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2015年3月31日 (火)

人生意気に感ず「ヒューストンの映画祭。天田研石さんと楫取。西片貝のドラマ」

◇29日、萩原ゆうじの事務所で桜井監督と会った。映画・「楫取素彦物語」がヒューストンの国際映画祭で入賞した。受賞式にはアメリカへ行く。その打ち合わせ等を行った。4月4日からは1か月、萩の映画館で上映される。選挙戦の先に私が進む別の世界が見えてきた。選挙戦はその前に立ちはだかる敵城である。勝利して輝く世界に飛び込みたい。

◇29日、天田研石先生の受賞祝賀会に出た。県功労者賞と高崎市文化賞を受賞された。私は祝辞の中で楫取と書について話した。「楫取は書の達人で、多胡碑の書の価値を認め世に広めました。明治は日本が国際化を進めた時代です。行き過ぎた欧米化を憂えた楫取は日本の伝統文化を守ることに力を入れました。書もその一つだったでしょう。今日、国際化が加速していますが、明治の時に似て日本の伝統文化がおろそかにされる傾向があります。楫取に学ぶことは大きいでしょう」実は、研石さんから祝辞で楫取に触れて欲しいと言われていた。

◇会場で、奈良市の古梅園の取締役・竹住氏から面白い資料を頂いた。古梅園に伝わる吉田松陰の墨型。四行の漢詩が彫られている。その一行には、死地を踏む経験をしなければ善き武士となることは出来ない(不蹈死地不能成善士)とある。墨型の文字を見詰めると松陰や楫取の姿が甦る。書道界には日本の歴史が静かに巡っているのである。

◇昨日、鳥取町と西片貝町で萩原ゆうじの集会を行った。計画から実行まで中3日、やればできることを実感した。西片貝は私の後援会発祥の地。「このまちには、皆さんとつくった数々のドラマがあります」私の言葉に力が入る。人々の視線が応える。学習塾、妻の死、再婚。会場には昔の塾生の顔があちこちに見えた。〈松下村塾のような塾だった〉そんな思いが甦る。母親を失った時、長女ゆりは小学5年生。「しっかり生きて」と細い声。母と最期の別れをした後、ゆりは日赤のエレベーターの中で私に抱きついた。「皆さん、私を育ててくれた熱い思いを萩原ゆうじ君に寄せて下さい」と訴えた。  続いてゆうじ君がマイクを握る。30歳の若者と会場の人々と、どこまで心の交流が出来たか分からない。しかし、勇気を失っている若者の世界から躍り出たゆうじ君を称える拍手は大きく響いた。声援を背にゆうじ君は次の会場に向けて飛び出していった。 (読者に感謝)

☆私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む。

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2015年3月30日 (月)

人生意気に感ず「ゆうじ最後の集会。広報車で。東大合格者」

◇3月28日(土)、午後2時、萩原ゆうじ事務所は最後の集会を迎えた。第26回、執拗に続けるのは私のやり方。毎回、特に呼びかけをすることなく多くの人が集まるようになった。一つの形が定着した時に、この日最終回となった。4月3日の告示が迫った。祈願祭、県庁前の第一声、出陣式等々の打ち合わせ。

 現職の陣営はゆとりだろう。無投票の陣営は複雑な心境に違いない。ここには、新人ゆえの独特の緊張感がみなぎる。選対幹部の中には「4番以内に」などと口にする人がいた。「8位に入るのが難しい状況です。人事を尽くして天命を待ちましょう」と私は訴えた。

 はっと目が覚めて眠れない夜がある。とうとう薬局で睡眠改善薬・ドリエルを買った。

◇この土曜日・自民党広報車で党の政策、それを進める萩原ゆうじの考えを訴えた。ゆうじ君は演説がうまくなった。「短い表現で、もっと断定的に」、「人口減少、地方創生、若者の力。このキーワードを力強く強調した方がいい」、などと私はアドバイスする。

 赤城山を背にした嶺町の部落。私は街宣車の屋上に立ってマイクを握る。「今は国難の時です。幕末と似ています。かつては国のために一身を捧げる若者がいたが、今はまれです。30歳の若者萩原ゆうじを育てて下さい」私は自民党とその政策の推進のために、萩原ゆうじが必要なのだと訴えたのであった。

◇大学合格の季節らしい。ある東大合格者の若者のことがケータイのニュースに入った。「事件に負けず東大合格」昨年末の代ゼミの事件を覚えている。30歳の浪人生が他の生徒を襲った。いつもの「誰でもよい」事件。被害者の若者は重傷を負ったが頑張って文科2類に合格。経済学部に進むコースだ。

◇今年の前高は、東大合格12人か。昨年は1人という珍事態だった。東大を強調すると批判を受けるが、学校の成果と勢いを示すバロメーターになっているのは確か。私は昔、夜間高校で働きながら東大合格を果たしたことを朝日新聞で報道された。選挙のパンフレットに、この記事を載せたことで朝日から抗議を受けたことが思い出される。

◇私の小説、楫取素彦が産経新聞群馬版に連載されている。毎週火・水・木。すでに12回。先週は健大勝利の紙面のため一日だけ休みとなった。産経を取り始めたという人が何人かいる。小説は人物を創造し動かす世界。神になった気分だ。(読者に感謝)

 

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2015年3月29日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第189回

7、公娼廃止後の大問題 (早稲田大学教授 安部磯雄)  教授は廃娼を貫くために、枝葉でなく根本の問題を訴える。それは「存娼」の原因をなくすことだと主張する。教授は、貧困を存娼の第一の理由とあげ、恋愛、結婚など正しい男女の関係が娼婦をなくすことだと自論を展開し、婦人が根本的にとるべき道は正当な職業に従事することだと主張。つまり、女が奴隷扱いされるのは女が独立して生きていけない点に根本的原因がある。女はいつでも独立するだけの腕をもつ必要がある。男が女を踏みつけにして不品行を止めないなら離婚する、離婚は己の人格を維持する最後の手段である、これが出来ない女、つまり一人前の女になり得ずに結婚することこそ誤だというのだ。  そして、群馬県について次のように記述する。「群馬県は女の職業が多く養蚕・製糸業に従事するから間違いが少ない筈だ。日本全国がこうなればわずかの前借金で身を売る必要がなくなる。のみならず婦人が男子に向って貞操を要求する事が出来るようになる」男子にたよって生活しているから男子の玩弄(がんろう―おもちゃ)になるというのだ。そして教授は「私は、男女問題をいつか根本的に美しくすることが出来ると確信する」と結ぶ。  教授が目指すものは理想の社会であり、それは男女が平等な民主主義の社会である。そしてそれを支えるものは経済的基盤である。 ※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2015年3月28日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第188回

6、眞先に廃娼を断行した伊香保 (小暮武太夫)

群馬県は明治15年に廃娼の行方を定めた。それは5年の期限を与えるものであった。ところが、それを待たずに国に働きかけ断行したところが伊香保であった。実行の指導者木暮武太夫は「廃娼20年記念会」に出席した。ここに記述するところは、記者の取材に応じて木暮が語る追憶である。

 木暮は「私は慶応で学び福沢の感化を受けた」と語る。福沢諭吉によって進歩的な考えを身につけたことが廃娼断行の原動力だったと言いたいのだろう。そして、「当時憎まれて半年位はほとんど絶交状態だった。しかし、その後温泉が繁栄するにつれ感謝されるようになった。公娼廃止の結果は私娼も起らず極めて善良な風俗を維持する事が出来た」と語る。群馬は社会の実験場との見方があったが一つの実験結果を木暮は語っているといえる。更に語る「お陰で息子や作男が真面目に働くようになり助かりますとよく言われる。それ迄は渋川その他から若者が女郎買いにやってきた。夜通し遊んで朝早く帰って、畑に出て物陰で昼寝をやっていた。廃止した後、近隣の風儀は改まってよくなった。だから、公娼が人の羞恥心を破壊し貞操道徳の根底を紊乱(びんらん)するものだといえる。群馬の廃娼は色々の点で世人の迷蒙(めいもう)を破っている」

 私は、木暮武太夫の政治家としての見識と決断に敬服する。政治家はとかく、目先の利に動かされ、有権者にこびて行動する。もっともこのような人たちは、政治屋というのであろうが、小暮は「廃娼」で見る限り政治家であった。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2015年3月27日 (金)

人生意気に感ず「萩原ゆうじの後援会。地方創生。楫取の地方自治」

◇昨日は、萩原ゆうじのしっかりした後援会が、元総社地区に2つ出来た。元総社には私の後援会が広がるが、そのままゆうじ君に横滑りとはいかないのだ。私は、少年時代、牛池川のほとりで赤貧の生活を送ったが、長年の支援者を前に、あの頃のことが甦った。

 私は訴えた。「元総社農協の前は見渡す限り田んぼでした。今の元南小が母校の中学で、校庭にはたんがらがごろごろでした。あの貧しい時代の体験が私の政治の原点となりました。私は、毎日、ゆうじ君に、あの頃の社会を教えています。若い政治家に何よりも必要なことだからです」

