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2015年5月31日 (日)

小説「楫取素彦物語」第9回

 天保十一年、松陰十一歳の時、藩主の前で兵学の講義をした。この年、藩主毛利敬親は初めて国入りし、文武の家の師範を招き日頃の成果を試した。

城中の広間、居並ぶ大家の中で少年の姿は人々の目を引いた。

 進み出て正座する少年に藩主は声をかけた。

「名は何と申す。何歳か。余に何を話すか」

「恐れながら、吉田寅次郎、十一歳でございます。山鹿流の兵学です。武教全書の戦法編をお話しいたします」

「ウーム」

藩主はまだ幼さの残る紅顔の少年を興味深そうに見詰るのだった。

 松陰に動揺はなかった。積み重ねた厳しい修練が自信を支えていた。よどみない少年の声が広間に流れた。藩主は文章の明晰さと論述の巧妙さ、そして臆することのない態度を賞賛した。

 藩主は師は誰かと傍の臣に問い、玉木文之進と知って頷いた。

 この夜、杉家は明るい笑いで満ちた。滅多に笑わない文之進の表情もゆるんでいた。

「大さんおめでとう」

母の目に涙が光っている。

「お兄さまおめでとうございます」

妹の寿の声が弾む。

「お兄さま、本当に嬉しゅうございます」

末の妹の文は顔中を笑顔にしてはしゃいでいる。

 つかの間の一家の幸せであった。この天保十一年という年は、西暦では一八四〇年で、日本海を離れた隣国清ではアヘン戦争が始まった。

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説・楫取素彦物語」を連載します。

 

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2015年5月30日 (土)

小説「楫取素彦物語」第8回

松陰の家は武家の家ではあったが家計は厳しくつましい暮らしぶりであった。父の兄弟は大変な勉強家で深い学識を身につけていた。父百合之助、その弟で二人の叔父大助と文之進である。

 

 父は畑仕事をしながらも本を離さず、畑から引き上げて家で米を搗くときも本を読む人であった。松陰は寺小屋などに通わず家で勉強した。父百合之助は畑仕事をしながら書物を教えた。

 

 松陰の教育には父と叔父の玉木文之進があたった。文之進の教え方はこの上なく激烈で厳しかった。容赦なく鉄拳が飛んだ。

 

「お前は前に教えたことを忘れたのか。学問を何と心得ておる。お前の性根がたるんでいる証拠だ」

 

「申し訳ございません」

 

「申し訳ないで済むと思うか、愚か者め。この書を作った人がいかに心血を注いだか、この書が如何に多くの人を動かし国家を支えたか、そのことに思いをいたさぬ者に、学問で生きる資格はないぞ。今は国難の時、それを救うことに学問の使命がある。このことをもう一度考えよ」

 

「ハイ、よく分かりました」

 

松陰はあくまで純真だった。叔父の言うことがよく分かるのであった。

 

 母滝は物陰ではらはらしていた。ある時松陰は庭に投げ出されたことがあった。その時、滝は遂に口に出していった。

 

「お前、大丈夫かい。どうして逃げないの」

 

「母上、心配なさらないでください。叔父は、それ程に私のために真剣なのです。父上も申されました。私への期待が大きいのだと。私はどんなことも耐えて頑張ります」

 

松陰に母の温かさが伝わった。母の後ろで、二人の妹はおろおろしていた。特に末の妹文は泣き出さんばかりであったが、元気な兄の姿を見てほっとした表情を見せた。玉木叔父の教えが厳しいぶん、母や妹たちの存在は大きな支えであった。

 

 

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説・楫取素彦物語」を連載します。

 

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2015年5月29日 (金)

人生意気に感ず「国会論戦と憲法9条。自衛隊員の自殺率。アメリカの現実」

 

 ◇国会で集団的自衛権に関する論戦が盛んだ。現実から離れた規定とされ、憲法改正の最大のターゲットになっている条文が生々しく生きていることを感じる。我々国民は改めて憲法9条と対峙しなければならない。 

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する(9条1項)」

 

「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。(9条2項)」

 

 1項は戦争の放棄を宣言する。2項は、1項の放棄の目的のために陸海空軍の戦力を持たないとする。通説は、1項で放棄するのは「侵略戦争」である。従って、2項で持たないとされる戦力は侵略のための戦力だから自衛のための戦力は持てるとする。

 

 9条は現実と離れているが、戦争の歯止めとして大きな意義を有している。防衛に徹するという「専守防衛」の考えもその一つである。安倍首相は、今回の集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案は、「専守防衛」に反しないと強調する。きわどい解釈と激しい論戦を見て、9条が改正されたら、論戦の様相は全く変わるだろうと思った。私は、現実と乖離しているとしても、9条は変えない方がいいと思う。9条にノーベル平和賞をという動きはさておき、9条が果たす現実の効果は大きい。

 

◇野党が自衛隊員のリスクを問題にしている。ここで気になるのは、自衛隊員に関する自殺である。日本は自殺大国で毎年3万人を超える自殺者があるが、それにしても自衛隊員の自殺は多い。イラク関係で29人、インド洋関係で25人とか。27日の衆院特別委で、防衛省が明らかにしたところでは、03年から09年までのイラク派遣の自衛隊員の中で在職中の自殺者は29人で、そのうち4人はイラク派遣のストレスが原因。その他はどうなっているのか。

 

 アメリカでは、古くはベトナム、最近ではアフガニスタン、イラクの帰還兵に関する驚くべき数の自殺者が深刻な社会問題に。人を殺す現場から受ける衝撃が人を変え、心に深い傷をつくる。日本がこれから海外派兵を展開する場合には、このような兵士の心の問題が深刻となり、これを乗り越えねばならない。(読者に感謝)

 

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2015年5月28日 (木)

◇終戦70年を期にこの夏に出される首相談話に世界の注目が集まっている。特に中国と韓国が執拗な異常ともいえる関心を示している。

 

 その中心は「村山談話」との関係である。それに示された「お詫びの気持ち」を安倍首相が再び表明するかということ。

 

 平成7年8月15年の「村山談話」の問題箇所は次の点である。「わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し心からお詫びの気持ちを表明いたします」

 

 ここで言う「歴史の事実」は、その通りである。安倍首相はアメリカ議会でも、「痛切な反省」、「アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない」と述べた。そして、この夏の「談話」について、これまでの首相たちの表明した態度を踏襲すると明らかにしている。だから「詫る」ことにこだわらなくてよいのではないか。国として一度詫びている、それなのに、また詫びろ詫びろと要求されて詫びるというのは、真の詫びる姿かと思う。私は「侵略」の事実をはっきりと認めた上で謙虚に反省し、それを生かして未来に貢献することを表明すべきだと思う。

 

◇県議会にいたころ、議員の中から「どこが侵略なんだよ」という声が聞かれた。歴史をよく勉強していない議員は多い。満鉄爆破、謀略の満州国建国、そして日中戦争と続く中で、南京事件もあった。侵略の事実を否定することなど出来ない。安倍さんをタカ派、国粋主義者と見ることから、一層、中韓は神経をとがらせる。

 

 日本は「加害者」であることを踏まえて誠実な姿を示すべきだ。私たち日本国民にとって重要なことは、戦後70年という節目に、日中戦争、太平洋戦争を正しく客観的に学ぶことだと思う。

 

◇中国河南省の老人ホームの火災で38人が死亡。今後同種の事件は増えるだろう。急激な高齢化。高齢者福祉の遅れ。人権軽視の大勢。昨年訪中時、認知症対応が全く遅れている事を知った。日本の福祉が進出を始めている。高齢者対応は国家の品格を表わす。真の大国かが問われる。(読者に感謝)

 

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2015年5月27日 (水)

人生意気に感ず「地震が多い。赤城山麓大地震。焦熱地獄のインド」

 

◇25日の地震には驚いた。茨城で震度5弱というが、震源は埼玉県北部で、前橋も震度4とテレビは報じた。最近は地震が多い。地下の構造はどうなっているのか。日本列島の地下は連動し合い、少なくとも影響し合っているに違いない。そんな状況の中で、巨大な岩盤のちょうつがいが次々にはずれ、来るべきものが近づいている。素人の感覚にはそんな風に感じられてならない。

 

 先日、岩手で5強があった。鹿児島の桜島火山の噴煙は増々高くなり富士山もいよいよの感がある。また、箱根山の火山性地震の回数は記録的最多というし、浅間も不気味に動き出した。

 

