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2017年6月10日 (土)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第43回

 

これと交渉して食料を手に入れることの可否は正に死活問題であった。この大切な交渉の手段として使われたのが、ピジン語であった。こう思うと若者が淡々と話す一つ一つの単語に、やせ衰え虚ろな目をした幽鬼のような日本兵の姿が結びつく。私は厳粛な気持ちでピジン語の話を聞いた。

 

 学生たちに礼を言って外に出ると濃い夕闇があたりをおおっていた。私は、胸に突き刺さる思いで聞いたピジン語の話を思い返していた。そして、純朴そうな、そして真剣な学生たちの表情を思い浮かべ、地上で最後の秘境といわれるニューギニアが、彼らの手によって順調に発展することを願って、ラエ・テクニカルカレッジを後にした。

 

 

 

(5)

 

 

 

1 廃虚のまちラバウル

 

 

 

 10月26日、ニューブリテン島のラバウルに向かう日である。ラバウルは楽しみにしていた所であった。ニューギニア戦というとかく悲惨なイメージがつきまとう。昼なお暗いじめじめした熱帯のジャングル、飢餓、蛆、人肉食など。しかし、ラバウルは違うのではないかという漠然とした思いがあった。ラバウルといえば、「さらばラバウルよ、また来る日まで」というラバウル小唄を思い出す。ラバウル小唄を知る人は多いが、これをニューギニア戦と結びつけて考える人は意外に少ない。

 

 そして、ニューギニア戦の中でラバウルの占める重要性について知る人は更に少ないようである。英霊達が参加した戦いの意味を知ることは、慰霊巡拝の重要な目的の一つだと私は思う。

 

 

 

 

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。

 

 

 

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