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2015年5月11日 (月)

人生意気に感ず「恩人への弔辞。福島浩君の死。群大病院よ」

 

◇元第一建工株式会社の社長秋次さんの告別式で角田義一さんと私が弔意を読んだ(10日)。元参議院副議長角田さんは福島さんとの深い絆を振り返り「刎頸の友」と呼びかけていた。角田さんが語るエピソードはドラマチックだった。第一建工が昔、車の大事故を起こし多くの死傷者を出した。犠牲者の中に露天商がおり、交渉相手はその筋の大親分。角田さんは顧問の弁護士だった。この親分との交渉には専務の福島浩君も当たり、私は浩君から面白いことを聞かされたことがあった。

 

 私の弔辞には、この福島浩君が登場する。私に県議選出馬を勧めた男で、51歳で早世。福島秋次さんの末弟であった。二人の間には福島貞雄さんが居り、長いこと私の連合後援会長をつとめた。福島三兄弟がいなかったなら私の県会議員は存在しなかった。私は弔辞の中で、「あなたは私の人生の恩人です」と話しかけた。角田さんは、この人の人生を「波乱万丈」と表現していた。私は、「裸一貫から第一建工を築き上げた」と称え、それ以上は遠慮したが、角田さんは、バブルの絶頂期、株式上場を夢みながらバブルの破綻と共に経営破綻を来したことまで熱く語っていた。波乱万丈の人生を再現させたことを故人も喜んだことだろう。

 

◇福島浩君のことについて。「主人は51歳でした」と奥さんはこの日、振り返った。旧宮城村小学校の同級生。優秀な男で勉強机もない環境から前高に進んだ。肺がんで倒れ、「おかげ様で」と題した小冊子で、死を見詰めた様を見事に描き去って行った。小寺知事(当時)、尾身幸次氏、私が弔辞を読んだ。思えば、私の人生の参謀だった。彼の死から24年、私は次の20年に臨もうとしている。彼がいたら、どんなアドバイスをしただろうか。私は2度結婚したが、2人の妻を彼はよく知っていた。特に最初の妻を、私に強く勧めたのも彼だった。人生が長くなると様々な死を乗り越えて生きることになる。

 

◇群大病院の特定機能病院の承認取り消しが決まった。一連の医療過誤は信じがたい。腹腔鏡の肝臓手術で8人が、開腹手術でも10人が亡くなった。医師個人の過失と共に、病院の構造的な問題がある。これは、放置すればそのような構造から又事故が生ずることを意味する。「医は仁」と言うが、この言葉を組織体に向けて問いかける必要をこの事故は示している。(読者に感謝)

 

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