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2015年11月30日 (月)

人生意気に感ず「明倫小の感想文。風船をふくらませたい。湯浅治郎楫取を語る」

 

 ◇先日、ある町の公民館で楫取の話をした時のことである。いつもと組み立てを変えて、話の中で萩市の小学生の感想文を紹介した。昨年、明倫小と椿東小で講演した時、感想文をお願いしたのである。明倫小は松陰の教えを踏まえた教育をしていた。また、椿東(ちんとう)小は楫取の孫が学んだということであった。ここでは明倫小のSさん(女子)の文の一部を紹介したい。 

「楫取素彦さんは、萩ではあまり知られていない人だが群馬県の風船をふくらませた偉大な人だったんだと思いました。同時にそんな人を生んだ萩に住んでいてほこらしくも感じました。今の日本は風船のようにしぼんでいるとおっしゃいました。だから今日の日本を楫取素彦さんにならって私たちでふくらましていきたいと思いました」

 

 この作文は話の冒頭、私が今日の社会は元気を失って風船が萎むようだ、松陰先生や楫取県令にならって元気を取り戻さなければならない、と話したことを受けている。今、私の胸に広い体育館の光景が甦る。生徒代表の御礼の言葉にも、風船のたとえが上手に使われていることに感心した。柳林校長の文章が添えられていたが、そこでも「子どもたちの心の中の風船に『熱い空気』をしっかりと吹き込んで頂きました」とあった。

 

◇この日の公民館の話でもう一つ大切なことを話した。それは、1914年、群馬県廃娼20年の記念会に於ける湯浅治郎の発言である。湯浅は新島襄の教えを受けてキリスト教徒になり県議会に入り第二代の議長を務めた人物。

 

「私が議長の間に2つの大事件があった。一つは秣場(まぐさば)事件、一つは公娼の廃止である。(中略)我等の主張がいかに正義人道に叶っても知事の如何によってはどうなったか分からない。幸に楫取素彦氏だったから採用されることになった」

 

 湯浅の言う通り「知事の如何によってはどうなったか分からない」とは事実が物語る。それは楫取の跡を継いだ佐藤知事は、楫取の決定を当分延期するとして大問題となったことである。

 

 今日とは比較にならない程中央集権体制が強固な時代にあって楫取は議会と力を合わせて地方の意思を貫こうとした。人間尊重の強い信念があったから出来たことである。楫取素彦は、地方の特色を活かして地方の自治を実現したといえる。時代の先覚者であった。(読者に感謝)

 

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2015年11月29日 (日)

小説「楫取素彦物語」第68回

 孝明天皇は、よくぞやったと感激して藩主毛利敬親に「攘夷の褒勅」を下賜した。世界の動きから見れば正に愚挙であり暴挙であった。しかし、愚挙であっても時代が展開する契機となる。長州の暴挙はその歴史的好例であった。

 敬親公は伊之助を勅使出迎え並びに接待諸事役に任じた。朝廷との密接な連絡が予想されたからである。

「朝廷との連絡は我が藩にとって最も重要だ。粗相のないようしっかり頼むぞ」

 藩主は自ら伊之助に告げた。

「はい、藩の存亡がかかる任務であること伊之助、肝に銘じて務めて参ります」

 孝明天皇は大和に攘夷祈願で行幸することを決定。敬親公に随行せよと命じた。伊之助は早打で萩に動きその旨を上申。しかし、この大和行幸は突然中止された。朝廷内の大きな変化を予感し伊之助は恐れた。

 予感は的中する。八月十八日、朝廷内で政変が起きた。公武合体派により攘夷派は朝廷から追放された。公武合体派は薩摩と会津を中心とする力である。唯一天皇を支える力と自負してきた長州としては面目丸つぶれであった。文久三年は過ぎ元治元年を迎えた。

 元治元年の正月早々、伊之助は長崎聞き役を拝命して長崎へ出張した。ほぼ二ヶ月間滞在した。外国の情報を調べることが目的であった。

 ある夜、御高祖頭巾の女が人目を盗むように伊之助の宿を訪ねた。頭巾をとった顔が灯に浮き出て美しい。

「お綱と申します」

 女は両手を丁寧について挨拶した。

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

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2015年11月28日 (土)

小説「楫取素彦物語」第67回

 

「時期尚早ではないか」

「いや、時代は大きく動いている。長州が立てば天下が動く。この役割は長州をおいてところはないのだ」

伊之助の気迫に人々は圧倒された。

かくして遂に本藩に従うことになった。

「やったぞ」

 伊之助は心で叫んだ。

自然に松陰の姿が胸に浮かんだ。

ここまで頑張れたのは、命をかけて信念を貫いたあなたの教えですよ、あなたが遺した至誠の書の力ですよ

心の松陰に呼びかけるのであった。

 報告を受けた敬親公は大変喜んで、伊之助に小袴を与えた。

 

 

 攘夷の嵐

 

 

 文久三年五月、長州は攘夷戦争に突入した。

五月十日における米艦砲撃をかわきりに、仏、蘭の艦船を次々に砲撃した。この時は、いずれも本格的な砲撃戦にはならなかった。長州は大いに気をはいたが、相手に大きな打撃を与えたわけではない。外国の艦は、期するところがあって、長州の砲撃状況をじっと観察していた。

「外国艦は大したことはない」

こういう声が上がる一方で、

「攻撃したこと自体が問題だな。このままで済む筈はない」

と心配する声もあった。

 攘夷実行は朝廷の強い意向であった。朝廷の再三の催促を受け、幕府はやむを得ず攘夷実行の期限を五月十日と定めた。しかし、実行したのは長州藩のみであった。

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

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2015年11月27日 (金)

人生意気に感ず「原節子の死の意味。続く警官の不祥事。原発なしでも」

 

 ◇原節子が亡くなった。時々、週刊誌で秘かに暮らす姿が報じられていたが、95歳とは驚いた。彼女の主演作の主なものは私の小中時代と重なる。「青い山脈」「晩春」「お嬢さん乾杯」は昭和24年、私が小学3年生の時の作品である。昭和21年に新憲法が公布され、社会には民主主義の風が流れていた。それに乗るかのように「リンゴの歌」が至る所で歌われていた。原節子が銀幕で醸し出す雰囲気は、そんな時代の風潮に合っていた。今日の女優はすぐに脱いであられもない肢体を当然のように晒す。原節子が演じる貞淑で慎み深い女性は伝統的な大和撫子を象徴していた。それだけに表に出ない私的生活に想像力をかき立てられた。永遠の処女といわれたが果たしてそうだったのか。 

◇いくら何でも酷すぎる。警察官の続く不祥事。「警察だってやっているではないか」という声が聞こえてきそうである。名古屋と埼玉の事件だ。名古屋の30代の巡査部長は名古屋駅で女性の尻を触って逃げた容疑で書類送検された。酒を飲んだ後で非番だったらしい。迷惑行為防止条例違反。

 

 一方、埼玉の事件は一片の同情の余地もない重大犯罪。25歳の警官は、女子高生を脅してホテルに連れ込み強姦し傷害を与えた。盗撮画像を見せて「私は盗撮防止の仕事をしている。協力しないと個人情報が流出します」と嘘を言った。容疑は強姦致傷。法定刑は無期又は5年以上の懲役である。警官の犯罪は社会を守る砦の崩壊を意味する。国民の倫理感に与える悪影響は測り知れない。多くの立派な警察官が気の毒だ。

 

◇2014年度の温室効果ガス(CO2等)の排出量が前年度比で3%減った。原発停止中に減ったという点に大きな意味がある。原発必要論の論拠の一つは、原発はCO2を出さない、原発がなければCO2が増えるという点である。環境省の発表は、原発がなくてもやっていけるという論拠の一つを提供するものだ。省エネの動きの拡大、太陽光などの再生可能エネルギーが伸びた効果である。

 

 現在、クリーンエネルギーについては様々な研究と技術開発が進んでいる。この分野は新産業を生み出す宝庫である。小泉元首相が言うように政府が決断すればその扉が開く。

 

◇今日はふるさと塾。金曜に変更になった。ハンセン病(らい)の歴史と現状を話す。先日草津の死の川(湯川)の音を聞いてらいの歴史を感じた。(読者に感謝)

 

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2015年11月26日 (木)

人生意気に感ず「テロ対策は地方にかかる。3・11の教訓を。したたかな村上元代表は」

 

