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2014年3月31日 (月)

人生意気に感ず「さん太逃げる。桐一の勝利。園児が般若心経」

◇さん太が逃げて戻らない。昨日、ふと綱を持つ手をゆるめたすきに、さん太は雨の中を一目散に走って畑の向こうに消えてしまった。何日も散歩しなかったので自由の空気がたまらなかったのか。皆で捜したが見つからない。駐在所に届けた。一気に走って方角が分からなくなり段々遠くへ行ってしまったのか。車であちこち捜したが駄目だ。孫のように可愛がっていたさん太。人なつっこいチビで、のび上がって書斎をのぞく表情、垣根の間から顔を出して呼ぶ姿が思い出される。今朝、8時半になったら保健所に電話してみるつもり。茶色の柴犬で青い綱がついている。さん太よ、試練に耐えて戻って来い。

◇さん太はまだ死んだわけではない。さん太をとおしてフクシマを思った。ペットを置いて被災地を離れた多くの人々。車を追って走る犬がいた。残された犬や猫を助ける動物愛護団体の人々の気持ちが分かる。県は保護センターを作り、処分される犬や猫を少しでも救おうと計画している。

 たかが犬猫という考えもあるだろうが、人間と共生する身近な命を大切にすることは私たち自身の問題である。身近な動物の命を軽く扱うことは人間の命を軽く扱うことにつながる。動物愛護の法律や条例はこの意味で人間社会を守る大切な砦であることが分かる。

◇桐一が再試合で完封勝利した。雨の中の快挙は素晴らしい。山田投手の熱投を中心に生き生きとした姿が胸を打った。選手が走ると芝生から水しぶきが上がるのが見えた。昨年の育英を想像して、このチームも、これで波に乗るかと期待する。

 人間は心の存在である。魂のいかんによって縮んだり甦ったりする。一球入魂とはよく言ったものだ。若者のパワーが落ちていることから、いろいろな提案が耳に入る。徴兵制は論外だが、自衛隊に一定期間体験入隊をという意見はよく聞く。もし実現すれば中国その他は軍国主義に通じると非難するに違いない。スポーツをもっと国民的なものにすることは一つの有効な方策ではないか。

◇先日、ある寺の保育園の園舎落成式に出て驚いた。可愛い園児たちが一斉に口をそろえて般若心境を唱え始めたのだ。「しきそく ぜぇくう くうそくぜぇしき」と。子どもたちの心に何かを植え付けているに違いない。私は挨拶の中で教育とは心を育てることだと述べた。(読者に感謝)

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2014年3月30日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第72回

 アーネスト・サトウが見た下関戦争の要点のいくつか取り上げてみたい。まず、サトウは長州からイギリスに渡っていた5名の若者のうち2名(伊藤俊輔と井上聞多)が長州が攻撃されることを知って急遽帰国したことを挙げる。「この2人は、煉瓦塀に自分の頭をぶつけるのは無益だということを藩の同志に警告しようと、知識を身につけて日本へ帰って来た」と指摘。攻撃の中心人物、英のオールコックはこの2人を長州藩の仲介役として使う。2人は戦闘を避けようとしていたのだ。連合軍側も同様で、2人に藩主への最後通牒を持たせたりするが火蓋は切って落とされる。長州の砲台からの砲撃、海兵隊の上陸、激戦の様が描かれ、「日本人が頑強に戦ったことは認めてやらねばならない」とサトウは語る。双方にかなりの死傷者が出たが長州の敗北は明らかであった。サトウは「賠償金を支払わせるための物的保証として下関付近の土地を占領する計画があった」と明らかにしている。伊藤俊輔が来て、長州は講和を希望している。全権を委任された家老が談判に来ると知らせた。家老は黄色の地に青の紋章の就いた礼服を着、絹の帽子をかぶり、目がさめるような純白な白絹の下着をつけていた。家老は宍戸刑馬(シシドギョーマ)といった。そういう家老はいない筈というと、家老宍戸備前の養子になったものと答えた。実はこの家老は高杉晋作であった。サトウはこの家老を観察し、その変化がなかなかおもしろいと述べている。艦上に足を踏み入れた時は悪魔のように傲然としていたがだんだん態度がやわらいだというのだ。休戦協定が出来ると長州人のだれもが忠実に守った。「彼ら長州人は信用に値すべき人間だと言ってもよかろう」とサトウは感想を述べる。そして、大砲の撤去に際し長州人はきわめて親切で自分達の手で運びおろして引き渡してくれたと記している。

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2014年3月29日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第71回

◇元治元年(1864)、楫取36歳。明治まであと4年。この年も狂乱の社会情勢が続いた。楫取は長崎聞役(ききやくー情報収集)を拝命、長崎に出張し、情報を集め、外国船などを調査し、また銃砲購入に関わった。

 この間の状況を当時の英外交官・アーネスト・サトウの視点からとらえてみる。

「アーネスト・サトウ」

 元治元年という年は長州にとって最悪の年であった。7月19日の禁門の変の大敗に続き、長州は長州征伐を受ける。将軍家茂(いえもち)が長州征討を諸候に命じたのは8月2日であった(第一次長州征伐)。ところがこれとほぼ同時(8月5日)に四国連合艦隊の下関攻撃が開始された。前年長州が攘夷実行として外国船を砲撃したことに対する報復であった。正に、前門の虎、後門の狼である。

 連合艦隊の下関攻撃に関するイギリスの外交官・アーネスト・サトウの記述は生き生きとして詳しい。そして何よりも当時の渦中にいた外国人の視点で語たる点に興味をそそられる。

 サトウというのはたまたま発音が日本の佐藤と同じであって無関係なのである。非常に優秀な人物で日本語については突っ込んだ勉強をし、話すことも書くことも非常に堪能であった。明治になり、楫取が群馬の県令の時、西大室(現在の前橋市西大室町)の古墳を調査し、本格的で優れた研究を発表した。これはサトウが幅広い学問と教養を身につけていたことと共に日本の文化を愛した外国人であることを示している。このアーネスト・サトウが次のように語る点に私は引き込まれた「長州人を破ってからは、われわれは長州人が好きになっていたのだ。また、長州人を尊敬する念も起こってきていたが、大君の家臣たちは弱い上に行為に表裏があるので、われわれの心に嫌悪の情が起きはじめていたのだ」

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2014年3月28日 (金)

人生意気に感ず「死刑囚地獄から生還。冤罪の恐怖。イノセンス・プロジェクト」

◇正に、地獄の淵から拾い上げられたのだ。袴田死刑囚の再審が決定し48年ぶりに釈放された。元プロボクサー、一家4人を殺したとして死刑確定。一審の裁判官の一人は無罪を主張していた。

 袴田さんは獄中から手紙を出し続けた。「私の心身は反則によってKOの底に身を横たえてしまうしかないのか。これが私の生である。私の無念とするところである。私の恥かしい部分である」

「反則によって」とは拷問や誤った裁判のことだ。また、「神様。僕は犯人ではありません。僕は毎日叫んでいます。ここ静岡の風に乗って世間の人々の耳に届くことを、ただひたすら祈って僕は叫ぶ」、「確定囚は口をそろえて言う、死刑はとても恐いと。だが、実は死刑そのものが恐いのではなく、恐いと恐怖する心がたまらなく恐ろしいのだ」手紙は姉秀子さんの家に保管されている。

 死刑囚が再審決定と同時に釈放されるのは初めて。静岡地裁は「捜査機関によって捏造された疑いのある証拠で有罪とされ、極めて長期間、死刑の恐怖の下で身柄を拘束されてきた。これ以上、拘置を続けることは耐えがたいほど正義に反する。よって拘置の執行も停止する」と指摘。これが即釈放の理由である。

◇再審決定の道を開いたのは最新技術のDNA型鑑定である。足利事件の菅家さん、東電OL殺人事件のゴビンダさんもDNA鑑定の結果によって再審が決定し無罪となった。天文学的な確率で識別するDNA鑑定はいわば神の目である。菅家さんは古い技術のDNA鑑定で有罪、最新の技術で無罪となった。だとすれば、仮に裁判をやり直せば無罪となるケースが過去にはあった筈だ。

 アメリカには「イノセンス・プロジェクト」といってDNA再鑑定で有罪とされた人を救済する取り組みがある。死刑判決後に無罪が明らかになったケースが17件あるというから怖い。日本でも、死刑執行後の再審を求めているケースがある。死刑確定の2年後に執行された久間元死刑囚のいわゆる飯塚事件である。

◇袴田さんの場合、裁判所は警察が証拠を捏造したと指摘した。事実とすれば恐ろしいことで、警察の威信を地に落とす行為だ。真犯人と思い込んで捏造を行ったのだろう。冤罪の陰に笑う真犯人がいる。警察は健全な社会を支える柱である。(読者に感謝)

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2014年3月27日 (木)

人生意気に感ず「安倍・朴・ノドン緊迫の東アジア。ロボットスーツ。伊香保と楫取」

◇安倍首相と朴大統領が握手しオバマ大統領が中央で見守っている。オバマが舞台設定をした感を受ける。この時、北朝鮮のミサイルが発射された。また、つい最近、習近平主席と朴大統領は日本に見せつけるように共闘の姿勢を示した。このような、中・韓・日・北朝鮮の複雑な構図に中国と米国の対立が重なる。米国は台頭する中国に対抗するために同盟国である日・韓との連携を重視する。日・韓が対立していては同盟関係は有効に働かない。日・米・韓の連携は北朝鮮のまさかに備える上でも欠かせない。中国は、日・中・韓の同盟にくさびを打って崩そうとしている。

 複雑な網の目のような国家関係は戦国乱世のようだ。中国はその長い歴史から権謀術数に慣れている。日本の外交力が正に問われる。安倍首相は笑顔で朴大統領と握手した。政治家は役者であることを求められる。安倍さんの笑顔は北のミサイルより効果があるだろう。

