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2015年4月30日 (木)

人生意気に感ず「安倍首相の演説。日中青少年交流書道展。80時間後の救出」

 

◇安倍首相が米議会上下両院合同会議で演説した。合同会議での演説は日本の首相として初。英語で40分以上。日本人として誇りに思った。安倍首相は、努力し頑張っていることは持論だが、運のいい首相だと思う。アメリカの力が落ち始め、中国が太平洋に進出しようとしている時、日本への期待は増大した。日米同盟は、このような状況で、正に「希望の同盟」である。首相は「太平洋からインド洋にかけての広い海を自由で法の支配する平和の海にしなければならない」と訴えた。「太平洋」には本来そういう意味がある。この海で両国は70年前死闘を繰り広げた。昨日の敵は今日の友。首相は「熾烈に戦い合った敵は心の紐帯が結ぶ友になった」と表現。紐帯(ちゅうたい)とはひもとおびである。

 

 そして、先の大戦について「痛切に反省し、アジア諸国民に苦しみを与えて事実から目をそむけてはならない」と決意を述べた。

 

 従軍慰安婦問題に関しては、「紛争下、常に傷ついたのは女性だった。私たちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなければならない」と訴えた。このフレーズを聞いて、私は群馬の廃娼運動を思った。

 

 廃娼運動は女性解放運動であり、女性の人権尊重の原点である。楫取素彦は議会と連携して全国に先がけた金字塔のきっかけを作った。NHKの「大河」は、「茶の間だから」と言って、この問題を取り上げない。そんなことはないのだ。

 

◇昨日、県書道協会で他の先生と共にお祝いをしてもらった。私の場合は、中国から「孔子文化賞」を得たことである。下村博文元文科相等と共に、中国との文化交流に尽くしたことが評価された。

 

◇私は挨拶で「日本・中国青少年書道展」に触れた。書の源流は中国にある。次代を担う青少年の合同展の意義は大きい。群馬県日中友好協会主催の書道展は今年10月県庁県民ホールで行われる。私は群馬県日中友好協会の会長で、この書道展の実行委員長。書道協会の協力の下、現在準備が進んでいる。

 

 私は挨拶で「国と国は争ったり、時に誤りを犯しますが、そんな時も文化の交流は大事です」と話したら「そうだ」という声が上がった。

 

◇ネパールの犠牲者は際限なく広がる。80時間ぶり救出された人の話が伝わる。ガレキの下で死と直面している多くの人がいるに違いない。(読者に感謝)

 

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2015年4月29日 (水)

随筆「甦る楫取素彦」第196回

 ここで、「女郎衆に与ふる書」を紹介する。要点である。一部表現をかえてある。 「気の毒なる御身の上を思うにつけどうしても黙っていられませぬから一筆かいてあなた方に差し上げるわけであります」と始め、候文の時代に女郎にもよめるようにと易しい文章でつづる。 「たとい九尺ニ間の裏棚で、たどん玉をまるめ、マッチの箱をはり、又は田舎で日にやけて真黒になりながら田の草をとり、肥おけを担いで働くとも、正直律義な家業で亭主こども一緒に暮らせば誰に遠慮もなく貧乏な中にもたのしみがあるけれども、あなた方のように、かごの中の鳥同然、狭い部屋に閉じ込められ、いくらかきれいな着物を身につけているにせよ、夜昼気にそまない人の機嫌を取り、親不孝者、不忠義者、酒のみ、うそつき、泥棒など世間で一番賤しい人間に、かわるがわるからだを玩具にされ、悪い病気をうけ、お医者にいやな検査をされ、からだは衰え、こころは苦しく、借金は日増しにふえ、いつ自由になれるかあてどもない。およそ女郎ほど、苦しくて、悲しくて、恥かしく又罪の深い仕事が人間の世界にありましょうか。あなた方は、是非とも速やかに道ならぬ世渡りを止めようと決心せねばなりませぬ。そんならどうして止めることが出来るかと申すに、有難いことには、明治の御世のごきそくでは、かりにあなた方にどれ程の借銭があるにせよ、生きた人間を質にとって、無理につらいつとめをさせることは出来ないということが、ちゃんと明白に定まっておりますゆえ、あなた方がただぜひともこのいやらしい仕事を止める覚悟を定め、廃業届けというものをその筋に差し出しさえすれば、借銭の有無にかかわらず、あなた方は直ぐに女郎を止めることが出来るようになっています。このことについては名古屋あたりから裁判さたもありましたがいつでも女郎衆の申分が通っています。さて、あなた方が、浮気家業を止めた場合、これ迄のようにだらしなくしていてはたちまち食うに困ってしまうから非常に奮発をして、地味で律義な家業を覚え、実を堅めることを心がけねばなりません。それには、東京芝区に救世軍の本営という所があって、そこへ頼めば色々あなた方の相談になってくれ、また随分後々の世話をしてくれることになっております。この救世軍は世界中どこの国でも、あなた方のような不幸な婦人を救うために、非常に骨を折っている仲間ですから、安心してお頼みなさるが好い事であります。」

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。  5月6日からは「小説 楫取素彦」を新連載します。

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2015年4月28日 (火)

人生意気に感ず「おもいやりファンド・ネパール大地震425」

◇ネパールの地震被害は予想以上に広がっている。死者は2800人を超えるらしい。今度の大地震は世界の最高峰エベレストの麓で起きたということで格別な意味を持って迫る。

雪崩に襲われた数百人を超えるベースキャンプは地獄であろう。2人の日本人が巻き込まれ1人は死亡。情報が得られない地域があるから被害は更に増えるだろう。切り立つ峡谷の中の人々はどうなっているのだろう。ネパールの学生たちの不安な顔、顔。

このような時、気になるのは日本。首都直下、南海トラフ型の恐怖が確実に迫っている。

◇昨日、ロイヤルの地下食堂でネパールの学生代表3人と会った。そのうちの1人、サガル君はグルカ族の若者。あの勇敢で有名なグルカ兵の部族。がっしりしたいかにも精悍な顔付き。そのサガル君が壊滅の故郷を心配していた。スガル君の家も倒壊。

 この席で、「おもいやりファンド・ネパール大地震425」を立ち上げた。支援金が100%確実に被災者に渡る仕組みを考案した。

インターネット画像で被災者を紹介し、そのうちの「この人に」と選んで義損金を送ってもらう。従来、寄附が確実に届くのか不安と不信があった。私は国際学生援護会会長として参加。私たちはおもてなしの心でアジアの学生と接してきた。つい先日、240人余りの新入生の入学式があった。ネパールの学生は全部で99人。おもてなしは、心と心の付き合いがベース。困った時こそ心から助けねばならない。地震の恐怖を日本人は痛い程よく分かる。そこでこの企画を立ち上げた。

 2時から記者会見に向かった。県庁の記者室の外には約50人のネパールの若者が会見が終わるのを待っていた。中の記者たちは知らない。「外の生徒たちを励まして下さい」と言うと、「全部入って」となって全員が記者たちの前に立った。このような光景は、この記者クラブにとって前代未聞ではないか。若者たちの表情は生きていた。日本人の善意と誠意を受け止めているものと思えた。こうしている間にも犠牲者は増えている。広大な地に点在する村々の事情は不明。犠牲者が5千人に達するとの声も。

◇タイホされたドローン男(40歳)が動機の1つに「何もしないで死んでいく恐さ」ということを言っている。現代の若者が共通に抱く不安の心理。重大犯罪の底流にある見逃せない要素だと思う。いわゆるIS・「イスラム国」に向かう世界の若者の心理にもこのような不安があるのかも知れない。(読者に感謝)

 

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

 5月6日からは「小説 楫取素彦」を新連載します。

 

 

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2015年4月27日 (月)

人生意気に感ず「ネパール地震に思いやりファンド」を。フジモリは悲しい」

◇ネパールの大地震は凄まじい。そして身近な存在なのだ。私が役員をしている日本語学校にはネパールの若者が百人以上いる。カトマンズには分校もあり、そこの女性徒が怪我をしたという情報がある。県内には千人以上のネパール人がいる。今日、ロイヤルに集まって支援委員会を立ち上げる。

 ネパールといえばエベレスト。大地震は世界の最高峰を揺るがし大きな雪崩を起こした。登山の季節である。雪崩はキャンプを襲い多くの犠牲者が出ている。多くの人が命を賭けてエベレストに惹かれるのは天空にそびえる荘厳な姿ゆえである。理屈を抜きにして人間はそこに神の姿を重ねるに違いない。永遠の理想と崇高なるものの象徴である。

 ネパールの大地震は、神の山エベレストが地上の醜い人間の所業にたいして「いい加減にせい」と一喝した姿にも思えてしまう。

 ネパールは北海道の2倍程の農業国であり、発展途上国である。親日的な国で最近の国王夫妻の来日は私たちに好印象を与えた。県内で学ぶネパールの若者は純粋で日本を尊敬している。彼らの期待を裏切ってはならない。欧米志向の日本は途上国を見下すところがあった。日本語学校が「おもいやり」の心でアジアの留学生に接しようとしているのはこの反省に基づくともいえる。この大地震に当たり、私たちの誠意を示したい。「思いやりファンド」を造り、救援の実を上げたいと考えている。

◇国際ニュースでもう一つ気になるニュースは、76歳の元フジモリ大統領。禁錮25年で服役中。舌の腫瘍で数度の手術。高血圧が悪化してリマ市の病院に入院したという。フジモリが大統領選に出た時、アンデスは燃えた。スペインに支配された悲劇の歴史。虐げられた人々はフジモリにサムライを重ね、日本の経済力を期待した。当選して熊本県に来たとき「私の血は100%日本人」と叫んだ。毎日が血で血を洗うようなテロを撲滅し、ハイパーインフレを克服した。私たちがペルーを訪問した後に日本大使公邸占拠事件が起きフジモリは断固とした態度を示した。あれが絶頂期。

