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2015年5月 9日 (土)

小説「楫取素彦物語」第2回

 長州萩は不思議なところである。ここから近代日本を作り出す力が生れた。萩に今魚店町と呼ばれた一角があった。日本海に面し、眼前の海中には指月山を背にした萩城が立つ。広い港湾には諸国の船がしきりに出入りし活気に満ちていた。  この町に藩医松島瑞幡の屋敷があった。文政十二年三月、松島家に次男が生れた。名は哲、通称は久米次郎といった。後の楫取素彦である。兄は剛蔵で、後に生れた弟は乾作。三兄弟とも優れた天質に恵まれ、幼児から学問等修練して頭角を現していく。  環境が人をつくる。歴史がその環境を作る。 慶長の怨みを呑んで立つ萩城が静かに深く全てを語っていた。関ケ原で敗れた毛利は領土の大半を奪われて西国の小さな所に押し込められた。 時至らばという徳川への思いが二百数十年密かに維持されたことは驚くべきことである。この歴史が多くの人材を育てることにつながったのだ。 「今年あたりやりますか」 「いや、まだ早かろう」  新年に、登城した時の挨拶がこのような習慣になっていたというのも面白い。  久米次郎はこのような歴史的環境の中で育った。藩校明倫館に入学する以前から名ある師の塾に通ったが、彼の中で育ったものは知識だけではない。「私」を超えて社会に奉仕するという思想を日々の空気のように無意識に吸いながら志を育てたのである。  兄松島剛蔵は四歳年上である。秀才として名高く、和漢の学を修め洋学では藩内随一といわれるようになった。そして、神童といわれた弟乾作は三歳年下であった。

※土日祝日は中村紀雄著「小説・楫取素彦物語」を連載します。

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