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2017年8月31日 (木)

小説「死の川を越えて」  第6話

 

仁助が湯の川地区から姿を消して数日が過ぎたある日、馬を引いた仁助が福島県の山村の一軒の農家に近づいた。秋の日は既に西の尾根にかかり、農家を囲む森が長い影を落としていた。仁助がわら屋根の農家に近づいた時、彼の前に進み出た人影があった。

 

「こら、どこへ行く」

 

「どこへ行こうと勝手ではねえですかい」 

 

どすのきいた声と鋭い眼光に驚いた様子の男は、これが見えぬかとばかりに腰に下げたサーベルを動かした。

 

「へえ、管区さんかね。そんなものをちらつかしたって、びくつく俺様じゃねえ、それに何も悪いことはしちゃいねえ。弱い者いじめの管区さんが何の用でえ」

 

「怪しいヤツだ。ちょっと署まで来い」

 

 巡査はそう言って仁助の腕をつかもうとした。

 

「何をするんでい。冗談じゃねえ。俺たち虫けらにも意地があるんですぜ。ちょっとおとなしくしてもらおうじゃねえか。えいっ」

 

 仁助の口から裂帛の気合いが漏れたと思うと、当て身をくらって巡査は崩れ落ちていた。

 

「ざまあみやがれ」

 

 仁助はつぶやいて巡査に猿ぐつわを噛ませ縄で縛り、側の納屋に引きずり込んでしまった。あっという間の出来事だった。

 

 仁助はつかつかと農家に入っていった。外の争いを感じてか、中は異様な空気で満ちていた。仁助は言った。

 

「あんたがこの家の主ですかい。大変なことになっているそうですな。ある男から聞きました。六蔵と言えば分かると言っていた」

 

「おお、六さんが」

 

 主人は怯えた表情で後ずさった。

 

 

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載します。

 

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2017年8月30日 (水)

人生意気に感ず「すわ、戦争か。狂気の独裁の恐怖。それでも平和ぼけ。栃木の女児殺害事件に動き」

 

◇昨日のJアラート(全国瞬時警報システム)には本当に驚いた。午前5時57分、ケータイが一斉に鳴り、テレビが全て緊急ニュースに切り替わった。あの唯事でない興奮状態を見て、私はミサイルが本当に打ち込まれるのかと思った。平和ぼけと言われる日本人の中で冷水を浴びせられる思いを抱いた人は少なくなかったに違いない。

 

 しかし、圧倒的多くの日本人の危機感は表面的だったのではないか。そして、しばらくして「そーら、何も起こらなかった」と馬鹿騒ぎを冷笑しているのではないか。

 

 中距離弾道ミサイルが日本の上空を飛んで太平洋に落下した。戦争は偶発的な事情が契機となって起こることが多い。まして、話し合いのルールが出来ていない間ではそうだ。トランプには民主的なブレーキがあるが金正恩にはそれがない。トランプには議会や世論といった民主的な力がブレーキとして作用するが、独裁者金正恩は裸の王様であって国内にはブレーキは皆無に等しい。だから、独裁者が判断を誤ってボタンを押す可能性は小さくない。それは客観的には偶然の事情に左右されたことになる。

 

 私は、まさかの時、アメリカは本当に日本を助けるだろうかと思った。大災害の時、頼りになる組織力が自衛隊であることから判ることは、大都会や原発にミサイルが打ち込まれた時、先ず頼りになるのは自衛隊であることは間違いない。その上で、国を守る最大の力は国民の自覚でなくてはならない。しかし、その国民の自覚が雲の存在のように見える。

 

◇情報は全てだといえる程重要であることを今回の事態で痛感した。正しい情報がなければどのように身を守るのかも判らないからだ。だから情報を伝えるマスコミの役割は重大である。日本は余りに無防備だと思う。核ミサイルが打ち込まれた時「直ちに避難して下さい」と言われても避難する所がない。これからは公共のシェルターを創ることが現実の問題となってきた。

 

◇栃木県今市の女児殺害事件につき、新たな動きが報じられている。8年前の事件で、被告は一審で無期懲役の判決を受けた。証拠となったDNA型鑑定に被告以外の第三者の型が含まれている可能性があるというのだ。県会議員の時、栃木県会を視察した日に発生。この種の事件が栃木・群馬県境に多発していた。冤罪の恐れは。(読者に感謝)

 

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2017年8月29日 (火)

小説「死の川を越えて」  第5話

 

 

 

親分大川仁助は激情の人であり、無学であったが、才覚があった。自ら湯の川地区で明星屋という宿屋を営み、その規模は湯の川の宿屋で一、二を争う程であった。

 

しかし、彼の性格は周囲に波紋を及ぼし、とかくトラブルを起こした。特に、宿屋組合が湯の川地区で中心的な役割を目指すとなると、彼の存在は組合にとっても邪魔であった。仁助は宿屋の経営を表向き養子に任せたが、このような環境の変化はこの男をますます放逸に向かわせた。

 

仁助は、神も仏もあるものかと日頃からうそぶいていた。しかし、ハンセン病に対する差別には激しく抵抗し、時にはあいくちを抜いて渡り合うこともあった。

 

彼の心の底には、どす黒い狂気とともにおとこ気と正義感が混じり合って存在していた。彼は、死を恐れぬ男として他の町のやくざも一目置く存在だった。

 

ある時、福島県の山村のある農家にハンセン病が発生した。

 

あどけない少女の雪のような白い肌に赤い斑点ができた。村の医者がハンセン病だと言ったということで大騒ぎになった。

 

世の人のつながりは不思議なもの。この少女と湯の川地区が結び付いていくのだ。明星屋に福島出身の客がいた。ある時、この客がある時、仁助に妙なことを言った。

 

「親分、私の縁者に当たる娘がハンセン病にかかった。かわいそうでなりません。まだ小娘だ。近いうちに、巡査が先頭に立ってやってきて、家じゅう調べるといううわさです。ひでえことになりますよ。一家は村に居られなくなる。娘は首をつるか、井戸に飛び込むより他ありません。何とかならねえものでしょうか」

 

 仁助は黙って聞いていたが、やがてきっぱりと言った。

 

「この明星屋の客は、家族と同じだ。特にお前さんは兄弟と同じ。お前の頼みとあっちゃ黙っていられねえ。何とかするから任せてくんねえか」

 

 仁助の中に眠っていたおとこ気と正義感が頭をもたげたのだ。

 

 

 

 

※毎週火・水は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載します。

 

 

しばらくの間、通常のブログは月・水・金の更新となります。連載中の小説の執筆に時間を使わなければという危機感に迫られて決断しました。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

 

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2017年8月28日 (月)

人生意気に感ず「ふるさと塾で戦争と平和を。戦争の足音。ネパールの留学生の不幸な死」

 

◇今月の「ふるさと塾」は、会場の都合で昨日日曜日であった。8月ということもあり、テーマは「戦争と平和」。中味のある授業であった。冒頭、私は次のように述べた。「戦後72年、太平洋戦争を知る人が少なくなる中で戦争の足音が近づいてきた。戦争を知る人が体験を語る必要がある。今日は戦争体験者としてあの戦争を振り返ります」

 

 私が生まれたのは昭和15年10月30日。この年、「ドイツに乗り遅れるな」の時流の中で三国同盟が結ばれ、前年第二次世界大戦、翌年太平洋戦争と正に戦争の激流の中で私は生を受けた。

 

 4歳で前橋大空襲の炎の中を逃げ、そして終戦を迎えた。同年生まれのK氏は、前橋大空襲の夜、富士見が昼のように明るかったことを、同じく同年生まれのS氏は「玉音放送」の時の回りの人々の興奮ぶりをよく覚えていることを証言した。

 

 ◇私の話は、原爆製造、サイパン放送、憲法制定にまで及んだ。アメリカは膨大な国家予算(当時20億ドル、当時の日本のGNPは78億ドル)をかけてマンハッタン計画を進め、7月16日には原爆実験に成功。同年7月26日には早くも太平洋のテニアン島に運び込まれた。

 

 サイパンが陥ち、サイパン放送が日本に届くようになる。デマ放送と言われ、聴くことを厳禁されていたこの放送は真実を伝えていたのだ。ヒトラーの自殺を知らせ、「遅くならないうちに」と原爆投下を暗に予告していた。

 

 憲法は、制定の過程を簡潔に語った。実質的に押し付けられたものであるとしても、問題は中味の良し悪しである。中味のうち、特に人権を保障する部分は素晴らしいものである。

 

 しかし、9条には特別の問題点がある。現実との乖離は著しいが、戦争抑止力を期待してそのままにしておくか、時勢に対応して変えるべきか。最近、北朝鮮の脅威を反映して世論が変化し始めた。政治家は見識と覚悟をもって国民に対応すべきだが政治不信が渦巻いている。

 

◇昨日、京都から来たお茶の会の宗匠とテルサで会食した。この人は、72年前京都に原爆が落とされる危機があったと語っていた。米陸軍の中枢には京都に固執する勢力があった。京都に落とせば民族の怨みをかうと強く反対した親日派によって京は救われた。

 

◇ニホンアカデミーの女子留学生アニタさんが不幸な死を遂げ昨日葬儀が。哀れだった。(読者に感謝)

 

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2017年8月27日 (日)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第66回

 

