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2014年8月31日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第120回

明治政府は、「府県会規則」を制定して全国府県の選挙と議会開設を実施した。制限的とはいえ正に画期的なことであった。
群馬県会の最初は明治12年でこれは全国共通だった(群馬県会はこの年5月12日に開会)。政府はこれに先だち、明治11年、府県会規則を発布した。これは、中央集権国家の構造体の一部をなすが民主主義への小さな一歩でもあった。興味をそそられる要点を挙げる。
「府県会規則」
○正副議長は議員中より公選し県令はこれを認可し内務卿に報告する。正副議長議員は俸給なし。但、会期中日当と旅費を給す。(第11条)(俸給なしは、地租10円以上納める有産階級から立候補した人たちだから当然だろう。正副議長を議員から選ぶのは今日も同じだが県令が認可し中央政府に報告する点は、正に中央集権の現われ。中央地方は上下の関係であり知事と県会も今日と違って対等ではなかった)。
○議員は充分討論の権を有す。しかし、人身上の褒貶(ほうへん)毀誉(きよ)に渉ることを得ず。(第29条)。(褒貶はほめるけなす。毀誉はそしる、ほめる。現在は地方自治法で無礼の言を用い他人の私生活にわたる言論をしてはならないと定める―同法一三二条。ほぼ同様の趣旨といえる)
○会議中、国の安寧を害し、或は法律、規則を犯すと認める時は、内務卿は議会の解散を命ずることを得。(第34条)
地方議会も中央政府の統制の下にあったことが分かる。群馬県会が後述のように実際解散させられた例があった|廃娼でもめた佐藤与三知事の時である。


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2014年8月30日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第119回

第三章「群馬県の成立と県議会」

  楫取が群馬県に赴任すると間もなく県会がスタートする。県会は民選の議員から成る。従って、楫取の県令在任の8年間は、議会との関わりであり、議会を通して県民と関わった期間であった。群馬を去るとき数千の県民が別れを惜しんだというが、楫取は議会とどのように関わったのか。近代群馬の基礎はいかにして作られたのか。
二次群馬県の成立は明治9年8月21日である。
いよいよ、楫取が群馬県に登場し、県議会で湯浅等と出会う時が来た。この年、楫取は48歳、妻寿子は38歳であった。
第一回の群馬県会議員の選挙は明治12年3月に行われた。選挙の資格は、被選挙権については満25歳以上の男子で地租10円以上納める者、選挙権は、満20歳以上の男子で地租5円以上納める者であった。これが選挙の歴史のスタートだった。その後の選挙の流れを振り返るとき感慨深いものがある。普通選挙は大正14年(1925)、女性が選挙権を得るのは戦後の新憲法下、昭和22年(1947)のことだった。
議会は民主主義を実現する場であり、選挙はその過程であり手段であるが初期の選挙がこのように制限的なものであったことは当然である。民主主義の実現は成長した民度が前提となる。それを支えるのは教育だ。この時期に今日のような選挙を実施すれば、民主主義は形だけのものになり衆愚政治になってしまう。

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2014年8月29日 (金)

人生意気に感ず「本県土砂対策。ASUKA公判。盲導犬を刺す」

 

◇広島土砂災害はまだ終息していない。懸命な捜査が続くと共に波紋が全国に衝撃を与え続けている。これから恒常化が予測される異常気象の下では、同様な事態の発生が全国的に考えられるからだ。もちろん群馬県も同様である。

 

 群馬県でも土砂災害対策が非常に遅れている。砂防ダムやコンクリート擁壁などの対策が必要とされる箇所3621ヵ所のうち整備が完了したところは3割だという。このままでは山地が多い本県は土砂災害県になる恐れがある。安全神話にあぐらをかく本県の大きな課題となった。

 

ASUKA裁判の傍聴希望が2646人で定員の126倍。これは何を意味するか。有名芸能人の薬物の影響力の大きさも意味すると考えねばならない。検察は懲役3年を求刑した。覚せい剤の被害が広がっている。社会は、芸能人に甘いのではないか。外国では死刑をもって臨むところもある。中国もその一つ。中国が覚せい剤に厳しいのは、国民がアヘンに毒された歴史と関係があるかも知れない。

 

◇愛知県の市議が中国で覚せい剤運搬で逮捕された事件に注目してきた。ナイジェリア人に頼まれて運んだといわれる。28日の公判では、死刑を含む厳刑が求刑された。日本人市議はだまされた、知らなかったと主張している。中国の司法制度が人権を十分に保障するものでないだけに懸念される。弁護士も見通しでは死刑判決の恐れが強いという。

 

 三審制が保障され、取調べ段階でも全面可視化が叫ばれる我国と大変な違いがある。我国司法のあり方、そして死刑制度を考える機会にしたい。

 

◇盲導犬が深く切られた事件に怒りがこみ上げた。微罪と見てはならない。人間の心を切り裂く事件である。こういう事件に鉄槌を下してけじめを示さないと社会が崩れる。

 

 さいたま県の全盲の人の手足となっているラブラドルレトリバーの8歳。深さ1センチの傷は衣をめくって刺したもの。盲導犬は主人に危険を知らせる時の他吠えない。犬の主人は「何もなかったように側にいてくれてそれが可愛そうだ。自分の家族に同じことが出来るか」と怒っている。警察は防犯カメラを解析して本格捜査する。動物愛護法より重い器物損壊罪で臨むとしている。健気な犬が不憫。同時に社会を守る防波堤の蟻の一穴。最近ネコの連続怪死も不気味。

 

私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む

 

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2014年8月28日 (木)

人生意気に感ず「原発自殺。土砂災害の警告。日中の変化」

 原発事故が原因の自殺だとして、福島地裁は、東電に賠償命令を出した。原発事故が原因で自殺したとする賠償請求で初の判決。福島地裁は東電に約4900万円の支払いを命じた。渡辺はま子さんは、避難先から一時帰宅した自宅敷地内で焼身自殺した。

 

 裁判所は、「避難生活で精神的に追い詰められうつ状態になった。」、「このうつ状態が自殺の大きな原因と認められる」と判断した。うつ状態にしたことに東電には責任があると判断したのだ。

 

 東北の人は忍耐強いと言われるが、それだけに避難先での生活がいかに辛かったかを想像させる。

 

 福島県では東日本大震災が原因とみられる自殺が増え続けている。この事実は避難所の生活がいかに苦しいかを物語る。この判決がきっかけとなってこの種の裁判が今後続くのではないか。

 

広島土砂災害の死者が71人に達した。この被害は全国への警鐘である。記録破りの降雨があれば耐えられない地形は限りなくある筈だから。眺望が良いというので山の斜面に建てた家、先祖の代から裏の崖に守られて立つ家など、今までの常識が通用しなくなるのだから大変だ。各地で緊急の点検が必要である。

 

 高崎市が先ず始めた。今日から災害の防止に向けた緊急点検を始める。土砂災害防止法に基づく警戒区域に加え、急傾斜地にある住宅団地や河川沿線の水害危険箇所などを対象にする。

 

 決して高崎市だけの問題ではない。群馬は安全という神話が支配しているだけに、新しい異常気象の下で問題は深刻である。昭和22年のキャサリン台風では赤城南麓は甚大な被害をこうむった。私は当時、宮城村の小学校1年生で、学校は早く終わり、帰途、荒砥川など2つの川はもの凄い濁流で、私たちが通過後橋はいずれも流された。あんなことが今後いたる所で起きる可能性がある。広島は新たな自然災害の時代を予想させる。

 

日中間は緊迫する情勢の中で微妙な動きが起きている。福田元首相は7月下旬、習主席と極秘会談を行ったことを認めた。そして「習さんは日本の悪口は言っていない」と語った。日中間は微妙に大きく動きつつある。私は群馬日中友好協会の会長として注視している。(読者に感謝)

 

私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む

 

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2014年8月27日 (水)

人生意気に感ず「日本海津波の衝撃。中国の軍事的冒険。私の勇退と萩原ゆうじ君」

東日本大震災から3年余りが過ぎ、最近また地震が一段と増えたように感じられる。巨大地震の前兆なのか無気味である。そんな折、国は日本海地震による衝撃的な津波想定を発表した(26日)。南海トラフ型など太平洋の津波に関心を寄せていた私は、「エッ」と驚き、又、最大23mと聞き信じられない思いがした。

