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2017年4月30日 (日)

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第29回

 

  特にニューギニアの北岸地帯が重要であった。それは、ニューギニアは南部と北部の間に4,000メートル級の山脈が横たわり、日本に面している北岸地帯は連合軍が日本を攻撃するための基地をつくる上で大きな戦略的価値を有していたからである。だから、ニューギニア北岸は、日本が死守しなければならない重要な地点であった。 

 

 このような状況に備えるため、中国で戦っていた北関東編成の師団中の第51師団は、南下してニューブリテン島のラバウルに至り、ここからダンピール海峡を越えてラエへ渡ることになったのである。

 

 この作戦に大きな危険が伴うことは初めから明らかであった。ミッドウエーで敗れ、ガダルカナルで敗れ、制空権も制海権も奪われていたからである。しかし、大きな危険をおかしても海峡横断を敢行しなければならない程、ニューギニアの戦況は急迫していた。ニューギニア北岸を抑えて北上しようとするマッカーサー軍をどうしても阻止しなければならなかったのである。

 

 昭和18年の2月28日、司令官安達中将以下7300人の将兵は大船団を連ねて闇に乗じ悪天候をついてラバウル港を出港した。輸送船団がニューブリテン島の北を回り、ニューギニアの最東部に着くには3日かかる。

 

 ところで、日本軍のこの計画はすべて連合軍にキャッチされていた。そして、マッカーサーはいざという場合と同じような状況を想定して攻撃演習を重ね、また戦闘が開始された時、優位な立場に立つために、最も有利な攻撃ルートを研究していた。さらに、驚くべきことは天候が悪く雲が低い場合に備えて「新しい低空爆撃の技術」を特別に準備していたのである。

 

 

 

 ※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。

 

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