 増水した川の圧倒的な水量は兵士を怯えさせた。しかし、どうしてもここを渡らなければならない。連隊から渡河点偵察のための斤侯が数組派遣される。そして候補地がいくつか見つかり、工兵隊が動き始めた。流れの速さや深さを調べるため一人の工兵が命綱をつけて流れに入った。兵士は恐る恐る数メートル進んで立ち止まった。予想以上に水の力が強く耐えられないことが分かったのだ。戻ろうとしたとき、大きなうねりが兵士を襲った。

「わー」と悲鳴が聞こえた。次の瞬間兵士の姿は数メートル下流に流され、あれよという間に見えなくなった。正に一瞬の出来事だった。どんなに犠牲を払っても川を渡らねばならない。多くの将兵の運命がかかっていた。工兵隊の決死の調査で、濁流の中ほどに大きな岩が頭を出している所をみつけた。ここに橋をかけることになったのである。いくつかの中隊に藤蔓百メートルの採取が命ぜられる。つるでしばり、丸太と丸太をつなげるかすがいは、短剣を代わりに使い、遂に決死の作業で橋が出来た。この作業の間、数名の兵士が流れに呑まれた。

 

 工兵隊が決死の作業をする間は多くの将兵は休むことが出来た。続々と到着し、草の上や木の根に腰を下ろす者、大の字になる者、腹這いになる者など、皆様々な姿で暫しの無事を味わい次の行動のためのエネルギー蓄えようとした。おびただしい兵士の数であるが、これが全部ではない。約八千の兵士は、いくつかの隊に分かれて進んでいた。そして途中別のルートを通ることもあったが、山頂付近では一つになって山を越え、キアリを目指すのである。岩田さんは先頭の隊に属していた。この大規模な撤退作戦については、ロサンゼルスオリンピックでマラソン選手として活躍した北本正路少尉が軍の命令により何名かの健脚の兵士とサラワケット山系を踏破した体験が生かされていた。撤退はラエから北岸のキアリを目指すものであるが北本少尉らは逆にキアリからラエに向けて歩いた。北本少尉の時を大きく違う点は、戦況が極度に悪化した中でほとんどの兵士が負傷し、あるいはマラリアや赤痢に冒され体力が著しく低下した状態での行進だったということである。

 

 

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年8月26日 (土)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第65回

 

 増水した川の圧倒的な水量は兵士を怯えさせた。しかし、どうしてもここを渡らなければならない。連隊から渡河点偵察のための斤侯が数組派遣される。そして候補地がいくつか見つかり、工兵隊が動き始めた。流れの速さや深さを調べるため一人の工兵が命綱をつけて流れに入った。兵士は恐る恐る数メートル進んで立ち止まった。予想以上に水の力が強く耐えられないことが分かったのだ。戻ろうとしたとき、大きなうねりが兵士を襲った。

「わー」と悲鳴が聞こえた。次の瞬間兵士の姿は数メートル下流に流され、あれよという間に見えなくなった。正に一瞬の出来事だった。どんなに犠牲を払っても川を渡らねばならない。多くの将兵の運命がかかっていた。工兵隊の決死の調査で、濁流の中ほどに大きな岩が頭を出している所をみつけた。ここに橋をかけることになったのである。いくつかの中隊に藤蔓百メートルの採取が命ぜられる。つるでしばり、丸太と丸太をつなげるかすがいは、短剣を代わりに使い、遂に決死の作業で橋が出来た。この作業の間、数名の兵士が流れに呑まれた。

 

 工兵隊が決死の作業をする間は多くの将兵は休むことが出来た。続々と到着し、草の上や木の根に腰を下ろす者、大の字になる者、腹這いになる者など、皆様々な姿で暫しの無事を味わい次の行動のためのエネルギー蓄えようとした。おびただしい兵士の数であるが、これが全部ではない。約八千の兵士は、いくつかの隊に分かれて進んでいた。そして途中別のルートを通ることもあったが、山頂付近では一つになって山を越え、キアリを目指すのである。岩田さんは先頭の隊に属していた。この大規模な撤退作戦については、ロサンゼルスオリンピックでマラソン選手として活躍した北本正路少尉が軍の命令により何名かの健脚の兵士とサラワケット山系を踏破した体験が生かされていた。撤退はラエから北岸のキアリを目指すものであるが北本少尉らは逆にキアリからラエに向けて歩いた。北本少尉の時を大きく違う点は、戦況が極度に悪化した中でほとんどの兵士が負傷し、あるいはマラリアや赤痢に冒され体力が著しく低下した状態での行進だったということである。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。 

 

 

 

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2017年8月25日 (金)

人生意気に感ず「花咲の大勝と高校野球。バルセロナ型テロ。少女に強制の自爆。いじめに弁護士」

 

◇花咲徳栄の大勝で甲子園の幕が閉じた。決勝の対広陵戦は見応えのある熱いドラマだった。大きな舞台であれだけの成果を上げる陰に長い苦しい闘いがあったに違いない。スタンドと一体になった熱闘だった。700万埼玉県民が燃え上がり心を一つにした瞬間だったに違いない。

 

「今の若者は耐える力がない」とよく言われるが、そんな風潮を吹き飛ばす力が高校野球にはある。花咲の選手の一人一人の体からハガネのような強靭さが伝わる。10キロを超えるハンマーでタイヤを叩く練習を繰り返して筋力を鍛えた。指示待ちで動くのではなく、自ら考えて実践することを選手に植え付けた。選手たちにとって、これは生涯にわたって人生を生きる力となるだろう。野球は教育の場なのだ。全てのスポーツにあてはまることである。高校野球が終わると急速に秋が近づく。

 

◇スペインのバルセロナでの新しい型のテロが注目され、世界を怯えさせている。車を暴走させて一般市民を殺すテロだ。バルセロナで過激派は車の暴走テロで15人を殺し100人以上を負傷させた。逮捕した容疑者から計画の実態が明らかになりつつある。

 

 象徴的な施設を狙ってテロを実行する計画だったと供述した。最も象徴的なのがガウディ設計のサクラダ・ファミリア教会だったとメディアは報じている。私はかつて、建設中のこの教会を訪ね、胸をときめかせた。観光客がごった返していた。テロは文化的価値など考慮しない。このようなテロが日本に近づいているとみなくてはならない。日本の大都会で国際テロが発生した時、日本人はテロ時代の幕開けとして驚愕するに違いない。

 

◇少女への自爆テロ強制が急増しているといわれる。国連児童基金は、ナイジェリアのイスラム過激派は今年になって83人の子どもが拉致され自爆テロを強制されたと報じた。そのうち55人は少女だった。人間を、しかも子どもを紙くずのように殺人の手段とするイスラム過激派を到底理解できない。彼らの宗教には人間性のかけらも存在しないのだろうか。そもそもそれは宗教の名に値しないものだ。

 

◇文科省は、いじめに関し教員と保護者の間に立って弁護士が適切な対応を助言するスクールロイヤー制を創設する。法律によって解決することに抵抗感があるが、トラブルの実態から止むを得ない。(読者に感謝)

 

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2017年8月24日 (木)

小説「死の川を越えて」 4

 

万場老人は正助の顔をのぞき込むようにして言った。

 

「先生、多くのハンセン病の者は、家にも村にも居られず、巡礼のように放浪したと聞きます。それを思うと、この集落はハンセン病患者にとって特別の所という意味がよく分かる気が致します」

 

こう答える正助の瞳は輝いていた。

 

「ハンセン病の患者が自らの手で村をつくり、患者のために自治を行う。こんなことは世界中にないと、わしは信じる。ハンセン病の光と申したのはこのことなのじゃ。問題は、この光が弱くなってきていること。光の意味が分からない人が増えている。光を支えるのはお前たちだ。全国の患者のために頑張る時なのじゃ」

 

「光が弱くなっている、光の意味が分からない人が増えているとは、どういうことですか」

 

 正助が不思議そうに尋ねた。

 

「うむ。初心忘るべからずと言うではないか。時が経つにつれて、開村の理想を理解しない人が増えてきた。治る見込みがないと思うと、世間の差別の中で生きる望みを失い、神も仏もない、太く短く生きようと考える人が増える。そういう人は、今が良ければいいと思って享楽にふける。賭博は当たり前になり、人の道を踏み外す者も出てくる始末となった」

 

「先生、分かる気がします。なあ、みんな」

 

正助の声に他の2人は大きくうなづいた。

 

「今日は、ここまでに致そう。あまり欲張っては消化不良になる。次回は、最近の奇妙な来訪者の話をしよう。この集落に、逆に光が差し込むような話だ。異国人の女とだけ、今は申しておこう。今日は別の女が差し入れた下の里の菓子を食え」

 

そう言って、万場老人は盆に盛った菓子を勧めた。

 

「このお菓子は、先日のこずえさんですね」

 

正助が言うと、

 

「は、は、は。この辺りには見かけぬ美形であろう。あるいは、お前たちと力を合わせることがあるかも知れぬ。いずれ改めて紹介致そう」

 

万場老人の黒い顔から明るい笑い声が流れた。

 

 

 

一、 博徒の親分

 

 

 

湯の川地区には、その魅力に引かれて全国から患者が集まったが、現実は厳しかった。そこには地獄の業火にもがく壮絶な人生のドラマがあった。つかの間の享楽に溺れる者も多く、賭博は誰でも手の届く日常の娯楽として大いに盛んであった。賭博には争いが付き物で、それを仕切る人物が現れる。

 

湯の川地区の暗黒時代、大川仁助と大門太平という親分が登場した。2人はハンセン病の患者であるが、対照的な性格を持っていた。

 