◇靖国神社爆発物事件は、時が時だけに、犯人の意図とは別に、テロに対する警備対策の緊急性を天下に示すことになった。県議会が始まっているが、この問題を誰がどう取り上げるのか。私は県議現職の時、テロの問題を何度か取り上げた。勿論、当時、現在のようなISが突きつける問題は生じていなかった。そんなある日、私は中国の友人を県行政蓮棟の32Fに案内した。この友人は「ノーチェックね」と余りの無防備に驚いて言ったのだった。

 

◇今回の靖国の事件を機に政府はにわかに危機感を強め当面の伊勢志摩サミット対策に躍起となっている。平和ボケと言われる状態が長く続いた日本。日本中が隙だらけだ。この隙を埋めるのは地方の意思である。国民の平和と安全は地方の備えにかかっている。テロ対策は、国と地方の連携にかかっている。そして、本県の安全は、国との連携を踏まえて、県と市町村との連携にかかっていると言わねばならない。

 

 国際テロに対して原発が心配である。本県に原発はないと言ってこの問題に無関心な人が多い。しかし、隣県柏崎の原発は100キロ足らずの距離ではないか。県境を越えるというだけで原発なしの県と考えることは間違っている。

 

◇「3・11」が遠ざかっている。あの歴史的事故の教訓を活かす時ではないか。事故の前に、NRC(米原子力規制委)は日本に対し核テロ対策強化を促したが保安院は日本にテロ問題は存在しないとして米国の進言を拒絶した。国民の生命、社会の安全のカギを握る専門家の意識と責任感覚はおよそこんなものなのだ。

 

◇私は「国会事故調」を改めて読み返した。それは福島原発事故は、可能な対策を怠ったことによる人災だったと厳しく指摘し、「世界の中の日本」という視点に立って、この国の信頼を立て直すべきことを訴えている。残り半年後に迫った「伊勢志摩」から5年後の東京五輪まで、「安全の国日本」に対する世界の信頼を確かなものにすることは、取りも直さず国民の安全を守ることなのだ。そのために、今こそ、あの「過酷事故」を見詰めるべきである。

 

◇株の世界で旋風を起こした旧村上ファンドの村上氏が再び注目の存在だ。通産省退官後村上ファンドを率いた。インサイダー取引で有罪に。時を経て潤沢な資金で再び株の世界に。そしてまた、株価操縦の容疑で強制調査。見守りたい。(読者に感謝)

 

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2015年11月25日 (水)

人生意気に感ず「靖国爆破の意味。楫取顕彰会の役員総会で。過激思想の排除」

 

 ◇靖国神社の爆破に驚く。瞬間、「テロか。遂に日本も」と思った。靖国神社は政治的に、そして歴史的に特別な存在で韓国や中国との間で絶えず問題視されてきた。これまでに、旭日旗を燃やしたり、神門に火をつけるなどの事件が繰り返し起きていた。今回、特に衝撃を受けたのは、パリ同時多発テロの直後で、「イスラム国」関連のテロが世界中で予想される矢先に起きたからである。真相は分からないが時限式爆発物が使われたらしい。 

 今回の事件は極めて示唆的である。日本が無防備で、テロを行おうとすれば容易であることを示したことになる。今後、伊勢志摩サミット、ラグビーワールドカップ、東京五輪などの世界的イベントが続く。これらだけではない。東京、大阪などの大都市は連日人間でごった返している。これは連日大イベントが行われているようなもので防ぎようがない。「イスラム国」は世界から追い詰められている。何をするか分からない。警察力には限界がある。国民一人一人が危機意識を持ち、国と社会を守る覚悟を深めることが求められる。自衛隊の存在意義が増々高まってきた。

 

◇昨日、楫取素彦顕彰会の役員総会が行われた。私は、会長としての挨拶の中で、今年3月2日の県議会における発言を紹介した。ここで、私は長い県議生活の最後の舞台であることを意識して楫取素彦を取り上げた。役員総会で敢えて取り上げたのは、今後の顕彰会運動を進める上で非常に重要だと考えたからである。私は、大沢知事に、道徳教育、及び、女性の人権を尊重した楫取の功績についてどう考えているかとただした。大沢知事は楫取が作らせた「修身説約」を挙げて道徳教育の重要性を主張し、また、日本で最初の廃娼県への道を開いたことに触れ、本県の更なる飛躍のために女性の活躍が不可欠であると説き、これらの基礎を築いた楫取の功績をたたえた。NHKの「大河」は間もなく終わるが、私たち楫取素彦顕彰会は、新たなスタートラインに立ったと考えるべきだと私は訴えたのである。

 

◇今「イスラム国」対策で注目すべき発言がある。アラブ人にとってパレスチナ問題は不正義の象徴。不正義の存在が過激思想を生む。「イスラム国」の戦闘員を殺すことが出来ても過激思想を排除出来なければ、テロを撲滅することは出来ないというもの。思想が人を動かすのだ。(読者に感謝)

 

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2015年11月24日 (火)

人生意気に感ず「ハンセン病は今。地獄谷を訪ねた。大阪ダブル選と今後」

 

 ◇22日午後私は草津の楽泉園へ向かった。来月3日、取材で正式に訪問する予定であるが、壮大な人間のドラマが展開した舞台の雰囲気を事前に受け止めたかった。深津が近づくと、高い山と深い谷がいつもと違った何かを語りかけているように感じられる。 

 私は、昔観た映画「ベンハー」を思い出していた。チャールトンヘストンが主演で、劇中のヘストンの母と妹がらい病に侵され、死の谷に閉じ込められている。谷の洞穴に身を寄せ合う人々の悲惨な姿が瞼に焼き付いている。湯ノ沢部落には地獄谷と呼ばれる場所があったというがどんな所であろうか。

 

 らい病の人たちが助け合って住んだという谷状の地形は旅館街とつながり、死の川と言われた強酸性の湯川は蓋をされている。私は建物群が尽きる前方に目をやった。そこに湯川が深い谷を刻み地獄谷があるに違いないと思った。車を南方に走らせると道の右側に広大な楽泉園が広がり、道路の左側の雑木林は深い谷に落ち込み、車を走を出ると強い谷川の音が響いていた。

 

 楽泉園に移り住んだ人々は、谷底から薪や炭を運んだという。時代を遡れば、生きられないらい病の人々が捨てられたり突き落とされたとも。地獄谷もこのあたりかと想像した。

 

 夕闇迫る園内に入ると、カトリック教会、自治会館、中央集会所、本部事務館等の建物が音もなく佇んでいる。中央集会所を見て、ここで激しい人権闘争が展開したのかと感慨を深めた。また、離れた一角には重監房資料館があった。日本のアウシュビッツと言われた重監はすでに取り壊されている。近くの諏訪神社に足を踏み入れた。社は闇に包まれ、社の裏手から湯川の音が歴史を伝えられるように聞こえていた。

 

 死の川を蘇らせた品木ダム、田代原、尻焼、花敷を経て白砂川を南下して帰路についた。古い歴史を刻むこれらの集落は、らいの人々を支え、彼らが生きた闘いの舞台でもあった。

 

◇大阪のダブル選は維新が勝った。府知事選と市長選はいずれも大阪維新の会が完勝し、橋下氏の影響力は維持されたようだ。風雲児を思わせる橋下氏は政界引退を表明しているが本物かどうかはこれからの行動にかかる。「新大阪都構想」は実現するのか。「副首都」が出現すれば、地方創生という点からも面白い。かつて豊臣秀吉が天下に号令し、江戸に敗れた大阪である。東と西で新たに、発展のために競い合う時代は果たして来るのだろうか。(読者に感謝)

 

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2015年11月23日 (月)