 それでも群馬は大丈夫と「安全神話」に胡坐をかいていられるのか。群馬には太田のあたり、片品西岸と大きな活断層がある。また、議員の時、何度も取り上げた、弘仁9年(818)のものと思われる赤城山麓の大地震が気になる。類聚国史には、弘仁9年、上野・下野を含む関東各地に大地震があり、山は崩れ、谷は埋まり犠牲者の数はとうてい数えることが出来ないとある。およそ1900年の昔だが、大自然にとってはほんの一瞬である。県議会では本会議が始まる。私が在籍していたら、「群馬の自然災害」ということで地震や火山対策を取り上げるところだ。

 

◇今年も異常な夏が始まる。その異常さは雨と気温だろう。地球が狂い出している。長いスパンで見れば明らかに大変な異常であるが、最近は異常が定着し、異常が常態になりつつある。それでも怪物級が現れる。今年の第一はまた気温である。

 

 インドの高温は例年凄い。しかし、今年は、連日50度というから驚き。熱波の死者は1,100人を超えたという。人の体温どころではない。インドの高温はよく、鳥が落ちるといわれてきた。50度の中で、人や生き物はどう生きるのか。正に焦熱地獄。インド南部の諸州と東部の州の出来事。死者を集計していない州もあるというから、死者の数はどこまで増えるのか。日本の今年の最高は現在、大分で33度とか。これと比較しても50度の凄さがわかる。日本の近い未来に50度の到来はあるのか。人間の暮らせる限界を超えるというべきだ。地球温暖化はどこまで進むのか。この夏、更なる何かを恐れる。

 

◇15日、ベイシア文化ホール、24日市民文化会館で映画・楫取素彦の上映会を実施。ハードな計画だったのでホッとした。各地の上映が続く。(読者に感謝)

 

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2015年5月26日 (火)

人生意気に感ず「あわやの93m。白根開善学校。懐かしい100キロ強歩」

 

 ◇特急同志があわや衝突、急ブレーキで停車したが、わずか93mという。大惨事の可能性があった。JR指令室と運転士との間の情報伝達ミスだという。ハイテクの時代である。自働制御システムも利かなかった。 

 JR長崎線、博多発長崎行きと長崎発博多行きの特急のすれ違いミス。あと一歩だった。午後12時すぎだったようだ。悪い条件が重なれば、世界の大ニュースになっていたろう。

 

 JRに限らず、大量に人命を預かる輸送機関はこの事件を他山の石としなければならない。私たちは、このような危険と常に隣り合わせに暮らしていることを痛感する。

 

◇白根開善学校の理事会に出た(23日)。この学校には様々な思いがある。創立者の執念、入学金返還訴訟、私の長男のこと、100キロ強歩等々。私はこれらを「遥かなる白根」に書いた。その学校が今、存立の危機に直面している。県会議員をやめて、多少の余裕も出来たので、この学校のために力を尽くそうと改めて思った。それだけの意義のある学校なのだ。私が100キロ強歩にチャレンジした頃は120~130人いた生徒が現在40人程になった。孤独に耐え極限の環境で生きようとする子どもたちが少なくなっている。だからこそ存在の意義がある。

 

 創立者本吉修二氏は無謀な挑戦に命をかけた。彼を衝き動かしたものは教育への一途な情熱だった。当時の清水知事の「良い学校だから」という一声で事態が動いた。伊達秋男裁判長は温かい理解を示して入学金返還訴訟を学校に有利な和解に導いた。この裁判官は自衛隊違憲訴訟で名高い人だった。

 

 私の長男周平は知的ハンディを持ち、悩んだ末にこの学校に入れた。本吉氏が自宅まで来てくれた。「ぼく いくよ」と周平は人生の決断を下した。雪に閉ざされた山の学校からはスキーで脱走する者もいた。この学校のハイライト、圧巻の行事は100キロ強歩である。24時間以上かけて100キロを歩き通す。ギブアップ組は巡回するバスに乗る。周平は6年間で3回完歩した。彼の人生の勲章なのだ。

 

 理事会では「食育」の話が出た。私は食育基本法の狙いは食を通して生きる力を育む点にあると話し、学校の畑を活用することを提案した。先日、尻焼き温泉に入り空を見上げると大自然の無限の力を感じた。この力を、学校は未だ活かし切っていない。私の出番だ。(読者に感謝)

 

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2015年5月25日 (月)

人生意気に感ず「浅間の無気味さ。天明の悲劇。日本のポンペイを世界遺産に」

 

 ◇浅間は大丈夫か。このところ、地震や火山の動きが日本列島で活発化している。群馬には5つの活火山がある。一方で、群馬は災害が少ないという「安全神話」が支配している。あの「3・11」は「安全神話」を打ち壊すことが出来なかったのだ。歴史を振り返れば、ほんの束の間の平穏の中で私たちは生きていることを知る。 

 浅間山の静けさは長いこと無気味だった。子どもの頃は噴煙が前橋の上空まで伸びた。静けさは何を物語るのか。巨大な活火山は体内にマグマを溜めながら昼寝でもしていたのか。そんなとき東の方から横腹をつつかれ目を覚まそうとしているのかも知れない。

 

 ここのところ火山性地震が増加している。一日平均29回もあるというからただ事ではない。過去の悲劇を知る者は身構えて警戒しなければと思うはずだ。気象庁は変化なしと発表したが大自然の威力はヘリコプターでちょっと見ただけでは測り難い。

 

◇天明3年(1783)8月5日午前11時の大爆発は浅間の北麗を襲い、死者・行方不明2千人という大惨事を起こした。江戸は昼でも提灯をつけた。大量の火山灰は成層圏に達し世界の気候に変化を及ぼした。あの、フランス大革命は6年後の1789年。農作物に被害を与え社会の混乱を増幅させたことでこの革命の一因となったという説があるのだ。(1979年のイギリスの国際会議でも問題になった)

 

◇「天めいの生死をわけた十五だん」、鎌原観音堂は、あと一歩で熱泥流に呑まれた人と助かった人の物語を今に伝える。助かった村民は93名。地域の有力者が男女を組み合わせて夫婦とした。「浅間山噴火大知讃」には、「隣村有志の情にて、妻なき人の妻となり、主なき人の主となり」とある。この人たちが家族を作り村を再生させたのだ。

 

 極限の状態で、このように人間が助け合い、地域社会を再生させた例は世界の歴史に例がないのではないか。消滅自治体のことが叫ばれ、人間の絆が壊れつつある現代、嬬恋村鎌原の奇跡はもっと注目されねばならない。浅間に抱かれたこの鎌原観音堂を中心とした遺跡こそ、世界文化遺産に値すると思う。これを世に出さないのは行政の怠慢。嬬恋村から運動を起こすべきだ。県教育委員会は、こんな素晴らしい教材を活用しないのか。宝の持ち腐れ以上の無責任というべきだと思うが。(読者に感謝)

 

 

 

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2015年5月24日 (日)

小説「楫取素彦物語」第7回

 

 三、松陰の家庭。

 

 

 団子岩の丘を登る人の声が聞こえた。耳につくのは若い男の子の声。春であった。丘は緑であふれ、梢を渡る風は木々の葉を揺るがしていた。耳をそばだてると、漢詩を唱えそれを復唱する声らしい。やがて親子らしい二人が姿を現した。篭を背負い本を手にした男が大きな声で詩文を発声し、後に続く少年が時々立ち止まり、空に向って大きな声を出し、小走りに追いかける姿である。

 二人の行手に粗末なあばら家が建っている。そこに辿り着くと萩の城下が一望でき、その向こうの海面に指月山を背にした萩城の天守閣がそびえていた。

「寅次郎、今日はよく頑張ったな」

汗を拭きながら男が振り返って笑顔を見せた。

「はい、父上、天気もよく気持ちよく学べました。これで玉木の叔父に怒られずに済みます」

少年の声は弾んでいた。その瞳は木々の緑を映したように澄んでいた。

「は、は、は、文之進はお前に大きな期待を寄せているの。過ぎたところがあっても耐えねばならぬ」

おとこは愉快そうにそして諭すように言った。

「はい父上、よく分かっております」

少年の声が即座に反応した。

 二人は寅次郎(松陰)とその父杉百合之助親子であった。松陰の家は萩の外れの団子岩といわれる高い丘にあり、父と母滝を中心にした大家族であった。子どもだけでも六人いた。松陰の三人の妹は、順に千代子、寿、文であった。これら家族の他に病人を含む親戚の者が何人か同居し、母滝の苦労は並大抵ではなかった。滝は温かい、心の広い人柄で家族をよく支えた。後に松陰は子どもを育てる上で母親は特に大切な役割だと述べているが母の影響が身にしみていたのであろう。峻巌で容易に人を誉めない松陰の叔父玉木文之進も滝だけは「丈夫も及ばぬ」と嘆称したという。

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説・楫取素彦物語」を連載します。

 