◇昨日、福祉施設の理事会でロボットのことが話題になった。人手不足と高齢化が進む中で、将来人間とロボットの役割分担が益々進むだろう。

 日本のロボット技術は世界の先端をゆく。その原点は鉄腕アトムだと思う。多くのロボット研究者がアトムのファンだったと語る。

 ロボットベンチャーのサイバーダインが東証マザーズに上場した。日本のロボット専門メーカーだ。人の手足の動きを保護するロボットスーツを開発した。足が弱くなったお年寄りがトイレに行ったり動くことが楽になる。需要は拡大するだろう。

 ニュースを聞いて中国を思った。急速に高齢化が進む中国では将来高齢者の福祉サービスで日本に学ぶことが多いと先日、中国人が話していた。ロボットスーツに限らず日本のロボット技術が世界の市場に進出する時が来た。

◇伊香保のおかみと楫取の講演で打ち合わせをした。大河ドラマに備える意味もあって話題の材料にしたいということもあるのだろう。

 楫取と伊香保に関しては木暮武太夫が重要な意味をもつ。楫取が明治15年に廃娼を布達した。それは猶予期間を設けて明治21年6月限りとした。木暮は天下の名湯伊香保が遊廓によって風紀が乱れていることを憂いて、その期限を待たずに明治16年に実行した。福沢諭吉の家に住み込んで慶応に通い、後に県議を務め第一回の総選挙で当選し国会に出た人。廃娼運動の中で、このことも話したいと思う。(読者に感謝)

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2014年3月26日 (水)

人生意気に感ず「関越事故懲役9年。橋下の空振り。暗殺者安重根」

◇懲役9年6月の判決。「眠気を感じたまま走行を続けたのはプロドライバーとして許されない」という理由である。平成24年4月29日の関越道大型バス事故は死者7、重傷者9を含め計46名の死傷者を出した。

 県議会の一大事でもあった。県会は総務企画、厚生文化両常任委員会の合同審査会を開いて取り組んだ。事は、2つの委員会に関わるからだ。合同審査会が開かれるのは実に42年ぶりであった。その後大型連休中に各地で交通事故が発生した。本県の災害対策と危機管理の対応力が問われた象徴的大事件だった。

 災害時、人命救助は時間との勝負だ。救助隊(DMAT)到着まで2時間29分もかかった。なぜこんなにと委員の質問は集中した。情報の伝達に関して問題があった。誰かのケータイの電源が切られていても、誰かが眠っていても情報が伝わる仕組みを研究しなくてはならない。私は、当時次のように発言した。「群馬は災害がないから大丈夫という安全神話の上で緊張感に欠けていたのではないか。この事故から大切な教訓を引き出さねばならない」

 あれから3年が経つ。あの時の衝撃が忘れられようとしている。今回の判決は、もう一度思い出せ、安全神話にあぐらをかくな、災害対策の原点に返れと訴えている。娘を失った父親は「楽しい人生が残っていたはず」と語った。

◇大阪市長選の空振の様を見て思うことがある。先ず、維新の下へ大金を持って猫も杓子も集まったあの騒ぎは何だったのか。より重大なことは選挙制度の濫用である。わずか23・59%の投票率でも市の支配者になれる。非民主主義国が民主主義とは何だと笑うだろう。

 今回の市長選では大量の無効票が出た。無効票のうち白票が4万5千98票もあった。この「白」は、「馬鹿にするな」という意思表示に違いない。

◇ハルビンに習主席の指示で安重根の記念館が出来た。韓国と日本に対して共闘しようとしている。伊藤博文がハルビン駅で暗殺されたのは明治42年(1909)10月26日。安重根は同志とともに左手の第4指を切断し暗殺を誓い合っていた。伊藤は韓国統監として事実上朝鮮の支配者だった。独立運動家の安重根はこれによって国民の英雄となった。朝鮮の各地ではひそかに祝賀の集まりが開かれた。歴史を学ぶ必要がある。(読者に感謝)

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2014年3月25日 (火)

人生意気に感ず「小学卒業式の袴姿。Jリーグ無観客試合。一コ6千円のリンゴ」

◇地元の小学校の卒業式に出た。呼ばれて登壇していく児童の一人一人の表情を見るのが楽しかった。彼らにすれば人生初の大舞台なのだろう。着物に袴が3人いた。一人の女の子は薄く紅を引いている。小学校の卒業式で袴をみるのは初めて。家庭と児童の心意気が伝わる。

 60数年前の自分の姿を重ねた。時代の背景が子どもの姿に現れる。総じて野性と元気がない。野性から遠ざかることは生きる力と離れることを意味する。貧しい時代を懐かしく思った。子どもたちの未来はどうなるのだろう。豊かな時代、少子社会を彼らは生きる。小皇帝と呼ばれて大切にされる中国の子どもたちを思った。豊かな時代に逞しい子どもを育てることの難しさは世界共通の課題である。

◇Jリーグの無観客試合が訴える意味は大きく重い。Japanese onlyと書いた差別的横断幕への制裁。ゴール裏に外国人を入れないという意思表示だった。浦和の主将は差別撲滅を宣言した。その中味は憲法14条と一致。相手・清水の監督イラン系米国人は「差別は社会の病気。東日本大震災のとき日本は世界と団結していた。それが日本の真の姿の筈」と語った。あるファンは、「差別を考え直すきっかけとなった」と語った。イラン系の監督はイスラム教徒が人種や信条によって差別を受ける現実を踏まえているのかも知れない。6万3千人を収容するスタンドはガランとし、浦和の社長は「サポーターがいてこそサッカーだと痛感した」と語る。社会全体が差別を考える教訓となった。

◇「中国を振り返る」スーパーを視察して驚いたことがある。「そごうデパート」は、中国名の看板は「久光」となっていた。大変な盛況で品物と人はあふれんばかり。目に飛び込んだのは、日本の産物のコーナー。大きなリンゴが一個6千円以上、その他、ヒゴメロンが2千円位、上等な和牛が100g5千円。目を疑った。贈答用なのだろうが、もっと価格を下げて大量に売れるようにすれば良いと思った。普段私が食べるカップヌードルが約560円。日本製品への評価が高いことは嬉しいこと。今度の訪中団にも農協の代表が参加した。

 日本の農業は曲がり角にある。品質と味で勝負することが生きる道だろう。農業も技術が問われる時代。中国は農産物の市場としても魅力的だ。農業が生まれかわるヒントを見た。(読者に感謝)

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2014年3月24日 (月)

人生意気に感ず「上海を振り返る。サカキバラの存在。橋下。鶴竜」

◇上海の3日間、マスクを付けた人を見なかった。風がなく天気が非常によかったことが第一の要因に違いないが、報道の仕方とその受け止め方に問題があると思う。私たちは、中国の大気の状況は人間が住めない程度と思いがちである。広い国土を正しく把えることは難しい。「群盲象を撫でる」の弊に陥る。

◇上海の目抜き通りをバスで進みながら奇異に思ったことがある。最先端の商品が展示されるきらびやかな商店から視線を転じると、上階の窓には際どい女性の下着がたなびいている。「高齢者、ママ、子ども」、家族構成が分かりますねと誰かがいった。アンバランス、なんでもありが中国の現実なのだ。

 一億円超といわれる富裕層の家の近くに貧民窟のような住居があり、邸宅には高い塀と有刺鉄線がいかめしい。中国の冷厳な格差を微象するようだ。それを見て、中国は平等を建前とする社会主義ではないかと叫びたくなる。

◇中国は一党独裁だから表現の自由がない。尖閣や靖国で国が緊張を示しても国民が無関心なのは政治的自由がないことと関係するだろう。

◇人口爆発と怒涛のような産業の発展をみて将来のエネルギーをどうまかなうのかと思う。原発の大規模な開発計画がある。原発の安全管理は国民の監視力と関連する。国への批判を許さない体制の下で、原発は必ず破綻するだろう。

 日本が環境問題を克服したように、脱原発の先例を示せば日本は偉大な平和国家となれる。

◇「酒鬼バラ聖斗」が医療少年院を出てどこかで社会人として生きていることは時々報じられていた。毎年被害者遺族に悔やみの文が送られてくるという。今年の文につき「体温が感じられる」と遺族が語っている。

 平成9年の切断した頭部を校門に置いた事件は全国を震撼させ14歳の少年と分かって一層社会に衝撃を与えた。少年院で関わった教官が完全に更生したと語るのを読んだことがある。どのように生きているのか、いつか社会の表に出ることがあるのか気にかかる。二人を殺した。子どもの心に人を殺してはいけないという単純なことを教えられなかった社会なのだと思う。

◇橋下氏は無意味な選挙をやった。実質的な対立候補がないから投票率は23・6%と最低。大量の無効票も出た。墓穴を掘ったといえる。

◇鶴竜の優勝会見を見た。堅実な人柄と見えた。日本の力士に淋しさを感じるが祝福したい。(読者に感謝)

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2014年3月23日 (日)

人生意気に感ず「上海で迷う。中国人と犬。晋作日記」随筆「甦る楫取素彦」第70回

◇2日目ジョギングで道に迷った。前日は走った道を引き返す単純なコースだったが、四角形を頭に描きその辺上を走った。古い路地を覗いたりしているうちに方角が分からなくなった。何度か人に尋ねて戻ることができた。上海の街は一歩入った裏通りに歴史が詰まっている。複雑な中国の実態は表の顔を見ただけでは分からない。

 この日、揚子江の支流・黄浦江の岸辺に立った。ゆっくりと船が動く流れの対岸に上海テレビ塔、頂上が栓抜きの形をした森ビルなど高層ビルが林立。私たちが立つこちら側は昔、租界地域だった。上海出身の友人郭さんが一角を指して言った。「あの当り、昔、華人と犬入るべからずと書かれていたよ」と。有名な話だが郭さんは教科書で習ったという。

