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2017年8月13日 (日)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第63回

 

1、魔の山サワラケットを越えて

 

 

 

 ここで紹介するのは、岩田亀作さんに取材し語っていただいたことと、ニューギニア戦の若干の資料をもとに私が描く世界である。

 

 ニューギニアの戦跡を巡って私が深く感じたこと、つまりこの戦争の事実を21世紀のこの時点で少しでも人々の伝えなければという思いを岩田亀作さんは私以上に強烈に抱いていた。毎年小学生にニューギニアの体験を語る岩田さんの姿に、それはよく現れている。話を聞いた多くの小学生が驚きと感動を寄せているのが、サラワケット越えの場面である。人間はなぜあれまでにしなければならなかったのか、そしてなぜあそこまで出来たのかという驚きが小さな胸にストレートに伝わるのであろう。

 

 サラワケット越えの話は、巡拝記で書いた「ラエ」のことにつながる。岩田亀作さんは、

ラエの野戦病院で重傷病者の毒殺を命ぜられて実行しなかったが、あの事実は日本軍がいかに追い詰められていたかを示すものである。あの後、ラエの師団は玉砕の決意を固めていたが上部の命令によって撤退することになった。海と東西を包囲されて、残る方法は後方のサラワケット山系を越える他なかったのである。当時は撤退という言葉は使わず、転進であった。ラエに於ける全滅を避け、北岸のキアリに兵を写して新たな作戦を立てることを狙ったのである。 

 

 サラワケット山系は、4,200メートルのサラワケット山を中心に東西に連なる山々である。湿地、ジャングル、深い谷、そして断崖絶壁が待ち受ける中を約8,000の将兵が踏み入れ、その中役2,200名が犠牲になった。

 

 

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。 

 

 

 

 

 

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