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2015年8月31日 (月)

人生意気に感ず「ふるさと塾では集団的自衛権も。昭和22年の県議会。県立女子大学長選」

 

 

◇28日の「ふるさと未来塾」は盛会で約50人近くの人が参加した。原発事故に多くの人が強い関心を持っていることにいささか驚いた。

 

 スクリーンで、国会事故調報告の要点を短い文にして解説した。例えば「10人の委員は国会の承認を受け、両院の議長が任命」、「国民による、国民のための調査、過ちから学ぶ未来への提言」、「東電は地震と津波の危険を知っていて対策をとらなかった」、「米国から核テロの危険を指摘されたが東電と保安院は関心を示さなかった」、「東電の会長、社長は事故発生時不在でトップの指揮、判断が遅れた」、「政府が現場に口を出し混乱させた」、「情報を隠した。スピーディ。最悪のシナリオ」等々。それぞれにつき、私の考えを述べた。核燃料廃棄物の処理のメドが立たない状況を「トイレのない高級マンション」と表現すると頷く人がいた。質問と発言の時間には多くの人が積極的に意見を述べた。

 

 一人の発言を機に議論が面白い方向に発展した。核テロに関して、集団的自衛権の憲法論に話が飛んだのだ。非常に多くの人が集団的自衛権について不安を抱いていることを感じた。いずれ、日本国憲法をふるさと塾で基本に立ち返って議論する必要があると思った。

 

◇8月が終わる。戦後70年ということで特別の8月だった。私の「県議会史」は、昭和15年から始めて、昭和21年が終わり、22年に入った。

 

 やがて世に出すこの作品は、多くの人に親しみをもってもらうために、「である」調でなく、「であります」と話し言葉で書いている。昭和22年の書き出しは、全国的なこの年の動きとして、教育基本法と地方自治法の公布があったこと。これは、前年の日本国憲法の公布の体現である。地方自治法は、戦後の新憲法に基づく地方自治体の姿を定めた。それは、長および議員は20歳以上の日本国民が選挙で定めると規定する。つまり、女性にも男性同様に選挙権が与えられた。これは、日本国憲法14条の平等原則からの当然の帰結であった。この原則に基づく選挙が多く実現されたが最初は知事選で北野重雄が当選し、初の公選知事となった。続いて県議選が実施された。当選した新議員は53名。その中には女性議員町田とくがいた。6月の定例会では深刻な食糧危機等につき議論された。

 

◇8月28日、県立女子大で評議員会。議題は学長選出。全会一致で濱口富士雄氏(現学長)を推薦した。これに基づき知事が任命する。(読者に感謝)

 

 

 

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2015年8月30日 (日)

小説「楫取素彦物語」第36回

 一人の質問の様を見て、人々の様子に変化が見られた。まともに聞いてもらえるという空気を感じたのだ。別の男が、もぞもぞと躊躇している風であったが意を決したように口を開いた。

「長州はどうなるのですか、長州は幕府に逆らってきた。あなたの黒船乗り込みも幕府に逆らうことだ。幕府に取り潰されることはないのか」

「幕府は落ち目。長州には勢いがある。時代の流れは長州に味方している。幕府に取り潰されるなど断じてありません。長州の力は歴史の中で培ってきた団結の力です。長州の時代が近づいています。これから予想されるのは新しい長州を実現させる産みの苦しみなのです」

 質問者と答える人、このような光景は、野山獄の歴史で見られなかったことだ。人々の表情に生気が甦りつつあることが感じられた。

 このような場面が重ねられた後のある日、興味ある出来事が見られた。

 末席にいた一人の女がおずおずと手を挙げたのだ。実はこの野山獄には一人の女囚がいた。三九歳の女囚は、高家の未亡人で久子といった。被差別部落の男性と交際したとし咎められて下獄していた。なかなかの美形で、殺風景な獄舎では一際目立つ存在であった。

「女の身でお許しください」

首をかしげた姿が艶っぽい。

「新しい時代とはどんな世の中なのでしょうか。身分の差のない世の中になると、偉い先生から聞いたことがあります。本当なのでしょうか。その時、私ども女の立場も変わるものでございましょうか」

 女は、男とのあらぬ噂を立てられて苦しんだ。そして4年にも及ぶ獄中生活。これも女故のことと、世間を恨みつつ毎日を過ごしていたのだ。

松陰は答えた。

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

 

 

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2015年8月29日 (土)

小説「楫取素彦物語」第35回

 野山獄の囚人たちは多く親族から見捨てられた人々だった。また、いつになったら出獄できるかも分からず将来に望みがもてない人々だった。やがてこれらの人々の心に松陰が光を投ずることになる。

 江戸伝馬町の獄とは大部事情が異なっていた。全が士分ということもあった。世をすねた頑な人たちも松陰の存在には大いに関心を示した。政治的な情報から遠ざけられた人々にとって、なぜ黒船に乗り込んだのか。アメリカで何をしようとしたのか。そして、渦高く積まれた本に囲まれて一心に書を読む姿。これらは牢内の人々に新鮮な衝撃を与えた。そして、時々交わす言葉から松陰の心が伝わるのであった。松陰の胸にはあの伝馬町の獄の光景が甦っていた。

 五郎八たちはどうしているか、思いを巡らしていた時、一人の男が松陰に声をかけた。

「幕府は黒船と戦うのか。長州は攘夷を貫いてきたが黒船を破れるのか」

 暗く沈んだ表情の男は恐る恐る、こう尋ねた。人間を信じていないという目の色である。

「はい、幕府内でも初めは戦うかどうか議論があったことでしょう。しかし、勝てる見込みがないので、戦わず、条約を結んだのです。

 長州は強気ですが、長州一国で戦える相手ではりません。私は黒船に立って、その凄さを肌で感じました」

 人とまともな会話をした経験がないようなこの男は、松陰が丁寧に答えたことが外であったらしい。礼の表現がわからないためか、白い歯をすこし見せて笑った。

 借牢という制度は、判決に基づくものでないから期限がない。牢を借りた家族の同意がない限りいつまでも入れておかれる。松陰入獄時の同囚の人たちの存獄年数は3年から19年までの者が10人、なんと49年という長きにわたる人が1人いた。長い存獄が人間の心を破壊するさまを松陰はまざまざと見せつけられるのだ。

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

 

 

 

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2015年8月28日 (金)

人生意気に感ず「こうのとり成功の意味。全国学テと理科。ふるさと塾。昭和21年の議会」

 

◇こうのとりの成功に改めて驚く。5.5トンの物質を搭載して高度400キロの宇宙ステーションを目指した。高速で動く宇宙ステーションにわずか10mまで近づき、長さ17・6mのロボットアームで補足した。驚くべき高度な技術。連続5度の打ち上げ成功。アメリカ、ロシアが失敗した後だけに日本の技術が一層光る。

 

 宇宙時代が本格化する中で世界に誇る日本の力である。産業面ではあらゆる日本製品の信頼性を支える技術の象徴である。もし日本が戦争をする国家だとすれば、このロケット技術は途方もない軍事力になる。世界は平和国家日本と結びつけてこの快挙を見ているに違いない。天空のロケットの下には国民の平和で豊かな生活が広がる。対象は北朝鮮。軍事力は凄いかも知れないが国民は飢えている。両国の現状は、政治と国家は何のためにあるかを突きつけている。

 

◇全国学力テストで本県が上位とは朗報だ。また、全国の状況では理科がよくない。理科離れが依然として止まらないらしい。そんな中で、本県では理科の成績もよい。

 

 これを定着させ本物にするにはどうすればよいのか。私は、かつて、群大工学部の先生たちと理科を面白くする研究会をやっていた。そこで感じたことは理科を指導する教師の問題だった。教師が理科の実験が苦手で理科嫌いという現実だった。理科を教える体制を工夫し改革することが重要なのだ。子どもの好奇心を誘う材料は限りなくある。小さな実験が大きな夢を育てる。好奇心と夢こそ生きる力の根源である。

 

◇今日は「ふるさと塾」。午後7時より前橋市の日吉町の福祉会館で。テーマは「原発と原爆」参加は自由、反論も歓迎である。

 

 国会事故調査委員会の指摘に、特に気になることがある。その1つは、「米国から核テロの危険を指摘されていたのに東電と保安院は関心を示さなかった」ということ。核テロの対策をとっていれば、今回の津波対策にもなったろう。

 

◇今書いている県議会史の中に昭和21年12月、菅谷勘三郎が「昭和16年11月以来6年の長きに渡って議長を勤めたことは終生忘れない」と述べる場面がある。太平洋戦争の全期間と重なる。私のコメントは、現在「一身上の都合」といって一年で交替する慣行が県議会の権威を傷つけているということ。(読者に感謝)

 

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2015年8月27日 (木)

人生意気に感ず「上野村小で映画。県議会の歴史、執筆進む」

 

◇昨日は上野村小学校に出かけ、映画「楫取素彦物語」を上映した。深山幽谷に分け入るように進んだ先に山の小学校はあった。30年前空前の航空機事故があった御巣鷹の尾根は近い。校舎は、木材が多く使われて活気ある子どもたちと調和しているように見えた。 