上州は博徒の地である。各地に大小の親分が勢力を競う歴史があった。うわさでは2人は大前田英五郎の流れをくむ者であった。

 

 

 

※毎週火・水は、私の小説「死の川を越えて」を連載します。

 

しばらくの間、通常のブログは月・水・金の更新となります。連載中の小説の執筆に時間を使わなければという危機感に迫られて決断しました。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

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2017年8月23日 (水)

人生意気に感ず「緊迫の北朝鮮情報。怯える金正恩。余りに呑気な日本。四つ目の人物」

 

◇一見、虚虚実実の互角の駆け引きが行われているように見える米朝の構図である。米韓合同軍事演習の圧力は私たちの想像をはるかに超えるものに違いない。それを実質的に1人で引き受けるのは常人の神経では不可能だと思う。眠れず、薬や酒に頼るとしても限界がある。ふらふらした頭脳による判断力に指令され、核のボタンを押す指。その指先に日本の運命がかかっているとしたら。それにしても能天気で平和ぼけの日本国民ではないか。

 

◇韓国の情報機関は、金正恩が米韓による襲撃を恐れて公開の活動を減らしているという分析結果を国会に報告した。また、北朝鮮関係筋の情報として、正恩は米韓の襲撃や国内での反乱を恐れ、強い猜疑心を持ち、緊張を強いられている、そしてアルコールに助けを求めパーティでは浴びるように飲むというのだ。酔った時は感情にむらがあり、突然激高したかと思うと黙り込んで中空の一点を見詰めている時もある。「こんなに精神的にむらのある人物が核のボタンを持っている。恐ろしいことだと思わないか」と北朝鮮の関係者は語った。以上は文藝春秋9月号で朝日新聞ソウル支局長の記事による。日本の運命は金正恩の不安定で震える指先一つにかかっているともいえるのだ。

 

◇北朝鮮を巡る次のような緊迫情報がある。「トランプ氏は北朝鮮への軍事行動を決断した」、「米国務省は9月1日から米国民に北朝鮮への渡航禁止命令を出した」、「在日米軍は、韓国から避難してくる在韓米軍家族の収容施設の設置作業に入った」。

 

 驚愕の情報だが、私はそれぞれが事実だと思う。米韓合同軍事演習は凄まじいものだ。こういう中でハリス米太平洋軍司令官、ハイテン戦略軍司令官等が訪韓している。これはアメリカの決意を物語るものだろう。67年前(1950)の朝鮮戦争と今回の大きな違いは、今回北は核を持っていることだ。東京が狙われたら、原発施設が狙われたら。こういう現実の恐怖に対して日本は余りにも呑気に見える。

 

◇漢字三千年展に四つ目の蒼頡(そうけつ)の大きな絵が展示され、濱口県立女子大学長の講演でも取り上げられた。蒼頡は漢字を創ったとされる伝説の人物。日本の漢字教育でこのようなエピソードを取り入れるべきだと思った。(読者に感謝)

 

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2017年8月22日 (火)

小説「死の川を越えて」  3

 

万場老人はいろりにくべる枝を折った。パチンという音が強い怒りを表すように正助の胸に響いた。

 

「いよいよ湯の川地区への移転が決まった時、患者たちは生い茂るクマザサを刈り、荒地を切り開いて新しい村づくりに取り組んだのじゃ。大海に乗り出すような不安とともに、自分たちの別天地をつくるという夢があったに違いない」

 

 万場軍兵衛はしばらく話した後で言葉を切って言った。

 

「正助とやら、今晩はこの位にしよう。こずえが話をしたいようじゃ。次は仲間を連れて来るがよい。その時本論に入ろう」

 

正助は丁寧にお辞儀をし、こずえに会釈をして去って行った。

 

次の機会は間もなくやってきた。湯川の縁に茂るササの葉には早くも白い雪が積もっていた。正助は2人の仲間を伴っていた。

 

「よく来たな。まあ座るがよい」

 

万場老人は3人をいろりに招いた。

 

「ご老人、先日は有り難うございました。俺は胸が熱くなって、この者たちに話しました。権太と正男といいます。それから、お願いですが、これからは先生と呼ばせてください」

 

「は、は。老いぼれだから老人で十分じゃが、勝手にせい。じゃが、先生とあっては、いい加減な話はできぬわい」

 

4人の笑い声が炉に立ち昇る煙の中に響いた。正助が口を開いた。

 

「先生は先日、湯の川地区には世界のどこにもない、ハンセン病の光があると言いました。俺たちには信じられないことです。そんなすごいものがここにあるなんて。まず、それを教えてくれませんか」

 

「おお、確かに申したぞ。若いお前と熱い話ができて、久しぶりに忘れていた若い血が燃えたのじゃ。気持ちが高ぶっておったが、間違いなくハンセン病にとっての光だ。今日は、そのことから話すことに致そう。ちと難しい。根性を据えて聞くがよい」

 

万場老人は、こう言って、飲み止しの茶を一気に飲み、3人の顔をじっと見詰めた。

 

「湯の川地区の開村は先日話したように明治20年。実は、開村といってもそれまでにいろいろあった。温泉街、つまり本村と分離されこの地に追い払われるようにして始まった新しい村じゃ。開村といっても、この年、この地に移った患者の家はわずか4戸であった。わしが言いたい重要なことは、ここからハンセン病患者の手で一歩一歩、新しい村の形をつくっていった事実じゃ。翌年には、患者が経営する患者専門の宿屋、小田屋、鳴風館などが移り、30人余りの小集落となった」

 

「小田屋は俺んとこだ」

 

権太が叫んだ。すると、すかさず正男が言った。

 

「鳴風館は俺が働いている」

 

万場老人は、それを目で受け止めながら続ける。

 

「この辺りには幸いの湯があったが、集落の人々はこれを殿様の湯に改名し、また、頼朝神社を集落内に建て氏神とした。殿様の湯は源頼朝が入ったと伝えられ、頼朝神社は頼朝を祭った祠に由来する。頼朝は、公家に代わる力強い武士の社会を築いた改革者じゃ。湯の川の人々は、改革者としての頼朝に、苦難に立ち向かう自分たちの姿を重ねたに違いない。これらの努力は、立派な自分たちのとりでを築きたいという人々の覚悟を示すもの。そして、集落の人々の心を一つにするために大きな意味を持ったに違いない。湯の川地区をつくった人々には開拓者の根性と使命感があったと思う。わしは、かのアメリカのピルグリム・ファーザーズを思い出す」

 

「先生、何ですか、そのピルグリム何とかとは」

 

正助は不思議そうに尋ねた。

 

「うむ。日本では江戸時代の初め頃に当たる。イギリスで宗教的迫害に遭った人々が北アメリカに逃れて開拓の一歩をしるし、ニューイングランド建設の基礎となった。ピルグリムとは巡礼のことじゃ。話はそれたが、湯の川地区の人たちは、このようにして、自分たちの手でこの地を治めることを進めた。戸長を選び、税金を納めるようになった。このことがどんなに素晴らしいことか、お前らはにわかには分かるまい」

 

 

 

 

 

 

 

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2017年8月21日 (月)

人生意気に感ず「漢字三千年展。漢字の深さと凄さ。始皇帝の最大事業。ロシアと北は」

 

◇「漢字三千年―漢字の歴史と美」のオープニングセレモニーに出た。漢字の歴史は日中の関係の歴史であり、日本の文化の歴史でもあることを改めて感じた。漢字を国の公用文字としているのは世界で中国と日本だけということはこのことを物語る。日本は中国から漢字を受け入れ、それから日本独自の文字であるひらがな、カタカナを生み、それを基に日本の文化を発展させてきた。漢字なくして日本の文化は考えられない。漢字なくして日中の関係もない。中国は国宝といわず一級分物という。これが21点も展示されている。

 

◇感銘を受けたのは兵馬傭。かつて私は西安の博物館で圧倒的な軍団を見て度胆を抜かれた。八千にも及ぶ屈強な兵士は死後の始皇帝を守る任務を負っている。二千年の時空を超えて現れた兵士たちは、壮大な歴史とロマンを語っていた。今度は漢字の縁で群馬の地で再会することになった。土の兵士の左胸に「不」の文字が見える。製作者の名前である。天下を統一した始皇帝の最も重要な政策は文字の統一であった。様々な民族が入り乱れる広大な国家に中央の意志が伝わるためには、手段たる文字がバラバラであっては目的を達することは出来ないからだ。始皇帝は並の覇者ではなかったことが分かる。始皇帝の存在がなければ今日の中国もない。

 

◇中国人民対外友好協会会長の李小林女史が中国側主催者を代表して挨拶した。この人が出席することは大変なことなのだと福田康夫さんがコメントした人物である。李小林氏の挨拶の中で注目されたのは次の点である。

 

「漢字は中華文明の核心であり東アジアの共通の文化基盤である」、「漢字は歴史上唯一の三千年をこえる文明的表意文字」、「中国以外で今なお漢字を使っているのは日本だけで、漢字は中国と日本の共通の文化の至宝といえる」、「展覧会を通じ、この豊かな漢字文化をいま一度深く見詰めることで、中日両国の交流の歴史がいや増して彩られていくことを強く希望する」李女史の言葉は漢字が担う役割の重要な一端を示す。パソコン時代の漢字の役割を私たちは今しっかりと考えねばならない。

 

◇北朝鮮にとって石油は生命線。ロシアは北への石油輸出を倍増させているとの報道が。ロケット技術も北はロシアから得ていると言われる。北は恐い国、そしてロシアは北と一体となっている。(読者に感謝)