◇告示まで一週間に迫った。ここに至って、「なぜ萩原ゆうじか」という一文を書いた。要点を拾えば次のようなものだ。「4年前の3月11日、天地をゆるがす轟音が山鳴りのように伝わってきました。これを聞く私の胸には、引退の2文字が密かに芽生えていました。ゆうじ君と私の出会いを取り持ったのは一冊の本でした。縁は異なもの、人と人との出会いは不思議なものです」一冊の本とは私の半生を綴った「上州の山河と共に」。ゆうじ君はこれを読んで政治家を志すようになった。私の文は、次のようにしめくくる。「ゆうじ君の政治への志と情熱をカタチにすることは、後継者をつくるという私個人の問題を超えて大きな社会的意義のあることと信じます。決戦の時がやってきました。赤城山の上に、青い空が突き抜けるように澄んでいます。古里の興廃はこの一戦にあり、天気晴朗なれど波高し」

◇今日の社会を象徴する現象は「消滅自治体」南北村がその例としてよく取り上げられる。「地方創生」は、消滅自治体の問題を克服しなければ実現しない。現在、待ったなしの状態で、地方自治の役割が問われている。目前に迫った統一地方選の最重要課題の1つ。地方のかじ取が求められている。かじ取りといえば楫取素彦、初代県令楫取の姿は群馬のかじ取りであり、当時としては特筆されるべき地方自治の先駆であった。正に中央集権の時代に、教育に、産業に、そして、人権に関して、独自の施策を行ったのだ。先日、みかぼ未来館の講演では、楫取の地方自治に一言触れた。その中の廃娼運動に於ける実績は、女性解放、人間の尊重、そして、人権の問題として、今日的であり、私たちが多いに学ぶべきこと。浄土真宗西蓮寺の住職も見えていた。 (読者に感謝)

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2015年3月26日 (木)

人生意気に感ず「また空の事故。思い出す御巣鷹。ゆうじ君の笑顔」

 

◇24日、また飛行機が墜落。150人の命が空に散った。2人の日本人が乗っていた。2,000mを超す山中に散乱する飛行機の残骸。格安航空会社というのが気になる。格安ということで人の命が安く扱われたということはなかったか。ドイツのジャーマンウイングス社。日本人が乗っていたということで、この空の恐怖がストレートに伝わってくる。飛行機事故が世界の空で多発している。価格の競争が行われているが人命尊重、安全確保と両立しているのか。大事故が報じられる中で、毎日、変わらぬ多数の人々が、タクシーを利用するように飛行機を利用している。正確に仕事をすることで信頼性の高いドイツの航空会社ということも気になる。 

◇険しい山岳に激突ということで、日航ジャンボ機の御巣鷹の悲劇を直ぐに思い出した。

 

 あれは昭和60年8月12日。32分間ものダッチロールの後の激突。この間に死に直面した人々の思いを綴ったメモが残されている。

 

「もう飛行機には乗りたくない」、「まち子、子供よろしく」、「恐い、恐い、恐い助けて」、「機内より頑張ろうの声がする。スチュワーデスは冷静だ」等々。群馬で起きたこの歴史的大事故の記憶が風化している。空の事故が続いていることは、価格競争の中で、命に対する謙虚さが失われていることを物語るといえないか。

 

 原発事故も同じだ。スリーマイル島、チェルノブイリ、日本の3・11.みな激しい時の流れに押し流されていく。一般の人々にはどうにもならない。記憶の風化を食い止め、教訓に生かすのは、国の責任であり、行政の使命だ。

 

◇萩原ゆうじ君が頑張っている。私も、これまでの自分の選挙以上に頑張っている。自分の場合には、長い経験から有権者を信ずることが出来た。選挙が近づいた時、不安はあったが信頼する根拠と手ごたえがあった。しかし新人の不安は格別なのだ。人々の目に見えない心を頼りにしている。目の前の岸壁に激突か、乗り越えられるか、その瀬戸際に来た。私は、萩原ゆうじの陣営が一つの飛行機に乗っていることを想像する。トラブル発生の恐れを感じる。しかし、現実の飛行機と違う点は機内が心を一つにすれば乗り越えられることだ。笑顔を大切にすることをゆうじ君に教えた。勝敗は天に任せて人事を尽くす。(読者に感謝)

 

☆私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む。

 

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2015年3月25日 (水)

人生意気に感ず「後継者となるかゆうじ君。一冊の本との出会い」

◇萩原ゆうじの事務所で昨夜思うことがあった。4年前の私の選挙の時のあの出来事だ。千年に一度地われる大地震。轟音は山鳴りのように伝わり、電気は止まり、人々はあるいはパニックに陥り、あるいは不安におののいて息をひそめた。ローソクの下での集会は異様だった。私は7度目の当選を果たした。当選証書を手にした時、「これが最後の証書だ」と私は密かに思った。

「後継者は誰がなるのか」、多くの人が口にするが当てはなかった。私の政治姿勢と支持者の態勢はある意味で特別のもの。この状況を受け継ぐ者は容易に現れないだろうと思われた。

 萩原ゆうじ君が私の前に現れたのは昨年の夏である。その前、私は既に引退声明を出し上毛は一面で報じていた。後で分かったことだが、萩原ゆうじ君は、東京の公認会計士の時代にある劇的な体験をしたという。

 職場のある先輩から一冊の本を勧められた。私が平成6年に初版した「上州の山河と共に」。赤城山での開墾生活に始まり県議選に当選するまでが記され、序文には元東大総長林健太郎先生の「中村紀雄君のこと」がある。

 ゆうじ君は、これを読んでいつかこういう政治家になりたいと思ったという。心に生じた小さな芽は激動の社会にもまれながら静かに成長したのだろう。縁とは不思議なものだ。本との出会いから長い年月を経てゆうじ君は私と行動を共にすることになった。

 昨年、旧宮城村の柏倉の奥地を二人で歩きながら「あそこがランプの生活をしたところだ」、「これが裸足で小学校へ通った道だよ」と話した。ゆうじ君には時々戦後の復興の歴史を話すが、宮城村の少年時代はその材料にふさわしい。「貧しかったが社会には活気があふれ、村にはどこでもあのリンゴの歌が流れていたんだ」。ゆうじ君は私の話を聞きながら何かを考えているようだった。人口減が続き、元気を失っていく私たちの社会。消滅自治体のことが叫ばれている。この村を消滅させてはならないという思いがこの若者の胸にあるに違いないと思った。萩原ゆうじが私の後継者になれるか。その時が近づきつつある。天気晴朗なれど波高し。

◇昨日は高崎市役所に、ある陳情にゆき副市長と話す中で楫取が出た。県庁を強引に高崎から前橋に移した楫取。時代は恩讐を超えて静かに大きく流れていることを感じた。(読者に感謝)

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2015年3月24日 (火)

人生意気に感ず「萩原ゆうじ決戦の時。メディカル専門校。6人の殺害とは」

◇告示まで10日となった。前橋は広い。7期を通して私の支援者は限りなく広がった。そこに萩原ゆうじはどこ迄浸透するか。当落は紙一重。色々考えると眠れない程不安だ。

 昨日は、告示後9日間の選挙カーのコースをつくった。どこを回るか、どこで何を訴えるか、これらの要素が勝敗を決める。意外な人が協力を表明して現れるようになった。不安に駆られている時、そのような人は地獄に仏。誠に嬉しい。初陣の頃の私を囲む状況が思い出される。広がった戦線を集約する時が来た。

 10年もご無沙汰していた女性Mさんから電話があった。「中村さんが引退して、萩原ゆうじさんという人が後継者として出るんですってね。その方、見たいわ、30歳ですって。応援するから後援会入会申込書を40枚くらい持って来て、仲間に呼びかけるわね」何と嬉しいことか。Mさんは、かつての同志。私のために大変頑張ってくれた。私の疲れた心に勇気を与えてくれる出来事であった。

◇先日、育英メディカル専門学校の卒業式に出た。針灸・柔道整復師として巣立つ多くの若者たち。私は来賓として挨拶した。「東洋医学には長い歴史であります。皆さんのお仕事は市民に身近な医療として大きな役割を担っています。古来、医は仁と言われてきたことを大切にして下さい。医療の技術が進む中でこの言葉が忘れられようとしています。最近の群大医学部の不祥事は、今日の医学全体に反省を求める事件です。人の命と健康を支えることに対する謙虚さを常に心がけなければなりません」。今年は、全員が国家試験に合格した。この専門学校で、倫理の教育は行われているか、群大医学部の不祥事に触れる中でふと考えたことである。

◇群大病院の腹腔鏡手術不祥事が連日全国ニュースで報じられている。天下の名門は立ち直ることが出来るのか。新しく群大学長にたつ平塚浩氏は、「医療事故の検証と再発防止を迅速かつ確実に実行し、医学部付属病院の抜本的改革にしっかりと取り組む」と決意を表明した。この事件は、上昇気流に乗る群馬県の力に影を下すものだ。