 強権の発動は墓穴を掘ることになった。独裁の国は選挙で負ければ政敵に仕返しされる。韓国もそうだ。それにしても最近のフジモリの姿は悲しい。76歳の病身には再起を賭ける情熱は残されていないだろう。マチュピチュに立ちペルーの暴虐を思い涙したことが思い出される。(読者に感謝)

 

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

 5月6日からは「小説 楫取素彦」を新連載します。

 

 

 

 

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2015年4月26日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第195回

楼主の側はそれが重大な営業妨害と分かると配下のヤクザ者、用心棒を使って排撃にかかった。救世軍は旗を折られ太鼓を破られ、彼ら自身ボコボコにされ血を流した。しかし、このような行動が繰り返される中で、それが遊びや軽い気持から出たものでないことが伝わり、新聞が真剣に取り上げるようになり、世論を動かしていくようになる。今日の、テレビの時代にこのようなことが起れば、テレビは絶好の話題として取り上げるに違いない。

 新聞では毎日新聞が熱心であった。明治13年から15年の頃、群馬県議会の廃娼問題を特集を組んで取り上げたのも毎日新聞であった。明治33年(1900)8月7日の毎日新聞は、「廃娼と救世軍」と題した記事を載せた。要点を取り上げる。

「救世軍なる一団体が実践を主としてキリスト教を下層社会に宣布せんとして一日も怠ることがないのはひそかに感服するところなり。この団体が今回、醜業婦救済所を起し、多くの賎業にたえられない者を救済する企てを始めた。築地に家屋を借り避難所に当て、機関誌・『ときの声』主筆の山室軍平氏夫婦が専ら担当した。去る三日、

 救世軍は、運動の手始めとして吉原遊郭で廃娼演説をしたがたちまち妓夫等の妨害にあって乱打された。しかるに、この同じ日、矢吹大尉は新宿遊郭に入り込み、今回の事業を説明した女郎衆に与ふる書を配布した」と。そして、記者は次のような感想を述べる。「この勇壮猛烈なる運動は今後継続され、救世軍は負傷者を出す毎にその勢をふるうに違いない。私は近来の一大快事であると感じざるを得ない」と。

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2015年4月25日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第194回

◇救世軍運動

 救世軍運動は、ウィリアム・ブース夫妻によりロンドンの貧民窟を中心にして始まったキリスト教伝道会の活動である。ブースは、個人の魂の救済によって世界を救おうという悲願で軍隊の組織にならった救世軍を組織し自ら大将となった。

 日本には明治28年(1895)にライト大佐等が上陸し、東京の日本側を代表する人は山室軍平であった。山室はプラート大佐と共に明治33年(1900年)モルフィを訪ね、「自由廃業」の方法につき詳しく教えを請うた。そして、廃娼後の娼妓の更生のために婦人ホームをつくることを約している。

 個人の魂を救うことを目的とする救世軍が早くも廃娼運動に取り組んだことは注目すべきことである。娼妓営業は人間を駄目にする行為だった。つまり、それは魂の破壊であった。この点の認識が日本人に薄かったのは国が認め長く続いたということで国民の目が鈍っていたからだ。公に認められた醜業によって国民の道徳感・倫理感は麻痺していた。その点、キリスト教徒や外国人は新鮮な人権感覚をもっていた。救世軍は、積年の腐敗の上に妖しく咲き誇る遊廓に旗を立て太鼓をたたいて進撃を開始し女郎に読ませる文を配った。

 当の救世軍の人々にすれば信念と使命感に基づく行動であったが、街の人々には突如異次元から現れた珍妙な光景に見えた。

 

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2015年4月24日 (金)

人生意気に感ず「アメリカの矛盾。イスラム国の衝撃」

◇テキサスを振り返る。帰国の日の前日、ホテルのロビーであるイスラム系の人と話す機会を得た。ヒゲ面で中年の男は、入国審査で酷い目に会ったと苦笑しながら語った。シンガポールのイスラム教徒で、「別室に連行され、裸にさせられた」と、身振りで衣服を脱ぐ様を示した。目的地、いつ、どこで誰と会うかなど厳しく問われたという。この人も大変だったのだと、私は、先日のヒューストン国際空港の光景を思い出していた。長い列の先の白い衣を被った女性が2人の女性係員に両側から腕をつかまれ一角に連れていかれ、一つのドアの中に消えた。平和な日常生活の中の異常な出来事。巨大な国を国際テロが揺すぶっている現実を感じた。

◇アメリカは自由と人権の国である。いく日かアメリカの社会で暮らして、この国は理想と矛盾がたぎっている国だと思った。テレビをつけると連日凶悪犯罪を報じている。ホテルでも、スーパーでも肌の黒い人々が、物を運んだり、掃除に励んだりと黙々と動いている。目の前の現実は階級社会であることを示す。一握りのアングロサクソン系が社会を支配し、黒い人々が底辺を支えている。建国からおよそ232年、この国の民主主義は進化しているのかと思った。

◇神の前の人間の平等を掲げてこの国はイギリスと戦い独立した。その時、膨大な奴隷が存在した。奴隷も人間である。独立宣言は約束手形の発行を意味した。まだ手形が落ちていないことを感じる。民主主義とはこういうものか。

 この国は建前は政教分離だが実際はキリスト教と政治が不可分となっている。大統領はゴッドを唱え聖書に手を置いて誓約する。非キリスト教徒から見れば差別を感じるだろう。「十字軍だ」と叫ぶ根本的な理由がそこにある。

◇アメリカにいて、「イスラム国」を身近に感じた。アメリカは7世紀頃の敵と戦っている。ムハンマドの預言に従って民主主義などは認めないのだから始末が悪い。チュニジアから始まった民衆蜂起によりアラブの国々で政権崩壊が起きた。統治されない空間に「イスラム国」の建国が宣言された。全世界のイスラム教徒はどう受け止めるのか。宗教戦争の感がある。対応を誤れば世界戦争になる。帰りの機中は13時間。文芸春秋の「イスラム国の衝撃」を読んだ。機の爆破を恐れながら。(読者に感謝)

 

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2015年4月23日 (木)

人生意気に感ず「ヒューストンの町の映画会。ヒューストンの中を見た。市長は同性愛者」

 

 ◇19日、ヒューストンのある住宅街の一角で映画の鑑賞会を行った。桜井監督は、同業の文化人・渡辺さんという人と長く交際していた。その人が亡くなられて、未亡人の渡辺夫人が中心になって日本人を中心とした知人を集めたのだ。規模は小さかったが良い集いであった。渡辺さんたちは、良い映画なので、次は日系人社会に広く呼びかけたいと言った。 

 冒頭、桜井監督は最高賞受賞の喜びを語り、私は映画のポイントを中心に話した。「時は明治、時代の大転換点、日本が生まれ変わる時でした。主人公の楫取素彦は、吉田松陰と志を同じくする同志で、かつ、松陰の妹を妻としました。楫取は松陰の果たせなかった夢を群馬で実現しようとした。そのために教育と新産業に力を尽くしました」、吉田松陰という名に頷く人々の姿が目に付いた。「良い映画でした」、「感動しました」と、映画が終わった後、人々は感想を述べた。この映画の意義について意見を述べる人があり、再度、私が発言する場面となった。「日本は敗戦から立ち上がり物は豊かになりましたが逆に心は貧しくなってしまいました。今、サムライの心を学ぶべき時なのです。楫取が掲げたサムライの心とは、シンセリティ、つまり誠意でした。楫取に助けられて、群馬の青年領一郎は、松陰の形見の短刀を持ち、また、この言葉に励まされてアメリカにやってきて人々に認められ、大成功しました。今回の受賞の一因には、このことが審査員の心を動かしたのかもと密かに想像致します」

 

 審査員は10人。1人が10点を持ち、プラチナは96点以上でなければならない。歴史部門の作品で最高賞を得た。司会者の言葉に「歴史作品としてハイクオリティ」という表現があった。桜井監督は私と別れてサンフランシスコに飛び、領一郎の子孫、ティム新井氏と会い映写会を行う。

 

◇この日の鑑賞者の中に高名な建築設計家朝倉氏がおり、ヒューストンを案内してくれた。ヒューストンの住宅街を回りながらアメリカの歴史と現在を語り合えたことは非常に有益だった。コロラド川、アラモ、リオブラボーの名も出た。「メイヤー(市長)は女性ですね」と話を向けると、朝倉氏は語った。「同性愛者です。この保守的なテキサスで同性愛者が堂々と選挙で当選するのです」。この女性市長は、映画祭にメッセージを寄せていた。後日紹介を。(読者に感謝)

 

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2015年4月22日 (水)

人生意気に感ず「ヒューストン国際映画祭で最高賞を。天上の楫取と松陰は」

◇宿泊ホテルの地下一階がヒューストン映画祭の会場であった。広い会場には数百人の人々がテーブルを囲んで、その時を待った。何賞かは発表の瞬間まで分からないが入賞のことは知らされていた。広い会場はテーブルを囲む人であふれ、テーブルは隣の部屋にまで広がっている。前方の壇上には黄金の立像が左右に立ち、そこでアトラクションが始まった。私のテーブルには受賞者が並ぶ。隣はイングリッドバーグマンのような美人。何賞なのか気になる。せっかく美女と話すチャンスなのに上の空で会話も表面的だ。紹介が始まり、会場のあちこちで歓声が上がっている。隣のバーグマンが、「キャー」と声をあげて走っていく。いつまで呼ばれないので不安になった。「あとは、審査員特別賞とプラチナ賞だけです」桜井監督が呟いた。監督も緊張している。「ゼロもありますか」私が不安を抑えて開くと「ゼロはないです」監督は唇を噛んで低い声で言った。セレモニーが途切れて時が流れる。すでに2時間が過ぎようとしていた。その時、楽団の行進が始まった。笛の音に合わせて民族衣装の男女が踊った。

