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2014年6月28日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第100回

「前橋藩主松平直克の動き」

 群馬の発展にとっての阻害要因の一つは、長い間領主が不在だったことである。地域社会の発展にとって重要なことは、いつの時代でも、まず、良きリーダーの存在であることが分かる。

 前橋藩に領主が戻り、生糸を中心にして財政再建を図る中で前橋と群馬は維新を迎えた。混乱時、新しい社会の方向を正しく見据えて大きな舞台を動かすことは容易ではない。この役割を担って登場した人が楫取素彦であった。楫取登場に至る前橋藩の歩みを別の面から見たい。

 前橋藩主の松平氏は、前橋城を放棄して川越城(埼玉県川越市)に移った。明和4年(1767)のことである。当時、利根川の勢いは激しく、そして繰り返される洪水によって前橋城が危なくなったからである。前橋城は壊され上野国の藩領は前橋町におかれた陣屋が統治した。

 藩主が去った後の上野国の藩領は、人口が減って荒廃した。そこで、人口減の一原因である間引きを厳禁する令をたびたび出した。安政4年(1857年)には「妊婦が薬を使って流産させたり、生れた子を育てようとしないのは天罰を被るべき悪行で、もはや捨ておくことは出来ない。今後、もし生れた子を殺したり、流産させたりする者があれば天に代わって厳しく処罰する」と触れを出した。人は今日と同じく社会を支える基盤であるから、人口減は地域社会の衰えの原因となる。また、間引きの風は人倫の荒廃を助長するからであった。

☆楫取がNHK大河ドラマ登場に決定。土・日・祝日は「甦る楫取素彦」を好評連載中です。

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