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2016年8月15日 (月)

人生意気に感ず「8月15日を考える。歴史は教訓の母。私は戦争体験者」

 

 ◇71回目の8月15日を迎えた。全国でお決まりの戦没者慰霊式典が行われる。私は昨年までは毎年、ぐんまアリーナの式典に出たがそこで感じることは、慰霊の実態が年々薄くなっていくことであった。出席遺族が少なくなっていくことも理由の一つだ。太平洋戦争に現実に参加して地獄を見た人々も多くは死に、生きている人も90を超える。生の体験を伝える人が少なくなり、あの戦争の風化が進んでいるのだ。何とかしなければならない。 

 私は県議時代、中学生高校生を式典に多く参加させ、そこで戦争の惨状を感じさせる工夫をと訴えてきたが、役人は動かなかった。自民党の県議が真剣に動かなければ道は開けない。

 

◇歴史は教訓の母である。歴史を振り返れば、70年も世界の平和が続いたことはない。時と共に、一度出来た秩序が現実に合わなくなるのだから当然といえば当然なのだ。現在、世界の情勢がにわかにきな臭くなってきたことは偶然ではない。北朝鮮が従来の秩序を変えようとしている。これに対してアメリカは内向きになり、かつての役割を果たさない。東西の争いの接点にいる日本は重要な岐路に立たされている。戦争は嫌だからということで日本を守る議論が疎かになっている。

 

 私は昭和15年10月生まれで、その翌年12月に太平洋戦争が始まった。戦地には勿論行かないが、B29の下で逃げ惑い、戦後の廃墟と飢えの時代を経験している。あの時代も、正に戦争の続きだったのだと、今振り返っている。

 

 昭和22年に小学校に入学した時、ノートはなく、腹には回虫が湧き、女の子の髪には白いシラミが蠢いていた。前年昭和21年に新憲法が公布され、私の小学校入学時から教科書も内容が一変した。軍国調から平和調になったのだ。

 

 その一頁は、ひらがなで綴る優しい詩であった。

 

 おはなをかざる

 

 みんないいこ。

 

 きれいなことば

 

 みんないいこ。

 

なかよしこよし

 

 みんないいこ。

 

 ハングリーに耐えた私たちの世代も少なくなっていく。私たちの体験も貴重だとつくづく感じるこの頃である。昭和15年生まれの私は、戦中派であり、戦争の経験者なのだということを自覚して、体験を伝えていこうと考えるようになった。ハングリーな時代と飽食の時代の両方を知る時代の存在は非常に重要なのだ。(読者に感謝)

 

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