◇青酸連続不審死の筧千佐子被告は、起訴事件以外の6人の殺害を認めた。最近の犯罪状況からは、犯罪も女性の時代との感を抱く。人間を物体と考える風潮は恐ろしい。全容解明を。(読者に感謝)

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2015年3月23日 (月)

人生意気に感ず「人生最後の戦い。サカキバラの手紙。嶺町のユダヤ人」

◇矢のように時が過ぎる。3月が終わりに近づく。4月3日の告示が目前に迫った。作戦上の課題が山積みする中、やれることは限られ、気持ちはあせる。人生最後の選挙戦に選対本部長として臨んでいる。いままでは候補者としての苦しみ、今度は、それを支える大黒柱の苦しみ。若いゆうじ君の姿を見ていると、今までとは異質な重圧に押し潰されそうだ。

◇昨夜、緊急の選対会議を開いた。一番注目される要素をもつ30歳の萩原ゆうじ。「なぜ萩原ゆうじが必要か」を世間に訴え新風を起こすことが当選のカギと私は訴えた。

◇あの「酒鬼薔薇聖斗」、男の子の頭を切断して校門にさらし、女の子(当時10歳)の頭を金槌で殴って殺した。当時14歳のA少年は犯行声明でサカキバラと名乗った。事件は平成9年。Aは32歳となった。更生してどこかで暮らしている。女の子は彩花ちゃん。今年も彩花ちゃんの遺族にAから手紙が届いた。当時、文章能力の凄さが注目されたAであった。

 次は、頭部に添えられた挑戦状。「さあゲームの始まりです。愚鈍な警察諸君ボクを止めてみたまえ。ボクは殺しが愉快でたまらない。人の死が見たくてしようがない。汚い野菜どもには死の裁きを、積年の大怨に流血の裁きを」

 例年送られる手紙は今年で11通目。23日の命日を前に14日に届いた。彩花ちゃんの母は「読んでいて涙が出た」、「事件を起こそうとする人が、男性の今の償いの気持ちを知ればふと立ち止まるのかな」と語っている。

 医療少年院を出て社会復帰したAをマスコミは追っているだろう。どんな人物か実に興味がある。秘密を守って支えている人々がいるのだろう。この「神戸児童連続殺傷事件」は現代社会の病理を考える上で重要だ。子どもたちの心には悪魔を育てる要素が潜んでいる。凶悪な少年事件が繰り返される。少年法の改正が叫ばれている。少年院行きと死刑台に登る少年の違いはわずかだ。罪を犯す少年たちよ、君らは加害者なのか、病める社会の被害者か。

◇歴史を学ぶことの大切さが今ほど叫ばれているのは稀だ。昨日、ゆうじ君と嶺町のある屋敷を訪ねたら住人がかわってユダヤ人がいた。私がナチスを話すと、この人は「杉原は凄い、感謝です」と言った。杉原千畝。ナチスを逃れるユダヤ人数千人にビザを出して救った。嶺町でユダヤ人に会うとは。(読者に感謝)

☆私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む。

 

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2015年3月22日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第187回

 ところで廃娼運動は、理念を掲げた運動であった。そこでは思想と理論をもって世に訴え、運動を導く指導者を必要とした。森川はその人物として石嶋良三郎の名を挙げ次のように語る。「この運動について没すべからざる功績者は実に上毛青年会の石嶋良三郎氏である。彼がこの問題の中心人物としていかに多くの辛酸をなめたことか。群馬の廃娼の功績はこの人に負うところが多大なのである」

 石嶋良三郎については、全国廃娼大会に於いて群馬を代表して出席し大演説を打ったことを別項で紹介した。

 森川は、最後に当時の日本と群馬県に関して総括して見解を述べる。「明治の初年に於ける日本の気運はすこぶる高潔にして新進なるものであった。陋習を脱せんとする気概に満ちていた」、ゆえに、天下の公娼廃止は数年で全国で実行されると思ったがそうはいかなかった。廃娼令を出したが立ち消えになったところも現れた。しかし、「我が上毛は青年によって持続されたために成功を奏した」、「廃娼問題における日本の先登者たる栄誉を得た上毛はその成功の大半を青年の意気に帰さねばならぬ」と明治の群馬の青年をたたえ、次のように叫んだ。「起()て上毛人、起()って汝の使命を果せ、今日の如く淫靡の醜俗が、我が国を亡ぼそうとするに際し汝の使命のために奮闘することは快心の至りではないか」。私は今日の若者にこの叫びを是非とも伝えたいと思う。

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

 

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2015年3月21日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第186回

  この話を聞いて私は思わずうなづく。社会運動の渦の中には必ず熱心なおばさんがいるものである。私の選挙運動にも常に熱心なボランティアのおばさんがいた。女の情念はすごい。信じてのめり込むと男が及ばない活躍をする。男は人のつながりや社会的利害に気を使い縛られることが多いが女は思い込むと一筋である。神明町のおばさんの姿は廃娼運動が民衆の中に浸透し地に足がついたものであったことを物語る。

 森川の語るところによれば、明治22年の青年会の盛り上がりもその後平坦ではなかった。存娼派は毎年県会に妓楼存置の建議をした。青年会はその防御戦には大変な困難をなめた。初め大変盛り上がったため連合軍は気が緩んだということもあった。また国会開設(明治23年)による政治運動の激化の影響で地方青年会の間にも対立が起こることもあった。このような状況で青年会の勢力も昔日の如くではなくなった。敵の勢力はこの機を利用して盛んになり廃娼取消の県議案が県会を通過したこともあった。青年会有志の残党はわずか10数名になって奮闘した。森川は、この時のことを「今日からみれば、実際慄然たる思いがする」と振り返る。困難な状況下で全てを投げ打って戦った若者が群馬の廃娼を実現させた。その例として森川は、桂萱青年会リーダー木村卯六という人物を取り上げる。桂萱とは私が深く関わっている地域なので、この人の話に胸が高鳴る。木村卯六は、最愛の妻が病危篤の中を運動に東奔西走、遂に妻は死んだ。そして彼自身も疲れて倒れ命をおとしたという。他にも人力車を引いてわずかな金を稼ぎながら廃娼に尽力した者がいた。森川は言う。このような若者たちの苦闘に支えられて明治26年、全県下の娼妓を全廃することが出来たと。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2015年3月20日 (金)

人生意気に感ず「群大病院よ。京大准教授よ。限界の戦い。女の子誕生」

◇群大病院はなぜ8人の命を奪ったのか。歴史的不祥事は、医の世界よお前もかと医に対する信頼失墜の原因に挙げられている。週刊誌では准教授須野瀬豊医師の顔入り記事が大きく報じられた。

 大沢知事は18日の記者会見で語った。「絶対にあってはならない。安全かつ高い水準の医療提供が期待されているだけに誠に遺憾だ」そして、「国や保健所と連携して安全管理の再構築を支援していきたい」と。

 同じ医師の腹腔鏡手術で8人、開腹手術でも10人の死者が出ている。須野瀬准教授個人の責任の重大さはいうまでもないが、多くの過失を途中で止められなかった大学病院の責任は大きい。そこには構造的問題があるのではないか。

 医工連携の中核たる使命をもち、重粒子線治療によってがん対策の拠点でもある群大病院が崩れていく。群馬の魅力を守るためにも再建は急務である。

◇京大准教授が電車内で女性のスカート内を盗撮して逮捕された。この種の事件は、もはやおどろくにはあたらないが、それでも京都大学の准教授と聞くと衝撃を受ける。高い社会的地位など失うものがおおいい筈なのに、なぜ、こんなことをしたのか。報じられるところによれば、工夫した装備を用意していた。この事実は京大の中の極く例外的出来事か、それとも地盤沈下していく日本の大学に共通する何かの象徴か。その「何か」は、群大病院の不祥事とも通じるのか。

◇昨日は、萩原ゆうじのことで限界近くまで頑張った。危機感が追い立てる。雨の中、自民党の広報車の屋上に立って、党の政策、そして、若者の政治離れの現実を訴えた。夜は2つの地域集会と青年部の会議を行った。

 疲労を突き破るため、無意識に意識が高揚して、2つの集会では感情をむきだしにしたことが少し悔やまれる。ゆうじ君は、緊張の度を高めつつも冷静だった。

◇およそ27年前のある光景を口にしてしまった。大集会で妻、娘と共にトラックの舞台で土下座したことだ。選対の方針を断れなかった。「高い所で立ってお願いするのは失礼だから」と妻を説得した。あのようなことは今はない。

◇8時過ぎの青年部の会は救いだった。ニッカポッカの29歳の会長は、最近女の子が生まれたと嬉しそうに語った。「負けられなくなったね。お父さんは頑張ったよと言わなくてはならない」私の言葉にうなずいていた。

 

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2015年3月19日 (木)

「大詰めの選挙戦。議会演説の一節。私の書斎。週刊誌」

 

