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2015年8月 8日 (土)

小説「楫取素彦物語」第29回

 松陰の頭に手をかけた男が小さく呟いた。

役目だ」

それは普通の罪人と違った犯し難い風格を感じたからに違いない。後ろから衣服をまくり上げ、それを頭からかぶせるようにした。

「いくぞ」

頭の上で声がしたかと思うとベキッと背中に衝撃がきた。きめ板による一撃である。

「エヘン」

牢名主が何か言おうとしている。

「隠さず申せ。娑婆で何をやらかした」

「去る三月二八日の夜、下田沖の黒船に乗り込みアメリカ行きを懇望いたしたがかなわなかった」

「どえらいことをやらかしたな」

薄暗い牢内が急にざわざわ始めた。娑婆の情報に飢えている牢内である。他に注意を向けていた人々の耳にも黒船、アメリカ、の語は電撃のように刺さった。

「下田の黒船とは何だ。アメリカとは何のことだ。たわけたでたらめは、ここでは通用しないことを承知でしゃべれ」

「もとよりのこと。同牢の方々の罪状はしらぬが、幕府の法に逆らった同志という点は同じ。聞く耳あらば、望むところ、全てを話そう」

 松陰の心はなぜか高揚していた。みじめな牢の人という意識はない。人生の敗残者と共にいるという気もないのだ。薄暗い牢内は幕府に対抗する砦とも感じられた。乱れて垂れた髪の顔が牢内の人には忘れかけていた生命の息吹を取り戻す力にも思えた。

 松陰は座る位置を変えて牢名主と並び同囚の人々に顔を向けた。

「黒船は日本に開国を求めるアメリカの軍艦です。蒸気の力で大海原を渡ってきた。幕府は二六〇年もの間、国民の目と耳をふさいで来た。黒船はその付けを取りに来たの

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

 

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