 日本海での津波想定は初めてである。最大は北海道のせたな町で23.4m。20mを超えるのは、北海道の神恵内村の20.3m。10m超は北海道、青森、秋田、山形、新潟、石川の6道県30市町村。「3.11」巨大津波を経験した私たちも、これらの数字には改めて圧倒される。専門家は、日本海の津波は、地形と断層の特性から地震規模に比べてより高くなり、到達時間が短いと指摘する。海に囲まれた日本で安全なところは少ないということを痛感する。日本海津波の想定を見て、「3.11」の教訓を生かすことの重要さを改めて思う。「津波てんでんこ」のことわざ、そして「大川小と船越小」の対比など。

中国の軍事的拡大政策は太平洋を囲む国々に大きな摩擦を起こしている。アメリカ軍機に6mまで接近するなど狂気の沙汰で、まさにかつての日本の特攻隊を思わせる。このことに関し、中国にも言い訳があるということを知った。到底受け入れられるものではないが「へぇ」と一瞬思った。米国務省の定例会見で中国の記者が質問したらしい。「もし中国が戦闘機をハワイまで飛ばしてもあなたは平気か」と。米軍戦闘機が中国の近くまで飛行していることを中国が嫌っていることが窺える。

 現在、中国軍戦闘機を操縦している若者は過激な愛国教育を受けた世代だという。捨て身の行動が国を守る英雄的行動と思い込んでいるとしたら、極めて危険だ。かつて、世界の歴史では一発の銃声が大戦の引き金になったことがある。個々の行為を管理できない体制にこそ戦争の危機が潜む。一党独裁の国は危険だ。シビリアンコントロールがきかないからだ。現在、私たちは戦争の危機に晒されている。

自民党役員会で、9月6日グリーンドームにおける県連大会について協議した。私は勇退議員として花束の贈呈を受ける。私の後継者萩原ゆうじ君(公認会計士・30歳)は10月1日づけで自民党の公認候補となる。27年前の我が姿を思い出すと熱いものが込み上げる。

私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む」

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2014年8月26日 (火)

人生意気に感ず「土砂災害・警戒地区。箕郷公民館で。全国学力テストの成績」

広島土砂崩れは日本の自然災害史上大きな転機となるだろう。地球温暖化時代の恒常化する異常降雨は、広島だけの問題ではない。異常降雨に耐えられない山河、そして平野部の地形はいたる所にある。

 政府は、このような事態に対応するため、「警戒区域」を都道府県が指定しやすくするため、土砂災害防止法を改正する方針だ。今回多数の犠牲者を出した広島市の災害現場は多くが「警戒区域」に指定されておらず、そのために対策が遅れた可能性がある。指定手続きの簡素化、自治体の指定作業に対する国の支援拡充などが改正のポイント。

 災害が少ない本県も、山間地や急斜面が多いから、異常降雨に備え、「警戒地区」対策を早急に進める必要がある。

広島の災害では、死者が50人を大きく超え、依然として多数の行方不明者がいる。多数の人と多くの機械が出動する中で災害救助犬の活躍が報じられている。

 殺処分から奇跡的に免れた犬が、災害救助犬として訓練を受け、1人の遺体を発見したことが報じられている。犬の名は夢之丞(ゆめのすけ)、ガス室の前で次は自分の番だと察しておびえていたのを人道支援のNPOに助けられた。見たところ柴犬か。我が家のさん太も柴で、人の感情に敏感である。犬は人間の友。ガス室の処分は人間の心を傷つける。

箕郷町公民館で「楫取」の講演を行った。多くの参加者が熱心に聴いてくれた。聴衆と呼吸が合うと講師は疲れない。私は快感に満たされて嬉しかった。

 私を喜ばせることは他にもあった。柳沢元県議が最前列で熱心に耳を傾け、最後にお礼の言葉を述べてくれたこと及び意外な人物S君との出会いである。S君は、旧宮城村小学校の同級生で箕郷の住民になっていた。質問の時間に手を上げて、マリア・ルス号事件を知りたいという。お陰で、奴隷船マリア・ルス号事件と群馬の廃娼運動の関連につき話すことが出来た。人々は大いに関心を示し、この話をもっと聞きたいという声があがった。

全国学力テストの結果を県教委は発表した。中学校の平均正解率が全教科で全国平均を上回ったことは喜ばしい。序列などは問題にせず真の学力をつけるべきだ。明治、楫取県令が築いた教育県群馬の姿を取り戻す時である。かつて学力テスト反対の大運動があったことが思い出される。(読者に感謝)

 

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2014年8月25日 (月)

人生意気に感ず「6m接近、戦争だ。残留孤児の体験記を。大地震近し。安楽死の時代」

◇中国の戦闘機が米軍機に約6mまで異常接近したことが報じられた(22日)。超高速で飛ぶ飛行機が6mまで接近とは信じ難い。正に体当たり行為だ。戦争の危機が迫っていると、感じた。

 文芸春秋9月号で、読売新聞会長の渡辺恒雄氏は、「近年の中国の軍事力大増強政策を見ていると、戦時中の日本の軍備拡張を思い起こす」と書いている。それ程異常なのだ。これは日本の安全保障にも直結する問題である。日本も数十mと異常接近を受けている。

 戦争に突入したら、「戦わない国日本」を貫くことは出来ないだろう。

◇昨日(24日)、中国帰国者協会の役員会に出た。来年は戦後70年。残留孤児も増増高齢化していく中で、私は、体験記を編集する必要を訴えた。役員会では、それが具体的に決まった、

 孤児たちは、多くの場合、中国の養親によって大事に育てられた。それは日中友好のためにも是非語って欲しい。私は、現在中国で暮らす関係者にも書いてもらうべきだと提案した。編集委員が決まり、来年4月から6の間に、終戦70周年記念事業の一環として発行することになった。

 この会議で決まった重要なことは、中国帰国者協会が群馬県日中友好協会に正式に加入すること。この協会は大きな団体であり、かつ、その実態と性格から日中友好協会に加入するにふさわしい団体であるにも関わらず遅れていた。

 この会議で私は萩原ゆうじ君を紹介した。その中で、私の後継者で30歳の公認会計士であること、私と共に帰国者協会のために尽くしたいと語った。ゆうじ君は帰国者協会の顧問に就任することになった。

◇最近、世界的に地震がやけに多い。日本にも大地震が近づいている前兆なのか、不気味だ。カリフォルニアでM6・1、イランでM6・2、チリでM6.6、アイスランドでは氷河の下で火山性地震が頻発し最高の警戒レベルだといわれる。首都直下、南海トラフに備えねばならない。

◇安楽死目的のスイス渡航者が急増していることは世界的ながん死の時代を物語る悲しい姿だ。スイスでは医師が薬を処方し、患者が自ら使用して死を選ぶことが事実上認められている。4年間で611人が安楽死目的で渡航。平均69歳でその6割は女性。他人事ではない。(読者に感謝)

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2014年8月24日 (日)

「改めて、廃藩置県後の上州」

明治政府は明治元年(1868)、岩鼻県を設置し初代「知県事」に大音龍太郎を任命したが大音は前記のように間もなく罷免となり、小室信夫、中島錫胤、青木貞と続く。
明治4年(1871)7月14日、廃藩置県が断行された。これに伴い、高崎、沼田、館林、安中、伊勢崎、前橋、小幡、7日市の各県が成立、それ以前に成立していた岩鼻県と併せ9県併立時代となる。
明治4年10月28日には、館林県を除く8県がまとめられ第一次群馬県が発足する。11月14日には、館林県が廃され、邑楽、新田、山田の3郡は栃木県管轄となった。続いて、11月19日、群馬県庁が高崎の旧城内に開庁する。いよいよ楫取素彦の登場が近づく。楫取は、この年44歳になっていた。
第一次群馬県成立後、一時群馬県は熊谷県となった(明治6年)。県令は川瀬秀治であったが間もなく河瀬は中央に転出し、楫取があとを継いだ。
楫取素彦が熊谷県権令(副知事)として着任したのは明治7年のことであった。そして、明治9年4月に熊谷県令に昇格し同年8月、第二次群馬県成立に伴い楫取は群馬県令となる。
熊谷県時代の楫取の顕著な業績に監獄での教誨事業開始がある。獄舎で一貫して法話を担当したのは山口県出身の僧・小野島行薫であった。このように特定の人が一貫して教誨を実施したのは熊谷県が最初と言われる。楫取は必要な予算を県費に計上した。
刑務所の教誨活動を実施した楫取の胸には、昔、萩の野山獄で吉田松陰が成果をあげた教誨活動が甦っていたことであろう。(安政2年、楫取27歳の処で触れた)

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2014年8月23日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第117回

