人生意気に感ず「中国祝賀に安倍首相も。解散、烏合の衆の希望の党。一区は」

 

◇ホテルニューオータニは安倍首相も駆け付けて大変盛況だった。「中華人民共和国成立68周年及び日中国交正常化45周年祝賀」会である。会場入口には金属探知機が設置されるという物々しさ。程大使夫妻が一人一人を丁寧に迎えていた。大使館主催の大きな会にはよく出席するが、その時々の日中の関係が反映される。昨日は、入室時の雰囲気からも日中関係を重視する中国の姿勢が窺えた。

 

 安倍首相は「ワンシャンハオ(こんばんは)」で挨拶を始め、「解散が行われ、たった今渋谷で第一声をあげて来ました」と述べた。首相は日中関係の重要性を強調し、挨拶を終えると直ぐに去って行った。外では、この日行われた解散と共に未曽有な政治の激流が渦巻いていた。安倍首相に続いて、河野外相、二階幹事長等が登壇し、福田元総理が乾杯した。河野太郎外相が、感染症対策、環境、北朝鮮問題にも力を合わせたいと語っていたのが印象的であった。

 

◇この日、冒頭解散が行われ、一挙に選挙戦という状況となり、自民党は一次公認を行った。東京に向かう新幹線の中、私のケータイに「公認を頂いた、必死で頑張ります」という尾身朝子さんのメールが入った。

 

 今回の選挙はどうなるのか。最大の国難の中で、政治は機能不能に陥ろうとしている。新たな政権が誕生するまでの間、万一の事態が発生したらどうするのであろうか。

 

 小池知事の「希望の党」出現は何を意味するのか。民進党はこれに合流するというが、実質的には解党ではないか。希望の党には、極短期間に「烏合の衆」が集まる結果になるのか。都知事選に始まった小池旋風は発展に向かうのか、混乱の中で崩れていくのか。日本の運命が関わる歴史的瞬間が動き出した。

 

◇希望の党の細野環境相は、28日衆院選で200人以上を擁立することを明らかにした。「短期間に200人以上の選挙区候補者を出すのは相当高いハードルだが、自民党が希望かという選挙になるので目指していきたい」と語っている。政治は理念である。選挙を目前にして理念に基づいた政党が簡単に出来るものではない。国民は冷静な目で、マスコミに振り回されることなく候補者を観察しなければならない。

 

◇9期の佐田さんの政治活動を長く見てきただけに、公認に漏れてどうするのか注目される。(読者に感謝)

 

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2017年9月28日 (木)

小説「死の川を越えて」  第14話

 

「うーむ。聖書のことは分からねえが、世の光が気に入った。それに致しやしょう」

 

 椚田の胸には、万場老人のハンセン病患者の光という言葉が甦っていた。

 

 キリスト教の動きが活発になるにつれ、湯の川地区に良き師を招きたいという声が強くなった。それには、仏教側が時々名のある僧を招いていることへの対抗意識も手伝っていた。

 

そんな時、マーガレット・リー女史の話が伝えられた。イギリスの貴族の名門に繋がる出自で、社会の虐げられた人々の救済に一身を捧げ、神のようにあがめられているという。椚田は、この話を光塩会の中心人物である大沢襄から聞いた時、すかさず言った。

 

「その先生を湯之沢にお呼びしようではありませんか」

 

「来てくれれば、そんな素晴らしいことはないが、どうかなあ」

 

 大沢はため息をつくように言った。

 

「いちかばちかですぜ。我々の世界では丁か半かでやす。閃いた時は行けるもんです。もっともわしは今、足を洗いやしたがね。呼吸は心得ている。この話は勝ちそうな気がするんでさあ」

 

 大沢は賭博と聖書をいっしょにすることに戸惑った様子であったが、親分の勢いに押されて東京牛込の教会にリー女史を訪ねることになった。人々が計画を練っている時、椚田が突然顔を出して言った。

 

「この勝負、俺が振ったサイコロだ。中途半端じゃ念力は通じねえ。俺にお伴させておくんなせえ」

 

 人々は一瞬驚いたが、反対する理由は見当たらない。この集落の熱意と覚悟を案外伝えられるかもしれないということで話は決まった。

 

 東京の聖バルナバ教会では、リー女史と通訳でリーの日本語教師でもある井村祥子が待ち構えていた。

 

 大沢が来訪の目的を話した。大澤は、湯の川地区とハンセン病の患者に関する事実を詳しく話した。

 

リー女史は井村祥子が置き替える日本語にじっと耳を傾けた。椚原は異国の女性の白い肌、青い目、高い鼻筋に神秘的なものを感じ身を固くしていた。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2017年9月27日 (水)

人生意気に感ず「金正恩を支持する学生。国難突破選挙。小池は原発ゼロを。宣戦布告か」

 

◇25日、アジアの留学生に講義した時驚いたことがあった。北朝鮮の金正恩を狂気の独裁者として批判した時のこと。会場には多くの国の若者が100名近くいた。私の話に気になる反応を感じた。金正恩に賛成の人は手をあげて下さいというと一人の若者が高く手を上げたのだ。私は冷静に話を続けたが、深く考えさせられる材料であった。

 

◇世の中が俄然騒がしくなった。安倍首相は28日の臨時国会冒頭で衆院を解散する。総選挙は10月10日公示、22日開票である。

 

 首相は、民主主義の原点である選挙が北朝鮮の脅しによって左右されることがあってはならないと述べ、「国難突破解散」と命名した。また、「国民と共に国難を乗り越えるため国民の声をききたい」と語った。

 

 ミサイルが列島の上空を飛び、アメリカの戦略爆撃機や空母が北を目指す緊迫の中の総選挙である。従来の選挙と違って、考えて一票を投ずる人が増えるのではないか。政治家に対する不信は頂点に達した感がある。日本の運命を政治に託すかを問う選挙である。政治家には、国民の鋭い視線が注がれるに違いない。投票率と選挙の結果が見ものである。首相は、与党が過半数を取れなければ辞任すると覚悟を語った。

 

◇未曽有の国難の時の選挙に小池知事が新党「希望」の代表となり、150人もの新人を擁立するという。原発反対を掲げ、小泉元首相が賛意表明した。民進党はがたがたとなり、バッジが欲しいの一念の人がこの新党に集まろうとしている。ドタバタ劇で終わるのか、何か本物が生まれるのか。日本列島が一つの劇場と化し、その幕があけようとしている。

 

◇選挙は民主主義を支える柱である。今、民主主義は危機にあると思う。政治家と国民、この両者の質が低下すれば、民主主義は茶番劇となり衆愚政治に落ちる。マスコミが集中的に取材する選挙区に埼玉4区、群馬一区がある。劇場には天国と地獄があり、野次馬が登場する。民主主義の対極にある北朝鮮は日本の選挙をどう見ているのであろうか。

 

◇北朝鮮は「明白な宣戦布告」だと主張した。トランプが「北の先は長くない」とツイッターに投稿し、B・1爆撃機を北の沿岸に飛来させたことに対する対抗である。子どもの口喧嘩のような感もあるが、こういう状況から誤って不祥事が発生しかねない。日本の運命がかかっているのだ。(読者に感謝)

 

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2017年9月26日 (火)

小説「死の川を越えて」  第13話

 

 キリストの坊主の説教ということで好奇心も手伝って参加者は増えた。その中には子分を連れた太平の姿も時々あった。暫くして、説教が順調にいき始めたと思われた頃、米山司祭が太平を訪ねて来た。

 

「親分、困ったことが起きました」

 

「困ったこととは何だね」

 

「実は、宿屋組合が私たちの説教に反対で、松村さんで説教が出来なくなりました」

 

「それは一体どういうことだね」

 

 椚田は片腕をまくって身を乗り出した。米山は、組合が説教の目的を誤解していると語った。

 

この頃、各地のハンセン病患者を相手にする旅館が金のある患者を取り合っていた。米山司祭を派遣した熊本にはハンセン病患者が集まる拠点があったので、説教によって、そこへ客を引こうとしていると誤解されたのだ。

 

米山の訴えは椚田の義侠心に火をつけた。椚田は、松村屋で説教を始めるにつき自分に仁義を通した米山の窮状を見過ごすことは出来なかった。

 

 椚田は早速、力を尽くして米原のために伝道場を確保した。米山は喜んで説教に励んだ。それを見て椚田は伝道所を訪ねて言った。

 

「先生、何か看板を出した方がよかんべえ。ナンマイダの方は大層なものを出してやがる。負けちゃなんねえでがしょう」

 

「その通りです。遠慮していました。親分に言われて勇気百倍。考えます」

 

