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2014年3月 8日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第64回

「桜田門外の変」

 前記のように批准書交換の使節団が滞米中に事件は起きた。万延元年(1860)3月3日ふりしきる雪の朝であった。大老井伊直弼の登城の列を見物するかに見えた一団の武士が抜刀して切りかかった時、護衛の侍たちはとっさに刀を抜くことが出来なかった。雪のため刀に柄袋(つかぶくろ)をかけていたからだ。襲撃犯は水戸浪士17人と薩摩の浪士1人の総勢18人。浪士は大老の駕籠に刀を突き刺し、戸を破って引き出し首を切り落とした。幕府に提出された斬奸趣意諸には、通商条約の無断調印への非難や大獄をおこして無実の者に厳罰を加えたことなどが書かれていた。直弼の血が春雪を染めてしみ込んだ土は四斗樽四杯につめられて彦根に送られ菩提寺である天寧寺に埋められた。この事件により独裁主義は破綻し幕府の威信は失墜したのであった。

 井伊襲撃は今日の言葉ではテロである。民主主義がない時代では異常な行動が政治を動かす手段になった。世界では現在でもこのような国があるのは不思議だ。

 井伊直弼が世を去ったことで幕府の政局は変わった。井伊が天皇の反対を押し切って通商条約に調印したことで朝廷との関係は険悪になっていた。朝廷と争うことは幕府の立場を一層悪くする。そこで朝廷との融和策として打ち出されたのがこの年の和宮の降嫁発表であった。

☆楫取がNHK大河ドラマ登場に決定。土・日・祝日は「甦る楫取素彦」を好評連載中です。

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