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2017年8月19日 (土)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第64回

 

 ダンピール海峡の出来事は昭和18年3月始めのこと。この年、ラエ、サラモア方面の戦況はますます深刻化し、ラエ撤退が始まったのはこの年9月4日のことであった。

 

 撤退にあたり重傷病者のことが問題であった。一時は玉砕を決行するという状況下で毒殺命令が下された人々である。方針が変わって撤退となったが、再び毒殺命令が下されることはなかった。海岸には「大発」と称する船艇が三隻残っていた。沈めて撤退するという考えもあったが、患者輸送のために使おうということになり、岩田さんは動けぬ重症者を担架で船艇まで何回も運んだ。敵の爆撃が激しさを増す中で、撤退の時は迫っていた。担架で運べる者は限られている。這って脱出しようとする者が、岩田さんに手を合わせて哀願した。

 

「担架で運んでください」

 

「這える者は這っていくのだ」

 

 岩田さんは心を鬼にしてそう答えるしかなかった。

 

 船艇に運ばれた患者たちも救出される保証はなかった。敵に発見されれば撃沈され、海に投げ出された日本兵は皆殺しにされるのであった。ダンピール海峡の時、波間に漂う日本兵が機銃掃射されてその上に執拗に狙い撃ちされたように、どこでも悲惨な目に遭うのが通常であった。敵は重症患者であろうと容赦せず、海上の日本兵を小銃やピストルで撃ち殺したという。岩田さんは毒殺を免れた兵士が敵に発見されずに脱出することを祈った。

 

 余談となるが、ダンピール海峡などで、海に漂う日本兵を機銃掃射で殺したことが、戦後オーストラリアの国会で問題とされ、その事が日本のテレビでも放映された。

 

 出発にあたり、携行する食糧は十日分という指示で、各々、精米、乾パン、乾燥野菜などを用意して出発。最初の予定では、一週間か十日位で目的を達成する筈であった。ところが出発したその日から事態は更に厳しくなった。敵機の激しい攻撃が続き、行く手には敵の部隊が待ち受けているとか、いろいろな情報が伝わり、とても予定通りには進まないだろうということになった。岩田さん達は上官から、野戦病院に戻って不足が予想される食糧を確保してくるようにという命令を受ける。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。 

 

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