 

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2017年8月20日 (日)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第65回

 

夕闇が迫りジャングルの中は既に暗かった。病院に近づいたとき、岩田さんは前方に異様な気配を感じた。何かがざわめいて草の中を動いている。ズズー、ズズーと重い物をずるように。それも一つや二つではない。そして時々、ウーとかクーという低い呻きのようなものが、地の割れ目から漏れてくるように闇に響く。岩田さんは背筋がぞっとなった。はっと頭に浮かぶものがあって、近づくと野戦病院の重傷病兵であった。彼らは地面を掻きむしるように、木の根や草をつかんでいざりながら進んでいた。岩田さんは這ってでも海岸に行くようにと彼らに指示しておいたのだ。

 

「海岸は近いか」

 

 包帯だらけの一人の男が絞り出すような声で言った。

 

「海岸は近い。すぐそこだ。今夜は救助艇が来る。頑張ってくれ」

 

 岩田さんは、それだけ言うのがやっとで、どうすることも出来ない。祈る思いでその場を離れた。

 

 撤退の兵士達は夜のジャングルを黙々と歩いた。ジャングルの中はじめじめした湿地帯で、膝まで浸かる所もあり、時にはずぶずぶと腰まで沈み込む深みもある。見えない泥水の奥は不気味であった。墨を流したような暗闇の中にも上空が開いて微かに星が見える所もある。見上げると巨木に太い蔓が巻き付く黒い影が大蛇のようであった。

 

 夜のジャングルはあらゆる音を呑み込んだように静かである。出発して二日程過ぎた頃、この深い静寂を揺り動かすようにジャングルの奥からゴーゴーと響く音が伝わってきた。近くを流れるブス川の音であった。兵士達は、ブス川の流れを聞きながら進んだ。流れの音は大きくなったり小さくなったり、時には絶えたりした。それは、巨大なジャングルの主の不気味な唸り声のようだ。しかし、米軍の爆撃の音と比べたら優しい、心をいやす音にさえ聞こえる。

 

 岩田さんたちは、やがてブス川の急流に直面する。ジャングルで聞いた声の主は、ジャングルを押し分けて吼えてのたうつ巨大な生き物のように流れていた。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。 

 

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2017年8月19日 (土)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第64回

 

 ダンピール海峡の出来事は昭和18年3月始めのこと。この年、ラエ、サラモア方面の戦況はますます深刻化し、ラエ撤退が始まったのはこの年9月4日のことであった。

 

 撤退にあたり重傷病者のことが問題であった。一時は玉砕を決行するという状況下で毒殺命令が下された人々である。方針が変わって撤退となったが、再び毒殺命令が下されることはなかった。海岸には「大発」と称する船艇が三隻残っていた。沈めて撤退するという考えもあったが、患者輸送のために使おうということになり、岩田さんは動けぬ重症者を担架で船艇まで何回も運んだ。敵の爆撃が激しさを増す中で、撤退の時は迫っていた。担架で運べる者は限られている。這って脱出しようとする者が、岩田さんに手を合わせて哀願した。

 

「担架で運んでください」

 

「這える者は這っていくのだ」

 

 岩田さんは心を鬼にしてそう答えるしかなかった。

 

 船艇に運ばれた患者たちも救出される保証はなかった。敵に発見されれば撃沈され、海に投げ出された日本兵は皆殺しにされるのであった。ダンピール海峡の時、波間に漂う日本兵が機銃掃射されてその上に執拗に狙い撃ちされたように、どこでも悲惨な目に遭うのが通常であった。敵は重症患者であろうと容赦せず、海上の日本兵を小銃やピストルで撃ち殺したという。岩田さんは毒殺を免れた兵士が敵に発見されずに脱出することを祈った。

 

 余談となるが、ダンピール海峡などで、海に漂う日本兵を機銃掃射で殺したことが、戦後オーストラリアの国会で問題とされ、その事が日本のテレビでも放映された。

 

 出発にあたり、携行する食糧は十日分という指示で、各々、精米、乾パン、乾燥野菜などを用意して出発。最初の予定では、一週間か十日位で目的を達成する筈であった。ところが出発したその日から事態は更に厳しくなった。敵機の激しい攻撃が続き、行く手には敵の部隊が待ち受けているとか、いろいろな情報が伝わり、とても予定通りには進まないだろうということになった。岩田さん達は上官から、野戦病院に戻って不足が予想される食糧を確保してくるようにという命令を受ける。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。 

 

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2017年8月18日 (金)

人生意気に感ず「731部隊の真実。美しい都市に悪魔の巣窟。科学者の責任。テロの広がり」

 

◇16日頃NHKの深夜放送で「731部隊」を報じていた。私はかつて、ハルビンを訪ね、731部隊跡を現実に見ているので、この報道をのめり込むように見た。NHKの取材力は凄い。確たる事実によって語らせる姿勢に対して「自虐的」などという批判は取るに足りない。

 

 ハルビンはロシア帝国がつくった美しい都市である。美しいと同時にロシアと接することで恐ろしさが隠された都市であった。私は膨大な数の人体実験を行った悪魔の実験場がこの美しい都市と同居していた事実に驚愕したのである。

 

 京都大学や東京大学の医学部から優秀な人材が集められ、ペストやコレラの細菌が研究され、中国人の人体実験に使われた。主要な人物の行動と写真までが放映された。遺族などはどういう思いであろうか。70年以上たった今、歴史的事実として白日の下に晒されるべき意味があるのだ。

 

 医学者たちは戦争という、やるかやられるかという異常事態の中で国家の政策としてやむを得ないことであり、正当な行為と信じて行った。しかし、こんな理屈ですっきりと割り切れるものではない。

 

 731部隊の問題は科学者の使命と責任が問われているのだ。真理の探究は人を殺すためではない、人々の幸せのためである。科学者の責任がいかに重大であるかを「731」は示したのだ。科学者が優秀な頭脳を駆使して一つの真理を解き明かすと、それは一人歩きして悪魔の手に渡る可能性が生ずる。科学者はこのことをしっかり認識し覚悟しなければならない。原爆の開発と共通な問題である。原爆は今や世界に広がろうとしている。金正恩が核のボタンを支配する姿は正に悪魔ではないか。

 

◇子どもが安全に健やかに暮らせないことは、人間と社会の崩壊につながる重大事である。児童虐待が急増している。2016年度の児童相談所が扱った件数が過去最多となった。12万2千件余となった。15年度、虐待で死亡した子どもは52人である。高齢者への虐待と共に増えている。弱い命、小さな命を守れない社会の未来は暗い。豊かな社会で命が粗末に扱われる現実がある。70年前、戦後の社会は極端に貧しかったが、虐待死という現象は少なかったのでは。

 

◇またバルセロナのテロと多数の死者。IS国は壊滅状態でも世界の一匹狼テロは増えるのか。(読者に感謝)

 

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2017年8月17日 (木)

小説「死の川を越えて」 2

 

「ありがとうございます。仲間もきっと喜ぶでしょう。俺だけで聴くのはもったいないのですが、今日は仲間に伝える手土産にもと少し聴きたいのですが」

 

正助の瞳が輝き、頬が紅潮している。

 

「その通りじゃな。わしもお前に会って、この胸が熱くなった。少し話したいと思うぞ」

 

万場老人は手を伸ばし、薪をとって炉にくべた。秋の夕日は釣瓶落とし。早くも窓外には夕闇が迫っていた。静けさの中に湯川の音が急に高くなったように聞こえている。

 

「この湯川を見よ。死の川と言われるが、われらの仲間と思えるではないか。命の存在を許さぬ姿は、娑婆への怒りだ。この川から力をもらうか否かは、われらの心にある。草津の街は、この川に尿も、ごみも、梅毒の綿も、一切の汚物を投げ込んでいる。われわれもこの谷に投げ込まれる不要物だというのか。いや、違う。われわれは人間なのだ。汚物ではないぞ」

 

万場老人は言葉を切って、じっと正助を見詰めた。その目は怒りに燃えているようである。

 

正助は万場老人の黒い土を塗ったような顔の割れ目から希望の芽が吹き出るような熱いものを感じ、次の言葉を待った。

 

「無知が差別と偏見を生む。だから無知を乗り越えねばならない。この集落には希望の芽がある。それを知ることで、われわれは無知を乗り越える勇気を得るだろう。振り返れば、差別と偏見の犠牲は大変なものだ。この湯川の流れの先に、投げ捨ての谷があることを知っていよう。昔、生きられぬハンセン病の者を生きたまま投げ捨てたという。この集落の開村は明治20年。そこまでにいろいろあった。その歴史を知ることが第一じゃ。それにこの集落には、世界広しと言えど恐らく例のないハンセン病の者にとっての光がある。それをぜひ話したい」

 

「えっ。ハンセン病の光とは」

 

正助が声を上げて姿勢を正した時である。

 

「こんばんは」

 

若い女の声がした。

 

「ああ、こずえか。入るがよい」

 

万場老人の声と同時に戸が開いて女が姿を現した。

 

「まあ、お客さま」

 

驚いて会釈する顔がはっとする程美しい。女の美しさは、この家の状況と場違いの故か一層際立って見えた。正助は驚きながらも、これが老人を訪ねるうわさの女に違いないと思った。

 

「これはわしの縁者でふもとの里の者じゃ。こずえ、この若者は集落の者で、今日は勉強に来ている。感心なのじゃ。茶でも入れてくれぬか」

 

