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2016年2月20日 (土)

小説「楫取素彦物語」第96回

 

楫取は、万次郎の言葉を受けてさらに語った。

「実は松陰のことでぜひ知って欲しいことがあります。松陰には常に座右の銘にしていた言葉がありました。孟子の言葉で、至誠にして動かざるは未だ有らざるなり、です。性善説に立って人間を信じろという信念です。黒船に挑戦してアメリカ人と対面したときも、この信念を持って当ったに違いありません

「ほほう」

万次郎は、こう言って、このとき、いかにも興味深そうな顔をした。

そして、その後、松陰は安政の大獄に連座して江戸へ送られることになりますが、死を覚悟した松陰が私に遺した言葉がこれでした。今、万次郎殿が図らずも松陰を高く評価されました。私は自分のこと以上に嬉しく思いますが、この言葉と共に松陰を見ていただければさらに松陰が輝くに違いないと思ったのでございます」

楫取がこう話をしたとき、万次郎ははたと膝を打って身を乗り出して語り始めた。

「私は漂流し捕鯨船に救われアメリカに渡ってあの国の人々と接することになった。見るもの、聞くことみな初めてで、オトギの国に来たようだった。そんな時、支えになったことは、人間は心の中に仏と悪鬼を棲まわせている。鬼を見ちゃなんねえ、仏を見て付き合えという村の古くからの教えでした」

万次郎はそう言って、言葉を止めて楫取の表情をうかがった。楫取は大きく頷いた。

「私は、アメリカの学校でも、鯨りの仲間でも、アメリカの家庭の中でも、この諺がうまくあてはまることを知ったのだ。松陰の言葉と同じことだと思う。松陰が斬首されたことで、この言葉は、松陰が命を賭けて遺したものになった。松陰の遺産は日本人の宝であるばかりか、世界の宝だ。人類の宝だ。私は今、そう思いながら聞いておりました」

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

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