藩・長・土・肥の4藩主から版籍奉還の建白書が新政府に提出されて受理されたのは明治2年正月だった。その目的は「朝廷が国家統治の大権を掌握すべきだから、諸藩主は速やかにその所領を返還すべき」というもの。3月末迄に全国の大部分の藩主が応じた。驚くべき速さである。上野(こうずけ)諸藩では吉井藩が早かった。即ち、3月1日、吉井藩主吉井信謹(のぶのり)、同8日前橋藩主松平直克(なおかつ)が朝廷に奉還の願書を提出し他の藩が続いた。
新政府は、版籍奉還の願いを許可し、上野9藩主を藩知事に任命し従来通りの所領を与えた。「藩主から願い出る」形をとらせ、「藩知事に任命」し、「従来の領地を与えた」点が注目される。
版籍奉還は大変な変革であった。戦国時代以来、各藩は、多くの血を流して領地を守ってきたのである。朝廷が国の大権を掌握するという大きな大義名分があるとはいえ、容易なことではなかった。奉還の文書を出さない諸藩には奉還の命令が発せられて実現された。
しかし、藩を残したまま、藩主を藩知事にした奉還は不十分であった。統一政権の実を上げるためには廃藩置県の断行が必要であった。新政府は、薩・長・土3藩からさし出された1万人の新兵をもって万一に備えた。大変な抵抗も有り得たからである。事は、世界史的にも珍しいと言われた程平穏に行われた。それは、武力で万一に備えたことと共に政府の補助をうけなければならない程財政に苦しんでいた藩が多かったこと、更に旧藩主には知行にかわる経済的保証(公債)が与えられたことによると言われた。その通りであるが、更に、天皇に対する尊崇の念が大きな意味を持ったのではないかと思う。廃藩置県は天皇の名で命令されたのである。
政府指導者の苦悩は次の大久保日記に現われている。「今日のままにして瓦解せんよりはむしろ大英断に出て瓦解したらんに如(しか)ず」(大久保利通日記、明治4年7月12日)。このまま壊れるより、廃藩置県という大英断に出て瓦解した方がいいというもの。一か八かの決意が窺える。

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2014年8月22日 (金)

人生意気に感ず「土砂災害が語るもの。健大の奇跡は。ふりこめ詐欺」

 

◇広島の土砂災害は唯事ではない。39人の死者、51人の行方不明者とは。同時に重要なことを私たちに訴えている。山林も岩壁も長い歴史に耐えてきたが、それは、その地形が予想する条件下でのことである。樹木も、土や石も、計算外の自然の力に耐えられなかった。そこで未曾有の土砂崩れとなった。

 

 これが地球温暖化による異常降雨の結果である。今後、こういう現状が恒常化し、更に激しくなる。いままで、人口に安らぎを与えていた山森が一変して恐怖の存在となる。県は土砂災害の危険地指定を進めているが、それを徹底し、対策を急がねばならない。

 

健大高崎が健闘している。まさかの8強入りを果たした。昨年の育英の奇跡の再現はなるか。高校野球にはどのチームにもドラマがある。感動がストレートに伝わってくる。記録的猛暑を人生最高潮のエネルギーがはねかえしている。平凡なチームが甲子園で予想外の力を発揮する。「化ける」という表現が使われるが、若さには、本来無限の可能性が秘められている証拠だろう。

 

 今の若者はひ弱で根性がないと評されるが、条件が整えば強く逞しくなれることも高校野球は訴えている。若者がエネルギーを発揮しにくい社会環境を何とかしなければならない。目がくらむような刺激に満ちた豊かな社会でも、収入がなければ、恨みをつのらせて眺めているだけだ。彼女もつくれない。高校野球は若者世界の格差の問題も示唆している。

 

 今日の準々決勝は強豪の大阪桐蔭だ。今日まさかが起きれば、健大高崎は正に進化したことを示すことに。

 

警察庁が振り込め詐欺などの被害状況を発表した。これだけ社会を挙げて騒いでいるのに被害額が減らず急増しているとはどういうことなのか。

 

 今年上半期の全国の被害総額は268億3千万円で過去最悪だ。お年寄で、女性の被害が圧倒的に多い。人情の弱みにつけ込んだ卑劣な犯罪は許すべきでない。特殊な類型なのだから、刑を重くすることも考えるべきではないか。

 

 県警は、法廷振り込め詐欺特別捜査室を設置し、今春2人を増員した。振り込め詐欺グループの中には会社のように組織化して作業を分担して行っている所もあるらしい。警察力、地域の社会力を結集して白アリの巣をつぶさねば社会が崩れる。(読者に感謝)

 

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2014年8月21日 (木)

人生意気に感ず「名古屋を走る。広島の豪雨な未来の姿。萩原ゆうじ君」

◇20日早朝、名古屋市内を一時間走る。大型ビルの建設現場があり、未来都市を象徴するような近代建築群も目立つ。日本有数の企業を抱える巨大都市の活力を肌で感じた。この日は愛知県庁及び「ヤング・ジョブ・あいち」を訪ね、若年者・就労対策の取り組みをみた。愛知では企業の求人数が就職希望を上回るが、マッチングしないために就職が決まらないで学校を卒業する者は多い。安定した仕事がなければ結婚は出来ない。県と国が連携して就職を斡旋する光景を見た。小さく区切られた窓口が並び一対一で対応する職員と若者たち。
◇愛知は熱い。この日36度と予報は言っていたが湿度が高いため体感温度は異常に高い。人間が暮らせる限界だと思う。他県に来て異常気象を感じる瞬間だった。
 この状況の中で、広島の豪雨災害を知った。1時間に100ミリを超える雨が降った。1時間に10センチの雨がくまなく降る。受け止めきれない大地。濁流は渦巻き山は崩れる。土砂崩れで39人が亡くなり7人が行方不明。被害は更に増えるだろう。私たちの未来の恐怖が姿を現したものと思った。
◇愛知で移動中、「まんだらけ」万引男逮捕のニュースに、「馬鹿なやつ」という声が出た。ブリキの鉄人28号(27万円)を盗んだ男。被害店はカメラの顔を公開すると予告。公開行為自体が脅迫罪になるとかで賛否が分かれた。私は公開してもよいと思っていたが、店は警察の要請で控えていた。必ず逮捕するという警察の決意が示されていたのだろう。同じビル内の古物店で売られていた。
 万引きが余りに多い。スーパー、書店、図書館等、あらゆるところの有価物に窃盗犯は手をのばす。「まんだらけ」の社長は、「この機会に社会が万引きという犯罪を注視して欲しい」と話す。軽犯は重犯への一歩。軽犯が蔓延して社会を崩す。万引きは軽犯という意識が広がっているが、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金である。スーパーなどでつかまった主婦がお説教されて許される姿が犯罪の評価を軽くしている。
◇萩原ゆうじ君のこと。私の後継者として新聞に紹介された。慶応卒、30歳の公認会計士。県議会に活躍する公認会計士は非常に少ない。政治に尻込みする若者が多い。敢えて困難な道を求めた動機は拙著「上州の山河と共に」との出会いとか。求むボランティア協力者・応援団。(読者に感謝)

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2014年8月20日 (水)

人生意気に感ず「静岡県は子育ての理念を掲げた。全島移住の島」

 

◇今回の視察はよく考えたコースを進めている。初日の人口研究所で衝撃のデータを知り、それを踏まえた各地の具体的な取り組みを見るからだ。その例として、自治体と企業、それぞれ静岡県とブラザー工業の生の姿を見た。

 

◇静岡県で感心したのは、子どもを産み、育てることは最も崇高な人間の営みであるという理念を掲げたこと。私は、これは非常に重要なことで、後に大きな効果を生むと思う。

 

どこの県も、人口減、そして子育て対策として、働き手が減り、社会の活力が低下する、経済を支える力がなくなる、こういうことを盛んに叫んでいる、しかし、こういうことをいくら訴えても、じゃあ、産もうという気にはならないと思う。憲法で掲げる最高の価値は人間の尊重である。だから、子どもを産み育てることは、家庭と人間を支えることに通じる崇高ないとなみである。このことを、一人一人が自覚するとき、家庭を作ろう、子どもを育てようという意欲が内なる力として生まれるに違いない。静岡県の発想は素晴らしいと思った。こういう光る理念があって、初めて、様々の具体策が生き生きと力を発揮するに違いない。

 

◇静岡県の具体策の中に、(イ)「イクカジ」高校生養成事業、(ロ)少子化対策ユースプロジェクト推進事業がある。

 

 (イ)は、高校生に育児・家事のノウハウを学ばせ、自然に家庭と子育ての重要さを悟らせる。

 

 (ロ)は、大学生による少子化対策の提案企画事業で、目的は(イ)と共通。

 