「まあ、ご隠居様。早速に」

 

こずえと呼ばれた女の視線を受け、正助はどぎまぎした様子である。正助は出されたお茶を飲み、菓子を食べた。こずえは万場老人の側に膝をそろえて座っている。

 

万場老人はいろりに薪をくべながら語り始めた。

 

「ハンセン病の患者は、浴客が増える中で湯の里の発展の妨げになるからと、中央部から追われるようにして湯の川地区に移ることになった。患者を分けてこの地区に移すという計画を知った時、患者は徒党を組んで役場に押しかけ激しく抗議した。事もあろうに、汚物や死体も捨てるこの湯川の縁に移るというのだから当然じゃ。患者たちの怒りと不安、情けなさは同病のわれらでなければ分からぬことだ」

 

 

 

 

 

※毎週火・水は、私の小説「死の川を越えて」を連載します。

 

しばらくの間、通常のブログは月・水・金の更新となります。連載中の小説の執筆に時間を使わなければという危機感に迫られて決断しました。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

 

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2017年8月16日 (水)

人生意気に感ず「日本を救った総理鈴木貫太郎。桃井小学校の碑」

 

◇終戦記念日を迎えるたびに特筆すべき首相として鈴木貫太郎を思い出す。特筆すべき点は二つある。一つは日本を壊滅の瀬戸際から救ったこと、二つには群馬出身の総理大臣というに値する点である。

 

 鈴木が首相になったのは昭和20年4月7日のこと。組閣当夜のラジオ放送で「国民よ我が屍を越えて行け」と語る。これには、殺されることを覚悟で、機を見て終戦に導く決意が込められていた。

 

 鈴木が言う「機を見て」の「機」はポツダム宣言受諾の可否を決める御前会議の時に訪れた。会議は真っ二つに分かれ議論は尽きなかった。ここで、戦略家としての鈴木の一世一代の行動が示される。「かくなる上は、御前の意を窺ってそれにより結論としたい」と述べ、議論をさせる余地なく天皇の意見を求めた。天皇は応じて明確に終戦の意志を示した。待従長の回顧によればすすり泣く声が聞こえたという。阿南陸相などは天皇に取りすがらんばかりに号泣したと言われる。

 

 なお、これは天皇が憲法上の原則を破って最重要な政治決断を下した例である。この時、既に広島と長崎に原爆投下がなされていた。かくして8月14日ポツダム宣言の受諾がなされ、8月15日天皇は終戦の詔書を放送した。いわゆる玉音放送である。

 

 当時、本土決戦論がなお盛んであった。その人たちの多くは地獄のような原爆の惨状の実態を知らなかったのではないか。戦で大切なことは幕引きの決断である。鈴木貫太郎は正に日本を救った総理大臣といえる。

 

◇第二の点は故郷の偉人の認識評価という点で重要。私は県会議員の時、鈴木貫太郎を群馬の総理大臣として顕彰すべきと主張したことがある。前橋市立桃井小学校、前橋中学(現前高)を経て海軍兵学校に進んだ。鈴木の少年時代はその人間形成の場であった。自伝を読むと桃井小学校に通う道すがら父から「怒るのは自分の根性が足りないから」と短気を戒められたことが一生のものとなったとある。桃井小学校の庭には「正直に腹をたてずに弛まず励め」を刻んだ碑が立てられている。千葉県で生まれた人であるが、群馬出身の総理というに値する人物を群馬の教育界はもっと重視すべきだ。終戦を決めた出来事は、歴史を知る上で極めて重要。終戦記念日は歴史を見詰める日としなければ教訓を引き出すことは出来ない。(読者に感謝)

 

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2017年8月15日 (火)

小説「死の川を越えて」 1

 

第1話

 

 

 

第一章 ハンセン病の光

 

 

 

一、 万場軍兵衛

 

 

 

湯の川地区は、草津の温泉街の外れにあった。湯畑から発する湯川は、この集落の中を走り、その先は深い谷を刻んで松やもみの茂る暗い森の中を流れ下っている。

 

人々はかつて、この流れを死の川と呼んだ。小指程の太さの鉄を数日で細い針金と化す強酸性が、一切の生命の存在を許さないからである。

 

死の川の名の由来はそれだけではない。この川の辺には、長いこと深刻な病に直面して生きる人々が住んでいた。

 

ハンセン病の人々である。峻厳な流れは人々の運命を語るようにごおごおと音を立て、下流に広がる村に向けて勢いを増していた。

 

時は明治が終わり、大正に入っていた。この湯の川地区の一角に、不思議な男がかやぶきの小さな家を建てて住んでいた。

 

がっしりとした体躯で、老けて見えるが年は初老の域と思われる。その黒い容貌は異様に見えるが、鋭い眼光と調和して、一種の犯し難い威風を放っていた。

 

初めて訪れた人はまず、この男が背にしたうずたかい書物に驚いた。この男の家を時々、1人の若く美しい女性が人目を盗むように訪れることも、集落ではひそかな話題になっていた。うわさでは、この男はふもとの里のある大家の縁者ではないかとのことであった。

 

男の名は、万場軍兵衛といった。ある秋の日の午後、正助という集落の若者が万場老人の家を訪ねた。

 

「俺は下村正助と申します。この湯の川地区の歴史を知りたいのですが、多くの人が、あなたなら何でも知っていると申しています」

 

「ほほう。この集落の者だな。わしは万場と申す。して、なぜ集落の歴史を知りたいのじゃ」

 

万場老人はいろりの火をかき立てながら、若者の顔に鋭い視線を投げた。

 

「はい、この病を持って将来が不安です。できることなら人間として生きたいのです。俺たちに未来はあるのでしょうか。ずっと悩んで考えてきました。そして、思い至ったことは、この集落のこと、そして、ハンセン病のことを正しく知ることが第一だということです。同じ思いの仲間が何人かおります。まずお前が行って、話を聞けるか様子を見てこいというので参りました」

 

「うむ。お前は賢い若者らしい。お前のような若者が、わしの前に現れたことは時代の変化だ。ハンセン病にも希望の芽が出てきたように思える。わしにできることなら力になろう」

 

万場老人の乾いた岩のような表情を押し分けるように、ほほ笑みが現れた。

 

 

 

※毎週火・水は、私の小説「死の川を越えて」を連載します。

 

 

 

しばらくの間、通常のブログは月・水・金の更新となります。連載中の小説の執筆に時間を使わなければという危機感に迫られて決断しました。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

 

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2017年8月14日 (月)

人生意気に感ず「北の不気味な予告。米の世論の恐さ。“このハゲー”と教育」

 

◇北朝鮮がグアム島周辺への攻撃計画を発表した。グアムは西太平洋、マリアナ諸島最大の島で米の大軍事基地がある。計画では、島根・広島・高知の各県の上空を通過するとしている。北の挑発に対してアメリカが激しく反応している。日本を直接に巻き込んで北朝鮮とアメリカが対決する姿は、かつての太平洋戦争が再現されているかのようだ。

 

◇トランプがかっかしているが、恐いのは米国の世論。トランプ大統領の姿はアメリカ世論の象徴と見えないこともない。CNNの調査によれば、北の現状に対して軍事行動に踏み切ることに50%の国民が賛成している。

 

 マティス国防長官は9日、グアム周辺へのICBM発射計画に対し異例の激しい警告を発した。「体制の崩壊や国民の破滅につながる」と指摘し、「米国とその同盟国は地球上で最も精密かつ頑強で、熟練した攻撃力を保有する」と述べた。金正恩の表情をよく見ると虚勢の皮で包まれているようにも思える。裸の王様、孤独の独裁者は夜眠れているのか。

 

◇私は、独裁制と孤独の心理の関係を初めて肌で感じている。私が金正恩の立場に立たされたなら、余りの重圧に夜は眠れないと思う。

 

 民主主義は政治の重圧を多くの仲間が力を合わせて支える制度であるが、独裁制はそれを一人で支えねばならない。常人ならとても耐えられない。金正恩は常人か狂人か。

 

 日本の平和がそんな個人的状況にかかっている。正に累卵の危機にあるのだ。

 

◇「このハゲー」の絶叫は、歴史に残る社会現象かもしれない。私の周辺では「東大の価値を著しく下げた」と言う人がいる。政策秘書兼務の町会議員という人物が現れて、また論議を呼んでいる。豊田議員が隠れ続けていることが不思議である。あの絶叫の下に激しいエネルギーと国政に関わる志があるなら、地獄から抜け出る策はただ一つである。思い切って説明会をすることだ。「頭が良い」ということは知識の良さで計るものではない。ましてや試験技術にたけていることではない。教育は生きるための力ではないか。豊田議員の存在は日本の教育を考える最良の教材である。

 

◇来週から、私のブログは月・水・金に限り、火と木は小説「死の川を越えて」を初めから紹介することにした。火・木の深夜の時間を小説のために使わねばならないという危機感に迫られて決断した。死の川が終局に向かう。(読者に感謝)

 

 

 

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2017年8月13日 (日)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第63回

 

1、魔の山サワラケットを越えて

 

 

 

 ここで紹介するのは、岩田亀作さんに取材し語っていただいたことと、ニューギニア戦の若干の資料をもとに私が描く世界である。

 