 華人(中国人)と犬を同列にして立ち入りを禁じた表示が事実かどうかは分からない。しかし、この黄浦江に沿った一帯にイギリスは芝生とバラを植えた公園を作り中国人の入園を禁じたことは事実で中国人の恨みを買ったというから、犬扱いされた屈辱から「華人と犬」の話が出来たのかもしれない。

 高杉晋作日記には、このあたりを歩いた時、イギリス人やフランス人に出会うと道べりに避ける中国人の卑屈な姿を嘆いたこと、そして、弱腰外交の幕府の将来を予見しこのままでは日本が上海の二の舞になると強く感じたことが記されている。前日の歓迎会で、私が晋作と明治維新について話したのは、晋作のこの場面のことが頭にあったからである。

◇なお、晋作は上海の孔子廟がイギリスやフランス軍の陣営と化し儒教の精神が軍靴で踏みにじられていることに憤りを現わし、外国の侵略の恐ろしさを痛感している。

 私たちは、この孔子廟に、「宥座の器」を贈呈した。これは孔子が中庸の徳を教えた教材である。製作者・針生清司氏が、つり下げられた器に水を入れて実演した。八分目で正しい位置になり、全部入れると傾いて水はこぼれてしまう。私は、現代の中国も日本もこの中庸の徳を学ばねばならないと話した。

◇私は、協定調印式、孔子廟、歓迎会、いずれの席でも、明治維新及び歴史認識の重要さを語り、「楫取素彦読本」を紹介した。この本を材料にした講演を前橋、渋川、伊勢崎の全中学校で実施する計画を立て、進行中である。同時に感想文が集まっている。今回の訪中で文化の交流が友好の基盤であることを確信した。文化の交流は心の交流に他ならないからだ。

随筆「甦る楫取素彦」第70回

◇文久3年(1863)、楫取35歳。明治までのカウントダウン

は進む。あと5年。長州を包む状況は特に厳しく、楫取はその中心にいた。

 楫取家文書によれば、以下のように楫取の身に変化が起きる。1月、藩主京都発駕(出発)に付きこれに従う。萩に向ったのだ。途中より先案内として岩国に立寄る。7月、勅使出迎並に諸接待事役に任じられる。9月、側儒役からより重要な奏者格に転じ藩主の内用掛になり、藩主の直書を携えて芸州(広島県西部)に使す。この時役目を果たした楫取に藩主は自ら金一封を授けた。楫取にとって大変な名誉であった。

 藩主敬親が京から萩に下る途中、支藩岩国に立ち寄ったのは、前記のように幕府と対決するに当たっての協力の要請が目的である。楫取が直書を芸州に届けたのも同様の関係に違いない。これらの動きを見ると、楫取は、正に藩主の懐刀であった。

 この年、8月18日、京都で、長州勢を朝廷周辺から追放するという政変が起きた(8月18日の政変)。これは、禁門の変(久坂玄瑞の死)、第一次征長、楫取投獄につながる重大な事件である。

 この政変は、会津と薩摩を中心とする公武合体派が長州寄りの三条実美等7卿を京都から追放した事件である。

 知識を整理するとこうだ。幕府は、条約を結んで外国と仲良くしようとする開国和親の方針で、朝廷とも手を結ぶ公武合体の立場であったが、長州は、方針を転換して破約(条約を否定)攘夷(外国打ち払い)を打ち出した。これは王(天皇)を尊奉するから尊王攘夷である。

 この年の群馬の動きはというと、前橋町の生糸商等が前橋城再築資金1万2800両を拠出、そして、前橋藩主松平直克は、幕府により前橋城再築を許される。また、下村善太郎は、生糸商店三好屋を開業した。

※土日祝日は、中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2014年3月22日 (土)

人生意気に感ず「上海の朝を走る。交流協定書成る。維新を語る」、随筆「甦る楫取素彦」第69回

◇21日、早朝の上海の街路を走った。まだ明けきらぬ路地に中国らしい活気が流れている。超高層ビルの足下で食い物屋の赤い火が揺らぎ急いで食事をする労働者の姿があった。空には明るい半月が輝き空気は気持いい。マスクの人はいない。早朝なのに兵隊が列をなす物々しい一角があった。近づくとイラン領事館の表示があった。数人の走る女性に会う。ニイハオと声をかけると一斉にニイハオの声と笑顔でこたえた。人々の姿に伝えられる対日の緊張感はない。

◇この日の大仕事は友好交流の協定書の作成である。ホワイトハウスと呼ばれる立派な建物に迎えられ、上海人民対外友好協会の汪副会長と私が署名した。

 協定書には「群馬県日中友好協会設立1周年を契機として双方はこれまでの交流の成果を基礎に、より実質的な内容のある友好交流活動を展開し、両地における友好発展のために緊密に協力し合い、引き続き新たな貢献をすることを確認した」という文章に続けて次の3項目が記載された。

一、「友好相互訪問」

 双方は、友好代表団を相互に派遣し両地での友好交流の協力を更に強める。

ニ、「経済、技術、都市防災、医療福祉交流」

 双方は、両地での経済貿易、省エネ・環境保護、都市防災、医療福祉等の領域での交流・協力を積極的に推進する。

三、「文化、教育、スポーツ、青少年交流」

 双方は、お互いに文化、教育、スポーツ、青少年交流などの分野に交流団を派遣し、両地での文化、教育の発展を共同で促進する。協定書は2通作られ交換された。双方の代表は協定締結の意義と思いを熱く語った。

◇この日はハードなスケジュールをこなし、それぞれに成果を感じた。主なことは上海市嘉定区孔子廟での宥座の器贈呈式、自動車博物館及び自由貿易試験区視察等であった。

◇夜は盛大な歓迎の宴が行われた。私は挨拶で明治維新を語った。アヘン戦争で敗れた後の上海を見て高杉晋作は衝撃を受け次は日本だと危機感を抱いた。日本人のこの思いが維新を達成させたのだと。市政府の幹部は中国も維新を迎えようとしていると話していた。

 復旦大学と深い関わりを持つ曹さんとの間で、私が同大で維新の講演をするという話が出来た。文化の交流こそ全ての交流の基盤なのである。(読者に感謝)

随筆「甦る楫取素彦」第69回

 なお、この文久2年という年は、攘夷の嵐が吹き荒れたことを示す事実として薩摩の武士が藩主の行列を妨げたとしてイギリス人を切った生麦事件、朝廷の幕府に対する攘夷命令、高杉晋作等の英国公使館襲撃などがあった。

 朝廷の攘夷命令は勅使三条実美が、幕府に伝えた。これに対して、将軍家茂は攘夷決行を奉答した。

長州の最大の危機に当り、楫取は藩主の密命を帯びて長府、岩国の支藩を訪れ、毛利藩の方針を伝え大変な苦労の末に説得した。いざという時、一致して幕府に立ち向かうための布石であった。楫取の誠意が人を動かした例といえよう。これは、「楫取素彦翁談話」(毛利家文庫)に記されている。この中で、楫取は次のように語っている「その時分、岩国も非常に困難だったが、吾輩が八方説いて、監物公(吉川領主)にも会うて激烈に論争した。それで、本藩の命令だからというので奉ぜられた」

長府、岩国両支藩への説得を終えた楫取に対し、敬親公は小袴を下賜して賞した。

楫取が県令として前橋に来る迄、あと14年、県令を迎える前橋に時代の変化の波はどのように押し寄せていたか。藩主松平直克は、生糸の横浜売込問屋として、遠州屋、野沢屋、吉村屋、大橋屋、永喜屋を指定。前橋の糸仲間の加入者は530人とか。後に、県令楫取は新産業の生糸で群馬を興そうとするが、その下地は、この頃から勢いをつけ始めていた。なお、藩主は、幕府に、この年前橋帰城を願い出た。長く前橋に城主がいなかったことは、前橋の発展に影響を与えた事実であった。

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2014年3月21日 (金)

人生意気に感ず「上海事務所を視察。中国経済の行方は」,随筆「甦る楫取素彦」第68回

◇雨の羽田をたち、およそ3時間のフライトで上海虹橋空港に着いた。私を代表とする群馬県日中友好協会の上海視察団16名を出迎えたのは群馬県上海事務所・所長の山田浩樹氏。バスから中国最大の商業都市の動きを見る。男性ガイドは上海の人は皆日本が大変好きだと語る。私の質問に尖閣や靖国は政府の問題で関係ないと笑って答えた。政治は国任せという一党独裁下の国民の姿が窺える。林立する高層ビルと車の海が上海の現代の力を語る。

 群馬県事務所は上海国際貿易センターの24階にあった。日本人職員2名と現地スタッフの女性1名。若い女性スタッフは日本人好みの美人である。事務所は平成25年4月1日に開かれた。日中友好協会設立とほぼ同じ時期で、日中間が険悪な状況下でのスタートだった。山田所長は、事務所の業務は、観光誘客の促進、県産品の販路拡大、県内企業のビジネス展開支援の3つですと説明した。

 もう一人の県職員は篠原氏、2人とも前橋市の人で、前高(まえたか)出身とのこと。

◇この日の大きな収穫はジェトロの上海代表・三根伸太郎氏の話から得た。長い中国の体験に基づく話は、中国の実態を内部から分析するもので有益だった。そのいくつかを以下に記す。

 三根氏は、まず、日中がかかえる共通のテーマに取り組むことが重要で、そこに日本のチャンスがあると指摘する。それは、環境、福祉、医療、防災などである。特に高齢者の福祉は一人っ子政策と結びついて深刻らしい。日本の出番があるだろう。

 このことに関し、車中から異様な光景を見た。小学校の門前の群集はこどもの帰宅を迎える親や祖父母たち。子どもは小皇帝と呼ばれて大切に扱われるのだ。この子たちに将来年老いた父母たちを支えることを期待できるのか。