 私は以前、この地域に2度訪れて楫取の講演をした。小学校と中学校である。今回は映画会ということで、小・中の生徒の他、地域の人も参加して、会場は満員であった。

 

 櫻井監督と私が紹介され、私は述べた。

 

「楫取素彦の生涯を知ることによって皆さんは生きる力を身に付けることが出来るでしょう。皆さんの心に生まれる小さな芽が大きく成長し大切な財産になると信じます」

 

 映画が終わって、中学生の女子生徒が御礼の挨拶をしてくれた。

 

「前に楫取さんのお話しを聞いたので、映画がよく分かりました。今日、私たちがこうして勉強出来るのは楫取県令のお陰だと思います」

 

 山の学校の生徒たちの純粋な心に楫取の至誠の生涯が染み込んだに違いない。

 

◇今、「県議会の歴史」を書き進めている。私は議会の経験を通して個々の事実に関して語る。1例を紹介する。昭和20年の11月議会、敗戦後初の県議会の1コマと私のコメントである。

 

―菅谷議長が登壇し訴えました。

 

「必勝の信念を堅持してあらゆる苦難欠之に耐え忍び国家の総力を挙げて闘い続けたが一億敢闘も空しく大御心に副い奉ることあたわず敗戦の屈辱を見るに至った。我等国民はいかなる事態に立ち至っても平和日本再建のためにあらゆる苦難を突破しいばらの途を切り拓き民族永遠の発展を企図せねばなりません」

 

 県庁は幸いにも爆撃を免れましたが、前橋は全市廃墟に化した状態でした。人々は、「国破れて山河あり」の心であったことでしょう。議長の心中には過酷な占領政策が描かれていた筈です。古来、敗者の運命は悲惨でした。男は奴隷状態に落とされ、女は犯され、社会は壊滅的打撃を受ける。こう考えた人が終戦直後は非常に多かったと思われます。私の父もその一人で、家族の安全と食糧事情を悲観して赤城の山奥での開墾生活を決意したのです。原爆を2個も落とし2つの都市を消滅させた残虐非道の国アメリカに破れた日本の将来を限りなく悲観的に捉えたことは無理からぬことでした。(原稿はいずれ発表する予定)

 

(読者に感謝)

 

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2015年8月26日 (水)

人生意気に感ず「台風の凄まじさ。株暴落、中国経済は。人間塾のこと」

 

◇台風15号の凄まじさはこれからの自然災害の姿を暗示する。風速70mなど、かつては考えられなかった。走っている大型トラックの横転例がいくつか報じられた。今後地球の温暖化は更に進むに違いない。南極の氷は溶け、海面が上昇する。上昇気流が激しくなり台風は一層強大になるだろう。台風だけではない。最近地震がやけに多い。火山の動きも呼応するように活発化している。 

 自然の懐に抱かれて生きる我等日本人。平穏な自然も束の間の姿に過ぎない。山も川も海岸線も迫りくる新しい事態に無力である。

 

 私たちは災害に鈍感になっている。惰性に流されているというべきか。このような状況は人生観、死生観にも影響を与えずにはおかない。必然的に今が楽しければいいとなる。享楽的、刹那的な生き方の肯定である。社会のこと他人のことなどどうでもいい。最近の犯罪現象は、このような社会の病理の現われではないか。歯止めを作らねばならない。

 

◇中国で株の急落が始まった。中国経済は変則的である。社会の基盤は社会主義なのに共産党の力で無理矢理市場経済を導入した。貧しい社会に天から金が降ってきたような事態となった。健全な市場経済の社会は、心もお金に慣れていなくては成り立たない。お金の使い方を知らない拝金主義が横行する。社会の格差は止まらない。社会主義は本来平等ではないのかという問いに、鄧小平は先富論を主張した。平等を実現するために先に富む者があってもよいという考えだ。説得力は小さい。経済が崩壊すれば一党独裁への批判は一挙に爆発する。中国は今、試練の時を迎えている。

 

◇先日、京都からやってきた高名な料理人と食事をする機会を得た。この人は中国人のマナーの悪さを嘆いていた。ホテルによっては、中国人お断りの張り紙を出すところがあるとか。「爆買い」という言葉がはやっている。上海株の暴落は爆買いに影響を与えるだろうか。

 

◇中国を筆頭に多くのアジアの留学生が日本語学院で日本語を学んでいる。語学を教えるだけでは語学を教える真の目的を達成できない。日本の文化を知ってもらおうと、「人間塾」を作った。人間塾の命名は私で、塾長も私が務める。ここで、月一回のペースで、「近代群馬の歴史と文化」(仮題)と題して始める予定である。

 

 昔、学習塾をやっていた頃を思い出す。塾は、人間対人間の対応である。生徒は教師の一挙一動を見ている。対決という面もある。いつしか人間の絆が生まれる。楽しい可能性を秘めた「人間塾」にしたい。(読者に感謝)

 

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2015年8月25日 (火)

人生意気に感ず「国会事故調報告の続き。人災だ。東京裁判検証は」

 

 ◇今月の「ふるさと塾」のテーマ「原発と原爆」の予告を昨日少し書いた。その続きである。 

 国会事故調は、原発事故の根源的原因は、平成23年3月11日以前にあると断言するのだ。福島第一原発は、原発の敷地の高さを超える津波が来た場合には全電源の喪失に至り耐えられないと報告されていた。それにも関わらず、東電は対策を先送りしていた。そして、いわば無防備の状態で「3・11」を迎えたと指摘する。

 

 福島第一原発は40年以上前の地震学の知識に基づいて建設された。しかし、その後の研究によって、建設時の想定を超える津波が起きる可能性が高いことが繰り返し指摘されていた。その後の研究として注目すべきものは869年の貞観地震である。地層の痕跡を調べることによって、巨大地震と津波が繰り返しやってくることが指摘されていた。

 

 福島第一原発事故については、事故発生後の東電の対応のまずさが厳しく追及される。その第一は事故時に会長と社長が不在であったために、緊急時に判断と決断が出来ず迅速な事故対応が出来なかったとされる。

 

 巨大事故が起きた場合、対策についての役割分担は極めて重要だ。現場の対応は、現場を一番良く知る東電がこれに当たるべきだった。

 

 現場が混乱してこの役割を果たせないために総理を中心とする官邸政治家が現場を主導することになりメチャクチャになった。政治の役割は、第一に住民の生命安全を守ることだ。これがなされなかった。「事故調」は、役割の分担とその遂行が失敗したことを訴える。

 

 役割の分担が有効になされるために絶対に必要なことは情報の管理である。情報は誰のものか。重要な情報が生かせなかった。これらのことをふるさと塾で議論したい。これらは危機管理の問題として群馬県も学ばなければならない。私たちも生きる手段として普段から理解しておかなければならない。

 

◇自民党内に東京裁判を検証する動きがある。政調会長で安倍首相に近い稲田朋美氏が検証に向けた組織を設けようとしている。この時期にこの人がと思う。歴史を「修正する試み」と内外から批判が出るのは必至。特に中韓を刺激することは間違いない。東京裁判には問題がある。唯一人無罪を主張したインド人のパール判事の勇気には感動した。しかし、自民党が今、軽々に動くことは戦略上のマイナスである。(読者に感謝)

 

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2015年8月24日 (月)

人生意気に感ず「中一2人の犠牲・謎の事件。性犯罪は。国会事故調の衝撃」

 

 ◇中一の2人、奈津美さんと友だちの凌斗さんが殺された。2人とも粘着テープで口をふさがれて遺棄された。遺棄罪の容疑者は山田浩二という45歳の男。やがて殺人罪まで進むのだろう。動機は何か。やがて全貌が分かるだろうが奇怪な事件だ。性犯罪の対象が奈津美さんで凌斗君は側にいて口封じのために殺されたのであろうか。 

◇今度の犯人がそうというわけではないが、幼児を対象とする性犯罪については被害者保護の点から特別の対策が必要である。犯行を繰り返す常習者には遺伝上の特質があるとの説もある。アメリカなどは州によってGPSを体内に埋め込んで、インターネットで所在が分かるとか、家の表札にそれと分かる印がつけられるなどの対策もあるとか。

 

 人権の問題もあるが、我が国も対策を考えねばならない。抵抗出来ない幼児を対象に、殺さなくてもその心をズタズタに切り裂く犯罪である。欲望が渦巻き病が進む社会である。自分をコントロールできない人は増え、性的弱者の犠牲も増えるに違いない。性犯罪対策は焦眉の急なのだ。

 

◇今週28日金曜日午後7時「ふるさと塾」が開かれる。日吉町の福祉会館。題は「原爆と原発」。国会事故調査委員会の報告書の解説が中心となる。

 