 

 

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2015年5月23日 (土)

小説「楫取素彦物語」第6回

剛蔵は一気に語った。気持の高ぶりを抑えて話す風が窺えたが、心の興奮をその目が物語っていた。久米次郎は、これこそ生きた学問であると受け止めた。そして、陽明学を学ぶものとして、幼い心に深く期するものがあった。

 

 天保九年、久米次郎十歳の時、長州藩は村田清風を登用して藩政の改革を始めた。長州も莫大な借金をかかえ藩政は危機にあった。

兄から大塩の乱の話しを聞いていた久米次郎は藩政の改革ということがいかに重要であるかを知っていたので、改革の行方を子どもながらに見守っていた。

 天保十年から十四年までは、西暦では1839年から1842年に当たる。隣国清は衰えて列強の力に屈しようとしていた。そして、外国の影響は日本にも一層大きな力となって迫りつつあった。

 天保十年、渡辺華山や高野長英が幕政を批判して罰せられた蛮社の獄が起きた。また、この年、高杉晋作と久坂玄瑞が生れた。二人は後に松下村塾の双璧といわれた。久坂は松陰の妹文を妻としながら志士として奔走し禁門の変で自刃するという運命を辿る。

 天保十一年(1840)、この年久米次郎は儒家小田村吉平に請われてその養嗣子となり名も小田村伊之助となった。

 この年、吉平は小田村家に入った伊之助を前にして静かに語った。

「大変な時代が進んでいる。隣国清はアヘンをめぐりイギリスと戦争になったという。この戦は明日の我が国の運命に関わることだ。お前も関心を寄せて学ばねばならぬぞ」

「はい、小田村家の学問を深めるためにも、情報には細心の注意を払います」

伊之助は義父の前に手をついてきっぱりと言った。

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説・楫取素彦物語」を連載します。

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2015年5月22日 (金)

人生意気に感ず「簡易宿泊所の今昔。私の体験。給食費滞納。ドローン少年」

◇川崎市の簡易宿泊所の火災は物凄い。犠牲者は9人となり、まだ不明の部分があるらしい。新たに見つかった遺体は性別が不明、そして焼け跡からは体の一部が複数見つかっているという。想像出来ることは名簿にない人がいて、他にも犠牲者がいる可能性だ。  映像では、簡易宿泊所の近くには立派なマンションが見える。この対比は格差社会の縮図を物語る。簡易宿泊所の人々の多くは生活保護受給者だという。貧しい人々、安い宿泊料、となれば防火設備にも金をかけないことが予想される。淋しい人々の中には酒を飲んでタバコの始末をしっかりしない人があるかも。  この種の事件は連鎖の可能性がある。社会には同じような実態が多数存在するからだ。 ◇私は少年の頃、山谷の簡易宿泊所に泊まったことを思い出す。一部屋に8人位泊まれる構造になっていた。畳1枚が敷かれたベッドの枠が壁に沿って、上下2段に作られ、上の段にはハシゴで登るのだ。ザラザラしたコンクリートの風呂に入り、ベッドに戻ると間もなく消灯になった。おじさんたちは異様な客に興味を持ったらしい。明朝、本郷の東大で受験しますと言うと、「へえー、頑張って下さい」と励ましてくれた。忘れられない1コマである。(私の「上州の山河と共に」P55~) ◇給食費滞納に支払いを命ずる判決が出た。これには重要な社会的意義がある。原告は玉村町。被告の2世帯は、いずれも子ども3人の給食費を長期間滞納、判決に対し「ご迷惑をお掛けして申し訳ない。何としても支払う」と言っている。町が抱える滞納累計は2,110万円。  玉村町だけではない。給食費だけではない。この問題は何を意味するのか。私は県議会で時々取り上げてきた。県営住宅、県立病院等々、これらの公約料金を支払い能力がありながら、いくら催促しても払わない人が非常に多い。公的なことに対する無責任。こういうところから社会が、そして人の心が崩れていく。公表されれば慌てて「申しわけない」か。昔は給食費の袋を先生に出した。給食の重みを感じた。 ◇ドローンが社会問題になる中、15歳の少年が逮捕された。浅草神社の運営を妨げた威力業務妨害。善光寺や国会でも騒ぎを。この逮捕はドローンの悪用に警告を与える意味がある。ハイテクのメカはその威力を限りなく広げる。見る力、運ぶ力。テロにも使われる。(読者に感謝)

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2015年5月21日 (木)

人生意気に感ず「重粒子線中止の本質。中国は大国か。原爆と原発」

 

◇群大病院の対応に疑問を抱く。重粒子線治療に関し治療予定者も中止したことだ。今回の医療過誤で先進医療の特定病院制の指定取り消しを受けた根本には、人命軽視がある。予定者の治療まで中止したことには同様な問題があるように思えてならない。厚生労働省の要請がそこ迄厳しいとは思わない。権力や世論に弱い体質の中に、医の使命と体質を忘れた姿がうかがえる。 

 がん患者の心は察するに余りある。死の渕に立つ者にとって、重粒子線治療は正に救いの神。ある予定者は「やっと救われたと思った矢先の中止とは余りに冷たい」と言っている。厚労省は、このような本末をわきまえない群大病院を適切に指導すべきだ。重粒子線装置建設に多額の金を出し、県民の命と健康に責任を持つ県も真剣に考えて欲しい。

 

◇最近の中国の姿を見ていると、本当に世界の「大国」かと言いたくなる。南シナ海の埋め立て、尖閣もそうだが、各国指導者が日本の被爆地、広島・長崎を訪問することに反対していることは重大である。

 

 核拡散防止を協議する国際会議の合意文書中の、各国指導者に被爆地訪問を要請するくだりが中国の反対で削除された。その言い分は「日本は第二次世界大戦の加害者ではなく被害者であるかのように描こうとしている」というもの。大戦の責任問題と核廃絶は全く別ではないか。

 

 日本は平和憲法を掲げ世界の平和を訴え続けている。その底には第二次世界大戦への反省がある。核兵器こそ平和を脅かす最大の敵。それが、適切に管理できない国に広がろうとしている。広島、長崎の究極の惨状は核の恐ろしさの真実を語る。これを見ないで核の恐怖は語れない筈。正に百聞は一見にしかずである。

 

 中国は国土も経済の力も大きい。しかし、人権については小国と言わざるを得ない。人権は人類の普遍的価値であり正義の源泉である。核に対する中国の対応には人権を軽視する姿勢と共通するものがあると言える。

 

◇日本が核被爆国としてその廃絶を訴える時、原発廃止を鮮明にしなければ、世界に対する説得力に欠けるし、一貫性がないことになる。原爆と原発は同根だからだ。「3・11」の事故は原発が人の力で制御し難いことを示した。広島・長崎と同じ悲劇を繰り返そうとしていると見られても仕方ない。(読者に感謝)

 

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2015年5月20日 (水)

人生意気に感ず「橋下破る。赤城の温泉に楫取と文。満州移民の悲劇」

 

◇維新の橋下が破れて政界引退を表明した。一世を風靡し風雲児的面影があった。一時は政治家を目指す多くの人が全国から彼の旗の下に馳せ参じた。遠くから見ていて信長的面白さと危うさを感じていた。才知と強靭な精神力を備えていたと思う。

 

 大阪府と大阪市という二重行政の無駄を解消し住民に身近な行政を実現するという都構想を掲げ住民投票に賭けた。破れたとはいえ約1万票の僅差。敗戦の記者会見は「満面笑み」であっけらかんとしていた。橋下氏の目指した改革の意義は大きい。70万5585票対69万4844票。この結果を見れば、住民投票は、大阪の改革を議論するスタートではないか。彼の若さも考えると、政界引退は無責任な気がする。同時に、橋下という人物がこれまで世に訴えてきた姿が本物だったか否かが問われることになるのではないか。

 

◇知人から贈られた「東宮鐵男と満州開拓移民」を読んだ。拙著「炎の山河」で満州の悲劇を書いたが、その中でも東宮大佐が登場する。東宮鐵男は、小学生の同級生で赤城温泉ホテルを経営する東宮文男君の一族でもあった。

 

 面白いのは、この書にある楫取素彦が寿夫人の妹美和(大河ドラマの文)を連れてこの旅館に3日間滞在したということ。明治15年4月のことで、前年に寿は病死した。そしてこの翌年に楫取は正式に再婚。東宮七男の「渦の中から」よりとなっている。想像を掻き立てられる。

 

◇戦後70年を期に、中国帰国者の体験集を作る。原稿はほぼ集まり、昨日要点の打ち合わせをした。私は帰国者協会の顧問として原稿を書く。満州移民は最大の悲劇を味わった。「炎の山河」で描いた現実が風化し忘却の彼方に消え去ろうとしている。