 踊りが止み、司会者が再び檀上に立つ。会場にどよめきが起きた。司会者は両手を上げて何か語り出した。耳を傾ける。「カトリ」の声が聞こえた。監督が私の肩を叩き前に進み出た。「バーグマン嬢」が満面の笑みで、「コングラチュレイション」と叫び手を差し出した。彼女の手を握り返して私は壇上に向けて走った。額に入った表彰状には「プラチナ賞」とあった。最高の唯一の賞を得た。遥かな太平洋を越えて来た甲斐があった。選挙の疲れが一挙に吹き飛ぶのを感じた。私は、企画・原作。受賞の監督は桜井顕。楫取の顕彰運動にはずみがつくだろう。日本のサムライの生き方がアメリカ人の心を打ったものと信じる。太平洋を渡ることを夢みて果たせなかった安政の松陰。松陰の形見の短刀をもって渡米しビジネスに成功した新井領一郎。この領一郎を助けた名県令楫取素彦。領一郎の子孫にはあのライシャワー駐日大使夫人のはるさんがいる。これらの熱いドラマが現代のアメリカ人の心を動かしたのだ。太平洋戦争は平和であるべき海を血の海に変えた。私の本に登場する人々は、楫取を中心して21世紀の平和を訴えている。「至誠」とは人間の絆を大切にする言葉、それは平和の礎に外ならないからだ。(読者に感謝)

 

5月6日からは「小説 楫取素彦」を新連載します。

 

 

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2015年4月21日 (火)

随筆「甦る楫取素彦」第193回

都合により随筆「甦る楫取素彦」を連載致します。

 

 

◇裁判の成行きは極く大まかに言って次のようであった。

 廃業の自由はある。しかし、それには手続として、楼主の署名と印をもらって届けなければならないことになっていた。楼主は拒絶して印を押さない。そこで、訴訟は、楼主に署名と印を求める形をとった。裁判所は、娼妓営業の契約は民法90条により無効である。届出書に印を押さないことは、無効な契約を助けることになるから許されない、という趣旨を判示して原告・女郎の側を勝たせたのである。

 この判決は日本の人権史上に輝かしい一頁を開いたといえる。しかし、当時の社会はこれを正しく理解する迄に進歩していなかった。それを示すものとして、当時の新聞には、前借金を踏み倒してまで廃業しようとする行為は、義理人情という我が国固有の美俗美風を破壊するものと論評するものがあった。(名古屋の当時の扶桑新聞) 

 人権の思想はヨーロッパで芽生えて人類普遍のものとなったが、我が国はそこ迄至っていなかった。モルフィや、それを受け継いだ救世軍の人々の胸には、確固とした人権の信念があった。人権の信念は人間にとって本質的なものであり、フランス革命等人類の歴史を動かした原動力であるから、モルフィ等にとって百万の見方に当たる力であったろう。だから暴漢の攻撃など物の数ではなかったのである。

 扶桑新聞の論評は、義理人情を基盤とする醇風美俗が人権に優先する社会の現実を物語る。当時、明治憲法下でまだ、儒教倫理は根強かった。儒教倫理の下では極貧の家庭を救うために娼妓になることは親孝行なのであり、前借金をふみたおすことは窮乏を救ってくれた楼主に対して義理を欠く行為でもあった。これは、当時の警察が胸を張って楼主の味方をした背景でもあったろう。

 このモルフィを受け継ぐものが「救世軍」の運動である。前橋市には堅町の通りに救世軍の教会があり、私は資料を学ぶために時々立ち寄る。救世軍運動の果した役割も大きい。

5月6日からは「小説 楫取素彦」を新連載します。

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2015年4月20日 (月)

人生意気に感ず「NASAに宇宙時代の始まりを見る」

◇NASA・国際宇宙センターを見学した。度胆を抜かれた。役割を終えたスペースシャトルやロケットが展示されているのだ。見渡す限りの広大な敷地に多くの建物が。研究所だという。その間を縫うように、見学者を乗せたオープンカーは走る。真に感動した棟が2つあった。

 先ずその一つ。特別の表示もない工場風の建物に入った途端、「ワァー」と思わず声を上げた。人類を初めて月に運んだロケット・サターンが横たわっている。その太さは見上げる程で、長さは30メートル近くあろうか。ロケット底部の火を吹く5つの口が物凄さを無言で語る。何百トンとも知れぬ巨体を突き上げる推進力を生む火がここから吹き出た。

 息を呑んでテレビに見入った瞬間を思い出した。1969年、昭和44年7月。この年長女ゆりが生まれ、名をアポロにしたらという声があった。人類は初めて月に一歩を印した。「小さな一歩だが偉大な一歩だ」と叫んだアームストロング船長。建物内には月から見た地球の姿が展示されている。地球が球体であることを人類が初めて見た瞬間だった。

 アメリカが国の存亡あるいは威信をかけて取り組んだ事業を2つ挙げるとすれば、1つは原爆製造であり、もう一つはこのアポロ計画だろう。ナチスドイツの下でⅤ2号ロケットを作った天才クオン・ブラウンがこの計画の中心となった。人類が宇宙時代に突入したことを改めて実感した。

◇もう一つの棟は、コントロールセンター。階段を上へ上へと登った所に、テレビでよく見るコントロールセンターはあった。コンピューターの画面が並び、その前に多くの研究者が座る姿。正面に巨大なスクリーンが。ここでアポロの着陸と期間を指揮したのだ。私たちが座ったのは、センターを一面のガラスで仕切った階段状の部屋である。解説者が語った。「ここには、大統領、飛行士らの家族などが座りました」巨大なロケットが火を吹き大空に飛び上がる瞬間の家族の心を想像すると胸が熱くなった。又、解説者はスマートホンを手にして言った。「今ではこの位に納まるものが、大変大きなコンピューターでした」時代の変遷を感じた。視察が終わりに近づいた時、案内人が数本の樹木を指して言った。「犠牲者を記念して飢えた木です」発射直後猛火に包まれて粉々になった光景があった。犠牲者よ。(読者に感謝)

 

59()より、中村紀雄著 小説「楫取素彦物語」を連載致します。

 

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2015年4月19日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第192回

 廃娼のために訴訟を手段として選ぶことは、明治の普通の日本人は思いつかなかった。さすが訴訟先進国の人と感心するが、それ以上に公娼を突き崩したいという強い信念のなせる技なのだ。

 モルフィは訴訟を使う位だから日本の法律を研究していた。モルフィが訴訟を起こした時、ちょうど民法が施行された直後だった。彼は、その90条の利用を思いついた。それは「公の秩序善良の風俗に反する法律行為は無効とす」となっている。太政官布告第295号は民法施行により失効したが、無に帰したのではなく、民法90条に引き継がれたのだ。太政官布告第295号は、娼妓の拘束を禁じたが、娼妓拘束の契約は公序良俗に反する行為に他ならないからである。モルフィは、娼妓営業は、民法90条に反すると考えたのである。明治32年、娼妓佐野ふでの廃業を助けて、名古屋地裁に訴えを起し廃業の目的を達した。これは破天荒の出来事で楼主側のあわてぶりは表現出来ない程であった。翌年、更にモルフィは、藤原さとの廃業事件を助けた。このときは、暴漢に襲われ血に染まって逃げ帰り奥さんは気絶せんばかりであった。そのために、「廃業の自由」は全国に知れ渡った。自由廃業の歴史は血で彩られていたのである。

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

 5月6日からは「小説 楫取素彦」を新連載します。

 

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2015年4月18日 (土)

人生意気に感ず「入国審査の厳しさ。受賞式に備える。テキサスを走る」

◇ヒューストン国際空港の入国審査は厳格を極めた。長蛇の列で長時間待たされた。皆、事情が分かっているので文句もない。中東の国籍の人には特に厳しいのだろう。それらしい人が別室に連れていかれる姿を見た。私の場合は、意外に簡単に済んだ。日本人への信頼か。桜井監督の話では、国籍の如何の外、第三国を経由して入国する者が厳しく審査されるとのこと。

 IS(イスラム国)にとっての最大の敵は米国。人質を焼き殺し、首を斬る残酷さ、連日のように自爆テロを繰り返すテロ集団。入国審査の関門は彼らの潜入をくい止める砦なのだ。全米の空港でこのようなことが繰りひろげられていることを想像すると、この国は、私たちには分からぬが戦事下にあると思った。

 空港からスーパーシャトルに乗る。数人で移動する乗り合いタクシーである。大平原で馬を走らせる光景は高速道の壮大な車の流れに変わっていた。片側数車線を走る車の流れは大河の奔流のようだ。石油の消費量は全米一。日本の2倍の面積。全米に冠たる農業州だが、NASAに象徴される最先端技術の産業も凄いのだ。テキサス一州だけでもこれだけの力。こんな国とよくも戦争をやったものと改めて思う。30分程でダブルツリーホテルに着く。

 桜井監督は映画関係の人たちと連絡を取り18日の受賞式に臨む準備を進めている。会場入るパス(通行証)が届けられた。VIP・PLATINUM・PASSとある。プラチナはゴールドより上で最高位を示すもの。首から下げる12cm×20cmのビニールケースには大きく、NORIO NAKAMURA。〝THE STORY OF MOTOHIKOKATORI ″とある。

