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2017年8月17日 (木)

小説「死の川を越えて」 2

 

「ありがとうございます。仲間もきっと喜ぶでしょう。俺だけで聴くのはもったいないのですが、今日は仲間に伝える手土産にもと少し聴きたいのですが」

 

正助の瞳が輝き、頬が紅潮している。

 

「その通りじゃな。わしもお前に会って、この胸が熱くなった。少し話したいと思うぞ」

 

万場老人は手を伸ばし、薪をとって炉にくべた。秋の夕日は釣瓶落とし。早くも窓外には夕闇が迫っていた。静けさの中に湯川の音が急に高くなったように聞こえている。

 

「この湯川を見よ。死の川と言われるが、われらの仲間と思えるではないか。命の存在を許さぬ姿は、娑婆への怒りだ。この川から力をもらうか否かは、われらの心にある。草津の街は、この川に尿も、ごみも、梅毒の綿も、一切の汚物を投げ込んでいる。われわれもこの谷に投げ込まれる不要物だというのか。いや、違う。われわれは人間なのだ。汚物ではないぞ」

 

万場老人は言葉を切って、じっと正助を見詰めた。その目は怒りに燃えているようである。

 

正助は万場老人の黒い土を塗ったような顔の割れ目から希望の芽が吹き出るような熱いものを感じ、次の言葉を待った。

 

「無知が差別と偏見を生む。だから無知を乗り越えねばならない。この集落には希望の芽がある。それを知ることで、われわれは無知を乗り越える勇気を得るだろう。振り返れば、差別と偏見の犠牲は大変なものだ。この湯川の流れの先に、投げ捨ての谷があることを知っていよう。昔、生きられぬハンセン病の者を生きたまま投げ捨てたという。この集落の開村は明治20年。そこまでにいろいろあった。その歴史を知ることが第一じゃ。それにこの集落には、世界広しと言えど恐らく例のないハンセン病の者にとっての光がある。それをぜひ話したい」

 

「えっ。ハンセン病の光とは」

 

正助が声を上げて姿勢を正した時である。

 

「こんばんは」

 

若い女の声がした。

 

「ああ、こずえか。入るがよい」

 

万場老人の声と同時に戸が開いて女が姿を現した。

 

「まあ、お客さま」

 

驚いて会釈する顔がはっとする程美しい。女の美しさは、この家の状況と場違いの故か一層際立って見えた。正助は驚きながらも、これが老人を訪ねるうわさの女に違いないと思った。

 

「これはわしの縁者でふもとの里の者じゃ。こずえ、この若者は集落の者で、今日は勉強に来ている。感心なのじゃ。茶でも入れてくれぬか」

 

「まあ、ご隠居様。早速に」

 

こずえと呼ばれた女の視線を受け、正助はどぎまぎした様子である。正助は出されたお茶を飲み、菓子を食べた。こずえは万場老人の側に膝をそろえて座っている。

 

万場老人はいろりに薪をくべながら語り始めた。

 

「ハンセン病の患者は、浴客が増える中で湯の里の発展の妨げになるからと、中央部から追われるようにして湯の川地区に移ることになった。患者を分けてこの地区に移すという計画を知った時、患者は徒党を組んで役場に押しかけ激しく抗議した。事もあろうに、汚物や死体も捨てるこの湯川の縁に移るというのだから当然じゃ。患者たちの怒りと不安、情けなさは同病のわれらでなければ分からぬことだ」

 

 

 

 

 

※毎週火・水は、私の小説「死の川を越えて」を連載します。

 

しばらくの間、通常のブログは月・水・金の更新となります。連載中の小説の執筆に時間を使わなければという危機感に迫られて決断しました。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

 

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