◇このような静岡県の子育て理念に呼応する民間企業としてブラザー工業を視察した。同社は、女性の子育て環境を工夫し、育児休暇のとり易さなどに驚くべき先進例を実施していた。

 

◇最近の異常降雨はただ事ではない。この先どうなるのか、ノアの箱舟のような大洪水の時代になるのか、不気味な不安が地球規模で襲う。地球温暖化による深刻な事態の序曲だろう。モルジブなど海面上昇に脅かされる国の事は前から報じられていたが、ソロモン諸島のロタ島では、住民をまるごと別の島に移すことを決めた。島ごとの移住は太平洋で初めて。この島には州都があり、海抜は2m以下で約千人の人が住む。海面上昇による洪水や津波への懸念が高まっていた。移住完了まで数十年。今後、こういう例は増すだろう。日本にも更なる深刻な事態がひたひたと近づく。(読者に感謝)

 

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2014年8月19日 (火)

人生意気に感ず「人口減少の衝撃。日本の生きる道。中国のニセ大学」

◇国立社会保障・人口問題研究所のデータは衝撃的だった。明治初期、群馬県の人口は60万人、日本全体の人口は6千万人位だった。そのころと比べたら人口減少といってもたいしたことはない位の気持ちが私の頭にはあった。しかし、日本の人口減少の構造は不気味である。元気のある層が少なくなっていくのだ。高齢少子が同時進行していることの重大さを改めて知った。将来、日本の自治体で消滅するところが続出することを数字は語る。尖閣だ、竹島だといって、中国や韓国と争うどころではない。対策を立てることの緊急性を痛感した。

 研究員は、明るいデータもあると言ってある事実を語った。それは健康な高齢者が、これまた世界に例がない程増えていることである。高齢者の定義を変え、高齢者のパワーを活用する可能性が非常に大きいというのだ。

◇新たな文明段階のモデルという発想は面白い。逆転の発想だ。世界の文明国では共通に高齢化が進む。その中で日本は突出して健康な高齢者が増えている。この人たちは豊かな経験と活力をいっぱいもっている。元気な高齢者が活躍する社会システム、それを支える価値観。それが人類の新たな文明段階を意味する。 ◇人口減社会は必然的に多くの外国人を受け入れることになる。その時、日本の伝統や文化をどう守るかということは重要だ。それは日本人の心を守る問題でもある。教育の重要な課題でもある。早く取り組まないと手遅れになる

 人口問題研究所の職員が次のように語ったことは示唆的だ。現在深刻な問題が生じているのは過去に敵切な対策を打たなかった結果である、今、有効な対策を講じなければ将来重大な結果を生ずると。

◇孔子の国、学問の国として長い歴史をもつ中国で、ニセ大学が増え、ビジネスにしているというニュースにあきれる、架空の大学は210校にのぼる、ウェブサイトには建物の写真、優秀学生の氏名一覧もある。若者は、ニセ大学と承知の上で卒業証書を購入して就職活動に臨む。卒業証書の相場は7万円から8万円。もしかすると、このような卒業証書が日本に持ち込まれているかも知れない。国連開発計画は、中国の大学教育現場で不正が横行していることを指摘している。今日の視察は静岡県庁と名古屋市のブラザー工業。(読者に感謝)

☆楫取がNHK大河ドラマ登場に決定。土・日・祝日は「甦る楫取素彦」を好評連載中です。

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2014年8月18日 (月)

人生意気に感ず「鈴木貫太郎。近現代史の新設。特別委の調査」

今月の「ふるさと塾」は一週間早めて16日に行った。終戦記念の翌日。テーマは鈴木貫太郎。日本を救った総理と言われるのはなぜか。原爆投下とソ連参戦の関係などにも触れた。鈴木は御前会議を巧みに導いた。議論を尽くしても結論が出ない。かくなる上はお上の御意見で結論にしようといって行動した。天皇は自分はどうなっても、国民を救いたい、必要ならマイクの前に立つと発言。ソ連の参戦を求めていたアメリカは、原爆の成功で考えを変える。ソ連の力を借りなくても勝てる、ソ連に借りを作れば戦後の日本の共同支配につながると。原爆成功は7月16日。ポツダム宣言は7月26日。広島は8月6日。ソ連参戦は8月8日。長崎は9日。この凝縮された日々の恐ろしさよ。日本の運命が決定され。世界史が動いた瞬間だった。

私は県会議員になった直後から近現代史に力を入れることを主張してきた。学校は「明治以降」に力を抜いている。現代を知る上で最も重要なのに。「ふるさと塾」は長いこと、私が歴史について持論を展開する舞台だった。「楫取素彦」もこの舞台で取り上げてきた。

文科省は平成28、29年度に予定される学習指導要領の改定に当たり、高校で「近現代史」を新設する方向だ。現代の日本を知る上で、明治以降の歴史は不可欠だ。国際理解教育を唱えるが、英語が話せても日本語を語れないのでは話にならない。

 私は全県下を対象に楫取の講演活動を行っているが、近現代史の不足と必要性を肌で感じている。文科省の「近現代史」新設に賛成だ。

「ふるさと塾」、私の後継者・萩原ゆうじ君を紹介した。30歳の公認会計士。私の著書「上州の山河と共に」を読んで政治を志すことを求めた。政治に尻込みする若者。深刻な政治不信。こういう状況に挑戦する若武者を応援して欲しい。

今日から特別委員会の県外調査。私は属するのは、「人口減少対策特別委員会」。今日は、第一日の調査先は、国立社会保障、人口問題研究所である。

 これは厚生労働者の政策研究機関である。今、時代は本格的な人口減少時代に入った。人口の動向に関するデータの分析は人口政策の基礎となる。ここで何が得られるか期待する。

 そして、明日からは、静岡県庁、愛知県庁を中心とした調査先で、特色ある政策を視察する。調査先から報告する予定である。(読者に感謝)

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2014年8月17日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第116回

ここの年7月、前橋藩は藩士を横浜の英商ジャーディン・マセソン商会に遣わし、器械製糸場設立の相談をさせている。
そして、明治3年5月12日、前橋藩は、器械製糸所設立のためスイス人技師ミューラーの雇い入れを決定、7月、ミューラーの指導により前橋の細ヶ沢町に6人繰りの前橋藩営イタリア式器械製糸所が設立された。これが日本で最初の器械製糸所である。
この製糸所は、日本の器械製糸のさきがけであった。その事を示すように、この年(明治3年)10月には富岡町に官営製糸場建設地が定められた。明治4年3月富岡製糸場着工。この月、田島弥平は宮中御養蚕の指図役を命じられる。正に上州の生糸の大きな流れが作られつつあった。
「版籍奉還と廃藩置県」
内憂外患、とくに外患に備えて強い国を作らねばならない新政府にとってばらばらの藩の存在は改革が求められる最初の大きな課題だった。明治2年(1869)、第一歩として、版籍奉還が行われた。版は版図、土地を意味し、籍は戸籍、人民を意味する。つまり、土地と人民を天皇に奉還(かえしたてまつる)させた。薩・長・土・肥の各藩が率先して行い、他の多くの藩がならった。しかし、藩主は知藩事となったので、土地と人民は天皇のものになったとはいえ、実質的には藩主と人民の間には主従関係が続いた。

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2014年8月16日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」 第115回

時代の激変期にあって、素早く時の流れに乗る人はいつの時代にもいる。士農工商の身分社会は実質商人の天下になっていたが、開国はこの流れを強め、維新と共に殖産興業の新しい流れは増増商人の時代を押し進めていく。
生糸貿易の利益に藩が目をつけるのは当然だった。江戸時代どの藩も財政に苦しみ借金の重圧にあえいでいたからだ。
 外国貿易は藩の直営では営業出来ないので表向きは民間の形をとって行われた。前橋藩は敷島屋、高崎藩は高崎屋を設けて営業したのはその例であった。
 貿易において絹については量と質が求められた。従来の製造方法では需要に応ずることが出来なかった。又、それは、粗悪品が作られる原因にもなっていた。そこで前橋藩は、後述の器機製糸場をつくることになる。
 上州の蚕糸業、とくに前橋の製糸業は世界的に注目されていた。明治2年には、そのことを示す出来事があった。即ち、明治2年5月にはイタリア公使の前橋製糸業視察があり、同6月には、英国公使館員アダムスが蚕糸業地視察のため安中を訪れた。
 とくに、イタリア公使の来橋は驚くべきことで興味をそそられる。イタリア公使デ・ラ・トゥール夫妻一行8名。多くの護衛の兵隊が付き、馬も人と物を運ぶため26頭が動員されるという大変さ。前橋の蚕業視察が目的だった。当時を伝える町年寄の「日記」には、広瀬川岸の糸ひき工場を視察し、「ことの外珍重のよし申しそうろう」と記されている。広瀬川の水流を利用した水車動力による座繰器の状況を見たらしい。又、一行は、大渡りを渡って伊香保に向ったが大渡りまでの道中、町民の群集が出迎えたとある。明治の初め、物物しい外国人の一行を見てさぞ町民は驚いたであろう。