 主な出品作品を紹介する分厚い広報誌の一頁全部を使って「楫取素彦物語」が紹介されているのに驚いた。良い賞になるのであろうか。

◇テキサスの朝を走った。現地時間7時、ダブルツリーホテルの前の高速道路は凄い音。車の走る音は、あたかも濁流が流れるようだ。暑いのでジャンパーをぬいで腰にくくりつける。世界の都市を走ったが高速道のわきを、このような音を聞きながら走るのは初めての経験。見上げる高層ビルが天にそびえている。あそこへ上がればテキサスの広さが実感出来るのかと思った。少し足が重いのは食べ過ぎたせいか。テキサスの人は皆ビヤ樽のように太い。(読者に感謝)

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2015年4月17日 (金)

人生意気に感ず「機上より」

4月15日午前10時50分、前橋駅から高速バス・アザレア号に乗る。桜井監督は既に待っていた。手を振って見送るのは、ゆりと香織さん。振り返って2人が見えなくなった時、人生の転機が現実になったことをずしりと感じた。

 目的地はテキサスのヒューストン。映画「楫取素彦物語」の受賞式に出る。県議選の直後に、人生の次なる舞台を求めてテキサスに向かうとは何とタイミングがよいことか。

 テキサスは、私の心では西部劇の世界である。私の胸には、人生の荒野に向かうガンマンの思いがある。OK牧場の決闘、アラモ、赤い河、リオブラボー、ジャイアンツなどテキサスを舞台にした映画の場面が目に浮かぶ。テキサスには大油田地帯が広がる。油田といえば映画ジャイアンツ。ロックハドスン、エリザベステーラー、ジェームスディーンが競演した。ひたすら油井を掘るディーン。ある時、真っ黒な原油が勢いよく噴き上げた。両手を広げてそれを受けるディーン。喜びの顔が真っ黒に。あの光景が目蓋に焼き付いている。

 ユナイテッド航空、成田発ヒューストン直行便は15日、午後動き出した。25分遅れ、フライト時間はどの位か。「ハウ ロング フライト タイム」と尋ねると、「イレブン トゥエンティ ワン ミニット」とアメリカ人のスチュワーデスは答えた。ニコリともしない。私が初めて使った英語。<うーん、11時間とは長い>、この文を綴りながら思った。

 太平洋を超えるのは数度に及ぶであろうか。プライベートでは初めてのこと。長いフライト時間に備えて何冊かの本を持ち込んだ。その一つが鈴木貫太郎。今、手元にあるのは、1997年(平成9年)6月に出された第一刷で若宮4丁目の小野沢章一さんから贈られたもの。小野沢さんは生真面目、几帳面なクリスチャンで熱心な私の支援者だった。過去形なのは、病に倒れ、人を認識できないような状態におられるからだ。本の中には、この人の性格をあらわす赤い字の細かな書き込みがある。

 

―1000m、凄く機体が揺れる―

 

 年譜では鈴木は昭和23年(1948)にこの世を去っているから、死後およそ50年を経て出版されたのか。読む前に鈴木について私の胸に立ち上がることは、明治10年に前橋の桃井小学校に転入したこと、その後、前橋高校の前身の前橋中学で学び海軍兵学校に進んだこと、そして、日露戦争での活躍、太平洋戦争の終戦処理などだ。

 

―機内サービスが食事を運んできた。黒い肌の女性。日本の女性のような笑顔はない。これなら将来ロボットが替わってもよいと思うー

 

アメリカへ向かう機上の故か。南米へ行った時に出た鈴木の話を思い出す。平成17年、アルゼンチンで日本人大使との対面で鈴木貫太郎の話が出た。日本がアルゼンチンから最新鋭の軍艦2隻を譲り受け、鈴木がそれをイタリアから日本に運び、この2隻が日本海戦で大活躍した話である。

しばらく寝た。目を覚ますと、午後10時20分。5時間20分のフライト。目の前のフライトマップに航跡が描かれている。北太平洋、アラスカの南、外気はマイナス63度。まだ6時間もある。太平洋は広い。

「鈴木貫太郎」に目を移す。「明治十年に前橋に移住して桃井小学校に入学した。父は千葉県と群馬県の両方から招かれたが群馬県の方が教育が進歩しており評判が高かったので子どもの教育のためを思い前橋に転居した」と鈴木は語る。明治10年入学という事実は重要である。明治9年、現在の形の群馬県が成立し、楫取素彦は県令として赴任した。前身県の熊谷県の時代を考えれば明治7年から楫取は上州の行政を指導していた。楫取は教育と新産業で任地を興そうと決意していた。吉田松陰の義弟で松下村塾にも深く関わった楫取が県令として教育に力を入れたことは天下に響いていた。鈴木が述べる「群馬県の方が教育が進歩し評判が高かった」という表現は、このことを物語る。

 

―フライトマップを見る。機はアラスカ湾の南を進み北米大陸に近づきつつあるー

 

 鈴木は小学校時代を振り返る。県庁へ向かう父、小学校へ登校する鈴木。二人は連れ立って歩いた。父が語った。「人間は怒るものではないよ。怒るのは根性が足りないからだ。短期は損気。怒ってすることは成功しない」と。鈴木は父のこの言葉が今日に至るまで強く胸に食い込んで離れない。この一語が私の将来の修養の上でどんなに役立ったか知れないと語る。その頃、鈴木はいじめられていた。他藩の者なので万事についてよそ者扱いされ、軽蔑してからかわれた。途中待ち伏せしておどされ喧嘩をふっかけられたりもした。その時、父の戒めを守って耐え、今に見ろと頑張った。そして、2・3年後になると皆仲良しになって、一緒に勉強するようになり本を読み合い、遊びにも行き来するようになったという。そして、「今になっても私の友だちは前橋の人たちが一番懐かしく、またよく覚えている」と振り返っている。

 

―私の時計で今11時半。簡単な夜食が配られる。フライトマップの航跡は少しずつアメリカの西海岸に近づき、航跡の先はバンクーバーとロサンジェルスの間を走ってヒューストンに伸びている―(読者に感謝)

 

 子を諭す父、いじめに耐える鈴木少年の姿は、時代を超えて、今日の私たちに、特に今日の教育界に大切なことを訴えている。鈴木が卒業した桃井小学校には、「正直に腹を立てずにたゆまず励め」と鈴木の書を刻んだ石碑が立っている。昔の生徒はこれに節をつけて歌った。その後、中断したが最近は復活されていると聞く。「短気は損気」を読んで胸に刺さることがある。12日の夜、私はM氏を激怒した。「殴れ」、「お前など殴る価値がない」、振り向かない決意で飛び立ったが機上で、あの光景が甦る。私の腹は鈴木少年に比べて小さい。

日本時間で午前0時になった。窓のすき間から朝日が見える。外気はマイナス79度。近くの席で、2、3歳位のお人形のような女の子がしきりに英語を話している。きれいな発音。当たり前のことなのだが、時々感心して聞き耳を立てる。この旅の友として「鈴木貫太郎自伝」を選んだことは正解だった。歴史的背景と共に、骨太な大きな生き方が私を勇気づける。

 父は医者にしたかったが、鈴木は海軍兵学校を強く望んだ。父の許しが出ない。受かる筈がないと回りから言われた。遂に許しが出て受験、一回でパス。関東からは唯一人だった。当時、陸運は長州、海軍は薩州という感があった。海軍兵学校を支えたのはイギリス人だった。イギリスは立派な海軍軍人を派遣し、彼らは見下すようなことなく、実に誠実に接したと鈴木は振り返える。見識ある英国紳士、優秀な日本の若者を評価し敬意を払ったに違いない。幕末のイギリス人外交官・アーネストサトウは、高杉晋作等と激しく渡り合った人物であるが、「日本人が好きになった」と語った。鈴木を読んで今、そのことを思い出す。鈴木の海軍兵学校の先に、日英同盟があり、「日進」、「春日」を回航する鈴木を助けたイギリス海軍の姿がある。太平洋戦争の敗因の一つは、イギリスとたもとを分かち、ドイツと組んだ事にある。

 海軍兵学校と言えば、前田洋文先生を思い出す。今回の県議選で、大胡町養林寺の演説会に、前田先生は奥様と出席された。90歳に近いと思われるが毅然とした姿勢、まなざしは昔と変わっておられない。私との出会いは、前高の定時制の教室であった。先生は江田島の兵学校を出て終戦を迎え、重労働の仕事をしながら東大の英文科に入られた。前高の英語の教師となり、夜間部にも教えに来られていたのである。血気の少年だった私はこの人の語ることに大いに動かされた。定時制からの東大受験については、大いに影響を受けている。あの時、山崎貞一の「英文解釈の研究」の長い文章を質問したら、黒板に書き写して即座に見事に解説された。あの時の事を良く覚えている。また、英語のリーダーの中に、ペイトリアーカルという難解な語があった。先生は語源に逆らって詳しく説明された。私は、先生の英語力の深さの背景には海軍兵学校があるに違いないとその時思ったのである。

―アメリカ上空に入った―

鈴木貫太郎から、前田洋文先生へと筆を進める中で、私の心に又、エネルギーが満ちてきた。テキサスに近づいている。西部劇の世界はどのように変化し、私はそこで何を見るか。フライトマップは、機がネバダ州の上空に近いことを示す。ネバダ、ユタ、コロラド、ニューメキシコを経てテキサスである。