 私は県議時代、委員会等で原発と原爆は同根であると主張した。世界唯一の被爆国でありながら、原発の危険性に関心が薄すぎると思っていた。その思いの中で、「3・11」が到来して、大事故となった。あれから4年半が近づく。南海トラフや首都直下の巨大地震が近づく状況下で、原発の再稼働が始まった。この流れを許してよいのか。事故調の報告書は衝撃的である。10人の委員は国会の承認を受け、両院の議長から任命された。1,167人から900時間のヒヤリングを経て報告書は作られた。「国民による国民のための事故調書」、「過ちから学ぶ未来に向けた提言」、「世界の中の日本という視点」を委員会の使命としている。客観的に記述しているが行間から怒りが感じられる。福島第一原発事故は「人災」だったと断言している。「過ちから学ぶ」ことが今第一に求められるなら、この報告書を知らねばならない。一人でも多くの人に知って欲しい。ブログのこの記述は、今月の「ふるさと塾」の予告である。予告の目的を達するためにはもう少し内容に立ち入る必要があるだろう。それを明日のブログで書くことにしよう。(読者に感謝)

 

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2015年8月23日 (日)

小説「楫取素彦物語」第34回

「条約を結んだ直後であった。ペリーは、大統領の国書を持ってやってきた。有史以来初めての両国の対面だった。条約締結は信頼の証。国禁を破る罪人を助けることで、この信頼を破るけにゆかぬと言われた。考えてみればその通りだ。長崎の帰りに萩に寄ったとき、貴公が、熟慮を求め、杉家の人を悲しませるなと言ったことが思い出された」

「あなたの体験は貴重です。幕府の処罰が軽かったことには大きな意味があるのではなかろうか。日本が条約によって世界に出ていこうとしている時、若者が海外に目をむけることを国禁として罰するなどおかしい。幕府もそれが分かっているのであろう。あなたの直接行動はそのことも明らかにした。それだけでも大きな成果ではないか」

 伊之助が熱心に論じるそばで寿がしきりにうなずいている。

「かたじけない。その言葉で私は大いに勇気づけられた。この牢にいつまでいるかからぬが、天が与えた時と受け止め勉強するつもりだ。出来るだけ書物を読もう。書を読むにはまたとない環境。兄梅太郎も同意見で書を集めるためにすでに動いている。貴公は学者ゆえ書のことには格段の知見を持っておられる。協力して欲しい」

国事に奔走する松陰にとって、牢獄外にゆっくり本を読む場所はない。正に天が与えた時であった。

「もとより全力で頑張ります」

伊之助はきっぱりと言った。

松陰は、出獄する翌年の十二月十五日までに総計六一八冊の書物を読んだ。正に驚異的だ。

 獄中にあって猛勉強する姿は知識を求めようとする固い決意の現れとして黒船に乗り込む姿と重なる面がある。兄梅太郎や伊之助は松陰が求める書物を必死で集めた。

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

 

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2015年8月22日 (土)

小説「楫取素彦物語」第33回

松陰たちは藤丸駕籠に入れられて萩へ護送され、野山獄に入ることになった。

 松陰が野山獄に入ったのは安政元年九月二三日であった。松陰はこの年二五歳になっていた。野山獄は士分、つまり武士の身分をもった人々を入れる獄であった。すでに十一人の囚人がいた。この人たちの多くは親族の借牢願により入牢していた。つまり、家族や親戚の者が困った末に藩へ願い出て獄に入れてもらった人々である。

 松陰の大きな支えは、ここは古里であり、家族や親族が近くにいることであった。伊之助が松陰の妹と結婚したのは前年のことである。松陰が黒船に乗りこんで失敗し江戸の獄につながれたことは電撃のように長州に伝わっていた。一族の人々は、重大な国禁の違反ゆえ打ち首も避けられないとおそれたが外に軽い処罰でしかも萩の野山獄入となった。家族や親戚は密かに喜んだ。母の滝は息子の無事を祈って神仏に手を合わせていただけに涙を流して喜んだ。喜びを隠さずはしゃごうとする文は長兄梅太郎にきつくたしなめられたが心のうちが目に現れるのを抑えることが出来ない。伊之助が妻寿と面会に来た。

「先ずはご無事で何よりです。黒船の話を聞いた時、遂にやったと思いましたが、妻と共に幕府の厳罰を恐れていました」

「迷惑をかけることになって相済まぬ。夜の海で鋼鉄の砦がうなりを上げていた。身一つとなって飛びつき船上に一歩を印した時は、アメリカの大地を踏んだが如き感動を覚えました」

松陰は言葉を止め、あの夜のことを思い浮かべているようであった。伊之助は固唾を呑んで松陰の口元を見詰めた。

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

 

 

 

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2015年8月21日 (金)

人生意気に感ず「熱闘甲子園。奈津美さんの死と凌斗君の不明。冤罪。自民議員のスキャンダル」

 

 ◇高校野球の決勝戦を感動して見た。東海大相模と仙台育英。息詰まる熱闘。スタンドの女子生徒が一心に太鼓をたたく姿、その瞳に光る涙。これらも熱いドラマの構成要素だった。私は、被災地東北の人々の心に深紅の優勝旗を、という思いもあって育英を応援したが残念だった。東海大相模の優勝は実に45年ぶり。そして、東北には一度も優勝旗が翻らない。東北の悲願として、夢を大切にすべきだと思う。 

 心も身体も軟弱な現代の若者がよくあそこまでという感を抱く。甲子園登場の背景には様々なドラマがあるに違いない。彼らの姿を見て70年前の少年兵士を連想した。人間は環境と教育でどのようにでもなると痛感した。

 

◇大阪の奈津美さん殺害と友人の凌斗君行方不明は大きな謎である。奈津美さんの殺され方が異常だ。手も口も粘着テープで巻かれ、体には何十か所の刺し傷があった。いろいろな推理が行われているが、闇の中の実体は推理から離れているのではないか。それは犯罪者の行動パターンが通常の想定を超えているからに違いない。最近の犯罪は残虐であり無慈悲である。生きたままコンクリートに付けて海に沈めるなどあまりに常軌を逸している。若者の精神に大きな変化が起きているのではないか。凌斗君の無事を祈るばかりだ。

 

◇また冤罪が報じられた。現在70代の男性は、強姦罪で12年の判決を受け3年半も服役した後、証言が虚偽だったとして再審決定が出され釈放された。三審制の下で確定した判決をやりなおす再審の扉はなかなか開かれない。しかし裁判も人間のやることだから誤りはある。これまでも多くの冤罪があった。記憶に新しいのは足利事件の菅谷さん、東電OL殺人事件のゴビンダさんなど。

 

 冤罪に関して恐ろしいのは死刑。死刑囚が死の渕から生還した例が袴田事件。死刑執行後冤罪と分かった場合取り返しがつかない。被害者の虚偽の供述が実質的に有罪の決め手となっているから恐ろしい。「性的被害を受けていない」という診療記録の存在も判明して再審につながったという。冤罪で獄中の人は多いのかも知れない。

 

◇自民の国会議員の軽薄なスキャンダルが。未公開株が買えると言って金を集めた。始めから騙すつもりなら詐欺罪。他の目的で使ってしまったなら横領も。安倍さんも大変な時期に大変だ。(読者に感謝)

 

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2015年8月20日 (木)

人生意気に感ず「大勲位中曽根氏の遺言。こうのとり打ち上げ。男根切断」

 

 ◇文藝春秋九月特別号の「大勲位の遺言」を読んだ。97歳の元総理中曽根康弘氏は語る。「自らの人生の来し方と共にこの70年を思えば、はるけくも来つるものかなの感慨は深い。年齢の重なりと共に心が濾過されるようで、世の中の流れが聞こえてくるようになってきた」この最後の部分は凄い。人間の心は枯れないのだということを教えられた。 

 政治の中枢で生きた人の遺言として受け止めるといくつかの発言が重く感じられる。その中に、先の大戦と現在議論されている集団的自衛権に関する発言がある。

 

 先の戦争については、まぎれもない侵略行為、やるべきでなかった、誤った戦争だったとしている。

 

 又集団的自衛権については、当然認められるべきもので国際的通年でもあるとして次のように語る。全国の防衛や世界共通の安全保障、国際貢献を他国に任せて、単に経済面の協力だけでは今や通用しなくなっている。日本の国際的地位にふさわしい貢献なくして、他国も日本を守ってくれるはずはないし、国際的にも孤立してしまうだろうと。

 

◇「こうのとり」成功に注目。種子島宇宙センターから国産大型ロケットが19日打ち上げられた。国際宇宙センター(ISS)で使う物資5・5トンを搭載している。5回連続の打ち上げ成功は、宇宙開発の分野に於ける日本の技術の高さを世界に示すものだ。

 

 アメリカは6月に失敗した。今回日本は、NASAの要請で、ISSの米国棟で使う緊急物質を運ぶ。この分野で目に見える、しかも生命を支えるための貢献が出来ることは誇りである。日本の機器としては、「暗黒物質」の発見を目指す宇宙線観測装置も載せる。

 