「それがいい。早い方がいい」

 

 米山はこう言われ、興奮した様子でどこかへ飛び出して行った。

 

翌朝のことである。米山は親分に言った。

 

「良い名前を考えました。光塩会です。聖書の言葉『地の塩、世の光』から思いつきました」

 

 米山の声は弾み瞳は輝いていた。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2017年9月25日 (月)

人生意気に感ず「近づく戦争の足音。首相の強硬演説。総選挙の大義」

 

◇23日(土)の「ふるさと未来塾」のテーマは「近づく戦争の足音」だった。40人以上が参加して充実した雰囲気だった。スクリーンには、初めにトランプと金正恩の写真。会場から「どっちもどっち」という声が上がった。私は1950年の朝鮮戦争から始めた。私は小学生であったが、新聞は上向きの矢印と下向きの矢印が、連日変化する戦局の状況を報じた。下向きの矢印に参加したのが毛沢東の中共軍であった。前年(1949)に毛沢東は中華人民共和国の建国を宣言した。新生の中共にとって朝鮮半島がアメリカの勢力下に入ることは許せなかったのだ。習近平の中共にとっても、北朝鮮が壊滅し、米と同盟を結ぶ韓国によって統一されることは最大の悪夢に違いない。

 

 中国が裏で北朝鮮を支援し続ける最大の理由はここにある。

 

 米国内に北の核を容認する世論が広がっていることを重大視しなければならない。もしそうなれば、韓国・日本の核武装論が台頭する。これこそ最大の悪夢である。この時局に憲法9条はこのような時代背景も踏まえて議論しなければならない。合わせて国連総会における安倍首相の演説についても触れた。

 

◇安倍首相の国連総会演説は北朝鮮に対する強い決意を日本を代表して示すものであった。多くの国民を拉致され、国土の上空を6回もミサイルを通過させた。平和国家日本が成し得る有効な手段は外交である。そして、外交として最も効果的な舞台は国連総会をおいて他にない。安倍首相は演説の大部分を北朝鮮に対する抗議に当てた。断固としたメッセージは全世界の国と人々の心に響いたに違いない。首相の強硬な姿勢を非難する声があるが、常識が通じる相手ではないのだ。

 

 日本がこの緊迫した情勢の下で弱腰であれば、アメリカとしても同盟の相手として不満を抱くに違いない。私は安倍首相の強い姿勢を支持したい。

 

◇総選挙は国民に信を問うものである。何について国民の信を問うか。民主主義は国民が政治を任せる仕組み。新たな事態が発生した場合、それについても国民が任せるかを問う必要があり、それが総選挙だ。現在、戦争が近づき、国難の時である。安倍首相の北に対する強い決意を国民が支持して政治を任せるかを問う必要がある。これが今回の総選挙の意義、つまり大義であると私は思う。与党が議席数を増やすか否かが信を得たか否かのメルクマールである。(読者に感謝)

 

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2017年9月24日 (日)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第75回

 

 人々はニューギニア戦の真実を知らされていない。また、厳しい戦争裁判が続いていたことも、安達二十三が死を決意しながら戦後の処理に当たっていたことも、遺族など日本国内の人々は知らなかったのである。

 

 安達司令官の下で参謀として働いた元陸軍少佐堀江正夫氏は。「鎮魂」-東部ニューギニア作戦の回顧―の中で、次のように語っている。なぜ第18軍が3年間にわたって団結を保持しながら筆舌に尽くし難い極限状態のもとで勇戦を続けることが出来たか、そこには安達司令官の優れた人格が大きな要素としてあったと。中でも、その比類ない忠誠心と部下に対する愛情をあげる。

 

 司令官は、降伏調印式に臨むとき、堀江参謀に言った。

 

「これからは、いろいろな不快なことがあっても腹を立ててはいけない。我慢するのだ。これからの軍の司令は全員を日本に帰すことなのだから」

 

 日本軍は全員、ウエワクの対岸のムシユ島に移されたが、安達司令官は将兵の食糧確保、健康の回復、戦犯調査への対応などに奔走した。そのような中で彼は戦没将兵の慰霊祭を提案し実行した。

 

 やがて、日本への帰還が実施されるようになると、安達二十三司令官は、帰還船が来るたびに帰還将兵を集め、かつての苦労に感謝する言葉を述べ、一人一人をねぎらうのだった。将兵の中には、司令官もいつの日にか、日本に帰る日を望んでいるのに違いないと想像する者も多かった。

 

 ラバウルで戦争裁判が始まり、戦犯が続々と引かれてゆく。安達司令官は、自分の責任であることを述べ多くの将兵の無罪を主張して全力を尽くした。敗れたとはいえ、主張すべきことは主張するという信念であった。そんため、東部ニューギニアの部隊には戦犯が割合少なかったという。

 

 それでも多くの将兵が刑に服した。10名が死刑となり、安達二十三も将兵に戦争犯罪を犯させた責任を問われて昭和22年4月無期禁固の判決を受ける。

 

 一般将兵の日本帰還は既に終わっていた。9月8日、ラバウルにおける戦犯裁判はすべて終わる。そして最後の容疑者8人が釈放され帰還が許されるという通知を受け取った翌日9月10日早朝、安達二十三は収容所の一室で軍服姿となり北の方日本に向かって端座し、錆びたナイフで割腹した上、自分の手で頸動脈をしめて命を絶った。57歳であった。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています

 

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2017年9月23日 (土)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第74回

 

 サラワケット山系の北側は絶壁ではなく、急な下り坂が連続していた。細い土人道が続き、部落が点在する。サラワケット山を越えたという感激が兵士に大きな力を与えていた。心の持ち方によって人間はかくも変わるものか。岩田さん達は、北側の斜面を一気に歩き通して、10月10日最終目的地キアリに達した。岩田さん達のグループは、石川見習い士官を除いて全員キアリに着くことができた。サラワケット山頂で煙にふさがれたあの岩田さんの目から感激の涙が頬を伝って流れる。その後、後続部隊も次々に到着。岩田さん達は落後者救護隊を編成して救済に当たった。

 

 世界の戦史の上でも稀な想像を絶するような徒歩による山越えは終わった。ラエ、キアリ間、直線距離にすればおよそ100キロだが、兵士達が歩いた距離は数百キロに及んだ。兵士達の懸命の努力にもかかわらず、ニューギニア戦における日本の敗色は益々濃くなっていった。

 

 戦友(とも)は散り命長らえ半世紀 

 

   浮かぶあの修羅瞼閉ずれば

 

 (岩田さんが戦後、ニューギニアの体験を振り返って詠んだ歌である)

 

 

 

(2)司令官 安達二十三の死

 

 

 

 ニューギニア作戦を指揮した第18軍司令官安達二十三の死に様は、凄絶を極めたニューギニア戦の中で、ほっとした安心感に似たものを与えてくれる。地獄の底を彷徨うような兵士の姿だけを見ると何ともやりきれないものを感じるが、ニューギニア戦が、立派な指導者の下で一丸となって祖国のために戦われたものだということを安達二十三の「自決」から幾分でも知ることが出来るからだ。そこで、この巡拝のしめくくりとして安達二十三の死を見詰めてみたい。

 

 終戦となり、生き残った兵士たちはムシユ島で暮らしていたが、昭和21年1月、待ちに待った日本帰還の船が島の沖合に姿を現した時、岩田さんたちの狂喜する様はとても筆舌に尽くし難いものだった。更に、船が日本に近づきその島陰が見えたとき、兵士たちは傷の痛みも忘れバンザイを叫び抱き合って喜んだ。浦賀に着くと埠頭は溢れんばかりの人で、重傷の人は担架で運ばれ、少しは歩ける負傷者は看護婦に助けられて上陸した。兵士たちは、病院やその他の施設に分かれて収容されたが、それぞれの場所は肉親を捜す人でごったがえしていた。面接会場は殺気立っていた。帰還した兵士があまりに少ないからだ。一つの町から2~30名を出征したのに帰ってきたのは2~3名とはどういうことかと人々は詰め寄った。また、指揮官である連隊長、大隊長、中隊長などが生還したのに息子や夫が帰って来ないのはなぜかと人々は苛立った。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています

 

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2017年9月22日 (金)

人生意気に感ず「メキシコ大地震は対岸の火。安倍首相とトランプ大統領の国連演説」

 

◇連続したメキシコの大地震の惨状は明日の日本の姿のようだ。今月7日、M8.1が起きたばかりなのに、19日M7.1が起き確認された死者は217人。がれきの下には取り残された人々が大勢いるらしい。メキシコ市は非常事態を宣言。軍も出動した。

 

