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2014年5月 4日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第83回

◇明治2年、楫取41歳。

徳川幕府が亡び新政府は王政復古の大号令を発した。その目的は、烈強に負けない中央集権の近代国家をつくることだった。戊辰戦争に勝利し幕府領を没収・削減したがそれ以外では各藩の割拠支配が続いていた。これを改めなければ中央集権体制はくれない。そのための大改革がこの年の版籍奉還、つまり、土地と人民を天皇に返すことだった。版は領土、籍は戸籍つまり人民を意味する。

 この計画の実行に当たった中心人物は大久保利通と木戸孝允であった。彼らのすすめで明治2年1月、薩摩、長州、土佐、肥前の藩主は版籍奉還を申し出、諸藩主もこれにならった。上州では、3月吉井藩主が先がけて奉還した。

 この年の楫取については、楫取家文書に、勅使万里小路通房が藩主に召命の宸翰(しんかん・天皇が書いた文書)を伝達するため2月に山口におもむいたとき、引請用掛を仰せつけられたこと、そして同月、藩主が応じて上京するにつき、随行すとある。召命とは天皇の呼び出しの命令のこと。

 この年の上州の出来事には、横浜の生糸査技師ポール・ブリュナーらが蚕糸業地視察のため6月中山道安中宿に宿泊、又、7月前橋藩士がジャーディン・マセソン商会横浜店を訪れ器械製糸所設立を相談した等が注目される。ポール・ブリュナーは、富岡製糸場の指導者となった人である。

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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