« 人生意気に感ず「死刑囚地獄から生還。冤罪の恐怖。イノセンス・プロジェクト」 | トップページ | 随筆「甦る楫取素彦」第72回 »

2014年3月29日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第71回

◇元治元年(1864)、楫取36歳。明治まであと4年。この年も狂乱の社会情勢が続いた。楫取は長崎聞役(ききやくー情報収集)を拝命、長崎に出張し、情報を集め、外国船などを調査し、また銃砲購入に関わった。

 この間の状況を当時の英外交官・アーネスト・サトウの視点からとらえてみる。

「アーネスト・サトウ」

 元治元年という年は長州にとって最悪の年であった。7月19日の禁門の変の大敗に続き、長州は長州征伐を受ける。将軍家茂(いえもち)が長州征討を諸候に命じたのは8月2日であった(第一次長州征伐)。ところがこれとほぼ同時(8月5日)に四国連合艦隊の下関攻撃が開始された。前年長州が攘夷実行として外国船を砲撃したことに対する報復であった。正に、前門の虎、後門の狼である。

 連合艦隊の下関攻撃に関するイギリスの外交官・アーネスト・サトウの記述は生き生きとして詳しい。そして何よりも当時の渦中にいた外国人の視点で語たる点に興味をそそられる。

 サトウというのはたまたま発音が日本の佐藤と同じであって無関係なのである。非常に優秀な人物で日本語については突っ込んだ勉強をし、話すことも書くことも非常に堪能であった。明治になり、楫取が群馬の県令の時、西大室(現在の前橋市西大室町)の古墳を調査し、本格的で優れた研究を発表した。これはサトウが幅広い学問と教養を身につけていたことと共に日本の文化を愛した外国人であることを示している。このアーネスト・サトウが次のように語る点に私は引き込まれた「長州人を破ってからは、われわれは長州人が好きになっていたのだ。また、長州人を尊敬する念も起こってきていたが、大君の家臣たちは弱い上に行為に表裏があるので、われわれの心に嫌悪の情が起きはじめていたのだ」

☆楫取がNHK大河ドラマ登場に決定。土・日・祝日は「甦る楫取素彦」を好評連載中です。

|

« 人生意気に感ず「死刑囚地獄から生還。冤罪の恐怖。イノセンス・プロジェクト」 | トップページ | 随筆「甦る楫取素彦」第72回 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 随筆「甦る楫取素彦」第71回:

« 人生意気に感ず「死刑囚地獄から生還。冤罪の恐怖。イノセンス・プロジェクト」 | トップページ | 随筆「甦る楫取素彦」第72回 »