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2016年6月 4日 (土)

小説「楫取素彦物語」第131回

楫取に相談すると、すぐに賛成した

「それは良いことに気付いた。もとより賛成だ。力を貸すから思うようにやってみなさい

 寿は動いた。本願寺の執行長・島地黙雷を通して、寿の悲願は宗王明如に伝えられた。

 教勢が新たな地で発展することに明如に異存がある筈はない。好人寿の実績を知る明如は大賛成であった。

「それは良いことでございます。拙僧も及ばずながらお力をお貸ししましょう」

かくして、前橋に本願寺出張所が設立された。明治十三年四月のことである。これが、前橋の清光寺の開基である。

 説教所の初代の長は山口県出身の僧小野島行薫である。

 小野島は唯の僧侶ではない。幕末の長州では倒幕運動に参加し高杉晋作が起こした奇兵隊で訓蒙師として活躍した。

 小野島行薫と楫取との深い関わりは、山口県と群馬県との強い繋り、また、楫取と真宗との関わりの深さを窺わせる。

 寿は陰に陽に献身的に楫取を支えた。楫取からみれば松陰の分身の如き存在だった。説教所が出来たことは、寿が、一層、力強く、地域社会と共に楫取を支える存在になったことを意味した。

 説教所は次第に充実していった。この説教所が寿の悲願によって出来たこと、寿が吉田松陰の妹であること、これらは人々の知るところであり、楫取に対する人々の畏敬の念に繋った。所長の小島行薫がもと長州の人で奇兵隊で訓蒙士をつとめたことも人々の間でこの説教所の奥の深さを感じさせる材料になっていた。

 群馬県庁の幹部の中には、この説教所に通う人が多かった。次第に説教所は楫取を支える精神的よりどころのような存在となっていった

 

※土日祝日は、中村紀雄著【小説・楫取素彦】を連載しています。

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