 

 悲劇の原因の一つに東宮鐵男が深く関わることは個人として淋しい。太平洋戦争の発端は満州に於ける陸軍の暴走だった。関東軍は張作林を爆死させた(昭和31年・満州事変)。この爆破の指揮をとったのが東宮であった。これを機に傀儡国・満州国の建設(昭和32年)、国連脱退、中国全域への戦争拡大、英米との全面対決、そして遂に真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争に。

 

◇昨日、日中友好協会の理事会が。私は会長として、会員である帰国者協会の代表を理事に加える事を提案。東北三省に多くの人脈を持つ人々。悲劇の体験を日中友好に活かさねば。(読者に感謝)

 

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2015年5月19日 (火)

人生意気に感ず「中国人に至誠を。海を埋める暴挙。世界の覇を競う中国」

 

◇15日の朝、40人の中国人留学生に楫取素彦について話した。夜の映画の予習であった。その中で松陰が楫取にのこした「至誠」に触れた。孟子の言葉だから反応があると思ったが期待は裏切られた。中国で道徳はどうなっているのかと考えた。

 

◇今年10月、日中の青少年書道展を県庁ホールで開く。群馬県日中友好協会の事業で現在準備を進めている。書の源流は中国。そして書は精神をあらわす伝統文化である。日中の心の交流として意義がある。私は群日中の会長で、書道展の実行委員会委員長。両国ともにぎすぎすした社会が進んでいる。書の交流展を行き過ぎた機械文明を反省する場にしたい。そして、真の日中友好の一歩にしたい。

 

◇南シナ海の埋め立て工事は暴挙ではないか。岩礁埋め立て工事は大規模で急ピッチ。間もなく滑走路が出来る状況。埋め立て工事は文字通り既成事実の積み重ねだ。米国が深刻な懸念を表明し、中国は主権の範囲と譲らない。一番影響を感じているのはフィリピンだ。周辺の軍事施設の増強を急いでいる。尖閣に対する強硬姿勢と共通なものがある。中国の横暴ぶりを見ると、平和は美しい理想論だけでは守れないことを痛感する。歴史が力によって作られていくことを感じる。自衛隊を石垣島などに配備する計画だが、防衛に空白域を作れば、そこに付け込まれる恐れがある。

 

◇中国の近代史は屈辱の歴史だった。谷底から這い上がった目覚めた巨龍は一挙に立ち上がってアメリカに対峙せんとするまでになった。そのためには太平洋に進出しなければならない。埋め立てはその布石を目指すものだろう。

 

 石原莞爾はかつて日米が世界の覇を争う時が来るだろう、そのために満州を抑えることが不可欠だと主張した。中華思想を強く抱く中国としては、中国が米国と覇を争う時が来たと思っているに違いない。新たな挑戦を受ける形の米国にとって日本ほど重要な同盟国はない。中国から見れば日本は目の上のたんこぶだ。日本は平和憲法を堅持しつつ米中の線に立って極めて重大な国際的役割を果たす時が来た。平和と技術こそ日本の生命源である。

 

 ここでもし、日本がドイツのように原発廃止を宣言すれば、世界に及ぼすその効果は測り知れない。中国はこれから百を超える原発を計画している。人権尊重度の低い中国は原発を管理出来るのか。日本海が不安である。(読者に感謝)

 

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2015年5月18日 (月)

人生意気に感ず「超満員の映画会。差別だとトラブル。民生委員と孤立老人」

 

 ◇15日のベイシア文化ホールの小ホールは600人超の参加者であふれた。映画・楫取素彦物語の鑑賞会。アメリカの三大映画祭の一つ、ヒューストン国際映画祭で、グランプリに当たる最高賞・プラチナアワードを得た。監督は櫻井顕氏。私は原作・企画を担当したが、映画としてこのレベルに仕上げたのは、監督のシナリオ力、時代を切り取った史観と情熱である。 

 私は冒頭の挨拶で次のように述べた。「安倍総理が150年以上前の両国の出会いは民主主義との遭遇でしたと米議会で語りましたが、それは、この映画の重要な背景の一つでした。また、アメリカの建国の基礎は人権。この映画は女性の人権、廃娼も取り上げています。これらがアメリカ人の心に訴えたと思います」

 

◇この鑑賞会でちょっとしたトラブルがあった。40人程の中国の留学生との間で誤解が生じたのだ。この日の朝、映画の予習をした際に、「君たちは若いのだから、万一席がいっぱいでお年寄りが座れない時は席を譲ってくれないか」、生徒たちは快く了解したかに見えた。しかし、言葉の不十分さと、会場係の対応に問題があった。いきなり「立ってください」とやったらしい。中国人に対する差別だということになったのである。説明し、謝罪して事なきを得た。国際化時代の配慮は難しい。勉強になった。

 

◇なお24日、市民文化会館小ホールで、午後7時から同映画の上映会を行う。映画制作に多くの人が浄財を寄せてくれたが、15日は満席が予想されたので、多くの浄財の方は別の日に鑑賞してもらおうということで24日になった。この日には、俳優の夏原諒、渡邉宰希、伊嵜充則も参加する。浄財提供以外の一般の方にも是非参加して頂きたい。入場料は500円で、中学校以下は無料である。

 

◇私の友人が民生委員になった。「プライバシーも大事だが、少しおせっかい位でないと命を救えない場合もあるよ」と私は言った。一人暮らしのお年寄りが増えている。それを支える地域が崩壊しつつある。人は誰もが住み慣れた地域社会で最後まで暮らしたい。人間の支え合いの出来る温かい地域こそ最高の福祉的環境。民生委員の役割は増々重要だ。そして一人暮らしの高齢者にとって最大の課題は健康寿命である。消滅自治体が叫ばれている。活力ある自治体の創生こそ今日的最大の課題。(読者に感謝)

 

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2015年5月17日 (日)

小説「楫取素彦物語」第5回

剛蔵は慌てるなと目で制して語りだした。

「大阪奉行所の元与力大塩平八郎と申す者

「エッ、ではあの陽明学者の」

「そう、知行合一を命を捨てて実践したのだ。米が不足して、餓死者が出るほどの窮状なのに大阪奉行所は救済策をとらなかった。さらに富商が米を買占め暴利を貪るのに何も手を打たない。耐えかねた大塩は門弟や民衆を動員して武装蜂起した。それのみか、五万巻の蔵書を売って千両余りの金をつくり、それを3日間で一万戸の窮民に施したの

「何と大胆不敵」

思わず久米次郎は口を挟み固唾を呑んだ。

「陽明学の知行合一。君子の善に於けるや必ず知行合一す。君子もし善を知って行はずんば即ち小人に変ずる機なり。大塩は、結果の如何よりも、日頃の信念を天下に示し幕府の非を糺すことを選んだに違いない。彼の行動は為政は何のためにあるかを身をもって示した。この点はお前もよく腹に据えておかねばならぬ

「はい、兄上。生きた学問の例、久米次郎肝に銘じます」

大塩は檄文をまき、救民の旗をかかげ大砲を放って行進した。参加者は三百人。その大部分は大阪の細民と近在の百姓で、大阪の五分の一を焼き払ったそうだ」

「兄上、絵巻を見るようでございます」

 久米次郎は興奮して声をあげた。

それを目で制して剛蔵は続ける。

「大阪の役人の狼狽ぶりは異常であったという。鎮圧に当たった二人の奉行は

馬から振り落とされ町民の物笑いとなった。これが、泰平に慣れ、飢えた民衆

にも心を動かさない幕府の役人の実態なのだ。こんな幕府が国を守ることが出

来ようか。

幕府は大塩らに反逆罪を宣告し、死骸を磔に処した。これは幕府の受けた撃

が如何に大きかったかを物語っている

※土日祝日は中村紀雄著「小説・楫取素彦物語」を連載しています。

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2015年5月16日 (土)

小説「楫取素彦物語」第4回

二、天保という時代、大塩の乱

 久米次郎が生れた翌年、天保元年から天候不順が続き全国で大凶作となった。天保期の動乱は飢饉から始まったともいえた。原因たる天候不順は世界的な小氷期が原因であった。天候不順は地球上平等なのに、政治体制の違いが被害の大小を左右した。

日本は鎖国下にあったから、もとより外国の助けはなく、その上、各藩が孤立して鎖国状態だったから、一藩の窮状は直ちに深刻化する。ひどい地域は犬猫から垣根の縄まで食い尽くし、さらに進んで人相い食むという所まで出た。