 ニューギニアの戦跡を巡って私が深く感じたこと、つまりこの戦争の事実を21世紀のこの時点で少しでも人々の伝えなければという思いを岩田亀作さんは私以上に強烈に抱いていた。毎年小学生にニューギニアの体験を語る岩田さんの姿に、それはよく現れている。話を聞いた多くの小学生が驚きと感動を寄せているのが、サラワケット越えの場面である。人間はなぜあれまでにしなければならなかったのか、そしてなぜあそこまで出来たのかという驚きが小さな胸にストレートに伝わるのであろう。

 

 サラワケット越えの話は、巡拝記で書いた「ラエ」のことにつながる。岩田亀作さんは、

ラエの野戦病院で重傷病者の毒殺を命ぜられて実行しなかったが、あの事実は日本軍がいかに追い詰められていたかを示すものである。あの後、ラエの師団は玉砕の決意を固めていたが上部の命令によって撤退することになった。海と東西を包囲されて、残る方法は後方のサラワケット山系を越える他なかったのである。当時は撤退という言葉は使わず、転進であった。ラエに於ける全滅を避け、北岸のキアリに兵を写して新たな作戦を立てることを狙ったのである。 

 

 サラワケット山系は、4,200メートルのサラワケット山を中心に東西に連なる山々である。湿地、ジャングル、深い谷、そして断崖絶壁が待ち受ける中を約8,000の将兵が踏み入れ、その中役2,200名が犠牲になった。

 

 

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。 

 

 

 

 

 

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2017年8月12日 (土)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第62回

 

 

 

 ニューギニアから、遠く離れた日本を想像すると、華やかな文明の姿が砂上の楼閣のように思えてくる。ニューヨークのツインビルはテロの攻撃によって驚く程脆い崩されかたをした。日本の繁栄も、何かの力が作用してあっけなく崩壊するような危うさを臓している。人々は金や欲望に血道を上げている。金のためなら人の命も屁の河童。前代未聞の物の豊かさの中で人の心は根なし草のようである。日本の繁栄を本物にするには、この根なし草の心に、大地にゆっくりと広がる根をつけることである。そのためには、戦後のスタートの原点に目をやって、あの悲惨な戦争をもう一度見つめることではないか。そしてニューギニア戦の真実をもう一度皆で考えることではないか。ニューギニア戦で死んだ多くの兵士も、そうすることによって、真に日本の繁栄の礎とすることが出来るのだ。

 

 団員はこの後、オーストラリアのブリスベンに飛び、翌日無事日本に帰国した。

 

 

 

(6)ニューギニア巡拝記余録

 

 

 

 ニューギニア巡拝記では、9日間の見聞を中心にニューギニア戦の極く一部を書いた。その中で、岩田亀作さんの体験に基づく「ダンピール海峡の悲劇」にも触れたが、その目的は、ことの性質上どうしても表面的になってしまう巡拝記に少しでも「事実」による重みをつけ、ニューギニア戦を紹介するという巡拝記の目的に一歩でも近づけたいという点にあった。同じ考えから、巡拝記に一応区切りをつけた上で、いくつかの「事実」を取り上げたい。

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。

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2017年8月11日 (金)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第61回

 

 

 

 星を見つけているうちに、マイクロバスが着く。乗り込んでさあ出発となったら、エンジンがかからない。降りて皆で押す。ブー、ブー、ガー、ガーと何回かやっていたが、やっと快適なエンジンの音が響き出して、車はスタートした。空には降るような星。まわりは深いジャングル。近代文明の波は急激でない方がいい。そう思うと日本製のエンジン押しがけはほっとする光景でもあった。タブルブル火山よ、さらば。私は闇の中で噴煙を上げている姿を想像しながら思った。

 

 5時10分、まだ夜明け前の薄い闇が漂うニューラバウル空港に到着。6時PX203便で来たときのコースを逆に飛ぶ。ニューブリテン島を朝日が包み始めていた。眼下に青い海が広がっている。あれがダンピール海峡につながる海か、海面は陽光の中で静かに光っていた。機はニューギニア島にかかり、白い雲が流れる高い密林を越えて再び首都ポートモレス ビーのジャクソン空港に到着。8時5分であった。

 

 国際線のダイアの都合で、次の離陸までかなりの時間がある。国際線乗り継ぎの手続きを済ませ、市内で買い物をし、ホテルで食事をし休憩する。

 

 10月22日()朝、ポートモレスビーに着いてからもう一週間が過ぎていた。私はダイトウエイホテルで昼食を取りながら、ニューギニアの旅を振り返っていた。 日本から数千キロ離れた別の世界にやってきて、そこからタイムマシンに乗って、50数年前に戻ったような一週間であった。新聞もテレビも見ない生活は日本では考えられない。近代的なホテルの中で、この間も世界は激しく動いていたのだなと感じた。  

 

 ニューギニアとは、そしてニューギニア戦とは、日本にとって私達にとって一体なんだったのだ。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。   

 

 

 

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2017年8月10日 (木)

人生意気に感ず「甲子園が始まる。育英と明徳は。北の挑発。モッタイナイとは」

 

◇甲子園が始まった。この暑さをものともしない球児たちの姿は今日の日本の様々なことを物語る。一つは凝縮された教育である。忍耐とか友情とか、限界に挑戦するとか、今日の若者に無縁と思われるものが当然のことのように球場に満ちている。ここに至るまでの厳しい試練を思った。スタンドで揺れる赤いメガホンは灼熱の炎の海を思わせた。

 

 育英―山梨戦と明徳―日大戦を観た。前橋育英は山梨学園を12対5で下した。私は育英の役員でもあるので格別の思いがあるが、今年は結構いけるのではないか。少年たちの中の秘められた可能性が大舞台の中で変化するのだ。

 

 明徳義塾と日大山形は、息詰まる攻防で、延長12回、最後まで諦めない姿に胸を打たれた。6対3で明徳が勝利した。

 

◇球児の純な姿と重なったことは、太平洋戦争で大空に飛び立った若者の姿である。国の政策が間違えば若者たちはバットにかえて銃を持たねばならない。平和の尊さを痛切に感じた。

 

◇北朝鮮が新たな挑戦に出ている。グアムの米軍基地攻撃を検討しているというのだ。これに対してトランプが炎と怒りで報いるとか激しい感情をむき出しにしている。金正恩、トランプ、この異常な人物の感情に日本の運命が左右されるのはたまったものではない。米国の世論は急速に変化している。武力攻撃を支持する意見が増えているのだ。日本は非常に危険なところに立たされている。

 

 甲子園の熱狂は日本が戦争の危険に無関心であることの現われかと、ふと思った。

 

◇昨日、日本アカデミーの朝礼で、ワンガリ・マータイを語った。毎週水曜日の「へいわ845」は第5回となった。アフリカ、ケニアの人でマータイと言えば「もったいない」である。この学園は、環境、平和を大きく打ち出しているので「もったいない」は重要な、キーワードなのだ。「この言葉が死語になろうとしている。大量に消費して大量に捨てることで環境を破壊している。この言葉を復活させなければ」と訴えた。マータイは来日してこの言葉に出会い感銘を受け、「MOTTAINAI」を世界に普及させる運動をした。ノーベル平和賞を得た。著書である「モッタイナイで地球は緑になる」を紹介した。この言葉を使ったことのない若者が多いと知り驚いた。(読者に感謝)

 

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2017年8月 9日 (水)

人生意気に感ず「風化する戦争。原爆予告と中国娘の生きギモを食った話」

 

◇現実だった戦争が遠くなり、新たな戦争が近づく。72年前に終わった悲劇の風化を防ぐことが新たな戦争を防止するために必要なのだ。そんな思いで「語りつぐ戦争体験(日本児童文学者協会編)を読んだ。

 

 その中の二つを紹介したい。「原爆予告をきいた」及び、「中国娘の生きギモ」は、それぞれが違った意味で衝撃的である。「原爆予告」は最低限のアメリカ人の良心を感じさせる点で「生きギモ」の話は戦争が個々の人間を狂人に化す点で。

 

◇広島・長崎の原爆は無数の一般市民を地獄の業火で焼き殺した。民主主義の本家にして人間尊重(人権)を掲げるアメリカは国際法を無視した空前の暴挙を恥ずる心はないのか。

 

「予告を聞いた」は人間の良心を僅かに感じさせる。宮本広三さんは爆心地から近い広島逓信局に勤務していた。仕事柄「アメリカの声です」と呼びかける「デマ放送」をよく聞いた。空襲の予告は新聞のニュースとあわせると予告通り。宮本さんは「デマ」ではないと思うようになった。ある日「特殊爆弾で広島を攻撃するから非戦闘員は逃げなさい」と日をあげて予告している。上司に話すと敵放送を聞くとは何ごとかと怒られた。

 

 朝、ひょいと窓の外に目をやると飛行機雲があり、何か白いものが飛行機から離れた。瞬間閃いて「みんなふせろ」と宮本さんは大声で叫んだ。素早く伏せた。気付くと窓の外に見えていた城の天守閣が消えていた。

 

◇「生きギモ」は、日蓮宗の従軍僧侶石川泰全さんは中国で処刑の時、お題目を唱える役目をさせられた。

 

