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2015年5月 6日 (水)

楫取素彦物語 第1回

一、楫取素彦の誕生

 港を出て行く船が見える丘にたち、楫取素彦と美和子は沈みゆく夕日を眺めていた。すれちがう船の航跡が薄く染まって、海の半ばまで道ができたように見える。右に目を転じると、指月山が影絵のように見えた。 「ここからあの指月山を眺めると、今まで生きてきた月日が浮かび上がってきて夢のようだな。すべてのことが、まるでつい昨日のことのように思える」  七十歳半ばを過ぎた素彦は、ベンチに腰をおろし、美和子に向き直って言った。指月山の上の雲が薄紫に染まっている。春の暮れゆく淡い光が空一面を覆い、海までおりてきた。 「本当でございますね。なにもかもがここから始まったのですわ。不思議に思えます。群馬も遠くなりました」  美和子は遠くを見る目になった。 「松陰殿や晋作、玄瑞らと、新しい国づくりのことをみんなで熱く議論してきたときのことが懐かしい。彼らに、こんなに変わった今の日本をみせてやりたいものだ」 「あなた様は立派なお仕事をなさいました。あの世で皆様にご報告できますね」 「あはは、私のほうが早く逝くことになろうから、玄瑞には、お前に世話になったことを話さねばなるまい」 「私だって、そんなに長くはお待たせしませんわ。それに、私は寿姉さんに話すことが沢山ありますもの」 「そうだな。だが、お前はまず玄瑞に、来し方を話すのが先だろう」  空が薄墨色に染まるのを見届けて、ふたりはゆっくりと丘を下った。 文政十二年、一八二九年という年は明治が始まる三十九年ほど前のことで、江戸の幕藩体制の矛盾と行き詰まりがいよいよ顕著になって来た頃である。文政期はこの年で終わり翌年から動乱の天保期に入る。

※土日祝日は中村紀雄著「小説・楫取素彦物語」を連載します。

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