 次に中国の消費者は賢くなっている。単純にブランドを求める時代ではない。個性化の時代となって、消費者は自分にとっていいものを選ぶ。車中のガイドは新しく開かれたユニクロの盛況ぶりを話していた。

 更に三根氏が市場規模について語ることはすごいと思った。日本の企業は中国のリスクを恐れて東南アジアなどに拠点を移そうとしているが、中国の規模拡大は、他国の一国に当たる位のことが一年で進む程。だから、中国は依然として最大のマーケット(市場)なのだ。

◇上海玉仏寺を訪ね、上海仏教協会会長を務める住職の覚醒師と話した。夜は、県人会幹部と食事をしながら懇談。中国に根を下ろす同郷の人の姿を見た。(読者に感謝)

随筆「甦る楫取素彦」第68回

◇文久2年(1862)・楫取34歳。井伊直弼の後、老中として合武合体を進めていた安藤信正はこの年、坂下門外の変で斬られ、命はとりとめたが政治生命は失墜。幕府は安藤を罷免したのである。この事件を機に尊王攘夷運動が激化した。朝廷内の状況も一変し、孝明天皇は攘夷の決意を明確にし、航海遠略策を退けた。長州の藩内では、楫取の義弟久坂玄瑞が長井雅楽(うた)弾劾書を提出するに至った。更に、朝廷からは、「航海遠略策」の建白書中に朝廷を誹謗する言葉があることが指摘された。尊攘派が勢いを増す情勢下で小さなことが長井の不利に働いたようだ。朝廷誹謗を朝廷から問われることは非常に重大である。藩主敬親はこの政局に応じて重大なことを議するため京に上った。この時、楫取は藩主のお側役として従った。藩の運命を決する重要な場面に楫取自身が近づいていた。「破約攘夷」という政策の大転換は、藩主が出席する長州の京都屋敷で行われた。

これは幕府の重要な政策に真向から逆らうことであった。幕府の厳しい処罰は避けられない。正に長州の存亡にかかわることであった。全ての力を結集して未曾有の難局に当らなればならなかった。長井は待罪書を出して謹慎した。藩主は長井の職を免じた。翌年、遂に長井は切腹を命ぜられた。

長井は腹を切る武士の儀式を済ませ、弓八幡の謡曲を琅々(ろうろう)と歌い見事に果てた。四五歳であった。右に左にと揺れ動く政局の中で捨てなくもよい命であった。ポーパタン号で、また咸臨丸でアメリカの実態を知った人々は、攘夷などは全くの絵空事と分かっていた筈である。数年後、正に攘夷を吹き飛ばして世界の舞台に躍り出た明治の新政府が実現する。しかし、そこに辿りつく迄にまだまだ日本国内は曲折を重ね多くの血を流さねばならなかった。

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2014年3月20日 (木)

人生意気に感ず「楫取の広がり。中国へ出発。強制連行訴訟。ビッグバン」

◇昨日は議会閉会日。私は、「障害者子育て対策特別委員会」の委員長として委員長報告をした。閉会後、文真堂本店へ向う。「楫取素彦読本」を47店舗で販売することになりその打ち合わせである。他の書店にも徐々に広がり、第7刷まできた「読本」は読者を広げている状況だ。

◇今朝は5時に前橋駅からバスで出発し、中国へ向う。群馬県日中友好協会の訪中団は3日間の上海視察を行う。私は同協会の会長。日中の国家間は相変わらず険悪だが、こういう時こそ民間の交流は重要である。とはいえ、適地に乗り込むような緊張感もある。PM2.5に備えたマスクも用意した。折りしも、強制連行の訴状が受理されたと報じられた。歴史の都上海、そして中国の近代化を今日の大躍進を象徴する巨大都市の実態はいかん。肌で感じとったことを報告するつもりだ。上海出身の友人郭同慶君が同行することは心強い。

◇強制連行の訴とは、日中戦争時に中国から日本に強制連行され労働させられた人々が日本の企業を相手どって賠償を求めるもの。中国で初めてこの訴訟が開かれる。

 中国の司法は政府の影響で反応する。これまで受理されなかったのは政府が押えていたからと言われる。今回の変化は「靖国」や「尖閣」で緊迫した状況の故であろう。

 強制連行の訴訟は、日本では最高裁で中国人の訴は棄却されている。この問題は群馬にも関連地があり、最近の動きに私も関わっている。戦時下働ける人は徴兵され国内の労働力は極度に不足、発電所等の工事に中国人が強制連行され酷使された。その証拠はないと思われていたが確たるものが発見された。日本は労働力不足を補うための「実行」を閣議決定したこと及び連行された人々の名簿まで出て来た。NHKが作った特別番組は証拠資料として法廷でも放映された。中国側が賠償請求権を放棄したことを理由に最高裁は原告敗訴の判決を下したが、中国人は民間人の請求権は別だと主張。沼田などに現場があった。

◇宇宙は今も膨張を続ける。ということはその始まりがある筈。それがビッグバンで宇宙は極微の一点から始まった。138億年のその間接の証拠が発見された。誕生時、急激に膨張した時に発生した重力波の証拠。膨張は続くのか止まるのか。止まった後、物が落下するように収縮するのか。謎と夢は果てしない。(読者に感謝)

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2014年3月19日 (水)

人生意気に感ず「ロシアの侵略。サイトとシッター。雇用戦略会議」

◇ロシアが武力を背景に他国の領土を奪った。クリミアのロシア領編入である。この動きは今後もウクライナ東部に及ぶ可能性がある。冷戦の再現どころか世界大戦の恐れもある。

 プーチン大統領はソ連崩壊で失った領土を回復したいという決意があるのだろう。しかし、いくら過去に於いて自国領だったとはいえ、条約を結んで認めあった独立国である。

 超大国としてアメリカと肩を並べたロシアにとって、ソ連崩壊は最大の失敗であり悲劇との考えがロシア国民にはあるに違いない。だからといって、かつての領土を奪いとれば侵略である。黙認すれば更にウクライナに軍事力が及ぶ。かつてヒットラーがポーランドに侵入したことで第二次大戦が始まったことを想起する。歴史は繰り返される。米欧には打つ手がなくロシアはそれを見越している。版図を拡げよとする中国にとって仲間を得たような好材料かも知れない。私たちは、ウクライナとロシアの争いをロシア国内の問題と考えがちだ。実は世界の平和を戦争の危機にさらす歴史的事件であることを認識すべきだ。北方領土がこれによって更に遠のくのか近づくのか気になる。

◇サイトで知ったベビーシッターに、顔も住所も確かめず子どもを預ける時代なのかと驚く。

 22歳の母親は2人の子を預け一人が遺体でみつかり、26歳のシッターが逮捕された。遺体にはアザがあり窒息死とみられる。サイトに登録されるシッターは無数に存在するといわれる。需用があるからだろう。ニュービジネスとして成長しつつあるのか。金を目当てに無責任なシッターが増えれば幼い命は常に危険に晒される。シッターに資格は必要ない現状だ。

 森雅子少子化相は、ベビーシッターの質を保障する仕組みを整える考えを示した。子どもを預ける環境を考えなければ、働く女性は子どもを産めない。だからシッターの問題は少子化対策の一環なのだ。

◇昨日県の雇用戦略本部の会議に出た。県が経済団体等と連携して雇用対策に取り組む。私は障害者・子育て対策特別委員会委員長として出席。女性の雇用については積極的に活用することが活力を生むとしてそのための方策などが論じられ、若者については働く意欲がないこと、障害者を使う難しさなども論じられた。私は今日の成熟社会では無数に職種がある。適材適所を進めれば皆生き生きと働けると主張。(読者に感謝)

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2014年3月18日 (火)

人生意気に感ず「横田さん奇跡の会見。金正恩を裁判に。首相の憲法認識」

◇孫と会った横田さん夫妻が「夢のようで奇跡的だ」と語った。「めぐみの若い頃と似ている。希望を持ってねと手を振り笑いながら別れてきた」とも。81歳と79歳の夫妻とすれば、万感胸に迫るものがあったであろう。北朝鮮はめぐみさんの遺骨と称するものを渡したが、DNA鑑定では別人のものだった。非人道、そして暴虐の国北朝鮮。孫のウギョンさんが乳児と遊ぶ姿を夫妻はどんな思いで見たか。母子の背後には北朝鮮の人々の極限下の光景が広がる。

◇国連の人権調査委が、北朝鮮の最高指導者を裁くべきだと訴えた。処刑や飢餓の実態は悲惨極まりなく、政府によるその組織的かつ広範な人権侵害を「人道に対する罪」に当たると判断。

 国際社会は許すべきでないという人権委員長の決断は北朝鮮を更に一段と追い詰める。国民を飢えさせて核やミサイルの開発に狂奔する姿は狂気の沙汰。国民の支持がなければ何の役にもたたないオモチャに過ぎ無いことを思い知らされるに違いない。その日は近い。

 恐怖政治が徹底している。密告社会でもある。裁判も受けず収容所に送られる。そこでの生活は悲惨で、母親は子どもにヘビやネズミをとって与えたという話しが報じられた。今回、新聞社は脱北者の証言を報告している。その中にある一例は「収容所の解体作業中、死んで間もない人骨が出た、れんが工場には子供用の工具がすらっとあり涙が出た」との証言。子どもが強制労働させられている姿を想像する。北の男性は女性をよく殴るという。民主主義否定の国家の下で、女性の平等などありえ無いことを知る。