小説「楫取素彦物語」第66回

 吉川監物公とは大論争になった。

「幕府と争うなど無謀ではないか。一歩誤れば藩の滅亡を招くぞ」

 監物公は大反対であった。

「外国に屈してずるずると譲歩を続ければ長州が亡びる前に日本が亡びます。孝明天皇の御意向もそこにあります。敬親公は不退転の決意です」

 伊之助の目にも死を賭する決意が窺えた。監物公は、最後は本藩の考えがそういうことならばということで同意した。

 長府公の説得はもっと大変だった。藩主は重病と称して会ってくれない。重役に会って頼むが承知しない。伊之助は必死だった。

尊王の大義を長いこと貫いてきた我が藩の真価が問われる時が来たのですぞ。幕府の誤った外交で日本という国が亡びてよいのですか。岩国はわかってくれましたぞ」

伊之助は重役たちに必死で訴えた

 そして伊之助は強く言い放った。

「私は本藩の命を奉じて来たのだから、長府公が一息たりとも御命のある間はご面会して命を伝えなければならない」

日頃冷静な伊之助が激しく燃えていた。

 到頭、長府公は病床で会ったが返事をしない。

藩の有志を説かねばならないということになって、夜、浜の松の木の下で秘かに会議をすることになった。

「幕府に逆らえば取り潰しにあうぞ」

「いや、昔の幕府ではない。関が原の怨みを返す時が来たのだ」

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

 

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2015年11月22日 (日)

小説「楫取素彦物語」第65回

「分かりました」

 伊之助は玄瑞の手を固く握った。

 藩主敬親を交えた会議は激しい論争の場となった。

「孝明天皇が攘夷を明らかにされた以上これを支持することが長州のとるべき道だ」

「幕府に正面から逆らっては長州が危うくなる」

「そんな弱腰でどうする。いざとなれば支藩とも一丸となって戦うのが関ケ原以来の我が藩の魂ではないか」

「諸外国と結んだ条約を破棄するなど現実無視だ」

 両派に分かれ、このような激論が闘わされたが、藩主の採決となり、破約攘夷と決まった。幕府が結んだ条約を破棄し、外国を打つというのだから幕府に真向から逆らうことになる。幕府の制裁を受けることは明らかであった。

 伊之助は藩主に呼ばれて密命を受けた。

「秘かに京を出て、長府の毛利と岩国の吉川へ行き、破約攘夷の方針を伝えよ。将来万一幕府と戦う時は一致協力することを説得せよ」

 敬親公の顔面は蒼白となりひきつっていた。

 伊之助は藩主の顔を見て決意を固めた。

これは大変なことだ。藩主は命をかけておられる。自分も命をかけよう。藩の命運がかかっているのだ

伊之助はこう思った。そして、こんな大役を自分に託した藩主の心に感謝した。伊之助は松陰から得た「至誠」の書を思い出した。今は、妻寿に預けてあるが、あの鮮やかな筆跡が伊之助よ誠を尽くせと励ましている。そういう思いで伊之助は岩国に向かった。

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

 

 

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2015年11月21日 (土)

小説「楫取素彦物語」第64回

 

 

この年の十二月、伊之助は、儒官の中から抜擢され則儒役に任ぜられた。藩主の側に仕える秘書的な存在である。

 

 ある時、伊之助は呼ばれて毛利敬親公の前に出た。

 

「お前が松陰の義弟か」

 

「はい、恐れいります。左様でございます」

 

「惜しい男を失った。幕府め許さぬぞ。十一歳のとき余の前で兵学を講義した。見事であった。これからが我が藩の意地の見せどころと心得よ

 

松陰のことを思いながらお前に頼むこともあるだろう。よろしく頼むぞ」

 

「ははー。誠にもってがたいお言葉。草場の影で義兄も感激していることでしょう。この伊之助、全力を尽くしてお役目を果たす覚悟でございます」

 

 敬親公は満足げに頷いていた。

 

 

 

 攘夷を貫く長州藩に一大事が生じたのは文久二年から三年にかけてのことであった。

 

 文久二年(1862)、長州藩は藩の方針を大きく変えた。「公武合体」から「破約攘夷」への変換であった。それは、京都屋敷の会議で行われた。伊之助は藩主敬親に従って京に来ていた。

 

 伊之助は秘かに玄瑞と会った。

 

 玄瑞が言った。

 

「義兄者(あにじゃ)、私は明日の会議では断固、破約攘夷を主張する決意です」

 

「幕府を敵にすることを覚悟の上か」

 

「もとよりです。我等が師、松陰先生が、机を叩いて、勅命に逆らった幕府を非難した姿が思い出されるではありませんか」

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

 

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2015年11月20日 (金)

人生意気に感ず「教育委員の不見識な発言。らい患者の断種・堕胎。テロ。上信越道の事故」

 

 ◇「妊娠初期にもっと障害の有無がわかるように出来ないのか。4か月以降になるとおろせない。茨城県では減らしていける方向になったらいい」。これは茨城県の教育委員が18日教育に関する公の会議で行った発言である。この教育委員は発言を撤回した。71歳の女性教育委員のこの発言は波紋を広げるに違いない。 

 胎児に障害があることが分かれば早く堕胎し、障害児を少なくしたいと言っている。生涯ある子は生まれてくるべきでなかったということになるだろう。発言した教育委員は、 差別する気持ちはなかった。と述べているが、重大な差別発言であり、教育委員としての見識を疑われるものだ。

 

◇来月3日、私は草津の「楽泉園」を訪ねる。そこで出版された3冊の証言集には、ハンセン氏病(らい)で苦しんだ人々の驚くべき苦痛と事実が語られている。園内で結婚する人は断種を勧められ、妊娠すれば堕胎を余儀なくされる。ハンセン氏病はほぼ克服されたが、その歴史は壮絶な偏見と差別を物語る。楽泉園で生きた人々の姿は人間とは何かを突きつけて胸をうつ。人間は極限でも強く美しく生きる魂をもつ。数十億の脳細胞は人類の進化とその蓄積の成果である。そこには無限の可能性が秘められている。障害は限りない特色の1つに過ぎない。現在、教育の世界で問われているのは深い人間への理解である。

 

◇世界がにわかにきな臭さを加速させてきた。テロによって大量の命が木の葉のように吹き飛ばされ、発生する大量の難民は行き場を求めて生死の境にある。世界はどうなっていくのか。

 

 18日、ナイジェリアではイスラム国の2人の少女が混み合う市場で自爆テロを行い、少なくとも15人が死亡した。またアメリカのメディアは、「イスラム国」がニューヨークへのテロ攻撃を警告していると発表した。市長は「9・11以来14年にわたって絶えずこの街をテロの脅威から守ってきた」とテロに対する決意を表明した。世界では平等原則の進展と共にそれに反する格差が広がる。とり残された人々の不満に体制への病巣が生まれ、それは民主主義を危機に陥れる。

 

◇本県の関越道の大事故はまだ記憶に新しい。今度は安中市の上信越道で6台が衝突し、10人が負傷しそのうち2人が意識不明とか。現場の稲村山トンネルは私も時々通る所。高速道に慣れ多くのドライバーが危険意識を麻痺させている。高速道は命を危険に晒す場であることを再認識すべきである。(読者に感謝)

 

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2015年11月19日 (木)

人生意気に感ず「認知症を身体拘束。子どもに万引きさせる親。恐るべき小学生窃盗」

 

 ◇認知症の34人を身体拘束。大規模テロに比べたらとるに足らない小さな出来事とも。しかし、社会の存立に関わる重大事なのだ。埼玉県の特養・愛心園の事件。ベッドを柵で囲って出られなくしたり、車椅子に座らせたままベルトで固定したりしていた。厚労省は身体拘束を原則として禁じている。拘束せずに介護する他の手段がないかを施設内の委員会で判断し家族の承諾を得ることなどの手続きを求めている。 

◇私は抑制廃止研究会の役員をしている。創立後10年にもなる。設立時、呼掛けの趣意書は私が書いた。多くの施設が参加するようになったが、依然として跡を絶たない。介護の質の問題なのだが、根幹は人権である。枯れ木のように醜くなっていく老人を人間として扱うかという問題である。人手不足が深刻で、介護に携わる人の待遇を良くすることが国を挙げて訴えられている。

 

 しかし、条件を良くしても、介護に関わる人の人権感覚がなければ解決しない。教育の場で人間の尊厳を教えるべきなのだ。認知症でも心は生きていて屈辱感を味わっているのだ。ボロ切れ、汚物のように扱う風潮が広がっている。国家の品格に関わること。自爆テロで命を奪われる人以上の人命がゴミのように踏みにじられる恐れがあるというべきだ。

 

◇生活費のために6歳の子に万引きをさせた夫婦が懲役の有罪判決を受けた。格差社会が広がり、貧困家庭が増えていることを窺わせる悲しい事件である。高松市のアルバイトの父親(25)と無職の母親(26)。大型ショッピングモールで子どもに玩具を運ばせ転売した。裁判官は「常習的犯行の一環」と認定。裁判所は夫に1年6か月、妻に1年8か月の懲役刑、その上で2人を3年の執行猶予とした。