「暗黒物質」は宇宙最大の謎。宇宙の膨脹はどこまで続くのか。膨脹が止まって逆に向かうのかは宇宙に占める物質の質量の大きさによる。質量が大きく重力が大きければ膨脹の力は尽きて引き戻される。暗黒物質が発見され、その質量(重力)が途方もなく大きく、膨脹が止まるなんてことがあるのだろうか。夢は尽きない。こういう夢に税金を使えることは素晴らしい。

 

◇痴情のトラブルで、若いイケメン弁護士が男根を切断された。トイレに捨てられまだ見つかっていない。今の技術では2、3時間なら接着も可能だという。同性として同情。生きて欲しい。(読者に感謝)

 

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2015年8月19日 (水)

人生意気に感ず「桜島は何を語るか。天津の大爆発の意味。中学少女の殺され方」

 

◇桜島の不気味な沈黙は何を意味するか。山体膨脹は依然続いている。ある専門家は何らかの理由で噴火口がふさがっているのではないかと言っている。気象庁は「今すぐ大規模な噴火が起きてもおかしくない」と指摘。パニックを恐れて発表には慎重な気象庁がこのような警鐘を鳴らすには差し迫った根拠があるのだろう。桜島の警戒レベルは4である。

 

桜島が大爆発した場合、他の火山への影響はあるのかないのか。日本列島全体が大きな活動期に入っていると思われるので気になる。同じ鹿児島の口永良部島は警戒レベルが5、そして箱根山は3であるが高い緊張が続いている。そして、我が浅間山。昔は頻繁に爆発していたのに、長いこと沈黙している。先日、鎌原の観音堂を訪ね天明3年の大噴火の恐ろしさを改めて実感した。正に天が崩れる異変というものがあるのだと、遺跡は訴えている。浅間は大丈夫なのかと問いたい。

 

◇天津の爆発の凄まじさと異常さに驚く。死者144人、行方不明70人と報じられている。爆発が起きた倉庫にはシアン化ナトリウム700トンが保管されており、周辺に拡散している恐れがある。シアン化ナトリウムは水と反応して青酸ガスが発生する。消防士は情報を知らされていないため放水したと言われる。

 

 汚染物質は国境を越えて広がる。隣国であり風下に当たる北朝鮮や韓国はどう受け止めているのだろう。

 

 今回の大事故は、中国に於ける将来の原発事故の恐怖を暗示する。中国は将来の原発大国である。日本でも事故が起きたのだから、中国でも必ず原発事故は起きるだろう。海で繋がり風下に位置する日本の恐怖は想像するのも恐ろしい。日本は脱原発を達成し新技術の手本を示し、隣国の原発に対して正当な発言を為し得るようにすべきではないか。

 

◇天津の大爆発については、テロ説が伝えらせている。独立を求めるウィグル族関与の可能性が高いというのだ。危険物を扱う工場に対する管理の在り方は、中国の体質によるものだ。だとすれば他にも危ない工場は限りなくあるだろう。そこがもしテロに狙われるとすれば中国は大変なことになる。

 

◇中学生の少女が謎の殺され方をした。テープで口をふさがれ何十か所も刺されている。親しい男子も行方不明。最近、残虐な殺人が増えだした。若い人たちの間で何が起きているのか。(読者に感謝)

 

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2015年8月18日 (火)

人生意気に感ず「金沢への旅。今月は原発と原爆。健大、花巻の熱闘」

 

 ◇13日と14日、長男周平と新幹線で金沢へ行った。海と朝市、21世紀美術館、妙立寺などを回った。それぞれ楽しかったが寺町寺院群と妙立寺には心に残るものがあった。 

 寺院群では妙立寺が目的だったが、隣の願念寺にふと足を止めた。芭蕉の句碑が目についたのだ。「塚も動け 我が泣く声は秋の風」奥の細道を巡る中でこの地を訪れた芭蕉は弟子の一笑が前年に死んだことを知り慟哭したという。

 

 妙立寺は見応えがあった。江戸幕府はその初期に基盤確立のため多くの諸大名を取り潰した。加賀藩はむざむざ取り潰されはしないと備えをした。多くの武士が起居できる寺を集めたのも対策の一つであった。寺院群を監視する役割を担うのが妙立寺。驚くべき仕掛けと細かい工夫の数々は藩の運命を賭けた前田家の覚悟の程を物語る。外観は2階建だが内部は4階。幕命で3階以上は禁止だった。落とし穴、隠し階段、そして井戸。井戸は深さが25m程あり、途中の横穴はいざという時に逃れる道だという。

 

◇旅は道連れというが旅には意外な出会いがあるものだ。妙立寺の近くでご婦人に道を訪ねたら「コーヒーをいれて差し上げましょう」という。周平とお邪魔し、わざわざ落としてくれたおいしいコーヒーをごちそうになった。縁を感じ、私たちの身の上の話をした。見知らぬ人にコーヒーを振る舞うというのも歴史の町が培った人情だろうと思った。

 

◇旅は心の充電になる。「ふるさと塾」をしっかりやろうと、周平と酒を飲みながら思った。今月は「原発と原爆」がテーマ。実は周平との旅、当初は福島の被災地を予定していた。

 

 国会の事故調は事故は人災で政府や東電の人の命と社会を守るという責任感の欠如だと明言した。平成23年の「3・11」時点で、それまでに当然備えておくべきこと、そして実施すべきことをしなかった。そのわけは次の通りだ。平成18年耐震基準の新指針が作られ、全国の原発業者は安全性チェックの実施を求められた。東電は先送りした。新指針が求める耐震補強工事は実施されず、いわば無防備のまま「3・11」を迎えることになった。あれから4年と5カ月余原発事故はまだ終息していない。人々の記憶は薄れるなか、次なるもっと過酷な自然災害が近づいているとみるべきだ。再稼働が続く。

 

◇健大高崎、仙台育英等の熱闘に胸が熱くなった。現代の若者も鍛えれば見事な執念と根性を発揮する。若者に感動を体験させるには。(読者に感謝)

 

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2015年8月17日 (月)

人生意気に感ず「安倍談話の意味。桜島と日本列島。局所切断の弁護士」

 

 ◇安倍談話についてかんかんがくがくの議論が行われている。アジアへの「侵略」を認めることが出発点だ。侵略を認める以上、「反省」し「お詫び」するのは当然である。安倍さんは、積極的平和主義を掲げ、憲法改正を強く主張している。かつての長州出身、岸信介の孫、集団的自衛権実現への強い意志。これらが加味されて実際以上に国家主義者と見られがちだが、私は平和主義者で現実的な戦略家だと思う。 

 私は長い間自民党の県会議員として思うことがあった。自民党の多くの政治家は日本のアジア出身を侵略と考えない。歴史と憲法を耳学問以上に勉強していない。こういうことだ。中国、韓国との関係を改善しなければならない時に於ける今回の談話。これは、戦略的に重要な発信である。安倍さんはもはや後退は許されない。談話を読んで残念に思ったことは主語がはっきりしない点だ。「私は」と語るべきだったのではないか。共同通信が14日、15日に実施した世論調査では、内閣支持率は7月より5・5ポイント上昇して43.2%になった。

 

◇内閣だけでなく日本人の歴史認識が問われている。戦後70年の教育が問われることでもある。今回の「談話」を期に、なぜ、どこが侵略なのか、教室でしっかり教えるべきである。

 

 15日に全国慰霊祭が行われた。県議時代、中学、高校生を多く参列させるべきだと主張してきたが実現しなかった。多くの若者が祖国を守るという純粋な心で命を落とした。彼らの死を生かす途は恒久の平和を実現することであり、そのために歴史と憲法をしっかり教えねばならない。それは考える材料であり、心の座標軸をつくることである。

 

◇桜島の警戒レベルが4になった。大規模噴火が切迫していると気象庁は見る。私は天を突く噴煙を見上げて、山体の下のマグマの勢いを想像して恐怖に駆られたことがある。「3・11」以降の状況から見て動き出したのは桜島火山だけではない気がする。地震も頻繁だ。専門家は、地震や火山の活動期入りはまだ先だと言っている。原発は大丈夫か。

 

◇世相を反映してか異常な事件が多い。若い女性が生きたまま海に沈められたり、残虐な殺され方をしている。弁護士が局所を切断される事件が起きた。マフィアのボスの女に手を出した男が局所を切られる映画を見た。どうやって生きていくのだろうか。(読者に感謝)

 

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2015年8月16日 (日)

小説「楫取素彦物語」第32回

「新しい国が生れることを願っています。その時まで生きる希望が湧きました」

 ある古参の囚人はこう言って松陰の手を握った。その目はすでに罪人のものではなかった。牢名主の五郎八は言った。

「わしたちは、先生によって外の世界の変化を知りました。ここだけでわしたちの一生が終るのではないという望みを持つことが出来ました。わしたちが一番恐れいったことは先生がわしたちをまともな人間と認めておられることでごぜえます。わしたちは罪を犯した罪人でごぜえますが、人間というものは一回の失敗で全てがきまる、そんな簡単なものじゃねえ、人間は心が新しくなれば、新しい生き方が出来るんだ、そういうことが何なく信じられるようになったのでごぜえます

