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2017年8月28日 (月)

人生意気に感ず「ふるさと塾で戦争と平和を。戦争の足音。ネパールの留学生の不幸な死」

 

◇今月の「ふるさと塾」は、会場の都合で昨日日曜日であった。8月ということもあり、テーマは「戦争と平和」。中味のある授業であった。冒頭、私は次のように述べた。「戦後72年、太平洋戦争を知る人が少なくなる中で戦争の足音が近づいてきた。戦争を知る人が体験を語る必要がある。今日は戦争体験者としてあの戦争を振り返ります」

 

 私が生まれたのは昭和15年10月30日。この年、「ドイツに乗り遅れるな」の時流の中で三国同盟が結ばれ、前年第二次世界大戦、翌年太平洋戦争と正に戦争の激流の中で私は生を受けた。

 

 4歳で前橋大空襲の炎の中を逃げ、そして終戦を迎えた。同年生まれのK氏は、前橋大空襲の夜、富士見が昼のように明るかったことを、同じく同年生まれのS氏は「玉音放送」の時の回りの人々の興奮ぶりをよく覚えていることを証言した。

 

 ◇私の話は、原爆製造、サイパン放送、憲法制定にまで及んだ。アメリカは膨大な国家予算(当時20億ドル、当時の日本のGNPは78億ドル)をかけてマンハッタン計画を進め、7月16日には原爆実験に成功。同年7月26日には早くも太平洋のテニアン島に運び込まれた。

 

 サイパンが陥ち、サイパン放送が日本に届くようになる。デマ放送と言われ、聴くことを厳禁されていたこの放送は真実を伝えていたのだ。ヒトラーの自殺を知らせ、「遅くならないうちに」と原爆投下を暗に予告していた。

 

 憲法は、制定の過程を簡潔に語った。実質的に押し付けられたものであるとしても、問題は中味の良し悪しである。中味のうち、特に人権を保障する部分は素晴らしいものである。

 

 しかし、9条には特別の問題点がある。現実との乖離は著しいが、戦争抑止力を期待してそのままにしておくか、時勢に対応して変えるべきか。最近、北朝鮮の脅威を反映して世論が変化し始めた。政治家は見識と覚悟をもって国民に対応すべきだが政治不信が渦巻いている。

 

◇昨日、京都から来たお茶の会の宗匠とテルサで会食した。この人は、72年前京都に原爆が落とされる危機があったと語っていた。米陸軍の中枢には京都に固執する勢力があった。京都に落とせば民族の怨みをかうと強く反対した親日派によって京は救われた。

 

◇ニホンアカデミーの女子留学生アニタさんが不幸な死を遂げ昨日葬儀が。哀れだった。(読者に感謝)

 

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