 

 注目することは、判決後、裁判官が「就職活動をして、しっかり仕事を続け、今後は真面目な生活を送って欲しい」と優しく語りかけたということ。裁判官の心にも涙があったに違いない。子どもは児童養護施設に。執行猶予中でも家庭環境が改善されれば親の下に戻れる。裁判官はこれを期待して猶予刑にしたのだろう。

 

◇「おしっこ我慢できない。トイレ貸して」と二人組の小学生が高齢者宅に入り現金を盗む事件が大阪で連続。1人がトイレの間にもう1人が他の部屋で盗む。数分間の早業。味を占めたのか。恐るべき子供等。何を物語るのか。放置すると大変だ。(読者に感謝)

 

 

 

 

 

 

 

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2015年11月18日 (水)

人生意気に感ず「国際テロと日本。カミカズと神風。ディエン・ビエンフーの戦い」

 

 ◇パリのテロ事件は日本にも強い衝撃を及ぼし続けている。菅官房長官は国内のテロ対策に万全を期す考えを示した。国際化が進む中でフランスと関係する企業やスポーツが対策を迫られている。 

 ベルギーが拠点に使われた。ベルギーの首相は近くテロの再発があると予測する。フランスは事件直後「イスラム国」を空爆した。報復合戦は加速し戦争状態は広がるだろう。

 

「イスラム国」の外国人戦闘員が増えているのが不思議だ。昨年は1万5千人だったのが最近は3万人になったと推計されている。「イスラム国」は、これらの戦闘員に「聖戦」を呼びかけている。

 

 日本にもこれまでに国際テロ組織のメンバーが入国した。彼らは偽造旅券で出入国を繰り返し本県に一時滞在したとされる。不気味だ。来年の伊勢志摩サミットが喫緊の課題だが多くの原発が心配だ。新潟柏崎の原発は何度も訪れたがプロのテロリストにとって攻撃は容易なことだと感じた。その他の原発も海岸に位置しており従来の体勢で防ぐとこは難しい。連日押し寄せる外国人観光客をどう守るか。これらの人の波は日本の安全を物語るものか、それとも国際テロや国際政治に人々が無関心であることを示すものか。自分だけは大丈夫という一般心理の現われか。

 

◇フランスのメディアは今回のテロに関して「カミカズ」という表現を一斉に用いているといわれる。その語源は日本の「神風特攻隊」の神風だというから私は複雑な気持ちになる。かつて多くの若者が片道だけのガソリンで日本の基地を飛び立って消えた。彼らには、理解できる純粋な精神があった。それを一般市民を無差別に殺す自爆テロと関連させることは許せない。

 

◇先日(16日)の留学生対象の「人間塾」の講義で、私はベトナムの若者と語った。講義に生徒を主体的に参加させる試みとして何か国かの若者に自国のことを語ってもらう一環だった。彼はディエン・ビエンフーの戦いを知っていると答え、私が補足した。支配国フランスを撤退させた壮絶な民族の、正に死を恐れぬ戦いだった。それにしても留学生たちの政治や歴史に対する意識は低い。

 

◇東京の高3女子強殺容疑の若者を見て思った。生活に苦しい貧困層が広がっていること、及び貧困に耐える力の欠如だ。豊かな社会の悲劇か。(読者に感謝)

 

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2015年11月17日 (火)

人生意気に感ず「パリ同時テロは、第三次世界大戦か。高齢者犯罪と刑務所」

 

◇パリ同時テロの衝撃波が世界をめぐっている。128人が犠牲、仏大統領は第二次大戦以来初めての非常事態を宣言、「イスラム国」は犯行声明を出した。先月31日、224人を乗せたロシア機が墜落し、これについても「イスラム国」が犯行声明を出したばかり。

 

 フランスが狙われたのは、「イスラム国」に対する空爆への復讐である。一番の敵はアメリカであるから、アメリカの同盟国日本が狙われるのは必至と見ねばならない。日本は大きな国際会議を控え、5年後には東京五輪がある。そればかりでなく、数多くの原子力発電所や公共施設が無防備に近い状態にある。

 

 オバマは、「我々と共通な価値観に対する攻撃」と鋭い非難を表明した。アメリカの独立宣言及びフランス革命の人権宣言は、今日世界を支配する民主主義と基本的人権の原点である。

 

 まことに始末が悪くまた恐るべきは、犯人たちは、自らの死を恐れぬ自爆テロを手段としていることだ。世界各国、特に欧州各国の若者が「イスラム国」に参加し、洗脳を受け、自国に帰りテロを繰り返す状況にある。それらは軍隊による軍事行動ではなく普通の市民を装うものだから防ぐことが困難である。

 

 長く平和が続いたという人が多い。しかし世界の実情はまるで、第三次世界大戦に足を踏み入れたようだ。日本を囲む状況は、他にも北朝鮮や中国の問題がある。これらは全て、最近の安保関連法と無関係ではない。平和ぼけと言われて久しい日本人である。この国をどう守るか。このことが正に問われる時が来た。幕末の「内憂外患」が大きく増幅されて甦ってきた。私たち一人一人の自覚と覚悟が求められ、何よりも政治の真価が問われている。

 

◇高齢の受刑者が急増している。27年版犯罪白書は高齢者の「再犯率」も非常に高いことを指摘する。これは、高齢者が一般に矯正が難しいことを示すものだろう。また、格差社会といわれる中で、貧しい高齢者が増えていること、そして、一度人生を踏み外した高齢者が立ち直ることに社会が冷たいことをも物語るといえる。

 

 刑務所内でこのような高齢者が増加することは新たな深刻な問題を引き起こす。当然のことながら認知症を初めとして介護を要する高齢者が増加し、刑務所が「福祉施設」化するという実態だ。人間を大切にする憲法の下で、高齢犯罪者の人権を刑務所内でいかに考えるかが大きな課題だ。(読者に感謝)

 

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2015年11月16日 (月)

人生意気に感ず「大韓航空機爆破・ロシア機墜落・パリのテロ。第3回人間塾」

 

 ◇224人の命を奪ったロシア機墜落のテロは北朝鮮による大韓航空機爆破事件を思い出させた。昭和62年(1987)、ソウル五輪前年の出来事で、乗員乗客115人が犠牲になった。ソウル五輪阻止の目的で金正日が直接命令を下して実行させた事件だ。朝鮮半島で北と南はそれぞれが自分こそ正当な国家だと争っていた。韓国に五輪を成功させれば、北朝鮮の面目は失墜する。狂気の独裁者金正日は、大韓航空機爆破によって、韓国は五輪が開ける国ではないことを世界に示そうとした。計画は失敗し、美人工作員金賢姫が逮捕され真相が白日の下に明らかになり、世界は衝撃を受けた。私は、20世紀の末に、隣国に、このような犯罪国家が存在することに驚愕した。 

◇しかし、「イスラム国」のテロ行為の性質と恐怖は北朝鮮の比ではない。「イスラム国」は、現在、世界を相手に実質的に戦争を行っている。その一環としてロシア機が爆破された。これはまだ確証に至っていないが濃厚らしい。「イスラム国」の戦略の特色は世界の多くの国の市民に紛れこんでいる仲間にテロを実行させている点だ。今後、ロシア機爆破のような事件が常に怒る危険を私たちは覚悟しなければならない。バリで起きた惨劇が同じく国際都市である東京でも起こることに備えねばならない。目的のためには貴重な人類の文化遺産をも破壊する「国」である。

 

◇「イスラム国」系統の過激派の自爆テロによって、連日のように何十人という人が犠牲になっている。死を忘れないテロリストは恐い。昔の日本の「特攻」と似た面がある。当否は別にして、彼らの精神を動かすものがあるのだ。「イスラム国」の背景には複雑な歴史が存在し、それには欧米の過去の傲慢さが関わっている。「イスラム国」を武力によって完全に屈服させることが果たして出来るのだろうか。私は、第三次世界大戦の危機が迫っていると思えてならない。そういう渦の中に日本は現在置かれており、憲法改正が大きな課題となっている。

 

◇今日、「人間塾」第三回の講義を行う。数十人のアジア諸国の留学生に群馬の歴史と文化を話す。今回は一つの工夫を考えている。学生たちを主体的に授業に参加させることだ。ネパール、ベトナム、インドネシア、中国の代表にそれぞれの国を少しずつ語ってもらう。10時50分から、会場はロイヤルホテルである。(読者に感謝)