五郎八はこう言って言葉を止め、しげしげと松陰の顔を見た。

先生は年もお若い。新しい時代を生きる人だと思いやす。わしたち、先生に何のお役に立つこと出来ねえのが情けねえ。ただ一同で祈るばかりでごぜえます。先生のことは一生忘れるものではごぜえません。どうか御無事で生きておくんなせえ」

 松陰はどこでも教師である。それは獄中でも例外ではない。いや、凝縮された人間関係が存在する特殊な環境である獄中こそ松陰の教師的要素が発揮される場所であった。

 松陰たちは罪情を素直に認めた。判決は極めて緩やかな内容で、二人は在所において蟄居ということであった。在所とは、郷里のことである。本来、死刑も止むを得ない大罪であるにも関わらずこのような異例の処分になった背景にはペリーの幕府に対する働きかけがあった。

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

 

 

 

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2015年8月15日 (土)

小説「楫取素彦物語」第31回

「そうだ。そうだ」

声が起き、うなく顔も見られた。

「お侍さん、見ての通りだ。お見かけした所あんたは俺たちと違って真面目な人間らしい。俺は久しぶりに人間の声を聞いた気がしやした。どうか続きを聞かせておくんなさい」

 五郎八は神妙な顔で言うのだった。

松陰は頷いて続けた。

「私は思ったのだ。戦って勝てないなら今は忍耐して、相手を観察してこれをよく学び、その上に出ることだ。

それには百聞は一見にしかず。相手の船に乗り込んでアメリカに連れていってくれと頼んだ。ところが我が望みは容れられなかった。幕府に渡されれば首を切られる。私はまだ死ぬわけにはいかない。

そこで命がけで頼んだが駄目であった

誰かが口を挟んだ。

「お侍、そこがお前さんの甘いところだ。世間知らずというもんだ」

「黙って聞け。馬鹿野郎。てめえが口を出す幕じゃねえぞ」

五郎八は厳しく叱りつけた。

だが船に乗って、外国の力は感じることが出来た。厚い鋼鉄で覆われている鉄のかたまりなのだ。というより、海に浮かぶ鉄の砦であった

松陰がこう語ったとき、囚人の人々は一斉に驚きの表情を示した。

私はこれから幕府の取調べを受ける。そこで話すことは今ここで話したようなことだ。私は幕府の役人より先に皆さんに話せたことをよかったと思っている。なぜなら、幕府はやがて倒れる。世の中は、アメリカのように平等の社会になる。その時は、ここにいる皆が世の中を支える人になるの

松陰が人々を見下ろすことなく真剣に真情を語っているこは牢内の人々に伝わっていた。新参の入牢者と在牢の人々の間に妙な一体感が生れていた。松陰がこの獄を去るとき、同囚の人たちは別れを惜しんだ。

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

 

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2015年8月14日 (金)

人生意気に感ず「安倍談話の意味。権謀術数の国中国。御巣鷹よ」

 

◇今、日本の歴史の上で最もダイナミックでホットな時といえるだろう。戦後70年を迎える中で、中国が覇権を唱えて海洋への進出を図り、北朝鮮は追い詰められてミサイルを振り回している。一方アメリカは相対的に国力が低下する中で世界の警察官を改めようとしている。このことは中国の強引さと関係し、日米同盟に於ける日本の役割強化とも結びついている。そして、安倍首相の強い姿勢の正体は何かと世界の注目を集めている。

 

 このような諸事情の中で間もなく発表される安倍談話の意味は重要である。伝えられるところによれば、「侵略」をみとめ、「反省」し、「お詫び」を盛り込むらしい。良いことだ。毅然とした政治姿勢とこれらのメッセージが結びついてより効果を挙げるだろう。私は安倍首相が平和憲法の根幹と戦争をしない国という基本理念を守ることを信じる。さもなければこれらのメッセージは嘘になる。

 

◇中国は三国志に見られるように権謀術数の国だ。中国の内紛ともとれる興味ある話しが伝わる。「路線」、「政策」、「方針」、「計画」、「完成」。これは5人兄弟の名前。令計画氏は胡錦濤前国家主席の最側近。計画氏及び親族はほとんど権力によって拘束され、完成氏だけがアメリカに逃れた。国家機密2700点を計画氏から託されたという。この中には中国指導者の海外における不正蓄則に関するものも含まれており習近平政権にとって爆弾のようなものらしい。完成氏は一族に重い判決を下せば情報を公開すると中国当局を脅しているとされる。事実は小説より奇なりと言われる。取引が成立し資料を引き渡すとしても、コピーをとっておくだろう。事実は小説より奇なり。推移を見守りたい。

 

◇520人が亡くなった日航機事故から30年が経った。最大の事故なるが故に特に注目されるが、小さい墜落を含めれば飛行機事故はかなり頻繁である。だから日航機事故のような巨大事故も常に有り得ると考えねばならない。飛行機はハイテクの塊だが、多くの事故は人の過失で起きる。日航ジャンボ機も単純な修理ミスが原因だったと言われる。刑事責任を日米の司法制度の違いで問えなかったとされる点は納得できない。再発を防ぐためには責任の重大さを示さねばならない。それが刑事責任の重さである。日本の政治はもっと役割を果たすべきだったと思う。(読者に感謝)

 

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2015年8月13日 (木)

人生意気に感ず「原発と原爆は同根だ。満州の悲劇。シベリヤ抑留」

◇川内原発再稼働を考える要素は多い。第一は、福島第一原発事故の教訓を生かしているか。巨大地震が近づいている。新基準に合格したが、原子力規制委員会の委員長は「絶対安全とは申し上げない」と意味深長な発言をしている。国会事故調査委員会の報告は、人災だ安全神話にあぐらをかいて必要な対策を遅らせたと指摘等。私が更に痛切に思うことは原発は原子爆弾と同根だということ。

 

◇原発事故も原子爆弾も被災地から離れる程他人事になっている。福島の現実は想像以上に過酷である。福島県大熊町は震災前、一人あたりの所得は福島県自治体のトップだった。ところが今でも無人の郷となっている。

 

 広島と長崎の過酷さは、私たちが針の山、血の海などで想像していた地獄を遥かに超える超地獄であった。原子から解放された恐るべきエネルギーのなせるわざという点で原発事故と原爆は共通だ。人命と経済とは比較にならない。南海トラフ型の巨大地震が迫っている。北朝鮮やイスラム国の存在は新たなテロの恐怖を示す。原発は無防備なターゲットだ。

 

 日本の技術を新エネルギーに傾注すれば、エネルギー問題に新しい扉が開かれるのは確実で、そこから新しいビジネスが限りなく生まれる。平和憲法と原発廃止は一体であるべきだ。かくして日本は、世界から尊敬される国になれる。中国が新しい原発を多く計画している。原発で中国と競うなど愚かなことだ。アジアの国々は原発を克服した日本を中国と比較して高く評価するだろう。今月28日(金)の「ふるさと未来塾」は「原発と原爆」をやるつもり。

 

◇終戦の日が近づく。忘れてならないことは、満州の悲劇とシベリヤ強制抑留である。前者については、拙著「炎の山河」で書いた。政府の侵略政策に翻弄された満州移民が遭遇したことは正に地獄だった。私は20歳で終戦の直前に満州に渡り数奇な運命を辿った松井かずさんのことを書いた。

 

 シベリヤ強制抑留については、抑留体験者の人たちと共に抑留地跡を訪ね「望郷の叫び」を書いた。夏草の茂る中に立つ白い墓標には「日本人よ安らかに眠れ」と書かれていた。今はなき塩原眞資さんは、「俺だけ帰って悪かった」と声をあげて泣いた。戦後70年、満州の悲劇もシベリヤ抑留も歴史の彼方に遠ざかろうとしている。今こそ後の世に伝えねばならない。(読者に感謝)

 

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2015年8月12日 (水)

人生意気に感ず「敗戦時の県会。混血児は流産させよ。川内原発」

 ◇敗戦の年の県議会は昭和20年11月26日に開かれた。天皇の「玉音放送」から3か月余、混乱の最中であった。知事はこの年の4月に就任した高橋敏雄、県会議長は菅谷勘三郎だった。当時の県会議員名簿をみると、定員39名中、欠員が13名いる。会議の始めに臼田一郎が復員し復職した旨の報告がなされた。欠員13名の消息が気になる。調べてみたい。

 

 午後1時7分、知事は戦後初めての県会で開会の辞を述べた。

 

「戦禍にたおれた同胞並にその遺族の上に思いを致すとき、まことに悲痛言語に絶する。私たちはひたすら刻苦精励し耐え難きを耐え忍び難きを忍んで忠実に協同宣言を履行し、道義の高い文化的平和国家を建設し国家の運命を開拓することを堅く期さねばならない」

 

 次に登壇した菅谷議長は次のように決意を語った。

 

「今後、日本民族の上に山積する苦難窮之は恐らく戦時中に数倍数十倍すると思うがいかなる事態に立ち至っても我等国民は平和日本再建のためにあらゆる苦難を突破しいばらの途を切り拓き民族永遠の発展を企図せねばならない」

