« 小説「死の川を越えて」 1 | トップページ | 小説「死の川を越えて」 2 »

2017年8月16日 (水)

人生意気に感ず「日本を救った総理鈴木貫太郎。桃井小学校の碑」

 

◇終戦記念日を迎えるたびに特筆すべき首相として鈴木貫太郎を思い出す。特筆すべき点は二つある。一つは日本を壊滅の瀬戸際から救ったこと、二つには群馬出身の総理大臣というに値する点である。

 

 鈴木が首相になったのは昭和20年4月7日のこと。組閣当夜のラジオ放送で「国民よ我が屍を越えて行け」と語る。これには、殺されることを覚悟で、機を見て終戦に導く決意が込められていた。

 

 鈴木が言う「機を見て」の「機」はポツダム宣言受諾の可否を決める御前会議の時に訪れた。会議は真っ二つに分かれ議論は尽きなかった。ここで、戦略家としての鈴木の一世一代の行動が示される。「かくなる上は、御前の意を窺ってそれにより結論としたい」と述べ、議論をさせる余地なく天皇の意見を求めた。天皇は応じて明確に終戦の意志を示した。待従長の回顧によればすすり泣く声が聞こえたという。阿南陸相などは天皇に取りすがらんばかりに号泣したと言われる。

 

 なお、これは天皇が憲法上の原則を破って最重要な政治決断を下した例である。この時、既に広島と長崎に原爆投下がなされていた。かくして8月14日ポツダム宣言の受諾がなされ、8月15日天皇は終戦の詔書を放送した。いわゆる玉音放送である。

 

 当時、本土決戦論がなお盛んであった。その人たちの多くは地獄のような原爆の惨状の実態を知らなかったのではないか。戦で大切なことは幕引きの決断である。鈴木貫太郎は正に日本を救った総理大臣といえる。

 

◇第二の点は故郷の偉人の認識評価という点で重要。私は県会議員の時、鈴木貫太郎を群馬の総理大臣として顕彰すべきと主張したことがある。前橋市立桃井小学校、前橋中学(現前高)を経て海軍兵学校に進んだ。鈴木の少年時代はその人間形成の場であった。自伝を読むと桃井小学校に通う道すがら父から「怒るのは自分の根性が足りないから」と短気を戒められたことが一生のものとなったとある。桃井小学校の庭には「正直に腹をたてずに弛まず励め」を刻んだ碑が立てられている。千葉県で生まれた人であるが、群馬出身の総理というに値する人物を群馬の教育界はもっと重視すべきだ。終戦を決めた出来事は、歴史を知る上で極めて重要。終戦記念日は歴史を見詰める日としなければ教訓を引き出すことは出来ない。(読者に感謝)

 

|

« 小説「死の川を越えて」 1 | トップページ | 小説「死の川を越えて」 2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人生意気に感ず「日本を救った総理鈴木貫太郎。桃井小学校の碑」:

« 小説「死の川を越えて」 1 | トップページ | 小説「死の川を越えて」 2 »