 32年前の同じ9月19日にM8.0が起き、約1万人が死亡した。次は日本かと思った人は多いのではないか。日本は北朝鮮の脅威を抱える上に、東日本大地震の惨状から未だ立ち上がれない状態である。首都直下型、南海トラフの巨大地震は刻々と近づき、その兆候もある。戦争の足音と共に、大自然の不気味な足音がズシリズシリと近づいている。正に内憂外患の時。求められるのは国民の結束である。結束の中心は国会である。間もなく行われる解散は、この結束を高めることが出来るのか、新たな混乱を生むのか。息つまる瞬間が過ぎていく。

 

◇昨日21日、前橋カトリック教会で人生の同志に別れを告げた。教会で弔辞を読むのは初めてのこと。「あなたの人生は洗礼名フランシスコザビエルに恥じないものでした。あなたに頂いた鈴木貫太郎自伝の初版本には、印刷したような一分の乱れもない小さな字の書き込みが随所に見られます。その赤インクは貴方の几帳面な性格と熱い情熱を見事に物語っています」。弔辞の一節である。この人は私の「ふるさと未来塾」の熱心な塾生で、鈴木貫太郎はしばしば塾で取り上げていた。91歳、静かで熱い人生であった。

 

◇安倍首相の21日の演説は北朝鮮に対する日本の姿を全世界に示した。国連総会の場を最大限有効に利用した姿である。多くの国民を拉致され、国土の上を2度にわたってミサイルを通過させた。サムライ日本はどこへ行った。全世界はそう思っているだろう。国連で訴えることは、平和国家日本がとり得る最良の選択肢である。安倍首相の決意表明は全世界への意思表示であると同時に日本国民に対するものである。来る総選挙は首相の決意を国民に問うものである。

 

◇安倍演説の前日(19日)、トランプ大統領は国連総会で北朝鮮を激しく非難した。日米同盟の強さを世界に示したものである。安倍演説と合わせて大きな一本という感がある。トランプが「拉致」を取り上げ最大の人権侵害と発言した。拉致の行方が大変注目される。(読者に感謝)

 

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2017年9月21日 (木)

小説「死の川を越えて」  第12話

 

「へえ、よく分かる気がしやす。御座の湯は頼朝が入ったからこの名がついたというではねえですか。草津のこんな山奥に、源頼朝が来ていろいろ動いたということは、何か我々患者の運命と関係あるような気がいたしやす」

 

「そうじゃな。親分、わしも同感ですぞ。われら患者と結び付けて、頼朝を生かすということが、重要なことではないか。頼朝は神になった。この神を我々の心の芯に据えようとしたのが、開村の時の集落の人たちの心意気であり、意地なのだ。心の芯にするということは、患者同士が力を合わせ、生きる道を開くことじゃ。患者にとっての理想の村を目指すことじゃ。これは、ハンセンの患者にとって、希望の光を育てること。わしは、湯の川地区こそ、ハンセン病患者の光が発するところと信じておる」

 

「ちげえねえ。大きな意地にちげえねえ。ハンセン病患者の光とは大変なことだ。目の前が開けた気が致しやす。これからは、この湯之沢集落を生かすために力を尽くそうと思いやす。それが仁九郎の頼みに応えることですな」

 

 椚田太平は自分に言い聞かせるように大きく頷いた。

 

 その後、湯の川地区に新たな宗教の動きがあった。それは、九州のハンセン病院の院長、アンナ・リーが湯之沢にキリスト教を伝道しようとしたことである。

 

リーは司祭、米山完治を派遣し、米原は旅館、松村屋で説教を始めた。米原は、この動きを始めるにつき、ある人の勧めで椚田太平に話しを通すことにした。

 

「へえー、ヤソの坊さんが仁義を切りに来るとはおったまげたもんだ。ナンマイダの方は何も挨拶なしにいきなり奉加帳だ。お前の所も奉加帳を回すんかえ」

 

 太平は奉加帳を叩きつけた仁九郎のことを思い浮かべながら言った。

 

「いえ、私のところでは、そういうことはありません」

 

 米山は笑いながら言った。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2017年9月20日 (水)

人生意気に感ず「台風18号の警告とは。群馬の安全神話。金丸分校の写真展は。総選挙の意義」

 

◇台風18号の猛威はこれからの日本を暗示しているようだ。1時間に100ミリを超える雨、瞬間風速50m、街を呑み込むような黒い濁流。この世のものとは思えない光景である。

 

 これは決して例外的な台風現象ではないと思う。最近、温暖化による異常気象が常態化しているが、それと共に台風も異常化しているのであり、今後の台風は常に凶暴化することを覚悟しなければならないと思う。

 

 群馬は、今回も事無きを得た。私たちは「群馬は大丈夫」という安全神話に胡座をかいている。最近の異常気象、そして今回の台風は、この安全神話に対する天の警告である。昭和22年のキャサリン台風のような天災が迫っていると覚悟せねばならない。

 

◇強大な台風は必ず海で発生し北上して、沖縄九州を襲う。太古から日本の歴史はこの台風と共に時代を重ねてきた。日本が今備えなければならない自然の脅威は台風だけではない。巨大な火山、地震、津波も迫りつつある。地球に意志があって、様々な巨大災害を集中させているが如き感がある。

 

 72年前、私たちは敗戦の瓦礫の中から立ち上がった。あの戦後社会の原点を忘れようとしているのが今日の状況である。今日の天変地異を天の警告として受け止める謙虚さが今求められているのだ。

 

◇17日、芳賀地区金丸公民館で、昭和22年頃の写真展を見た。金丸分校時代の貴重な写真が展示されている。山本市長も熱心に見入っていた。私は総括的に次のような挨拶をした。

 

「これらの写真が貴重なのは、古いからではありません。戦後社会の原点、そして教育の原点を示しているからです。校舎も机も子供たちの衣服も貧しいけれど、瞳に活気があるではありませんか。心は豊かだったのです。今日の社会は物は豊かになりましたが、逆に心は貧しくなりました。私たちはこの写真から学ぶことが沢山あると思います」

 

 昭和22年、私は隣接する旧宮城の鼻毛石の小学校に入学し、ランプの生活を送ったことも付け加えた。私たちは豊かさと引きかえに貴重なものを失いつつある。

 

◇安倍首相は衆院解散を決断した。社会は俄かに選挙モードとなった。国難を乗り切る強いリーダーシップが求められる時だが、政治不信は頂点に達した感がある。国民の一票の役割は大きい。一票にこの国の未来を託す時である。(読者に感謝)

 

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2017年9月19日 (火)

小説「死の川を越えて」  第11話

 

「奴の死を見て親分などと言われていい気になっていたのが馬鹿らしくなってきやした」

 

 太平は頭をかきながら続ける。

 

「仁九郎は以前から神も仏もねえと言っていたが、死ぬ前に妙なことを言うんでさあ。人間というもんは死を受け入れると神や仏を感じるもんでしょうか。頼朝を祭った部落の白旗神社のことまで口にしやがった。普段、神も仏もねえと言っていた男の言葉にぐっと来るものがありやしてね。何か教えてもらいてえと思ってやってめえりやした」

 

「うーむ。仁九郎親分が白旗神社を口にしたとはのう。あれは湯の川地区開村にあたり、本村と交渉して、頼朝を祭ったお宮をわざわざ集落の西の入口に移し、白旗神社と名を付け、集落の氏神としたのじゃ。この白旗神社の建設を何と考えるか。わしは、この集落の決意を表したと見る。本村から分けて患者を追い出した差別と偏見に対する意地じゃ。仁九郎さんは、自分の中の意地を本物の意地と比べて突き動かされるものがあったのではなかろうか。意地に生きた男が最期につかんだ本物の意地を無駄にしてはなるまい」

 

 万場老人の目が鋭く光った。

 

「なるほど、ご老人。少し目の前が開けてきたような気がしますぜ。同じ意地にもちっちぇえ意地とでっけえ意地があるのが分かりやした」

 

「よくぞ申した。親分。源頼朝は、武士の世の中をつくった。武士は単に人殺しの集団ではない。乱れた世の中に平和と秩序をもたらす力であることを天下に示した。それこそ、天下に侍の原点、つまり侍の意地を示したのだ。その頼朝を集落の守り神に据えた、この集落の先人の意地を忘れてはなるまい。それは、我々ハンセン病の患者も人間であることを天下に示そうという意地なのだ。神も仏もない、その日その時がよければいいという生き方は源頼朝の意地に反するものとは思わんか」

 

 万場老人はきっぱりと言った。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2017年9月18日 (月)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第73回

 