 

 総括質問には当時の追い詰められた状況が現われている。

 

「本年は明治以来まれにみる不作である。飢餓線上をさまよう県民をいかに救うか」

 

「食糧不足のため汽車は殺人的な混雑で、石炭も不足し汽車は止まり工場も閉鎖という窮境にある。当局はどういう対策をとるのか」

 

「満州開拓戦士の安否をききたい」

 

「戦災者住宅の資材がない。この寒空に焼けトタンの中で暮らさねばならない。当局は徹底した処置をとるのか」

 

 戦に破れると無理をしてきたあらゆるものがマイナスとして顕在化する。人の心も同様である。ある議員は道義の退廃を嘆いた。

 

「婦女子が進駐軍のまわりを取り巻いたりしている。産児制限を必要と考える。数年ならずして多数の混血児が出来るだろう。我が国の威信に関するので醜態を演じた者はどしどし流産せしむべきだ」

 

 まだ旧体制下の人権感覚が議会を支配していた。

 

◇川内1号機の原子炉が再び動き出した。電力不足を補うこと、及び温暖化防止に役立つことから電力業界や経済界は歓迎している。巨大地震、核のごみ等に関する問題はどうなるか。(読者に感謝)

 

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2015年8月11日 (火)

人生意気に感ず「台湾に飛ぶ。学徒出陣の代表の弁。アジアの尊敬を得る至誠」

 

 ◇今月5日台湾高雄に飛び、翌日帰国という慌ただしい日程をこなした。7日に帰国予定だったが台風が接近しつつあり、7・8日と帰国出来ないと困る事情があったのだ。チュックボールの国際大会への出席だった。7日、福華大飯店で、40数か国が参加する国際会議が行われ、私は日本チュックボール連盟会長として参加した。私の席は日の丸の小旗が立てられている。このような国際会議は初めて。すべて英語でやりとりすることにあらためて驚いた。これが国際化時代の現実なのだと痛感した。島国日本で生きると井の中の蛙となる。世界に通用する英語力を小学校から目指さねばならないと感じた。会議の場で、私は日本のチュックボールの現状はと聞かれることを想定し頭の中に文章を作って備えた。 

◇私はチュックボールの会長を前会長の江橋慎四郎先生から引き継いだ。先生は東大名誉教授であるが、昭和18年10月21日神宮外苑で行われた出陣学徒壮行会で、出陣学徒代表として挨拶した人である。東条首相らの激励を受け東京帝大の学生として答辞を述べたのだ。「生等もとより生還を期せず」と叫ぶ姿を文部省のフィルムで見たことがある。生等とは自分たち学生はという意味。私は当時のことをお聞きしようとしたが先生は語りたがらなかった。多くの学生が学問の道を捨てて戦火の中に消えた。複雑な思いがあるに違いないと思った。

 

◇6日未明、高雄市の朝を走った。暗い中に明るく輝くコンビニに出会うとホッとする。看板のファミリーマートは、「全家」の文字が並んで表示されている。コンビニは持論、ホテルでも空港でも対日感情は極めて良い。日清戦争の結果日本領となり昭和20年まで日本の一部だった。空港で驚いたことがある。長蛇の列は日本を目指す人々である。夏休みと重なったためか家族連れが多い。台湾でみるこの現象はアジア全体に当てはまると思った。皆、日本を尊敬し好きなのだ。アジアは欧米に支配された歴史を持つ。その欧米と本格的に戦った日本。破れたとはいえ廃墟から見事に立ち直った。反省の詫び証文が日本国憲法だ。70年を経て憲法は本物であることが実証された。技術を至誠で生かす国日本。日本の置かれた立場は、世界で最も重要なのかも知れないと私は最近思う。いい気にならないで謙虚さと堅実さが求められる。それが至誠なのだ。(読者に感謝)

 

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2015年8月10日 (月)

人生意気に感ず「長崎の日。20年前の平和宣言。侵略、反省。非核三原則」

 ◇県議の時、長崎を視察し複雑な思いを抱いた。それは、圧倒的な歴史の重みである。江戸の鎖国時代、出島は唯一西欧に開かれたいわば天窓だった。そしてキリスト教の遺産群。この遺産群は富岡製糸場と同時に世界文化遺産に仮登録されていた。カトリックの本山・バチカンをバックに持つ長崎に群馬はかなわないだろうと密かに思ったものだ。それからもう一つ、強く思ったことはキリスト教徒の悲劇の他に原爆が落とされたことだ。神も仏もないのかと思った。

 

◇20年前の8月9日に長崎市長名で出された長崎平和宣言を改めて読んだ。前文には次のような部分がある。「まちは一瞬のうちに廃墟と化しました。るいるいと横たわる黒こげの死体。水を求め、家族を探し、さまよい歩く人々。この世の終わりを思わせる惨状がそこにありました」

 

 加害の歴史を訴える宣言第三項の次の部分を噛み締めた。「私たちは、アジア太平洋諸国への侵略と加害の歴史を直視し、厳しい反省をしなければなりません。私たちの反省と謝罪がなければ、核兵器廃絶の訴えも世界の人々の心に届かないでしょう。日本政府は、過去の歴史を教訓とし、アジア諸国の人々と共有できる歴史観をもって、世界平和の構築に努力してください」

 

 原爆投下の惨害が第二次世界大戦の中で起きたことを重視しなければならない。人間の心理は複雑で微妙だ。ここで述べていることは地獄を経験した長崎の人々の実感に違いない。これに対して自虐史観だと批判する人がいるだろう。

 

◇間もなく発表される首相の「70年談話」に世界の注目が集まる。特に中国・韓国を中心としたアジア諸国の関心が。安倍首相は、この談話で先の大戦に対する痛切な「反省」と共に「侵略」に言及するらしい。先日発表された首相談話に関する有識者会議の報告書でも「満州事変以降、大陸への侵略を拡大し」の文言が明記されていた。

 

 私は安倍首相の毅然とした政治姿勢と相まって「侵略」と「反省」が生きると考える。参院の国会答弁は立派だと思う。長崎原爆の日の記者会見で首相は「非核三原則」堅持の決意を述べた。作らず、持たず、落ち込まずで、これは憲法の平和主義、そして9条と結びつくもの。長崎で語るに適した言葉であった。(読者に感謝)

 

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2015年8月 9日 (日)

小説「楫取素彦物語」第30回

「借金はいくらある。利子はどうなる」

 誰かが叫んだ。

「借金はないが、港を閉ざしてきた損失は何百万両にもかえ難い。そのために遅れた日本は国家存亡の危機を迎えた」

「お兄さんの罪とどういう関係があるのか」

 松陰は先程の発言者を見、今の発言者に目を移した。まともに耳を傾けてくれている。それが分かると松陰は嬉しくなり獄中にいることを忘れた。

「私は、外国船を打ち払うことを目的にしてきた。ところが黒船を見て分かったことは、容易に太刀打ちできないことだ。私は兵学の専門家で、初めは、夜の暗闇にまぎれて多数の舟に柴や藁を積んで近づき火攻めにすることを考えた。ところがよく観察すると、厚い鋼鉄で出来ている船は、馬より速く動くことが出来る。とてもではないが火攻めは通用せぬと悟った」

「おい先生」

 さらに別の男が口をはさんだ。

「心配になってきたぞ。沙婆にはかかあが待っているんだ。毛唐にやられるようなら今日までくせえ飯に我慢してきたかいがねえ」

「おめえのおっかあがいつまで待っているか分かったものか。毛唐が来る前に、今ごろ誰かに抱かれていらあ」

「何をこのやろう。今のひと言は聞き捨て出来ねえ。あやまらねえなら勝負をつけてやる」

「いいかげんにしねえか。政も虎もここで喧嘩はきつい法度だということを忘れたか。まだごたごたするなら、この五郎八様が血へどを吐かせるからそう思え。まだてめえらの腕の一本や二本折るぐれえのことはわけのねえことだ

そう五郎八が睨みつけると政も虎も静かになった。

それよりも、皆、よく聞け。お侍の話は面白れえじゃねえか。俺たちは娑婆から離されて、お天道様を拝めねえ身だ。今日、こんな話を聞けるたあ、何とがてえことではねえか。坊主の説教なんぞとは違って学のねえ俺たちだってよく分かるというもんだ。この五郎八様が線香くせえ説教をするつもりはこれっぽっちもねえが、お侍さんの話を身を入れて聞こうじゃねえか」

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

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2015年8月 8日 (土)