 ◇実質的には、萩原ゆうじの運動が大詰めの段階を迎えた。私にとって、人生最後の選挙戦。夜、眠れないことがある。内なる感情に任せて大声を発することがある。「選挙」というのは不思議な世界である。ボランティアの集まりであるから様々な個性がぶつかり合う。そこからエネルギーが生まれるか、分裂が生ずるか。 

 過去の自分の選挙を振り返る。私の知らないところで、多くの人が悩み、争い、そして力を合わせたことを、選対本部長を実践する中で知る思いだ。新人なので荒野を開拓する作業に似る。多くの人を動かすには大義が要る。我が大義は志ある若い政治家を生み出し政治の信頼を回復することである。

 

◇私の心の救いはゆうじ君の人柄である。慶応ボーイと見られがちだが、剛直の面があり、決して愚痴を言わない。毎日を共にする中で、静かに絆が深まっている。この絆を支えに、私は時に陣営で生まれる不信感や怒りを乗り越えようと思う。

 

◇3月2日の議会一般質問の冒頭で私が述べた一節を事務所の壁に貼りだした。「混乱と激動の中で議会を去ることには、いささか心残りもあり、また責任も感じますが、私は信頼できる若い後継者にバトンを託すことに致しました。天が意義を認めるならば、私の後継者はこの場で発言の機会を与えられることになると信じております」

 

 事務所の一方の壁には墨痕あざやかな大書がある。「至誠にして動かざるは未だこれ有らざるなり」。我が陣営が高く掲げる旗である。吉田松陰が死を前にして楫取素彦に与えた言葉。普遍の価値は時を超えて現代に生きる。

 

◇書斎の一角に書棚に接したベッドがある。疲れるとゴロリとなり手をのばす。山田風太郎の「人間臨終図巻」、今東光の「極道辻説法」、白土三平の「カムイ外伝」などがある。

 

 漫画が好きだというと、意外な顔をする人がいる。私の人生には、山川惣治の「少年王者」、手塚治虫の「鉄腕アトム」以来、常に漫画があった。私の心は、いつまでも幼稚で若い。私の歩んできた道に、そして、私の心の世界に立ち現れた若者が萩原ゆうじなのだ。

 

◇時に週刊誌に良い記事が。「日本の技術の現場は巨大で精密で夢がある」。週刊新潮。日本の技術の先端を知りわくわく。中国や韓国などめじゃない。地方創生の一つのカギは技術力だ。(読者に感謝)

 

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2015年3月18日 (水)

人生意気に感ず「参院の亡霊。首相の歴史認識。オウムとは」

◇参院に亡霊が現れたように思ってしまう。16日の予算委員会で三原じゅん子は、「八紘一宇(はっこういちう)」を大切な価値観として紹介したいと述べた。太平洋戦争で日本のアジア進出を正当化するために使われた標語。大東亜共栄圏建設の理念を示す言葉だった。アジア諸国から見れば侵略の旗印だ。日本の国会が誤解される一因になりかねない。私たちから見れば歴史を学ばない馬鹿な国会議員の軽率な言動。麻生財務相は、三原の世代がこのような考えを持っていることを「正直驚いた」と答弁の中で述べた。

◇安倍首相の歴史認識に世の中の関心が集まっている。そんな中での首相の発言が世界を意識しているように感じられる。ゼスチャアなのか、本質の表れか興味あるところ。先日はどこかで、「歴史に謙虚になる」との発言が見られたし、今度は、国連大学本部の演説で「日本は先の大戦に対する深い反省の上に・・」と語った。この夏に予定されている「談話」につながる発言に違いない。

◇オウムが起こした地下鉄サリン事件から20年になる。この事件では13人が亡くなった。オウム裁判では13人が死刑判決を受けている。麻原彰晃の2人の娘の発言が伝えられている。

 オウム事件とは何だったのか。サティアン、上九一色村、こんな言葉が連日新聞やテレビに登場した。世間を驚かせたのは、高学歴の多くの若者が深く関わっていることだった。私は彼らにとって学問とは何なのかと思った。そして同時に、「宗教」の凄さを考えた。現在、宗教戦争とも言われる「イスラム国」をめぐる紛争が世界を震撼させている。

◇当時、「アーチャリー」と呼ばせた三女は31歳となり、週刊誌に手記を寄せている。「たまに父が帰ると私たち姉妹は大喜びでお父さんと言って飛びつきました」と振り返る。そこには、世間で普通に見られる父と娘の姿がある。わたしたち「姉妹」とあるが、アーチャリーの妹、麻原の四女は、「父の死刑は絶対に執行されるべきだ」と語っている。分からない。

◇オウムを通して日本人の心、特に若者の心の問題を思う。生きる目的や夢を持てず、砂漠に水が染み込むように若者の心に魔の手が伸びる。多くの若者がイスラム国に向かう現実は何を意味するのか。オウムの若者たちを重ねてしまう。現代の病理は世界に広がっているのか。(読者に感謝)

☆私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む。

 

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2015年3月17日 (火)

人生意気に感ず「山本一太氏。尾身講演会。ゆうじの会。ヤギを殺す少年」

◇山本一太を励ます会(15)。自民党候補が紹介された後、私は引退の花束を受けた。その時のスピーチ。「日本人が元気を失っています。地方創生が叫ばれていますが、心の創生こそ地方創生の第一歩です。私は若い萩原ゆうじにバトンを託して引退します」

 一太さんは例の如く懸河の弁で激しく時局を語った。細い体のどこにエネルギーが隠されているのかと驚く。

◇同日2時、尾身さんの講演会と萩原ゆうじの集会が重なる。尾身さんの所は冒頭で挨拶し、ゆうじ君の会場に走る。尾身幸次さんは中村天風を語る。人間の心には誰にも崇高な力が隠されている。それを引き出すことで人は生命力を得る。尾身さんは官僚の頃、中村天風に会ってこの哲学を知り自らの病を克服し、以来、実践している。この人の超人的行動力を支えるものだ。一度、尾身さんの話を聞いたが説得力がある。私は次のように挨拶した。「尾身先生は私が尊敬する人物です。政界引退後、尾身さんの真の偉さを知りました。尾身さんを支える哲学が天風の教えでした。それは、人間の尊厳を根本に据え、生きる力を生み出そうとするもので、私が取り組んでいる松陰や楫取の知行合一と通じるところがあると信じます」。問屋町公民館を2時10分に出て、関根町公民館に2時30分に着いた。利根川沿いの国体道路は快調に走れた。私が県民マラソンで10キロを走るコース。私のエネルギーも、一太さん、尾身さんと通じるものがあるようだ。

◇関根町公民館には多くの人が集まり、弁士の演説が行われていた、直ちに挨拶し、続いてゆうじ君が挨拶して、すぐに2人で会場を飛び出す。3時には総社神社の直前に着いた。

 春の例大祭である。大のぼりが立てられ、獅子舞が演じられていた。大のぼりは慶応4年につくられたと、獅子舞の会の会長は語った。

 通称明神様と言われるこの神社は少年時代を過ごした懐かしい所。多くの同級生、私の支持者たちが、あったかい春の日差しの中で群れていた。ゆうじ君を紹介して回る。「若くていいねぇ。これからは若い人の時代だね」こんな声が聞こえた。

◇東京の中3がIS処刑シーンに触発され人を殺したいと思いヤギで練習しようとした。ISの影響が子供の心に及んでいる。世界の病理が日本の病理に結び付く恐怖は悪夢のよう。(読者に感謝)

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2015年3月16日 (月)

人生意気に感ず「萩原ゆうじの集会。卒業式はお花畑。史上最悪のサイクロン」

◇14日(土)、第24回のゆうじの集会。毎週土曜日の集会は定着した。毎回、誰かが新しい仲間を連れてくる。継続は力。この日は、大崎茂樹事務長が挨拶した。元・県産業経済部長はゆうじ君を的確に評価して簡潔なよい挨拶をした。

 この日、大崎事務長誕生を私は次のように語った。「朝8時、ゆうじ君と訪問しました。私の胸には、あの壁の言葉がありました」。私が指差すのは、至誠にして動かざるは未だあらざるなり。吉田松陰が楫取に遺した言葉。私は、大崎さんにこの戦いの大義を話した。「皆さん、私たちは、やり甲斐のある戦いに参加しています。日本の危機は若者の政治離れです。30歳のゆうじ君は、この危機に挑戦しているのです」壁には、松陰の言葉と並んで「告示まであと20日」の文字があった。

◇14日、育英短大の卒業式に出た。百花繚乱、袴をつけた女性たちが広がる光景はお花畑のようだ。私は、女性の時代の女性の役割を歴史の観点から語った。

「私は先日、長い県議生活の最後の議会で女性の人権を取り上げました」、こう切り出して、初代県令楫取が公娼廃止に尽くした事を話した。今を盛りと咲き誇るお花畑に悲惨な女性たちの姿は届いたであろうか。