 この山頂に一週間程後に到着した人たちの記録には、山頂はあちこちに氷が張った水たまりがあり、そこに首を突っ込んで死んでいる者や手榴弾や小銃で自決したと思われる者など、足の踏み場もないほどの遺体の群れがあり、地獄のようであったと記されている。全工程の中で、一番多くの犠牲者が出たのがこのあたりであった。

 

 戦後30年近く過ぎて、昭和48年9月、岩田さんたちはこのあたりで遺骨収集を行った。ヘリコプターでサラワケット山に着陸。防寒具を持参したが、30分位しか居られない程寒かった。それでも約30体の遺体を集めることが出来たという。岩田さんも既に50歳を過ぎているということもあるが、平和で豊かな日本の生活に慣れた身から振り返るとあの行軍の惨状は別世界の出来事であった。

 

 岩田さんは戦友に手を引かれ、手探りで崖を登り、また、藤蔓を伝って急斜面を下り、サラワケット山を越えていった。足手まといにならぬようにと必死で歩くが時々転んで岩角に頭をぶつけたりした。支えてくれる戦友の手が温かく頼もしく感じられる。この日の午後やっと回りがおぼろげに見えるようになり夕方近くになってはっきりと見えるようになった。

 

「よかったな」

 

 温かく声をかける戦友の笑顔を見て、岩田さんの頬に涙が流れた。不安の闇を抜け出して見るあたりの景色は美しかった。灌木の林を登り振り返ると無数の兵士の列が後ろに続いている。目の前の小高い丘に登ったとき、そこには息をのむ光景が広がっていた。見渡す限りふわふわと綿を敷き詰めたような雲海である。その下から夕陽が照らして、幻想的な世界が広がっている。一瞬、これは別世界かと疑うような景観である。赤く染まった雲海の下に、どっこまでも続く緑の山々を見下ろすことが出来た。遂にサラワケットを征したのだ。

 

「やったぞう」

 

 岩田さんたちは歓声を上げて抱き合った。

 

 

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています

 

 

 

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2017年9月17日 (日)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第72回

 

 岩田さんは上官の将校からたき火をしてくれと言われたが、まわりには枯れ枝など一本もない。仕方なく立木の枝を折ろうとすると、どの枝にも水を含んだ苔がびっしりと生えていて、とてもたき火の材料にはならない。やっと半ば埋もれた朽ち木を引き出し、乾いた部分を短剣でマッチの軸位に割ってやっと火をつける。やっと赤い小さな炎がチョロチョロと立ち上がり始めた。身をかがめ火の回りに身を寄せる岩田さん達の頭上を強い風が吹き抜ける。消えそうになる火に顔を近づけ、岩田さん達は懸命に吹いた。燃やす木がなくなると小銃の木の部分を外して燃やした。小さな焚火だけで寒さから身を守ることは出来ない。各自が持っている小さな天幕に二人一組となって身体を寄せ合い、一枚の天幕は千切って燃やした。寒さの中にいても睡魔が襲う。

 

「眠ったら死ぬぞ」

 

 声を掛け合い、身体をさすり合って夜が明けるのを待った。あたり一面、このような光景が繰り広げられていた。

 

 夜が明けて遥かな雲の下から赤い陽光が伸びてきた。岩田さんの回りから歓声が上がる。岩田さんの頬にも暖かい太陽の恵みが届いていた。人々は、太陽の光を差し伸ばされた神の手のように受け止めていたのである。

 

 実はこの時、岩田さんの身に大変なことが起きていた。太陽の方向に顔を向けてもぼーっと明るさを感じるだけで、岩田さんは太陽の姿を見ることが出来なかった。一晩中日に顔を近づけて煙の中で吹き続けたため、煙で目を痛められ、失明状態になっていたのである。溜まった水で顔を洗い、目をこすっても仲間の顔が見えない。こんな状態でまだ続くこれからの行進が危ぶまれた。

 

「目の見えない者はおいてゆけ」

 

 ある上官は言った。その時、一人の戦友が岩田さんの手を黙って強く握った。

 

「そんなことは、この俺がさせないぞ」

 

 手の温もりがこう伝えていた。夜が明けたときのあたりの光景は悲惨であった。銃を抱え得たまま凍死している者、天幕につつまれたまま石のようになっている者など多数の凍死者が出ていた。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年9月16日 (土)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第71回

 

馬の背のような稜線の上を歩いて、ツカワットを通過し、遂にアベンの部落にたどり着く。標高3,000メートルを越える所にある大きな土人部落であり、サラワケット山の頂上が目前にあった。あれを越えれば目的地に着けるぞ、兵士は励まし合ってアベンを出発する。ある者は銃を杖に、ある者は友の肩に支えられ、大地に粘りつく足を一歩一歩ひきはがすように幽鬼のような姿で歩いていた。2,200名の犠牲者の中で、このあたりからサラワケット頂上附近で倒れた者が一番多かった。戦後のオーストラリア軍やアメリカ軍の記録には、このあたりには手榴弾で自決したり、寒気と飢えで死んだ日本兵の死体が数え切れないほどあったと記されている。

 

 兵士は、ただ生きたいという執念で歩いていた。何も考えられないもうろうとした頭の奥には故郷の妻や肉親や山河が浮かぶ。それが生きたいという執念を生み、この執念が通常では考えられない力を身体のどこかから引き出していた。この執念のない者、あるいは、この執念が弱い者は倒れていった。人間は精神の生き物である。精神力が身体に隅々の細胞からわずかなエネルギーを絞り出し、それが極限の命を支えていた。横たわる死体は、俺を乗り越えて生きろ、俺のようになるなと訴えている。そして、サラワケットの頂上が頑張れ、もう少しだぞと声援を送っていた。

 

 9月14日にラエを出発し、2週間以上が過ぎていた。直線距離にすれば、それほどないところを言語に絶する難関に阻まれ、難行軍を続けてきた。30日の午後には最後の難所と思われる所を進んだ。これまでに、もっと難しい所はいくらもあったが、最後の力を振り絞って歩く兵士にとっては最大の難所であった。標高は既に4,000メートル位。富士山よりも高い所である。熱帯のジャングルを進んで来た兵士がいきなり、軽装のまま寒冷地に入り込んだようなもの。吹き荒ぶ風は身を切るように冷たい。先頭を行く工兵隊が張った命綱が要所要所にあり、それにすがって兵士は一歩一歩山頂を目指す。

 

 この日の夕方サラワケット山頂近くに到達、岩田さん達は露営することになった。あたりは湿地帯で、ところどころ水をたたえ小さな沼があり、低い灌木、青い苔、そしてシダの類が岩の間を埋めていた。日が没すると気温は零下になり、時間と共にますます寒くなる。夏の服装の兵士たちにとって、この寒さは今まで越えてきた断崖絶壁以上の難物だった。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。 

 

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2017年9月15日 (金)

人生意気に感ず「前橋のO157事件は。農業特区と実習生。農業改革の道は。北の石炭液化策」

 

 

◇前橋の文字が全国ニュースで踊る。O157による3歳女児の死亡である。前橋六供町のデリシャスで販売された惣菜を食べた女児である。女児が食べたのはタケノコの炒め物、エビの炒め物、天ぷら、きんぴらの4品。女児はO157による溶血性尿毒症症候群を発症して死亡した。

 

 食中毒が大きな社会問題になるには理由がある。日常生活の中で、命に直結する問題だからである。しかも、連日誰もが利用する食品店とあれば、その危険性は極めて大きい。

 

 北朝鮮のミサイルに対しては国家的な攻撃の対応が用意されているが、今回の事件のようなケースには食品衛生法に罰則が定められているだけである。一般市民の命を守るための食品業者の責任は極めて重い。

 

◇農業分野に於ける外国人活用に関し、県は「特区」を申請し、規制改革を図ろうとしている。外国人技能実習生は日本の農業及び関係する外国農業の発展にとり重要な役割を担っているが現状は規制が多く改革が求められてきた。私は県議会にいる時、この問題に関わってきたが、離れた地域間の複数の農家で働くことが許されない等の制約に直面したことがある。

 

 県の提案は、①平野部と中山間部の山地が連携した年間を通じた就労、②露地野菜地帯で5月~11月に集中的に働き、一時帰国を可能とする就労、③市町村域を超えて現場に出向く年間就労等を可能にしようとするもの。現状はこれらを実現することができない。

 

 技能実習生の制度は濫用の恐れもあり問題点を抱えているが、本来の意義は大きい。特に農業分野の役割は重要である。農業は人手不足である。また、改革が迫られ大きな可能性が秘められた分野でもある。日本が蓄積した技術とノウハウは世界に貢献できるものである。外国人実習生に優れた管理運営能力を身に付けさせ、帰国後の連携を強くすれば、県産農産物の販路拡大にもつながる。私は、群馬県日中友好協会会長としてもこの問題に強い関心を抱いている。