小説「楫取素彦物語」第29回

 松陰の頭に手をかけた男が小さく呟いた。

役目だ」

それは普通の罪人と違った犯し難い風格を感じたからに違いない。後ろから衣服をまくり上げ、それを頭からかぶせるようにした。

「いくぞ」

頭の上で声がしたかと思うとベキッと背中に衝撃がきた。きめ板による一撃である。

「エヘン」

牢名主が何か言おうとしている。

「隠さず申せ。娑婆で何をやらかした」

「去る三月二八日の夜、下田沖の黒船に乗り込みアメリカ行きを懇望いたしたがかなわなかった」

「どえらいことをやらかしたな」

薄暗い牢内が急にざわざわ始めた。娑婆の情報に飢えている牢内である。他に注意を向けていた人々の耳にも黒船、アメリカ、の語は電撃のように刺さった。

「下田の黒船とは何だ。アメリカとは何のことだ。たわけたでたらめは、ここでは通用しないことを承知でしゃべれ」

「もとよりのこと。同牢の方々の罪状はしらぬが、幕府の法に逆らった同志という点は同じ。聞く耳あらば、望むところ、全てを話そう」

 松陰の心はなぜか高揚していた。みじめな牢の人という意識はない。人生の敗残者と共にいるという気もないのだ。薄暗い牢内は幕府に対抗する砦とも感じられた。乱れて垂れた髪の顔が牢内の人には忘れかけていた生命の息吹を取り戻す力にも思えた。

 松陰は座る位置を変えて牢名主と並び同囚の人々に顔を向けた。

「黒船は日本に開国を求めるアメリカの軍艦です。蒸気の力で大海原を渡ってきた。幕府は二六〇年もの間、国民の目と耳をふさいで来た。黒船はその付けを取りに来たの

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

 

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2015年8月 7日 (金)

人生意気に感ず「鈴木貫太郎のこと。自らつけた戒名は。当時の県会」

 

 ◇私は県議時代、群馬の宰相に鈴木貫太郎を加えることを提案した。桃井小・前中(現前橋高校)を経て海軍兵学校に入学・78歳で総理に就いた。御前会議を巧みに導いて本土決戦を回避させた功績は大きく、日本を救った宰相といえる。桃井小に入ったのは明治10年で群馬では県令楫取素彦が教育に打ち込んでいた。 

◇鈴木は太平洋戦争には徹底して反対であった。どう考えても勝ち目がないのに敢えて開戦したのは「支那事変における失敗を遮二無二国民にかくしてなんとか危地を切り抜けようとした無謀な計画にほかならない」と述懐する。支那事変とは昭和12年の日中戦争のことである。

 

 また、太平洋の広さを忘れ、戦いを長期化させ破局に至った無謀さにつき、鈴木が孫子の偉大な戦術論を無視したものだと指摘した点は注目すべきことである。昨日のブログで書いた「敵を知り己を知らば百戦危うからず」に代表されるのが孫子の兵法である。

 

 組閣の大命が下った時、鈴木は戦争を断固終結させることを密かに決意した。この時、ほとんどの国民・将兵は最後の決戦に向けて志気盛んであった。鈴木内閣成立のおよそ4カ月半前の群馬県議会の状況は全国国民の縮図である。

 

 昭和19年11月21日、石井英之助知事は開会の辞の中で述べた。「粉骨砕身死力を尽くし御奉公の誠を致し(中略)、銃後の生産増強に日夜奮闘しつつある百三十万県民に深く感謝いたします。必勝不敗の大勢を強化することに集中して予算の編成に当たりました」と。

 

 鈴木は、組閣を受ける時、自分は二・二六事件で一度は死んだ身だから生に対して何の執着もない、信ずる目的のために十分活動出来ると決意した。二・二六事件とは、昭和11年(1936)2月26日に起きた陸軍のクーデター。高橋是清、斉藤実も殺され、鈴木は4発の銃弾を浴び血の海に伏したが、トドメを撃とうとする兵に妻がトドメは止めてくれと必死で頼んだため九死に一生を得た。首謀者は全て死刑となった。鈴木は、首相として最難局の日本を処理するに当たり、あの時の銃の傷あとがしきりに思い出されたと語る。命を捨てて自分を救った妻を思い出したのか。鈴木は本土決戦論を巧みに抑えて日本を救った。昭和23年に世を去ったが戒名は自ら考えた「大勇院尽忠日貫居士」。満足の人生だったろう。(読者に感謝)

 

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2015年8月 6日 (木)

人生意気に感ず「原爆と原発。原爆予告は本当だった」

 

◇永遠に人類史に刻まれるのが昭和20年8月6日の広島の出来事である。午前8時15分17秒、リトル・ボーイは広島上空で炸裂した。原爆の実験から投下までの動きは驚くべきものであった。7月16日、ニューメキシコの砂漠で実験成功。直ちにポツダム会談に臨んでいたトルーマンに伝えられた。大統領の態度は別人のように変化したと言われる。7月26日には南太平洋のテニアン島に運ばれ、8月6日、午前1時45分原爆機エノラゲイは広島に向け離陸した。9日には長崎にも投下。8月14日ポツダム宣言受諾を決定。翌15日正午、天皇の終戦を告げるラジオ放送となった。

 

 微細な原子から解放された膨大なエネルギー。それを発電に利用すれば原発となる。だから、原爆と原発は同根である。原発は一歩間違えれば大変なことになる。それを証明した事件が「3・11」である。原爆の悲惨は政府の誤った戦争政策が招いた。原発事故も政府と東電の人為的過誤だと国会事故調は指摘している。私は原爆の日に、原発についても本質的な議論をすることが重要だと思う。

 

◇原爆投下の結果は想像を絶する悲惨なものだった。それはアリゾナ砂漠の実験で十二分に分かった筈である。それにも関わらず、投下に踏み切った。いかに国家の運命をかけた戦争とはいえ、アメリカ国民に良心はなかったのか。ここでサイパンから放送される「原爆予告」は衝撃的であった。

 

 広島逓信局無線係の宮本広三という人は、サイパン島から放送される「こちらはアメリカの声です」を聞いていた。内容は多く空襲の予告で、日本の新聞のニュースと突き合わせるとまったく一致していた。この放送が8月1日「8月5日に特殊爆弾で広島を攻撃するから非戦闘員は広島から逃げていなさい」と数回繰り返した。上司に話すと「敵性放送を聞くとは何ごとか、デマをもらしてはいけない」と叱られた。予告の5日は、警戒警報と空襲警報が繰り返し出されたが爆弾は落とされなかった。一応の対応は示したということか。6月の朝、「何もなかった。デマにまよわされるとは何ごとか」と上司。その時、飛行雲と何か白いものが飛行機から離れるのが見えた。これだとひらめいて伏せた。ピカッと光り爆風で気絶。気が付いて外を見ると五層の天守閣がない。大変な地獄となった。一日違いの予告を生かせなかったのか。14万人の犠牲者を救えなかったのか。せめてものアメリカの良心を生かせなかったのか。(読者に感謝)

 

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2015年8月 5日 (水)

人生意気に感ず「前橋大空襲。日本破局へ。鈴木貫太郎登場」

 

◇8月に入った。例年のように終戦記念日が近づく。今年は終戦から70年だから、あの年に生まれた人も70歳となる。戦争を知らない世代が世の中の大部分を占めるようになったことがこのことからも分かる。私は昭和15年10月30日生まれだから「玉音放送」の日は満4歳であった。幼い私には何も分からなかったが、後年振り返って、当時のことは紛れもなく戦争体験だったと思う。幼時の体験は振り返ってその意味が分かるものなのだ。今、きな臭い社会になって、戦争体験者の責任を感じるようになった。歴史は繰り返す。漫然それを許してはならない。

 

◇昭和20年8月5日の夜、母に手を引きずられるようにして、東照宮のあたりの前橋公園を横切っていた。もの凄く眠かった。半ば眠っている私に母は言った。「あれをごらん。逃げないと皆焼かれて死ぬんだよ」振り返ると東の空は真っ赤であった。おぼろな目に紙芝居の大魔王が迫っている恐怖を感じた。当時、今の幸の池に面した崖に大きな防空壕が並んでおり、私たちはその中で息を潜めた。

 

 記録によれば、この夜の前橋の大空襲は約2時間に及び、死者は535人に達し、街の大半は廃墟と化した。

 

◇改めて歴史を辿りたい。太平洋戦争突入は私が生まれた翌年、昭和16年末。東条英樹内閣の成立はこの年10月18日で、この内閣の下で12月8日、真珠湾空襲、対米英宣戦布告がなされた。孫子の兵法は教える。「敵を知り己を知らば百戦危うからず」と。この戦は敵を知らず己を知らずであった。緒戦の勝利は長く続かず体勢を立て直した米軍は反撃に転じ、昭和17年後半にはミッドウェーの海戦で敗れ、ガダルカナルの戦でも壊滅的敗北を喫した。本土が初めて空襲に晒されたのは17年4月18日で、東京、名古屋、神戸が襲われた。首都が攻撃されたことは正に衝撃。昭和18年連合艦隊司令長官山本五十六がソロモン上空で戦死。昭和19年7月18日東条内閣は遂に総辞職した。日本にとって運命の時は近づいていた。昭和20年4月7日鈴木貫太郎内閣が誕生。この内閣は8月15日までである。この間およそ4カ月、内閣の重要さは長さではない。鈴木は死を覚悟して組閣を引き受けた。8月6日広島に原爆、8日ソ連宣戦、9日長崎に原爆、14日ポツダム宣言受諾、15日天皇の終戦放送。18日、内務省は地方長官に占領軍向け性的慰安施設設置を指令。最悪の事態を覚悟したのだ。(読者に感謝)