◇安倍首相の憲法観がおかしいことを知った。国会答弁で、憲法が国家権力を縛るのは、王権が絶対的権力を持っていた時代の考えだと国会で述べた。今日の憲法はいかに民主主義が成熟しても権力の濫用は起こり得る事を前提にして、国民の権利を守るために国家権力を縛ることを目的としている。国家権力を縛る装置が三権の分立である。これが一つに集中したら人権は守られない。中国は司法権が政治から十分に独立していないから、政府の考えで裁判も変わる。脱北者が韓国に逃れて、大統領の悪口を言っても何も言われない、言論の自由が最高と言った。日本国憲法は国家の権力を制言して人権を守るためにある。(読者に感謝)

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2014年3月17日 (月)

人生意気に感ず「桐生・明子ちゃん訴訟。三俣事件死刑。北の朝鮮軟化」

◇新里小・明子ちゃん自殺に関する訴訟で両親勝訴の判決が出た。自殺の後、少女宅を訪ね、議会でも質問で取り上げた私は、訴訟の行方に強い関心をもっていた。学校の対応がいかにもまずかった。校長は父親から相談を受けていたことを認めながら「本人からの相談がなかった」などと説明。サインに気付かず鈍感と無責任さがあった。

 私は平成22年の11月議会で、自殺の連鎖を群馬で絶てと訴え、知事はいじめも自殺の要因との見解を示した。また県教委は教育長緊急アピールを発表した。

 判決は、「担任は、明子さんがクラスで孤立した理由を理解せず適切な指導をしなかった」、また、自殺後の市の調査につき「真相解明より組織防衛を優先し、不十分」等厳しく批判した。

 訴訟は止むを得なかったが、訴訟では真の解決は得られない。訴訟に走らせないことが必要だ。全国の目を引きつけ、マスコミが大挙して押しかけたあの騒ぎは何だったか。

◇もう一つの注目すべき判決は、三俣町の暴力団殺人事件。3人目の死刑が確定した。今回の特色は直接手を下さず背後で指示した幹部に対する死刑判決である点。実行犯と同等以上の責任を認めた。

 暴力団の世界で上からの命令は断れないのだろう。背後の黒幕が追求を免れるのはおかしい。黒幕死刑は暴力団の世界に衝撃を与えたのではないか。それにしても命令に従ったヒットマンは割に合わない。組員が減少しているのは当然だろう。

 三俣事件を機に本県は暴力団排除条例が作られ、この成立に私も大きく関わった。また、もう一つ、この暴力団抗争事件を一つの契機として作られた条例に県営住宅から暴力団を排除するための条例改正があった。この条例改正は、私が中心になって行ったものであるが孤軍奮闘の懐かしい思い出がある。平成19年の6月議会で成立した。広島、福岡に次ぐ全国3番目であったが、議員提案としては全国初であった。暴力団の存在そのものを否定しない現行の法制度には問題があると思う。

◇横田夫妻が北朝鮮にいる孫キム・ヘギョンさんと面会したという。このビッグニュースは何を意味するのか。北朝鮮の変化が伝えられていた。面会の場所はモンゴル。ぎりぎりまで追い詰められている金正恩政権の窮余のシグナルか。猪木の動きも間接に関係したかも。(読者に感謝)

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2014年3月16日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第67回

ここで長州藩の動きを見たい。長州は攘夷から公武合体に動き、また攘夷に戻るという激しい変化を示した。変化の狭間に登場するのが長井雅楽(うた)の「航海遠略策」であった。長井がこれを藩主に建言したのがこの年文久元年であった。長井の航海遠略策は藩の方針として採用され、以後翌年の文久2年にかけ長州の藩政は長井を軸として展開する。長井とはどのような人で、その説は如何なるものか。

 長井は名を時庸(ときつね)、通称隼人(はやと)、後に雅楽(うた)となった。萩の生まれである。明倫館で文武を学び若くして注目され、頭角をあらわした。藩主の小姓役から始めて、その後抜擢され重要な役目につくようになった。

 長井は長身色白の美丈夫、頭脳明晰、弁説もよく長州で「智弁第一」と言われた人である。彼の「航海遠略策」は、開国論であり、朝廷との合体を進めようとするもので、この時点の時流に適していた。内容は、朝幕両方、条約調印の争いを乗り越え、朝廷は開国・通商、武威を海外に振るう(「皇国を以て五大州を圧倒」)ことを幕府に命令する、幕府は勅命を守り列藩へ指示する、かくして朝廷を頂点とする秩序が成り国内は統一されるというもの。

 毛利の藩主はこれを受け入れ、朝幕とも困難な政局を救う策として歓迎した。長井は藩主の名代として朝廷に参内し、朝臣の前で「航海遠略策」を説いた。孝明天皇は「胸懐(きょうかい)の雲霧(うんむ)がはじめて晴れた」と喜び幕府へ伝えることを命じた。そこで長井は藩命により江戸へ出向き安藤等老中にこれを説いて賛同を得た。その上で藩主毛利敬親は江戸に向うことになった。「航海遠略策」を携えて公武の間をとりもつことが目的であった。この時楫取は藩主のお供を仰せつかる。外様中の外様である毛利氏が徳川開府以来始めて幕府に口を出すという画期的な場面に楫取が同行したことは注目すべきことであった。しかし、順調にはいかなかった。

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2014年3月15日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第66回

 和宮の降嫁もこのような状況下で行われた。それは翌年文久元年のことであった。空前絶後の大行列は中山道を選び上州安中藩を通過した。安中市の国道沿いには和宮の通過を示す木標が現在も建てられている。

 行列のために徴発・使役された人馬は膨大であった。全道の道普請が行われ、沿道の家屋の二階の窓は全て横板で閉ざされ、見苦しい民家や朽ちかけた建物はすべて取り払われた。今日の国民主権、平等の社会と比較するとき天地の差を感じる。あと6年余りで明治の新時代を迎えることを考えると、このおとぎばなしのような出来事は封建時代の最後を飾るドラマであった。

◇文久元年(1861)、楫取33歳。

ポーパタン号で幕府の使節が渡米し批准書を交わした翌年である。松陰が死して2年が経った。楫取を取り巻く情勢は激しく複雑に動いていた。長州の基本方針は攘夷であるが、それを単純に貫ける状況ではない。日本の扉は開かれ世界の大きな流れに合流しようとしていた。日本のこの新しい流れの先をポーパタン号は進み、アメリカ国民の大歓迎を受けた。しかし、日本国内のほとんどの人はこの事実を知らず、尊王攘夷だ、いや公武協調(合体)だと争っていた。

 前記のように、条約批准使節の渡米中に桜田門外の変が起き井伊大老が暗殺され、幕府は政策の方向を変えて難局を乗り切ろうとする。その手段は、朝廷と手を握ることであった。そのために皇女和宮の降嫁を進めたのである。和宮が江戸へ向ったのがこの文久元年という年であった。これを気に諸藩がにわかに公武合体に向けた動きを示すようになり、中央政界に存在感を示したい有力な藩は公武周旋に努力を尽くそうとした。

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2014年3月14日 (金)

人生意気に感ず「80歳のエベレスト(13日夕)。深海魚と地震。リケジョと万能細胞」

◇三浦雄一郎の講演会(13日夕)は映像と話の2部から成っていた。クレバスをはしごで越え、「氷の迷宮」を抜けエベレストの頂上を目指す80歳の男が大画面に躍る。「映像」の後で舞台に歩み出た三浦さんは、死の岩壁の陰から現れた姿に見えた。

 映像の中の三浦さんは真黒に日焼けした顔で地球の天辺(てっぺん)の壁というより、80歳という人間の壁に挑戦している姿に見えた。見上げる頂上は神のように気高く輝き、見下ろす下界は息を呑む美しさ。8846mは正に天の頂き、9千mを超えると人間の血液は沸騰する。エベレストは神が人間に与えたものだと三浦さんは語った。

 三浦さんは85歳で次の目標に挑戦すると語り、健康については守る健康と征める健康があるが征める健康が大切なのだと体験から得たものを語っていた。三浦さんはクラーク記念国際高等学校の校長を務める。同校の生徒が夢を与えてくれてありがとうと花束を贈った。

◇深夜2時頃、テレビをつけると、中国地方のかなり大きな地震を報じていた。愛媛で震度5強。最近、巨大地震の到来を何となく身近に感じる。深夜の地震は何を意味するのか。首都直下、南下トラフ、いずれも秒読みの段階に入っていると見られている。

 ナマズが地震の前に反応するのは彼らが何らかの大地のサインをキャッチするからだろう。そういう能力はナマズに限られない筈。

 最近、日本海側でダイオウイカやリュウグウノツカイなどの深海生物が捕獲されたり打ち上げられたりしている。江戸時代から人魚が上がったら大災害が起きると言われてきた。人魚とは普段見えない深海の生き物のことだろう。深海は謎の世界。そこでどんな変化が始まっているのか。深海の生物の浮上は、竜宮城から警告のために使わされた使者かも知れない。あるいは原発によって海が汚染されることへの深海からの抗議のサインかも知れない。

STAP論文が撤回されそうだ。生物学の常識を覆すとして世界を騒がせた論文。論文の流用などが指摘され万能細胞が出来た証拠がぐらついた。かっぽう着でリケジョの星といわれた小保方さんはどこに居るのか。研究の本質は正しいという学者もいる。もしそうなら小保方さんはマスコミの前に姿を現し説明すべきだ。彼女の名誉のため、日本の技術のためにも。論文の流用など学界の陋習に習われてしまったことの結果なのか。(読者に感謝)

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2014年3月13日 (木)

人生意気に感ず「猪木国会で力道山を。太った女木嶋と死刑。楫取浮き出る」

◇ラジオをつけると何と猪木ではないか。参院予算委で質問するアントニオ猪木。昨年、無断訪朝で登院停止の懲罰を受けた。首相は、子どもの頃、サンマルチノ、ハルクホーガンとの試合に熱中したと振り返った。私もプロレスファンだったので人間発電所・サンマルチノは懐かしい。猪木は師匠力道山に関して、北朝鮮でその娘に会ったこと、北朝鮮についてはより多くの情報を持っていると自負することなどを語った。