 

◇北朝鮮は石油の輸入を制限されても余り困らないとの専門家の指摘がある。北朝鮮は豊かな石炭産出国である。この石炭を液化して石油の代用にする技術を得ている可能性が極めて大きいという。トランプ大統領は北朝鮮を屈服できるか、北はどのように生き延びるのか。(読者に感謝)

 

 

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2017年9月14日 (木)

小説「死の川を越えて」  第10話

 

「おい、どこへ行く。早まっちゃなんねえ、待て」

 

 仁九郎は、その声に耳を貸そうとせず刀をつかんで飛び出した。大九郎は湯川の縁まで一気に走った。死の川は轟々と音を立てている。川面に先程殺した男の顔が映って見えた。大九郎は腹を露にし、柄をつま先で固定し切っ先をへその辺りに当て一気に体重をかけた。

 

「ぎえー」

 

 と叫ぶと、刀を引き抜き、今度は同じように切っ先を喉に向け、頭を振り下ろすように打ち付け体を乗せて、そのまま湯川に突き刺さるように落ち込んだ。仁九郎を飲み込んだ湯川は何事もなかったように、下流の暗い森の中へ流れ下っていた。

 

 仁九郎の壮絶な死を知った椚原は、暴風の後に取り残されたような気持であった。

 

〈野郎は何を言いたかったんだ。あいつらしくもねえ、神妙なことを言いやがったなあ。あいつが、神とか仏とか言ってもぴんと来ねえが、部落の守り神の白旗神社のことを言った時には、何か胸に来るものがあったぜ。真剣に考えてみなくちゃなるめえ。あいつの死を無駄にしちゃあなんねえ〉

 

太平はこう思って思案を巡らせるのであった。そして、〈そうだ〉と、思わず心に叫んだ。〈この湯之沢部落に変な学者がいて何でも知っているということだ。この爺にひとつ会ってみよう〉

 

 ある日、椚田は万場軍兵衛を訪ねた。

 

「おう、あなたが椚田親分ですか。珍客ですな。は、は、は」

 

 万場軍兵衛は、意外な客を笑顔で迎えた。太平は仁九郎の一件を話した。

 

「腹を切って、湯川に飛び込むとは向こう見ずにもほどがある。死の川が何かを訴えているようじゃ」

 

 昨夜の雨で水嵩を増した流れの音が高く響いていた。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2017年9月13日 (水)

人生意気に感ず「国連決議と北が振り上げた拳。シェルターと安中のトンネル。日本の核武装」

 

◇「断固拒否し、これまでに経験したことのない最大の苦痛を味わうことになる」と北朝鮮のジュネーブ国際機関大使は警告した。北朝鮮裁判決議を主導したアメリカに対する対応である。また北朝鮮の外務省は、11日制裁決議が採択されれば「最後の手段も辞さない」と表明していた。

 

 12日、これまでになく厳しい制裁決議が採択された。北朝鮮に対する原油輸出制限が含まれている点がポイントである。北は最大限の強い表現で抗議したが、この振り上げた拳をどう下ろすのか。北朝鮮はいわばプライドだけで食べているような国、事前の警告が無視されたことはプライドが傷つけられたことを意味する。振り上げた拳を何も出来ずに過ごせば、虚勢を証明することになる。何かをやらざるを得ない状況に自らを追い込んだ形となった。振り上げた拳の真下に日本がある。

 

◇北のミサイルに対する避難施設(シェルター)が現実の問題となった。緊急アラームが鳴っても逃げ込む所がないという声がよく聞かれる。ここで浮上したのが廃止されたトンネルである。旧JR信越線・横川―軽井沢間には上下線合わせて29本のトンネルがある。

 

 安中市と軽井沢町が貸出しの覚書を結んだ。トンネルは山の中にあり、堅固な自然のシェルターだ。しかし、このようなシェルターは極く一例に過ぎない。いざという時の避難所は早急に考えねばならない。

 

 県教委は市町村教委や県立学校に避難マニュアルの見直しや自治体と連携した学校での避難の推進などを求める通知を出す。これは全国的な緊急課題で、子供たちだけでなく一般市民も考えるべき問題である。

 

 私はシェルターの騒ぎの中で、70年前太平洋戦争下の防空壕を思い出す。あの時は主に焼夷弾から身を守るのが課題であったが、今度はミサイルであり、最悪の場合核を想像しなくてはならない。かつてのように庭先に穴を掘るわけにはいかないのだ。

 

◇北の脅威と共に、日本の核保有論がじわじわと頭をもたげようとしている。核保有を表立って表明すれば袋だたきになるから政治家は口にしないが、地下では蠢動している。万一核が打ち込まれるなら一挙に議論が表面化するだろう。正に平和憲法が試される時。平和憲法を広島、長崎、そして福島の原発事故と結びつけて考える時だ。(読者に感謝)

 

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2017年9月12日 (火)

小説「死の川を越えて」  第9話

 

 中林仁九郎は、倒れているお貞、頭をかち割られて血の海で息絶えている男の姿を見て我に返った。じっと惨状を見詰めていたが、やがて、血刀を引っ下げて何かを求めて走った。

 

走り込んだのは、湯之沢のもう一人の親分椚田太平の所であった。

 

「おう、何でえ、その格好は。何をしでかした」

 

「人を殺っちまった。俺も生きちゃいられねえ。お縄についてくくられるのは嫌だ。潔く自分でけりをつけるつもりだ。ついては兄弟、俺の最期の頼みを聞いてくれ」

 

「まあ、落ち着いて訳を聞こうじゃねえか」

 

「俺は憎い野郎の頭を叩き割って、血がどっとあふれ出るのを見て目が醒めた。人を殺してから醒めても遅いんだが、俺のドジだからしようがねえ。のたうちまわるのを見てな、ハンセン病患者を蛇や毛虫のように毛嫌いする世間と同じことを俺がやっちまったということに気付いたんだ。こん畜生と尻をまくって粋がってた自分が嫌になった」

 

「うーむ。どえれえことをやらかしたもんだが早まっちゃなんねえ。ところで俺に頼みとは何でえ」

 

「俺たちは侠客のはしくれのつもりで粋がってきたじゃねえか。おとこ気とは何だ。それは虫けらのように嫌われる俺たちも人間なんだと世間に見せつけてやりたい意地だと思う。それは俺たちハンセン病患者じゃなくちゃ分からねえ。糞坊さんどもがよう、ナンマイダー抜かしやがって、おためごかしに説教するなんざあ、我慢できなかった。そんなきれいごとで片付けられる問題かよ、馬鹿にしやがって。俺たちにゃ、神も仏もねえと思ってきた。しかしよう兄弟、今、人を殺してみて思うんだ。俺の中には、神様だか仏様だか知らねえが、そういうものが奥の方にあるような気がするんだ。そういうものと鬼だか蛇だかが一緒に棲んでいるに違いねえ。この鬼か蛇が殺っちまったんだ。俺も焼きが回ったか。抹香臭えことを言っちまった。まあ許してくれ、腹の中をきれえにしてえんだ。頼みてえのはよ、粋だけでは、この湯の川地区をよく出来ねえ、神でも仏でも、本物なら引き入れて生かしてもらいてえということだ。この集落には、頼朝を祭った白旗神社がある。今まで気にも止めなかったが、今あの白旗神社がやけに気になるんだ。集落の守り神だったんだなあ。俺の最期の気持ちはお前に頼んだ。この集落を良くしてもらいてえ。よろしく頼む。じゃあ、達者でな。あばよ」

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2017年9月11日 (月)

人生意気に感ず「長門から“死の川”にエール。メキシコの巨大地震と日本。北の脅威と核武装論」

 

◇9日、上毛新聞のひろばのコーナーに「死の川を越えてにエール」という投稿が載り驚いた。長門の地からエールを送りますと書く人は山口県長門市の極楽寺前住職の池信宏証さんである。この記事で池信さんは楫取素彦夫妻に関する資料を大河ドラマ「花燃ゆ」に関して提供したと書かれているが、極楽寺は楫取素彦夫婦と関係が深い。

 

 明治になって間もない頃、楫取夫婦は二条窪という地に引きこもって静かな生活を送ろうとした。妻寿子は小さい堂宇を建て毎月2回僧を招いて法座を開いた。極楽寺第17代住職蒙照も幾度かこの席に参加して法を説いた。極楽寺には寿子が書き送った和歌が残っている。私はかつて、この堂宇に入り寿子の姿を想像して心を打たれたことがある。その足で極楽寺を訪ね、池信宏証さんにお会いした。宏証さんとはそれ以来交流が続いている。