 現地時間、午前2時1分。外は見えない。マップでは機はユタ州に入った。コロラドの南西の角をかすめ、ニューメキシコを過ぎればテキサスだ。外が見える窓に近づく。雲の合間に乾いた茶色の山地広がる。所々に豆粒のような家が見える。褐色の大地、砂じんを巻き上げて走る馬、インディアンの世界を想像した。いよいよテキサス上空に入った。機内のアナウンスは55分程でヒューストンと伝える。11時間のフライトは長かった。(読者に感謝)

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2015年4月16日 (木)

人生意気に感ず「テキサスとは。西部劇の世界は今。機内にて」

 

 ◇15日テキサスに向かう。目的地は最大の都市ヒューストン。中村紀雄企画原作の映画、楫取素彦物語が国際映画祭で入賞し受賞式に出る。テキサスといえば私にとって西部劇の世界。「ジャイアンツ」、「リオブラボー」、「赤い河」、「OK牧場の決闘」など、テキサスを舞台とする映画に親しんできた。ジャイアンツではエリザベステーラー・ロックハドスン・ジェームスディーンが共演。ジェームスディーンが黙々と井戸を掘る。突然に吹き上がる黒い油、両手を上げて顔を真っ黒にしてそれを受けるディーンの姿が目蓋に焼きついている。テキサスは米国内で石油の消費量が最大の州。ジョンウエイン主演監督のアラモは、メキシコからの独立を獲ち取る戦いで、アラモ砦の守備隊は全滅した。以後、テキサス独立軍は「アラモ砦を忘れるな」を合言葉にメキシコ軍と戦った。 

 テキサスの面積は日本の約2倍。その広さは想像を絶する。かつて開拓時代、馬で最も遠くまで走った人がその到達点迄の所有を認められたという。信じられないような話だ。

 

◇テキサスは、私の理解ではアメリカで最も保守的なところ。インディアンを征圧した西部劇の世界がベースになっているのではないか。この目で出来るかぎり確かめてきたい。ジョンソン、レーガン、ブッシュなど私たちによく知られた大統領が出たところでもある。西部劇の歴史を引きずっていると思わせる一つは「銃社会」が息づいていること。自宅や車は銃で守る自分の城。それを支える州法は「自宅、車、職場への侵入者を銃で撃っても正当防衛とみなす」、州愛意識が非常に高いといわれる。インディアンとの争い、アラモやメキシコの戦い、こういった歴史が人々の意識の底に根強く流れているのか。こういう所から出てきたブッシュ大統領がイラク攻撃の先頭に立ったことがうなづける。テキサスの人々は、現在のIS(イスラム国)をどうみているか。中国の台頭をどう受け止めているか。また同盟国日本、サムライの国日本をどう見ているか。これらはわたしにとって興味あること。

 

◇ヒューストンはテキサス最大の都市。NASAの宇宙センターがあることでも有名。国際映画祭はハリウッドに対抗するもので、アマチュアの作品等4千5百位の作品が応募する。原作は、私の「楫取素彦」であるが、受賞は桜井謙監督のたまもの。人生の転機にふさわしい旅にしたい。(読者に感謝)

 

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2015年4月15日 (水)

人生意気に感ず「選挙事務所の挨拶。サカキバラの判決文。げすの勘ぐり」

◇14日午前9時、選挙事務所で挨拶した。「8350票は貴重な財産です。これを今後に生かすか否か、皆さんが真剣に考えて下さい。振り返って、私は私の初陣の頃を思い出します。家族、兄弟、親族が結束して頑張りました。この結果が社会の信頼を得る役割を果たします」。家族や親戚に頼らない選挙が理想である。しかし、初陣は特別。また、親せきがなければ別だが、あって乱れているとマイナス要因となる。ゆうじ君がかわいそうであった。様々な障害を乗り越えて再起を期す覚悟があるか。今こそ、ゆうじ君の志が本物かどうかが問われる。「ゆうじ君の断固とした決意があれば別ですが、私は今後一切選挙はやりません。当初の計画なのです。明日は、人生の新たな舞台の一歩を求めてアメリカに出発します」と私は宣言した。

◇「殺したかった」、「誰でもよかった」と動機の不可解な少年事件が増えている。動機の心の深層に棲む怪物。それがどのようにして生じたのか。それを解明せねばならない。あの酒鬼薔薇聖斗家裁審判は重要なヒントを提供する。文藝春秋に載った審判決定の全文を読んだ。少年事件を考える原点である。幼少期母親が厳しかった。作文に「お母さんはまかいの大ま王です」と書く。祖母に助けを求める少年。少学5年の時祖母が死に生まれて初めて「悲しい」感情を経験。放心状態に。この頃から、ナメクジやカエルを解剖。「その内臓を見るのが楽しかった」。空想の醜い小人の少女を創造し一人会話を楽しむ。少年が自分の守護神とあがめるバモイドオキ神が夢の中に現れる。ヒットラーの「我が闘争」に心酔。5年生としては非常に早熟である。6年生のときネコ殺しを始める。腸を引出し・首・脚を切る。焼き殺したことも。ネコを虐待していると性的に興奮し初めて射精。中学1年、異常性は高進。人間の腹を割き、内臓にかみ付き、貪り食うシーンをイメージしながら自慰にふける(判決文にあること)。学校の授業中でも殺人の場面が白昼夢として色と音付きで生々しく現れる。遂に平成9年5月被害者をタンク山に連れ出し首をしめて殺害。その後金鋸で首を切断。そして、医療少年院に入り長い年月が過ぎた。完全に真人間に戻り現在静かに日常生活を送っていると伝えられる。一連のドラマは子供が誰でも環境により獣となりまた治療により人間性を取り戻すことを示す。無数のサカキバラ予備軍がいるに違いない。

◇昨夜、ある飲み会で中村さんがあんなに真剣なのは金をもらっているからと言う人がいると言われた。「げすの勘ぐり。金で狂気になれるものか。一銭でももらっていれば大勢の前で罵倒できるか」と一笑に付した。(読者に感謝)

 

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2015年4月14日 (火)

人生意気に感ず「戦い終えて。議会の肖像画の前で。日本語学校。日中友好協会」

◇戦い終えて一つの区切りを感じる。今朝はいつもの通り走った。選挙期間中、2日だけ走れなかった。途切れると、走れなくなるかと不安を抱くのだ。大地を踏みしめると、大地から手ごたえが返る。生きていること、活力があることの証。私は、次のステージへ踏み出すぞと一歩一歩に思いを込める。頑張れよと大地が応えている。

 走りを終え、6時半、元総社へ。昨夜、集まってくれていた人々への挨拶。当落の決定が遅かったため行けなかったのだ。みな笑顔で迎えてくれた。ゆうじ君、同伴の姿はない。疲れてダウンなのだ。

◇娘と県庁へ。机の上とロッカーの書類を段ボールに詰めた。きれいになった机の面が長い県議生活を静かに語っている。「中村紀雄よ、左様なら」、私がつぶやくと、娘が「ご苦労さん」と言った。

 娘が議場の肖像画を見たいという。25年以上永年勤務の県議の姿が並ぶ。その最先端に茂木紘一氏が描いた油絵があった。この前に立って後世の人々は何を思うだろうか。「お父さん、頑張ったね」、娘の笑顔が明るい。

 口もとに微笑をたたえた私の肖像画は議会の歴史を静かに語りかけている。「中村紀雄よ、御苦労様」私は改めてつぶやいた。

◇県議選にはドラマが伴う。落選すると様々な醜悪なものも姿を現す。私は今回、萩原ゆうじ君のために全力を尽くした。狂気の塊となっていたので激怒して叫ぶ場面もあった。敗軍の将、兵を語るという後味の悪い光景もあった。

◇新聞はドラマを伝えた。沼田では星野己喜雄氏が落選した。かつての同期。市長選にやぶれた後の今回の戦い。涙の姿を紙面は伝える。この名物男は最後の選択を誤ったのか。政治家の幕引きは、時に難しい。私は7期を終えて3年前、早々と引退声明を出した。元気な姿で人生の新しいステージに立てる事をかみしめる。明日(15日)、アメリカに向かう。中村紀雄企画・原作の映画楫取素彦物語が国際映画祭で受賞。現地で放映も行われる。

◇昨日、日本語学院の入学式で挨拶。420人余りのアジア諸国の若者たち。私は名誉学院長。英語を交えて日本の文化と平和を語った。

 群馬県日中友好協会の新旧事務局長と打ち合わせ。青少年合同書道展は意義ある大事業。上海の少年たちが来日する。成功させたい。(読者に感謝)

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2015年4月13日 (月)

人生意気に感ず「敗軍の将兵を語らず。ゆうじ君破る」

◇昨夜、8時半が過ぎる頃、萩原ゆうじ選挙事務所は緊張感につつまれていた。9時過ぎ群テレで第一回の開票結果が。他は5千から3千の間、ゆうじ君は最下位で、2500票。重苦しい雰囲気が支配した。実は8時過ぎ、ゆうじ君に、万一の時の対応について話しておいた。敗戦の弁の覚悟である。そんなことがないことを祈った。押し潰されるような時が過ぎて、一瞬の間に結果が出た。8300余票。落選である。「アー」というどよめきが起きた。悪夢が現実となった瞬間であった。

 近くで待機していたゆうじ君が現れた。先ず私が挨拶に立った。「残念な結果となりました。皆さんはよく頑張ってくれました。6ケ月という期間は短すぎました」

「初戦でここまでよくやった」会場から声が。私は28年前の自分の姿を思い出した。ゆうじ君と同じ初陣の敗戦。あの時の声、「負けたのではない、足りなかっただけだ」、今はなきSさんの声。あの時の私にはすぐに立ち上がる力があった。支える妻がいた。