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2014年8月15日 (金)

人生意気に感ず「慰霊祭。玉音放送。特攻の大西滝治郎。リンゴの歌。」

 

今日は、群馬アリーナで戦没者の慰霊祭が行われる。69年前の8月15日正午、終戦の詔書が発表された。いわゆる「玉音放送」である。「重大な発表がある」と知らされていた。 

 妙義町に疎開していた当時5年だった西郷俊雄は次のように振り返る。「広間に古びたラジオがポツンと置かれていた。寮の先生のこわばった姿勢から何か重大なことだと子供心に直感した。陛下のお言葉ははっきりしなかった。女の先生の目に涙を見た。寮長先生から今日戦争が終わりましたと知らされ初めてラジオの前に集まったわけが分かったし、先生の涙の意味に合点がいった。その瞬間、私の脳裏をよぎったのは、戦争のくやしさでもなければ、哀しみでもなかった。両親の元に帰れるうれしさであった。」

 

 又、当時30歳の田中みち子は疎開先の渋川でラジオを聞いた。「なかみはほとんど聞き取れなかったが、日本が全面降伏したらしいことは分かった。その夜、黒い幕をとりはらい電灯をつけたままでいられることにどんなに安らぎを感じたことか」

 

 このように大部分の国民は戦争の終結に胸を撫で下ろし喜んだ。しかし、いままで張りつめていた心の緊張が一挙に崩れ、虚脱状態に陥った。

 

 敗戦が確実と分かっていながら特攻として飛び立っていった若者は哀れだった。特攻の発案者は大西滝治郎中将だった。大西は自ら特攻のことを「外道」と語っていた。このような一人の狂気によって多くの若い命が母と別れ、恋人と別れて散っていった。16日未明、大西は軍で腹を切った。児玉誉士夫が駆けつけると「おれは特攻で死んだ連中にわびるために苦しんで死ぬ必要があるから介錯は要らぬ」と言い、明け方まで苦しんで死んだ。あの戦争は悪夢だったのか。夢とすることなく、教訓として生かすためには、戦争を知らない若者にこのような狂気と悲惨さを伝えなければならない。今日の慰霊祭もその目的からすれば大した意味がない。

 

やがて人々は焦土の中から立ち上がる。人々に開放感と勇気を与えたのが「リンゴの歌」だった。私が小学校に入学したのは昭和22年。宮城村の奥地にもこの歌は流れていた。

 

 あれから69年、物の豊かさは当時を考えれば奇跡である。しかし失ったものも大きい。それに気付かず、ただ流されていく今日の我等。(読者に感謝)

 

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2014年8月14日 (木)

人生意気に感ず「シベリアや強制抑留。スターリンへの感謝状。北方領土」

 

昨日は満州を書いたが今日はシベリアだ。強制抑留は満州の出来事と同様に過酷だ。そして共にソ連の参戦がきっかけ。終戦となり多くの国民は日本へ帰るとき、逆に酷寒のシベリアへ送られた。約60万人が強制連行されて、酷寒、飢え、過重な労働で6万人以上がなくなった。

 

 私は平成十六年、かつて強制収容所を体験した塩原眞資さん、青柳由造さんを伴ってハバロフスクを訪ね、「望郷の叫び」を書いた。

 

 収容所の跡地には夏草がしげり、「友よ安らかに眠れ」と書いた墓標が立っていた。青柳さんは一心に経を読み、塩原さんは声をあげて泣いた。

 

 零下30度、作業場への道すがら、子どもが投げた食べ物を争うように拾って食べた。東へ飛ぶ鳥を見て狂おしい程古里を思った。初めての冬を耐えられずに多くの人がバタバタと倒れて死んだ。

 

私は、ハバロフスクの国立古文書館で入手したある文書のことを書きたい。女性館長エフドキーモヴァは、「日本人に渡すのは初めてです」と言って、34頁から成る「スターリン大元師への感謝状」のコピーを示した。私は、中村への持ち出し許可証明書とともに受け取った。

 

 日本人として持ち帰った者はないと言われる文書の中味は驚くべきものであった。スターリンを人類最大の天才、全世界勤労者の導きの星とたたえ、ソヴィエトの地でおくった4ヵ年の生活こそ私たちにとって偉大なる民主主義の学校となった。そしてそれは私たちにとって終生忘れ得ぬ感銘だと記している。一方で、日本を「強盗的日本帝国主義」、「極悪非道の極東の憲兵」と表現した。

 

 これこそ、自虐的、屈辱的な日本人の精神を現している。ソ連は日本人を洗脳しようとした。日本人は帰りたい一心で、頭の中の赤化を示すために争ってこの感謝状に署名した。私の金庫に眠るこの文書を読むたびにシベリア強制抑留の悲惨さを思う。北方領土と共にシベリア抑留は解決されていないのだ。抑留経験者の多くは90歳を超えた。風化させてはならない思いで、私は駒形のマチダ平和記念館の中にシベリアコーナーを作った。

 

ロシア軍が北方領土で軍事演習を開始した。日本政府は直ちに抗議した。戦後の処理でソ連は北海道の半分を求めたという。実現されたら大変であった。明日は終戦記念日である。(読者に感謝)

 

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2014年8月13日 (水)

人生意気に感ず「満州の悲劇。松井かずさん。エボラ熱の恐怖」

 69年前の8月8日、ソ連参戦は満州の日本人開拓民を正に地獄の惨状に陥れた。守ってくれる筈の関東軍はほとんどなく無防備な人々は荒野を着の身着のままで、暴民の襲撃、飢え、ロシア兵の暴虐に怯えながらさまよった。私は「炎の山河」の中で前橋出身の松井かずさんの姿を通してこのことを書いた。

 

 混乱の中で多くの残留孤児が発生し、彼らは数奇な運命を辿った。国交回復後孤児を中心とした多くの人々が日本に移り住んだ。私は群馬県中国残留帰国者協会の顧問である。

 

 あの戦争が遠ざかる中で、貴重な体験は後世に残さねばならない。私の提案で、「体験集」を作ることになった。彼らは日中を結ぶ架け橋であり絆であることを考えると、体験集作成は、私がやっている日中友好協会の交流の一環でもある。

 

この際、今は亡き松井かずさんのことを聞いて欲しい。かずさんは前橋の製糸工場で働いていたが、昭和20年5月、勤労奉仕隊に参加して満州に渡った。3ヶ月後に日本が負けソ連が満州に侵入するなど知識にとぼしい彼女には思いもよらなかった。敗戦、全てを捨てて逃避行が始まる。深い川にかけた一本の丸太の上を命がけで渡る。ロシア兵に強姦されて発狂する若い女性、母親から離れて泣き叫ぶ幼児。女の下着の最後の一枚まで剥ぎ取る暴徒。女の死体で埋まる井戸。これ以上の地獄はなかった。かずさんは、撫順の炭鉱にたどり着き、中国人の男と結婚し5人の子どもを育てた。時は流れて、ある日、前橋市広瀬町のかずさんを訪ねると壁に一枚の写真がある。風雪を刻んだ逞しい顔だ。かずさんは言った。「主人です。日本に来て次の年に亡くなりました。自分の名も書けない人でしたが良い人でした。」

 

 撫順は遼寧省の都市である。中国は一大変革を遂げた。全てを呑んで歴史は流れるがその流れの底に悲劇の真実があることを知らねば、流れを正しく見ることは出来ない。

 

エボラ熱が猛威を振るっている。ギニアなど西アフリカの感染者は1848人で、死者は9日までに1,013人。欧州でもスペインで初めて死者が出た。国際交流が激しい時代だから日本とて油断出来ない。

 

 米国の未承認の新薬「ズィーマップ」が注目されている。サルでの実験は行われたが人間への安全性は未確認だ。現地では感染者が治療センターから勝手に帰ったり、感染の子を親が捨てるケースもあるという。何としたことか。(読者に感謝)

 

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2014年8月12日 (火)

人生意気に感ず「農薬混入に3年6ヶ月。御巣鷹の悲劇。中国食材」

◇農薬混入に懲役3年6ヶ月の判決が下った。日本中を大騒ぎさせたアクリフーズ群馬工場の事件、冷凍食品に農薬を混入させたとして契約社員が逮捕されたのは今年1月25日だった。