 

 池信宏証さんは「死の川を越えて」を毎回楽しみにして読み、「心ある人たちに愛読され、命を大切にする心の糧となることを切望して長門の地からエールを送ります」と書いている。私の小説はやがて終章の「人間回復の闘い」に入る。そこでは、国を相手の裁判の場面が展開する。目指すはいのちを大切にする心の糧である。池信さんのエールから大きな力を頂いた。

 

◇メキシコ巨大地震は何を物語るのか。M8・1の地震で少なくも死者は90人に達し、なお多くの人ががれきの下にいるらしい。生存率が急激に下がる三日目、「発生から72時間」を迎えた。被害が大きかった州では数千軒の家屋ががれきと化したと言われる。

 

 日本から遠く離れた地とはいえ、多くの人は日本との関係を心配しているに違いない。東日本大震災以降、地震の巣日本列島は長い眠りから醒める活動期に入ったと言われる。首都直下型、南海トラフ型と、「近い」「必ず来る」と言われ続けている。「狼が来る」の声に慣れた感があるだけに心配である。

 

◇今、日本列島に飛びかかろうとしている新たな「狼」は北朝鮮である。新たな核戦力に狂喜する市民の姿、そしてロボット軍団の行進するような兵士の光景が連日のように報道される。

 

 私は韓国を訪れ、休戦ライン近くの、北朝鮮が侵略用に掘った洞窟に入ったことがある。それは北朝鮮の本気度を不気味に物語っていた。韓国でも日本でも核保有論が台頭してきたことは重大だ。(読者に感謝)

 

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2017年9月10日 (日)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第70回

 

 

 

 高度が増すにつれ気温が低くなっていく。下痢で垂れ流しの兵士の中には、汚れたズボンを脱ぎ捨てて下半身裸で歩いている者もいる。兵士たちは、倒れている死体に適当な装具を見つければそれをはずして使った。

 

「仏さん、いただくぜ」

 

 と言って衣服を脱がそうとしたら

 

「まだ生きている、死んでからにしてくれ」

 

 と絶え絶えの声が聞こえた。私達が聞けば笑いも出そうな話であるが、正に地獄の一コマなのである。

 

 軍医と衛生兵から成る岩田さんのグループに石川という見習い士官がいた。医学校を出て、兵隊としての初歩的な訓練を何一つ受けないまま最悪の戦場に駆り出された人であった。撤 撤退開始から2、3日すると疲労を強く訴えるようになり、5、6日たつうちに疲労はその極みに達した感が見えた。目は虚ろになり、時々うずくまって眠ってしまう。岩田さんはその度に激励し叱咤した。

 

「あの山を越せば頂上は近い。どんなことがあっても生き抜くんだ」

 

 岩田さんの声も、石川見習士官の耳には届いていないようである。

 

「もういいです」

 

 見習士官は微かな声で言った。

 

 そして、ずり落ちたゲートルも自分で巻けなくなり、岩田さんが幾度も巻いてやることになり、遂に座り込んでどうしても動こうとしなくなった。隊は前進しなければならない。面倒を見るにも限界があった。

 

「見習士官と心中するわけにはいかない」

 

 誰かの声が聞こえた。遂に上官の判断が下された。見習士官を残して前進することになったのである。

 

「休んで体力を回復させて、後からついて来るんだ」

 

 岩田さんはそう言って、涙をのんで石川見習士官と別れた。後になって、見習士官が生還した話は聞かなかった。今でも、取り残されて木の下にぽつんと座り込んだ見習士官の姿が目に浮かぶという。

 

 

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。 

 

 

 

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2017年9月 9日 (土)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第69回

 

 山深く進むにつれ横たわる死体が増えていた。ラエからキアリまでの間で2,200人の兵士が死んだというのだから場所によっては正に死屍累々という状況であった。遺体をまたいで進む。初めは耐えられなかった死臭も今は感覚が半ば麻痺していた。死体が裂けて中から盛り上がった蛆があふれている。岩田さんは、これを「湯が煮え立つようだ」と表現した。別の人の戦記では「小指ほどもある大きな蛆が体じゅうを這いまわって」とあるが、熱帯の蛆は大きいのであろうか。歩いている兵士の怪我のところにポ、ポとうどん粉を振りかけたように小さな点が沢山見える。それはハエの卵であった。一見怪我もなく歩いている兵士でも背中にびっしりハエがたかるようになると不思議にその人の命は短かったという。

 

 一人一人の兵士が限界線上を生きているのと同様にそれぞれのグループもぎりぎりの状態で行進していた。助け合いもグループ内のことで、他をかえりみる余裕などなかった。あるグループが野豚をつかまえた。貴重なごちそうであった。たちまち解体し全てが食用となる。それを見た岩田さん達の仲間が内蔵の一部を分けてくれと申し込んだら断られたという。豚の内臓は、今日、私達の食卓にものるごちそうであるから、サラワケットの山中では宝物であったろう。岩田さん達は、近くを捜したら、親を失った子豚を捕まえることが出来た。

 

 山中を進むと所かまわず、糞の山でみじめな光景であった。中には、糞の中に顔を突っ込んで死んでいる兵士もいる。規律を守る兵士が何でそんな節度のないことをするのか。「マラリアで下痢をしている上、ほとんどの兵士がろくなものを食べていない。草や木の芽、木の根など繊維質のものをやたら食べるから、便ばかり出る。変なものを口に入れて、マラリアで腹をこわしている上にまた食中毒をする。道を一歩はずれて尻をまくればと思うが、道をはずれれば、尻を出したまま谷底にころげ落ちる危険がいっぱいなのです」

 

 岩田さんは笑いながら振り返った。

 

 

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。 

 

 

 

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2017年9月 8日 (金)

人生意気に感ず「9日の建国記念日に北は何を。朝鮮戦争の再開か。豊田氏の独占告白」

 

◇きな臭い状況が高まっている。戦争の足音が聞こえるようだ。9日は北朝鮮の建国記念日。北は国家の存在を最大限アピールする必要を感じているだろう。北朝鮮を支えるのは「先軍思想」、つまり軍事力優先思想である。だから建国記念日には建国を支える思想をピーアールしなくてはならない。北はそう確信しているに違いない。

 

 韓国首相は、9日に北朝鮮が大陸間弾道ミサイル(ICBM)を発射する予測を語った。韓国紙も米CNNテレビもICBMが移動させられていると報じた。

 

◇北朝鮮の暴走を抑えることが出来る最大の力は中国である。世界の期待が中国に集まっている。その期待に応えられるか。アメリカと対峙して世界に覇を唱えようとする中国のメンツがかかっている。北朝鮮の最近の動きは、中国が北朝鮮を抑えることが出来ないことを物語っている。中国はメンツを潰され続けているのだ。習近平主席に残された手段は石油の輸出を禁止することだ。その時、北はかつての日本と同じように窮極の暴走に出る可能性がある。それはアメリカが本格的な軍事行動に出る時でもある。アメリカの最前線は日本である。

 

 休戦されている朝鮮戦争の再開である。今回の大きな違いは北朝鮮が核とICBMを持っていること。日本は真っ先にその脅威に晒される。かつての朝鮮戦争は「特需」によって日本に復興のチャンスを与えた。それを基礎に積み上げた繁栄を一挙に覆す危機が目前に迫っている。

 

◇こんな、正に国難の時に政治家は何をしているのかと思わせる事件が次々に起きている。民進党が立て直しをかけている時、山尾元政調会長が既婚男性弁護士と都内のホテルに宿泊したという不倫疑惑が報じられている。

 

「このハゲ―」の暴言で日本中を最大級の地震並に揺すった豊田真由子氏の「独占告白」を文藝春秋最新号(10月号)で読んだ。元秘書が述べたとされる「週刊新潮」の報道には多くの事実と違う点があると「告白」は語る。真実はどこにあるのか分からない。微妙な事実は受け止め方でどうにもなる感じがする。唯ゲリラ豪雨のように報じられた「このハゲ―」の絶叫は国民の頭に刷り込まれてしまった。豊田氏は、国の為地元の為必死で働き続けると語るが次の選挙は容易なことでは勝てない。(読者に感謝)

 

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2017年9月 7日 (木)

小説「死の川を越えて」  第8話

 

「浄化だと。ふん、笑わせるねえ。手前らのナンマイダで、湯川の水が変わるもんか。俺たちには神も仏もねえんだ。説教所をつくって、訳の分からねえお題目を唱えるぐれえなら、俺たちのために金をつくる算段でもやれ」