 また力道山との関わりを特に国会で語ったこととその内容に興味をひかれた。ブラジルに移民し、砲丸投げで優勝した時力道山にスカウトされ日本にやってきた。師匠のつき人として韓国に行った。力道山が強く要望して板門店へ行った時、力道山は服を脱いで北に向って駆け出したので皆青くなった。力道山は大声で南北分断の悲劇を叫んだという。北朝鮮、韓国と険悪な時、プロレスラー国会議員の口によって、国会の場に力道山が登場したことが面白い。

 歴史を振り返れば、朝鮮半島とのつながりは世界で最も密だと分かる。桓武天皇の血には朝鮮の貴族の血が流れているといわれるし、群馬の文化にも渡来人が大きな影響を与えている。猪木が力道山を語ったことは歴史の一角を取り上げたものだ。仲良く付き合う下地が存在することを改めて認識すべきだ。

◇あの木嶋佳苗が二審でも死刑の判決となった。数年前週刊誌やテレビで異常に騒がれた。太っていて決して美人ではない女に男が簡単にのめり込んで高額の金を提供することが不思議だった。男は、美人に対してかえって距離を感じるのかも知れない。自分にふさわしいと感じ、加えて巧みな会話とある程度の教養に、かえって真実味を見つけて深入りしたのか。小道具として練炭が登場した。我が家は昔、ミツウロコの高4寸サイズを使っていたこともあってこの事件に妙なおかしさを感じていた。法廷でもチェック柄の赤いパジャマを着るなど演出効果を気にしたらしいこの女は峻厳な死にどう対面するのか。事実とすれば金を取られ練炭で殺されたもてない男が限りなく哀れだ。重罪を受ける女が増えていることは女性の社会進出の一端を示すものか。

◇旧宮城村の小さな神社の鳥居に楫取素彦の字をみつけた。見ずらいので台に乗って紙をあててエンピツでなぜたら字がはっきりと浮き出た。近く、宮城中の講演でこの地に初代県令が訪れたことを語る。石に刻まれた由来は不明。(読者に感謝)

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2014年3月12日 (水)

人生意気に感ず「黙とう。伊吹議長の脱原発。行政改革の旗。安政の大地震と楫取」

◇昨日、午後2時46分委員会を中断して黙とうした。総務委員会で私は質問に入った直後だった。目を閉じると一昨年訪れた被災地の入江の光景が浮かんだ。見上げる山のような波はあっという間に人々を呑み込んで太平洋の彼方に連れ去った。海岸から遠く離れた所まで運ばれた大型の船、基礎の部分と共に引き抜かれ横倒しになっている鉄骨のビル、これらは想像を遙かに超えた波の力、自然の脅威だった。防災の点で万全であったはずの原発も打ちのめされ屈服した。一分の黙とうの間にこれらのことが頭に浮かんで過ぎた。現実は、一分の間に一変し、世界が変わってしまったのだ。

◇伊吹文明衆院議長が政府主催の追悼式で、脱原発論を述べ、省エネの暮らしにカジを切らねばと強調した。自民党にも同調者は少なくない筈だ。南海トラフ型が近づいている。「3.11」で見せつけた圧倒的な津波の力を前に原発の安全を言い切ることは出来ない。脱原発は「無責任」というが、原発を存続させることと、どちらが真に無責任か。

 一時的には電力に困るかも知れぬが、日本の技術力を総結集すれば道は開ける。今、中国の力にいらいらさせられるが、中国は近い将来原発で行き詰るだろう。日本が新エネルギーで新しい国家を作って見せることが中国を見返す最良の手段である。「3・11」は天の戒めであり、天の教えである。

◇黙とうで中断されその後続けた私の発言は行政改革に向けたもの。県の「案」の冒頭は、改革の目的に関して、県民は最大の「顧客」と主張。私は、改革の旗印として、「県民は主権者である」という民主主義の理念を掲げるべきだと訴えた。このことを改革の柱とすえることで改革に向けた全ての課題が生き生きと位置づけられる。

 例えば「人材の育成」は全体の奉仕者(憲法15条)たる高い志をもつ人、「情報の提供」は、主権者たる県民が県政に参加する不可欠の手段、「地方分権」は主権者たる地方の県民が自主性を発揮する前提、というようにだ。

◇各地で楫取の講演をする中で、安政の大地震に触れることがある。1854年(安政元年)12月23日、24日と続いた。この間32時間。この年、吉田松陰が黒船に乗り込んだ年であり日米和親条約が結ばれた。楫取素彦は前年、松陰の妹寿子と結婚、この年長男が生まれた。大地震は悪政に対する天罰と言われた時代。天国の楫取は今日の事態をどう見ているか・(読者に感謝)

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2014年3月11日 (火)

人生意気に感ず「3.11の日。大川小提訴。スタップ細胞哀れ」

◇今日3月11日は特別の日である。午後2時46分、議会では黙祷を捧げることになっている。悪夢のような大災害から3年が過ぎた。海が盛り上がり山のような大波が全てを呑み込む信じ難い光景が頭に焼き付いている。改めて振り返って思うことは、千年に一度ともいえる災害に生きている間に現実に遭遇したこと、そして、大自然の前で人間がいかに小さな存在かということである。

 地震と津波だけではなかった。今でも終息しない原発事故は私たちにとって有史以来のことだ。人類史上初めて原爆を体験した私たちは原爆と同根の原発を社会に受け入れその管理を誤った。

 人類は科学の力によって新しい火を手にした。原子の核から途方もないエネルギーを解放する手段を発見したことである。そのエネルギーを兵器に使えば原爆となり、それで発電機を動かせば原発となる。原子力の平和利用だと安易に考えたのは、広島、長崎を真に受け止めなかったこと、つまり被災者だけの問題と把えたことに根本の原因がある。

これは、今回の東北の大震災についてもいえる。離れた地域は他人事と考えている。政府も同じではないか。つまるところ、これは日本人の自己主義である。このことを深く反省しないと、次に来る災害に対し真の対策はとれない。

◇大波が迫る時、校庭に並んで時を過ごした小学生たちの姿を想像する。宮城県大川小の犠牲者の遺族が遂に県・市を提訴した。逃げるのが遅れたため74名の児童が死亡しあるいは行方不明となった。

 対比されるのは岩手県の船越小。校務員必死の訴えで裏山を登り全員が助かった。この二つの学校の例は、防災と避難について多くの教訓を突きつけている。大川小の遺族は、50分間適切な行動をとれないかったことをあげて「人災」だとする。原因を調べた第3者委員会の説明も説得力に欠けた。教訓は原因を知ることを前提とする。訴訟の場で明らかにするために提訴は止むを得ないだろう。風化の危機を救う意味もある。

◇小保方晴子さんが哀れだ。スタップ細胞で一躍脚光を浴びエプロンの研究姿が「リケジョ」の象徴のように言われた。資料の扱い方、論文の作り方にミスがあったのか。細胞作製そのものは真実だと思う。日本の科学技術のために実にもったいない。絶壁に立たされた若い小保方さんは耐えられるのだろか。(読者に感謝)

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2014年3月10日 (月)

人生意気に生きに感ず「多胡碑と楫取。足摺岬で楫取が。航空機事故。3.11の日」

◇多胡碑記念館の群馬書作家展は11回目。私は挨拶で楫取素彦に触れた。楫取は文化遺産の保護に努めた。多胡碑を日本三碑の第一位と評し碑亭を作ってこれを守り、拓本を中国人書家揚守敬に贈った。揚はその著「楷法遡源」でこれを紹介したため碑文の書道的価値が広まった。「楫取読本」を示してこのように語った。

 碑文の書体は素朴である。私にはその価値が分からないが、書の権威はなかなか書けないと評する。楫取は自ら書の達人であったから碑文の価値を見抜いていたのだろう。

 器械で字を書く時代にあって、書には深さがあって心を伝えることを強く思う。

 「楫取素彦読本」は七刷に至り、出版冊数は1万5千冊に達した。最近驚いたことがある。足摺岬のあるホテルにこの本が置いてあり、それを見た孫が読みたがっているといって前橋のある人が購入の連絡をしてきた。

◇マレーシア機が239人の乗客乗員と共に行方を絶った。海上には20キロにも及ぶ油の帯が。またかと思う。盗難パスポートを使って搭乗した人物が2人いる。偽造旅券が使われたテロ事件には、逮捕後死刑判決そして特赦となった美人テロリスト金賢姫で有名な大韓航空機爆破がある。極限まで濃縮された緊迫の生と死の時間と空間。私は御巣鷹の尾根に激突する直前、機内の人が記したメモを読んだ。「もう飛行機には乗りたくない。どうか神様助けてください」、「ママ残念だ、子どもたちを宜しく頼む」等、悲劇の現場が胸に迫る。

 統計を見れば飛行機の墜落事故は多い。しかし乗らないわけにはいかない。一方で格安を競っている。安全対策は万全か、人命尊重は国によって差があるがどの国の飛行機にも乗らなければならない。空の安全は国境を越えた人権の問題である。

◇3年目の「3・11」が迫る。前回の県議選の直前だった。灰色の空を震わした轟音は長く続き咄嗟には何が起きたか分らなかった。歴史的巨大地震はより深刻な歴史的原発事故を起こしまだ終息しない。人間はすぐに忘れる。あのパニックも風化しつつある。問題の根底には自分がよければいいという自己主義がある。次は、首都直下か南海トラフが。現在の一見した平穏は地球の束の間の休憩時間。「3・11」は、防災以外でも、エネルギー、人間の死生観、生き方等様々な問題を突き付ける。真の教訓を引き出す時である。(読者に感謝)

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2014年3月 9日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第65回

