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2015年2月14日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第176回

 ◇草刈親明知事事件

 これで全て落着かと思われたが存娼派の抵抗はまだ止まなかった。

存娼論は執念深い蛇のように息の根を止められたと思うと息を吹き返す。その命の源は社会の底流にあって、時に死に体の大蛇に妙薬を提供するかのようだ。

最後のあがきともいうべき動きを斉藤は記述する。

 明治31年元衆院議員中江篤助①が鍋屋旅館に滞在し草刈親明知事の官舎に出入りしていた。目的は娼妓貸座敷業の再興運動だった。同年11月、斉藤は大阪で陸軍大演習を参観し次いで神戸港の観艦式に出た。その夜のこと、神戸の宿に前橋から電報が届く。「チジユウカクヲユルシタ」。知事が遊廓を許したとは何としたことか。

 驚いた斉藤は直ちに行動を起こした。夜行で東京に向かい翌日午後、星享②の事務所に着く。電報を見て星は言った。

「群馬の廃娼は歴史のあることだから、軽率に許可すべきものではない。末松謙澄③に相談すべきだ。君も同行せよ」

 馬車で末松邸に随行。星と末松は協議し、群馬県は前に斉藤与三知事の失策があってようやく鎮定したのに又紛議を起こすのは許されない、速やかに処分すべきだと決断した。

草刈知事の着任は明治31年7月28日であった。草刈は公娼設置の意思をもつことを公言したため、根強く存在していた公娼派を刺激し娼妓営業者らの猛烈な巻き返し運動が起きた。草刈を助けた人の中に、高名な民権論者の中江兆民や板垣退助④がいたことは、この問題が一筋縄でいかないことを物語る。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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