 

 仁助はたんかを切って、回ってきた奉加帳を破り捨ててしまった。説教所設立を目指す人々は、仁助の存在が運動の妨げとなっていることを憂慮し、仁助の暴挙を器物損壊罪で告訴した。

 

そして仁助は地元の警察に留置されてしまった。留置されている仁助の下に子分がとんでもない情報をもたらした。

 

仁助にはお貞という愛人がいた。子分の知らせによれば、このお貞が、最近、都会からやってきた金持ちの患者の浴客といい仲になっているというのだ。

 

仁助は閉ざされた空間で妄想のとりこになった。お貞の白い肌と嬌声が大蛇のように彼を襲った。妄想は膨らんで、別の黒い大蛇が登場し、2匹は絡み合って一つになり仁助に迫った。

 

「ちきしょう、許さねえ。出たらたたき切ってやる」

 

 そう言って、仁助は壁に頭を打ち付けて叫んだ。

 

中林仁九郎は、数ヶ月で釈放された。その間、説教所の建設も進んでいた。

 

仁九郎にとって、この説教所も許せぬ存在であった。もとはと言えば、この計画のための奉加帳から、お貞の不実までの出来事が始まったのだ。 

 

ある春の日の早朝のことである。仁九郎は建設中の説教所に火を放った。火事は幸いに未遂に終わったが集落の騒ぎは大きかった。人々の騒ぐ声を後ろに聞きながら仁九郎は憎き2人の所へ走った。手には日本刀が握られていた。

 

子分に調べさせておいた宿の部屋に駆け込むと男女はまだ布団の中である。二筋の盛り上がった人の形が憤怒をかき立てた。

 

「やろう」

 

 叫んで布団を引きはがすと、肌を露わにしたお貞のしどけない姿が目に飛び込む。

 

「あれ、あんた」

 

「この、アマめ」

 

 身を起こそうとするお貞を仁九郎は激しく蹴った。お貞は壁に頭を打って気絶した。

 

「わあー、助けてくれ」

 

 男が叫んだ。男の丸い大きな顔が仁九郎には留置所で悩まされた大蛇に見えた。

 

「こん畜生」

 

 閃く日本刀が打ち下ろされると、頭は割れて鮮血が吹き出し、男は虚空をつかみ、もがきながら息絶えた。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

 

 

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2017年9月 5日 (火)

人生意気に感ず「日本の核保有論。北の水爆実験。外交力こそ。母の13回忌」

 

◇隣国の北朝鮮が核を持つだけでなく、それを実戦に使うことも辞さない状況は日本の安全保障にとって最大の課題である。ここで注目すべきことはアメリカの世論に日本核武装論が頭をもたげつつあることだ。アメリカのある有力な軍事専門家は「日本が自前の核を持てば、日本の核で中国の膨脹を阻止し、米軍が各地に駐屯しなくて済む」と主張する。

 

 核保有の議論は、日本国憲法の根幹に関わることである。広島、長崎という人類初の究極の地獄は被爆国日本しか分からない。日本国憲法の平和主義はこの体験を経て生まれたものだ。憲法を深く議論してこなかった日本では平和に関する理解も表面的である。それ故に世論も変化する恐れがある。政治家は頼りにならない。おしなべて憲法の理解が浅いからである。

 

◇9月3日、このようなことを懸念していた私の耳にとんでもないニュースが飛び込んだ。北朝鮮が6回目の核実験に踏み切ったというのだ。M6.1の地震波は自然の地震のものではない。間もなく政府は北の核実験によるものと断定した。そして、北朝鮮の国営テレビでは、例のごとく女講釈師のようなアナウンサーが誇らしげに「水爆実験成功」と報じた。

 

 トランプ及びプーチンと緊急に会談したと語る安倍首相の表情にも悲壮感が漂う。アメリカが北の攻撃に踏み切った時、北が日本を攻撃する可能性が極めて高い。もし東京にミサイルが落ちたら、日本中が大パニックに陥るだろう。オリンピックも吹き飛んでしまう。

 

 そういう事態を避けるために日本の舵とりの使命が試されている。その役割を担うべき政治家は余りに頼りない。私が心配するのはこの未曽有の危機に対し、理想を掲げる日本国憲法が耐えられるかということである。

 

◇今回の北朝鮮の核実験実施は、従来の国連制裁の無力さを物語る。北朝鮮と国交を持つ国は百数十か国に及び、中にはアメリカの世界戦略に不信と反感を抱く国は多いだろう。トランプ大統領の出現はこの傾向を強めているに違いない。日本の役割は極めて大きい。それを生かすのは外交力である。

 

◇3日、母の13回忌を無事に済ませた。浄土真宗の住職は、人間とは何かを語り私たち兄弟妹は心を洗われる思いで耳を傾けた。久しぶりで兄弟妹が語る話しには戦後70年の歴史が込められていた。天国の母の力を感じた。(読者に感謝)

 

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小説「死の川を越えて」  第7話

 

「娘さんを助けに来た。俺を信じて任せてくれ。事は急ぐ。身一つでいい。安全に暮らせる場所に連れていく」

 

「お、お前様はどちら様で、娘を一体どこへ」

 

「安全に暮らせる所としか言えねえ。詳しいことを知らねえのがお前さんのためだ。父っつあん、俺の目を見ろ。命がけで来た」

 

 しばらくやり取りがあった。その時である。襖が開いて、一人の小娘が進み出て両手を突いた。

 

「お父っつあん、陰で聞いていました。巡査に調べられたら、あたしは死のうと思っていました。このおじさんを信じます。救いの神様です。どうか、その安全な所へ連れていって下さい」

 

「おお、よくぞ言った。着たままでいい。死んだ気になれば怖いものはねえ。いいか父っあん、騒ぎになるだろうが、お前は何も知らねえんだぜ。そこに巡査が倒れている。誰かが押し入って娘を無理矢理連れて行ったことにしねえ。巡査はどこかの女衒だと思うだろう」

 

 母親も娘の側に座り、ぼうぜんとして事の成り行きを見ていた。

 

「お父っつあん、おっ母さん私は行きます」

 

「おさや」

 

 母と子は抱き合っている。

 

「落ち着いたら連絡をする。女衒でねえことは信じてくれ。今は、六蔵さんに頼まれた者とだけ言っておく。ではな」

 

 仁助は近くに繋いでいた馬を引き出してきた。日はとっぷり暮れていた。仁助と娘を乗せた馬が闇の中に消えていく。ひづめの音が小さくなっていった。

 

 湯の川地区では享楽の中で改善の動きが起き、宗教が登場する。博徒と宗教の結びつきは、湯の川地区であればこその展開を示した。

 

 その頃、湯の川地区では、真宗の説教所をつくる話が進んでいた。人々がまっとうな生活をするように導くといううわさであった。仁助はこの動きに反対であった。

 

〈坊さんどもに何が出来る。地獄の釜の中で生きる俺たちにとってばくちは苦しみを忘れるせめてもの慰めだ〉

 

彼はいつもこう思っていた。

 

 

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

 

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2017年9月 4日 (月)

人生意気に感ず「母の法要。議長祝賀、告別式と続いた。ランプの下の思い出」

 

◇昨日は母の13回忌の法要を行った。浄土宗の清光寺である。振り返ると母の死には改めて胸に迫るものがある。平成17年9月14日、満89歳。あと2カ月足らずで90歳であった。

 

 議長として南米へ出かけていた。母は死の床で私が帰るのを待ち、帰国直後に世を去った。

 

 慌ただしい日が続いた。16日通夜、17日議長就任祝賀会、18日告別式であった。議長祝賀は前から決まっていた。延長すべきか迷ったが決行した。母の棺には「りんごの歌」のCDと私の書「望郷の叫び」を入れた。

 

 りんごの歌は苦しかった宮城村の開墾時代、母がよく口ずさんだ歌である。告別式ではアイバンクから感謝状が贈られ「お陰で2人の人が目に光をもらうことができます」と紹介された。世の中のためという思いを持ち続けた母は、アイバンクに登録し「死んだら私の目を役立てるんだから必ずバンクに連絡しておくれ」と言っていたのである。亡くなった朝、群大病院の眼科の人が私の連絡で駆け付け、母の目を取り出して行った。後に厚生労働大臣の感謝状が届いた。母が人生で得た輝かしい勲章であった。

 

◇法要に当たり改めて在りし日の母の姿が甦る。母の生き様は私の人生の原点でもあった。貧しい混乱の時代を正直に必死で生きた。教育のことは語らなかったがその生きる姿が4人の子どもには最大の教えであった。

 