 

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2015年8月 4日 (火)

人生意気に感ず「岩手中2、いじめの構造。中国の人権。教師のわいせつ」

 

 ◇岩手中2松村亮君の死はどう落ち着くのだろう。両親は小3の時DV離婚。学校では、殴られたり首をしめられたりのいじめがあったとされる。いじめの中心と見られるクラスメートは「殴ったり首を締めたりしていない。取っ組み合ったことはあるけどいじめはしていません」と泣きながら皆の前で話したという。このクラスメートは「取っ組み合ったこと」を認めている。いじめる者の多くはいじめの意識がない。しかし、ふざけてやっていることが相手には大変な苦痛となっている。受けている方は見栄や体面があるから精一杯、ふざけ合いを演出している場合が多いのだ。学校や担任は「ふざけ」の実態を見抜く責任があるしその眼力が求められる。 

 30歳代の女性の担任は熱心な人気のある教師と見られているが、サインを生かせなかった責任は大きいと言わざるを得ない。担任が個人でこの種の問題を扱うのは適切でない。学校が全体で取り組むことが非常に重要だ。一人一人の教師と校長との連携を生かすべきだ。構造的な問題であり、構造を生かせない点に悲劇が繰り返される原因がある。

 

◇私は群馬県日中友好協会会長として、又中国の歴史に関心をもつ者として、膨張する中国に懸念を抱く。多くの民族を抱え、13億の人々が知的に目覚めつつある中で一党独裁には土台無理がある。辛うじて支えているのは経済の好調だと言われてきた。古来、食えることは常に中国の最大の課題だった。

 

 今、経済が揺らぎ始めた。中央政府は一党独裁の危機を感じて批判勢力の抑圧を始めた。150人を超える弁護士等の民主活動家の拘束はただ事ではない。民主的動きを銃と戦争で抑えつけた1989年の天安門事件を思い出す。この事件が世界から批判され、中国は憲法に「国家は人権を尊重し保障する」との規定を設けた。これは遠い目標なのか絵に描いた餅か。人権は国の宝であり、その国の品格を示す。人権の尊重を最大の柱とする日本国憲法は人権の上で世界に冠たるもの。基本的人権の尊重は改正権の限界で超えることは出来ない。

 

◇県教職員のわいせつ不祥事が起きた。6月に県立高の女子生徒に対し20代の教諭が不適切な行為をして処罰されたばかり。今度は公立中の女生徒に40代の教諭が校外で複数回わいせつ行為をした。教師のわいせつは全国的傾向。道徳教育を本格化させようとする時である。県教委は市町村教委と連携して欲しい。(読者に感謝)

 

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2015年8月 3日 (月)

人生意気に感ず「安倍談話。玉音放送。少年Aの心の悪魔」

 

◇安倍首相は「痛切な反省」を強調した。70年前の大戦の日本の責任についてだ。7月9日行われた米国の研究機関主催のシンポジウムに於ける講演での発言である。8月に予定されている「首相談話」の予告的意味がある。

 

「我が国は先の大戦への痛切な反省の上に立ち一貫して平和国家として歩んできた」と強調。自由と民主主義を人類の宝と位置づけた上で新しい世界のビジョンの創造と実現のために指導的役割を果たしていくとも述べた。

 

 私は、このような内容となるとすれば70年の節目に立っての安倍談話は堂々たるもので、「お詫び」にこだわる韓国や中国にも通じるのではないかと思う。反省を基礎にして、自由、民主主義、平和国家の歩みを訴える首相を私は信じる。「民主主義は人類の宝」との主張は平和を守ることへの決意であり約束手形を意味する。最近の安倍批判にはマスコミに煽られた皮相の観がある。

 

◇宮内庁は戦後70年にあたり昭和天皇の「玉音放送」を公開するという。これを機に私たちはこの放送実現に至る凝縮されたドラマを知るべきだ。日本の運命を決した瞬間である。御前会議を指導した我が鈴木貫太郎首相、天皇にすがって泣いた阿南陸相、皇居の広場で自らの努力が足りなかったと手をついた多くの国民、戦争が終わったことにほっとする圧倒的多くの国民。

 

 これらは歴史的に掘り下げないと火山の噴煙と流れ出る溶岩を見ることで終わる。歴史との対応の姿は一国の文化の状態と民主主義の程度を物語る。かつての日本、そして現在の韓国や中国の激しいナショナリズムはそれを示す。歴史は科学に尽きることではないが、科学から離れることがあってはならない。

 

◇性的衝動と暴力への衝動は深いところで繋がっていることは感覚的には分かる気がする。脳科学の研究の示すところでは、性中枢は暴力中枢から分化して発達するものだという。

 

 少年Aの手記「絶歌」が騒がれている。優れた精神鑑定医の分析によれば、Aの脳は暴力中枢から性中枢が分化して発達するのが遅れていたため、暴力中枢が興奮すると性的中枢も興奮する状態であったという。つまりAは性的サディズムによって殺人衝動にかられたというのだ。

 

 人間の心には悪魔が棲む。フロイトは人間の心理には表層と深層があり、深層には無意識の世界で表に出せない様々なものが存在し、それが人間を衝き動かすと説いた。心理の表層には深層をコントロールする力が育まれるに違いない。現在の行き過ぎた物質文明は深層の悪魔を抑える力を育てないのかもしれない。(読者に感謝)

 

 

 

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2015年8月 2日 (日)

小説「楫取素彦物語」第28回

 「条約を結んだことはそれを守ることに条約の命がある。お前は、戻れば幕府に首を切られると言った。それ程に重大な違法行為に、条約を結んだばかり国が手を貸すことが出来るはずがないではないか。最初から、第一歩から条約を破ったら条約の意味が失われる。大統領の権威と信頼がかかっているのだ。お前の気持は分かるが、それでも、連れていくことは出来ない」

ウイリアムスは、大変苦労して、時間をかけ、繰り返しの説明を重ねて、これだけことを訴えた。初対面の異国の若者、傍若無人でもある男に、これだけの努力を示したことは松陰に最大の敬意を払ったことも物語っていた。

松陰は抵抗を示しながらも押し出され、小さな舟に乗せられ、浜へ連れ戻された。松陰と重之助は浪打際に大の字になって寝て天を仰いだ。半月が二人を見下ろし、波の音がしきりであった。

ああ、この波がアメリカにつながっているのに

松陰は唇を噛んだ。

 松陰は逃れられないと覚悟を決め下田の番所へ自首した。そして江戸へ送られ北町奉行所の仮牢に収容された。

 誇り高い天下の志士が入牢時は屈辱的な扱いを受けた。この世界のしきたりで例外はない。牢内の秩序を預かるものは牢名主である。例外をつくれば権威にかかわる。

 松陰と重之助は獄内へ入ったとたん、牢名主の前に引き出され座らされた。

 一段と高い所に座っていた男が格好をつけるようにあごを突き出し、睨みつけて言った。

「やれ」

「へい」

わきにいた二人の男が心得たように言って松陰と重之助の頭を床に押しつけた。

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

 

 

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2015年8月 1日 (土)

小説「楫取素彦物語」第27回

 夜になるのを待ち何とか小舟を見つけて乗り込んだ。波は荒くやっと旗艦ポーハタンに着く。水平たちは接舷を拒否した。刀もその他のものも小舟に残し身一つで飛びうつる。必死で登る。日本語を解するウイリアムスという男がいて話はどうやら通じる。ウイリアムスの手には、「投夷書」があった。松陰は筆談もまじえて必死で訴えた。

 ウイリアムス等は松陰の姿に理解を示した。しかし、アメリカへ連れていくことは強く拒否した。

「日米和親条約が成立したから、両国の往来は間もなく自由になる。それまで待て。国交を結んだばかりの相手国の法律を破るわけにいかない」

「条約の目的は両国の発展にあり。日本は今、生れ変ろうとする一番大切なとき。国民が進んだ社会を学ことは絶対に必要である。私には、その強い心がある。学ぶ意欲と力がある。日本とアメリカ両国の発展に尽くしたい、是非とも連れてってくれ。頼む

松陰は頭を下げて頼んだ。しかしウイリアムスは首を横に振っている。

戻されれば首を切られるだろう。死ぬことは恐れないが、無駄な死は意味がない。新しい社会をつくるための学びに命をかけたい。どうか、どうか連れて行ってくれ」

 松陰は、刀より大事と身につけていた筆で命、死、新しい国、日本、理想の国、などの言葉を書き、その一つひとつに魂をぶっつけるように、時には大声をあげ、こぶしで胸を叩き訴えた。墨痕鮮やかな筆先は松陰の訴えをそのまま見事に表している。長年の学問修業の歴史を筆先は雄弁に語っている。筆は書く人の人格を現すが、それは国境を越え人種を超えて通じることを証明していた。

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

 

 

 

 

 

 

 

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