 

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2015年11月15日 (日)

小説「楫取素彦物語」第63回

形見分け

 

  松陰が世を去ってから暫くしたある日、杉家の人々が集まった。松陰の遺品を分けることになったのだ。それぞれが松陰の思い出と繋がる品を選んだ。

 

「寿と文には特に渡したいものがあります」

 

そういって滝は布の包みを取り出した。

 

「寅次郎が江戸送りになる前夜です。私と二人だけになり、私は必ずこの家に帰れと言いました。寅次郎は、はいと答えながら、母上万一の時、気になるのは寿と文です、と言うのです。伊之助も、玄瑞も、いつこのようになるやも知れぬ、夫を支え強く生きなければらない。心にしっかりといいきかせるよう母上から渡してくれとあの子は申したのです」

 

そういって滝は包みを解いた。現れたのは二振りの短刀であった。

 

「まあ、大兄さんが私たちに」

 

文が叫んだ。

 

「それぞれ殿様から拝領した品ですよ

 

「兄さんは、私たちのことをそんなに心配されておられたとは」

 

寿は涙を拭きながら言った。

 

「寅次郎は指定したの、こっちは寿に、こっちは文にと。さあ、心して受け取っておくれ」

 

二人はそれぞれ、手にした短刀をじっと見詰めた。ずしりとした手ごたえに松陰の思いが伝わる。二人は、短刀の上にはらはらと涙を落とした。武士の妻として短刀は強く生きよと訴えている。

 

「武士の常とは申せ、残された女は辛いものです。それに、世を去っていくものはもっと辛いものだということを忘れず、この品を大切にしておくれ」

 

「はい、寿は兄の分身と思ってこの品を大切にいたします」

 

「はい、お母様、文は、いつも大兄さまのことを思って強く生きていきます」

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

 

 

 

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2015年11月14日 (土)

小説「楫取素彦物語」第62回

 母滝は終日仏壇に手を合わせ祈り続けた。ある日、一族の前で滝は口を開いた。

「大二郎が哀れでならない。苦労ばかりの三十だった。辛かった学問も無駄だったのかと思うと、ああ、耐えられぬ。この家で机に向かったあの姿が目に浮かぶ。今日だけは、母が泣くのを許しておくれ」

 滝は声をあげて泣いた。女たちもすすり泣いた。

「大兄(だいにい)さま、どうして死んだの」

 文がしゃくりながら言った。

 男たちは、唇を噛んで女たちが泣くのに任せた。暫くして伊之助が口を開いた。

「義母上(ははうえ)、お泣きください。今をおいて泣く時はない。義母上の声は松陰殿への最良の供養です。松陰殿も母の心に感謝しているに違いありません。」

 顔を上げた滝はもう泣いていなかった。伊之助の言葉に頷く顔は武士の家を守る女のそれであった。それを見て伊之助は続けた。

「私たちは松陰殿の死を無駄にしてはならない。それを乗り越えて進まねばなりません。松陰殿の理想と信念は私たちの胸の中に、村塾の塾生の胸の中にいつまでも生き続けていきます

 伊之助はここで話すのを止め懐から一枚の紙を出して広げて見せた。

 それには至誠而不動者末之有也、小田村伊之助に与う、とあった。

「私が儒学者であることもあって、義兄は、最後にこれを書き私に遺した。これには、松陰殿の人生が凝縮されております。私は、これを松陰殿の分身と思って殿に仕え、これからの人生を生きるつもりです

 この声に、妻寿の静かに頷く姿があった。

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

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2015年11月13日 (金)

人生意気に感ず「癩の歴史。風雪の紋を読んで。アウシュビッツか。日中今思えば」

 

 ◇私は「栗生楽泉園入所者証言集」と「楽泉園患者50年史・風雪の紋」を読み強い衝撃を受けた。証言の中には「特別病室」を日本のアウシュビッツと指摘する表現があるが、実態を知って、私の知る限りでの、ナチスのアウシュビッツ以上の過酷さに慄然とした。「特別病室」に入れられた92名中22名は「獄死」した。病棟である筈が、実態は極限の「獄」で壁には呪いと怨みの文字が記されていた。「特別病棟」はハンセン病(らい)患者処遇の象徴である。 

 無知が偏見を生んだ。恐るべき風貌の奥に息づく人間の心を国も県も地域社会も汚物のように忌避した。大きな変化が訪れたのは昭和22年である。人間回復のための人権闘争が始まる。前年に人間尊重を柱とする日本国憲法が公布されたことが園内の人々を目覚めさせ勇気づけたと私は信じる。

 

 明治の初め、県令楫取素彦と県議会は、公娼廃止という人権の問題で顕著な業績を残した。昭和22年以降の人権闘争で動いた政治勢力は共産党や社会党だった。知事と保守系県議はもっと役割を果たすべきであった。私は、人権の観点から楫取を取り上げてきただけに、それと比べて、この感を強く抱く。12月3日、県保健予防課の協力を得て栗生楽泉園を取材することになった。資料館を見たい、湯ノ沢部落のあとも見たい。そして、出来ることなら私の思いと筆でかつての「地獄」を甦らせたいと考える。

 

◇昨日(12日)、先日の日中友好青少年書道展に関わった実行委員会の反省会を行った。結果として成功であったが今後に生かすべきいくつかの指摘もあった。その一つは、県庁の会場で日中の子どもが筆をとることであった。芳賀小の交流授業はそれなりに意義のあることであった。

 

 この席で友人の書家郭同慶氏が興味ある発言をした。中国を理解するにはという話題の中でのこと。最近、日中が戦争したらどちらが勝つかというアンケートをしたら、日本が勝つという意見が多くあったというのだ。日本は一つにまとまるが、中国はばらばらだからというのがその理由らしい。私は、日本が一つになって一つの方向に走り出すことは日本の危ないところでもあると発言した。中国を知ることは難しい。誰かが「群盲象を撫でる」と言った。5千年の歴史を生きる象である。(読者に感謝)

 

 

 

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2015年11月12日 (木)

人生意気に感ず「ロシア・スポーツ不正の衝撃。国の威信と憲法。徘徊の家族の責任」

 

 ◇スポーツとは何か。オリンピックとは何か。国の威信とは何か。ロシアの組織的ドーピングの実態は正に衝撃。ロシアは検査直前に1400点以上の選手の検体を破棄した。WADAは、ロシア陸連の資格停止、選手の大会出場禁止を国際陸連に勧告した。ドイツの公共放送によれば、ロシアのドーピングは他の競技にも及んでいると報じ、WADAの調査の責任者も「これは氷山の一角」、「ロシアだけの問題でもない」と述べている。 

 FIFA(サッカー)でも最近組織的な疑惑があった。足下では巨人の野球賭博。フェアプレイの精神、純粋な努力が報われる、子どもたちの夢、信ずることが出来る理想の世界、それがスポーツの理想ではないか。

 

 ロシアの実態はロシアの政治の実態を物語る。目的のためには手段を問わない。かつての恐怖政治は変わっていないことを窺わせる。人権を無視し踏みにじる全体主義の国は他にもある。日本は正しい国と見られている。次の東京五輪を正しい意味で成功させたい。本当の国威とは正義と理想を実現すること。ロシアは国の威信を大きく失墜させた。

 

◇日本国憲法は日本の威信を象徴するものだ。憲法改正の声が俄かに大きくなっている。アメリカに押し付けられた事実は否定出来ないが、その本質は素晴らしいものだった。理想に過ぎると思われる姿も定着し世界が評価する輝きを示している。日本の威信に違いない。

 

 しかし、70年も経って、現実と合わない点も出来てきた。改正は必要だと思うが問題はどこをどう改正するかにある。改正の手続きを踏めばどのようにでも改正出来ると考える人が意外に多い。改正には限界がある。基本的人権の尊重、国民主権、平和主義などは改正出来ない。最近ある元中学の校長と話したら「そうですか」と驚いていた。私はこの事実に驚いた。今、我が「ふるさと塾」で憲法をやっている。憲法は私たちの日常と極めて身近かである。社会の大変革期に立って今こそ憲法を正しく知ることによって、正しい改正を遂げ国の将来を誤らぬようにしなければならない。

 

