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2017年7月23日 (日)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第56回

 

 ニューギニアの戦局は深刻の度を増していた。ダンピール海峡の壊滅的な悲劇が1943年(昭和18年)3月2日のことで山本五十六の死はこの年4月18日に起きた。

 

 このような状況の中、山本連合艦隊司令長官は、最前線の視察と将兵激励に回るために、トラック島の基地を飛び立って先ずラバウルの海軍司令部に立ち寄ったのである。

 

 ここからブーゲンビル島に向けて飛び立って間もなく事件は起きた。遥かにブイン飛行場が見え始める頃、敵機30機に襲われ、山本長官の機は密林の中に撃墜されたのである。

 

 マッカーサー回想記の中でマッカーサーは、この出来事について、誇らしげに次のように書いている。「4月18日、太平洋戦争を通じてもっとも重大な意義を持つ攻撃の一つが行われた。米空軍が日本の連合艦隊司令長官山本五十六提督の乗った飛行機を打ち落としたのだ」

 

 山本長官の行動計画は極秘であったが、連合軍は日本軍の暗号をすべて解読していたのである。回想記によれば、マッカーサーは傍受した日本の電報から山本長官が現地の激戦を自ら視察するため、ラバウルからブーゲンビルへ飛ぶ予定であること、飛行経路、空中での援護の規模、ブーゲンビル西海岸沖上空での護衛機との出合い地点などをつかんでいた。電報を疑う者もかなりいたが、マッカーサーは山本が危険を冒しても最前線に出てゆく性格であることを見抜き、もっとも優秀な飛行士の一人であるランフィア少佐に対し、彼の飛行隊を指揮して、山本機を追撃せよと命令した。誠に残念なことに、マッカーサーの判断は的中することになる。

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。   

 

 

 

 

 

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