 ゆうじ君は深々と頭を下げて言った。「みなさん申し訳ありませんでした。すべて私の責任です。皆さんのご努力に感謝申し上げます」30歳の若者が哀れにみえた。

「若いのだからまた頑張れ」と会場から声。ゆうじ君は立ち上がることが出来るのか。親族の内紛など複雑な事情も背景にある。

◇選挙事務所からの帰途、コンビニの駐車場で天を仰いだ。すべては終わった。多くの演説会場で語ったように、私の政治生活の最後の戦いだった。ケータイから娘の声が響く。

「パパは本当によくやった。人生の別のステージが待っているよ。前を向いて生きて」

今、午前3時半、眠れない。ゆうじ君にメールを送った。「眠れていますか。立ち上がれますか」

 敗軍の将兵を語らずというが振り返ればトラブルのある陣営だった。その中で大変盛り上がったのに残念。

◇今月で私の任期が終わる。後継者作りは当面実現することが出来なかった。若い芽は大地に根を下すのか。勇気ある若者を助けて下さいと訴えてきたが、その声はどこまで届いたのか。支持してくれた多くの皆さん、私は正直迷っています。二つの声が交差する。「振り向くな」と一つの声。「ゆうじを助けて立ち上がれ」ともう一つの声。(読者に感謝)

 

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2015年4月12日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第191回

 女性解放と人間尊重を目指した楫取の決断は時代の進む方向、世界史の流れに合致していた。だから、楫取の播いた種はその後大きく成長した。私は、特に、「自由廃業運動」の中にそれを見る。

「自由廃業運動」は一外国人・宣教師モルフィによって始められた。娼妓がその意思によって自由に廃業出来るという発想のもとは明治5年の太政官布告に秘められていた。

 太政官布告第295号は、年期を定めて娼妓を拘束することは無効であると宣言した。しかし、その後、布告は守られず巧妙な方法で形をとりつくろって変わらぬ実態が続けられた。巧妙な方法とは、楼主は座敷を貸し、娼妓は場所を借りて自ら営業主となるという手法である。形の上では営業主だから拘束はないのである。娼妓は営業主だから営業を止めることは自由である筈。モルフィは、この理屈を逆に利用したのだ。

 モルフィは、アメリカ人で、プロテスタントの宣教師である。彼は太政官布告によって一旦禁止された筈の人身売買が貸座敷の中で依然として行われていること及び女の悲惨な状況を知って憤慨した。そして、この最大の社会悪を止めさせることを神から与えられた使命と受け止めた。

 モルフィは、裁判を利用して廃娼を実現しようと思い立ったのである。裁判所の判断は国家の意思表示であるからその効果、影響は絶大である。公娼は国家の制度として行われている。自由廃業を裁判で勝ち取ることは、国家の意志で国の制度を崩すことになる。群馬は廃娼が確立していたが他県は違ったのである。名古屋と新潟は特に公娼が盛んだった。モルフィが行動を行こしたのは名古屋だった。

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2015年4月11日 (土)

人生意気に感ず「最後の力をふりしぼる。人事を尽くして天命を」

◇遂にここまで来た。昨日は告示から8日目。萩原ゆうじ選対事務所には早朝からピリッとした緊張感がみなぎっていた。地元関根町の人々にとって、選挙の主体となるのは初めてのこと。どこまできたのか分からないのである。これだけやったのだから当選するだろうという思いがある。私は前橋全体を見ているので複雑な思いだ。私の胸に楽観論、悲観論が交差する。

 楽観論に立てば、30歳の公認会計士という点は異色の存在として注目され多くの人が投票してくれるに違いないと思う。しかし、悲観論に立てば、知名度がまだまだだ、勢いはあるがボーダーラインを越えられないかも知れない。私の中に不安が広がる。

 私の胸のうちを見透かすように妻が言った。「のりおさんがこんなに一生懸命やってきたのだから良い結果になりますよ」、私は妻の言葉を信じることにした。人事を尽くして天命を待つ。昨日の夜は、芳賀の総決起、大胡の養林寺と粕川町の月田公民館における小集会を行った。小雨の中、芳賀は多くの人々が集まった。「長い間お世話になりました。今期で引退です。後継者をつくることが皆様へのご恩返しになると信じます。私の政治生活の最後のお願いです。萩原ゆうじを当選させて下さい」と私は訴えた。中曽根弘文さん、尾身朝子さんが、それぞれ力強く激励してくれた。

 養林寺は、昨年・楫取素彦の講演をしたところ。多くの場所で楫取の講演を行った。境内に足を踏み入れた時、松陰と楫取のことが胸に甦った。「皆さん、今日は幕末・明治に似た国難の時です。それなのに、多くの若者は自分の殻に閉じこもり小さな幸せ求めています。しかし、社会のことに関わらなければ、足元の小さな幸せも失われてしまうのです。ゆうじ君の勇気と情熱を認めてやって下さい」、私の叫びに人々は頷いて応えてくれた。

 ゆうじ君は30歳、松陰が処刑されたのも30歳。楫取が群馬に登場したのは48歳、私の初当選も48歳。様々な思いが胸のうちを巡る。初代県令楫取素彦の輪が広がっている。私が楫取をやっていることはゆうじ君にとってもプラスの要素となるか。ゆうじ君の精悍そうな横顔は幕末の志士を連想させた。

◇今日は最後、午後は南橘全町で街頭演説を行う。午前は南橘以外の重要地点数十か所でやる決意。人事を尽くして明日の夜を待つ。ブログの皆さん助けて下さい。(読者に感謝)

☆私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む。

 

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2015年4月10日 (金)

人生意気に感ず「元気21の熱気。94歳の人。信さんの変身」

◇9日、早朝、6時、前橋青果市場。広い場内を小走りに動く。積み上げられた果物の箱、野菜の山、その間におじさんたちの魂があちこちに。私を先頭に、タスキのゆうじ、その後にオレンジのジャンパーを着た数人の女性が続く。「萩原ゆうじです。最年少の候補者、宜しくお願いします」、「おお、若えな、応援するから頑張れや」、声援に励まされ食堂にまで駆け込んだ。市場に昔の元気はない。大型店が出来て町の八百屋さんが減ったこともあるが、私には前橋の胃袋が縮小した姿に思われた。

◇昨日は、中央公民館(元気21)、総社町大屋敷、元総社農協などで集会をやった。嬉しかったのは「元気21」。501号室は午前11時。場所は確保していたが、準備の余裕はなかった。前の日、やるか迷った。「10人でもいいじゃないか。昼間、中心街でやる意味があるぞ」、この声で私は決断した。電話をかけまくった。大気堂の社長も動いてくれた。そして迎えた当日。501号は満席となった。他からイスを持ち込んだ。〈なぜ、どこからこんなに〉、驚きはエネルギーを生む。ゆうじ君の瞳が輝いている。「このまちを元気にします。30歳の萩原ゆうじ。7期の私は引退を決意しました。バトンを渡します。最後を飾るにふさわしい激戦です。この熱気をまちづくりにつなげます」、続いてゆうじは訴える。「地方創生は心の創生です。公認会計士の経験を予算審議に生かします。歴史に学べと中村先生に教えられました。立派な後継者になります」中心街は生きている。死に体のまちは甦る。私がこう確心した瞬間であった。

◇17号沿いに、関根町の選挙事務所は活気を増している。毎朝の朝礼、事務所前の第一声。夜は選対会議。近くに住む94歳の萩原老人は元気でおしゃれで人気者。私に会うと深く頭を下げてお辞儀をする。選対本部長を偉い司令官殿と考えているらしい。「興国の皇廃はこの一戦にあり」とやった時、この老人はしきりに頷いていた。

◇幹事長の信さんは鬼瓦のような顔でよく怒鳴る。選対会議で「優しくやろう」と意見が出た。昨日あたり、信さんの態度に変化があった。「鬼の信さんが仏の信さんになったね」私が冷やかすと笑いが起きた。緊張ではりつめた中で笑い声は人々の心にエネルギーを生む。信さんの変身は謙虚さの現われなのだ。今日、明日となった。日本海海戦を思い出して心に乙旗を掲げる時が来た。(読者に感謝)

 

☆私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む。

 

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2015年4月 9日 (木)

人生遺棄に感ず「真冬の寒さの中の座談会。30歳で何が出来る」

 

 ◇7日目。残すところ3日間となった。昨日嬉しいファックスが届いた。「先日、大手町の座談会でお話しを聴いた○○という者です。今日、市役所の期日前投票で確かに萩原ゆうじと書きました。引き続き勝利に向けて邁進してください」というもの。疲れた人々の心に届けられた栄養剤ともいうべきもの。実は、ここに来て、このようなファックスや電話が増えている。わずかに寄せられるこのようなシグナルは大票田で起きている変化をうかがわせる。 

◇真冬のような寒さ。昨日午前11時、石倉町の公民館で座談会。畳の部屋で寒さから身を守るように身を寄せ合った。「若い力が伝わるようです」、ゆうじ君に近いお婆ちゃんが言った。「町が年を取っちまって、わしらと同じように死にかけている」、ゆうじ君とひざを接しているおじいさんが言った。

 

「中村先生と毎日地域を回っていて、人と人とのつながりがいかに大切かを感じています。地域社会が崩壊しようとしていますね。お年寄りに安心と安らぎを、子どもには夢と未来を。これを実現する力は地域の連携、人々の絆であります。地域創生は、地域の人々の心の創生です。私は、この心の創生を通して地域の活性化を実現していきます」、ゆうじ君の若い声は、身を寄せ合う人々の心に熱気を与えているようであった。

 