◇史上最悪の超大型サイクロンが南太平洋の島国を直撃し、一つの地域で40人以上が死んだと伝えられている。ニュージーランドのユニセフ関係者は「太平洋史上最悪の一つ」と表現。最大風速は89m。首都ポートビラは「完全に破壊された状態」とも。正にアンビリバボー。地球最後の日を描く映画のシーンのような光景が実現されたのだろう。逆巻く波、呑まれる建物、逃げ惑う人々、阿鼻叫喚の状況は4年前の東北の姿だと思う。今年の夏が心配だ。地球の温暖化が進む。南極の氷が溶け海面が上昇する。サイクロンもハリケーンも、台風も益々大型化する。モルジブなど海面すれすれの国はどうなる。日本も海抜ゼロメートル地帯が広がる。災害は台風だけではない。巨大地震、それに伴う巨大津波、原発等。我々は安全神話にあぐらをかき、心の備えがない。大災害が近づき、人々は享楽にふけると発言したら、非難する人がいた。これこそ「安全神話」の象徴ではないか。(読者に感謝)

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2015年3月15日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第185回

 今日の原発反対とかのデモ行進を想起させる。今日、一般の若者は気力がなく自分のカラに閉じこもり、社会問題に正義心を燃え立たせることはほとんどない。それにしても、明治の時代にあって、このように普通の青年が立ち上がって廃娼に尽くしたことは驚くべきことだ。群馬の廃娼運動が単に一部のインテリ層を代表する議会内の争いではなかったことを物語る。

 青年会は時には一日に3,4回も演説会を開いた。このようにして、全県下はほとんど廃娼の大義に賛成する次第となった。知事は遂に県会と大衝突となり辞職の勧告となり、解散と迄なった。森川はこのように経過を語った。

 森川は当時連合した青年会として次の名を挙げた。

  南甘楽青年会    芳賀青年会

  名和青年会     青年進成会

  宮郷青年会     勢多青年会

  室田青年会     鳥淵青年会

  赤陽青年会     淵川青年会

  桂萱青年会     岩鼻少年会

  生品青年会     新田協同会

  北甘楽青年会    上白井青年会

  大胡青年会     鳥淵学友会

  前橋同窓会     宮城青年会

  多胡青年会     上毛青年会

 森川は青年会の動きの中で面白いエピソードを紹介する。青年会前橋事務所を助けたあるおばさんのことだ。神明町(現在大手町3丁目)の鳥山という家が事務所になっており、この家のおばさんは青年会のおばさんといわれ有名な存在だった。おばさんは熱心な廃娼主義者で、演説会を開き、議員有志を訪問し、ビラ張りや下足番までやり、演壇で絶叫し、時には料理屋の奥から味方議員を奪い返したこともあった。その質素にして堅実な運動振りには敵も味方も感歎したという。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2015年3月14日 (土)

随筆 「甦る楫取素彦」 第184回

5、廃娼当時の群馬青年の意気 (森川抱次)

 森川抱次はかつての明治の県会で、廃娼論をとなえ、楫取県令と力を合わせた人物である。当時、県会の外で青年たちの意気は軒昴たるものがあった。

 森川は青年の奮起を次のように語る。「県会の賛成を当時の県令楫取素彦氏が容るるところとなり明治21年を期して廃止せられるべく決せられた。然るに楫取氏が去って佐藤与三氏が知事として赴任するとこの問題もすこぶる疑わしいことになった。ここに於いて我が上毛の青年は立ち上がった。明治22年7月14日、前橋本町の三眺楼で第一回の旗挙げをし、県下20有余の青年会はたちまち連合軍を形成した。その主動者が前橋の上毛青年会であった」

 以下、森川の目で青年の活躍を見るわけであるが今日の青年と比べるとその違いに驚かされる。即ち青年の動きを次のように描写する。

「新任知事佐藤氏によって発せられた娼妓取締規則の改正は県の精神たる廃娼主義にすこぶる矛盾したものであったため四方から反対の声が起こり上毛青年連合会はその急先鋒として陣頭にあらわれた。(中略)青年連合会は同年11月第2回の示威運動を高崎の春靄館(しゅんあいかん)で開催した。集まった代表者は百十余名に達し、遠くは14、15里を徒歩で至った者もあり、握飯、腰弁当草鞋(わらじ)といういでたちで高崎市中を大旗をおし立て、行列正しく堂々として観音山に至り、野外演説数番を試み、その夜は岸井座にて各会代表者20余名の演説会が開かれ、傍聴者は立錐の余地なき程の盛会であった」

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2015年3月13日 (金)

人生意気に感ず「議会最終日の花束。萩原ゆうじの勢い。原発やめよ。鳩山元首相は」

 

◇昨日は私の人生で特別の日。3月12日は心の記念碑となる。東日本大震災が起きた「3月11日」の翌日ということにも大きな意味を感じる。

 

 県議会最終日は行事がつまった一日だった。朝6時、いつものように走る。東の空に昇り始めた朝日は新鮮な空気と共に私に語りかけているようだ。「よく頑張った。人生の次のステージが始まるぞ」と。

 

◇7時半、自民党の朝食会で、引退の挨拶をし、その中で「皆さんの当選を祈ります。私も若い後継者にバトンをしっかりと渡します」と述べた。その時間、富士見あたりを回っている筈の萩原ゆうじ君の姿を思いうかべながら。この会で花束を贈られ感動。手渡す人は紅一点の桂川孝子さん。その笑顔も私に贈られる花であった。

 

◇南波選対部長から直近の調査状況をそっと知らされた。萩原ゆうじが上昇した。新人の当選が幻でないことを物語る一箇の資料。霧の中から萩原ゆうじの姿がうっすらと現れてきた。

 

◇本会議終了後の午後1時半、議会棟203号室でドキュメンタリー映画「楫取素彦物語・生涯の至誠」の上映会が行われた。県会議員の他多くの執行部が参加。執行部の面々は、知事、両副知事、各部長等、それに吉野教育長の姿もあった。

 

 冒頭、須藤議長と私が挨拶。私は語った。「手作りの、地元群馬からの発信です。至誠の意味を伝えたいと思います」

 

 皆、真剣に受け止めてくれた。私が登場する場面では静かなどよめきがわいた。終わった後、「涙が出ました」という声を聞いて嬉しかった。

 

 萩では4月8日から一か月上映、ヒューストンには既に出典、結果が間もなく分かる。

 

◇衝撃の情報が2つある。原発に関することと鳩山元首相の行動だ。原子力規制委員会の田中委員長は、「事故の教訓を忘れつつある風潮がある。事故の教訓に学ばないのなら原子力はやめた方がいい」渦中の人の勇気ある発言を未だ終息せぬ惨状に重ね合わせた。

 

◇鳩山元首相のクリミア訪問とその言動はロシアの侵略を支援するようにとられ、日本の国益を損なうものだ。金の力を背景にした最低の元首相の余りに軽率な行動。実弟の鳩山邦夫元総務相は「本物の宇宙人になった。日本人ではなくなった」と兄を酷評。この日県議会の仲間でも話題に。現民主党にも影響か。(読者に感謝)

 

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2015年3月12日 (木)

人生意気に感ず「議会最終日の感慨。菅野元県議のこと。古書を買う」

 

 ◇今日は議会最後の日。実質的には私の議員生活の終点でも。7期が終わる。先日、小学校の同級生で村議の経験をもつY君が「淋しいだろう。俺も淋しかった」と言った。笑って頷いておいたが、淋しさはない。むしろ次の世界を前にしたわくわく感がある。今は「引き際」を充実感をもって飾る実感がある。 

 振り返れば様々なことが甦り感慨深いものがある。2日の一般質問冒頭では7期の思いを語ることが出来た。今議会で楫取を語れたことは私の県議生活の終章を記述するにふさわしかった。NHKの「大河」は私の上空を過ぎる幻のようなものだ。私の楫取は幻ではない。

 

 今朝7時半、自民党県議団の朝食会で私は長い県議生活を送れたことにつき感謝の弁を述べる。議会終了後、1時半より、ドキュメンタリー映画「楫取素彦物語―生涯の至誠」の上映会が行われる。この映画は1月18日、萩市でも試写会を行った。アメリカ・ヒューストンの映画祭にも既に出典。その評価は今月半ば、間もなく出る。産経紙上で連載が始まった楫取の小説は私の思いを想像で練り上げるものだ。毎週、火水木に載せ約1年近く続くだろう。

 

◇私の議員生活中の「最大のドラマ」は激戦地前橋における選挙戦だった。菅野元県議との攻防は忘れ難い。彼の情熱と志を今は評価し懐かしく思う。先日、県庁で県職員のお嬢さんが私に近づいてきた。菅野さんの純粋さが現れているような綺麗な笑顔に感動し思わず「お父さんによろしく」と言った。

 