◇91歳の男性が徘徊中電車にはねられ電車を遅らせ家族が賠償責任を問われている。どこまで監督義務があるか。初の最高裁の判決が近い。毎日のように徘徊がケータイに現れる。超高齢化、認知症社会の過酷な現実が進んでいる。判決は他人事でない。見守りたい。(読者に感謝)

 

 

 

 

 

 

 

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2015年11月11日 (水)

人生意気に感ず「巨人の野球賭博。賭博とは。楫取杯を賭けた世界カルタ大会」

 

 ◇巨人軍選手の野球賭博で世の中騒然だ。刑法は、賭博をした者50万円以下の罰金又は科料に処す(185条)、常習として賭博をした者は3年以下の懲役に処する(186条)と定める。福田、笠原、松本の3投手は球団を解雇され華やかな世界から消える。この三人に限らないと思われる。3人は警察の事情聴取を受け事実関係を認めた。波紋は広がるのではないか。3人に罪の意識は薄いと思われる。ヒヤヒヤの者は球団内に多いに違いない。暴力団の関与が明らかになれば事態は深刻化する。 

◇かつて裁判で、賭博の本質は反倫理性反社会性がないという主張がなされたことがある。最高裁はこれを否定した。国民の健全な経済観念・勤労観念を守ることが賭博罪の趣旨である。単なる偶然の事情によって財物の獲得を争うことは、怠惰浪費の弊風を生み健康で文化的な社会を壊すもととなる。では、競輪や競馬を公的に認めているのはどういうことかとなる。財政上必要という理由は説得力が小さい。東京都は美濃部知事の時競輪を止めた。

 

◇9日、多くのアジア諸国の留学生が集まって、ロイヤルホテルで世界カルタ大会が行われた。勉強では目を輝かすことが多くない学生が喜々としてとして競う姿に驚いた。

 

「ありがとうお陰様で元気です」、「刺身天ぷら納豆が大好き」、「もったいないよまだ使おう」等のカードがテーブルに並ぶ。読み上げるマイクの声、「はーい」と手が伸びる。「あなたはお手付き。一回休み」。各テーブルには審判がついている。目の前の少女の手は速い。獲物を狙うヒョウのようだ。「国はどこ」、「ベトナムです」、笑顔が生き生きして美しい。

 

 ベトナムチームが優勝し、私は賞状を授与した。「楫取素彦杯」である。私たちは、この企画をもっと広げたいと考えている。当日の雰囲気を見て、それは困難なことではないと感じた。カルタを通して、日本の「おもてなし」の文化を身に付けさせる。歴史と言葉の知識は自然とついていくだろう。

 

◇「風雪の紋」が直ぐに送られてきた。「楽泉園患者50年史」である。らい病の人々の壮絶な歴史が描かれている。湯ノ沢部落の一角には「投げ捨ての谷」が。かつて生きている病人を投げ捨てたとか。取材申請書を県保健予防課を通して出した。12月3日に現地を訪問する。(読者に感謝)

 

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2015年11月10日 (火)

人生意気に感ず「楽泉園入所者証言の衝撃。赤城山中の文化の拠点」

 

 ◇最近私をとらえている本がある。上中下の分厚い3冊。「栗生楽泉園入所者証言集」である。私の県議生活の終わりに近い頃、議会で入手したが書斎の片隅におかれていた。読み始めた時、直ぐに感じたことがある。大変な書物だということと、これまでこの世界に近づかなかったことに対する自責の念である。 

 3冊をしっかり読み通しこの世界に歩みを進める決意を固めた。人権ということに力を入れて県議を続けてきたつもりの私として、なぜもっと早く実態に迫ることをしなかったか。自責の念とはこのことである。

 

 無知が偏見を生む。紀元前からの癩の歴史を振り返りこのことを噛み締める。重監房で凍死した人々の実態はアウシュビッツ以上だ。人権闘争が一気に火を噴いたのは昭和22年。前年の日本国憲法公布が、人々を長いこと暗黒の渕に閉じ込めた重圧を吹き飛ばしたのだ。

 

◇今月5日、叙勲伝達式の後、私は担当部長と会い、楽泉園自治会の人々に会いたいことを告げ段取りをお願いした。12月上旬に実現するものと思う。出来れば取材を重ね物語を書きたい。証言の中には、六合(くに)や花敷や荷付け場などが出てくる。「遥かなる白根」で書いた私にとって懐かしい地名。天と地、そして東西南北の6つを合わせて「くに」作るという日本書にある古事記にならって六合村(くにむら)の名称が出来た。この日本書紀に癩のことが出ている。吾妻の歴史も、癩の歴史と結びついて私を駆り立てる。戦国の武将大谷刑部はこの業病の持ち主で、彼の口にした盃を石田三成は平気で受けた。三成の頼みで、刑部は不利な西軍に敢えて参加して散ったと子どもの頃読んだ。謙虚な心でハンセン病に挑戦し、楽泉園に接しようと思う。

 

◇8日午前、赤城山中のある山荘の茶会に招かれた。いくつもの茶室が木立の間に建ち、小雨の中で赤いかえでが鮮やかだった。一つの茶室には大きな丸い瓦が乗り、それは東大寺のものだという。別の茶室で山口県から来た陶芸家小川浩延という人に会った。長門市三隅に住む人と知って驚いた。二条窪、楫取山、極楽寺などが話題に出た。茶室に並ぶ、萩焼も変化に富み興味をそそられた。楫取につき話をとすすめられ、楫取素彦の功績の一つは人間尊重の思想を基礎にした女性解放、廃娼を進めた点にある、人間の平等の信念こそ、若者を動かすエネルギーで、近代群馬を創る力だったと語った。(読者に感謝)

 

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2015年11月 9日 (月)

人生意気に感ず「宮中拝謁式のこと。天皇の健康は。中国帰国者の水ギョーザを食べる」

 

◇6日、快晴で温かい日差しが皇居を包んでいた。広い中庭で拝謁の時を待つ。私はかつてのある光景を思い出していた。もう10数年が経つ。後援会の皇居訪問だった。大型バス13台でおよそ650人の人々がこの場所で列を作って進んだのだ。我が人生の様々なことが甦った。

 

 春秋の間に入り、その時を待つ。3時間30分、侍従長と共に天皇が現れ檀上にお立ちになった。私は天皇のお言葉を注意して聞いた。

 

「長いこと、国のため、社会のため、そして人々のために尽くされたことに感謝します。今後もお体に注意されご活躍されることを願います」

 

 天皇は大勢の人々の間を進み、車椅子の人々に笑顔を向け、最後に人々の方に身体を向け手を振って姿を消した。

 

 天皇のお言葉と表情に注意したことにはわけがあったのである。

 

◇それは最近の天皇の心配される出来事のこと。2つのことが報じられていた。一つは、8月15日の全国戦没者追悼式で、手順を間違え黙祷を待たずにお言葉を読み上げられたこと。多くの人々に静かな衝撃を与えた。

 

 もう一つは、10月25日、富山県で開かれた「第35回全国豊かな海づくり大会」でのこと。予想外の出来事に会場の人々は息を呑んだと言われる。水産資源の保護と漁業の振興・啓発を目指す重要な行事である。小学5年生が「人とブリと富山湾」と題した最優秀作文を陛下の前で読み上げた。ハプニングは、その後の閉会の辞を県会議長が述べようとする場面で起きた。

 

 陛下は檀上を進む県会議長を手を上げて呼び止め話しかけようとされた。議長は驚いて近づいた。「最優秀作品の発表は終わりましたか」とお訊ねになったのだと言われる。有り得ないことと関係者は衝撃を受けている。

 

 天皇は81歳になられた。軽井沢で美智子さまとテニスで出会われて以来、私は天皇の爽やかな笑顔を見守ってきた。世は挙げて認知症の時代に入った。私は天皇のご健康を心配する。春秋の間のお姿は健在であった。

 

◇8日、中国帰国者の料理教室があった。市民と交流する恒例の行事。帰国者協会の顧問として挨拶。中国との大切な絆となっていると話した。伝統の水ギョーザはうまい。日頃体重を気にしていることを忘れ沢山食べた。(読者に感謝)

 

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2015年11月 8日 (日)

小説「楫取素彦物語」第61回

 松陰亡き後の伊之助と玄瑞

 

 松陰は日本を襲う逆巻く大波の天辺(てっぺん)で世を去った。安政六年から翌万延元年にかけては、日本の歴史上でも特筆すべき大事件の多い時期だった。

 