 追い詰められた農民は生きるために一揆を起こした。天保期の特色は全国的な一揆の多発である。天保二年、長州にも大一揆が起き参加者は十万人ともいわれた。

天保八年、久米次郎九歳の時、天下を揺るがす大事件が起きる。大塩の乱である。時を移さず萩にもその緊張感は伝わった。何やら大変な政治的出来事らしいが詳しいことは久米次郎には分からなかった。

ある日、兄剛蔵に呼ばれた。人気のない部屋であたりを憚るように剛蔵は切り出した。

「大変なことが起きた。心して聞け」

「何事ですか」

久米次郎は身を固くして兄の口元を見た。

「こともあろうに、幕府直轄の地で幕府の役人が謀反を起こしたのだ」

「エッ、誰が、何のために、そして結果はどうなったのでございますか」

久米次郎は身を乗り出して立て続けに聞いた。

「ウム、まず聞け」

※土日祝日は中村紀雄著「小説・楫取素彦物語」を連載します。

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2015年5月15日 (金)

人生意気に感ず「裁判もせず処刑とは。朝鮮総連の息子逮捕。拉致は」

 

 ◇追い詰められた悪魔の断末魔の姿か。北朝鮮の異常な恐怖政治はそのようにも見える。金正恩第一書記に不満を示した高官(国防相に当たる)が4月30日に処刑されたという。人民軍部大会で居眠りしていたことも理由に挙げられているらしい。 

 処刑は、裁判も行われないまま、平壌市内の軍射撃場で軍幹部ら数百人が見つめる中で行われた。見せしめの公開処刑は、これまでも多く行われてきたらしい。中には火炎放射機で跡形もなく焼き殺すという残虐ぶりも伝えられてきた。

 

 このような事態は何を物語るのか。金第一書記の側近に対する極度な不信感とこうまでしなければ維持できない体勢の状態を示すものだろう。報じられた人民軍幹部大会の写真では金第一書記の隣り2番目に玄永哲氏の姿がある。玄氏は、この数日後に逮捕された。

 

 一連の公開処刑、特に今回の処刑は、国家が自ら正義を放棄したことを示すものだ。国際的にも孤立し経済も絶望的な北朝鮮。本来なら国家の危機を救うために身を捨てる覚悟で意見を述べる忠臣がいるはずだ。側近を裁判なしで公開処刑するとは、それさえも許さないこと。北朝鮮は自ら首を締める行為を始めた。武器だけは強大なものを持つ国。何とかに刃物とはこのこと。玄氏の処刑後、北朝鮮はミサイルを発射した。「何が起きても不思議ではない」という軍事筋の見方が出ている。このような隣国の存在を見詰めて私たちは国防を考えねばならない。

 

◇マツタケ不正輸入で挑戦総連議長の次男が逮捕された。これに対する北朝鮮の対応はいつもながら凄い。これも「処刑」の恐怖政治の奥の院から出てくるように聞こえる。「不純な政治動機による挑発行為だ」、「総連に対する迫害は、朝日関係を取り返しのつかない最悪の事態に追い込む」と吠えている。追い詰められた泥棒が開き直った姿。北朝鮮の一体の姿に見える。このような国と「拉致」問題を交渉することの難しさを思う。

 

◇拉致再調査の約束の期限7月が迫る。進展なき状態が続くことは許せない。自民党は、裁判強化の対応策を検討するプロジェクトチームを発足させた。思えば袋をかぶせられ連れ去られた人々を長い間助けられなかった国家の責任は重大だ。日朝は光と陰。陰の部分から魔の手が伸びる。道連れはご免だ。(読者に感謝)

 

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2015年5月14日 (木)

人生意気に感ず「大噴火は?ネパールと自衛隊。引火性の高い韓国」

人生意気に感ず「大噴火は?ネパールと自衛隊。引火性の高い韓国」

◇昨日、また、東北岩手で震度5強があった。やたらに多い。日本列島の地下に何が起きているのか。火山の噴火も多い。地震と火山はどういう関係にあるのか。「3・11」以来、地震も火山も活動期に入ったと言われる。そんな中で昨年の御嶽山の噴火、そして現在進行中の箱根山。また、首都直下型と南海トラフ型の大地震は、明日かも知れぬという状況で確実に迫っているのだ。

◇当面の差し迫った危険は箱根山。火山性群発地震は2千回を超え、山体の膨張は続き、地下から白煙が勢いよく吹き出している。日本列島全体が活動期にあることの最先端の動きが箱根山。素人にはそう思えてならない。

 箱根山では地下のマグマがその上の地下水を熱している。密閉の地下に巨大なヤカンがあってその下で火が燃えている。水蒸気噴火は確実だが、その規模は大か小か。箱根山には巨大噴火の歴史があるだけに目の前の動きは不気味である。カルデラ形成を伴うような巨大噴火のことを破局噴火と呼び、関東では箱根山がその可能性をもつというのだ。大自然の威力は人智で測り難い。

◇昨日、自衛隊と民間経済人との集いである国防会議厩衛会の総会があった。知事、山本市長も参加して盛会だった。恒例の防衛講話のテーマはネパール大地震。現地ネパールで活躍する自衛官の生の映像と声が会場に届けられた。世界から35か国が参加、自衛隊は114名が参加し、その中で群馬の隊員は27名、更にその中で女性隊員が9名だと説明されていた。新聞が報じた12日のM7・3の余震のことも話題になった。この余震でシャングリラホテルの料理人が避難したため食事は携行食品になったという。こんなネパールの地震も箱根の事態と隣り合わせのように感じられる昨今の状況なのだ。

◇乾杯に立った自衛官が面白いことを言った。近代群馬の歴史に触れ、下村善太郎など生糸の経済人が前橋をつくった、皆さんはそのDNAを受け継いでいるというのだ。隣りの席の人が私の耳に口を寄せて「楫取県令ですね」と囁いた。

◇帰りの車中で、韓国国会が安倍首相の米議会演説を非難する決議をしたこと、それを菅官房長官が非礼だと激しくやり返したニュースを聞いた。引火性の高い軽い国民か。史実は別にしてそう思ってしまう。(読者に感謝)

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2015年5月13日 (水)

人生意気に感ず「知事・市長に受賞報告。ドローンの規制。群大。自衛隊」

 

◇11日、櫻井監督と大澤知事、山本前橋市長を表敬訪問した。楫取素彦に光を当てることについては本会議で2度、知事の考えをただした私。知事の目玉の政策というべき東国文化の流れともつながる楫取の存在。その姿を描いた映画が受賞したことを大変喜んでおられた。「10人の審査員の各持ち点は10点で、96点以上でないとプラチナ賞はもらえません」、櫻井監督がこう説明すると知事は驚いておられた。15日の受賞記念鑑賞会には知事が出席する予定。

 

 市長は言った。「のりお先生、議員をやめて本来の希望のことが出来て楽しくてしようがないでしょう」と。その通りだが新しい道を切り開くため懸命の覚悟。老いの坂を人生の重力に逆らって登ることは容易ではない。

 

◇ドローン(小型無人飛行機)の騒ぎが広がっている。上空から何でも見られる。面白い玩具だが悪用されると大変なことに。首相官邸屋上で見つかり俄かに大問題になった。先日は御開帳の善光寺で儀式の中で落下。操作の主は15歳の少年。ドローンのファンは広がっているに違いない。私の知人も飛ばしていると話している。

 

 規制が問題になり始めた。新しい事態に対して規制は常に後追いである。官邸が先ず禁止になる予定で、都立公園などが続く。ニュージーランドでは8月から私有地飛行を禁止する。日本もそういう方向で動くのではないか。

 

 法務省は、刑務所や少年院などに不正な差し入れや盗撮につき注意を呼びかけた。高い塀を超えて逃走用具、薬物等を届ける、受刑者の盗撮等。放置すると大変なことに。

 

◇群大病院の悲劇は深刻だ。世界に冠たる重粒子線施設も使えなくなる。これは、県が掲げる医工連携の象徴だった。乗り越えなければならない。私が何度も指摘しているのは構造的問題ということ。医師個人の責任は勿論重大だが、それを防ぐ「組織」がありながら機能させることが出来なかった。大きな組織も平穏が続くと惰性に流される。県立病院は大丈夫か。共通の問題として原点にかえらねば。原点とは命を扱うことへの謙虚さである。

 

◇長く平和惚けと言われてきた日本人に危機が迫る。その一例が「尖閣」に示される中国の進出だ。南海を大規模に埋め立てている。

 

 防衛省は沖縄の宮古島、石垣島へ自衛隊を配備する方針。ここは防衛上の空白だった。平和を守るためには戦う覚悟と備えが必要。美しい理想論では国を守れない。幾多の歴史が教えている。(読者に感謝)

 

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2015年5月12日 (火)

