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2014年9月15日 (月)

随筆「甦る楫取素彦」125回

◇娼妓貸座敷賦金の建議
ま まず、この議会で、廃娼問題の序曲として娼妓貸座敷賦金について興味ある建議が出された(明治12年5月6日)
政政府から県に布達があった。「娼妓貸座敷賦金は地方税に属さないが各県で適宜徴収して支出すべきである」と。賦金とは、強制的に取りたてる金。貸座敷とは実質売春業のことである。この建議は、賦金が地方税に属さない点を問題にした。
即 即ち「賦金を地方税として扱わない理由として、娼妓は醜業なので、他の人民と同一視できないから税の名をつけないのだという。
し しかし、醜業であっても同じ人民である。名義を異にしても、実質は地方税に外ならない。だから、断然、地方税に組み込んで、目下の過重な課税を補助し、人民の負担をいく分でも救済したい」と主張した。娼婦も同じ人民、税として扱い、人民の課税の負担を軽くせよと訴えている。初期県会議員からの発言から、明治人の気概と見識が伝わってくる。「醜業であっても同じ人民」という発言に人間の平等、つまり人権思想の萌芽が感じられる。
貸 貸座敷業について。明治政府は明治5年、太政布告第295号で娼妓解放を宣言した。それは娼妓を契約で拘束するからだと解し、ならば、楼主は座敷を貸し、娼妓は自らの意志で営業するという形をとることになった。
これが「貸座敷業」の由来である。この姑息な小細工を逆にうまく利用したのがモルフィが始めた自由廃業運動だった。娼妓は営業主だから廃業は自由と言う理屈である。この理論は裁判所を動かし廃娼の新たな流れを作り出す。後述する。

※土日祝日は、中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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