 橋本佐内、頼三樹三郎、吉田松陰等の処刑が行われた安政の大獄は、安政六年終わり、あければ万延元年である

 

 万延元年は、西暦では1860年、一月ポーハタン号と咸臨丸がアメリカに向かい、三月の大雪の朝井伊が斬られた。

 

 ポーハタン号の目的は、大老井伊が勅命に逆らって断行した条約の批准であった。

 

 三月、水戸の浪士たちは、大老の行列の見物者を装って待ち、一斉に抜刀して切りかかり大老を外から刺し殺し、引きずり出して首を切った。護衛の侍たちの多くは刀を抜くことも出来なかった。激しい雪の中、刀に柄袋をかぶせていたからだ。赤い鮮血が白い雪を染めた。

 

 煙管で煙草二服のむほどの間に八人が殺され十人が重軽傷を負った。有村次左衛門は大老の首を切って愉快愉快と叫び走った。首の所在が一時分からなかった。幕府は三月末まで大老の死を隠した。

 

「倹約で枕いらずの御病人」

 

「遺言は尻でなさるや後大病」

 

江戸の町民はこのような川柳を作ってひやかした。

 

 安政六年の暮、杉家の人々は、松陰の悲報を知って悲しみの底にあった。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

 

 

 

 

 

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2015年11月 7日 (土)

小説「楫取素彦物語」第60回

「ようく分かりやした。松陰さんの最期の頼み、この吉五郎確かにお受けいたしやす。この吉五郎、これまで碌なことをしてこなかった。こんな吉五郎にとってこれ以上名誉なことはございません。命をかけてお引受けいたします」

 吉五郎も感激の涙を落としていた。

 松陰は処刑の二日前、二五日に「留魂録」を書き始め二六日夕方書き上げた。

 留魂録は、次の歌で始まる。

 

 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂

 

 半紙四つ折十枚にびっしりと細書きされたもので、幕府法廷での取調べ状況、獄中の動静、死に面した心境、塾生に託すことなどを細細と書いた。二部作り、一部は獄中から萩へ送られたが、塾生間で回覧されているうちに行方不明となった。もう一部は沼崎吉五郎に託された。吉五郎は伝馬町の獄から出て三宅島へ遠島になった。流罪から帰った吉五郎は明治九年頃、神奈川県権令・野村靖に渡した。今日、人々が見ることが出来るのは、吉五郎のお陰である、実に17年間、吉五郎は獄中での約束を守り続けた。神奈川県権令・野村靖は、かつて松下村塾の塾生だった人である。

 松陰は安政六年(一八五九)十月二七日、斬首された。三十歳であった。維新まであと九年であった。

伊之助は松陰の死を知って、暫くの間瞑目した。

(惜しい男を失った。この結果を避けるために俺はもっと努力すべきであった)

伊之助の目から一筋の光るものが頬を伝って落ちた。

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

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2015年11月 6日 (金)

人生意気に感ず「ロシア機墜落はテロか。叙勲伝達式。南極の氷。同性婚」

 

 ◇ロシア機の墜落につき「爆破」の可能性が高まっている。10月31日、エジプト・シナイ半島上空で墜落し、224人の生存の可能性はゼロと報じられていた。ISがいち早く犯行声明を出し、ロシアなどはそれを否定していた。英米政府当局は、ここに来て「新たな情報」として、「爆破装置が墜落原因である可能性が高い」との声明を出した。複数の米メディアも「爆弾で墜落」と報じている。テロが事実とすれば恐ろしいことだ。IS「イスラム国」はイスラム教徒に対して特にアメリカへの聖戦を呼びかけているから日本への攻撃も有り得ることだ。私は県議の時、テロの危険と備えにつき警鐘を鳴らしてきた。先の大戦が遠ざかる中で、平和に慣れた日本は余りにも無防備だからだ。 

◇飛行機事故は続く。4日、南スーダンでロシア製貨物機が墜落し地上の人も巻き込み少なくとも20人が死亡したと報じられた。

 

◇昨日、正庁の間で叙勲伝達式があった。大沢知事に呼ばれて前に出て、賞状と勲章を受け取った。賞状には「日本国天皇は中村紀雄に旭日小綬章を授与する。皇居において璽をおさせる」と書かれ、中央に「大日本国璽」の赤い印が大きく押され、「内閣総理大臣安倍晋三」、「内閣府賞勲局長幸田徳之」とある。

 

 栄典の授与は、天皇の国事行為であり、それは内閣の助言と承認により行われる。安倍総理の署名は、内閣の助言と承認を意味する。

 

 憲法7条が私の名前と共に具現した型を初めて見た。敗戦により栄典の制度は停止していた。勲章の復活を最初に主張したのは河野一郎だった。池田内閣は昭和39年閣議により叙勲再開を決定した。

 

 今日、皇居「春秋の間」で拝謁する。妻が体調により出席できないのが残念である。

 

◇南極の氷が増えているとは。NASAの観測結果を聞き驚いた。もう20年も前から南極の氷が大規模に溶け出し、四国ほどもあるような氷まで漂っているというニュースが続いてきた。温暖化は止まることなく、このままでは海面が上昇し、南の島は水没し、絶望的かと思ってきた。国連の報告書は南極の氷は全体として減り続けているとしている。どちらが正しいのか。全人類が心配し、日常の行動にも影響を受ける。正しい事実を知りたい。

 

◇渋谷区は同性のカップルに結婚に相当する証明書を出す。にこやかな女性二人の写真。新しい動きを私はまだ理解出来ない。(読者に感謝)

 

 

 

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2015年11月 5日 (木)

人生意気に感ず「75歳で1時間16分。叙勲に思うこと。学士会館の東大総会で楫取を」

 

 ◇11月3日、前日と打って変わった快晴。この日の為に毎日トレーニングし、体調を整えた県民マラソンである。今年はフルマラソン導入により状況が大きく変わり、10キロのコースもほぼ半分は国道17号を走ることになった。 

 脹脛(ふくらはぎ)に少し緊張を感じるのは3日前の警察マラソンで頑張り過ぎたせいか。

 

 8時40分スタート。北風に向かって17号を北上し、田口町で折り返し利根川沿いの国体道路を南下。ホイホイサッサホイサッサ。脹脛のことも忘れ、踏みしめる足元に確かなものを感じる。マラソンは私の人生の象徴なのだ。ゴールを直前にして親友アームさんの息づかいに気付く。同時にフィニッシュラインを越えた。すぐに完走賞をもらう。1時間16分53秒。我が人生の感激の勲章である。私は直前の警察マラソンの日(10月30日)、満75歳を迎えていた。

 

◇この日、叙勲が新聞発表になり、私は旭日小綬章を賜った。実は数日前からかなりの反響が寄せられ、叙勲というものの重みと、その背後にある天皇制への国民の感情を肌で感じていた。7期の県議生活とそれを支えてくれた多くの人々のことを思い慎んで拝受した。

 

 旭日章は我が国最初の勲章で6ランクに分けられ、旭日小綬章は4番目である。今日県庁で伝達式があり明日皇居へ向かう。

 

 私はこの賞を得て、日本の歴史に占める天皇制を改めて思った。天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である(日本国憲法一条)。これは長い日本の歴史を踏まえ、天皇が日本及び日本人の精神的文化的な基盤であることを示すもの。戦後の日本経済が驚異的に発展したのは、この精神的文化的基盤があったからこそと私は考える。私は自分の叙勲でこのことを実感した。叙勲は栄典であり、その授与は、「栄典の授与」として天皇の国事行為に当たる(憲法第7条)

 

◇10月30日、午後7時から神田の学士会館で一高東大弁論部の総会があり、私は「楫取素彦」を話した。会を運営する在校生約15人は楫取の存在を知らなかった。楫取が初代県令として人間の尊重、女性解放(廃娼)に尽力したことを、ペルー船籍の奴隷船マリア・ルーズ号事件と関連づけて話した。娼妓解放を宣言した太政官布告第295号。これは群馬の楫取県令や議会人にインパクトを与えたに違いない。楫取の「映画」がアメリカで最高賞を得たのは人権の史的意義にスポットを当てたことが評価されたに違いないということも語った。(読者に感謝)

 

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2015年11月 4日 (水)