人生意気に感ず「がんの時代の死生観。梅原猛と森喜朗。NASA」

◇私の友人福島浩君が50歳で肺がんで倒れたことを昨日書いた。私の前の妻は40歳で胃がんで亡くなった。あの頃を想像すると、がんの捉え方について隔世の感がある。当時はがんというだけで大変な恐怖だった。恐怖は今も同じだが、3人に1人ということで誰もが罹る身近な病気となった。このことが気持ちを楽にしている面もあるだろう。薬や技術が進歩して治る可能性が高まったこともある。しかし、死に直結する病気に変わりない。自分の身に置きかえてみれば大きな恐怖だ。自分なりの死生観を持たないと乗り切れない。現代の日本人の死生観はどうなっているのだろうか。

 

◇今、社会の大きな問題は健康寿命を伸ばすことだ。そのために、医工連携により新産業を育てることが叫ばれている。これは地方創生の大きなカギでもある。健康寿命は個人の問題であると同時に国家社会の問題なのだ。

 

 私は満74歳。毎朝走れることを幸せに思う。走ることが健康寿命に直結していると信じる。しかし、走りながら、いつかは、その時は、とがんに対面するときのことを考える。

 

 今月号の文藝春秋を買った。梅原猛と森喜朗の記事が目に止まった。満90歳の哲学者は、自分の死生観について面白いことを書いている。それは死生観の極致。「人間は無限の過去から受け継がれてきた遺伝子をもっている。その意味で私の中に過去の永遠が存在する。その遺伝子の未来における発展は計り知れない。私は自己の中に過去の永遠と未来の永遠という二つの永遠を宿している」。こう語りながら、「90歳になった今、死を受け入れる準備が一応出来たと思っている」と言うのだ。私は、この哲学者の思想を時間をかけて考えてみたい。

 

◇元総理大臣の森喜朗は、今年、2度目のがんの手術をしたという。以前のは前立腺がんで、今回は肺がん。両方とも、今話題の腹腔鏡手術。自分のがんのことを淡々と受け止めている。森さんは78歳。のんびりテレビを観る生活より、ぎりぎりまで人の役にたつ生き方が人間として最高と語る。このような単純明快な人生観、死生観がいい。私も同感である。

 

◇NASAで月ロケットの実物を見て度胆を抜かれた。宇宙時代が進んでいる。日本は独自の技術で「スリム」の月面ピンポイント着陸を目指す。「はやぶさ」の快挙を超えてどこまでいけるか夢は果てしない。地球外生命の発見は近いと思う。日本の科学技術は夢を育む。(読者に感謝)

 

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2015年5月11日 (月)

人生意気に感ず「恩人への弔辞。福島浩君の死。群大病院よ」

 

◇元第一建工株式会社の社長秋次さんの告別式で角田義一さんと私が弔意を読んだ(10日)。元参議院副議長角田さんは福島さんとの深い絆を振り返り「刎頸の友」と呼びかけていた。角田さんが語るエピソードはドラマチックだった。第一建工が昔、車の大事故を起こし多くの死傷者を出した。犠牲者の中に露天商がおり、交渉相手はその筋の大親分。角田さんは顧問の弁護士だった。この親分との交渉には専務の福島浩君も当たり、私は浩君から面白いことを聞かされたことがあった。

 

 私の弔辞には、この福島浩君が登場する。私に県議選出馬を勧めた男で、51歳で早世。福島秋次さんの末弟であった。二人の間には福島貞雄さんが居り、長いこと私の連合後援会長をつとめた。福島三兄弟がいなかったなら私の県会議員は存在しなかった。私は弔辞の中で、「あなたは私の人生の恩人です」と話しかけた。角田さんは、この人の人生を「波乱万丈」と表現していた。私は、「裸一貫から第一建工を築き上げた」と称え、それ以上は遠慮したが、角田さんは、バブルの絶頂期、株式上場を夢みながらバブルの破綻と共に経営破綻を来したことまで熱く語っていた。波乱万丈の人生を再現させたことを故人も喜んだことだろう。

 

◇福島浩君のことについて。「主人は51歳でした」と奥さんはこの日、振り返った。旧宮城村小学校の同級生。優秀な男で勉強机もない環境から前高に進んだ。肺がんで倒れ、「おかげ様で」と題した小冊子で、死を見詰めた様を見事に描き去って行った。小寺知事(当時)、尾身幸次氏、私が弔辞を読んだ。思えば、私の人生の参謀だった。彼の死から24年、私は次の20年に臨もうとしている。彼がいたら、どんなアドバイスをしただろうか。私は2度結婚したが、2人の妻を彼はよく知っていた。特に最初の妻を、私に強く勧めたのも彼だった。人生が長くなると様々な死を乗り越えて生きることになる。

 

◇群大病院の特定機能病院の承認取り消しが決まった。一連の医療過誤は信じがたい。腹腔鏡の肝臓手術で8人が、開腹手術でも10人が亡くなった。医師個人の過失と共に、病院の構造的な問題がある。これは、放置すればそのような構造から又事故が生ずることを意味する。「医は仁」と言うが、この言葉を組織体に向けて問いかける必要をこの事故は示している。(読者に感謝)

 

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2015年5月10日 (日)

小説「楫取素彦物語」第3回

 

 三兄弟は厳しい社会状況の中で一心に学んだ。下の二人はそれぞれ上の兄を見習いながら勉学に打ち込んだ。

明倫館に入る以前のある日、久米次郎は剛蔵兄に尋ねたことがあった。

「兄上、勉学の目的はどう考えたらよろしいでしょうか」

「もとより藩のお役に立つ人間になるため。久米次郎よ、時代は大きく変わろうとしている。この変化を正しく見る力は学問である。

 今、我が国は大変な時を迎えようとしている。外国の脅威なのだ。外国を知るカギは学問だと心得よ。やがて新しい時代が来る。新しい時代を生きる力も学問なのだ」

「新しい時代とはどんな時代でしょうか」

「幕府もなくなり、朝廷の下で日本が一つになるだろう」

「夢のようですね、実現するのでしょうか」

「その時はきっと来る。そうしなければ日本は外国の支配下になってしまうのだから、必然の道、忘れるでない

剛蔵は鋭い視線を久米次郎に投げきっと唇を結んだ。

「そして、港を開いて外国とつき合う時代が来るに違いない。その時日本人として恥じない力はやはり学問なのだ。そのことを心して励まねばならぬぞ」

剛蔵は遠くを見るようにしていた視線を再び弟の顔に移して言った。

「よく分かりました。兄上、学問の真の目的が見えてきて学問する強いこころが湧いてくるようでございます」

「それからもう一つお前に言い聞かせたいことがある。新しい時代というのは、この国が一つになることだから、藩という壁はなくなるだろう。朝廷の命によって遠いところへ出向国のためにする事もあるに違いない。例えばお前が東国の果てで仕事をすることも有り得るの。新時代に備えるとは、そういう広い心を養うことなのだぞ」

久米次郎は兄のいう東国とは何だろうと思いを巡らすのであった。剛蔵は自分の話を弟が真剣に受け止める姿を見て我が意を得たりと思った。そして、以後、時々時局を語るようになった。

 

※土日祝日は中村紀雄著「小説・楫取素彦物語」を連載します。

 

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2015年5月 9日 (土)

小説「楫取素彦物語」第2回

 長州萩は不思議なところである。ここから近代日本を作り出す力が生れた。萩に今魚店町と呼ばれた一角があった。日本海に面し、眼前の海中には指月山を背にした萩城が立つ。広い港湾には諸国の船がしきりに出入りし活気に満ちていた。  この町に藩医松島瑞幡の屋敷があった。文政十二年三月、松島家に次男が生れた。名は哲、通称は久米次郎といった。後の楫取素彦である。兄は剛蔵で、後に生れた弟は乾作。三兄弟とも優れた天質に恵まれ、幼児から学問等修練して頭角を現していく。  環境が人をつくる。歴史がその環境を作る。 慶長の怨みを呑んで立つ萩城が静かに深く全てを語っていた。関ケ原で敗れた毛利は領土の大半を奪われて西国の小さな所に押し込められた。 時至らばという徳川への思いが二百数十年密かに維持されたことは驚くべきことである。この歴史が多くの人材を育てることにつながったのだ。 「今年あたりやりますか」 「いや、まだ早かろう」  新年に、登城した時の挨拶がこのような習慣になっていたというのも面白い。  久米次郎はこのような歴史的環境の中で育った。藩校明倫館に入学する以前から名ある師の塾に通ったが、彼の中で育ったものは知識だけではない。「私」を超えて社会に奉仕するという思想を日々の空気のように無意識に吸いながら志を育てたのである。  兄松島剛蔵は四歳年上である。秀才として名高く、和漢の学を修め洋学では藩内随一といわれるようになった。そして、神童といわれた弟乾作は三歳年下であった。

