人生意気に感ず「43人殺傷、障害者はいらない。死の川を越えて・生きるに値しない命」
◇「障害者なんていらない」、「誰も幸せにしない障害者は殺害されるべきだ」。こんな動機に基づいて19人も知的障害者を殺した事件の根は深い。社会の黒い闇に伸びているようだ。
事件は相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた。容疑者はこの施設の元職員。衆院議長公邸を訪れ、襲撃を予告する手紙を渡していた。狂気の確信犯の一面が窺える。
未明に侵入し、5人の職員を結束バンドで手すりに結び付け、入所者43人を突き刺した。横浜地検は5ヶ月の鑑定留置の末、責任能力ありとして起訴した。心神喪失でも心神耗弱でもなく、善悪の判別が出来る状態だったと認めたのだ。悪いと分かっている。ならば止めるべきなのに敢えて踏み切るところに責任を問う根拠がある。これから始まる裁判をしっかり見つめなければならない。
◇「根が深く、社会の闇に伸びている」というのは現代社会の特色と結びついていると思えるからだ。物質の豊かさが異常に広がり、器械文明の発達は止まることを知らず、逆に人間の心は貧しくなるばかり。人間をボロキレのように考える風潮が広がっている。
高齢社会が進み認知症の人が増える。判断能力が衰え、社会の生産活動に参加出来ない人間は価値のない存在なのか。高齢者施設で死期が迫ったような人を高層から投げ落とす事件が起きた。犯人は、このような人間を税金を無駄に使う「生きるに値しない命」と考えているのだろうか。現在の教育はこのような人間が育ってしまうことに対して無力と見える。道徳教育は機能していないに等しい。
◇上毛連載の私の小説は今日で22回目。この先で「生きるに値しない命」という章が登場する。ドイツ人宣教師カールが草津湯の沢にやってきて、母国ドイツで危険な思想が生まれていることを知らせて警告するのである。
ドイツは第一次世界大戦に破れ過酷な制裁を課され国家存亡の危機に立たされていた。回復の見込みのない精神障害者などに国が金を使うことは許されない。生きるに値しない命には死を与えるべきだという考えである。ヒトラーが現われる前夜。ハンセン病の患者も同じか、国家の役割とは何かと激しい議論が闘わされる場面である。歴史は繰り返す。今日の社会がおかしな方向に向かっていると思えてならない。(読者に感謝)
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