◇問屋町会館では多くの人が集まってくれた。私は訴える。「ゆうじ君が出たために、前橋は激しい選挙戦となりました。無投票当選が広がっていますが、これはいけません。無投票は民主主義の自殺です」

 

 私は前座。ゆうじ君の番となった。「私は公認会計士の視線で県予算を分析し、県会の活性化を図ってまいります」、「ほほー」という表情が人々に生まれた。このことは他の会場で質問として問われた。「若さはいいことだが、あなたは何が出来ますか」、この質問にゆうじ君は答えた。「私は企業の予算、決算を審査したプロです。県は7000億の予算をもつ一つの企業と考えられます。県の予算が適切に使われるかをチェックします。県民の皆様の税金の有効活用を実現します」。全国の地方議会に公認会計士はほとんどいない。議会の使命は予算のチェック。議会の形骸化が叫ばれているのだ。(読者に感謝)

 

☆私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む。

 

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2015年4月 8日 (水)

人生意気に感ず「選挙戦中盤の状況。ゆうじは戦う」

◇昨日、各紙に、選管による選挙公報が折り込まれた。一頁の最初、一番目に付くのが萩原ゆうじ。パッと目に飛び込む。私は天の助けと思った。運も戦いに勝つ重要な要素。 

 長年選挙をやってきた者として、空気の変化が何となく分かる。「頑張って」と電話、窓から振る手、車から向ける笑顔。30歳の萩原ゆうじの認知度が上がっている。人々の期待感が高まっている。

 過密なスケジュールの中に時々、小さな短時間の座談会が入る。「この戦いには大義があります」、私がこう発言したら、ある老人が言った。「君のために前橋は選挙になった。無投票当選なんて民主主義の自殺だよ。君のセールスポイントを1つ挙げるとすれば何だね」

 緊張していたゆうじ君の表情が変化した。選挙戦で初めて見せるような笑顔を作って答えた。「はい、聴いて下さい。私は公認会計士として企業の決算を監査し、アドバイスしてきました。県は7千億の予算を持つ大企業です。これを公認会計士の視線でチェックします。県民の宝である税金が正しく使われるかを分析します」、老人が大きく頷いた。

◇毎日、夜のほぼ同じ時間帯にいくつもの会場を動く。昨日は、中心市街地から北の富士見、南の広瀬へと飛んだ。私とゆうじ君がメインであるが、前後を何人もの弁士が補って何とかこなしていく。

 広瀬町の集会室では満席の人々が待ち受けていた。疲れが飛ぶ。最後の会場だ。遅れるゆうじ君が現れる迄飽きさせないで話そうと決意してマイクを握る。この会場には他とちがった特色があった。あちこちに中国人の顔があった。私の同志ともいうべき人々。中国北部からやってきて、多くの人々が国籍を得ている。元残留孤児の顔も見えた。私が「炎の山河」で書いた松井かずさんの姿はもうない。

「この会場で何度も皆さんに集まってもらいました。今回が最後です。私の政治生活の最後のお願いです。私に寄せて下さった温かいご支援をどうか後継者、萩原ゆうじにお与え下さい」大きな拍手。窓の外に選挙カーが近づく。ゆうじ君が現れる。会場が沸いた。ゆうじ君は白い歯を見せ手を振った。疲れが消えた顔である。「あとわずかとなりました。どうか勝たせて下さい。中村先生の後継者として恥ずかしくない県会議員になります」と若い声。(読者に感謝)

☆私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む。

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2015年4月 7日 (火)

人生意気に感ず「ゆうじ君を励ますふるさと塾。38回の街頭演説」

◇昨日はふるさと塾を特別に開いた。予め会の趣旨を伝えておいたので、タスキをかけた萩原ゆうじ君を塾生は拍手で迎えた。「塾生の中から県議選に立候補する若者を応援して下さい」、こう訴えて開催した塾であった。

 多くの塾生を前に私は語った。「ふるさと塾は歴史を語る私の舞台です。歴史を学ぶことには心を豊かにする意味があります。また、歴史上の出来事や人物に感動して志を育むこともあります。私の心の底には松下村塾のことがありました。現在は国難の時です。松下村塾からは高杉晋作や久坂玄瑞が出ましたが、ふるさと塾からは萩原ゆうじが出ようとしています。面白いことではありませんか」

 又、この塾が現在の社会の動きとタイムリーに連動していることに触れた。それは、萩原ゆうじの出馬もそうであるが、楫取素彦を取り上げてきた点である。「楫取のことは10年以上も前にふるさと塾で熱く語りました」

 目の前の塾生は、ほとんどその時のことを知らない。メモを取り出す人もいた。

「奴隷船・マリアルーズ号事件です。マリアルーズ号はペルーの船で、中国から密かに奴隷を運んでいました。明治政府は中国人を解放したためペルーとの間で訴訟となりました。この争いの中で、日本にもひどい奴隷制度があると指摘されたのです。ペルーは女郎の証文を突きつけたのです。驚いた政府は、娼妓解放令を出しました。その衝撃を受け止めて始まったのが群馬の廃娼運動でありました。そして廃娼運動の中で楫取素彦が登場したのです」

 塾長の富澤さんが立ち上がって、「これは何だか分かりますか」と、黄、黒、赤、青の図柄を示した。「乙旗」誰かが叫んだ。

 「そうです。皇国興廃この一戦にあり、各員一層憤励努力せよです。ゆうじ君の興廃をかけて頑張りましょう」富澤さんの声が大きく響いた。

 この日、大胡町で、私は街頭演説を多数こなした。回数を付けていたウグイスが38回ですと感心して言った。やることが余りに多い。矢のように時が過ぎる。先日は、大会で「史上最大の作戦」を流したが、私の人生史上の最大級の戦い。15日アメリカのヒューストンに向かう。出来ることなら勝利して弾んだ心で向かいたい。(読者に感謝)

 

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2015年4月 6日 (月)

人生意気に感ず「出陣式。早くも決起集会。史上最大の作戦」

◇4月3日、朝6時50分、関根町の神社で祈願祭。8時半、市の選管で受け付け開始。私と萩原ゆうじは、市役所前、選挙カーで待機。「手続きが済んだ、番号は何」との連絡を待つがなかなか来ない。狩野ひろし候補の車は早くも、大音響を挙げて走っていった。(何かミスでも)そんな不安も起こる。9時5分すぎ頃やっとゆうじ君のケータイに「すみました。番号は7です」と受け付け担当から。

 私とゆうじ君は、群馬会館正面で第一声を放った。先ず私がマイクを握る。「私は今期で引退します。後継者、萩原ゆうじにバトンを渡します。選挙戦の火蓋は切られました。若者の政治離れが進む中、30歳の萩原ゆうじは高い志をもって政治に人生を捧げようと決意しました。この大義を訟えて、これから9日間、戦い抜きます」

 続いて萩原ゆうじ。「人口減社会に突入しました。社会全体が元気を失っていくことに危機を感じます。私は地方創生は若者の使命と思い出馬を決意しました。中村先生の後継者に恥じない県会議員になるため、9日間、必死で頑張ります」

◇選挙カーで市街地を回わりながら出陣式会場に向かう。会場の関根町公民館のホールは満員だった。オレンジの鉢巻き姿が密集する様は戦の炎が燃えるように見えた。(これでよし)と私はつぶやいた。私の挨拶が終わると、青年部と共に候補者萩原ゆうじが現れる。オレンジ色の揺れる中ゆうじは進む。万雷の拍手。

◇激励の弁でよかったのは山本市長と尾身元財務大臣。市長は「のりお先生の後継者として活躍して欲しい、そのために皆さん頑張りましょう」と、また、尾身さんは「私の親友中村さんが頑張っているので、昨夜外国から帰ったところですが、駆けつけました」と切り出して、若いゆうじ候補当選の意義を語った。

◇一日おいて、5日、南橘地区の決起集会。会場ははるかに広い南橘公民館大ホール。南橘地区で地元候補と認められることが勝利のカギ。「史上最大の作戦・ザロンゲストデイ」を流した。ナチスを倒して民主主義を守った戦、「海から山から、若い兵士は…、歴史を作るため」。広い会場はほぼ満席。山本一太さんの熱弁に会場は沸いた。中曽根弘文さんの説得力に会場は頷いた。

◇街頭では要所に車を止め、先ず私が語り、ゆうじ君を紹介、それを受けてゆうじ君が訴える。私にとって、市場最大の作戦である。(読者に感謝)

 

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2015年4月 5日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第190回  

当時は明治憲法下にあり、憲法上も平等の規定はなく、社会の実情は貧しかった。従ってこのような状況での教授の訴えは理想の空論ともいえた。しかし、群馬県の「廃娼」はその理想を目指した現実の一歩であった。戦後、日本国憲法が出来、男女の平等を含む人間尊重の国是が掲げられた。経済も豊かになり世界の経済大国といわれる迄になった。従って今日の社会は、阿部教授が目指した理想の社会である筈だ。女性は自らの意思を男に対しても主張できる。群馬県の廃娼決議は正に先見の明といえた。現在とて、建前と現実にはかい離がある。しいたげられた女性、生きられない女性は多い。しかし、全体としては社会は進歩し、女性は自らの選択肢に従って生きられる時代となった。 ◇自由廃業運動  廃娼運動の原点は明治5年の太政官布告である。一片の抽象的な法令は画期的な意義を持ったが社会に根を下ろし効果を発揮する迄には幾多の困難を乗り越えねばならなかった。この布告を受け止め現実社会の出来事に結びつけたのが「群馬の廃娼運動」であった。その主役は、楫取県令、県議会の人々、そして、群馬の青年等であった。楫取の功績は特に大きかった。単なる官僚政治家なら新たな道の開拓となる大改革を決断出来なかったろう。楫取は明治15年という時点で県令として廃娼を決断して布達した。