和宮の隆嫁は、公武合体策の象徴である。碓氷峠を越え安中を通ったのは、反対派の襲撃を恐れ大井川を避けたからと言われる。安中藩の警備は大変で、藩史によれば、甲賀の忍びの者が多数、沿道の警備に当ったとある。

「和宮の降嫁」

 和宮は孝明天皇の妹である。安政の大獄では朝廷に対する弾圧も強化され、朝幕関係は悪化した。この打開策として、皇女降嫁策は直弼存命中から存在した。それが桜田門外の変後、大きく浮上した。直弼の後を受けた老中安藤信正は、朝廷の権威をかりて尊王攘夷派の鉾先を出来るだけやわらげようとしたのである。

 問題の中心は、条約調印に反対する天皇に逆らって調印を断行した直弼の政策である。つまり調印断行は、天皇を軽んじて外国と手を結ぶことだから尊王(天皇を敬う)攘夷(外国を討つ)派を憤激させ桜田門外の変に至った。皇女と将軍の結婚は朝幕握手を天下に示す最大の演出であった。和宮は当初「東の代官(将軍)のところへいくのはいやじゃ」と強く抵抗した。正に政略結婚だった。幕府は今後7、8年ないし10年のうちに必ず攘夷を実行すると誓約したので孝明天皇は結婚を許した。天皇の勅許が出たのは万延元年(1860)10月18日のことであった。条約批准でアメリカ国民の最大の歓迎を受け帰国の途についた一行が無事品川沖に着いたのは9月27日であった。アメリカの実態を見た人々にとっては攘夷などはおよそ絵空事に過ぎなかった。しかし、現実には、この事をめぐって連日多くの血が流されていた。

 和宮の降嫁もこのような状況下で行われた。それは翌年文久元年のことであった。空前絶後の大行列は中山道を選び上州安中藩を通過した。安中市の国道沿いには和宮の通過を示す木標が現在も建てられている。

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2014年3月 8日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第64回

「桜田門外の変」

 前記のように批准書交換の使節団が滞米中に事件は起きた。万延元年(1860)3月3日ふりしきる雪の朝であった。大老井伊直弼の登城の列を見物するかに見えた一団の武士が抜刀して切りかかった時、護衛の侍たちはとっさに刀を抜くことが出来なかった。雪のため刀に柄袋(つかぶくろ)をかけていたからだ。襲撃犯は水戸浪士17人と薩摩の浪士1人の総勢18人。浪士は大老の駕籠に刀を突き刺し、戸を破って引き出し首を切り落とした。幕府に提出された斬奸趣意諸には、通商条約の無断調印への非難や大獄をおこして無実の者に厳罰を加えたことなどが書かれていた。直弼の血が春雪を染めてしみ込んだ土は四斗樽四杯につめられて彦根に送られ菩提寺である天寧寺に埋められた。この事件により独裁主義は破綻し幕府の威信は失墜したのであった。

 井伊襲撃は今日の言葉ではテロである。民主主義がない時代では異常な行動が政治を動かす手段になった。世界では現在でもこのような国があるのは不思議だ。

 井伊直弼が世を去ったことで幕府の政局は変わった。井伊が天皇の反対を押し切って通商条約に調印したことで朝廷との関係は険悪になっていた。朝廷と争うことは幕府の立場を一層悪くする。そこで朝廷との融和策として打ち出されたのがこの年の和宮の降嫁発表であった。

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2014年3月 7日 (金)

人生意気に感ず「児童虐待。通り魔。ipsとパーキンソン。小保方晴子」

◇昨年の児童虐待が最多と報じられている。04年の962人から20倍となり2万件を超えた。悲惨な結果に対し重い刑事罰を受ける母親が跡を絶たない。ある老婆が「昔は男より子をとった」と言ったことが耳に残る。

 児童虐待防止法が出来、社会的関心が高まり通報例が増えたと言われるが、実態の深刻化は否定出来ない。背景には、子どもを育てずらい社会環境と親の倫理観欠如がある。簡単に結婚し簡単に別れ、身を寄せ合って暮らす母子が多い。再婚した男に虐待される子、それを守れない母親など。児童虐待現象は日本社会が崩壊していく姿でもある。

◇千葉県柏市の連続通り魔事件は、またかと思わせる出来事。テレビで報じられる容疑者の姿は、日常生活でトラブルを起こし、逮捕後は社会への復讐を口にしている。社会に受入れられない孤独な若者の姿である。

 事件を起こさないまでも、社会に不満を抱き生きることが辛いと思う若者は無数にいるに違いない。自殺大国日本の実態の一面でもある。

ips細胞を使ったパーキンソン病治療の道が開かれようとしている。私はこの難病の会の顧問として苦しむ人々を身近に見てきた。

 これは、神経細胞が死滅、あるいは減少して起こる病で有効な治療法がなかった。中山教授のノーベル賞受賞が報じられたとき、苦しむ人たちは秘かな光明を信じて喜びあった。京都大の研究チームは、臨床研究を来年にも始める計画。死滅する細胞そのものをips細胞で増やすのだという。

 ips細胞の臨床研究は、世界初のケースとして目の網膜再生のケースで行われている。パーキンソン病への応用は第2例目だ。

 医学の分野の日本の技術は目覚しい。人を救うことに直結する分野で新しいビジネスが飛躍しようとしている。私たちは物づくりの技術が韓国や中国に流れお株を奪われる結果にいらいらしている。高度医療の分野は簡単にまね出来ない。ノーベル賞を多く出し、他のアジアの追随を許さない。

 ◇「STAP細胞」で一躍世界の注目を集めた小保方晴子さんが論文引用元を明示しないなどのミスを指摘され窮地に立たされている。「研究成果は正しくても論文盗用が事実ならアウト」だというのだ。「リケジョの星」といわれた彼女をこのまま失脚させるのは可哀そうだ。(読者に感謝)

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2014年3月 6日 (木)

人生意気に感ず「中国書道展の郭さん。中国のPM2・5.甲状腺がん。通り魔」

◇日中書道家5人展は東京中国文化センターで行われた。5人は、今年の四字熟語「四海兄弟」の揮毫者たち。企画の中心は長年の友人で日本漢字文化センター所長の郭同慶氏。私は福田元首相に続いて群馬県日中友好協会会長として紹介された。祝辞は、中国大使館公使、外務省の審議官、日中友好協会の理事長など著名人が述べた。「中国文化センター」は09年、習近平主席(当時副主席)と横路衆議院議長(当時)の2人の除幕でスタートし、中国文化の紹介を行っている。文化の交流こそ日中友好の基盤であるという理念に基づく。「四海兄弟」(しかいけいてい)は誠にタイムリーな、そして深い意味を持つ。

 配布された冊子の「翰墨の縁」後記の中で郭さんは私のことに触れている。来日間もない頃、彼の初の個展を私が手伝って成功させたことだ。前橋の市民文化会館で行われた「中国青少年書道展」。2人で一軒一軒企業を回った思い出がある。中国には「井戸を掘った人を忘れない」という諺がある。嫌中の嵐の中に見る一条の明光である。なお、翰墨とは筆と墨の意。

◇先日の委員会で私は中国上海の環境汚染について質問した。駐在員の活動と健康が懸念されたからだ。PM2・5汚染は深刻の度を増し、日本への影響も大きくなっている。髪の毛の直径の約30分の1ほどの微粒子は、肺の奥まで入り肺がんの原因になる。中国の対策は遅れており健康に重大な影響が出ている。大気汚染に国境はないから、これは日本の問題でもある。日中共同の取組みが必要だが険悪な日中関係が妨げている。

◇「3・11」から間もなく3年になる。あんなに大騒ぎしてパニックとなった放射能問題が冷めて風化が始まった。私は本県の子どもの甲状腺がんを取り上げてきたが、これから変化が現れるか心配だ。チェルノブイリでは3年から5年後、多くの子どもにこのがんが発生した。全部の子どものカルテを作れという声がある。当時、検討委員会に危機意識はほとんどなかった。

◇千葉の連続殺傷は通り魔か。24歳の男が逮捕された。4件全てに関与した疑いがある。逮捕前は他人事として詳細な目撃証言を行い、逮捕後は報道陣に大声で怒鳴った。

 犯行の動機が不可解で対象は誰でもよいという事件が繰り返されている。抵抗出来ない子どもたちをどう守るかは重大である。(読者に感謝)

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2014年3月 5日 (水)

人生意気に感ず「北橘中の講演。副読本の行方。無呼吸で高速道を」

◇北橘中で「楫取」の講演をした。校舎は榛名の山並が望める気持のよい丘の上にあった。今年1月の始業式で、校長は、楫取を語り、松陰が楫取に遺した「至誠」の言葉を取り上げた。91人の1年生の瞳も生きていた。環境と校風が生徒の心を育てる。私は小学生の頃片道数キロの山の道を歩いて通学したことを話した。

 この日、新しい試みとして、初めに、私の話と重なる高校入試問題をいくつか画面で紹介した。◎アメリカと・・・を結んで貿易を始める。◎1871年に・・・が行われ、初めて「群馬県」の名称が使用されたなど。大河ドラマのことと合わせ生徒の心をひきつける工夫である。各校、感想文を書いてもらうことにしている。学校の歴史教育に切り込むという秘かな決意。私の身内に松陰や楫取が移り根を張るのを感じる。

◇生徒向け「副読本」の最終稿を校了の直前に「何か(意見が)あったら」と渡された。共に良いものという心があっても何も出来ない。楫取素彦について一片の記述もないのは何故か。楫取は「教育」と「製糸」で群馬を興そうとした。「富岡製糸」によって群馬の製糸業は画期的な発展を遂げるが、この流れをしっかりとらえて製糸王国群馬を基礎づけた行政の最高責任者が楫取であった。強力な中央集権体制の下、地域の文化と結びつけて新産業に尽力した楫取の姿は地方自治の観点からも生徒たちが誇りとすべき事だと思う。