 食品は口に入るものだから毒物混入は健康と生命の危険に直結する。一般大衆が常に危険に晒されていることを示した事件だった。いかに監視を厳重にしても防ぐことは難しいことも分かった。同社は製品640万個を自主回収し操業も停止し、損害は58億円を超えた。

 刑罰は偽計業務妨害罪と器物損壊罪を当てはめたが、これらの罪名は、犯罪の実態に対応していない。今後、この種の犯罪から社会を防衛するためには、新たな法の整備が必要ではないか。

◇アクリフーズ社は、被告に1億円の損害賠償を求めて提訴した。同社は「食品業界で二度とこのような事件を起こさせてはいけないと考え提訴した」と述べている。

◇最近のウクライナ上空の撃墜事件以後も空の事故は続いている。それでも人は飛行機を利用する。そんな中で低価格競争が続く。価格が安くなるのは良いが、人の命が安く扱われてはかなわない。

 今年も御巣鷹の日がやってきた。昭和60年8月12日のことだった。午後6時54分頃、東京のホテルの日航関連のパーティーでは、出席者のポケベルが一斉に鳴り出した。出席者の半数が出口に殺。乗員乗客は524人。そのうち4人の女性が奇跡的に生存。8歳、12歳、26歳、34歳。発見された遺書は語る。「もう飛行機には乗りたくない、どうか神様助けて下さい」、「子供をよろしく」、「両親をたのむ」、「恐い、恐い、恐い、助けて、死にたくない」自分の異常な死を目前にした心理が赤裸々に現れている。このような大事故はまたいつか必ずおこるだろう。人間は何億分の一の確率だということで自分は大丈夫と思っている。(読者に感謝)

◇食の安全に関し外食チェーンの中国産食材使用状況を調査した資料がある。圧倒的なのが回転寿司。あきんどスシロー、カッパ寿司など。切り身の状態まで中国で加工。ネタは生で食べるのだ。無料のガリも危険だという。大騒ぎがあってもほとぼりが冷めると元に。広大な国土で低コストで作られる国は他にない。(読者に感謝)

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2014年8月11日 (月)

人生意気に感ず「長崎の原爆。逃げろと警告ビラ。動き出す、日韓・日中」

◇69年前の8月9日、午前11時長崎に原爆が落とされ、未曾有の惨状が生じた。被爆69年を迎えた長崎市の平和記念式典で、田上市長は集団的自衛権行使容認に言及した。「安部政権の早急な行使容認によって、憲法に込められた平和の原点が揺らいでいるのではないか」と。

◇当時、5歳だった人は74歳になる。これは、原爆が戦争とともに風化していくことを意味する。この際、民族の悲劇を再認識しなければならない。広島のは細い砲弾型のウラン爆弾でリトルボーイと名付けられ、長崎のは太っちょ(ファットマン)で、プルとニューム型だった。はじめの予定は小倉だったが雲で下が見えず第二目標の長崎に向かった。長崎も雲だったが切れ間を発見した。それが午前11時2分だった。わずかの雲の動きが長崎と小倉の運命を分けた。

 燃料がつきかけていた投下機が沖縄基地に着いた時、残りは数ガロンだった。

◇長崎投下の直前に落とした観測用機器の中に嵯峨根教授へ当てた昔の学者仲間からの手紙が入っていた。「米国では原爆の生産工場が建設されている。24時間働き続けている。この工場の生産物は貴国が戦争を止めなければ貴国の全都市を壊滅させる。貴方が戦争を止めるよう政府に全力を尽くして働きかけるようにお願いする。科学者の我々の美しい発見がこのように使用されたことを残念に思う。」というもの。

◇また、「日本国民に告ぐ、即刻都市より退避せよ」という警告ビラがまかれ、それには、原爆の威力が次のように書かれていた。「今回の原子爆弾はただの一個をもってあの巨大なB29二千機が搭載し得た爆弾に匹敵する。もし疑うなら広島の惨状を調べてみなさい」と。

 広島も長崎も、当時の記録写真は正視に耐えない。この途方もない熱エネルギーを発電に利用したのが原発である。原発は原爆と同根だから、一ったびコントロールを誤れば放たれた怪物は手に負えなくなる。

◇日中、日韓、それぞれの緊迫した関係にようやく変化が見え始めた。日韓の外相会談が10ヶ月ぶりで開かれた。日中間も、どうやら安倍、習会談が北京で開かれる方向らしい。日韓、日中とも、歴史認識の問題が根本にある。この歴史認識が象徴的に表れるのが靖国参拝。総理は15日に参拝しない方向である。(読者に感謝)

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2014年8月10日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第114回

上州は主要な生糸産地の中で横浜に最も近かった。このことは、上州の生糸が横浜で取引され易いことを意味し、生糸の横浜への流れが強まる中で、生糸の需要は増し価格は上昇した。

この状況下、養蚕農家が生糸生産を行うようになり、かれらから生糸を買取る商人が輩出し糸商たちはこれを横浜に運んだ。この流れは加速し、上州の生糸はその圧倒的部分が海外市場に向けて生産されるようになった。

このような状況を背景に、上州はもとより、各地から生糸の輸出に関わる商人が横浜に集まった。当時、居留地貿易と言われ、生糸商人は居留地内の外国商館に生糸を売り込む形で貿易は行われた。生糸の取引をコントロールしようとする幕府の強い意向によるものであった。つまり、日本の商人が生糸を外国に直接送ることは出来なかったのである。

生糸を外国商館に持ち込む「売込商」は、34名いたと言われるが、その中で大量の売込みを行った者は17名。更にその中の主要な4人を上州の売り込み屋として、横浜市史が名を挙げる。藤屋(山田郡)、吉村屋(勢多郡)、穀屋(多胡郡)、野沢屋(群馬郡)である。

ここにはないが吾妻郡の中居屋重兵衛は横浜一の豪商と言われた。横浜開港五十年史や吾妻郡誌には、中居屋の活躍が描かれている。それによれば、開港の2ヵ月後には外国商館に生糸を売り込み、40人から50人の店員を擁し、「銅御殿」と称された豪邸に住み「浜の門跡様」といわれる豪商振りであった。嬬恋村には中居屋重兵衛の碑が建てられている。

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2014年8月 9日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第113回

 安政6年(1859)6月の開港、自由貿易開始は正に晴天の霹靂だった。長い鎖国を破って、突然、進んだ諸外国と付き合うことになった。影響は物質的なものだけではない。物質に伴った文化や思想の流入も抑えることは出来ない。未知との遭遇で生じた変化の流れは消えかかっていた徳川幕府を呑み新しい社会の潮流を生み出していく。もち論、最大の影響は経済が受けた。そしてその中心に生糸があった。

 横浜はわが国随一の貿易港となり、輸出品の7割以上は生糸が占めた。生糸が激しく求められた背景には当時ヨーロッパで蚕の病気が流行した事情があった。例えばフランスの絹織物業は原料生糸に困ったのである。日本はたまたま有力な供給地となった。

 蚕の病気が静まれば、外国が日本生糸を求める状況は変化する運命にあった。その上に、にわかの金銭欲によって粗製濫造、粗悪品を作る人々が現われ日本製は悪評を受けるに至る。そこには、商業にも道徳が求められることを忘れた姿があった。今日の中国と似ているかも知れない。慣れない貿易の世界で困難を乗り越えて日本は頑張っていく。

この点、後に述べる、楫取支援の下、ニューヨークに渡り生糸直輸出の道を開いた新井領一郎の姿は注目される。この人は誠意のビジネスで確固とした信頼を築いたのだ。

ともかく、幕末の開港は上州とその生糸商人を歴史の舞台に登場させることになった。

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2014年8月 8日 (金)

人生意気に感ず「貫太郎の覚悟。聖断下る。阿南割腹。玉音放送」

◇記録的な猛暑が続き倒れる人が続出している。しかし、振り返れば、69年前の夏は比較にならぬ暑さだった。別の意味の猛暑だった。7月26日、無条件降伏を求めるポツダム宣言が出される。これを無視した日本に対して8月6日広島に原爆が落とされ、8月8日ソ連が参戦、8月9日、遂に長崎にも原爆が落とされた。

 当時の総理は鈴木貫太郎。天皇から特に「まげてたのむ」と言われ死ぬ覚悟で総理を引き受けた。78歳であった。(今月16日の「ふるさと塾」のテーマは鈴木貫太郎である)