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2015年4月 4日 (土)

なぜ、萩原ゆうじか。

首都直下型と南海トラフ型が近づいています。その時、原発はどうなるのでしょうか。そして人口減少に向かう社会は活力を失いつつあります。こんな時、私は県議会を去ります。実は、4年前に私はこの日が来ることを密に決意しました。4年前の3月11日、天地をゆるがす轟音が山鳴りのように伝わってきました。千年に一度の大地震でした。

 萩原ゆうじ君の存在をこの時、私は全く知らなかったのです。この若者が私と出会うのは大地震の3年余り後のことでした。

 縁は異なものと申しますが、人と人との出会いは不思議なものです。ゆうじ君との出会いを取り持ったのは一冊の本、私が以前に書いた「上州の山河と共に」でした。戦後の物のない時代、赤城の麓で少年時代を生きた私、激動の波に揉まれる中で志を立て県議選に当選するまでを書いたものです。

 ゆうじ君は、東京で公認会計士として働いていた時、ある先輩に勧められてこの本を読み、いつか政治家になりたいという夢を描いたそうです。月日が流れる中で、ゆうじ君は、心に生まれた小さな芽を育て、不思議な運命の糸に導かれるように私と出会いました。

 昨年暮れ、旧宮城村の奥地を歩いた時のこと。「あそこが昔ランプの生活をしたところ」、「これが裸足で鼻毛石の小学校へ通った道」、「食べるものもなく貧しかったが元気にあふれていた」、と話すと、ゆうじ君はじっとあたりを見詰めうなずいていました。

 人口減少が叫ばれ元気を失っていく今日の社会にあって、元気のある地域を再生しなければという思いが、30歳の若者の胸に甦っていたことでしょう。ゆうじ君の政治への志と情熱をカタチにすることは、後継者をつくるという私個人の問題を超えて大きな社会的意義のあることと信じます。決戦の時がやってきました。赤城山の上に青い空が突き抜けるように澄んでいます。古里の興廃はこの一戦にあり、天気晴朗なれど波高し。皆様の御理解を願う次第です。

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2015年4月 3日 (金)

人生意気に感ず「リベンジポルノ法の時代。青年部の力。火蓋切る」

◇交際相手の裸を写真にとりネットに投稿する事件が流行っているという。対策としていわゆる「リベンジポルノ法」までできた。リベンジは復讐。逃げられた男が裸の写真をバラして復讐するとは情けない話。ラブホテルの秘事を撮影することが流行っているのか。享楽の世を象徴する風潮か。

 萩原ゆうじの事務所で、私は、「多くの人々は享楽にふけり」という個所のある一文を書いたら、不適切な文句だと抗議する老婆がいた。道徳心の高い人だと思えば腹も立たない。

 最近、高崎市の男が元交際女性の裸をインターネットに投稿したとして、逮捕された。リベンジポルノ法違反の逮捕は県内初。

 同法の施行は昨年11月。その後の1ケ月で、警察に110件の相談が寄せられた。その内容は注目すべきもの。「画像を公表すると脅された」が42件。「画像を送りつけられた」が22件。「画像を公表された」が18件。科学の利器は人間の欲望を歪めてエスカレートさせる。スカートの中を盗撮して逮捕される警官や教師があとを絶たないのと同根か。性の乱れは社会の根幹を揺るがしてる。

◇いよいよ決戦。昨夜は遅くまで青年部がリハーサルをした。ゆうじ君と入場して進み、青年部長、女性青年部長がそれぞれ「青年の訴」を読む。青年部長の柳沢君は現場から作業服で駆けつけるという。最近女の子が生まれ風呂に入れると語るヒゲ面が魅力的だ。檄は副部長の小和瀬君。出陣式は午前10時、関根町公民館において小規模で行う。

 今日の流れは次のようになる。朝6時50分祈願祭、8時40分頃、県庁前で第一声、市内を回りながら10時、出陣式会場に。私は選対本部長だが、事務所での来客対応は他に任せ、一兵卆の心で戦いぬく。我に秘策あり。劉備の小さな軍が孔明の策により曹操の大軍を破った三国志の世界を思い描いた。

◇事務所は盛り上がっている。幾日か前からあちこちに掲示板が目立つようになった。前橋全域で約750か所。今日一斉に選挙ポスターが貼られる。萩原ゆうじは赤系統にした。30歳、公認会計士という文字が目立つ。群馬県全域の候補者で最年少。この点はどう影響するだろうか。多くの所で「若くていいねえ」、「これからは若い人の時代」という声を聞いてきた。10日間、掲示板の萩原ゆうじが「ぼくですよ。将来性を買って下さい」と訴える。(読者に感謝)

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2015年4月 2日 (木)

人生意気に感ず「いよいよ決戦。子どもの声は騒音か」

 

 ◇いよいよ告示が明日に迫った。昨日、遊説で出会ったある若者が真顔で訪ねた。「先生は選挙は民主主義の柱と言っていましたが、わかりません。投票しない人が半分もいるのに。民主主義って何ですか」真面目そうな青年の目は私が真面目に答えることを求めている。時間がない中、ここは踏ん張り所と自分に言い聞かせて、私は民主主義を語った。「国民が平等になって、一人一人が政治の主人でしょう。これが民主主義だね。しかし、全員で決められないから代表に任せる。代表者を選ぶのが選挙ですよ」「うん、わかる。しかし、投票する人が半分なんて、代表者に任せたと言えないよ。それに最近は立つ人が少ない、買い物したくても買いたい物がないみたいだ。民主主義ってごまかしじゃないの」<うーん、この若者は、本質的なことを衝いている>私は、話すのを止めて、頷きながら若者の顔をのぞきこんでしまった。「民主主義は高い理想です。現実とは離れています。近づけていかなければね」私は苦しい思いで答えた。「先生が推薦する萩原さんて大丈夫ですか」やっと食いついてくれたと心で苦笑いする。「ええ、最近珍しい勇気と志を持っている。小さな芽だけど育てて下さい」「考えてみるね」若者は明るく笑った。少しずつゆうじ君が浸透していることを感じた。 

◇「子どもの声がうるさいから保育園に反対だって」、「設置反対で訴訟も起きている」ある会合でこんな声が聞こえた。うるさがるのは多くがお年寄りだという。世も末か。子どもの元気な声は社会の活力源ではないか。子どもが元気で飛び回れない社会を作ろうとするのか。こんな風潮は元気を失っていく日本社会の象徴である。こんな老人は小鳥のさえずりも騒音ととらえるのか。肉体だけでなく心までが老いていくことは悲しいことだ。公共心がないのは現代の若者だけとはいえない現実だと思われる。可哀想な子どもたちよ。裸足で遊ぶことも砂に手を突っ込むこともさせてもらえず、運動会でも一着を競うことも出来ない子どもたちに、生きる力を求めることは無理。大きな声も出せない社会に生きる子どもたちにどんな未来が待ち受けるのか。

 

◇夜、緊急選対会議を開き、私は発言した。「これからが本当の戦いです。30歳の若者が出馬した意義を掲げ、力を合わせ、勝利を信じて戦い抜きましょう。多くの有権者はきっと私たちの訴えを分かってくれます」(読者に感謝)

 

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2015年4月 1日 (水)

人生意気に感ず「同性カップル証明書の衝撃。ゆうじ君の訴え」

◇エイプリルフールではない。同性カップル条例が4月1日、渋谷区で施行される。渋谷区議会は同性カップルを「結婚に相当する関係」と認め、「パートナーシップ証明書」を発行する条例案を賛成多数で可決。定数34のうち自民党の10人が反対した。日本初。性的少数者の権利を守ることが目的。

 区は、今後、専門家からなる「男女平等・多様性社会推進会議」を設置し、区民や事業者に説明し協力を求めていく。外国では同性の結婚を認めるところもある。異性と結ばれない同性愛者のことは近年、科学的な存在として広く認められるようになった。このような性的少数者は恐らく人類の起源と共に存在したのではないか。しかし、長いこと異常者として偏見と差別の対象であった。科学的な存在であることが明らかになり、また、人権尊重の観点から個人の特性が尊重される時代となった。今日、個人の尊厳を突き詰めれば多様な生き方が尊重されることになり、同性のパートナーもその一環として認められるべきだという論方である。

 渋谷区は、区在住の20歳以上の同性カップルを夫婦と同等の関係と認める「パートナーシップ証明書」を発行する。区民と区内事業者は「最大限配慮しなければならない」とし、違反した場合、是正勧告をした上、事業者名などを公表する。

 自民党が反対する理由は性の乱れを助長するということではないか。偏見は根強い。かつてアメリカの西海岸を視察した時、同性愛者が非常に多い町を通った。私がガイドに質問したら「昼飯が近いのに、そんな話は止めてくれ」とある県会議員。これが普通の感覚なのかと思った。

◇いよいよ県議選の火蓋が切られる。昨日、萩原ゆうじは役員会で訴えた。「ついにここまで来ました。振り返れば大変長い間、日夜ご苦労をおかけしました。しかし、戦いはこれからです。地域を回っていて私のことを知らない人が余りに多いことを痛感致します。新人とはこういうものかと、今、危機感でいっぱいです。どうか最後の力をお貸しください」

◇午後8時過ぎ、青年部の会議。出陣式で青年部がある役割を果たす。その打ち合わせ。野武士のような青年部長は澄んだ瞳で「頑張ります」ときっぱり言った。この人たちにとっても初めての選挙。勝利の感激を味あわせたい。(読者に感謝)

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