人生意気に感ず「ふるさと塾の続きーソ連との分割支配。9条の判例。警察マラソンに参加」

 

 ◇月曜日のブログで「ふるさと塾」を振り返ったが、その続きを書かねばならない。先週この欄で「押し付けられた憲法」は理想的で民主的だったと述べたが、塾では米ソの対立は民主主義と非民主主義の新たな戦いの始まりだと語った。第二次世界大戦は、民主主義を否定するナチス・ドイツと民主主義陣営の対立の型で戦われ、全体主義の日本はこのドイツと手を組んで戦い敗れた。ソ連を盟主とする共産主義は人民の自由を掲げながらその実態は異なるものだった。ソ連は多くの国民と周辺諸民族を弾圧して共産主義を世界に広めようとした。実態はナチスと同じ全体主義だと私は塾で訴えた。ソ連が強く主張した米ソの日本共同統治、分割統治が実現し北海道がソ連領になっていたら。それは想像するだけでも恐ろしい。今でも、北方領土を返さないロシアなのだから。 

◇9条は、立川基地をめぐる反対闘争に関する伊達判決(第一審)と最高裁判決を紹介した。

 

 9条1項、「戦争は、国際紛争を解決する手段として永久に放棄する」、2項「前項の目的を達するため戦力を保持しない」。これらの解釈につき、通説的見解及び政府の立場は、第1項は侵略戦争の放棄を定め、2項の「前項の目的・・・」は侵略戦争の目的のための戦力の保持を禁ずる、だから自衛のための戦力は許されるというもの、と説明した。

 

 次回は11月27日(金)である。

 

◇ふるさと塾で柿を配った。今年の秋はどこへ行っても鈴なりの柿の色が景色を染めている。申し合わせて何かを訴えているかのようだ。我が家に2本あり、先日木に登って取った。三太が何事かと上を見上げて吠えた。やっと持ち上げる程沢山の柿を塾生は喜んで持ち帰ってくれた。今はバッチをはずしたから柿をプレゼントしても公選法を気にしなくてよいのだ。

 

◇先日、警察マラソンに参加した。短距離で若い警察官は「30分くらいですかね」と言っていたが全力疾走で「13分53秒」。11月3日、県民マラソン10キロに備える参考と自信につながった。

 

◇11月2日、午後7時神田の学士会館で一高東大弁論部総会で楫取素彦を語る。翌朝8時台に県民マラソンスタート。6日は皇居に出かける。今、人生を振り返っている。それはマラソンだった。県議会をやめて、走る舞台がかわった。メッキを剥がして新たな闘いの場に立ててよかったと思う。(2日に記述。読者に感謝)

 

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2015年11月 3日 (火)

小説「楫取素彦物語」第59回

「お若けぇの、難しい理屈はわからねえが、お前さんのような者を切るたぁ、幕府も長ぇことはあるめえ。娑婆では黒船が来たと国中ひっくり返る騒ぎだった。それは、地獄の丁目のこの獄舎にも伝わってきた。そこへ小せえ船で近づいて乗り込むたあ、てえした度胸とおれは恐れ入ったわけだ。あの時は、おれの腐ったような血も久しぶりに燃えましたぜ」

「吉五郎殿、嬉しい言葉です」

 松陰は思わず吉五郎の手を握りしめた。

「あなたは私の行動を心で受け止める人だ。今の声を聞いて私は自分の死が無駄ではないと思えてきました」

「何の、無駄のはずがあろうか。おれのような男さえ、何かその気にさせているのだ。お前さんの死をまともな人が知って見ねえ。皆が心の火を燃え上がらせるに違いはありませんぜ

吉五郎は話すのを止めて松陰の目を見た。

松陰さんと言いますか。これからは名前を言わしておくんなせえ。松陰さんよ、見事に死んでくだせえ。それが幕府に対する面当ですぞ。役不足だがこの吉五郎、松陰さんの死を見届けて、運よく娑婆に出ることがあったら多くの人に知らせますぜ。私は喜んで生き証人になりますよ」

「済まぬ。ありがとう吉五郎殿」

 松陰は握った吉五郎の手に涙を落とした。

「ところで吉五郎殿、あなたに折り入って頼みたいことがある

 松陰は声を落として言った。

「何でございます」

「私はこれから遺書を書きます。それは同志に対し、また広く天下に対し私の思いを残したいからだ。二通書くつもりです。一通は獄吏の手に渡るでしょう。それがどうなるかは分からぬことです。そこでもう一通を吉五郎殿が預かって欲しいのです。あなたが外に出た時に、長州の確かな者に渡して欲しいのです」

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

 

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2015年11月 2日 (月)

人生意気に感ず「ふるさと塾の憲法。新旧憲法の天皇。降伏文書。天皇の責任」

 

 ◇先週の「ふるさと塾」は気合の入った講義が出来た。憲法の第2回。天皇、9条、法の下の平等、表現の自由などを具体的事件を通して説明出来た。憲法を遠くから見ていたであろう人々も憲法が身近で、しかも自分たちにとって、そして、日本という国にとっていかに重要かが分かってくれたと思う。 

 冒頭、私は述べた。「先日の国会を囲むデモ、あれは憲法21条の表現の自由の問題です。9条を守れと絶叫する人々の中には、9条をしっかり読んだことのない人もいると思います」と。

 

◇「天皇」は旧憲法と新憲法を比較。ここでは天皇の戦争責任にも及んだ。大日本帝国憲法では、「天皇は神聖にして侵すべからず」、「天皇は戦を宣し和を講ず」など。映像は、御前会議、戦艦ミズリー号、マッカーサーと並んで立つ姿、東京裁判の法廷などを使い話題は尽きない。御前会議で「戦を宣し」、ミズリー号で「和を講じ」ました。昭和20年9月2日、重光外相は政府を代表し、天皇の名をもって降伏文書に署名。これが正式な終戦であり敗戦である。マッカーサーは「戦は終わった。恩讐は去った。神よこの平和を永遠に続けさせ賜え」と語り、艦上は砲台の上まで世紀の瞬間を見守る米兵であふれた。

 

◇終戦間もなく天皇は元師を訪ねた。並んで立つ写真に多くの日本人は衝撃を受け、激怒する人も多かった。平服で傲然と立つマッカーサー。2人の姿は正に戦勝国と敗戦国。しかし会談後、元師の表情は一変。回顧録で「私を骨のずいまで揺り動かした」と語る。天皇は命乞いをすると思ったら、戦争の一切の責任は自分にある。自分はどうなってもよい。国民を救って欲しい」と訴えた勇気に感動したのだ。マッカーサーは、天皇を法廷に立たせないと表明。この天皇を戦犯にしたら大変なことになる。天皇を利用して統治する必要を痛感したのだ。

 

◇日本国憲法では一変して「象徴」となった。「押し付けられた」憲法は人間の象徴、基本的人権を基盤とする最も理想のもの。このような内容を押し付けたアメリカの統治政策は当然ながら信じられない程寛大だった。しかし、この背景には、間もなく始まった米ソの対立があった。日本を民主陣営の最前線として自立させる必要性だ。「国民統合の象徴」の文言には天皇を信頼する日本国民の伝統が現れている。(読者に感謝)

 

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2015年11月 1日 (日)

小説「楫取素彦物語」第58回

 

そう思うと母の姿が浮かんだ。背を流した手の温もりが甦る。

必ずこの家に帰るんだよ

あの声が耳の底で聞こえた。古里の萩の山河が迫る。

エイッ

 松陰は心に叫んで、湧き起こる想念を切って獄中に正座した。

に何か出来ることは」

名主の沼崎吉五郎端座して言った

「後で頼むことがございます」

 松陰は吉五郎の目を正視して言った。

 今回の下獄で初めて視線を合わせた時、松陰は吉五郎の目に自分を認めるかがあるを感じ取っていた。吉五郎は下田事件の松陰のこと、その後の獄中の出来事を伝え聞いていた。

吉五郎はある時、同囚の者に言った。

黒船に正面から挑むとは大胆不敵、獄中を教室に変えたというがただ者ではあるまいあれから萩へ送られ、厳罰は免れたと聞いたが、安政の大獄が吹き荒れる中再び檻に入れられ江戸に運ばれてきた

何かやってやらねばならねえ

吉五郎は心中、期するものがあった。

その松陰が目の前にいる。

 長い沈黙の時が荒れて吉五郎が声をかけた。

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

 

  

 

 

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