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2015年2月15日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第177回

草刈の動きは誠に急であった。明治31年11月18日付で存娼令を公布したのだ。着任以来3ヶ月余りの早業(はやわざ)で議会と世論の無視もいいところだ。

「貸座敷営業地を左の場所に指定す」として、前橋市、高崎町、一ノ宮町、桐生町、館林町、沼田町の、それぞれ一定地区を示した。

 これに対し県下の世論は沸騰し、知事を非難する動きが急になった。注目すべきことは、新聞各紙が世論に訴えて知事を攻撃したこと。特に毎日新聞は社長島田三郎自ら筆を執ってこの問題を取り上げた。島田は「群馬の魔風」と題して特別の記事を連載した。

新聞報道から窺えるものはこんな知事もいたのかという驚きである。草刈は仙台市出身で自由党員として活躍した。当時の政党は多額の資金を必要としたが、それを支える制度がなかった。これが収賄に手を出す一因だったと思われる。

 草刈の官邸は自由党壮士の巣窟と化し飲む食うで大変な状況であったらしい。商人たちは金を払ってもらえず前代未聞の貧ぼう知事と噂し、催促する者門前市をなしたと言われる。

 妻を殴るなどで妻は実家に帰り、県庁では部下と対立し大混乱となった。県会の混乱、県世論の激しい反対、このような群馬の動きは全国から注目された。内務省は係官を派遣して調査させ、その結果知事を罷免した。佐藤与三に次いで2人目の知事の免官であった。次の古荘知事は、草刈が出した公娼設置の県令を取り消した。楫取が播いた廃娼の種は、根を下ろし、維持されたのである。

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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