※土日祝日は中村紀雄著「小説・楫取素彦物語」を連載します。

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2015年5月 8日 (金)

人生意気に感ず「ネパール留学生に建築学を。箱根の不気味。尻焼温泉」

 

 ◇私が関わるNIPPON語学院には99名のネパール留学生がいる。彼らの故郷は大変である。死者は7千人を超え最終的には1万人に達すると見られている。私たちは大地震発生直後直ちに救済委員会を立ち上げた。中味は「おもてなしファンド425」である。 

 今回、私たちは更に、ネパールの留学生に建築学を学ばせる企画を進めている。連日報じられる瓦礫の山。あの光景は、耐震力のない建物の脆さを物語る。レンガを積み重ねただけではないか。地震は必ずまた来る。そして同じことが繰り返されるだろう。ネパールの若者が、日本の建築学を学び故郷のまちを耐震技術で再建するのだ。ロイヤルホテルの清水社長の発案。既に3人の留学生が手を上げている。

 

 私は清水さんと昨日、山本市長に会い、前橋工科大学に特別枠を設け留学生に建築学を学ぶ機会を与えて欲しいと提案した。国際化時代の生きた助け合いを目指す。私たちの留学生対応の基本は「おもてなし」であるが、それは表面的、形式的であってはならない。本質は相手を尊重する心。建築技術を身につけさせることは、このおもてなしに通じるものである。

 

◇パプアニューギニアでもM7・5。世界中で火山が活発化しているのか。不安が募る中国内も不気味である。箱根の大涌谷では噴火警戒レベルが2に引き上げられた。山体の膨張もわずかに観測。安全神話が支配する群馬は大丈夫か。草津白根がレベル2となっている。浅間の沈黙も不気味。日本全体の火山が活性化していると感じる。首都直下型、南海トラフ型と巨大地震も近づく。

 

◇6日、六合の奥地、尻焼きの湯につかった。夕暮の大自然。川底からぶくぶくと湯が。見上げると山に囲まれたように青い空が。地底にマグマがある事を感じた。地球は生きている。

 

◇元群馬県警察官に7日、2年6か月の求刑。若い被告に哀れさを感じる。私は、県議会で警察官の網起粛正を訴え、警察学校で「楫取と松陰」の講演もした。あの時の若い顔が目に浮かぶのだ。「お父さんが交通事故に」と嘘を言って女児を車に。わいせつ目的誘拐未遂。ことは悪質で重大と判断される。被告は「ストレスで自制心が利かなかった」、「子どもの頃から夢だった警察官を辞めることになり恥ずかしい」と述べた。県警は、若い警察官の教育指導にこの事件を生かして欲しい。

 

(読者に感謝)

 

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2015年5月 7日 (木)

人生意気に感ず「長男と一泊旅行。萩から中原夫妻が来訪」

◇ゴールデンウィークの4日、長男周平と一泊旅行をした。この日は周平へのサービスと心に決め彼の計画に従った。サファリパーク、土と火の里、八塩温泉・神水館であった。 サファリパークは大変な盛況。車が門に至るまで長蛇の列。「ペットは預けて下さい。ドアはロックし、絶対に開けないでください」と場内アナウンスが響く。事故の話を思い出した。お婆さんが後ろの車の母親に孫を渡そうとして外に出てライオンに襲われたとか。百獣の王の鋭い牙を身近に見た。あれにやられたらと思うとぞっとした。歩くゾーンには鹿や山羊などに草食動物がいっぱいで、子どもたちが小さな手で触れている。なんと優しそうな目。人間にも、肉食系・草食系があると言われている。女性への積極、消極の姿勢のことだ。絶食系も増えているのではないか。自分の若い頃を振り返って苦笑した。 藤岡の奥地、八塩温泉の神水館の一泊は、いやしの一時だった。眼下に神流川が緑を映してゆっくりと流れていた。周平とビールを注ぎ合って語り合うのは初めてのこと。「お父さんも頑張ったね」、「お前もよく頑張った。白根のことを思い出すよ」。私は数日前議員バッヂを外した。「初めての選挙は僕が保育園だった」。「100キロ強歩は本当に偉かったなあ、あれを思えば何でも耐えられる」こう言うと周平が快心の笑みを浮かべた。 この夜、妻にメールを送った。「目に若葉 息子の笑顔 湯の煙。神流川 緑を映しわが胸の 塵を洗いて流れ行くかな」。知的ハンデを持つ周平のことを私は、「遥かなる白根」で100キロ強歩を通して書いた。極限に挑む姿。周平は3回完歩して「開善賞」を得た。人生の勲章である。人は重荷を負って人生を生きる。周平との旅は、私にとって、次の人生に備える充電の役割を果たした。

◇前日の4日、萩市から珍客を迎えた。萩市の顕彰会会長・中原正男さんと奥様である。お二人はドラマ館をご覧になった。その後、赤城山、臨江閣、前橋公園の楫取の公徳碑と顕彰説明板を案内。県庁の「くろまつ」で仲間と共に夕食を。中原さんとは不思議な縁を感じる。ある時突然見知らぬ中原さんから連絡があってその後両地の顕彰会が展開した。中原さんの町内で私は楫取の講演をした。「これも楫取と松陰が引き合わせてくれたのですね」そう言って、二人は来し方を振り返った。(読者に感謝)

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2015年5月 6日 (水)

楫取素彦物語 第1回

一、楫取素彦の誕生

 港を出て行く船が見える丘にたち、楫取素彦と美和子は沈みゆく夕日を眺めていた。すれちがう船の航跡が薄く染まって、海の半ばまで道ができたように見える。右に目を転じると、指月山が影絵のように見えた。 「ここからあの指月山を眺めると、今まで生きてきた月日が浮かび上がってきて夢のようだな。すべてのことが、まるでつい昨日のことのように思える」  七十歳半ばを過ぎた素彦は、ベンチに腰をおろし、美和子に向き直って言った。指月山の上の雲が薄紫に染まっている。春の暮れゆく淡い光が空一面を覆い、海までおりてきた。 「本当でございますね。なにもかもがここから始まったのですわ。不思議に思えます。群馬も遠くなりました」  美和子は遠くを見る目になった。 「松陰殿や晋作、玄瑞らと、新しい国づくりのことをみんなで熱く議論してきたときのことが懐かしい。彼らに、こんなに変わった今の日本をみせてやりたいものだ」 「あなた様は立派なお仕事をなさいました。あの世で皆様にご報告できますね」 「あはは、私のほうが早く逝くことになろうから、玄瑞には、お前に世話になったことを話さねばなるまい」 「私だって、そんなに長くはお待たせしませんわ。それに、私は寿姉さんに話すことが沢山ありますもの」 「そうだな。だが、お前はまず玄瑞に、来し方を話すのが先だろう」  空が薄墨色に染まるのを見届けて、ふたりはゆっくりと丘を下った。 文政十二年、一八二九年という年は明治が始まる三十九年ほど前のことで、江戸の幕藩体制の矛盾と行き詰まりがいよいよ顕著になって来た頃である。文政期はこの年で終わり翌年から動乱の天保期に入る。

※土日祝日は中村紀雄著「小説・楫取素彦物語」を連載します。

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2015年5月 5日 (火)

随筆「甦る楫取素彦」第200回

「モルフィ前橋で演説」

 廃娼運動は全国に広がり廃娼推進団体が誕生した。上毛婦人矯風会もその一例だった。この矯風会の大演説会場が明治39年11月9日、前橋市の赤城館で開かれた。会場は入り切れない程万人で入場を謝絶せざるを得なかった。弁士はモルフィと島田三郎。

 婦人新報の第105号は、モルフィの演説の大要を伝える。「公娼のない群馬に来て矯風演説するのは極楽にいって説法をするようなものだが、公娼制度を置こうとする動きがあると聞いては一言せざるを得ない」としてモルフィは次のようなことを訴えた。「日本の娼妓は借金を払わない間は業をやめることが出来ない。これは人身売買である。娼妓となる者は自分のためでなく父母兄弟のために犠牲となる。キリストの考えからして、この不幸な女を救わねばならない。ところで女を救うために借金を払ってやれば業者はその金でまた女を買い入れる。これでは解決にならない。そこで私は、日本民法九十条に気づいた。そこでは『公の秩序善良の風俗に反する法律行為は無効とす』とある。公娼制度はこれに当たる。なぜなら、公娼は人権を蹂りんするものである、女子を束縛して男子の色欲を満足させる法律ではないからである。このようにして、私は、民法のこの定めを楯として一人の娼婦を醜業から救い出したいのです」

