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2015年6月 6日 (土)

小説「楫取素彦物語」第10回

四、松陰と伊之助江戸へ

 

 

 松陰が兵学の家を継いで大きな歩みを始めた頃、儒学を継いだ小田村伊之助にも変化が見られた。

 弘化から嘉永にかけての年月は、伊之助が学問及び人間の練磨に大いに励み成果をあげた時期であった。弘化元年(1866)、十六歳の伊之助は藩の許可を得て藩校明倫館に入学した。館内の学舎に寄宿した伊之助は生来の英才に加え寝食を忘れて勉学し、その進歩は同窓の者を驚かせた。伊之助の心中には絶えず学問の家を継ぐという使命感があった。

「奴は寝るときも枕下に書を置く、厠にも持って入るぞ」

と同窓の者は噂した。

 弘化四年、養父小田村吉平没し、家督を継ぐと伊之助の学問への情熱と使命感はさらに高まった。兄剛蔵が言った。

「いよいよお前は独立して学問をやることになった。学問の家の責任を知れ。清国はアヘン戦争でイギリスに敗れて屈辱を味わっておる。我が国を救うことが学問の役割であるぞ」

「はい、兄上。身が引き締まる思いです」

伊之助は、きっとなって兄の顔を見詰めた。

嘉永二年(1849)、二一歳の時、新明倫館落成し伊之助は特旨をもって講師見習役を命ぜられた。この頃、近海の外国船の動きは激しくなり、刺激を受けた長州藩は人材育成の必要を痛感し明倫館の規模内容の一新を図った。学問の家を継いだ伊之助の役割はさらに大きくなり、律義な彼は必死で責任を果たそうとした。新しくなった明倫館は、時代の風と共に若者たちを大いに勇気づけた。切磋琢磨する中で、後年日本を支えた英傑を次々に輩出した。

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。

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