◇最大のドラマ中の最期のドラマは、萩原ゆうじの当選である。ここに至ってようやく大きな歯車が回転を始めた。ニッカー・ボッカーの若者が先頭に立つ青年部が出来た。事務所の壁には、松陰の「至誠にして動かざるは未だあらざるなり」が張られている。私は、この言葉を実践して選挙事務長の就任を交渉した。朝8、ゆうじ君と鼻毛石のお宅を訪ね、この戦の大義を説いた。長い付き合いの元県部長は快諾してくれた。彼のお母さんは私の小学校時代の恩師である。

 

◇今、県庁ホールで古書の販売が行われている。面白いものを見つけて買った。「かわら版」4冊。そのⅡは「黒船来航から」。その中に安政大地震がある。業火の中を逃げ惑う江戸の人々が描かれている。安政2年(1855)のこと。前年に日米和親条約が。松陰の処刑は4年後。松陰30歳、楫取は31歳であった。(読者に感謝)

 

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2015年3月11日 (水)

人生意気に感ず「4年前のあの大災害。ゆうじ君に歴史を語る。中国の環境汚染」

◇4年前の3月11日の出来事は私の脳裏に生涯にわたり刻まれることになった。私は午後2時過ぎ小坂子町公民館でただならぬ轟音を聞いた。不気味な音は灰色の空の下で天地を揺するように長く続いた。前日、この公民館で県議選の事務所開きが行われた。数年前に出来た公民館は我が陣営の砦。怪音を伴った激震は砦を襲い戦いの行く手に言い知れぬ不安を抱かせた。

◇パニックに陥った私たちに次々と事実が伝わってきた。M9.0の最大級の巨大地震。続いて襲った津波はあらゆるものを呑みこんで内陸に押し寄せる。信じ難い光景を前に、私は文明も科学も大自然の前ではいかに非力であるかを知った。あれから4年、大災害の爪痕は原発事故の未終息と共に今でも生々しい。私たちは何を学んだのか。

◇4年前、選挙と共に始まった大地震を今回、新たな選挙事務所で振り返る。3月11日、新たな砦は国道17号沿いに立つ。30歳の砦の主は選挙の激震を乗り切ろうとしている。

◇私は萩原ゆうじ君と同道しながら時々歴史を語る。幕末の安政年間(1854~1859)は政治社会の面でも自然界でも大変なことが起きた。黒船の来航、巨大地震、安政の大獄など。吉田松陰が30歳で処刑されたのは安政6年(1859)である。

 政治の混乱と大地震は古来よく重なった。そして、昔の人は地震を天罰と考えた。安政年間、幕末の失政を天が咎めるように大地震が起きた。安政元年(1854)、12月23日と24日、安政東海地震と安政南海地震という巨大地震が続いた。

 これはペリーの黒船が和親条約を結んで去った後のことであった。今日の状況と似ているではないか。4年前の巨大地震を天罰だと言った人がある。「天罰」は続くのか。次の大地震が近づいている。

◇中国の環境汚染は凄まじい。国民の苦痛も限界に近づいているのではないか。PM2・5の汚染実態などを告発した自主制作のドキュメンタリー作品がネット上で数億回再生され、汚染を放置した地方政府への抗議デモが起きるなど国民の不満が急増しつつある。中国の人々にとって将来、原発が重大な環境問題として立ち現れることだろう。

◇産経新聞の連載小説が初めたばかりなのに時々休みとなる。読者から電話がくる。大きな記事のため紙面のスペースが不足するからである。私の筆の遅れが原因ではない。(読者に感謝)

 

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2015年3月10日 (火)

人生意気に感ず「メルケルが来る。ドイツへの親しみ。シーボルト、ベルツ」

◇メルケルが来る。最近亡くなったワイツゼッカー大統領のことと共に注目してきた。日本と共に徹底的に破れたドイツ。日本は人類史上初の原爆被爆国。ドイツは数百万人のユダヤ人を虐殺し国は東西に分割された。日独同盟、Uボート、Ⅴ2号ロケット、ロンメル将軍など、少年時代、私はドイツには大きな関心を抱いた。クルトユンゲンスとロバートミッチャムが共演する映画・「眼下の敵」は、東大時代、友人と三軒茶屋の映画館で観て以来、何度見ても胸が熱くなる。

 ワイツゼッカーは戦争の責任を語り、歴史に目をつむる者は現実に盲目となると語った。安倍首相の歴史認識に世界の注目が集まる。日本人は歴史を学ばない。学校で科目としては教えているが、受験科目として教えているので子供たちの心に根付いていないのだ。そんな思いで、私は「楫取素彦読本」を書いた。小著ながら時代の風の中で善戦している。この小著に想像力を加味して小説を書き始めた。産経、群馬版で火・水・木の3日間、長く続けることになる。産経には恥をかかせない覚悟。

◇さて、よこ道それたがメルケルに。メルケル首相は、「我々は日本と価値観を共有している」と語る。福島第一原発事故の映像を見て原発停止を即断した。静かな風貌の鉄の女。背後にゲンマン民族の歴史を感じる。メルケルとは。牧師の父の下で育った、理系の学者。かつてのサッチャー以上に親しみと存在感を覚えるのは70年前に共に戦って敗れた歴史の故か。

 江戸時代、長崎で日本の医学に大きな影響を与えたシーボルト、明治の伊香保温泉で楫取と歩いたベルツ、共にドイツ人である。日本は医学や法学でドイツから多くのことを学んだ。平和と文化の心の同盟が生まれればいい。原発をやめるドイツ、日本が廃止の方向を示せば、ドイツと新しい絆が生まれる。原発につき日本は目先の利益を重視し過ぎる。メルケルが日本で何を語るか注もしたい。

◇昨日は人口減対策特別委員会の日。私は政府が、首都圏の私立大に入る学生を抑制しようとする動きを取り上げた。対応して若者が群馬の大学に入る受け皿を作らなければならない。中学生も県外の高校に進む者が多い。群馬で学ぶ若者が定着することは人口減につながる。私が、先日、県議会で訴えた教育県群馬も人口減対策の一環に資すると信じる。若者の勇気を育てる教育県を築きたいものだ。

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2015年3月 9日 (月)

人生意気に感ず「萩原ゆうじのこと。お尻から回虫の昔。子に泥棒を」

◇7日は、23回目の小集会。萩原ゆうじ事務所は国道17号沿いにある。毎週、土曜の2時に開いてきた。前橋が海のように広く感じられる。新人の知名度は大海に漕ぎ出す小舟のようだ。30歳の若者に後悔はないか。私はこんな思いでチラと横顔を見ることがあった。口数の少ないゆうじ君は唇を結んで動揺を見せたことがない。彼を連れまわす私の胸には、民主主義の原点を体験させている思いがある。

◇萩原ゆうじ事務所に最近、書道家の文字が貼られた。「至誠にして動かざるはいまだこれあらざるなり」と。時に、不信、憎しみ、誤解、対立などが渦巻く世界である。そんな中で信じ合うことの大切さを感じる。土曜ごとに訴える私の心中を察して、時々出席する書道家は松陰の言葉を大書してくれた。現在のゆうじ君と同じ30歳で世を去った松陰は、死の直前、この言葉を楫取に遺した。対人関係の難しさと人に接する心構えのポイントは時を超えて変わらない。松陰と楫取が「ゆうじ頑張れ」と、この書は声援を送る。

 慶応出のゆうじ君は、東京の職場で、かつて、私の「上州の山河と共に」を読んで政治家を志したという。この書は煥乎堂から出され多くの人に読まれた。戦後の混乱期、旧宮城村の奥地から裸足で鼻毛石の小学校へ通った少年時代、商売をしながら夜学で学び大学へ、そして政治家へと、私の半生を綴った自叙伝である。この書を読んだ若者が私の後継を名乗って現れたことは何とも不思議な巡り合わせに思える。

◇先日、旧宮城村の小学生の同級生18人程をゆうじ君に合わせた。前の席の女の子の頭に動く白いシラミ、授業中にお尻から回虫が出た話など私は愉快に語ったが、ゆうじ君は、あの自叙伝の世界にタイムスリップした思いであったに違いない。今日、夜、伊香保で、この人たちを含め同窓会を行う。69人位参加する。一人一人が人生の物語を抱いて参加する。楽しみだ。

◇孟母三遷の教えは神話となったか。親が子に泥棒を行わせたニュースに驚く。大阪の出来事である。父親は14歳の長男、12歳の次男、9歳の長女に釣り具を盗ませた。繰り返していたらしい。14歳は刑事責任を問われる。子どもたちはどんな人間に成長するか。ごく例外的な事件なのか。社会の倫理感が喪失している象徴か。(読者に感謝)

☆私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む。

 

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2015年3月 8日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第183回

4、当時の追懐 (湯浅治郎)

 湯浅治郎は廃娼運動で重要な役割を果した中心人物である。この人が当時を振り返って語ることは渦中の当事者の証言として興味深い。「数十ヵ所の楼主や数百人のごろつき連中が県会に押寄せた。自分は藤屋旅館の二階に居た。彼らは私を取りかこみ種々な乱暴な挙動をもって威嚇した」、「私に迫る者共で、前から来る者は、頭を下げ歎願する態度に出るが、後ろの連中は、なぐれ、やっつけろ、殺せとおどす。そこで、お前たちは、前から頼むのが本当か、後ろから言っているのが本当かと尋ねた」、と当時の状況を語る。