 憲兵が200人の中国人を殺す場面は70年の歳月を超えて異臭と血の色が伝わるようだ。処刑される人々の中に3人の姑娘(クーニャン)がいた。丸裸にされ両手で前を隠した白い柔肌がまぶしい。石川さんは生き地獄を前に気を失った。憲兵に起こされ口に葡萄酒を流し込まれた。見上げると穴の上に何十羽というハゲタカが舞っている。最後に3人の姑娘が残った。憲兵が拳銃で撃ち殺し軍医が横腹を切り開き長い腸を取り出す。その先のさくらんぼのような桃色のキモを切り取り副官に渡すと副官は一口に呑み込んだ。石川さんは何十年たってもあの光景を思い出して眠れないことがある。この本は県立図書館から手に入れた。私たちの知らない多くの地獄が存在するに違いない。(読者に感謝)

 

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2017年8月 8日 (火)

人生意気に感ず「原爆の朝の書道展。絶対悪。核禁止条約の採択と日本」

 

◇8月6日朝、広島の原爆を頭に描きながら高崎市文化会館に向かった。教育書道展の受賞式である。2万1千を超える応募作品。多くの人々が受賞した。名を呼ばれて登壇する人々。毎年のことだが小学校低学年の子どもたちの姿に心を打たれた。1年生、2年生の女の子が人形のように見える。この子らが筆を握る姿を想像して、日本の教育にも健全な部分があることにほっとした。

 

 受賞者の代表が最後に登壇して語った。この人は12年前、70歳の時妻の死を契機に書を始めたという。がんでなくなった妻の遺品を整理していて硯を見つけて決意したという。会場から拍手が湧いた。書をやる人には一人一人にドラマがある、日常生活で書を書く必要は増々少なくなっている。前橋市の教育長が書にはロボットには出来ない温かい心があると挨拶した。書という伝統文化は正に心の文化なのだ。

 

◇この日、広島では原爆の慰霊式典が行われた。私は核開発を続け日本に向けてICBMの発射を続ける北朝鮮の暴挙を思った。金正恩と北朝鮮の人々は広島の地獄の惨状の実態をどこまで認識しているのであろうか。

 

 人類の歴史は戦争の歴史である。戦争では勝つためには手段を選ばず何でもしてきた。それを物語るのがナチスの暴虐であり、それを遥かに上回るのが広島と長崎に他ならない。

 

 オバマ前大統領が広島の記念式典に出席し、原爆資料館を訪れたことは極めて象徴的である。戦後72年、私たちは改めて広島、長崎を自分たちのこととして見詰めるべきである。

 

◇6日、広島市の平和記念式典では市長が平和宣言をした。その中で次の部分が胸に刺さった。「広島の空に絶対悪が放たれ地獄となった」、「核兵器の使用は人類として許されない」、「国連で核兵器禁止条約が採択された。各国政府は核兵器のない世界に向けて取り組みを更に前進させなければならない」、「日本政府は条約の締結を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んで欲しい」

 

◇核保有国は核禁止条約に参加しない。持てる核をいざという時使用出来ないからだ。例えば北朝鮮の核に対してアメリカが核を使えなくなるという理由だろう。日本はアメリカの核の傘に依存しているからという理由で参加しないが、核の地獄を味わった国として、必死で「橋渡し」を尽くすのが被爆国としての使命である。(読者に感謝)

 

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2017年8月 7日 (月)

人生意気に感ず「500人を前に紙芝居。前橋の一番熱い日。広島と長崎の地獄」

 

◇8月5日、500人を超える留学生を前に紙芝居を演じた。紙芝居は2部構成。1部は「へいわ845」、2部は「前橋の一番あつい日」である。1部は毎週水曜日の朝8時45分の朝礼で、私が平和を語るシリーズ。それに肉付けして紙芝居にした。ノーベル平和賞のマララやネルソンマンデラも登場する。イスラムの少女マララは女性の教育を訴えて史上最年少の17歳で受賞。イスラムの過激派は女性の教育に反対である。私は「女性が賢くならねば平和は実現しない。マララの勇気に学ぶべきだ」と訴えた。ここで大きな太鼓がドドンと響く。

 

 マンデラはアパルトヘイトに抵抗して27年間投獄された。南アフリカ共和国の人種差別政策・アパルトヘイトは世界から激しく非難された。人種差別は戦争の原因であり、平和の敵である。マンデラは出獄後、ノーベル平和賞を受け、人種の融和と協調に尽くした。

 

◇第2部は、8月5日夜の前橋大空襲が中心。反撃に転じたアメリカに南の島を奪われた日本は追い詰められていく。昭和20年3月10日の東京大空襲の絵が登場する。

 

「300機のB29が東京を襲いました」、「東京は火の海と化したのです」、「わあー、この世の終わりだー」、「実に10万人余りの人々が命を落としたのです。正にこの世の地獄でした」、「魔の手は前橋に迫っていました」

 

 こうして遂に20年8月5日午後10時30分の場面となった。

 

「92機のB29は、情け容赦なく焼夷弾を雨のように降らせ市街の大半を焼き尽くしました」、「前橋の人々は地獄の業火の中で泣き叫び逃げ惑いました」、「この絵の中に私もいます。私はこの時3歳でした」

 

 私は怒りの心で大太鼓を力の限り叩いた。広い会場は水を打ったように静かだった。

 

「死者は535人。前橋市は廃墟と化していました」、「明日からどうなるのだろう。人々の心は不安でいっぱいでした」、「しかし、翌8月6日、もっと恐ろしい、想像を遥かに超えた出来事が起こりました」

 

 こう言って、私は広島と長崎の2枚の絵を登場させた。

 

「きらめく閃光。巨大なきのこ雲。爆心地は3千度から4千度になり、半径1キロ内の瓦はあわ状に火ぶくれを起こしました。人間など一たまりもありません」私は前よりも力を込めて太鼓を打った。(読者に感謝)

 

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2017年8月 6日 (日)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第60回

 

 

 

(4)さらばラバウルよ

 

  この日の夕食はラバウル最後の夜ということで、ホテルの庭でバーベキューを味わった。厚い牛肉が沢山出される。皆、久しぶりの牛肉の味を堪能しているが、やはり牛肉というと誰の頭にもよぎるものがあるらしい。狂牛病という言葉が出た。ここは日本から五千キロも離れているところだ、関係ないよ、そんな声も聞こえる。実はニューギニアには最近まで人肉を食う習慣があって、それが原因で人の狂牛病(クロイツフェルトヤコブ病)が蔓延していた。ニューギニア高地のフォア族のことで、その習慣は1950年代の後半まであったという。このフォア族の病気の研究で狂牛病の原因はウィルスではなく異常蛋白質(プリオン)だということが突き止められたのである。人類の歴史では人肉食はかなり広く行われていたらしい。1950年代といえば、ソ連の人口衛星が打ち上げられた頃。歴史の流れの中で、本当に手の届くようなところまで、このような人類の習慣があったことに驚く。私の頭の中にはこんなことが浮かんだが、せっかくの牛肉の気分を損なうもの、私は黙って堅い牛肉を味わっていた。

 

 28日、ニューギニア最後の日である。午前3時に起床。荷造りをして外に出る。満天の星空。迎えのバスを待つ間、皆で空を見上げて南十字星を捜す。それらしい星の並びは見つかるが自信はない。日本では見られない、大きな美しい星が沢山輝いている。大のおっさん達が皆で星空を見上げて星を捜す光景はこれが最初で最後であろうか。この美しい星空もニューギニアの一部である。そして、失われてゆく地球の星空の中で貴重な人類の財産としての星空でもある。ニューギニア全体で12万人の将兵が命を落とした。そのうち9,230人が群馬の人。この数字に改めて驚愕する。彼らにとって、せめてもの救いは、この美しい星空の下で眠れることであろうか。だから、この星空をいつまでも守ってやることも、私達のつとめである。「さらばラバウルよ、また来る日まで」そして、その時までこの美しい星空が、そのままであるように私は祈った。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。   

 

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2017年8月 5日 (土)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第59回

 

 一つはあまりにも悲惨な戦争というものを二度と起こしてはならない、戦争のない平和な国を作らなければならない、という反省と願いを込めて平和憲法がつくられ、これを基礎に戦後日本の奇跡的な復興と発展が実現したことである。日本国憲法を支える基礎の基礎にはおびただしい日本兵の(勿論兵士だけではないが)白骨が折り重なっている。そして今日の日本の繁栄は、この憲法の上に築かれている。この意味で、今日の日本の繁栄の基礎には英霊の尊い犠牲があるということが理解出来るのである。もう一つはもっと身近な視点である。たとえ、国の政策が間違っても、1人1人の兵士は即のために命を捧げたのである。古里を守るため、親や妻子を守るため極限の力を尽くして死んでいったのである。生き残った日本人はその悔しさと苦しさを思って歯を食いしばって頑張った。その結果が今日の繁栄である。この意味で今日の繁栄の基礎に戦死した英霊の犠牲があるということが納得できるのである。また、このことは、今日人々が利己的になって、社会公共のために、国のためにという意識が薄くなっているときだけに、太平洋戦争を振り返るとき改めて考えなければならない点であると思う。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。   

 

 

 

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2017年8月 4日 (金)

人生意気に感ず「改造内閣スタート。その意味と特色、面白さ」

 

◇安倍改造内閣がスタートした。記者会見に臨む首相の姿には困難に立ち向かって再出発を期す決意が現われていた。初めに加計学園、日報問題等につき反省とお詫びを表明し深々とやや長く頭を下げた。その一秒一秒から、私は首相の心中が伝わるのを感じた。

 

 首相は全閣僚の任命理由を原稿を読まず正確に述べた。そこには熟慮した結果の自信が窺えた。そして、全体としての内閣の特色を「仕事人内閣」と表現した。

 

