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2014年5月10日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第86回

 楫取が二条窪に住んだのは新政府に仕官する前の明治3年から同5年迄の約2年間。主君毛利敬親の死後、隠居する覚悟で二条窪に居を構えた。荒地を開墾し、山に植林した。広大な山林は今でも楫取山として親しまれている。夫人の寿子は高潔で教養が高く信仰心が厚かった。観音堂を建て定期的に村人を集め僧を招いて法座を開いた。寿子は一文不知の凡人になりきり村人たちと膝を並べて慎ましく聴問した。今でも「楫取観音堂」が現存している。(中原正男さんはこの観音堂の写真を送ってくれた。また、三隅の極楽寺前住職の池信宏證氏は私への手紙の中で、極楽寺の当時の住職蒙照が招かれてこの堂で法話をしたことを書いておられる)

 この観音堂では現在も定期的に法座が開かれている。法座で飾る掛軸は寿子が村人に形見として遺したもので、明如上人の揮毫した「南無阿弥陀仏」の文字と親鸞の「御和讃」(教え)が書かれている。明如上人は、幕末から明治初期の浄土真宗西本願寺派二十一世法主である。寿子と同宗との関係の深さを窺い知ることが出来る。村人は、この掛軸を二条窪の宝、絶対に無くしてはならないということで、全12戸が1年交代で持ち回りで保管している。「長門時事」では二条窪の岡村清春自治会長と観音堂に隣接して住む谷村キミエさんの話を紹介している。岡村さんは「地区内の全戸が楫取素彦夫妻のことを知っている。これからも法座を通じて後世に語り継いでいきたい」と語り、谷村さんは「毎月、お経を唱えながら楫取素彦夫妻の遺徳をしのんでいます」と述べている。

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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