 モルフィが群馬の公娼制度の動きと言っているのは、この年新たな変化として、高崎連隊のために公娼を置こうとする話が出たことを指す。結局この計画は実現しなかったのだが。

 モルフィは15年間日本に滞在し伝導事業にあたったが、その中心は、実に自由廃業運動であった。民法90条に目を付け、これを武器として裁判という手段に訴えたことが画期的であった。娼妓の解散を宣言した明治5年の太政官布告の趣旨は民法90条に受け継がれたが、民法90条を使って太政官布告の狙いを実現させた人がモルフィであった。楫取素彦、当時の群馬県議会、そして社会正義実現に燃えた上毛の青年たちが力を合せて播いた種はモルフィによって、裁判を通して一国を支配する一つの体制を作っていくことになった。その流れは、苦難の道を辿って戦後の売春防止法となって結実した(昭和31年公布、32年施行)。モルフィは、昭和35年(1960)、日米修好百年を記念して日本政府から勲章を送られた。百年前とは、万延元年、ポーハタン号で日本代表が太平洋を渡り、ワシントンで、日米修好通商条約を批准した年である。  終

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2015年5月 4日 (月)

随筆「甦る楫取素彦」第199回

果たせるかな、楼主は届出書への連署押印を拒絶した。そこで、代理人・弁護士は直ちに届出書をそのまま浅草警察署に呈出した。警察は方式が欠けるとして受理を拒否。

浅草警察署と代理人との間で、届書の呈出と突返しがあった。争いは、警視庁令の解釈の違いによった。警視庁令は、32条で届書には加印をなすべしとし、37条は、廃業したときは3日以内に警察に届け出るべしとあった。綾衣側は37条を重視して、廃業したのだから届出さえすればよいと解釈し、浅草署は32条を重視して加印がなければ駄目と主張した。

二六社は遂に実行に移った。つまり、綾衣は既に廃業した①、届出の手続きも済ました、後は綾衣の意思で郭から外に出ることである。

暴力の妨げがあれば裁判に訴える決意で臨む。ところが意外にも何の抵抗もなく綾衣は外に出ることが出来た。自由廃業が現実に成功した事実であった。

既に記したが、大審院は、娼妓契約は太政官布告第295号によって無効と判示していた。つまり廃業は娼妓の意思で自由に出来るとした。だから綾衣が自由廃業を表明した段階で廃業は完成した。あとは、届出に関する現実の壁があったわけである。

  二六社は綾衣(あやぎぬ)こと中村八重の救済成功に快哉を上げた。この一娼妓を救うことが日本全国幾十万の同じ境遇の婦女子を救うゆえんと報じた。その通りだと思う。報道機関がこのような社会的事業を敢えて行ったことに驚きを覚える。

  もっとも、この例のように娼妓救済の実行行使がいつも成功するとは限らなかった。当時の時事新報は、綾衣騒動の同じ日に、洲崎の郭から娼妓を救済しようとし暴漢に襲われ失敗した山室軍平等救世軍の例を報じている。

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2015年5月 3日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第198回

 

この投書を受け二六新報社は沸き立った。調査のため社員を郭の客として送り込んだというからその意気込みがわかる。つまり、一人の社員は変名で、客として娼妓九重を買って綾衣の心情を探った。この九重は綾衣の同郷人であった。このようにし綾衣の心情(決意)が本物であることを知った二六社は実行に移った。郭、浅草警察、二六社、この三者の攻防は実に面白い。その底には、太政官布告、それを踏まえた娼妓勝訴の判決、この判決によって方針をかえた内務省の見解等があった。

 

判決や法令・規則が動いてもそれを無視する現実の壁は厚い。それを突き崩すには理論を武器とした戦いが必要であった。現実とは、公のものとして何百年も続いた陋習(ろうしゅう)である。戦いとは、「権利のための闘争」であった。

 

綾衣(あやぎぬ)救出の実行は次のように行われた。弁護士は綾衣に面会し改めてその決心が固いことを確かめ、廃業届けに関する委任状を受け取り、楼主に廃業届けの署名押印を求めた。すでに判例によって廃業の自由は認められていた。そして、判例は、楼主の署名押印の拒絶は許されないことまで判決していた。しかし、「許されない」としても、現実に署名押印しない壁をどう破るのか。取締規則では警察は署名押印がなければ受理しないとなっており、現実にはこれが重みをもっていた。内務省は見解を変化させていたがまだ活かされていない状況下にあったのだ。

 

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

 

 5月6日からは「小説 楫取素彦」を新連載します。

 

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2015年5月 2日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第197回

 このような文書を手に入れた女郎が、ひそかに楼主の目を盗んでじっと読む姿が想像できる。文字が読めない女も多かったであろうが、中にはかなりの教育を受けながら苦界に身を沈めて女郎になった者もいることだろう。客に助けてもらって読む女、他の仲間に教えられる女郎もいたに違いない。執拗な救世軍の活動は効果を現わしていった。そして、新聞社も、この社会運動に参加するところが出て来た。  次に、紹介するのは、女郎綾衣(あやぎぬ)がニ六新報社に寄せた投書である。本名は中村八重といった。明治33年9月1日の日付である。 「あまりあまりぶしつけにはそうらえども、現在のきょうがいにたえかね、つたなき筆もて取急ぎ御願い申し上げ参らせそうろう。御社新聞の御うわさかねがね承り及びこの度は又われわれ不幸なる女のために御力を御そえ下さるそうろう由、涙にむせび厚く御礼申上そうろう。さいばんにかかり、中途にて楼主はもちろん、何人によりいか様に申されそうろうても決心をかえる事は神かけて御座なく又命を捨てるとも御社の御顔にかかわる様な事は致さずそうろうまま、何とぞ何とぞ、此の心御察し下され御社の御力をもって自由はいぎょう相かないそうろう様両手を合わせ御願い申し上げ参らせそうろう。もっともかく心を定めおしつけがましく願出そうろうまでには母の事やらいろいろ悲しき事これ有そうらえども御目通りの折申し上げたくとりあえずお願いまで。                       あらあらかしこ  九月1日            中村八重 ニ六新報社皆々様御許 ※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。  5月6日からは「小説 楫取素彦」を新連載します。

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2015年5月 1日 (金)

人生意気に感ず「120時間の奇跡。サリンで無期。性的少数者。群大の不名誉」

◇ネパール大地震に関し、様々な情報が伝わる。広大な山岳地帯は閉ざされた世界だ。ネパールの留学生は、わずかな情報からそれら奥地はほとんどが壊滅しているらしいと語る。  首都カトマンズで120時間ぶりにがれきの下から救出された15歳の少年のことが伝えられた。72時間が一つの限界といわれる中、現場では「奇跡だ」の声。倒壊ビルのわずかの空間、2本のバターオイルでしのいだ。その精神力、生命に驚く。日本語学校のネパールの少年は私に語った。「ネパールの人はよく耐えます。まだ生きている人は多いはずです」。多くの地震の現場で、時間の経過と共に諦められ捜索が打ち切られてきた。虫の息であえぐ人々を想像すると耐えがたい。極限における人間の生命を最大限尊重する工夫をもっと考えねばならない。

◇オウムの高橋被告に無期懲役の判決が下った。サリンであることの認識があったか否かが一つの争点。2人の死刑囚が証言に立つという異例さ。しかも、2人の証言はくい違っていた。これを裁判員が裁いたことも注目される点だった。  地下鉄サリン事件は現代の社会の病理とつながる。多くの若者はこの事件から学ばねばならない。精神が不毛の時代。宗教とは何か。  この事件はテロという点でますます今日的である。検察は厳罰を求める理由として次のように主張していた。「無差別テロは過去のものではなく現在でも世界で発生している。テロを繰り返さないためにも厳しい刑罰で臨むほかない」

◇子どもの世界で「いじめ」はなくならない。しかしなくす努力を最大限しなくてはならない。これが現実である。子どもたちは変わったことをつつく。アンデルセンの「醜いアヒルの子」を思い出す。  性的少数者の子どもが学校でいじめられる事実があった。文科省は全国の小中高に対し配慮を求める通知を出した。同性愛、両性愛も含め。心ない言葉を慎むこと、服装や髪形をからかったりしないことなど。根本は人間の理解。人間の多様性の尊重。人間の尊厳を守ること。

◇群大病院が「特定機能病院」を取り消された。腹空鏡の肝臓手術で多くの患者が死んだ。執刀医個人の問題と共に、組織として構造的問題点があったと指摘される。「重粒子線」という金字塔がかすむ。医工連携も下降線か。(読者に感謝)

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