 そして、廃娼が実現した要素を2つ挙げた。「我等の主張がいかに正義人道にかなっても知事の如何によってはどうなったか分からない。幸にも楫取素彦氏だったから採用されることになった。また、女郎屋連中の乱暴がかえって廃娼を成就させた。彼らの乱暴がかえって同志を激励する結果となった」

 また湯浅は、次のように述懐する

「何事も唱えるのは易しく、終わりまでやるのは難しい。われわれは唯その端を開いたに過ぎない。今日迄、幾多の波瀾、曲折があって、これに直接対戦奮闘した人々こそ、功が深い。だから今日の名誉を荷うべきだ」

 廃娼運動が激化していた明治15年ごろといえば社会の進歩の程度、治安の状況など今日とは比較にならない。幕末の騒乱の余韻醒めず「難治」の県の状況はそのままに執拗に続いていた。だから政治家の身には危険がつきまとい、廃娼問題のように世論を二分する課題に対しては命がけで臨まなければならなかった。湯浅が、楫取でなかったら実現できなかったと語るところが胸に迫る。恐らく、楫取が廃娼の建議を受入れたことにも大きな困難がともなったに違いない。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2015年3月 7日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第182回

 島田三郎は全国唯一の廃娼県の実現は「光栄ある歴史」であり、「群馬県民の誇り」だから全国に広げ、東洋君子国の名と実を挙げろと叫んでいる。現在の群馬はどうか。知名度は最下位の部にランクされ、何等特色のない県とみられている。これは先人が築いた歴史の遺産を受け継いでいないことを意味し、現在のみに目を向けて刹那的に生きていることに他ならない。歴史に学ぶこと、そして先人の業績を尊重することは。この刹那主義を否定することだ。また別の言い方をすれば楫取が播いた種を尊重することを意味する。

3、廃娼後の群馬県民に望む (廊清会理事油谷治郎七)

 この人は先ず、次のように外国体験から語り出した。「外国にいる間最もいやで堪えられなかったのは、日本は売淫国だという名称である。世界中どこへ行っても、都の一番目抜きの場所に公の目立つ建築をもっている売淫婦はない。いかなる国にも日本のように血を売りつつも、税を払っている故をもって議員などに選ばれている国はない」と。「都の目抜きに」とは吉原遊廓などを指し、「血を売って、」とは、女に売春をさせながら遊廓の主が選挙によって議員に選ばれている実態を指す。

 油谷は、世界中どこに行っても日本の売淫婦が横行し醜態をつくしていると嘆き、しかるに、群馬県は世界に率先して廃娼を断行したと称えた。そして、群馬県に望むこととして、廃娼の精神を徹底せよという。それは個々の国民の心に純潔を植えつけることだ、日本は社会的風紀の病根に鋒先を向け売淫国などという不名誉を一掃しなければならないと主張し、「群馬県は日本に於ける社会病の研究所である。本県の実績いかんは直ちに日本がこの問題に鋭いか鈍いかの基準となるから県民の責任はすこぶる重大である」と訴えた。

「社会病の研究所」という指摘には深い意味がある。廃娼を実行した唯一の先進県なので、その成否をめぐり、様々な問題が生じたのだ。欲望と矛盾が渦巻く現実の社会、その中で一つの理想を実現しようとしたのが群馬であった。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2015年3月 6日 (金)

人生意気に感ず「警察の反省。群大病院は。花束を贈られる」

◇昨日は警察関係の委員会。県警本部長は冒頭の挨拶で最近の不祥事を深く詫びた。警察官の10歳の女児誘拐未遂事件である。未成年者を誘拐する行為は重大な犯罪。しかも24歳の警察官が「パパが交通事故に遭って病院に運ばれたすぐに来て」とうそを言って誘い出そうとした。「かわいかったので仲良くなりたかった」と供述。若い警察官はどこまでやろうとしたのか。社会に衝撃を与え警察への信頼を失墜させる事件であった。NHKが質問の様子を取材すると言っていたが直前になって取材対象をかえた。彼らにとって、よりニュースバリュのある群大の医療過誤である。

◇私は警察学校に於ける教育の在り方などにつき発言し、昨年、警察学校で「楫取素彦と吉田松陰」と題した講演を行ったことを例に出し道徳教育の重要性を説き、警察官はサムライであるべきだと述べた。

◇警察官の不祥事以上に衝撃的なのは群大病院の医療過誤である。群大病院は警察と並んで県民の生命と健康を守る砦だ。そこで何かが起き砦が崩壊しようとしている。

 腹腔鏡手術の8人の患者が死んだ。同一医師によるもので、病院の報告書は「全てに過失があった」と認めた。報告の内容は驚くべきもので、癌と診断して手術したが癌ではなかった、縫合がうまくいかなかった、動脈を損傷した、等。

 一人の医師が重大な過失を重ねることを病院側はなぜ防げなかったのか。人間の身体が物体として扱われているようだ。医師の倫理感が問われている。過失と死亡の間に因果関係が認められれば、医師は業務上過失致死罪に問われることになる。重粒子線による癌治療施設を備え、大きな存在感を示した群大病院には自らに大手術を施して立ち上がるべき社会的責任がある。県が目指す「医工連携」にも影響が及ぶかもしれない。

◇夜、教育委員会関係者と所属議員とで行政意見交換会が行われた。昼間の会議で出た課題を食事をしながら語り合うことには意義があった。

 私と塚原議員、総合教育センター長の宮内伸明さんは、引退を祝して花束を贈られた。改めて27年近い歩みを振り返った。道徳の教科書にもなる偉人伝の1頁に楫取素彦が登場することもこの会で分かった。「また、遊びに来ますよ」「是非とも」会話が楽しかった。(読者に感謝)

 

☆私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む。

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2015年3月 5日 (木)

人生意気に感ず「品格ある教育県を。明子ちゃん事件。警官の不祥事。萩原ゆうじ」

 

◇昨日は教育委員会関係の常任委員会。ここでも私は最後の質問に立った。県議生活で教育には特に力を入れてきた思いがある。「本会議でも触れましたが、かつて、教育の盛んな様子を指して西の岡山、東の群馬と言われました。品格のある教育県群馬を作って下さい」。私はこう切り出した。この委員会で長いこと発言してきたことが胸に甦る。群馬の教育は進歩しているのか。教育委員会の努力も空振りしているように思えてならない。それは教育行政にしっかりした根がないからではないか。

 

「品格ある教育県とは、有名校への進学率ではありません。心に誇りを持てる人づくりの教育です。道徳が教科になります。道徳が空振りにならないためには、尊敬すべき郷土の偉人に学ぶことが大切です」私はここで楫取県令に触れ、萩市の明倫小で楫取の講演をした時のことを語った。「歴史を背景にしている所では子どもたちは違います」品格ある教育県とは歴史を背景にしたものだと言いたかった。

 

◇もう一つ、明子ちゃん事件に触れた。私がこの議会で取り上げてきた新里小の6年生の女の子がいじめで自殺した事件。最近訴訟が和解という形で決着した。「訴訟で白黒がついても、この問題が真に解決したこととは全く違います。悲劇を繰り返さないように、訴訟の決着を契機にしっかりと検証し対策に生かさねばなりません」。いじめの撲滅も品格ある教育県が基盤になって初めて実現すると信じる。

 

◇今日は、警察関係の委員会。警察官の不祥事を取り上げるつもりだ。社会の深淵が黒い口を開けている。そこに人々が落ち込むのを防ぐ役目が警察官なのに。不祥事は社会を守る砦の一角が崩れた感を抱かせる。信頼を回復するためには何が必要か。県民に説明責任を果たせ。警察官の教育に問題点はないか。私は、群馬の警察がサムライの姿を取り戻して欲しいと願って最後の質問をする。

 

◇昨夜、萩原ゆうじの選対会議を開いた。秒読みの段階となった。私の後継者は私のバトンを受け取ることが出来るか。30歳の爽やかな新人は勇気と志が売りである。若者の政治離れは日本の危機を物語る。いろいろな所からお呼びがかかることが増えている。新風が起きる予感がする。ゆうじ君の登場は県民に新たな勇気を与えるきっかけになるだろう。(読者に感謝)

 

☆私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む。

 

 

 

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2015年3月 4日 (水)

人生意気に感ず「屑糸工場と楫取。百歳に近い人から。大川小をのこせ」

◇昨日午後新町公民館で楫取の講演を行った。ここでは初代県令楫取素彦の功績に関して新町屑糸紡績所に触れた。この紡績所は富岡製糸所に続く官営模範工場であり明治政府の殖産興業政策の柱を成すものであった。