◇8月14日のポツダム宣言受諾決定を導くまでの鈴木の行動こそ、彼の生涯最大のドラマであり、日本を救ったといっても過言ではない。

 2個の原爆を落とされてもなお政府中枢はポツダム宣言受け入れ派と本土決戦派に真ふたつに分かれてどちらも譲らなかった。御前会議は2度開かれた。政治的には素人である鈴木はこの時巧みな戦略的行動を示した。鈴木は「決」をとるかと思ったら、それをせず、陛下の御前に進み出た。そのタイミングこそカギを握ったと、私は考える。

「事態は一刻の猶予も許しませぬ。誠に異例で畏れ多いことながら、聖断を拝して会議の結論といたしたく存じます。」ここで天皇は戦争をやめて宣言を受諾すると述べた。鈴木はこれを結論とすると決定した(10日)。しかし、完全な無条件でないため連合国に拒否される。二回目の御前会議で、天皇は「これ以上の戦争継続は無理と考える。自分はいかになろうとも万民の生命を助けたい。この際何でもする。国民に呼びかけることがよければマイクの前に立つ」と述べた。14日の正午少し前に会議は終わった。人々は号泣したという。憲法上天皇に決定権はなかったが、極限の機智が結論を生み、皆、それに従った。

 かくして翌日正午、天皇のマイクの声が流れた。いわゆる玉音放送である。日本国民は様々な心で受け止めたが、ほとんどの国民は戦争が終わったことにほっとしたのである。

 皇居前広場では民族のドラマが繰り広げられていた。宮城に向かって土下座する無数の人々。努力が足りなくて申し訳ないと詫びる人々であった。陸相の阿南は「聖断下る。不服の者はこの阿南を切れ」と抗戦を叫ぶ将校たちに言った。15日朝見事に腹を切った。(読者に感謝)

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2014年8月 7日 (木)

人生意気に感ず「ケネディ、式典に。平和宣言。安倍さんの靖国参拝は」

◇キャロライン・ケネディ大使が広島の平和記念式典に参列した。米国の現職大統領はまだ参列していない。オバマが最初の例になる可能性がある。ケネディ大使の参列はその布石か。日米は重要な同盟関係にあるが、その真の目的が世界平和の実現にあること、及び、この同盟の基礎となるべき両国民の信頼関係を深めるためにも、オバマの参列には大きな意味がある。

◇松井広島市長は平和宣言で訴えた。「核保有国の為政者は、被爆地を訪れ、被爆の実相を確かめて下さい。非人道的な脅しで国を守ることを止め信頼と対話で安全保障の仕組みづくりに取り組んで下さい。」と。核保有国が広がっている。イスラエル、パキスタン、北朝鮮と。この流れを阻止することが世界平和には絶対必要だ。それにはトップの為政者が被爆地を訪れ、言語に絶する記録資料を見ることが必要だと思う。

◇安倍首相は、参列者を前に「我が国には核兵器のない世界を実現していく責務がある。その非道を後世に、世界に伝え続ける」、「非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を惜しまない」と語った。

 憲法改正を訴え、集団的自衛権行使を認める安倍首相は国民から実際以上にタカ派と見られている。中には憲法改正によって核保有までやろうとしていると見る向きがある。広島での発言はそれを強く否定するものだ。

◇安倍首相は広島市の記者会見で、終戦記念に合わせた靖国参拝につき、するかしないかについては申上げることを控えたいと発言した。私は靖国参拝はしないだろうと思う。

 福田元首相が習近平と先日極秘会談を行った。両首脳の会談の可能性を探ったに違いない。日本として条件を呑むことは出来ない。靖国不参拝以外にないだろう。これは積極的に何かをやるということではない。靖国参拝を強く主張している首相が今回は見合わせるだけで大きな効果がある。仮に、安倍さんが靖国参拝をすれば一層の両国関係の悪化を招き、首相の支持率は大きく低下するだろう。絶好のカードなのである。両首脳の会見は北京で実現するだろう。アメリカも強く望んでいる。私は群馬県日中友好協会会長として日中両国関係の好転を強く望んでいる。福田さんは同協会の最高顧問である。世界の秩序はアジアを中心に大きく変化しつつある。(読者に感謝)

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2014年8月 6日 (水)

人生意気に感ず「スタップ細胞笹井博士の自殺。原爆投下の瞬間。サダ子学園」

◇まさかと目を疑った。ケータイのニュースが笹井芳樹博士の自殺を告げている。袋叩きに合っていたスタップ細胞の小保方晴子さん。彼女を助けるために記者会見に臨んだ白面の紳士の姿が目に浮かんだ。

 36歳で京大教授になり、今をときめく再生医学の一方の権威。こんな人生の幕引きでよいのか。理研の調査委員会からは、研究不正という事態を招いた責任は重大と指摘され、懲戒審理の対象になっていたらしい。華やかな経歴の博士を襲った突然の非難の波に耐えられなかったのであろう。

 私は直ぐに小保方晴子さんの失敗が明らかになったのかと思った。そうではないらしい。小保方さん宛の遺書に「あなたの責任ではない、スタップ細胞を必ず再現して下さい」と励ましの言葉があったといわれる。今でも小保方さんは監視つきのカメラの一室で細胞再現実験に取り組んでいる筈だ。彼女の責任はいよいよ重大となった。笹井博士の名誉は細胞再現にかかっている。小保方さんの生きる道も細胞再現にかかっていると思える。頑張って欲しい。

◇69年前の今日、8月6日の朝、日本民族にとって運命の瞬間が刻々と迫っていた。この文を書いているのは午前5時、テニアン基地を飛び立った原爆機が硫黄島上空にかかった時刻だ。

 6時30分、赤プラグを挿入、投下すれば爆発する状態にセット。7時50分、四国先端の上空を通過。8時9分、目標の広島が視界に入る。8時12分、投下作業開始地点到着。8時15分、爆撃手、照準点の相生橋を確認、自動装置を作動させる。8時15分17秒、投下。4トン軽くなった機は空中でジャンプした。8時16分爆発。人類史上の地獄が展開された。

◇私はかつて、県の行政視察でスペインのバルセロナにあるサダコ学園を訪ねたことがあった。

 こんな地の果てに日本人少女佐々木禎子の名をとって学園があることに驚いた。被爆少女は千羽鶴を折りながら12歳で亡くなった。サダコ学園は平和の尊さと命の大切さを教えている。日本は被爆国でありながら原爆を学校で教えないとその時思った。禎子が病床で折った鶴の一羽が家族の元に残っていた。それがハワイ真珠湾のアリゾナ記念館に昨年から常設展示されている。小さな一羽は、太平洋戦争の平和と和解を象徴する姿なのだろう。(読者に感謝)

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2014年8月 5日 (火)

人生意気に感ず「習主席と極秘会談。中国との書道交流。拉致調査。前橋空襲の日」

◇週刊文春の記者に福田元総理と習近平主席との会談について聞かれたことは先日のブログで書いた。福田さんは、北京を訪ね習主席と極秘に会談していた。11月北京で開かれるAPECで、安倍総理と習主席とが会談する可能性が出てきたといえる。尖閣国有化で対立が激化して以来、習主席が日本の要人と会うのは異例である。外務省を通さず福田さんの独自のルートで実現した。日中関係が水面下で大きく動き出したことを感じる。

 福田さんは群馬県日中友好協会の最高顧問。嵐の中で船出した同協会の行く手にようやく明るさが見えてきた。

◇私は3月20から22日迄、上海を訪ね、上海の対外友好協会との間で友好交流の協定書を交わした。その一項目に、文化、教育、スポーツ、青少年交流等をおこなうことが記された。群馬県教育書道展入選作から選んだ小中生の50点ほどを中国の子どもたちの作品と共同展示する企画が進行中である。国家間の対立が激しい時こそ、民間の文化の交流が重要であるが、国家間関係が好転すれば文化の交流も勢いがつくことは間違いない。

◇異常気象の夏に台風12号が重なって大変なことになっている。四国などの50万人超に避難勧告や避難指示が出た。高知県では1日からの総雨量が一千ミリを超えた所がある。一千ミリとは1mである。全てのところに1mの雨。それが低い所に集まる。ノアの大洪水のようだ。この先どうなるのだろう。南極の氷が溶け、海面が上昇する。地球が狂い始めた。狂い出した地球は地上の生き物に目に見えない影響を及ぼすに違いない。人間の脳細胞にもその力は及んでいるのではないか。最近の人間の異常な行動を見ると、そんな思いがしてならない。

