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2015年5月26日 (火)

人生意気に感ず「あわやの93m。白根開善学校。懐かしい100キロ強歩」

 

 ◇特急同志があわや衝突、急ブレーキで停車したが、わずか93mという。大惨事の可能性があった。JR指令室と運転士との間の情報伝達ミスだという。ハイテクの時代である。自働制御システムも利かなかった。 

 JR長崎線、博多発長崎行きと長崎発博多行きの特急のすれ違いミス。あと一歩だった。午後12時すぎだったようだ。悪い条件が重なれば、世界の大ニュースになっていたろう。

 

 JRに限らず、大量に人命を預かる輸送機関はこの事件を他山の石としなければならない。私たちは、このような危険と常に隣り合わせに暮らしていることを痛感する。

 

◇白根開善学校の理事会に出た(23日)。この学校には様々な思いがある。創立者の執念、入学金返還訴訟、私の長男のこと、100キロ強歩等々。私はこれらを「遥かなる白根」に書いた。その学校が今、存立の危機に直面している。県会議員をやめて、多少の余裕も出来たので、この学校のために力を尽くそうと改めて思った。それだけの意義のある学校なのだ。私が100キロ強歩にチャレンジした頃は120~130人いた生徒が現在40人程になった。孤独に耐え極限の環境で生きようとする子どもたちが少なくなっている。だからこそ存在の意義がある。

 

 創立者本吉修二氏は無謀な挑戦に命をかけた。彼を衝き動かしたものは教育への一途な情熱だった。当時の清水知事の「良い学校だから」という一声で事態が動いた。伊達秋男裁判長は温かい理解を示して入学金返還訴訟を学校に有利な和解に導いた。この裁判官は自衛隊違憲訴訟で名高い人だった。

 

 私の長男周平は知的ハンディを持ち、悩んだ末にこの学校に入れた。本吉氏が自宅まで来てくれた。「ぼく いくよ」と周平は人生の決断を下した。雪に閉ざされた山の学校からはスキーで脱走する者もいた。この学校のハイライト、圧巻の行事は100キロ強歩である。24時間以上かけて100キロを歩き通す。ギブアップ組は巡回するバスに乗る。周平は6年間で3回完歩した。彼の人生の勲章なのだ。

 

 理事会では「食育」の話が出た。私は食育基本法の狙いは食を通して生きる力を育む点にあると話し、学校の畑を活用することを提案した。先日、尻焼き温泉に入り空を見上げると大自然の無限の力を感じた。この力を、学校は未だ活かし切っていない。私の出番だ。(読者に感謝)

 

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