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2015年5月 5日 (火)

随筆「甦る楫取素彦」第200回

「モルフィ前橋で演説」

 廃娼運動は全国に広がり廃娼推進団体が誕生した。上毛婦人矯風会もその一例だった。この矯風会の大演説会場が明治39年11月9日、前橋市の赤城館で開かれた。会場は入り切れない程万人で入場を謝絶せざるを得なかった。弁士はモルフィと島田三郎。

 婦人新報の第105号は、モルフィの演説の大要を伝える。「公娼のない群馬に来て矯風演説するのは極楽にいって説法をするようなものだが、公娼制度を置こうとする動きがあると聞いては一言せざるを得ない」としてモルフィは次のようなことを訴えた。「日本の娼妓は借金を払わない間は業をやめることが出来ない。これは人身売買である。娼妓となる者は自分のためでなく父母兄弟のために犠牲となる。キリストの考えからして、この不幸な女を救わねばならない。ところで女を救うために借金を払ってやれば業者はその金でまた女を買い入れる。これでは解決にならない。そこで私は、日本民法九十条に気づいた。そこでは『公の秩序善良の風俗に反する法律行為は無効とす』とある。公娼制度はこれに当たる。なぜなら、公娼は人権を蹂りんするものである、女子を束縛して男子の色欲を満足させる法律ではないからである。このようにして、私は、民法のこの定めを楯として一人の娼婦を醜業から救い出したいのです」

 モルフィが群馬の公娼制度の動きと言っているのは、この年新たな変化として、高崎連隊のために公娼を置こうとする話が出たことを指す。結局この計画は実現しなかったのだが。

 モルフィは15年間日本に滞在し伝導事業にあたったが、その中心は、実に自由廃業運動であった。民法90条に目を付け、これを武器として裁判という手段に訴えたことが画期的であった。娼妓の解散を宣言した明治5年の太政官布告の趣旨は民法90条に受け継がれたが、民法90条を使って太政官布告の狙いを実現させた人がモルフィであった。楫取素彦、当時の群馬県議会、そして社会正義実現に燃えた上毛の青年たちが力を合せて播いた種はモルフィによって、裁判を通して一国を支配する一つの体制を作っていくことになった。その流れは、苦難の道を辿って戦後の売春防止法となって結実した(昭和31年公布、32年施行)。モルフィは、昭和35年(1960)、日米修好百年を記念して日本政府から勲章を送られた。百年前とは、万延元年、ポーハタン号で日本代表が太平洋を渡り、ワシントンで、日米修好通商条約を批准した年である。  終

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