 楫取は熊谷県時代を含めると明治7年から実質的に群馬のかじ取りを行った。楫取は水沼製糸所を訪ねて創業者星野の苦心をたたえ、星野の弟新井領一郎が生糸直輸出の道を開くため渡米するのを助けた。薩長閥といわれた新政府との間で様々な課題を解決するために楫取の存在は大きかったと思われる。明治17年、楫取が群馬を去るとき多くの県民が惜しんだ光景は、製糸王国の方向をしっかりと定めた楫取の業績への讃美を物語る。大沢知事は昨年、議会で私の質問に答えて、群馬の基礎を築いてくれた楫取に感謝したいと述べた。書物が氾濫する今日、「副読本」は通り一遍では子どもの心を捉えない。過去の「副読本」の多くがそのことを示している。

◇富山バス事故は恐い。運転手は「無呼吸症候群」とか。眠った状態で追突した。身近にこのような病状抱える人は多い。このような人を使う会社の責任が問われるだろう。本人に刑事責任を問うのは難しい。高速道はこのような危険を乗せて常時運営されているのか。(読者に感謝)

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2014年3月 4日 (火)

人生意気に感ず「地方で憲法を。集団的自衛権。冷戦再び。歴史教育を」

◇2月議会の本会議は終わり委員会審査に入った。本会議を振り返るとき憲法論が出たことは注目すべきこと。「憲法を改正してしっかりとした日本をつくるべきだが知事の考えは」というもの。深い議論にはならなかったが、地方議会で憲法は必須。日本国憲法は極めて歴史的産物。深い意味を知らないで、「押しつけ」、「改正」を主張する人が多い。「楫取素彦読本」のような易しい「憲法読本」が必要だと思う。楫取の「読本」は、最初が3千冊、次は2千冊ずつ版をかさね、現在第7刷を出すに至った。

◇日本国憲法は私たちの日々の生活に密着している。憲法が感じられないのは社会に波風が立たない時で、社会が激しく揺れる時は憲法の岩盤がむき出しになる。現在が正にその時。

 国会で集団的自衛権が激しく議論されている。日米安保条約は、日本の領域下でいずれか一方が攻撃を受けた時両国が共同して防衛すると定める。これが集団的自衛権を認めるものか否かをめぐり議論され、これ迄の政府は憲法9条の下で集団的自衛権の行使は認められないとの解釈であった。憲法9条を改正するのは極めて難しい。そこで、安倍首相は憲法改正でなく解釈の変更で目的を遂げようとしている。多くの批判はこの点に集まっている。憲法は鉄壁の牙城。それを迂回するのかというのだ。尖閣、北朝鮮を巡る脅威を前に憲法論議を闘わす時である。

◇ロシアはウクライナに軍を進めクリシア半島を掌握しつつある。他国に軍を入れることに世界の非難が集まる。かつての冷戦の再現を懸念する声も上がり、世界の平和を脅かす動きは経済に影響を与えるから円が上昇し株価が急落している。

 人類の歴史は戦争の歴史である。先の大戦も忘れ去られようとし、日本人の多くは戦争などあり得ないと高をくくっている。しかし歴史を振り返れば一発の銃声で戦火が広がった例もある。先日の日中友好協会の新年会では、尖閣で日中の船が並航しているときのアクシデントを真剣に懸念する声があった。

◇今日の学校教育は歴史教育を活かしていない。近現代を教えることに臆病になっている。「自虐的」などという風潮は無視し、確実な事実を提供し若者の胸に歴史を考える種を育てればよい。時々の歴史を作った人物を語り感想文を書かせることは効果的である。私は中学で楫取を語った後、感想文を書いてもらう。子どもたちは文に書いたことを忘れないだろう。(読者に感謝)

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2014年3月 3日 (月)

人生意気に感ず「少年野球壮行会。18歳卒業式翌日逮捕。ロシアの軍事行動。ウイグル族反乱」

◇中学生少年野球チームの全国大会出場壮行会に出た。30名を超えるイガグリ頭たちの表情はきりりとし行進する姿からはユニフォームの下の鍛え抜かれた身体が感じられた。

 挨拶の中で、私は人間の可能性について話した。無限の可能性は厳しい訓練で芽生える。鉄は熱いうちに打てという諺がある、君たちは力を合わせれば、昨年の育英のように奇跡を実現できるのだと。

 豊かで平和な現代社会には少年を鍛える機会が少ない。スポーツの役割は大きい。ソチ五輪もそのことを示していた。今やスポーツを全国民のものにしなければならない。その成果が問われるのが7年後の東京五輪である。

◇18歳の少年が殺人容疑で逮捕された。その衝撃が全国を震わせている。被害者は三重県の中3女子。少年はこの1日に県立高校を卒業した。真面目、クラスで人気がよく、成績もよく、中学時代は野球部だった。なぜ強盗殺人を犯したか。少年事件の凶悪化が叫ばれる。まさかあの子が、なぜという例が多い。簡単に人を殺す。昨年広島で女子生徒が殺された事件では、逮捕された7人の中の1人、当時16歳の少女は、LINEで悪口を書かれ腹が立ったと供述した。

 次々に衝撃の事件が起き、古いものは忘却の彼方に去る。一覧表に羅列して少年犯罪の全体像を握むべきだ。一方で少年犯罪の厳罰化が進む。複雑怪奇な現代社会には人を狂わす巨大な魔物が潜むのかも知れない。

◇ロシア軍がウクライナに進軍し、オバマや西欧諸国がこれを非難し国際間の緊張がにわかに高まっている。東西冷戦が終結したのに、歴史はまた同じ過ちを繰り返すのか。

 この事態は現在改善の方向に動く日ロの関係に影響するだろう。北方領土を解決し平和条約を結びシベリアに日本人が大きく進出する壮大な企画はどうなるのだろう。日本は西陣営の主要メンバーだから難しい対応を迫られる。

◇中国も少数民族問題を抱えて大変だ。チベットやウイグル族の中共政権に対する抵抗の根は我々の想像を超えるらしい。漢民族の問にも一党独裁と格差に対する不満は増大する一方だ。最近ウイグル族の行為といわれる無差別テロが発生し30人の死者と多くの負傷者が出た。環境問題は更に深刻らしい。日本はこのような隣国と付き合わねばならない。巨大地震も近づく。(読者に感謝)

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2014年3月 2日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第63回

第15代大統領ブキャナンは日本人が最初に会った大統領であった。ブキャナンの次が有名なリンカーン大統領。南北戦争の開始は、使節団訪問の翌年1861年であった。次いで国務省に於いて批准書の交換を行った。一行は、国会議事堂、造船所、博物館、天文台、動物園などを案内されただ驚き、そして呆れるばかりであったという。日本人は、圧倒的な文明度と国力を見せつけられ、攘夷(外国を打ち払う)運動の馬鹿らしさと、立派な強い国を作ることの必要性を痛切に思い知らされたに違いない。

 私は、この文を書きながら松陰の無念さを想像する。松陰にアメリカの現実を見せてやりたかったと思う。松陰が斬首されたのは前年の10月27日であった。松陰の妹であり楫取の妻であった寿子が後に、群馬の地で、アメリカに渡ろうとする青年新井領一郎に松陰の形見の短刀を渡し「兄の魂は太平洋を渡ることで救われます」と語ったことが思い出され胸に迫る。なお使節団は帰途につきフィラデルフィアに至った時、江戸の変事を知った。前年に松陰の死罪を決定した井伊直弼が桜田門外で暗殺された事件である。

 アメリカは一行を国賓として待遇した。日本の最初の遣外使節を自国に迎えたことを大きな誇りとして国を挙げて歓迎したのだ。航海中、滞在中いっさいの費用をアメリカが負担した。フィラデルフィア市は1万ドル、ニューヨーク市は2万ドルの歓迎費を支出した。今から154年前の1万ドル、2万ドルであるから正に驚異的な額であった。

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2014年3月 1日 (土)

随筆「甦る楫取素彦」第62回

 勝麟太郎(海舟)を艦長とする咸臨丸は、使節警護の名目を掲げ、同時に航海術の腕試しを兼ね1月19日、ポーパタン号より3日早く浦賀を出発した。百馬力、3百トンの木造の小汽船だった。汽船とはいえ、石炭を燃やすのは港の出入りの時のみで航海中はもっぱら帆走だった。ポーパタン号と同様大暴風雨の中の航海で搭載のハシケ4艚のうち2艚が激浪にさらわれた。総勢90余名は命がけで奮闘し荒海を征して2月25日サンフランシスコに到着した。勝艦長を中心とする日本人の胸中には巨大な黒船で迫り開国を実現させたアメリカに意地を見せたいという思いがあったに違いない。アメリカ人も傷だらけの木造船を見て日本のサムライの勇気に驚いたことだろう。この咸臨丸には福沢諭吉とジョン万次郎が乗っていた。

 サンフランシスコではチョンマゲの珍しさもあって両艦の日本人は大変な歓迎を受けた。咸臨丸は船の損傷をドックで修理したが、その費用をアメリカは一切受け取らなかった。それは日本人の勇気に対する敬意、そして修好通商条約の実現への祝意の現われと見るべきだろう。咸臨丸はポーパタン号に別れを告げ日本に向けて帰りの航海に旅立った。

 ポーパタン号は、サンフランシスコから南下した。そして、一行はパナマ地峡を汽車で横断、大西洋岸に達した。そこには米艦ロヤノーク号が待ち受けていた。これに乗って北上し3月24日ワシントンに上陸した。翌日、使節団は礼装に威儀を正して、4頭立ての馬車を仕立て、沿道を埋め尽くした民衆の中を進んでホワイトハウスに入り、大統領ブカナンに謁見、将軍家茂の親書を渡した。

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