 小学生の頃、学校から借りてきた本を母と2人でよく読んだ。石油ランプの下で、代わる代わる声を出して、「アイバンホー物語」を読み、読み終えた時一番鶏の声を聞いたことが昨日のことのように思い出される。

 

 私のすることに反対したことのない母であった。夜間高校から東大受験を決意したときも「そうかい」と言って反対しなかった。私は母の期待を裏切ってはならないと思って頑張った。7期の県議生活を引退して別の世界で頑張っていることを仏壇に報告した。「そうかい」という声が聞こえてくるようだ。

 

◇もうすぐ私は77歳になる。根性と身体をもらった母に感謝している。先日、文京町の小さな靴屋から新しい運動靴を買った。古い運動靴が擦り切れかかとがはがれてしまった。11月3日、新調の靴でぐんまマラソンの10キロを走る。昨年のマラソン以来、一日も欠かさず朝走っている。母も応援しているだろう。(読者に感謝)

 

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2017年9月 3日 (日)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第68回

 

 岸壁を上り詰めるとそこからは馬の背のような尾根が続く。人一人がやっと歩ける細さである。前かがみに小用をたしていた兵士がぐずぐずと頭から谷底へ落ちてゆく。助けようとして近づく者もいない。道に横たわる兵士の中には既に息絶えている者もいる。兵士は維持分のことだけで精一杯で、死体を踏み越えて黙々と進む。

 

 出発して10日程が過ぎていた。小高い丘にあるケメンという部落に落ち着く。10数戸の住家であるが原住民はいない。標高も1500メートルを越していた。そこから、ラエの方向が一望できる。流れる雲の間に光る海が見えた。足下に今越えてきたジャングルが静かに広がっている。その下で兵士たちの生死をかけた死闘が繰り広げられているのが嘘のようだ。振り返ると、行く手の高い山に進んでゆく傷ついた兵士達が見える。いよいよあの山を越えるのだ。岩田さんは遥かな前方の雲に巻かれてそびえるサラワケット山を目指して仲間と共に歩き出した。

 

 ここらあたりで、食糧が極度に不足してきた。兵士たちは、食べられる草や木の根、キノコを見つけて食べ、また野豚や蛇を捜した。道は更に険しさを増していた。目で見ると近くにあるサラワケットの間にはまだまだいくつもの谷や断崖があった。人々は、難攻不落の途方もなく巨大な城塞に挑む無力な兵士の姿に似ていた。

 

 時々、グループから取り残された兵士が見えた。団体行動からはずれることは死を意味する。なぜなら、助け合い、励まし合うことも出来ず、苛酷な山野に一人で挑戦しなければならないからだ。行進の間に自然に5人から8人位のグループが出来て、一団となって進むのが通常であった。極限の状態で生きるために助け合う人間の知恵である。絶壁を登るときは、上から引き上げる、下から尻を押す、それもう一歩だ頑張れと声をかける。このような小さな一つ一つの行為が兵士の生死を分けた。食糧を捜すことを岩田さんは「エサ取り」というが、これも一人では出来ないことであった。背のうなどの装具を身に着けたまま食糧捜しは出来ない。監視しないまま置いておけばすぐに取られてしまう。そして装具を失うことは死を意味した。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。

 

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2017年9月 2日 (土)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第67回

 

 ブス川までの間に既にかなりの落後者が出ていた。杖をついたり、他の兵士の肩を借りたりの負傷者も多いが、それ以上にほとんどの者が程度の差はあれマラリアにかかっていた。衰えた体力で噂にきく峻険サラワケットを越えることが出来るか将兵の胸には皆不安があった。しかし、不安がいくら大きくても進むより他に選択肢はない。そして、ここは戦場なのだ。当面の敵はアメリカ兵ではない。急流であり沼地であり険しい山岳であった。そして何よりも自分自身との闘いであった。

 

 兵士は、ブス川を渡って沢伝いに歩く。湿地帯を過ぎると猫も通過できないと思われるほど隙間なく竹が密生する地帯に出た。工兵隊がたちまち竹を切って細い通路をつくる。竹のトンネルは昼でも薄暗い。進むにしたがって困難は増した。急な斜面を下りて渓谷に出る。深い谷の奥に入って、今度は木の根や小枝にすがって絶壁を登る。足を滑らせて滝に落ちる者もいる。崖から落ち滝にはまった者はまず助からなかった。たとえ命はあってもそこからよじ登るだけの余力は身体のどこにも残っていなかったのである。

 

 出発から既に一週間以上が過ぎていた。食糧が乏しくなってきて、「食い延し」の指令が出た。当初の予定よりぐっと減って、一日一合5勺(約214グラム)。いよいよ兵士の食糧事情は深刻になってきた。谷から出て、急な斜面を登り、上まで行けずに日が暮れて急斜面で露営する。岩田さん達は滑り落ちそうになる身体を木に結んで一夜を過ごした。うとうとしたが深く眠ることは出来ないまま夜が明けた。

 

 時々、山の陰の台地の上に土人部落があり、小さな畑があった。現地人は戦乱に巻き込まれるのを恐れて姿を消していた。畑には芋などが僅かに残っていることもある。兵士たちは土に手を突っ込んで細い小さな芋を捜して食べた。先行部隊がこのようにして通過してゆくので、後続の部隊が入っても食べるものは全くなかった。

 

 岩田さん達は次第により険しい山岳に入っていった。獣道のような細い土人道が急斜面を上に伸び、そこをやっと登り詰めると今度は谷底へ向かって落ち込むように続く。頂上から前方を見ると、遥かな絶壁に一筋の糸が垂れているように見える。目を凝らすと、蟻のように無数の兵士が網にとりすがってよじ登っている姿であった。絶壁に近づくと頭の上にかぶさるかのようにそそり立っている。この絶壁の急角度を見ただけで戦意を喪失する者も多い。決死の工兵隊が足をかける窪みをつくり、藤蔓や麻縄を岸壁に打ち付け最大限の工夫をしていた。それでもやっと辿り着く兵士にとっては命がけで、諦めてうずくまる者も多かった。マラリアのひどい下痢のため衰弱しきって骨と皮なかりの身体で岸壁に必死ですがりつき途方に暮れている姿もあった。

 

 

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。 

 

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2017年9月 1日 (金)

人生意気に感ず「県立女子大の学長選に参加して。有頂天の金正恩と日本人の覚悟」

 

◇8月30日、県立女子大の学長選挙に評議員として参加。小林良江教授が次期学長候補に選任された。翌31日、早くも新聞に報じられた。学内から学長候補推薦書が出されたのは2名。国文学科教授の杉本優氏と国際コミュニケーション学部教授の小林良江氏である。

 

 10名の評議員が投票した。投票については、両氏がそれぞれ10分間抱負等を述べ、それに関して評議員から質問がなされた。選考規定により投票の過半数をもって当選者とする、過半数が得られない時は決戦投票を行うことになっていた。単記無記名で投票し、第一回で圧倒的多数で小林氏が当選。初の女性学長が誕生することになる。

 

 小林氏が語った抱負の中で「次世代を担う女性リーダーを育成する」と決意を述べた点が注目された。県立女子大は全国で二つ。群馬の県立女子大は県会議員が頑張って創立した。特に、文学部を設けたことに見識が窺われるのである。とかく、実利に重点を置きたがる風潮の中で、人間理解の教養を目的とする文学部の役割は大きい。私は大学に長く関わってきたが堅実な歴史を重ねて今日に至っている。初の女性学長の下で新時代を支える真の「かかあ天下」を育成して欲しい。

 

 退任する濱口学長は品格のある優れた漢学者で堅実な女子学生を指導するにふさわしい人物であった。

 

◇北朝鮮は今後も太平洋に向けた弾道ミサイル発射を続けると表明。日本越えが常態化したら日本はどう対応するのか。直接的対応は難しい。その時、日本人の心理に及ぼす影響力は重大である。頭上をミサイルで脅かされながら何も出来ないとなった時、諦めの心理が支配的になる恐れが生ずると共に過激な議論が台頭するに違いない。

 

 日米安保は機能するのか。アメリカは余りにも離れている。脅威の受け止め方がアメリカと日本では全く違う。アメリカはいざという時、頼りになるかという議論の根底にはこの問題がある。金正恩のミサイル発射を喜ぶ笑顔は有頂天になっていることを物語る。幼稚で凶暴な不良少年が大変な凶器を手に入れたのだ。国際社会が無力と分かった時、何をするのか。日本はかつてない国難に立たされている。今、最も重要なことは日本人一人一人の心である。日本人が試されている。政治不信は頂点であるが、それを生み出しているのは国民でもあるのだ。(読者に感謝)

 

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