 講演では次のような時代の推移を示した。日米通商条約、横浜開港、上州の生糸の流れ、日本で最初の器械製糸所(前橋に)、富岡製糸所(明治5年)、楫取の赴任(明治9年)、新町屑糸紡績所(明治10年)。

◇屑糸はそれまで生糸に出来ない廃物的なものと扱われ外国に安く輸出されていた。ところが外国の技術はこれを立派な生糸にすることを可能にしていた。この目的で作られたのが新町屑糸紡績所で、政府の力の入れようは大変であった。

 明治10年10月の開所式には大久保利通、大隈重信、伊藤博文などの高官が出席し、県令楫取は祝辞を述べた。翌11年には明治天皇が行幸され、作業を実際検分し所員を激励した。

 公民館では80人を超える人々が熱心に耳を傾けた。私は前日の県会のことも語った。「私の県議生活最後の舞台でした。楫取の教育の面に於ける功績には極めて今日的意味があります。今の日本人は自分の欲ばかり求めています。日本人の心が貧しくなっております」こう言った時、頷く人々の姿があった。「ですから、道徳教育の面で、もっと楫取を生かせと教育長に迫ったのです」「その通り」とつぶやく声が聞こえた。

◇私の一般質問に多くの人から電話が寄せられた。その中に100歳に近い生方大六さんの元気な声があった。声は内面から生み出されてその人の真実を伝える。電話は姿が見えない分、声の重みがストレートに伝わる。若くて力強いのだ。私は74歳。これからだという感を抱いた。目標にして頑張りたい。

◇2日の議会質問で新潟県刈羽の原発の危険と群馬の地震対策につき危機管理官に質問したが時間が足りなかった。「3・11」が風化しつつある。最大の教訓として生かさねばならないのに。

「大川小・残すか解体か」という事が問題となっている。船越小は裏山に登って全員助かった。大川小は50分児童を校庭にとどめ裏山に登らず84名が犠牲に。対照側は最大の教訓を突きつける。被災した校舎を震災遺構として保存するか否か。歴史の証人として保存すべきだ。(読者に感謝)

☆私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む。

 

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2015年3月 3日 (火)

人生意気に感ず「私の最期の登壇、楫取を語る。映画の上映。新聞小説始まる」

◇昨日は私の議員生活の最後の舞台に立った。一般質問の最後で持ち時間は65分。質問の前に次のような所信を述べた。「私は今期で県議会を去ります。7期、お世話になりました。振り返れば様々なことが甦り、誠に感慨深いものがあります。激変と混乱が続く社会で県政の課題は限りなく多く、県議会の役割は増々重要となっております。このような時議会を去ることに心残りもありまた、責任も感じますが、私は信頼できる若い後継者にバトンを託すことに致しました。天がその意義を認めるなら私の後継者は、この壇上で発言する機会を与えられると信じます」、この時、正面の傍聴席に視線を投げるとその後継者萩原ゆうじ君の姿があった。私は、「うん」と、心で頷いて続けた。「この度、議員生活の最後の舞台を与えられたことに感謝申し上げると同時に長いこと私を支えてくれた多くの方々に心から御礼申し上げます」、この時、私の胸には激戦地前橋の選挙の光景が描かれていた。再び傍聴席に目をやると一緒に戦った同志の姿があった。「質問の前提として、今日の時代状況に関する私の認識を申し上げます。私たちは、時代の大転換点に立っています。人口減少社会に突入し、高齢化が進み、大災害が近づき、国際情勢はテロを初めとして深刻の度を高めております。正に内憂外患です。私が最も懸念することは日本人の心の問題です。物が豊になると心は逆に貧しくなるのでしょうか。人々は自分中心になって享楽にふけり勇気と自信を失っております。これこそ日本の危機であり、同時に、私たち地方社会の危機です。私たちの社会は大海を漂う船に似ています。しっかりとした羅針盤がなく沈没の不安に駆られているからです。迷った時は原点に戻れと言われます。今こそ、時代の原点を見詰める必要があります。それは歴史に学ぶことです。私は、近代群馬の基礎を築いた初代県令楫取素彦を取り上げたいと思います」。少し長いが、私の記念すべき演説なので敢えてここに記した。ノー原稿で発言する私の様子はGTVで生放送された。

 楫取を如何に生かすかにつき、知事、教育長、生活文化部長に質問した。知事には平成24年の5月議会で初めて楫取につき質した。会場の議員諸氏は熱心に耳を傾けてくれた。今月12日、全議員に呼びかけて映画・「楫取素彦」の上映会を行う。産経の連載は今日から。(読者に感謝)

☆私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む。

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2015年3月 2日 (月)

人生意気に感ず「青年部なる。出陣式。18歳の狂気とは」

◇2月が終わる日、28日の夕刻、遂に萩原ゆうじの青年部が出来た。30歳前後の若者が多数集まった。青年部が遅れていた理由は代表者が決まらなかったから。「待てない」という気持ちから先ず若者たちの参加を求めた。会場には「至誠にして動かざるはいまだこれ有らざるなり」が大書されていた。私の頭にイメージする若者がいた。会が始まろうとしていた。じっと念じる私を衝き動かしたのは、吉田松陰のこの言葉だった。私はゆうじ君と共にY君に近づきひざ詰め談判に及んだ。 「代表を引き受けてくれないか。迷惑はかけない。若い力で新しい時代を切り開くんだ。この言葉を楫取素彦に遺して死んだ吉田松陰は30歳だった。君もゆうじ君も30歳。歴史的な勝負になる。君の勇気が必要なんだ」  Y君は私の目をじっと見つめて静かにうなづいた。私はY君の手を握りしめた。青年部が出来た瞬間であった。私はその夜、寝つけぬ程の興奮に浸っていた。 ◇3月1日、ロイヤルホテルの会場は人々で埋まり熱気にあふれていた。県議選、自民党候補の出陣式である。私は最前列の指定席に座っていた。公認候補が呼ばれて、次々と「はい」とこたえて檀上に並んだ。「萩原ゆうじさん」、「はい」若い声が響いた。幾度となく私自身が経験した光景であった。いろいろな思いが甦る。  中曽根弘文さんが言った。「次第にはありませんが、中村先生が勇退されます。ご苦労さまでした」と。私は檀上に上がり、会場に頭を下げた。さわやかな感慨が胸に流れた。 ◇中1の上村君殺害の事件は世に強い衝撃を与えている。少年法改正の声も強くなっている。リーダー格の18歳の少年は仲間を恐怖で支配していたらしい。体験者が語る。「意識を失う程殴られた」、「酒を飲むと限度がなくなる」、「標的にされたらおしまいです」  支配者の心理が18歳の少年を暴走させたのか。このような狂気の種は少年の心に共通にあるのかも知れない。世の中が大騒ぎするのは同種の事件が再発する危険があるからだ。  人間ほど残虐な動物はいない。心の奥に棲む狂気を抑えるものは社会の規範であり倫理だ。社会の病理がそれを弱めている。18歳の少年は今、後悔しているだろう。なぜ事前に心のブレーキが利かなかったのか。推移を見たい。(読者に感謝) ☆私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む。

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2015年3月 1日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第181回

この開会の辞は今日の社会にも正に通用するものと思う。今日、物質文明は極度に隆盛となっているが、逆に精神文明は貧しくなっているからだ。更に注目すべきことは、廃娼の実施は人権の尊重の上で本質的に重要なことであり、精神文明の核心につながることだ。そして、この大会が行われたのは明治憲法下のことであるが、今日の日本国憲法では、人権の尊重を最高の価値に据えている。従って現在、群馬の廃娼は一層高く評価されるべきにもかかわらず、忘れ去られている。従って、この開会の辞が突きつけるものを私たちは真摯に受け止めなくてはならない。このような視点からみるとき、以下の諸氏の発言の意味がより新鮮に私たちの胸に響く。

2、廊清会会長の祝辞 (島田三郎)

 次は廊清会会長島田三郎の祝辞の要点である。「これ迄に公娼廃止を実行した県が一、ニあるが持続したところは群馬県のみである。群馬県に於いては有志の士がはやくに公娼制が野蛮の遺制で社会人心を毒すること大であることを見抜き、奮然と立って廃止を提唱し、それが県民の世論となり県会の議決となり、ついに汚濁なるこの制度を打破し、非公娼主義の急先鋒となり、現に全国唯一の廃娼県として実績を挙げ、範を内外に示しつつあるは、眞に群馬県民の誇りであると共に私が最も心に感じる事実であって、私の平生の主張が決して空論でないことを実証して余りあるものである。今や、公娼廃止を断行してより満20年の春秋を経過し、本日一大祝会を開きこの光栄ある歴史を紹介せんとする。ここに満腔の熱誠をもってこれを祝しあわせて群馬県諸士が唯これをもって全てをやり終えたと満足することなく更に進めてこの主義主張を全国に貫徹せしめ、恥ずべく忌()むべきこの悪制度を掃とうし、東洋君子国の名実を全うすることを嘱望して止まない」

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

 

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