 私が注目したポストは、先ず文部科学相、防衛相、法務相、外務相等であった。文科相は加計・森友問題、防衛相は日報や北朝鮮問題、安保関連法案、法務相はテロ等準備罪の運用などそれぞれ国会で激しく論争中の問題をかかえているからだ。これらについて誰が任命されるのかと注目した。発表されたのは、文部科学相は林芳正、防衛相は小野寺五典、法務相は上川陽子、外務相は河野太郎の各氏であった。やや意外に感じたのは、原発反対を主張し、時には政権に反論も辞さない河野太郎の存在である。私が受けた印象は、全体として堅実で仕事人内閣という表現が当てはまるということだ。閣僚の発表と同時にマスコミと野党は探偵団と化して隠された個人的な問題点を必死に捜そうとするだろう。大過なくパスすれば安倍内閣の支持率は上向くのではなかろうか。閣僚の顔ぶれと安倍首相の記者会見の姿からそう思った。

 

◇内閣の顔ぶれの一覧を見て改めて政治の人的な流れの繋がりの面白さを感じる。世襲を批判する声はあるが、受け継いだ要素を生かす本人の素質も重要なのだ。安倍、麻生、河野の各氏の祖父はそれぞれ岸信介、吉田茂、河野一郎である。もし鳩山邦夫が生きていて閣僚に名を連ねたとすればその祖父鳩山一郎の名もここに書くことになったと想像した。

 

 河野太郎氏の祖父河野一郎は鳩山首相(当時)とソ連に乗り込み、日ソ国交回復に尽力した。フルミチョフと渡り合った河野の剛腕ぶりは有名である。太郎氏の気骨の中にはそういう血が流れているかも知れない。外相としての強さと品格でサムライ日本を世界に示して欲しい。

 

◇増々強くなる台風、近づく巨大地震に対する国交相の使命は重大である。全ての閣僚が待ったなしの課題を抱いての船出である。(読者に感謝)

 

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2017年8月 3日 (木)

人生意気に感ず「今年の8月15日は特別だ。戦後の原点を。内閣改造は」

 

◇8月は特別な月である。言うまでもなく敗戦の月故であるが、今年は特別にその感が深い。72年前の最大の歴史的出来事を日本人全てが振り返る意味は限りなく大きい。それは今、戦争の足音が明らかに近づいているからである。また、戦争を知る人が少なくなっていることも重大である。戦争を知る人と知らない人では今日の状況につき危機意識が全く違う。

 

◇北朝鮮の暴挙は唯事ではない。核とICBM(大陸間弾道ミサイル)によってアメリカを挑発し、アメリカは現実の危機を深め軍事行動を起こそうとしている。北朝鮮を後押しする中国とロシア。私の目には、太平洋を挟んでアメリカと北朝鮮・ロシア・中国が対峙し、その間にあってアメリカの先兵の位置にあるのが日本と見える。

 

◇昭和15年10月30日生まれの私は、昭和20年8月5日の前橋大空襲の炎を曲輪町(現大手町)で体験した。まだ3歳であった。終戦後、赤城の山奥で開墾生活に入り、極限と思える物資の乏しい生活を味わった。だから、戦火の中で苦しむイスラム世界の難民のことが良く分かる気がする。平和の尊さは戦争の悲惨さを知らずして理解できない。戦争反対を叫ぶだけでは平和を守ることは出来ない。日米同盟は限りなく重要であるが、トランプを真から信用することは出来ない。日本を守るのは私達の知恵と力であることを自覚しなければならない。

 

◇時代はこの70年で想像を遥かに超えて変わった。外国人があふれる国際化時代となった。8月5日、私は多くの留学生に戦争と平和を語る。「紙芝居」を大きなスクリーンに映して使用する。前橋大空襲、広島・長崎の原爆、終戦を告げる天皇のラジオ放送、廃墟から立ち上がる日本人の姿などを語る。アジアの留学生も日本の若者同様、現在の社会に危機感を抱いていない。この状況に小さな一石を投じたいと思う。

 

◇今、3日の早朝であるが、内閣改造の全体像が見えてきた。今回の改造には特別な意味がある筈である。北朝鮮問題を始めとする難題への対応、自民党の支持率低下の歯止めなどがかかるからである。「おごれる平氏は久しからず唯春の夜の夢の如し」を思わせる状況があった。「このハゲ―」から始まり、不倫問題など、甘い蜜に昆虫が集まる現象だった。新体制はこの危機を乗り越えることができるのか。(読者に感謝)

 

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2017年8月 2日 (水)

人生意気に感ず「8月がきた。70年前の日本。戦争の足音。私の紙芝居。籠池逮捕」

 

◇8月を迎えた。とにかく暑い。狂気の異常気象が続く。天界ばかりでなく人間界も狂乱の状態である。戦争の足音が近づいてきた。狂気の北朝鮮が放つミサイルの落下が日本列島に迫っている。このような状況下で8月を迎える意味を噛み締めねばならない。

 

 来る8月5日、私は多くの留学生を前に紙芝居「前橋の一番熱い日」を演じる。それは昭和20年8月5日の夜10時30分頃、92機のB29が前橋市を襲い市街は火の海と化し死者は535人に達した。この時、私は4歳。県庁近くの防空壕に逃れた。私の手が千切れるように必死で引きずる母の姿を私は覚えている。

 

◇紙芝居はこの場面を入れて12枚。「実はもっともっと熱い地獄の炎、運命の時が迫っていました」と私が語ると、ドドンドンと太鼓が鳴る。8月6日、そして9日の悲劇、広島・長崎の原爆の絵が登場する。ここで、ドドンドンドンと太鼓の音は一段と大きく響く。ラジオから流れる天皇の声を聴く人々、最後は廃墟から立ち上がる人々の姿。その上に並木路子が歌う「りんごの歌」が流れる光景。昨年はここで、私は「赤いりんごに くちびるよせて だまって見ている青い空」と歌い大きな拍手を得た。今年も同じように進むのだろうか。

 

◇今、廃墟と化した前橋市街を思い出す。「国破れて山河あり 城春にして草木深し」。杜甫の詩の光景であった。私はこの後、家族と共に赤城山の開墾生活に入った。食べ物のない時代、ランプの下で母と代わる代わる深夜まで声を出して本を読んだ小学生時代が懐かしい。

 

 戦争を知る人々が少なくなった。戦争を知る人々は歴史に位置づけて戦争と平和を考えない人が多い。70年前の出来事を最大限生かす時がきた。何百万の犠牲者を教訓として生かさねばならない。

 

◇籠池夫妻が遂に逮捕。なんと補助金5,600万円の詐取容疑とは。教育勅語を子どもたちに朗唱させていた。籠池氏の国会でも証言の姿などで、一時は骨のあるいっぱしの国士と受け取る向きもあった。校庭に埋められた膨大なゴミと共に次第にこの人物の実像が見えてきた。安倍首相に「これ以上お父さんをいじめないで」と叫ぶ夫人。いかにも漫画的でマスコミにいい材料を提供した。首相夫妻の軽さを暴露することにもつながった。(読者に感謝)

 

 

 

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2017年8月 1日 (火)

人生意気に感ず「実感する戦争の足音。稲田と安倍の軽さ」

 

◇戦争が近づいていることを肌で感じた。北朝鮮がまたICBMを発射。北海道の沖約150キロという排他的経済水域内に落下。北は米本土全域が射程距離に入ったと強調。アメリカでは軍事行動を求める世論が高まっていると言われる。

 

 これは28日の深夜のことであるが、29日午前、茨城県龍ヶ崎市ではミサイル着弾を想定した住民の避難訓練が行われ、約150人の住民が緊張した表情で参加した。二階自民党幹事長は防空壕(シェルター)の設置の必要性につき言及している。

 

◇私は昭和15年生まれなので、翌16年に始まった太平洋戦争下の状況を幼児体験として覚えている。前橋市の市街地の一角で連日のように空襲警報が鳴った。8月5日の前橋大空襲では迫る炎の中、母に手を引かれて防空壕に逃げた。一夜あけると遠くまで見渡せる死の街が広がっていた。

 

 夢のように思えるあの光景が目前に迫っているかも知れないのだ。このような切迫感は戦争を全く知らない世代には分からないであろう。

 

◇アメリカは何等かの軍事行動を企画しているに違いない。金正恩の危険な挑発にどう対応するか息を呑む瞬間なのだ。アメリカが軍事行動を起こした時、第一に狙われるのは、日本と韓国である。しかし一般市民は呆れるほど暢気である。安保関連法案の時戦争反対を叫んだ人々はいざという時どのようにこの国を守るつもりなのか。

 

◇28日、稲田防衛相が辞任した。こんな緊迫した安保情勢下にと、国民は誰もが思う。PKOの日報問題の責任をとったもの。安倍首相は「任命責任はすべて私にある」と述べた。もとより当然のこと。国務大臣の任免は総理大臣の専権なのだ。憲法は総理大臣の権限として「国務大臣を任命する」、「任意に国務大臣を罷免できる」と定める(68条)。遠くから見ていて「お嬢さん」という感じがした。ハイヒールで潜水艦を視察と批判されたこともあった。辞任後に見せた笑顔は彼女にとって責任がいかに重かったかを示すようだ。サムライの拠点ともいうべき防衛省のトップとして軽かった。このような人物を信頼した安倍首相の軽さに通じる。ICBM発射は日本にとり最大の危機であり首相の強いリーダーシップが求められる。支持率に変化はあるか。(読者に感謝)

 

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