◇北の拉致再調査は滅茶苦茶なかたちで行われているらしい。自分が日本人だと知らなかった子供世代にまで聴取が行われているらしい。「あなたは日本人。帰国できることにった」と一方的に告げられる例が報じられている。調査が行われているのは事実のようだが、肝心な調査が誠意をもって行われているのだろうか。狂った国に巻き込まれてしまった多くの日本人の悲劇を今痛切に思う。検証をきちんとしないと騙されてしまう。

◇69年前の8月5日夜8時過ぎ前橋市と周辺は大空襲に見舞われた。前橋市の死者は535人。翌6日は午前8時15分広島に原爆投下。今年は真剣に振り返ろう。

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2014年8月 4日 (月)

人生意気に感ず「週刊文春と中国事情。中国の大矛盾。宇宙部隊発足」

◇週刊文春の記者が先月30日、私の事務所を訪ねた。アポイントの段階で、福田元総理の訪中や中国大使のことを聞きたいとの事であった。中国との関係が緊迫する中、福田元総理が秘かに中国を訪ねていることが伝わり、ジャーナリズムが注目しているのだ。文春は、私が群馬県日中友好協会会長である事から何かを握みたい腹らしい。

 週刊文春は、群馬県日中友好協会が尖閣で大変な時に船出したことに感心を示した。「習近平に会うのか」等核心のことは答えられない。

 福田さんは群馬県日中の最高顧問であること、バッジをはずして、中国からは人間として尊敬されていること、程中国大使および王婉大使夫人は真からの親日家で、日中の正常化を望んでいることなどを話した。

◇私は中国が好きだ。少年のころ三国志の英雄に心をときめかした。儒教の国中国はどこへゆくのか心配だ。歴代の王朝は民衆の暴動が発展し滅亡に追い込まれた。今、中国各地では暴動が耐えない。かつてと異なることは政府が強大な軍事力をもっていること、経済の発展が続いている点だ。

 しかし、民族の心の問題は計れない程深刻である。自由を求める少数民族の忍耐は限界にきている。新疆ウイグル自治区のウイグル族はイスラム教徒である。人々は政府の民族政策に反発している。テロが相次ぎ納まらない。中国の憲法でも、各民族の平等、文化の尊重、宗教の自由が定められているのに。憲法のこれら諸原理の実現は、一党独裁では不可能であることを最近の中国事情は物語る。巨大な中国はその根底から矛盾の大国なのだ。

◇防衛省は宇宙部隊を発足させるという。中味は宇宙監視部隊。何を監視するかというと宇宙ゴミなど。人工衛星の破片など、おびただしいゴミが漂っており通信衛星などに衝突すれば日本の安全保障に重大な影響を及ぼす。

 宇宙ゴミはほとんど高度2千キロ以下に分布。10センチ以上のものは2万個、1センチから10センチ未満のものは約50万個が漂っている。秒速7~8キロの高速

で飛び交っている。自衛隊に有効な手は打てるのか。

 それにしてもショックなのは、美しい地球が危険なゴミの中にいることだ。無秩序な宇宙競争は地球の姿よりも自国の利益を優先させる。中国の人工衛星破壊実験では約3千個のゴミを発生させた。中国にも宇宙の倫理が求められる。(読者に感謝)

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2014年8月 3日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第112回

 養蚕が日本に伝わったのは西暦300年頃といわれる。上野国(こうずけのくに)では奈良時代から絹が特産物として知られていた。和銅7年(714)には真綿から作った絁(あしぎぬ)が朝廷に納められた記録があり、また、8世紀中頃、新田郡から納められた黄絁は正倉院に保存されている。中国でも日本でも絹は上流階級の貴重品であった。

 富岡製糸場が世界文化遺産として登録される理由の一つは、上流階級のものであった絹を大量生産によって大衆のものにした点が評価されたものである。

 室町時代の記録には、上野国を、「桑多くして絹綿豊かなり」の記述が見られ、この頃から上野(こうずけ)の絹が全国に知られるようになったといわれる。

 一般の農家が広く養蚕を行うようになったのは近世(江戸)に入ってからである。天保9年(1838)の幕府領の状況を記した資料に「上州勢多郡水沼、荻原、花輪諸村およびその近村、桑樹多く、田畔、畑の仕切あるいは山の裾、川の際、ことごとく植え付くるなり」との記述がある。この頃、商品として真綿・絹・糸などが生産されるようになり、幕府や諸藩は農村復興策として、又税収対策として養蚕を奨励した。上州では、各地に絹の市が立ち、養蚕と絹は産業として発展していたが、この状況を一変させたのは横浜の開港であった。

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2014年8月 2日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第111回

養蚕と生糸の問題に入る前に、群馬の政治的基盤を振り返ると、徳川幕府との関わりが深かった地域であることが改めて注目される。上州は幕領が多い地域だった。幕府直轄の天領や旗本領である。戦国大名を祖として、営々と地域の歴史と伝統を積み重ねて来た地域との違いである。これが、徳川崩壊によって新たな展開を見せた。不安と混乱の上に押さえがなくなり一揆が多発した。そこへ、江戸を脱走した幕兵が横行した。先が見えない不安の人々は一揆に参加したり、博奕に走る。かくして社会を支える基盤たる田畑が放置される。岩鼻知県事、大音の恐怖政治もこのような背景の下で生じたものである。

「上州の生糸」

「県都前橋いとのまち」上毛カルタのこの文句の背景には上州の長い生糸の歴史がある。埋もれようとしていた生糸の存在が、世界文化遺産として甦ろうとしている。しかし、この文化遺産を真によみがえらせるものは県民の生糸の歴史に対する理解である。

 楫取素彦は文化と伝統を重視する人であった。この人が生糸産業を重視したのは、単に経済の復興だけではない。古来の伝統産業に人々の精神文化が深く関わっていたことを重んじたからである。

養蚕は中国で始まった。絹は古代から中国の貴重品で、中国人は生産方法の秘密を厳しく守り少しでも他国に漏した者は死に処せられた。ハイテクの国家秘密であった。今日、日本のハイテク技術が容易に他国に流出することと対比される。政略結婚で辺境の異民族に嫁ぐ皇女が髪の中に繭を隠して持ち出した物語は有名だ。生糸はシルクロードを通って西欧にもたらされ、また東の果て日本にも伝わった。

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2014年8月 1日 (金)

人生意気に感ず「69年前の前橋大空襲。福島原発事故は起訴相当」

◇8月になった。69回目の終戦記念日を迎える。太平洋戦争は私が生まれた翌年、昭和16年(1941)12月8日始まった。緒戦は勝利したが、翌年のミッドウェー海戦の敗戦から状況は一変する。昭和19年、マリアナ群島がおち、マリアナ基地が確保されるとB29による本土空襲が可能となった。太田市の中島飛行場を中心とした地域がB29九十機により猛爆を受けたのは20年2月10日。前橋市は同年8月4日から5日にかけ猛空襲を受けた。

 当時、私は県庁近くの曲輪町に住んでいた。夜、母に手を引かれ、前橋公園の現在では幸の池の近くにあった防空壕に入り息をひそめた。

 秋葉写真館、カトリック教会のラインより東が全て焼野原になった。それより西にあった我が家は免れた。前橋の死者は535人であった。私の人生の原点である昭和20年8月。今年は人生の新たな転機を迎えた。人生の次なるステージに、あの敗戦の体験を生かしたい。

◇30都道府県で所在不明の子が少なくとも1500人以上いるという。厳しい生活環境の中で犠牲となる子どもが相次ぐ。時々表に出る虐待などの例は悲惨で痛ましい。行政と地域社会が連携すれば助けられる例は少なくない。人間尊重の憲法が泣く。

 所在不明の子が注目される契機は山口あいりちゃんの白骨遺体。母親は公判中で拘置所に。若い母親の歩みは決して例外とは思えない。夫の暴力、あいりちゃんを実家に預け、離婚、その後複数の男と同居。次女を出産。実家のあいりちゃんはママと暮らしたいと妹に嫉妬して泣いた。こんな小説よりも奇なるケースが、所在不明の数字の陰に存在するだろう。不正な生活保護受給の実態がある。真に助けるべきところに救いの手を伸ばすべきだ。行政の役割と使命が問われている。

◇福島第一原発事故の幹部の刑事責任に関し、検察審査会が起訴すべきとの議決をした。その理由は原発事故を反省する上で非常に重要である。「政府機関の予測で15.7mの津波を試算したのに対策を怠った。原発は大丈夫というあいまいな雰囲気があった」と指摘。

 私は高木仁三郎の著書を読んで、電源喪失を防ぐための対策のミスを知った。それは高木氏の予言であり的中した。原発は原爆と同根であるという事実に対する恐れを隠してきた政府と東電の責任は大。審査会はそれを示した。(読者に感謝)

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