小説「楫取素彦物語」第57回
幕吏は尋問した。
「萩を訪ねた梅田雲浜と何を相談したか」
「時局を論じあったのみ」
「京都御所内の幕政を批判した落し文の主はお前か」
「私は信念で動く男、落し文など姑息なことをする筈がない」
松陰はこれらの尋問を軽くかわした。この時は、取調べの態度も寛大であった。松陰はそこに役人の慈悲を感じた。人が良い松陰は自説が理解してもらえると考え、正義は何かを論じた。
「老中間部詮勝が朝廷を悩ますのは正義に反する。」
(過ちを正すという正論は取調べの幕吏にも通じる、至誠をもって当たれば動かぬはずはない、この信念が白洲でも通用する)
松陰は心中こう信じた。しかし、それは松陰の甘さであった。
第一回の取り調べは終わり伝馬町の獄に下る。
牢名主は在獄五年の沼崎吉五郎。
訊問は、その後、九月五日、十月五日と続き最後の審理は十月十六日に行われた。この最後の審理はこれまでとは全く異なる厳しいものであった。取調べ側に大きな変化があったことを窺わせる。
判決の要点は、
「老中を襲撃して聞き入れられぬときは刺し違えるという計画とは公儀に対し不敬の至り死罪にいたす」
というもの。
松陰は、重くても遠島ぐらいに考えていた。死を恐れないと日頃考えていたが、目の前に現実のものとして死が姿を現した。死が一切の妥協を許さない峻厳な姿で松陰の前に立ちはだかったのだ。
(三十年の人生を閉じねばならない)
※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)



最近のコメント